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ベートーヴェン「恋する男(Der Liebende, WoO. 139)」

Der Liebende, WoO. 139
 恋する男

1.
Welch ein wunderbares Leben,
Ein Gemisch von Schmerz und Lust,
Welch ein nie gefühltes Beben
Waltet jetzt in meiner Brust!
 なんと素晴らしい人生、
 苦しみと喜びが入り混じり、
 感じたことのない振動が
 今わが胸を支配していることか!

2.
Herz, mein Herz, was soll dies Pochen?
Deine Ruh' ist unterbrochen,
Sprich, was ist mit dir gescheh'n?
So hab' ich dich nie geseh'n!
 心よ、わが心よ、こんなにどきどきしてどうしたというのだ?
 おまえの憩いは妨げられた、
 なあ、いったいどうしてしまったのだ?
 こんなおまえは見たことがない!

3.
Hat dich nicht die Götterblume
Mit dem Hauch der Lieb' entglüht,
Sie, die in dem Heiligtume
Reiner Unschuld auf geblüht?
 神々の花(ドデカテオン)がおまえを
 愛の息吹で燃え上がらせたのではないのか、
 けがれのない無垢な聖域で
 咲いたこの花が?

4.
Ja, die schöne Himmelsblüte
Mit dem Zauberblick voll Güte
Hält mit einem Band mich fest,
Das sich nicht zerreissen läßt!
 そうだ、美しい天の花が
 魔法のように輝いて親切にも
 私をつかむ、
 引きちぎれることのない帯で!

5.
Oft will ich die Teure fliehen;
Tränen zittern dann im Blick,
Und der Liebe Geister ziehen
Auf der Stelle mich zurück.
 よく私はいとしい人を避けたくなる。
 涙が目の中で震え
 愛する精神は
 すぐに私からひっこんでしまう。

6.
Denn ihr pocht mit heißen Schlägen
Ewig dieses Herz entgegen,
Aber ach, sie fühlt es nicht,
Was mein Herz im Auge spricht!
 というのも彼女に向けて
 永遠にこの心は熱い鼓動を打つのだから、
 だが、ああ、彼女は感じないのだ、
 私の心が目で語るものを!

詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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クリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒの詩による歌曲「恋する男(Der Liebende, WoO. 139)」は、Beethoven-Haus Bonnの記載によると1809年秋-冬(Herbst-Winter 1809)の作曲とのことです。

ベートーヴェンは詩の2連をひとまとまりにした全3節の完全な有節歌曲として作曲しています。

恋を知った男性の、そうと気づかずに打ち続ける胸の鼓動に戸惑う様を、細かいピアノの分散和音にのせて歌っています。訳のわからない焦燥感と、無意識に思い浮かぶ恋の喜びが素晴らしく描かれていると思います。和声進行や後半の左手のバス音の畳みかけが楽しく、あっという間に過ぎ去ってしまいます。

ちなみに第3連に出てくるドデカテオン(die Götterblume)という花の写真がこのリンク先にあります。

6/8拍子
In leidenschaftlicher Bewegung (情熱的な動きで)
ニ長調(D-Dur)

●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

ベートーヴェン・イヤーにこのコンビでベートーヴェン歌曲集が1枚録音されましたが、その中でおそらく唯一映像として公開されたものです。将来を期待されているピアニスト、リシエツキの疾走感とゲルネの前向きな表現が結びついて魅力的でした。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

この曲でのプライの芸達者ぶりに舌を巻きました!最初は大人の余裕を装っていたのが、最後で焦燥感があふれ出し、本心は戸惑っていることを見事に表現していたと思います。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

シュライアーはここでまっすぐな感情を前面に出して、純な主人公になりきって歌っています。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)

F=ディースカウだったら雄弁に歌うだろうなという予測をいい意味で裏切る歌唱でした。焦燥感よりも第5連の「よく私はいとしい人を避けたくなる」という女性に対する弱気な感情を表現しているように感じました。

●フローリアン・プライ(BR), ノルベルト・グロー(P)
Florian Prey(BR), Norbert Groh(P)

この曲でもプライ親子競演が実現しました!フローリアンはためらいがちで少しおっとりした主人公を描いているように感じられました。父親より高めの声ですが、第1連の"Leben"や"Lust"などふとした時に父親の声質を受け継いでいるのが感じられますね。

●ソルフェージュ
Ex. 5-2: Der Liebende (WoO 139) by Ludwig van Beethoven (Bass/Movable-do)

チャンネル名:Singalong Solfege
歌いたい方は練習にいかがでしょうか。ただ聞いているだけでも楽しいです。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「恋する男」——苦悩と歓喜が混ざり合う、心の震えを歌う(平野昭)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

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コメント

フランツさん、こんばんは。

恋し始めた頃の、自分でも自分がよく分からないような身のおきどころのな気持ち、焦燥感が歌曲全体を支配していますね。

ゲルネは、初めて全身を見ました。こんな風に歌うのですね。表情を見るとやはり、主人公になりきっていますね。一番焦燥感をかんじました。

プライさんは、民謡などの有説歌曲でも、詩の内容に合わせて歌いぶりも表情を変えて行きます。このあたりのうまさはさすがです!

