ベートーヴェン「憧れ(Sehnsucht, Op. 83, No. 2)」
Sehnsucht, Op. 83, No. 2
憧れ
1.
Was zieht mir das Herz so?
Was zieht mich hinaus?
Und windet und schraubt mich
Aus Zimmer und Haus?
Wie dort sich die Wolken
Um Felsen verziehn!
Da möcht' ich hinüber,
Da möcht' ich wohl hin!
これほど私の心を惹きつけるのは何?
何が私を外に連れ出すのか?
私にぐるぐる絡み付き、
部屋から家から連れ去ろうとするのは?
雲が、あそこの
岩山のあたりで消えていく!
あそこに行ってみたい、
行きたくてたまらないのだ!
2.
Nun wiegt sich der Raben
Geselliger Flug;
Ich mische mich drunter
Und folge dem Zug.
Und Berg und Gemäuer
Umfittigen wir;
Sie weilet da drunten;
Ich spähe nach ihr.
今、鴉の群れが
ゆらゆらと飛んでいる。
私はその群れに加わり、
列の後を追って行く。
山超え、壁越え、
飛んで行く。
すると、下に彼女が居り、
私はそちらをそっと窺う。
3.
Da kommt sie und wandelt;
Ich eile sobald
Ein singender Vogel
Zum buschigen Wald.
Sie weilet und horchet
Und lächelt mit sich:
"Er singet so lieblich
Und singt es an mich."
彼女はやって来て、あたりをぶらつく。
途端に私は大急ぎで
歌う鳥となって、
生い茂る森へと向かう。
彼女はそこで耳を澄ませ、
独り微笑む。
「あの鳥はあんなに素敵に歌っている。
私に向かって歌っているのね。」
4.
Die scheidende Sonne
Vergüldet die Höhn;
Die sinnende Schöne
Sie läßt es geschehn.
Sie wandelt am Bache
Die Wiesen entlang,
Und finster und finstrer
Umschlingt sich der Gang;
沈み行く太陽が
丘を金に染める。
思いに沈む、麗しき彼女は
その場に身を委ねる。
彼女は小川のほとりをぶらつき、
草地に沿って歩く。
そのうち、徐々に暗さが増し、
足元をおぼつかなくさせる。
5.
Auf einmal erschein' ich
Ein blinkender Stern.
"Was glänzet da droben,
So nah und so fern?"
Und hast du mit Staunen
Das Leuchten erblickt;
Ich lieg dir zu Füßen,
Da bin ich beglückt!
その時、突然私は
きらめく星となる。
「あの上空で
あんなに近く、遠く、輝いているのは何かしら?」
そして、君が驚いて
その光を認めると、
私は君の足元にひれ伏す。
それで私は幸せなのだ!
詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), "Sehnsucht", written 1802, first published 1804
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)
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ゲーテの詩によるOp.83の第2曲は「憧れ(Sehnsucht)」で、ベートーヴェンの前にはライヒャルト、ツェルター等、ベートーヴェンより後にはシューベルト、ファニー・ヘンゼル、ヴォルフ等多くの作曲家が曲を付けています。
この曲もOp.83の他の曲同様、1810年春および/または夏(Frühling und/oder Sommer 1810)に作曲されたそうです(平野昭氏によると「1810年5月までに完成されていた」とのことです)。
ゲーテのテキストの要約は次の通りです。
1連:私を家の外に駆り立てるものは何?雲が消えていくあの岩山のあたりに行きたくてたまらない。
2連:鴉の群れにくっついて飛んで行くと、下にあの娘が見える。
3連:彼女が歩くのを確認して、鳥となった私は森へ急ぎ歌を歌う。
4連:日が沈み、物思いに沈む彼女は小川のほとりを歩くが、暗くて足元がおぼつかない。
5連:私は星となり、彼女がその輝きに気付いたとたん、私は彼女の足元にひれ伏す。それで私は幸せだ。
