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シューベルト「ルイーザの返答(Luisens Antwort, D 319)」を聴く

Luisens Antwort, D 319
 ルイーザの返答

1.
Wohl weinen Gottes Engel,
Wenn Liebende sich trennen,
Wie werd' ich leben können,
Geliebter ohne dich!
Gestorben allen Freuden,
Leb' ich fortan den Leiden,
Und nimmer, Wilhelm, nimmer
Vergißt Luisa dich.
 神の天使たちは泣くでしょう、
 恋人同士が別れるときには、
 私はどうやって生きていけるというのでしょう、
 愛する方、あなたなしで!
 喜びはすべて死に絶え、
 これからは苦しんで生きていくのです、
 そして決して、ヴィルヘルムよ、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

2.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Wohin ich, Freund, mich wende,
Wohin den Blick nur sende;
Umstrahlt dein Bildniß mich.
Mit trunkenem Entzücken
Seh' ich es auf mich blicken.
Nein nimmer, Wilhelm, nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 友よ、どこを向いても
 視線だけをどこに送ろうと
 あなたの姿が私を光で包み込むのです。
 うっとりと陶酔して
 あなたの姿を私自身に見るのです。
 いいえ決して、ヴィルヘルムよ、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

3.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Geröthet von Verlangen,
Wie flammten deine Wangen,
Von Inbrunst naß um mich!
Im Wiederschein der Deinen
Wie leuchteten die Meinen!
Nein nimmer, Wilhelm, nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 憧れるあまり赤くなっています、
 あなたの頬はなんと燃え上がり、
 情熱のあまり私は濡れています!
 あなたの頬に照らされて
 なんと私の頬が輝いていることでしょう!
 いいえ決して、ヴィルヘルムよ、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

4.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Vergessen, wie die Blöde
In Blick' und Nick und Rede
Die Liebe süß beschlich.
Dein zartes Liebeflehen,
Mein stammelndes Gestehen
Sollt' ich vergessen? Nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 お馬鹿さんみたいに忘れるなんて、
 あなたが視線を向け、うなずき、お話するさまに接しているうちに
 甘い愛にとらわれたのです。
 あなたの優しい求愛や
 私のしどろもどろの告白を
 忘れろとおっしゃるのですか?決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

5.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Die Töne je verlernen,
Worin bis zu den Sternen
Du mich erhubest, mich.
Ach unauslöschlich klingen
Sie mir in Ohren, singen
Sie mir im Herzen - Nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 かつてのあの響きを忘れるなんて、
 星々まで
 あなたが私を引き上げてくれた響きを。
 ああ、忘れられず響いています、
 あなたが私の耳に、
 私の心に歌っています、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

6.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Vergessen deiner Briefe
Voll zarter, treuer Liebe,
Voll herben Grams um mich!
Ich will sie sorgsam wahren,
Für meinen Sarg sie sparen.
Geliebter, nimmer, nimmer,
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 あなたの手紙を忘れるなんて、
 優しく誠実な愛にあふれ、
 私についての苦々しい痛みに満ちた手紙を!
 私はその手紙を大事にとっておき、
 私の棺に入れるために残しておこうと思います。
 愛する方、決して、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

7.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Vergessen jener Stunden,
Wo ich von dir umwunden,
Umflechtend innigst dich,
An deine Brust mich lehnte,
Ganz dein zu seyn mich sehnte! -
Geliebter, nimmer, nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 あの時間を忘れるなんて、
 あなたに巻き付かれて、
 あなたに愛をこめてからみつかれて、
 あなたの胸にもたれ、
 すべてあなたのものになることを望んだあの時間を!
 愛する方、決して、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

8.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Vergessen je der Fragen,
Die du in schönern Tagen
Ohn' Ende fragtest: "Sprich,
Luisa, bist du meine?"
Ja, Trauter, ja, die Deine
Bin ich auf ewig. - Nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 かつてのあの問いかけを忘れるなんて、
 あなたがあの素晴らしかった日々に
 果てしなく「ねえ、
 ルイーザ、きみは僕のもの?」と尋ねた問いかけを。
 ええ、いとしい方、そうです、
 私は永遠にあなたのものです、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

9.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Vergessen je der Schauer
Von Seligkeit und Trauer,
Die allgewaltig mich
An deiner Brust durchzückten,
Aus deinem Arm entrückten
Zu höhern Sphären! - Nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 かつてのあの身震いを忘れるなんて、
 幸せと悲しみのあまり
 激しく
 あなたの胸にもたれた私を貫き、
 あなたの腕から
 高き天空へと連れ去ったあの身震いを!決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

10.
Wie könnt' ich dein vergessen!
Vergessen je der Qualen,
Womit aus goldnen Schalen
Die Liebe tränkte mich!
Was ich um dich gelitten,
Was ich um dich gestritten
Sollt' ich vergessen? Nimmer
Vergißt Luisa dich.
 どうしてあなたのことを忘れられましょうか!
 かつてのあの苦しみを忘れるなんて、
 黄金の鉢から
 愛が私にしみこませた苦しみを!
 あなたのために苦しんだことや
 あなたのために口論したことを
 私に忘れてほしいのですか?決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

11.
Ich kann dich nicht vergessen,
Auf jedem meiner Tritte,
In meiner Lieben Mitte,
Umschwebt dein Bildniß mich.
Auf meiner Leinwand schimmerts,
An meinem Vorhang flimmerts,
Geliebter, nimmer, nimmer
Vergißt Luisa dich.
 あなたのことが忘れられないのです、
 私が一歩歩くたびに
 私の愛の中心で
 あなたの姿が周りに浮かびます。
 私のスクリーンにほのかに光り
 私のカーテンにちらつくのです。
 愛する方、決して、決して
 ルイーザはあなたのことを忘れません。

