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ベートーヴェン「遠くからの歌(Gesang (Lied) aus der Ferne, WoO. 137)」

Gesang (Lied) aus der Ferne, WoO. 137
 遠くからの歌

1.
Als mir noch die Träne der Sehnsucht nicht floß,
Und neidisch die Ferne nicht Liebchen verschloß,
Wie glich da mein Leben dem blühenden Kranz,
Dem Nachtigallwäldchen, voll Spiel und voll Tanz!
 私からまだ憧れの涙が流れず、
 遠方がねたんで恋人を閉じ込めたりしなかったころ、
 わが人生は花冠さながらに、
 さよなきどりの森さながらに、戯れとダンスに明け暮れていたものだ。

2.
Nun treibt mich oft Sehnsucht hinaus auf die Höhn,
Den Wunsch meines Herzens wo lächeln zu seh'n!
Hier sucht in der Gegend mein schmachtender Blick,
Doch kehret es nimmer befriedigt zurück.
 今や私をしばしば憧れが丘へと駆り立てる、
 わが心の望みがほほ笑むのを見ようとして!
 ここでわが思い焦がれたまなざしがあたりを探すが
 決して満たされないまま帰るのだ。

3.
Wie klopft es im Busen, als wärst du mir nah,
O komm, meine Holde, dein Jüngling ist da!
Ich opfre dir alles, was Gott mir verlieh,
Denn wie ich dich liebe, so liebt' ich noch nie!
 胸の中はどれほど脈打っていることか、君が僕のそばにいるかのように、
 おお、おいで、僕のいとしい人よ、君のものである若者はここにいるよ!
 神が僕に与えてくれたものはすべて君に捧げる、
 なぜなら僕が君を愛している以上に愛するものはまだないから。

4.
O Teure, komm eilig zum bräutlichen Tanz!
Ich pflege schon Rosen und Myrten zum Kranz.
Komm, zaubre mein Hüttchen zum Tempel der Ruh,
Zum Tempel der Wonne, die Göttin sei du!
 おお尊き人、急いで婚礼のダンスにおいで!
 僕はもう花冠にするためにばらやミルテの手入れをしているんだ。
 おいで、僕の小屋に魔法をかけて憩いの神殿に、
 歓喜の神殿にしておくれ、女神様は君であれ!

詩:Christian Ludwig Reissig (1784-1847)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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クリスティアン・ルートヴィヒ・ライスィヒの詩による歌曲「遠くからの歌(Gesang (Lied) aus der Ferne, WoO. 137)」はBeethoven-Haus Bonnのサイトによると1809年8月もしくは冬?(August 1809? Winter 1809?)の作曲とのことです。

冒頭の歌の旋律を先取りした長大なピアノ前奏が充実しています。歌は詩の展開に応じて異なる音楽が付けられていますが、第4連は第1連の音楽を引き継いで若干の変更や繰り返しを加えています(A-B-C-A')。基本的に推進力のある軽快な音楽ですが、第2連で駆り立てられるように丘に登る箇所では右手と左手が交互にリズムを刻み、第3連では胸がどきどきする様を模したかのように両手の交互のリズムがより細かくなり、テキストをベートーヴェンが音で表現しようとしていることがはっきり伝わってきます。第3連の最後に歌がメリスマで下降して、クライマックスの第4連へとつなげていくところなども印象的です。歌詞の繰り返しはこの曲でもかなり多いですが、繰り返しの仕方を見ると、詩の各連のまとまりを意識しているように感じられます。なお、この曲でもベートーヴェンによって"ja"という単語が追加されています(最後だけでなく曲の途中にも追加されています)。

この歌曲については、葛西健治氏の詳細な研究論文「ベートーヴェンの通作歌曲《Gesang aus der Ferne》WoO137─《Lied aus der Ferne》WoO138bとの比較分析─」が大変参考になります。こども教育宝仙大学のWebサイトで誰でも閲覧可能なのは非常に有難いです。こちらのサイトの「kiyou0602」をクリックするとPDFで論文を見ることが出来ます。

実はこの詩にはWoO. 137の前にベートーヴェンの生前には未出版だった第1作が作曲されていて、WoO. 138bという番号が当てられているようです。
第1作(WoO. 138b)は完全な有節歌曲であり、通節形式の第2作(WoO. 137)とは別の音楽です。
ただし、葛西氏は、第1作(WoO138b)と第2作(WoO137)を比較分析することにより、この2作が全く異なる試みというわけではなく、第1作の要素が第2作に引き継がれている点を見て取ることが出来る為、第1作は習作ではないかという結論に達しておられます。

それから、歌曲のタイトルについてはWoO. 137の自筆譜では「Lied」が「Gesang」に修正されている為、現在一般的に普及している「Lied aus der Ferne」よりも「Gesang aus der Ferne」がベートーヴェンの意図に近いと考えられています。LiedとGesangはどちらも歌という意味ですが、その使い分けについて上述の葛西氏の論文に記載がありますので興味のある方はぜひご覧ください。

ところで、この第1作(WoO. 138b)の音楽は、そっくりそのまま歌詞だけを変えて(詩人は同じライスィヒ)「異郷の若者(Der Jüngling in der Fremde, WoO. 138)」に流用されることになります。

下記の聞き比べでは、第2作のWoO. 137を中心に掲載していますが、最後に第1作のWoO. 138bの演奏も掲載しましたので、その比較も楽しんでいただければと思います。