ベートーヴェンは各連にほぼ共通の歌の旋律を当てはめて、変形有節形式にしました。最初の4連の歌は細かい箇所のテキストに応じた変更を除くとほぼ同じで、最終連のみこれまでの短調から長調に変わります。憧れの対象の女性を想い、主人公は鳥になったり星になったりして彼女を見守りますが、最後には暗くなった彼女の足元を主人公が明るく照らします。ベートーヴェンは最終連を長調にすることで主人公の憧れが満たされハッピーエンドとなったことを暗示しているように思います。
ピアノパートも各連でリズムのパターンを変えて変奏曲のようにテキストを反映させています。強弱も各連の言葉を反映させて、それぞれ異なる指示を与えています。
テキストの展開を反映しつつも、全体の統一感もとれた何とも見事な作品だと思います。
6/8拍子
Allegretto
ロ短調(h-moll)
●オーラフ・ベーア(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Olaf Bär(BR), Geoffrey Parsons(P)
ベーアの柔らかい声質と表情豊かなディクションに魅了されました。パーソンズの表に出たり裏に回ったりのバランスが本当に素晴らしく耳を奪われます。
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
シュライアーはテキストに応じた表情の切り替えがとても良いですね。オルベルツの響きが美しいです。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)
F=ディースカウ&ムーアの貴重な演奏動画です。至芸ですね!最終連の"fern(遠い)"はベートーヴェンの楽譜ではpと指示されていますが、F=ディースカウはクレッシェンドして次のfに向かっていきます。
●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
1970年代のプライの生き生きとした躍動感を味わえます。最終連の"fern(遠い)"をプライは柔らかいまま維持していて、F=ディースカウとの解釈の違いが興味深かったです。
●ジャン・デガエタニ(MS), ギルバート・カリッシュ(P)
Jan DeGaetani(MS), Gilbert Kalish(P)
1987年ライヴ録音。デガエタニのまろやかな女声の響きで聴くと、男声で聴くのとはまた違った魅力が感じられます。
●丹野めぐみ【エッセンスオブピアノライフ】エピソード206/ベートーヴェンがゲーテの詩のリズムを確実に捉える【憧れ】作品83-2人間が星⭐️になる音階 „Sehnsucht „ Op.83-2
チャンネル名:Megumi Tanno
鍵盤奏者丹野めぐみさんがクラヴィコードを演奏しながら「憧れ」の詩にベートーヴェンが作曲した際どのような工夫をしたのか等を語っておられます。とても興味深い内容です。
●シューベルト:憧れ D 123
Franz Peter Schubert (1797-1828): Sehnsucht, D 123
ヨハネス・カルパース(T), ブルクハルト・ケーリング(P)
Johannes Kalpers(T), Burkhard Kehring(P)
シューベルト17歳の時の作品。通作形式で作曲されています。レチタティーヴォ風の箇所とメロディアスな箇所が交互にあらわれ、若かりしシューベルトが詩の展開に沿って音楽を作っていこうとする意欲が感じられます。4/4拍子-12/8拍子-4/4拍子-6/8拍子-4/4拍子-2/2拍子-6/8拍子、Mäßig-...、ト長調(G-dur)-...。1814年12月7日作曲
●ファニー・ヘンゼル=メンデルスゾーン:憧れ
Fanny Hensel-Mendelssohn (1805-1847): Sehnsucht (Was zieht mir das Herz so?)
コビ・ファン・レンスビュルフ(T), ケルフィン・フラウト(P)
Kobie van Rensburg(T), Kelvin Grout(P)
フェーリクス・メンデルスゾーンの姉ファニー・ヘンゼルによる1839年の作品。通作形式ですが、詩の各連の終わりの行を毎回繰り返しており、連ごとのまとまりを意識しているのが分かります。騎行しているような付点のリズムで軽快に進行していきます。
●ヴォルフ:憧れ Op. 3, No. 2
Hugo Wolf (1860-1903): Sehnsucht, Op. 3, No. 2
ウィリアム・バーガー(BR), ショルト・カイノホ(P)
William Berger(BR), Sholto Kynoch(P)
ヴォルフの現存する最も初期の歌曲は、ヴォルフによってOp.3と記された5つの歌曲で、その2曲目がこのゲーテの詩による「憧れ」です(15歳の作曲)。完全な有節歌曲として作曲されています。若書きとはいえ、この曲はとても魅力的に感じられます。