12.
Ich kann dich nicht vergessen.
Mit jedem goldnen Morgen
Erwacht mein zärtlich Sorgen,
Mein Seufzen, ach, um dich!
"Wo weilst du itzt, du Einer?
Was denkst du itzt du Meiner?
Denkst du auch an Luisen?
Luisa denkt an dich!"
 あなたのことが忘れられないのです、
 黄金色の朝を迎えるたび
 私の愛のこもった気がかりが、
 溜息が、ああ、あなたを思って目覚めるのです。
 「今どこにいるのですか、あなた?
 今何を思っているのですか、私のものであるあなた?
 ルイーザのことも思っていてくれますか?
 ルイーザはあなたのことを思っています。」

13.
Ich kann dich nicht vergessen.
Des Nachts auf meinem Bette
Gemahnt michs oft, als hätte
Dein Arm umschlungen mich.
Des Penduls Schwingung weckt mich,
Das Horn des Wächters schreckt mich.
Allein bin ich im Dunkel,
Und weine still um dich.
 あなたのことが忘れられないのです、
 毎晩ベッドにいると
 よく思うのです、
 あなたの腕が私にからみついているかのように。
 時計の振り子の揺れで目が覚め、
 番人の角笛に驚きます。
 私は暗闇の中一人きりで
 あなたを思って静かに泣くのです。

14.
Ich kann dich nicht vergessen.
Nicht fremde Huldigungen,
Nicht Sklavenanbetungen,
O Freund, verdrängen dich.
Luisa liebt nur Einen,
Nur Einen kann sie meinen,
Nur Einen nie vergessen,
Vergessen nimmer dich.
 あなたのことが忘れられないのです、
 他の人に熱中しようとしても
 奴隷を好きになろうとしても
 おお友よ、あなたを排除できないのです。
 ルイーザはただ一人の方を愛しています。
 ただ一人の方と言えます、
 ただ一人の方を忘れません、
 あなたのことを決して忘れません。

15.
Luisa liebt nur Einen,
Verschmäht des Stutzers Schmeicheln,
Verhöhnt sein süsslich Heucheln,
Gedenkt, o Wilhelm, dein;
Denkt deines Geistes Adel,
Dein Lieben sonder Tadel
Dein Herz so treu, so bieder -
Und brennt für dich allein.
 ルイーザはただ一人の方を愛しています、
 伊達男のお世辞を退けて
 そいつの猫をかぶった甘ったるい言動をあざ笑って
 ヴィルヘルムよ、あなたのことを思うのです。
 あなたの心の気高さを
 非の打ち所のないあなたの愛情を
 とても誠実で純真なあなたの心を思い、
 そしてあなただけに燃え上がるのです。

16.
Für dich nur mag ich brennen,
Für dich, für dich nur fühlen.
Dieß Feuer in mir kühlen
Mag Zeit, mag Ferne nicht.
Von dir, von dir mich scheiden
Mag Freude nicht, nicht Leiden,
Mag nicht die Hand des Todes,
Selbst dein Vergessen nicht.
 あなたのためだけに燃え上がりたい、
 あなたのためだけに感じたいのです。
 私の中のこの炎を冷ますのは
 遠さではなく、時の経過であってほしいです。
 あなたから、あなたから私を隔てているのは
 喜びでも、苦しみでもありません、
 それは死神の手でもなく、
 あなたに忘れられることですらありません。

17.
Selbst, wenn du falsch und treulos
An fremde Brust dich schmiegtest,
In fremdem Arm dich wiegtest,
Vergessend Schwur und Pflicht
In fremden Flammen brenntest,
Luisen gar verkenntest,
Luisen gar vergässest -
Ich, ach! vergäss' dich nicht!
 あなたが不実で不貞にも
 他の女の胸にもたれかかり
 他の女の腕の中で腰を振ったとしても
 忘れつつある誓いと義務が
 他の女の炎の中で燃え上がろうと
 ルイーザを完全に見誤ろうと
 ルイーザを全く忘れようと
 私は、ああ!あなたを忘れないでしょう!

18.
Verachtet und vergessen,
Verloren und verlassen,
Könnt' ich dich doch nicht hassen;
Still grämen würd ich mich,
Bis Tod sich mein erbarmte,
Das Grab mich kühl umarmte -
Doch auch im Grab', im Himmel,
O Wilhelm, liebt' ich dich!
 軽蔑され、忘れられ、
 見捨てられ、見放されても
 私はあなたを憎むことは出来ないでしょう。
 静かに私は嘆くでしょう、
 死が私に同情してくれるまで、
 墓が私を冷たく抱きしめるまで、
 でも、墓の中でも、天国でも
 おおヴィルヘルム、私はあなたを愛すでしょう!

19.
In mildem Engelglanze
Würd' ich dein Bett umschimmern,
Und zärtlich dich umwimmern:
"Ich bin Luisa, ich!
Luisa kann nicht hassen,
Luisa dich nicht lassen,
Luisa kommt, zu segnen,
Und liebt auch droben dich."
 穏やかな天使の輝きの中
 私はあなたのベッドのまわりでほのかに光り
 あなたを思ってめそめそ泣くでしょう。
 「私はルイーザ、私です!
 ルイーザは憎んだり出来ません、
 ルイーザはあなたと別れられません、
 ルイーザは祝福するために来たのです、
 そして天上でもあなたを愛しています。」

詩:Ludwig Gotthard Theobul Kosegarten (1758-1818), "Luisens Antwort", written 1785, first published 1786
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828), "Luisens Antwort", D 319 (1815), published 1895

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今日はルートヴィヒ・ゴットハルト・テオブル・コーゼガルテンの詩によるシューベルトの歌曲「ルイーザの返答(Luisens Antwort, D 319)」を採り上げます。シューベルト18歳の時(1815年10月19日)に作曲されました。

詩は19連からなり、シューベルトは有節歌曲として作曲していますので、全部演奏したらかなりの時間になると思いますが、今のところ全節演奏した録音は存在しません(2022年3月現在)。

恋人だったヴィルヘルムに捨てられたルイーザという女性による未練たっぷりの心情が切々と綴られています。

詩の内容を大雑把に要約してみます。

1. 恋人の別れには天使も涙するでしょう。あなたなしでどうやって生きていけるのでしょうか?

