ベートーヴェン「満ち足りた男(Der Zufriedene, Op. 75 No. 6)」
Der Zufriedene, Op. 75 No. 6
満ち足りた男
1.
Zwar schuf das Glück hienieden
Mich weder reich noch groß,
Allein ich bin zufrieden,
Wie mit dem schönsten Los!
確かにこの世の幸せは
私に豊かさも偉大さももたらさなかったが、
私は満足だ、
最高の運に恵まれたかのように!
2.
So ganz nach meinem Herzen
Ward mir ein Freund vergönnt;
Denn Küssen, Trinken Scherzen,
Ist auch sein Element.
私の心の欲するままに
友は私に与えてくれた。
なぜならキス、酒、戯れも
友の要素のうちだから。
3.
Mit ihm wird froh und weise
Manch Fläschchen ausgeleert;
Denn auf der Lebensreise
Ist Wein das beste Pferd.
友とともに楽しく賢明に
かなりの瓶を飲み干した。
なぜなら人生の旅路において
ワインは最良の馬だから。
4.
Wenn mir bei diesem Lose
Nun auch ein trüb'res fällt,
So denk' ich: keine Rose
Blüht dornlos in der Welt.
この運命のもと
今や暗い定めが私に降りかかってきたとしても
私はこう考える、
とげのないバラが咲くことはこの世にないのだ、と。
詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847), "Der Zufriedene"
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)
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Op. 75の最後に置かれたのはクリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒの詩による「満ち足りた者」で、1809年に作曲されました。
この世では裕福でも偉大でもなかったけれど、友とワインを酌み交わすという幸せを与えてもらったと現状に満足する者の独白が歌われています。暗い定めが降りかかってきても美しいものには必ずとげがあるのだからと前向きにとらえています。
人生経験豊富な者とも、お酒の席で友と屈託なくしゃべる若者ともとらえられると思います。
ベートーヴェンの曲は全4節の有節形式で作曲されていて、各節が速いテンポであっという間に終わってしまうので、4節すべてを歌うことが多いようです(下に掲載した録音はすべて全節歌っていました)。
歌は簡素で一貫して明るく軽快です。
ピアノは歌がないところでは三連符でころころ動き回り、歌が入ると歌のリズムに合わせますが、最後の行の繰り返し箇所では待ちきれないかのように三連符となり、そのまま終結に向かいます。
2/4拍子
イ長調 (A-dur)
Froh und heiter, etwas lebhaft (朗らかに明るく、いくぶん生き生きと)
●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
プライの歌唱は人生を知り尽くした人がしみじみ述懐しているような味わいがありました。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ハルトムート・ヘル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Hartmut Höll(P)
F=ディースカウはこの曲をヘルタ・クルスト、イェルク・デームスとも録音していますが、老境にさしかかった時期のこの録音が、人生経験豊富な男の人生訓を自然に表現しているようで印象的でした。他の若い頃の録音もそれぞれ異なる持ち味がありますので興味がある方は聞いてみて下さい。
●イアン・パートリッジ(T), リチャード・バーネット(Fortepiano)
Ian Partridge(T), Richard Burnett(Fortepiano by Rosenberger, Vienna ca. 1800)
パートリッジの真摯でいながら楽しそうな歌が聞いていて心地よかったです。ベートーヴェンの生前に製作されたフォルテピアノを弾くバーネットが細やかな表情を付けて弾いていたのが良かったです。
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
シュライアーの歌は若者が友と酒を酌み交わしながら人生訓を述べているような印象でした。
●マティアス・ゲルネ(BR), アレクサンダー・シュマルツ(P)
Matthias Goerne(BR), Alexander Schmalcz(P)
ゲルネは各節最後を別の旋律で歌っていました。このような稿がおそらくあると思うのですが、今のところその楽譜を特定できていません(新全集に掲載されているのかもしれません)。ゲルネはいつもながらの安定感に軽快さを増して歌っていました。
●ヴェレーナ・ライン(S), アクセル・バウニ(P)
Verena Rein(S), Axel Bauni(P)
ソプラノによって歌われると全然雰囲気が変わって面白いですね。最終節の「今や暗い定めも私に降りかかってきたら」でテンポを落としていたのが印象的でした。
●シューベルト作曲「満ち足りた男」
Franz Peter Schubert (1797-1828): Der Zufriedene, D 320
デトレフ・ロート(BR), ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Detlef Roth(BR), Ulrich Eisenlohr(P)
シューベルトも1815年(18歳)にこのテキストに作曲していますが、ピアノパートの三連符や、歌が入ってからのリズムの一致、さらに拍子や調などベートーヴェンから影響を受けていることは明らかでしょう。2/4拍子、Mäßig(中ぐらいの速さで)、原調:イ長調(A-dur)
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(参考)
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コメント
フランツさん、おはようございます。
お酒が好きだったプライさん。彼が歌うと、演奏というより酒場で楽しく語らっているかのようです。詞にしたがって自然に曲想が変わる様はさすがです!
ディースカウさんは、教訓を語る先生のようでした。こういう曲は、ディースカウさんとプライさんの特性が際立ちますね。
パトリッジは、真面目な若い先生のよう。誠実なうたいぶりが好ましい。
シュライアーの速めに取ったテンポと張りのある高音は、ことさら若さを感じさせました。
ゲルネの大地を思わせる深く広い声で聞くと、含蓄のある歌になりますね。説得力をかんじます。
女声で聞くと、教訓でなく、アフタヌーンティでの楽しいおしゃべり(ソプラノとビアノのかけあいが)のよう。
ラインの爽やかで可憐な声、いいですね。
投稿: 真子 | 2022年2月 2日 (水曜日) 08時06分
真子さん、こんばんは。
今回も楽しくコメント拝読しました!
プライはお酒好きだったのですね。確かに酒場が似合いそうですよね。「ワインは旅における馬のようなもの」という言葉の通りお酒を飲みふざけたりするたわいない日常を讃えているわけで、プライの歌はそのことを思い起こさせてくれます。
こうして聴くと本当にF=ディースカウとプライは対照的ですよね。二人の個性がはっきりあらわれています。
テノールと深いバリトンでも随分違うのが面白いです。
ゲルネは地の底から響いてくる感じすらしますよね。
女声についての「アフタヌーンティでの楽しいおしゃべり」という形容、まさにぴったりですね。私も男声と全く違った雰囲気は感じたのですが、うまい言葉が見つかりませんでした。まさに屈託なくおしゃべりに興じている感じですね。
こうして聞き比べると1曲から様々な解釈が生まれ、さらに詩や曲を様々な側面から再発見できるのが楽しいです。
投稿: フランツ | 2022年2月 2日 (水曜日) 19時22分