ベートーヴェン「遥かな恋人に寄せて(An den fernen Geliebten, Op. 75 No. 5)」
An den fernen Geliebten, Op. 75 No. 5
遥かな恋人に寄せて
1.
Einst wohnten süße Ruh' und gold'ner Frieden
In meiner Brust;
Nun mischt sich Wehmut, ach! seit wir geschieden,
In jede Lust.
かつて甘い安らぎと黄金の平穏が
私の胸に住んでいました。
今では悲しみが、ああ!私たちが別れてからというもの、
喜びの中で混ざり合っています。
2.
Der Trennung Stunde hör' ich immer hallen
So dumpf und hohl,
Mir tönt im Abendlied der Nachtigallen
Dein Lebewohl!
別れの時が私には常に鳴り響いて聞こえます、
とても鈍く、うつろに。
さよなきどりの夕暮れの歌に
あなたのさよならが響いています!
3.
Wohin ich wandle, schwebt vor meinen Blicken
Dein holdes Bild,
Das mir mit banger Sehnsucht und Entzücken
Den Busen füllt.
どこへ行こうと、目の前には
あなたのいとしい姿が浮かびます。
不安な憧れと恍惚とで
私の胸を満たしていた姿が。
4.
Stets mahn' es flehend deine schöne Seele,
Was Liebe spricht:
,,Ach Freund! den ich aus einer Welt erwähle,
Vergiß mein nicht!''
懇願しながらあなたの美しい魂を常に思い起こさせるのは、
愛の言葉です、
「ああ友よ、私が世の中から選んだ友、
私を忘れないで!」
5.
Wenn sanft ein Lüftchen deine Locken kräuselt
Im Mondenlicht;
Das ist mein Geist, der flehend dich umsäuselt:
,,Vergiß mein nicht!''
穏やかにそよ風があなたの巻毛を
月の光の中で波打たせるとき、
それはあなたのまわりで懇願してざわめく私の霊なのです、
「私を忘れないで!」と。
6.
Wirst du im Vollmondschein dich nach mir sehnen,
Wie Zephyrs Weh'n
Wird dir's melodisch durch die Lüfte tönen:
,,Auf Wiederseh'n!''
あなたは満月の光の中で私を切望することでしょう、
微風が吹くように、
メロディーにのせて風を通り抜けあなたに鳴り響くでしょう、
「さようなら!」と。
詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)
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作品75の第5曲目はクリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒの詩による「遥かな恋人に寄せて」で、1809年に作曲されました。
ベートーヴェンには『遥かな恋人に寄せて(An die ferne Geliebte, Op. 98)』という6曲からなる有名な歌曲集がありますが、そちらが遠くの女性を想う男性目線の歌なのに対して、今回取り上げる「遥かな恋人に寄せて(An den fernen Geliebten, Op. 75 No. 5)」は遠くの男性を想う女性目線の歌です。
この女性は亡くなって霊となってしまったのでしょうか。
第5節に彼氏の巻毛が月夜に波打つのはこの私の霊のせいだという箇所があり、死別したということなのかなと想像しました。
全6節の有節形式で作曲されています。各節がとても短く簡素ながら優美で胸に染みる曲です。
ピアノの左手が常に細かい分散和音を響かせ、風のそよぎ、もしくは主人公の女性の心のざわめきを想起させます。
穏やかな長調の響きながら切々とした雰囲気が漂う美しい作品です。
6/8拍子
ト長調 (G-dur)
Larghetto
●ナタリー・ペレス(MS), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Natalie Pérez(MS), Jean-Pierre Armengaud(P)
1,2,5,6節。しっとりとした情感のこもったペレスの歌と、ペダルを効果的に用いたアルマンゴーのピアノが感動的でした。
●アデーレ・シュトルテ(S), ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S), Walter Olbertz(P)
1,2,6節。シュトルテの声質の為か、別れの悲しみを胸にしまっているけなげな印象が伝わってきて素晴らしかったです。
●アナ・ハーゼ(MS) & ノルベルト・グロー(P)
Anna Haase(MS) & Norbert Groh(P)
1-6節。各節が短いので、全節演奏されても長すぎることはありません。ハーゼは素直な表現ゆえに巧まずして滲み出てくる味わいが良かったです。
●ハイディ・ブルナー(MS) & クリスティン・オーカーランド(P)
Heidi Brunner(MS) & Kristin Okerlund(P)
1-6節。こちらも全節歌っています。ブルナーが最終節最後の"Auf Wiederseh'n!"にこめた思いの深さが伝わってきます。
●第2稿
ハイディ・ブルナー(MS) & クリスティン・オーカーランド(P)
Heidi Brunner(MS) & Kristin Okerlund(P)
1-6節。初版として出版された第1稿とは異なる稿が存在していて、それがここで演奏されています。各節最終行の詩句を繰り返す点とピアノ後奏が短縮された点が第1稿と異なります。個人的には第1稿の方が魅力的に感じましたが、この珍しい録音は大変貴重だと思います。
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(参考)
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コメント
フランツさん、こんばんは。
きれいな曲ですね。
>この女性は亡くなって霊となってしまったのでしょうか。
亡くなったのか、あるいは、去ってしまった彼の元に心が飛んで行っているのでしょうか。
生き霊なんて言ってしまうとホラーになっちゃいますが、身体はここにありながら、心はここにあらずとも読める気もします。
三節の歌詞がそれを示唆しているようにも思えます。
霊のドイツ語には、生き霊のような意味は含まれていますか?