2. どこを見てもあなたの姿がまわりで輝いています。

3. あなたの頬は燃え上がり、私の頬を照らしています。

4. あなたが求愛してくれたことやしどろもどろになりながら私が打ち明けたことを忘れることなど出来ません。

5. あなたが私に歌ってくれた歌を忘れられません。

6. あなたがくれた手紙を棺に入れるためにとっておきます。

7. あなたに抱かれたあの時間を忘れません。

8. きみはぼくのもの?と聞かれたことを忘れません。私は永遠にあなたのものです。

9. あなたに抱かれたときに私を貫いた身震いを忘れません。

10. あなたへの愛ゆえに苦しんだり言い争ったりしたことを忘れません。

11. 私が歩くたびにあなたの姿が私の中のスクリーンに投影されるのです。

12. 朝になるとあなたのことが気がかりで、どこでどうしているのか考えてしまいます。

13. 毎晩ベッドにいるとあなたに腕を回されているかのように錯覚して、時計の音で目が覚めます。

14. 他の人を好きになろうとしてみても、あなたのことが頭から離れないのです。私が愛しているのはただ一人だけです。

15. 私に言い寄ってくる男を払いのけて、あなたの完璧な愛情を思い出します。

16. あなたのためだけに燃え上がりたい。時間が経ってこの炎が冷めてしまえばいいのに。

17. あなたが他の女を抱いて私のことを忘れても、私はあなたのことを忘れません。

18. あなたに捨てられてもあなたを嫌いになりません。死神が迎えに来てくれるまで静かに嘆き悲しむだけです。

19. 天使になったらあなたのベッドにあらわれて、泣きながら天国でもあなたを愛していることを伝えます。

ちょっとひいてしまうぐらい情熱的な詩ですね。過去の思い出や現在の心境を書き連ね、どんな仕打ちにあっても今後もあなただけを愛し続けますという決意のようなものが感じられます。
詩人は男性ですが、どんな心境でこの女性の立場からの詩を書いたのでしょう。ちょっと気になります。

ここで、この詩の第1連最初の4行をご覧ください。

Wohl weinen Gottes Engel,
Wenn Liebende sich trennen,
Wie werd' ich leben können,
Geliebter ohne dich!
 神の天使たちは泣くでしょう、
 恋人同士が別れるときには、
 私はどうやって生きていけるというのでしょう、
 愛する方、あなたなしで!

次に、クラーマー・エーバーハルト・カール・シュミット(Klamer Eberhard Karl Schmidt: 1746-1824)の詩にモーツァルトが作曲した歌曲「別れの歌(Das Lied der Trennung, KV 519)」の第1連最初の4行をご覧ください。

Die Engel Gottes weinen,
wo Liebende sich trennen!
wie werd' ich leben können,
o Mädchen,ohne dich?
 神の天使たちは泣いています、
 恋人同士が別れるときに、
 僕はどうやって生きていけるというのだろう、
 おお乙女よ、きみなしで?

この4行は明らかに対応しているのが分かります。シュミットより12歳年下のコーゼガルテンが、「別れの歌」のアンサーソングを書いたということのようです。
シュミットの詩は全18連(モーツァルト旧全集では第1,3,8,12,16,17,18連が掲載されていますが、新全集には全連掲載されているようです(新全集未確認ですが、文献にそう記載されていました))で、コーゼガルテンの詩は全19連ですから、ルイーザの返答の方が1連多いことになります。

「ルイーザの返答」は彼氏が不実を働いたという設定で書かれていますが、その基となる彼氏側の「別れの歌」ではルイーザが不実を働いたということになっていて、お互いに浮気をしていたということになるのでしょうか。

それでは音楽を見ていきます。モーツァルトの「別れの歌(Das Lied der Trennung) KV 519」の楽譜を見てみましょう。

Mozart-das-lied-der-trennung-kv-519-exce

次にシューベルトの「ルイーザの返答 D 319」の楽譜です。

Schubert-luisens-antwort-d-319-excerpt-s

まず拍子ですが、モーツァルト「別れの歌」が2/4拍子、シューベルト「ルイーザの返答」が2/2拍子(Alla breve)です。基準となる音価は「ルイーザ~」の方が「別れ~」の2倍ですが、どちらも2拍子です。

調は「別れ~」がフラット4つのヘ短調であるのに対して、「ルイーザ~」がフラット5つの変ロ短調で「別れ~」の下属調にあたり近い関係にあります。

歌の旋律は1小節あたり4音節→3音節を繰り返す点で両曲とも共通しています。

ピアノパートは、「別れ~」は左手で強拍に八分音符を弾き、右手は十六分休符の後に3つの十六分音符が続くパターンが続きます。一方「ルイーザ~」は左手で強拍に二分音符を弾き、右手は八分休符の後に3つの八分音符が続くパターンが続きます。右手の3つの音符については両者とも上行、下行の順で動き、かなり似ていると言えると思います。

形式はモーツァルトが最初の15連を有節形式で進めた後、16,17連で変化を見せ別の音楽が進行していきます。最終連で再び冒頭の音楽が回帰しますが、終わりに向けて変化を見せ、強い訴求力を加えながら静かに終わります。一方の「ルイーザ~」は完全な有節形式です。

