ベートーヴェン「ゲーテのファウストから(のみの歌)(Aus Goethe's Faust, Op. 75, No. 3)」
Aus Goethe's Faust, Op. 75, No. 3
ゲーテのファウストから(のみの歌)
1.
Es war einmal ein König,
Der hatt' einen großen Floh,
Den liebt' er gar nicht wenig,
Als wie seinen eig'nen Sohn.
Da rief er seinen Schneider,
Der Schneider kam heran;
"Da, miß dem Junker Kleider
Und miß ihm Hosen an!"
昔あるところに王様がおった、
王は一匹の大きなのみを飼っており、
かなりの溺愛ぶりだった、
まるで自分の息子のように。
王は仕立屋を呼び、
仕立屋がやって来た。
「この子の服と
ズボンの寸法をとるように!」
2.
In Sammet und in Seide
War er nun angetan,
Hatte Bänder auf dem Kleide,
Hatt' auch ein Kreuz daran,
Und war sogleich Minister,
Und hatt einen großen Stern.
Da wurden seine Geschwister
Bei Hof auch große Herrn.
ビロードと絹に
のみは身をつつみ、
服の上にはリボンが付けられ、
十字勲章もかけられ、
ただちに大臣になり、
大きな星形勲章を得た。
彼の兄弟たちも
宮廷でやんごとなき身分となった。
3.
Und Herrn und Frau'n am Hofe,
Die waren sehr geplagt,
Die Königin und die Zofe
Gestochen und genagt,
Und durften sie nicht knicken,
Und weg sie jucken nicht.
Wir knicken und ersticken
Doch gleich, wenn einer sticht.
それから宮廷にいる紳士淑女たちは
大層苦しんだ、
女王や侍女は
刺されてかじられても
潰してはならず
かゆくてもどかすことが出来なかった。
俺たちゃ潰して殺すまでさ、
刺されたりしたら速攻でね。
詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), appears in Faust, in Der Tragödie erster Teil (Part I)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827), "Aus Goethe's Faust", op. 75 no. 3 (1809)
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1790年から1792年の間にスケッチが書かれ、それを基に1809年に改訂されたのがOp.75-3の「ゲーテのファウストから」、通称「のみの歌(Flohlied)」です。
Op.75の3曲目に配置されました。
ゲーテの戯曲『ファウスト』第1部の「ライプツィヒのアウエルバッハの酒場」でメフィストフェレスが挨拶がてら歌う歌です。
王様が1匹ののみを寵愛するあまり、立派な服を仕立て、立派な地位を与えた為、まわりのお偉方は刺されてかゆくてものみをつぶすことが出来ない、
でも一般人の俺たちなら一発で仕留める
という内容です。
以下に森鴎外の訳を載せておきます(下記ブランデルの台詞は「のみの歌」の詩からは省かれています)。森鴎外の訳では「ライプチヒなるアウエルバハの窖(あなぐら)」の一場面です。
メフィストフェレス(歌ふ。)
昔昔王がいた。
大きな蚤を持っていた。
自分の生ませた子のように
可哀がって飼っていた。
ある時服屋を呼んで来た。
服屋が早速遣って来た。
「この若殿の召すような
上衣うわぎとずぼんの寸を取れ。」
ブランデル
服屋に好くそう云わなくちゃいけないぜ。
寸尺を間違えないようにして、
笠の台が惜しけりゃあ、
ずぼんに襞ひだの出来ないようにするのだ。
メフィストフェレス
天鵞絨為立じたて、絹仕立、
仕立卸おろしを著こなした。
上衣にゃ紐が附いている。
十字章さえ下げてある。
すぐ大臣を言い附かる。
大きな勲章をぶら下げる。
兄弟までも宮中で
立派なお役にあり附いた。
文官武官貴夫人が
参内すれば責められる。
お后きさきさまでも宮女でも
ちくちく螫さされる、かじられる。
押さえてぶつりと潰したり、
掻いたりしては相成らぬ。
己達ならば蚤なぞが
ちょぴりと螫せばすぐ潰す。
合唱者(歓呼する如く。)
己達ならば蚤なぞが
ちょぴりと螫せばすぐ潰す。