または、実際になくなったのかもしれません。恋の苦しみゆえに気力が衰え命を落とす。。実際にそんなことがあるかどうかは分かりませんが、文学的ではありますよね。
最後の「さようなら」をどう解釈するかで、変わって来る気がします。
いずれにしても、幻想的な詩ですね。
ペレスの美しい透明な歌に引き込まれてました。
シュトルテのやや抑えた歌い口は、悲しみを一層掻き立てられますね。
ハーゼの声を聞いて、メゾだ!と思いました。ペレスはなぜメゾを名乗っているんだろうと、ついつい思ってしまいます。
ブルナーは、学術的な録音をこれまでも残してくれていますね。彼女の声もソプラノよりですよね。誠実な方なんだろうなあと、演奏を聞いて感じます。
投稿: | 2022年1月21日 (金曜日) 21時36分
名前を入れ忘れました(^^;
それと、「不安な憧れ」、素敵な訳ですね(*^^*)
投稿: 真子 | 2022年1月21日 (金曜日) 21時38分
真子さん、こんにちは。
この曲、派手さはないけれど、谷間に咲く花のようなひそかな宝石ですね。歌曲ファンの心を鷲づかみにするタイプの曲です(笑)
この詩の解釈、いろいろ想像を掻き立てられますね。
真子さんの解釈を聞かせていただき、有難うございます。
真子さんの「幻想的」というご指摘の通り、もやがかかったような情景が思い浮かびます。
確かに生きているけれど思いが彼氏のもとに飛んで、彼の巻き毛を動かすということかもしれませんね。
ドイツ語のGeistはいろいろな意味をもつ単語で、その中に「幽霊、亡霊」という意味もあるのですが、生霊となると何か形容詞をくっつける形になりそうです(ネットで調べたところ「rächender Geist:報復する霊」という言葉がそれに該当しそうです)。
ある意味、生霊は歌曲などで採り上げられる詩に頻繁にあらわれるテーマかもしれません。シューベルトの「愛の使い」や「鳩の便り」も、小川や鳩に自分の気持ちを託すわけで生霊みたいなものかなと思ったりもします。
歌手のご感想も有難うございます。
これまでなんとなく不思議に思っていた声種と実際の声とのギャップですが、ソプラノ、メゾなどは自己申告という前回の真子さんのお言葉に胸のつかえがすっきりした感じです。
「不安な憧れ」という言葉も背景を想像したくなりますね。私のもとをいつか離れてしまうのではないかという不安をかかえながらもやむにやまれぬ思いを持ち続けるという感じでしょうか。
有難うございます!