以上両曲を比較してみましたが、シューベルトが両方の詩の関連性を理解したうえで、かなりモーツァルトの音楽を意識した作曲をした形跡が伺えます。少なくともシューベルトが「別れの歌」と無関係に「ルイーザの返答」を作曲したとは考えにくいと思います。

無名なのが信じられないほど切なく美しい曲で、8行のテクストがシューベルトによって見事に起承転結の展開を与えられています。たった6小節のピアノ前奏(間奏にも使われ、ほぼ後奏とも同じ)が曲の世界観を素晴らしく描いていて、ぐっと引き込まれます。個人的にはシューベルトの知られざる傑作ではないかと思っています。

2/2拍子
変ロ短調(b-moll)
Klagend (嘆いて)

Hyperion Schubert Edition, Vol. 7 (リンク先の音符マークをクリックすると一部試聴可能です)
エリー・アーメリング(S), グレアム・ジョンソン(P)
Elly Ameling(S), Graham Johnson(P)
1,7,18,19節。1989年8月15-18日録音。グレアム・ジョンソンによるハイペリオンレーベルのシューベルトエディション7巻に含まれるこの音源はおそらく世界初録音と思われます。アーメリングの奥行を感じさせる繊細な語りかけが素晴らしく、このCDをはじめて聴いた時からとりわけ印象に残ったことを覚えています。一体何度聞いたことでしょう(今でも折に触れて聞いています)!彼女は第7節のヴィルヘルムとの情事の思い出を歌うことで、元恋人たちの親密な関係をより明るみに出していると思います。

●カタリナ・コンラーディ(S), ダニエル・ハイデ(P)
Katharina Konradi(S), Daniel Heide(P)

1,2,12節。2020年7月録音。ここでコンラーディが選んで歌っている第12節では朝になってルイーザがヴィルヘルムに「今何をしているのですか。私のことを思ってくれていますか」と気に掛けるという内容で、好きだった人のことをつい気にしてしまう進行中の恋人同士のような情景です。最近の私のお気に入りソプラノ歌手、コンラーディはゆっくりめのテンポで丁寧に歌い、詩の主人公が冷静に言葉を紡いでいるかのようです。歌曲を歌うのにとても適性が感じられてこれからの活躍が楽しみです。ダニエル・ハイデは次世代の歌曲演奏を担っていくであろうピアニストです。

●エルス・クロメン(S), ヤン・フェルムレン(Fortepiano)
Els Crommen(S), Jan Vermeulen(Fortepiano)

1,2,8,14,17,18,19節。クロメンは他のどの録音よりも多くの節を歌っています。「どこを見てもあなたの姿が輝いている(2節)」「私は永遠にあなたのもの(8節)」「他の人を好きになろうとしてもあなたのことが忘れられない(14節)」「他の女を抱いていてもあなたを忘れない(17節)」「捨てられても嫌いにならない(18節)」「天国でもあなたを愛している(19節)」という流れがクロメンの歌によって描かれます。クロメンはリリックな持ち味で、清楚な女性が裏切られた男性に切々と訴えている感じが出ています。

●リュディア・トイシャー(S), ウルリヒ・アイゼンローア(Fortepiano)
Lydia Teuscher(S), Ulrich Eisenlohr(Fortepiano)

1,2,18,19節。2003年11月10-14日, 2004年1月12-16日, 2005年11月2-3日録音。トイシャーは速めのテンポで吸い付くような趣で悲壮感を打ち出しながら歌っています。装飾音の扱いが他の演奏と違い興味深いです。

●ルート・ツィーザク(S), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Ruth Ziesak(S), Ulrich Eisenlohr(P)

1,2,18節。2006年9月25-30日, 2007年2月12-14日録音。Naxosレーベルのモーツァルト歌曲全集にこの曲だけぽつんとシューベルト歌曲が含まれているので、事情を知らない方は疑問に思うことでしょう。「別れの歌」→「ルイーザの返答」という流れのプログラミングがステージでも演奏されるといいなと思います。ツィーザクは今やベテランですが歌曲に打ってつけの歌手ですね。

●クラウディア・タンドル(MS), ナイアル・キンセラ(P)
Klaudia Tandl(MS), Niall Kinsella(P)

1,2節。2020年2月17-19日録音。タンドルは声域に応じて低く移調しているのでより深刻な心境が感じられました。

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(参考)

The LiederNet Archive

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Luisens Antwort: Ludw. Theob. Kosegarten's Poesieen, Zweyter Theil. (Wien 1826. B. Ph. Bauer). P.172-

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ベートーヴェン「メルケンシュタイン(Merkenstein, WoO. 144 / Op. 100)」

Merkenstein, WoO. 144 / Op. 100
 メルケンシュタイン

1.
Merkenstein! Merkenstein!
Wo ich wandle, denk' ich dein.
Wenn Aurora Felsen rötet,
Hell im Busch die Amsel flötet,
Weidend Herden sich zerstreun,
Denk' ich dein, Merkenstein!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!
 私が歩く場所でおまえのことを思う。
 曙の光が岩を赤く染め、
 茂みでつぐみが高らかにさえずり、
 草を食む群れが散り散りになるとき、
 おまえのことを思う、メルケンシュタイン!

2.
Merkenstein! Merkenstein!
Bei der schwülen Mittagspein
Sehn' ich mich nach deinen Gängen,
Deinen Grotten, Felsenhängen,
Deiner Kühlung mich zu freun.
Merkenstein! Merkenstein!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!
 昼の蒸し暑さに苦しみ、
 私はおまえの木陰道を、
 おまえの洞窟を、岩山の斜面を、
 おまえの涼しさを求める、どれも私を喜ばせてくれるのだ。
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!

