ベートーヴェン「憧れ(Sehnsucht, WoO. 146 "Die stille Nacht umdunkelt")」
Sehnsucht, WoO. 146
憧れ
1.
Die stille Nacht umdunkelt
Erquickend Tal und Höh',
Der Stern der Liebe funkelt
Sanft wallend in dem See.
静かな夜は
元気を回復させながら谷や丘を闇に包み、
愛の星は
穏やかに湖の中でうねりながらきらめく。
2.
Verstummt sind in den Zweigen
Die Sänger der Natur;
Geheimnisvolles Schweigen
Ruht auf der Blumenflur.
枝々にいる
自然界の歌い手たちは口を閉ざし、
秘めやかな沈黙が
花咲き乱れる野原に憩う。
3.
Ach, mir nur schließt kein Schlummer
Die müden Augen zu:
Komm, lindre meinen Kummer,
Du stiller Gott der Ruh!
ああ、眠りは
僕の疲れた瞳を閉じない、
来て、僕の苦しみを和らげておくれ、
静かな憩いの神よ!
4.
Sanft trockne mir die Tränen
Gib süßer Freude Raum,
Komm, täusche hold mein Sehnen
Mit einem Wonnetraum!
優しく僕の涙を乾かして、
甘き喜びにひたらせておくれ、
おいで、僕の憧れを快く
歓喜の夢で欺いておくれ!
5.
O zaubre meinen Blicken
Die Holde, die mich flieht,
Laß mich ans Herz sie drücken,
Daß edle Lieb' entglüht!
おお、僕の目に魔法をかけて
僕から逃げたいとしい人を見せておくれ、
気高い愛が燃え上がるように
彼女をきつく抱きしめさせておくれ!
6.
Du Holde, die ich meine,
Wie sehn' ich mich nach dir;
Erscheine, ach, erscheine
Und lächle Hoffnung mir!
僕の好きないとしい人、
どれほどきみが恋しいことか、
姿を見せて、ああ、姿を見せて
希望が僕に微笑みかけますように!
詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)
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今回はベートーヴェンがこれまでも好んで曲を付けてきたクリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒの詩に1815年終わりから1816年初めに作曲した「憧れ(Sehnsucht, WoO. 146)」を取り上げたいと思います。
夜の静寂の中眠れない主人公は、逃げられた恋人への思慕の念を募らせ、夢にあらわれてくれるように願うという内容です。
コラール風の穏やかな信仰告白を思わせるこの曲は、恋人への憧れの気持ちを神聖な存在への思慕に昇華したかのようにすら感じられます。聴いているうちに胸が熱くなってくるほど静かな感動を覚える作品だと思います。
音楽は詩の2連づつをひとまとまりにした変形有節形式と言ってよいでしょう。歌声部はほぼ同じ音楽を3回繰り返し、一方ピアノ・パートは後期ピアノ・ソナタの緩徐楽章にも通じる天から降って来たような音楽を変奏形式で展開していきます。この作品はベートーヴェンにしか書けない音楽だと思います。知られざる傑作と言っていいのではないでしょうか。
3/4拍子
ホ長調(E-dur)
Mit Empfindung, aber nicht zu langsam (感情をこめて、しかしゆっくり過ぎずに)
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)
F=ディースカウは詩の展開に沿って見事なまでに憧れの心情を描いていました。素晴らしかったです!デームスのピアノも感情の機微が感じられて良かったです。
●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
含蓄に富んだプライの豊かな表現に胸がいっぱいになりました。成熟した時期だからこその思いの深さがありました!
●アン・ソフィー・フォン・オッター(MS), メルヴィン・タン(Fortepiano)
Anne Sofie von Otter(MS), Melvyn Tan(Fortepiano)
オッターの節度をもったしっとりとした味わいの歌は思わず耳をそばだてて聞き入ってしまうほどです。
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
シュライアーの誠実な歌いぶりを聴くと、主人公の憧れの対象である恋人に思いが届いてほしいと思わずにいられません。
●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)
ベーアが歌うと、繊細な青年像が思い浮かびます。この曲の主人公の心の痛みと恋人への強い思いの表現にぴったり合致していると思います。
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(参考)
「憧れ」——希望に呼びかける、ライシッヒの詩による歌曲(平野昭)
『ベートーヴェン全集 第6巻』:1999年3月20日第1刷 講談社(「Sehnsucht, WoO 146」の解説:村田千尋)
『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)
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コメント
フランツさん、こんにちは。
静かな感動が沸き上がる名曲ですよね。
シュライヤーの歌は、歌詞を見なければ本当にコラールかしらと思わせました。
>恋人への憧れの気持ちを神聖な存在への思慕に昇華したかのようにすら感じられます。
苦悩しつくし、諦め、それをこえたところに気持ちが上って行ったのでしょうか。
多くを語らない歌いぶりがそう思わせてくれました。
何度も繰り返し聞きたくなる曲ですよね。
プライさんの一番晩年のベートーベン。微妙に歌い崩すリズムが、ここでは効いていますよね。
彼が生きてきた人生での出来事を重ねたような深みがあり、素敵でした。
ベーアは、未だ苦悩の中にいて希望を持とうとしているのでしょうか。静かながら、思いの深さを感じました。
投稿: 真子 | 2022年5月26日 (木曜日) 10時23分
真子さん、こんばんは。
私もベートーヴェンの歌曲を順番に聴いてきて、この曲と出会えてうれしく思っています。
何度聞いても感動的ですよね。
それぞれの演奏のご感想有難うございます。
シュライアーは宗教曲の歌いぶりのような律儀でどの音もおろそかにしない歌唱がとてもいいなぁと思います。コラールっぽい曲調も影響しているのかもしれませんね。
プライはおっしゃるように本当に人生が反映されているような歌で、聴いていて胸が熱くなりました!こういう歌を聴けるのが円熟期のリート歌手を聴く醍醐味だと思います。
ベーアは声の繊細さゆえでしょうか、詩の主人公が若く感じられます。「未だ苦悩の中にいて」という感じしますね!
いつも有難うございます!
投稿: フランツ | 2022年5月26日 (木曜日) 19時54分