初の完全なヴォルフ歌曲全集として進行中のプロジェクト内のこの音源(2013年録音)が現在のところ唯一の録音と思われます。演奏者たちは作品に共感を寄せた素敵な演奏を聞かせてくれます。
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(参考)
ゲーテによる3つの歌(ゲザング)——ゲーテが「浄書して送ってほしい」と言った作品
『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)
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コメント
フランツさん、こんばんは。
詩人は、彼女のために鳥になり星になる。青年の、けなげで一途な姿が浮かびますね。
ベーアは、ディースカウさんのお弟子さんでしたね。細やかな歌い口から、シャイな青年像が現れました。
ディースカウさんの緩急強弱を巧みに駆使した演奏は、さすがですね! 映像で見られるのも嬉しいです。
プライさんの全盛期の、コクがある円やかな美声は、聞いているだけで幸せになります。「fern」の柔らかい響きがふわっ~と胸にひろがりました。前打音の所で若干「泣き」が入るのも好きです(*^^*)(若いころよりは抑えていますが)
メゾで聞くと、バリトンより1オクターブ高いのとも違う、テノールとも違う独特の響きがありますね。
前回もそうでしたが、丹野さんの解説いいですね。何調を選ぶかは、曲の性質を決めると言いますからね。
「fern」の、ドイツ人が感じる感覚など、解説があるとより深く曲を聞けますね。言葉には、その国の人にしかわからないニュアンスがあるんですよね。
シューベルトからは、繊細な心が聞き取れました。「糸を紡ぐグレートヒェン」を書いたのと同じ年の作品なんですね。
ファニー メンデルスゾーンは、女性なので、この詩を捧げられる~一途な愛を受ける~立場から書いたのでしょうか。そんな喜びをかんじさせる曲でした。
ヴォルフは15歳でこれを書いたのですか? 歌っているのがバリトンだからか、しっとりと穏やかな大人の愛をかんじました。素敵な曲ですね!
投稿: 真子 | 2022年2月13日 (日曜日) 21時32分
真子さん、こんばんは。
早速聴いてくださり有難うございます!
この詩、なかなかファンタジーですよね。鳥になったり星になったり。
丹野さんもおっしゃっていましたが、主人公のあふれんばかりの思いを表現しているのでしょう。
ベーアは繊細で言葉の発音がとても美しいです。「シャイな青年像」-本当にそうですね。
ディースカウの映像楽しんでいただけて良かったです。彼は本当に俳優みたいに顔の表情やちょっとした向きの変化でその場面を彷彿とさせてしまうのがすごいです。
プライの"fern"のところは空気が変わるので思わず聞き入ってしまいますね。プライの泣きはいつも自然でそうあるべきとすら思えてしまいます。
メゾのデガエタニ、私の最近のお気に入りです(残念ながらもう亡くなってしまわれたのですが)。彼女はフォスターの歌曲集の録音で有名な方ですが、温かみのある響きがしっとりとした気持ちにさせてくれます。
丹野さんの解説、とてもいいですよね。演奏と解説を分かりやすく伝えて下さっていますし、親しみやすいお人柄が感じられて私もファンになりました。動画もかなりの頻度で更新しておられるので最近よく見ています。
使用する調の珍しさなど、演奏家として肌で感じるものも伝えてくださるのがいいなと思いました。ネイティブにしか分からない言葉のニュアンスはありますよね。外国人はそれを肌感覚では得られないでしょうからこういう解説を聞けるのは有難いですね。
シューベルトの「憧れ」は、実ははじめて聴いたのがプライの東京でのコンサートでした。彼はゲーテ歌曲集を歌う時に結構な頻度でこの曲を歌っているのでお気に入りなのかもしれませんね。ドイチュとのザルツブルクライヴをFMで聴いたり、IntercordへのLP録音を聴いたりと、プライの演奏ばかりで聴いていたので、後にF=ディースカウの演奏を聞いた時はあまりの違いに驚きました。
1814年といえば「グレートヒェン」の生まれた年ですね。シューベルトの早熟さに驚かされます。
ファニーの曲では前へ前へと進む推進力の中に繊細な感情の移り変わりがあって細やかなニュアンスが楽しめますね。自分が憧れの対象になるならばこういう風に思ってほしいという音楽なのかもしれませんね。
ヴォルフは初期の頃は習作的なものが多い印象なのですが、私はこの曲とても好きで、やはり才能の片りんはすでにあったのではないかと思っています。響きが癒されます。おっしゃるように若さよりは落ち着いた雰囲気がありますね。
投稿: フランツ | 2022年2月14日 (月曜日) 20時36分