3.
Merkenstein! Merkenstein!
Dich erhellt mir Hesper's Schein,
Duftend rings von Florens Kränzen
Seh' ich die Gemächer glänzen,
Traulich blickt der Mond hinein.
Merkenstein! Merkenstein!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!
 宵の明星の輝きがおまえを照らし、
 あたりはフローラの冠で香り、
 輝く部屋を見ると
 月がくつろいで覗き込んでいる。
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!

4.
Merkenstein! Merkenstein!
Dir nur hüllt die Nacht mich ein.
Ewig möcht' ich wonnig träumen
Unter deinen Schwesterbäumen,
Deinen Frieden mir verleihn!
Merkenstein! Merkenstein!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!
 おまえのためだけに夜が私を包み込む。
 永遠に楽しい夢を見ていたい
 おまえの姉妹の木の下で、
 私におまえの平安を与えてほしい!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!

5.
Merkenstein! Merkenstein!
Weckend soll der Morgen sein,
Laß uns dort von Ritterhöhen
Nach der Vorzeit Bildern spähen:
Sie, so groß und wir _ so klein!
Merkenstein! Merkenstein!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!
 朝の光で起こしてほしい、
 あそこの騎士の丘から
 太古の光景を探ってみよう、
 それらはとても偉大で、一方我々はとても卑小だ!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!

6.
Merkenstein! Merkenstein!
Höchster Anmut Lust-Verein.
Ewig jung ist in Ruinen
Mir Natur in dir erschienen;
Ihr, nur ihr mich stets zu weihn,
Denk' ich dein, Merkenstein!
 メルケンシュタイン!メルケンシュタイン!
 この上ない優美さと愉悦の融合。
 廃墟では
 おまえの中にある自然が永久に若く思えた。
 自然に、ただ自然にのみ常に身を捧げるべく
 おまえのことを思う、メルケンシュタイン!

詩:Johann Baptist Rupprecht (1776-1846)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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ヨハン・バプティスト・ルップレヒト(Johann Baptist Rupprecht: 1776-1846)の詩による独唱曲「メルケンシュタイン(Merkenstein, WoO 144)」は1814年終わりに作曲されました。
その後、同じテクストに二重唱曲として1814年秋/1815年初頭に作曲された曲は、Op. 100として出版されました。

メルケンシュタインとは、ベートーヴェンの時代にはすでに廃墟となっていた古城のことです。平野昭氏の解説に作曲・出版の状況やメルケンシュタイン城の地図なども記されていますので興味のある方はご覧ください(メルケンシュタイン城の廃墟の画像はこちら)。

WoO 144の独唱曲は冒頭に2回"Merkenstein!"と歌う際に下行形で呼びかけます。最初のfpから最後のpまでダイナミクスの変化が大きく、ピアノは歌より遅れて同じ音型を響かせ、こだまのような効果を出しています。その後も歌の後に同じ音型をピアノ間奏で響かせていて、山の中のエコーをイメージさせます。6/8拍子のゆったりした四分音符+八分音符のリズムが自然の中を歩く時のリラックスした心境を表現しているようです。

Op. 100の二重唱曲は、独唱曲のようなエコーの効果はなく、流麗に素朴に進んでいきます。2つの歌声部は3度の音程を保つことが多く、一番最後の音で2声部とも同じ主音を歌います。最後の方に一度fが出る以外はダイナミクスはpで柔らかく歌われ、聴き手は森林浴のようにリラックスして聴けるのではないかと思います。

【WoO. 144 (独唱)】
6/8拍子
変ホ長調(Es-dur)

【Op. 100 (二重唱)】
3/8拍子
ヘ長調(F-dur)
Mäßig, jedoch nicht schleppend (中庸に、しかし引きずらないように)

●WoO. 144 (独唱)
ペーター・マウス(T), ハンス・ヒルスドルフ(P)
Peter Maus(BR), Hans Hilsdorf(P)

1,2,3,4,5,6節。マウスは全節を歌っています。ハイバリトンの明晰な歌唱が素晴らしかったです。

●WoO. 144 (独唱)
ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

1,4,5節。プライはたっぷりしたテンポ設定で、いとしい対象に呼びかけるように歌っています。ホカンソンのピアノの響きがチャーミングです。

●WoO. 144 (独唱)
フローリアン・プライ(BR), ノルベルト・グロー(P)
Florian Prey(BR), Norbert Groh(P)

1,4,5節。フローリアンが父ヘルマンの録音と同じ節を選んで歌っているのは偶然でしょうか。古城への敬意が感じられる丁寧な歌唱でした。グローのピアノの美しさも印象的でした。

●WoO. 144 (独唱)
マティアス・ゲルネ(BR), アレクサンダー・シュマルツ(P)
Matthias Goerne(BR), Alexander Schmalcz(P)

1,2,3,4節。地底から湧き上がってくるようなゲルネの豊かな声で優しく細やかに歌っています。

●WoO. 144 (独唱)
ヴァンサン・リエーヴル=ピカール(T), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Vincent Lièvre-Picard(T), Jean-Pierre Armengaud(P)

1,2,3,6節。テノールで聴くと涼風が吹くような爽やかさが際立ちますね。

●Op. 100 (二重唱)
ハイディ・ブルナー(MS), コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Heidi Brunner(MS), Constantin Graf von Walderdorff(BR), Kristin Okerlund(P)

1,2,3,4,5,6節。二重唱バージョンを全節歌っています。高音パート(主旋律)はすべてブルナーが歌っています。

●Op. 100 (二重唱)
ヘルマン・プライ(BR), パメラ・コバーン(S), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Pamela Coburn(S), Leonard Hokanson(P)

