ベートーヴェン「恋人に寄せて(An die Geliebte, WoO. 140)」
An die Geliebte, WoO. 140
恋人に寄せて
O daß ich dir vom stillen Auge
In seinem liebevollen Schein,
Die Thräne von der Wange sauge,
Eh' sie die Erde trinket ein.
おお、きみの
愛情深く輝く静かな瞳から
頬に伝う涙を吸いたいものだ、
大地が飲み込んでしまう前に。
Wohl hält sie zögernd auf der Wange,
Und will sich heiß der Treue weihn;
Nun ich sie so im Kuß empfange,
Nun sind auch deine Schmerzen mein.
涙はためらいがちに頬に残り
熱烈に誠実さに身を捧げようとする。
今ぼくは口づけで涙を受け取り、
今やきみの苦しみもぼくのものとなった。
詩:Josef Ludwig Stoll (1778-1815), "An die Geliebte"
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)
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ヨーゼフ・ルートヴィヒ・シュトルの詩による歌曲「恋人に寄せて(An die Geliebte, WoO. 140)」は3つの稿からなり、1811年に第1,2稿、1814年に第3稿が作曲されました。3つとも曲の作りは基本的に同じで、ピアノパートのリズムパターン(第1,2稿の三連符、第3稿の左手と右手の交互のリズム)の違いや、歌詞の多少の違い、間奏の有無、装飾音、細かい箇所の相違などが見られました(第1稿の楽譜を今のところ確認できていないのですが、こちらで現在もリプリント版が販売されているようです)。通作形式で作曲されています。
そしてベートーヴェンお得意の"ja"の追加がこの曲でもありました。
詩は、恋人の瞳から涙が落ちる前に吸いたいと願う主人公が、口づけで彼女の涙を受け取り、それによって彼女の苦しみを分かち合えるようになったという内容です。短いですが熱烈なラブソングですね。
【第2稿】
2/4拍子
Andantino un poco agitato (初版に記載あり。旧全集には記載なし)
ニ長調(D-dur)
【第3稿】
2/4拍子
Andantino, un poco agitato
ニ長調(D-dur)
●第1稿
1. Fassung
パウル・アルミン・エーデルマン(BR), ベルナデッテ・バルトス(P)
Paul Armin Edelmann(BR), Bernadette Bartos(P)
第1稿ですでに最終的な形(第3稿)の要素がかなり出揃っているのがベートーヴェンの凄いところですね。エーデルマンの落ち着いた丁寧な歌唱は心地よかったです。
●第2稿への下書き?
Entwurf zur 2. Fassung?
ゲオルク・クリムバッハー(BR), ベルナデッテ・バルトス(P)
Georg Klimbacher(BR), Bernadette Bartos(P)
こちらの音源は"1811 version"と記載されていますが、実際に聴いてみると第1稿とも第2稿とも異なる箇所があります。『ベートーヴェン事典』(東京書籍株式会社)で解説を書かれている藤本一子氏によると「ほぼ完全な形で現存する断片(ニ長調)は第2稿への下書きとみられる」と記載があり、その楽譜によって演奏されたのがこの音源である可能性があります。ただ、楽譜を実際に確認できていないので今のところは保留です。クルムバッハーのハイバリトンの歌唱は訴えかける力が強く感じられました。
●第2稿
2. Fassung
ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
第2稿は第1稿よりもさらに推進力をもった形に進化したように感じられました。シュライアーらしい清潔感にあふれた誠実な歌唱は好ましく感じられました。
●第2稿
2. Fassung
コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR), クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR), Kristin Okerlund(P)
動画サイトのタイトルには"3. Fassung"(第3稿)と書かれていますが、実際には第2稿が演奏されています。ヴァルダードルフの素朴な味わいがこの曲に合っているように思いました。
●第3稿
3. Fassung
オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)
第3稿が演奏されることがやはり一番多いようですね。以前の2つの稿で印象的だったピアノパートの三連符が消え、左手と右手の交互のリズムに変わりましたが、歌の旋律はほぼ同じです。ベーアの声と歌唱はテキストの一途な若者像にとても合致しているように思えます。
●第3稿
3. Fassung
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)
いつものF=ディースカウだとさらっと速めのテンポで歌うようにイメージしていたのですが、ここでは結構思いを込めていてテンポも余裕を持っていたのが印象的でした。
●第3稿、第2稿
3. Fassung, 2. Fassung
ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
プライとホカンソンはここで第3稿→第2稿の順に演奏しています。プライの歌唱からは大人の余裕をもった男性像が思い浮かびました。
●シューベルト作曲:恋人に寄せて D 303
Franz Schubert: An die Geliebte, D 303
デトレフ・ロート(BR), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Detlef Roth(BR), Ulrich Eisenlohr(P)
シューベルトは2節の有節形式として作曲しています。冒頭の下降する箇所は、後に「さよなきどりに寄せて(An die Nachtigall, D 497)」でも使用されることになります。ベートーヴェンの情熱的な雰囲気に比べてシューベルトは繊細で内面的に感じられました。3/8拍子、ト長調(G-dur)、Mäßig(中庸に)
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(参考)
歌曲《恋人に寄せて》——3バージョンが残る男性から女性への恋心を歌った作品(平野昭)
『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)
Joseph Ludwig Stoll (Österreichisches Biographisches Lexikon)
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