ディースカウさんの「いとしい人を避けたくなる」の部分、ご自身でもご経験があるのかな、なんて想像をしました。電話したいのに、いざかけようと思うとドキドキしてかけられない、、(昔なので笑)。
一つの歌曲の中で、どこを重視するか、という例ともとれますね。

フローリアンさんは、やや奥手なおっとりした青年でしょうか。
父ヘルマンさんの面影を感じさせながら、さわやかでテノーラルな声も魅力です。
焦燥感よりも、恋し始めた時の独特な時間に身を浸している姿が思い浮かびました。

それぞれの歌手の表現の違いがよく表れた聞き比べでした(*^^*)

投稿: 真子 | 2021年12月13日 (月曜日) 17時06分

真子さん、こんばんは。

今回も興味深いコメントを有難うございます!

こういうテーマの曲はそれぞれの個性が出て面白いですよね。

ゲルネ、実際のステージでもこんな感じに動きます。ただ歌と連動しているのは分かるので、本人がこうした方が歌いやすいのならそれはそれでいいかもしれないです。

プライはちょっとした間合いや歌い始め方などに気持ちが入っていて役者だなぁと思いながら聴きました。本当うまいですよね!最後の"spricht"の伸ばした声の色合いがなんともいえず主人公の心情を表現していたように感じました。

F=ディースカウ、今回は結構抑えて歌っていますね。「電話したいのに、いざかけようと思うとドキドキしてかけられない、、」-とても分かります(笑)黒電話の時代ですよね。

フローリアンの文学青年風の歌声は父とはまた違った味が感じられました。でも声質はやはり似ていますよね。「恋し始めた時の独特な時間に身を浸している姿」-真子さん形容の仕方が分かりやすくて素晴らしいですね。

投稿: フランツ | 2021年12月13日 (月曜日) 19時29分

フランツさん、こんばんは。

涙が目の中で震え
私の心が目で語るものを!

いい訳語ですね!
この詩語を見ていますと、「目は口ほどにものを言う」という諺を思い出します。
英語にはこれに該当する諺がないそうですね。ドイツではどうなのでしょうか。

ところで、日本人は相手の感情を目から読み取り、欧米人は顔全体から読み取るそうですね。だから、欧米人はマスクをしたがらない人が多いとか。
口の動きが分からないと感情が分からないらしいです。

顔文字も日本は目中心、欧米は口中心の構成になっていますよね。
私も会話中、相手の口はほとんど見ていないです。
目を見て目の色から相手の感情を推しはかっていますね。

日本人は、相手の気持ちを確認する前は、自分の好意を極力隠しますよね。それを目に託すんですね。
託すと言うより、自然とそうなるんでしょうね。

翻って、外国の方はどうなのでしょうか?
>私の心が目で語るものを!
を読む限り、日本人と同じなのかなと思いますが。

ドイツ人は英語圏の人より、話す時に顔を動かさない気がするのですが、、
プライさんのインタビューでは、怒ってはる?と思う位表情がなかったりしました。


外国の方にもそう言う部分はあるかもしれませんが、、

投稿: | 2021年12月15日 (水曜日) 21時17分

真子さん、こんばんは。

私もこの部分訳しながら「目は口ほどにものを言う」と似ているなぁと思いました。

ことわざはお国柄が出ますよね。このことわざは日本的なのでしょうかね。

ドイツ語でどう言うのか調べてしまいました!

Die Augen sind das Fenster zur Seele.
(目は魂への窓である)

と言うそうです。面白いですね。

確かに人の話を聞く時は目を見ることが多いですね。
ただずっと目だけ見ているとお互い気まずかったりもするので、ちらっと視線をはずしてまた戻すということは無意識にしているように思います。

欧米人は目だけでなく顔全体を見るのですね。
確かに欧米人はもともとはマスクしませんでしたよね。

以前オラフ・ベーアが来日した時のインタビューで、ホールの客席にマスクをした人が最前列にいたので、「マスクをしなければならないほど空気の悪いところで私は歌わなければならないのか」と思ったと言っていましたが、それぐらい欧米人にとってマスクは馴染みがなかったのですね。今は一変してしまいましたが。

>日本人は、相手の気持ちを確認する前は、自分の好意を極力隠しますよね。それを目に託すんですね。
託すと言うより、自然とそうなるんでしょうね。

なるほど、この視点は意識したことがなかったですが、そうかもしれませんね。

顔文字の違い、全然気づきませんでした。真子さんの観察力すごいですね!