1,5,4節。高音パートは1,4節をコバーン、5節をプライが歌っています。詩の順序を入れ替えて歌っているのが興味深いです。

●Op. 100 (二重唱)
アナ・ハーゼ(MS), フローリアン・プライ(BR), ノルベルト・グロー(P)
Anna Haase(MS), Florian Prey(BR), Norbert Groh(P)

1,2,3,6節。高音パートはすべてハーゼが歌っています。

●Op. 100 (二重唱)
ナタリー・ペレス(MS), ヴァンサン・リエーヴル=ピカール(T), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Natalie Pérez(MS), Vincent Lièvre-Picard(T), Jean-Pierre Armengaud(P)

1,2,3,6節。高音パートは1,6節をペレス、2,3節をリエーヴル=ピカールが歌っています。

●Op. 100 (二重唱)
アデーレ・シュトルテ(S), ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S), Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

1,2,3節。高音パートはすべてシュトルテが歌っています。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「メルケンシュタイン(第1作)」——風光明媚な古城を思い出し、呼びかける(平野昭)

メルケンシュタイン(第2作、ニ重唱)——お気に入りの散歩ルートにあった古城遺跡を題材に(平野昭)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Johann Baptist Rupprecht (Österreichisches Biographisches Lexikon)

Ruine Merkenstein

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ベートーヴェン「吟遊詩人の亡霊(Der Bardengeist, WoO. 142)」

Der Bardengeist, WoO. 142
 吟遊詩人の亡霊

1.
Dort auf dem hohen Felsen sang
Ein alter Bardengeist;
Es tönt wie Äolsharfenklang
Im bangen schweren Trauersang,
Der mir das Herz zerreißt.
 あそこの高い岩の上で
 年老いた吟遊詩人の亡霊が歌っていた、
 それはエオリアンハープの音のように、
 不安で重々しい弔いの歌の中響く、
 その歌はわが心を引き裂くのだ。

2.
Und wie vom Berge zart und lind
In's süße Blumenland
Kastalia's heil'ge Quelle rinnt:
So wallt und rauscht im Morgenwind
Das silberne Gewand.
 そして山から穏やかに優しく
 甘美な花の国に
 カスタリア(※1)の聖なる泉が流れると、
 朝風に吹かれて
 銀の服がなびき、衣擦れの音を立てる。

3.
Nur leise rauscht sein Lied dahin
Beim grauen Dämmerschein,
Und zu den hellen Sternen hin
Entschwebt sein Herz, sein tiefer Sinn
In süßen Träumerei'n.
 ほんのかすかにその歌は
 灰色の薄暗がりの中鳴っている、
 すると明るい星の方へ
 彼の心は移り去り、彼の深い意識は
 甘き夢想の中へ流れ去る。

4.
Und still ergriff mich mehr und mehr
Sein wunderbares Lied.
Was siehst du, Geist, so bang und schwer?
Was suchst du dort im Sternenheer?
Wie dir die Seele zieht!
 そしてひそかに、
 彼の素晴らしい歌がますます私の心をとらえた。
 亡霊よ、あなたは何をそんなに不安に重々しく見ているのか。
 あの星団にあなたは何を探しているのか。
 魂がなんとあなたへと向かっていることか!

5.
,,Ich suche wohl, nicht find' ich mehr, 
Ach, die Vergangenheit!
Ich sehe wohl so bang und schwer,
Ich suche dort im Sternenheer
Der Deutschen gold'ne Zeit.
 「私が探しているのは、もはや見つからないのだが、
 ああ、過去なのだ!
 私がこれほど不安で重々しく見ていて、
 あの星団に探しているのは、
 ドイツ人の黄金時代だ。

6.
,,Hinunter ging die Sonne schon,
Kaum blieb ein Widerschein;
Mit Arglist und mit frechem Hohn
Pflanzt nun die düstre Nacht den Mohn
Um's Grab der Väter ein.
 日はすでに沈み、
 残照はほぼなくなった。
 悪だくみや無遠慮な侮蔑を込めて
 薄暗い夜はケシを
 祖先の墓の周りに植え付ける。

7.
,,Ja, herrlich, unerschüttert, kühn
Stand einst der Deutsche da;
Ach, über schwanke Trümmer zieh'n
Verhängnissvolle Sterne hin!
Es war Teutonia!''
 そう、立派で、動じず、勇敢だったのだ、
 かつてのドイツ人は。
 ああ、ぐらついた残骸の上を
 破滅の星が通り過ぎる!
 それこそがトイトニア(※2)だった!」

8.
Noch auf dem hohen Felsen sang
Der alte Bardengeist.
Es tönt wie Äolsharfenklang
Ein banger schwerer Trauersang,
Der mir das Herz zerreißt.
 まだ高い岩の上で
 年老いた吟遊詩人の亡霊が歌っていた、
 エオリアンハープの音のように、
 不安で重々しい弔いの歌が響く、
 その歌はわが心を引き裂くのだ。

詩:Franz Rudolf Herrmann (1787-1823)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

※1 カスタリア(Kastalia): ギリシャのデルポイ(Delphi)の近くパルナッソス山(Parnaß)の岩壁の割れ目からわき出る聖なる泉
※2 トイトニア(Teutonia): 「ドイツ」のラテン語形

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フランツ・ルドルフ・ヘルマン(Franz Rudolf Herrmann: 1787-1823)の詩による「吟遊詩人の亡霊(Der Bardengeist, WoO. 142)」が作曲されたのは楽譜の記載によると1813年11月3日です。1814年頃の初版楽譜では詩の第1連のみが記載されていましたが、旧全集で有節形式として扱われ、他の連(8連まで)も掲載されました。