投稿: フランツ | 2022年1月22日 (土曜日) 09時49分
フランツさん、こんにちは。
前の記事コメントで、カウフマンの声のことを書いておられますが、彼の声は、バリトンのディースカウさんより重く暗色ですよね。厚みもありますし。
そして、厚みも深みもあるプライさんは、カウフマンより明るい声です。
カウフマンの歌う「冬の旅」は、彼らより一層灰色でした。バリトンを選んでも良かったかもしれないけど、高音に自信があったのでしょうね。あれだけ出れば、迷うことなくテノールを選ぶでしょうけど。
人間にはより大きい、より高い声を出したい要求があるように思います。
それだけに、ペレスがメゾを選んだのはなぜか、とても興味があります。
オペラのように歌の背景がはっきりしない事の多い歌曲は、色々に解釈できて楽しいですよね。
文字から映像が浮かんで来ます。
素晴らしい詩に素晴らしいメロディが付く。それを素晴らしい歌手、ピアニストが演奏したら、聞く喜びは何十倍にもなりますよね!
日本歌曲「落葉松」、「霧と話した」もそうですが、何とでも解釈できる詩をあれこれ空想するのは楽しいです。結局、結論は出ないのですが、その不完全燃焼な所がまたいいのです。
当該歌曲にもそんな魅力を感じます。
メロディも、とても好きです。
>歌曲ファンの心を鷲づかみにするタイプの曲です(笑)
とのお言葉通りです!
山路来て 何やらゆかし すみれ草
という芭蕉の句を思わせます。
投稿: | 2022年1月22日 (土曜日) 16時44分
>ドイツ語のGeistはいろいろな意味をもつ単語で、その中に「幽霊、亡霊」という意味もあるのですが、生霊となると何か形容詞をくっつける形になりそうです(ネットで調べたところ「rächender Geist:報復する霊」という言葉がそれに該当しそうです)。
そうなんですね。
リートの詩においては、悪さする霊ではありませんが、
>シューベルトの「愛の使い」や「鳩の便り」も、小川や鳩に自分の気持ちを託すわけで生霊みたいなものかなと思ったりもします。
と、お書きの通りに私も感じます。
キリスト教で言われる「霊」(ギリシャ語のプネウマ、ヘブライ語のルーアハ)には、「息」「風」の意味も含まれています。
ふと、思ったのですが、キリスト教文化が根付いている世界ですから、その人の思いが風や息として流れて行くと言う潜在的な感覚があるのかな、と。
日本人にも通じる思いではありますけど。
投稿: 真子 | 2022年1月22日 (土曜日) 16時57分
真子さん、こんばんは。
返信有難うございます。
カウフマン、声暗めですよね。彼ほどテノールというイメージと異なる歌手はこれまで聴いたことないかもしれないです。
太い声という感じがします。
でもこの強靭な声があるからヴァーグナーをいろいろ歌えるのかとも思います。
でもキャラクターは快活そのものといった感じで、スターのカリスマがありますね。
確かに高音歌手は花形で、オペラの主役も多いですし、重唱曲でも主旋律はほぼ高音パートですから、やはりテノールを選択するのでしょうね。
ペレスは清冽さがありつつも声は落ち着いた包容力があり、おそらくメゾの声域が歌いやすいのかなと思いました。
>素晴らしい詩に素晴らしいメロディが付く。それを素晴らしい歌手、ピアニストが演奏したら、聞く喜びは何十倍にもなりますよね!
本当に詩、音楽、歌手、ピアノといった様々な要素がかかわり、それぞれが魅力的だと素敵な化学反応が起きて私たちを楽しませてくれるのだと思います。
以前もコメントでお話くださった「落葉松」、「霧と話した」も詩に余白(余韻)があるので、それぞれ異なる演奏を楽しむことが出来るのでしょうね。日本の詩は限られた文字数でそこに直接書かれていない情景を想起させてくれるのがとても魅力的で、それゆえに解釈が幾通りにも可能になるのかなと思います。
>山路来て 何やらゆかし すみれ草
芭蕉の句なのですね。つつましさ、ささやかな魅力を感じました。これはやはり歌曲においても最も魅力的な要素の一つだと思います。
生霊の独訳「rächender Geist:報復する霊」は確かに負の感情をもったまま思いが相手に届くという生霊のパターンでしたね。
私も歌曲における生霊のようなものはこれではなく、相手に好感や愛情をもった気持ちがはるか彼方の相手に向かっていくパターンだと思います。
キリスト教の「霊」は、「息」「風」の意味があるのですか。
風や息は歌曲の詩でもよく出てきますね。
そういう空気の流れに思いをのせるという感覚があるのかもしれないですね。
投稿: フランツ | 2022年1月22日 (土曜日) 20時55分