プライは顔を動かさないでしゃべるんですか!ドイツ人は確かにちょっとそっけないかもしれませんね。そういう国民性なのでしょうか。

今回は真子さんの視点のすごさを改めて感じたコメントでした。有難うございました!

投稿: フランツ | 2021年12月16日 (木曜日) 19時42分

フランツさん、こんばんは。

ドイツ語での諺をありがとうございます。ドイツにはあるんですね!
「目は魂への窓である」
素敵な表現ですね。ドイツ人らしい気がします。

オラフ·ベーアはそんな事を言っていたのですね。声楽家だから、マスクは使っているものかと思っていました。
ディースカウさんもヘビースモーカーだったし、プライさんも奥様に隠れてこっそり吸ったり、向こうの人は何かとタフですね。

>確かに人の話を聞く時は目を見ることが多いですね。
ただずっと目だけ見ているとお互い気まずかったりもするので、ちらっと視線をはずしてまた戻すということは無意識にしているように思います。
そうですね。日本人はだいたいそうですよね。私もそうです。
4秒以上見つめ会うのは特別な関係とか。同性でも気まずいですよね。
恥ずかしがりな日本人が、長く見つめ合う、または一方がじっと見つめる事は、好意を自然に伝える行為になるのでしょうね。

以前、プライさんのマスタークラスの動画がありましたが、生徒さんの一人が、何とも言えない憧れの目でプライさんを見つめていました。
「目は口ほどにものを」言っていました。

プライさんは、いつも笑っているイメージがあったので、インタビューでのちょっと素っ気ない感じは以外でした。

ちなみに、顔文字の違いを教えてくれたのは、英語に詳しい友人なんです。

投稿: 真子 | 2021年12月16日 (木曜日) 21時42分

真子さん、こんばんは。

ドイツの諺、私も全然知らなかったので調べる機会が出来て良かったです。

声楽家は意外と煙草を吸っているんですよね。F=ディースカウとムーアが煙草を吸いながら談笑している写真が残っていますが、プライも吸っていたのですね(奥様に隠れてこっそりというところが愛嬌あっていいですね^^)。

>4秒以上見つめ会うのは特別な関係とか。

そうなのですね。仕事で1:1で話す時はなかなか視線をはずすタイミングがないので、結構4秒超えているかもしれないです。まぁ特別な関係にはなりえないので問題ないですが(笑)

でも視線は結構感情を伝えてくれますよね。

プライのマスタークラスの生徒さんの目が口ほどにものを言っていたのですね。プライは愛嬌があって誰もが親しめるオーラを発していますよね。

顔文字の件は英語に詳しいお友達の情報なのですね。国ごとの人の特徴なども調べてみると面白いですね。
以前各国の人の特徴を書いたシリーズ本が出ていて、オランダ人の本を読んだことがあるのですが、オランダの家はカーテンをせずに中を外から丸見えの状態に保つそうです。プライバシーがなくなるので私は絶対無理だなぁと思いましたが、こういうのを調べると面白いですね。

投稿: フランツ | 2021年12月17日 (金曜日) 17時56分

フランツさん、こんばんは。

オランダではカーテンを引かずに家の中が丸見えなのですか?
私も絶対無理です(笑)
お国柄なんでしょうね。
我が家は、玄関横の洋室が一番明るいのですが、奥まったリビングかその隣接のお台所にいることが多いです。
外から離れていると安心するんです。

それから、昨日、度忘れして出て来なかった「まなざし」という言葉。
いい日本語ですよね。
英語ではlook、ドイツ語ではBlickに当たるようですが、日本語の持つ「まなざし」の独特のニュアンスとは違うようです。私の調べ不足ならすみません。

これ以外にも、ドイツ語のIch、英語のIに対して、日本語では、わたし、わたくし、ぼく、俺、わし、わい、われ、等々様々な言い回しがあり、言葉によって一人称の性格なども表せますよね。
例えばドイツ語では、そういう表現の違いは文脈から読み取るのでしゅらうか?


投稿: 真子 | 2021年12月17日 (金曜日) 21時11分

真子さん、こんばんは。

>外から離れていると安心するんです。

家はプライベートな空間なので、外から離れていたいですよね。

「まなざし」という訳語は歌詞の訳にぴたりとはまることが多いので使いやすいですね。日本語のニュアンスと外国語のニュアンスはおそらく異なるところがあると思います。
Blickの場合は、「見ること」を指しますが、2番目の意味として「目つき、まなざし」という訳語が出てきます。

日本語の一人称は本当に多いですよね。ドイツ語はichだけですからね(方言は別にあると思いますが)。
日本語は特殊なのかもしれませんが、そのニュアンスの豊富さは素晴らしいですよね。
ドイツ語でichと書かれていた時にどの訳語を当てはめるかは、文脈とかichと言っている人のタイプなどを想像したりしていますね。

投稿: フランツ | 2021年12月18日 (土曜日) 19時23分

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