詩の内容は以下の通りです。

吟遊詩人の亡霊が岩の上で歌っている。主人公が何を探しているのか尋ねると、すでに見いだせない過去のドイツ人の黄金時代と答える。

詩の第1連と最終連(第8連)がほぼ同じ内容で、その間に吟遊詩人の描写と言葉が挟まれている形です。多くの場合、詩のいくつかの連を選んで演奏されると思いますが、演奏者がどの連を採用したかでその演奏者が詩をどう読んだかが想像されて興味深いと思います。

詩は白昼夢のような幻想的な場面が広がっています。grau(灰色)という言葉がテキストに出てくるように、モノクロなイメージを受けましたが、ベートーヴェンも詩の世界観を忠実に描いていると思います。その渋さゆえにあまり演奏されたり録音されたりしないようですが、聞き込むとなかなか味わい深い作品です。

歌声部は前半で若干の跳躍があるものの、ほぼ順次進行(隣り合った音への進行)します。ピアノパートも独自の動きはあまりなく、ほぼ歌のリズムに合わせた和音に徹しています。この限定された音からそこはかとなくいにしえの響きが立ち上ってくるかのようです。ただ、最後のピアノ後奏は後ろ髪が引っ張られるように簡素な和音を予想以上に長めに続けます。ようやくⅠの和音で終わるかと思いきや、属七の和音が続き最後再びⅠで締めくくります。終わりそうで終わらないベートーヴェンらしいとも言えるでしょうが。

ちなみに詩の第3連に「Träumerei'n(夢想)」という単語が出てきますが、これは後にシューマンのピアノ曲のタイトルで使われた「トロイメライ」の複数形です。この単語は歌曲のテキストの中で初めて目にしました(私の知る範囲内ですが)。

6/8拍子
ホ短調(e-moll)
Mäßig langsam

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ハルトムート・ヘル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hartmut Höll(P)

1,5,3節。F=ディースカウはテキストの順序を入れ替えて歌っています(1966年のデームスとの録音では1,3節のみを歌っていたので、第3節で歌い終えることに意味を見出しているのかもしれません)。F=ディースカウは寂寥感を湛えたしみじみとした歌い方で感動的でした。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

1,3,4,8節。ホカンソンは間奏をベートーヴェンの指示より短縮して演奏しています(それぞれ短縮の仕方を変えています)。プライの歌唱からは、「トゥーレの王」のような物語を歌って聞かせる雰囲気が感じられました。特に第1連の"Felsen"の柔らかい響きが印象的でした。

●フローリアン・プライ(BR), ノルベルト・グロー(P)
Florian Prey(BR), Norbert Groh(P)

1-8節。フローリアンは全8節歌ってくれています。フローリアンのハイバリトンで聞くと、若者が吟遊詩人の霊を見て感じたことを伝えているような印象を受けました。

●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Kristin Okerlund(P)

1-8節。ヴァルダードルフはいつも通りすべての節を歌っています。ここでも素朴な持ち味が生かされていたと思います。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

《吟遊詩人の亡霊》——岩山の上から聴こえる歌が心を引き裂く.....低声歌手のため歌曲(平野昭)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Franz Rudolf Herrmann (Deutsche Biographie)

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ベートーヴェン「さよなきどりの歌(Der Gesang der Nachtigall, WoO. 141)」

Der Gesang der Nachtigall, WoO. 141
 さよなきどりの歌

1.
Höre, die Nachtigall singt, der Frühling ist wiedergekommen!
Wieder gekommen der Frühling und deckt in jeglichem Garten
Wohllustsitze; bestreut mit den silbernen Blüten der Mandel.
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 聞け、さよなきどりが歌っている、春がまたやってきたのだ!
 また春がやってきて、それぞれの庭にある快適な離宮を覆い、
 アーモンドの銀色の花がふりかけられる。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

2.
Gärten und Auen schmücken sich neu zum Feste der Freude;
blumige Lauben wölben sich hold zur Hütte der Freundschaft.
Wer weiß, ob er noch lebt, so lange die Laube nur blühet?
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 庭や野原は喜びの祝祭のために新たに着飾り、
 花咲き乱れた木々は友情を結んだ小屋へ丸天井のように広がる。
 木々が花開く間、春がまだ健在かどうかなど誰が知ろう。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

3.
Glänzend im Schleier Aurorens erscheint die bräutliche Rose;
Tulpen blühen um sie wie Dienerinnen der Fürstin;
Auf der Lilie Haupt wird der Tau zum himmlischen Glanze:
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 曙の光のベールの中で輝きながら花嫁のばらがあらわれる。
 チューリップは侯爵夫人の召使いのようにばらのまわりで花咲く。
 ゆりの頭上で露が天の輝きとなる。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

4.
Wie die Wangen der Schönen, so blühen Lilien und Rosen;
Farbige Tropfen hangen daran wie Edelgesteine.
Täusche dich nicht, auch hoffe von keiner ewige Reize.
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 麗しき女性の頬のように、ゆりとばらは花開き、
 色とりどりの雫が貴重な宝石のように付いている。
 永遠の魅力など誰にも望めないとしても思い違いしないでおくれ。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

5.
Tulpen und Rosen und Anemonen, sie hat der Sonne
Strahl mit Liebe gereizt, blutrot mit Liebe gefärbet;
Du, wie ein weiser Mann, genieße mit Freuden den Tag heut,
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 チューリップやばらやアネモネを太陽の光は
 愛をこめて魅了した、愛で深紅色に染めて。
 きみは、賢者のように、今日という日を喜んで味わいなさい。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

6.
Denke der traurigen Zeit, da alle Blumen erkrankten,
da der Rose das welkende Haupt zum Busen hinabsank;
jetzo beblümt sich der Fels; es grünen Hügel und Berge.
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 悲しい時を思いなさい、花々がみな病み、
 ばらがしおれた頭を胸に沈めたときのことを。
 今や岩は花で飾られ、丘や山々は緑映えている。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