6/8拍子 - 2/4拍子 - 6/8拍子
Andante vivace - Poco Allegretto - Poco Adagio - Allegretto vivace. Man nimmt jetzt die Bewegung lebhafter als das erstes Mal (ここでは最初の時より生き生きと動いて) - Poco Adagio - Temp I
変ロ長調(B-dur)

●ヴェルナー・ギューラ(T), クリストフ・ベルナー(Fortepiano)
Werner Güra(T), Christoph Berner(Fortepiano)

味のあるフォルテピアノの響きに支えられたギューラが明晰なディクションと清潔感のある歌で語って聞かせてくれます。

●ライナー・トロースト(T), ベルナデッテ・バルトス(P)
Rainer Trost(T), Bernadette Bartos(P)

トローストは凛々しい若者が希望に胸膨らませて歌うイメージが浮かびました。バルトスのピアノもみずみずしくて良かったです。

●ジョン・マーク・エインスリー(T), イアン・バーンサイド(P)
John Mark Ainsley(T), Iain Burnside(P)

比較的ゆったりしたテンポで細やかなニュアンスを付けて歌うエインスリーと、とても音楽的な演奏をするバーンサイドの素敵なアンサンブルでした。

●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

ゲルネの深みのある声がリシエツキの若々しく疾走するピアノと見事な相乗効果を発揮していたと思います。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

噛みしめるように歌うプライの歌唱は、恋人との遠さが距離よりも時間的なものに感じられました。

●第1作(1809年作曲)
ダニエル・ヨハンセン(T), ベルナデッテ・バルトス(P)
Daniel Johannsen(T), Bernadette Bartos(P)

ベートーヴェンはこのライスィヒのテキストに最初はこの音源で聞ける有節形式の音楽を付けていたのですが、後年、上の様々な音源で聞けるような別の音楽に変えた為、この最初に付けた音楽を「異郷の若者(Der Jüngling in der Fremde, WoO. 138)」で再利用することになります。ヨハンセンは後の方の節では少し装飾を加えて歌っています。

上に掲載した演奏が多くなってしまったので今回は載せませんでしたが、ペーター・シュライアー&ヴァルター・オルベルツの微細なところまで目の届いた演奏や、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ&ヘルタ・クルストの若々しい息吹の感じられる演奏も特筆すべきだったことを補足しておきます。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

葛西健治「ベートーヴェンの通作歌曲《Gesang aus der Ferne》WoO137─《Lied aus der Ferne》WoO138bとの比較分析─」(こども教育宝仙大学紀要6巻:2015年発行)

「はるか遠くからの歌(第2稿)」——君こそ女神だ! と歌う長大な歌曲(平野昭)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

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コメント

フランツさん、こんばんは。

すっかり秋も深まり、今年も12月をまもなく迎える頃となりましたね。

一番目の演奏、シュライアーを思わせる歌いぶりと言うと、ギューラに失礼でしょうか。子音の発音が明瞭なテノールですね。

バルトスのピアノが、ベルナーのフォルテピアノとあまりに違うのでびっくりしました(楽器の違いだけでなく)。
急かるる思いギューラ、切々としたトロースト、続くエインスリーはゆったりしたフレーズの中に思いをこめているようでした。

ゲルネのバリトンで聞くと、曲の印象がガラッと変わりました。
声の厚み、深さ、高さでこんなにも変わるのですね。

力の抜けたプライさん晩年の歌からは、表情やテンポの動きがありながらどこかに余裕を感じさせ、恋人と必ず会えるという確信が読み取れました。
お書きになっている「恋人との遠さが距離よりも時間的なものに感じられました」と言うのがよく分かりました。

有節形式で聞くと、当然ですが全く違う印象ですね。穏やかに恋人を呼び求めているのでしょうか。

この歌曲は、素直な恋人への思いを歌い出しているので、もしかしたら歌手それぞれの素の部分が出るのかな、なんて思いました。

投稿: 真子 | 2021年11月25日 (木曜日) 19時11分

真子さん、こんばんは。
冬の気配が徐々に感じられる時期になりましたね。毎年この時期になるともうこんな時期かと思います。

ギューラは宗教曲を沢山歌っている人なので、言葉が明瞭ですよね。

モダンピアノとフォルテピアノは同じ鍵盤楽器でも随分印象が異なるところが興味深いですね。演奏者によっても様々な可能性があるので、同じフォルテピアノで聴き比べても面白いと思います。

>急かるる思いギューラ、切々としたトロースト、続くエインスリーはゆったりしたフレーズの中に思いをこめているようでした。

真子さん、それぞれの特徴を見事に表現しておられますね。同じ男声でも解釈が異なるのが聞き比べの醍醐味だとあらためて思います。

ゲルネの声の厚みはユニークですよね。本当に包まれているような気分になります。

この時期のプライはまさに「余裕」ですよね。肩肘張らず、いい意味で力の抜けた自然さが魅力的です。

第1作の有節歌曲は随分印象が違いますよね。ベートーヴェンは世間で認識されている以上にテキストへのこだわりが強いように思います。

>この歌曲は、素直な恋人への思いを歌い出しているので、もしかしたら歌手それぞれの素の部分が出るのかな、なんて思いました。

その見方はありませんでした!さすが真子さんです。それぞれの人間性が顔を出しているのかもしれませんね。

今回も丁寧にコメントして下さり、有難うございました!

投稿: フランツ | 2021年11月25日 (木曜日) 20時03分

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