最後の2行は酒場で先導する者が歌った後でその場にいる者たちが繰り返して歌うという設定ですね。これはベートーヴェンやヴァーグナーの楽譜にも忠実に取り入れられています。
ゲーテの詩では特に第3連で"gestochen"、"knicken"、"jucken"、"ersticken"のようなつまる音を多用してノミの跳ねる様と響きでリンクさせているように感じられます。
ベートーヴェンの曲は、詩の3連を有節形式で繰り返した後に、第3節の最後の2行をコーダのように何度も変化を付けながら繰り返して終結に向かいます。コーダ(ベートーヴェンはコーダとは記載していませんが便宜上)に入る直前の繰り返し箇所に"Chor"と記載され、合唱で歌うように指示されています。ここは合唱団がいる場合は実際に歌われることもありますが、歌手のリサイタルなどでは独唱で最後まで歌われることが多いです。
この最後の2行は歌の旋律に当てはめる為に単語の追加がされていますが、"doch"や"gleich"を繰り返すだけでなく、例の"ja"を追加しているところがありベートーヴェンの常とう手段と言えるでしょう。
ピアノパートで細かい音型やスタッカート、跳躍、装飾音符などを使って、のみが飛び回る様を描写しています。
ピアノ後奏の右手の隣り合う2つの音の連続で、ベートーヴェンは両方とも1の指番号を指定しています(下記楽譜参照)。つまり親指だけで2音をずらして弾くことで、のみを潰す様を模しているわけです(移調して演奏する場合は難しいかもしれませんが)。こういうところはベートーヴェンのユーモアが発揮されていますね。
ところで、F=ディースカウやプライ、シュライアー等の録音を聞いた後に最近の録音を聞くと、最後の1フレーズが"wenn einer sticht"ではなく"sticht(刺す)"を伸ばす演奏が多いことに気付きます。
楽譜ではどうなっているのか確認すると、旧全集では"wenn einer sticht"が記されていて、F=ディースカウらの演奏がこの版を元にしていることが分かります。
一方新全集では"sticht"を伸ばして"sti- - - - -cht"(シュティッ・イッ・イッ・イッ・イーヒトゥ)となっています。
この歌曲の自筆譜や初版楽譜を確認してみると新全集同様"sticht"を伸ばす形だった為、ベートーヴェンの意図を反映したのはこの新全集版ということになりそうです。
なぜ旧全集で"wenn einer sticht"を当てはめたのかについては今のところ調べがついていませんが、何らかの編纂者の解釈が反映されているのでしょう。
2/4拍子
ト短調 (g-moll)
Poco Allegretto
ちなみにこのゲーテの詩のロシア語訳に作曲したムソルクスキーの「のみの歌」も大変よく知られていて、往年の伝説的バス歌手のフョードル・シャリヤピン(Фёдор Ива́нович Шаля́пин: 1873-1938)(料理の名前にも残っていますね)が得意としたことは有名です。
★自筆譜(楽譜をクリックすると拡大表示されます)
Autograph
★ライプツィヒ1810年出版の初版(Breitkopf und Härtel社)(※新全集もこの形を採用している)(楽譜をクリックすると拡大表示されます)
Leipzig: Breitkopf & Härtel, n.d.[1810]
★ライプツィヒ1863年出版の旧全集(Breitkopf und Härtel社)(楽譜をクリックすると拡大表示されます)
Ludwig van Beethovens Werke, Serie 23: Lieder und Gesänge mit Begleitung des Pianoforte, Nr.219
Leipzig: Breitkopf und Härtel, n.d.[n.d.[1863]]
2/4拍子
ト短調 (g-moll)
Poco Allegretto
ちなみにこのゲーテの詩のロシア語訳に作曲したムソルクスキーの「のみの歌」も大変よく知られていて、往年の伝説的バス歌手のフョードル・シャリヤピン(Фёдор Ива́нович Шаля́пин: 1873-1938)(ステーキの名前にも残っていますね)が得意としたことは有名です。
●アウエルバッハ酒場の場面の芝居
Faust Auerbachs Keller
ゲーテの戯曲からアウエルバッハ酒場の場面を演じています。4:16から歌が始まります。ところどころベートーヴェンの歌曲と節回しが共通していますが、全体的には創作だと思います。お芝居の雰囲気が伝わってくるので最初から見るのも面白いと思います。
●ヴァルター・ベリー(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Walter Berry(BR), Gerald Moore(P)
パパゲーノを得意とした往年の名バリトン、ヴァルター・ベリーのコミカルな味わいが隅々まで味わえる楽しい演奏です。最後の速度をあげていくところも爽快ですね。そして最後の2行のコーラス箇所をお聞き逃しなく!!