7.
Nieder vom Himmel tauen am Morgen glänzende Perlen;
Balsam atmet die Luft; der niedersinkende Tau wird,
eh er die Rose berührt, zum duftigen Wasser der Rose,
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 朝に空から輝く真珠の露がおりる。
 香油を風が吸い込む。沈んでいく露は
 バラに触れる前にバラの香水になる。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

8.
Herbstwind war es, ein Tyrann, in den Garten der Freude gekommen;
aber der König der Welt ist wieder erschienen und herrschet
und sein Mundschenk beut den erquickenden Becher der Lust uns.
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 秋風という暴君が喜びの庭にやって来たが、
 世界の王が再び現れ支配して、
 王の酌人は元気づけてくれる喜びの盃を我々に差し出す。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

9.
Hier im reizenden Tal, hier unter blühenden Schönen
sang, eine Nachtigall, ich der Rose, Rose der Freude,
bist du verblüht einst, so verstummt die Stimme des Dichters.
Jetzt sei fröhlich und froh, er entblüht der blühende Frühling.
 この魅惑の谷で、この美しく花盛りの美女の下で
 さよなきどりは歌った、私はばらに、ばらは喜びに。
 きみはいつか盛りを過ぎ、詩人の声は押し黙る。
 さあ楽しみ喜ぼうではないか、花咲く春が開花したのだ。

詩:Johann Gottfried Herder (1744-1803)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(Johann Gottfried Herder: 1744-1803)の詩による「さよなきどりの歌(Der Gesang der Nachtigall, WoO. 141)」は、1813年5月3日(ベートーヴェン42歳)に作曲されました(自筆譜に記載された日付によります)。歌曲「恋人に寄せて WoO 140」第1、2稿を1811年に作曲した後、ベートーヴェンは1年以上歌曲を書かなかったものと思われますが、1812年は交響曲第7番、第8番を完成しているので、決して作曲意欲が落ちたというわけではないと思います(1812年のベートーヴェンの精神的な苦悩はこちらのリンク先の山之内克子氏の文章が分かりやすいです)。

ベートーヴェンの歌曲は作品番号(Op.)の付いていない曲(WoO番号等の付与された曲)でも大多数は生前に出版されているようなのですが、この曲に関しては出版されず、1888年旧全集で初めて出版されたそうです。
この曲の自筆譜はこちらのリンク先で見ることが出来るのですが、ピアノ後奏の上にバツ印が付けられています。つまり、ベートーヴェンは一度書いた後奏が気に入らなかったものの代わりの後奏を書かないまま放置したということになるのでしょう。ただ、旧全集ではこのバツ印の後奏を復活させている為現在では演奏することが可能となっています。
ベートーヴェンは歌詞を第1連のみ記載しています。ヘルダーの原詩9連をすべて歌う場合は有節形式で繰り返すことになり、実際旧全集ではそのように指示しています。
ただ、例えば詩の第1連と第2連の音節の数を比較した時、下記の通り一致していない為、調整が必要になります(旧全集では第2節用に音符を示していますが、第3連以降も歌う場合は演奏者が決めなければなりませんね)。なお、各連第4行の詩行はすべて全く同一なのでここだけは完全に音節数も一致しています。

【第1連の音節数】
 第1行:16
 第2行:16
 第3行:16
 第4行:15

【第2連の音節数】
 第1行:15
 第2行:15
 第3行:15
 第4行:15

この歌曲はハ長調なのですが、春の到来を告げるさよなきどりの鳴き声の素朴で明るい雰囲気を描き出す為にこの調を選んだのかもしれませんね。ピアノ前奏のさよなきどりの鳴き声の描写がなんとも愛らしいです。歌はほぼタンタタ タンタタ タンタンという一定のリズムで進み、後半の間奏箇所以外は休みなく連続で歌い続けるので結構大変かもしれません。ピアノの右手高音部が歌の旋律を完全になぞり、素朴な味わいを強めています。

3/4拍子
Allegro ma non troppo
ハ長調(C-dur)

●さよなきどり(ナイチンゲール)の鳴き声
Der Gesang der Nachtigall (singing nightingale) / Nationalpark Unteres Odertal

実際のさよなきどりの鳴き声をお聞きください。いろんなタイプの音を立てていますが、この歌曲の前奏同様、同音反復もありますね。

●アデーレ・シュトルテ(S), ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S), Walter Olbertz(P)

1,2節。シュトルテの鳥の鳴き声のような美しい高音の響きがこの曲の爽やかな雰囲気に合っていました。

●ナタリー・ペレス(MS), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Natalie Pérez(MS), Jean-Pierre Armengaud(P)

1,2節。ペレスの細やかな表情の付け方がとても魅力的です。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

1,2節。プライは持ち前の甘美な声で優しく語りかけるように歌っていました。

●フローリアン・プライ(BR), ノルベルト・グロー(P)
Florian Prey(BR), Norbert Groh(P)

1,2,4,6,9節。フローリアンのハイバリトンが心地よく感じられます。第6節では悲しげな詩句を反映した抑制した表現を聞かせてくれました。

●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Gustav Mahler Chor Wien, Kristin Okerlund(P)

1-9節。ヴァルダードルフはこの全集の他の歌曲同様、ここでも原詩の全9節すべてを歌っています。やはり歌いづらそうな節もありますが、資料として貴重です。ヴァルダードルフの誠実な歌いぶりにブラボーです。オーカーランドの美しいタッチも良かったです。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

《ナイチンゲールの歌》——ヘルダーの詩にのせた鳴き声の描写がかわいらしい歌曲(平野昭)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

Staatsbibliothek zu Berlin Preußischer Kulturbesitz (自筆譜)

ベートーヴェンと1812年失踪事件(山之内克子)

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