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Gerald Moore(P)
F=ディースカウがこの手のシニカルな作品へ絶妙な適性をもっていることはこの映像を見るまでもなく明らかなのですが、歌っている表情がまさに舞台俳優のようで、視覚でも楽しませてくれました。そしてムーアはこの曲の後奏でベートーヴェンの指示通り、右手の親指のみで隣り合った音を弾き、のみを潰していました!
●イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)
こういうシニカルな歌を歌ったらボストリッジは見事ですね。斜に構えた持ち味が存分に生かされていたと思います。指揮者はどうしてリートの演奏がうまい人が多いのでしょう。パッパーノのピアノ、素晴らしかったです!
●ヘルマン・プライ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR), Gerald Moore(P)
プライは、この初期の録音でいつも以上に"r"の巻き舌を強調しています。それによりゲーテがこの皮肉な詩に"r"のつく単語を多く使っているのが偶然ではないように思えてきます。
●ヘルマン・プライ(BR), ハインリヒ・シュッツ・クライス・ベルリン, レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Heinrich Schütz Kreis, Berlin, Leonard Hokanson(P)
こちらは合唱も交えて、ベートーヴェンの指定に忠実な演奏です(プライもコーラス箇所で合唱団の一員のように一緒に歌っています)。プライはムーア盤の時よりも脱力してより自然にシニカルな味わいを醸し出していました。
●ペーター・シュライアー(T) & アンドラーシュ・シフ(P)
Peter Schreier(T) & András Schiff(P)
シュライアーはゆっくりめのテンポでもったいぶったように歌っています。円熟期のシュライアーらしい朗誦に近づいた歌唱で、苦み走った表情で歌っているのが目に浮かぶようです。
●ショスタコーヴィチによるオーケストラ編曲版(演奏者不明)
Dmitri Shostakovich MEPHISTOPHELES SONG OF THE FLEA BY BEETHOVEN, ORCHESTRAL TRANSCRIPTION OP. 75 NO. 3
ショスタコーヴィチが原曲のピアノパートを華麗にオーケストレーションしました。ロシア語で低声歌手によって歌われると、ムソルクスキーの「のみの歌」の味わいに近づきますね。
●ヴァーグナー作曲「メフィストフェレスの歌Ⅰ」
Richard Wagner: Lied des Mephistopheles I
トマス・ハンプソン(BR), ジェフリー・パーソンズ(P)
Thomas Hampson(BR), Geoffrey Parsons(P)
若きヴァーグナーがゲーテの『ファウスト』の中のテキストから7つの歌曲を作曲したうちの4曲目に置かれています。ピアノパートの急速な短いパッセージなど明らかにベートーヴェンの影響を受けていると言えるでしょう。なお、ベートーヴェン同様ヴァーグナーも最後の2行で独唱の後に"Chor"と記載していて合唱で歌うようになっています。ハンプソンのディクションの見事さ、パーソンズのみずみずしいタッチも聞きものです。
●ムソルクスキー作曲「アウエルバッハの酒場でのメフィストフェレスの歌(のみの歌)」
Modest Mussorgsky: The song of the flea (Песня Мефистофеля в погребке Ауербаха) (Песня о блохе)
フョードル・シャリヤピン(BS), ピアニスト不詳
Feodor Chaliapin(BS), Pianist (Recorded 1936)
ムソルクスキー作曲の「のみの歌」は朗誦のような趣があります。ロシアの名バス歌手シャリヤピンの十八番の一つです。最後の笑い声はシャリヤピンの別の録音とも異なり、その時々の違いを聞き比べるのも楽しいと思います。
●ブゾーニ作曲「メフィストフェレスの歌」
Ferruccio Busoni: Lied des Mephistopheles
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P) (Studio recording, Berlin, V.1964)
フェルッチョ・ブゾーニの曲は絶えず上下に行き来するピアノパートがのみの跳躍や掻かれた人がぽりぽり掻いているさまを描いているように感じられ、歌手は冷静な第三者のように状況を伝えます。
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(参考)
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