ベートーヴェン「希望に寄せて(An die Hoffnung, Op. 32 / Op. 94)」(第1作/第2作)
An die Hoffnung, Op. 32 / Op. 94
希望に寄せて
1:(Op.94:1節)
Ob ein Gott sei? Ob er einst erfülle,
Was die Sehnsucht weinend sich verspricht?
Ob, vor irgendeinem Weltgericht,
Sich dies rätselhafte Sein enthülle?
Hoffen soll der Mensch! Er frage nicht!
神はいるのかどうか。神はいつかかなえるのか、
憧れが泣きながら期待しているものを。
最後の審判とかいうものの前に
この謎めいた存在が正体をあらわすのか。
人間は望むべきだ!問うなかれ!
2:(Op.32:1節 / Op.94:2節)
Die du so gern in heil'gen Nächten feierst
Und sanft und weich den Gram verschleierst,
Der eine zarte Seele quält,
O Hoffnung! Laß, durch dich empor gehoben,
Den Dulder ahnen, daß dort oben
Ein Engel seine Tränen zählt!
あなたが喜んで聖夜に祝い、
穏やかにやさしく
繊細な魂を苦しめる悲嘆を隠すもの、
おお、希望よ!あなたに高く持ち上げられ、
耐え忍んでいる者に予感させておくれ、あの上方で
天使が涙の数を数えていると!
3:(Op.32:2節 / Op.94:3節)
Wenn, längst verhallt, geliebte Stimmen schweigen;
Wenn unter ausgestorb'nen Zweigen
Verödet die Erinn'rung sitzt:
Dann nahe dich, wo dein Verlaßner trauert
Und, von der Mitternacht umschauert,
Sich auf versunk'ne Urnen stützt.
とうに音は消え、愛する声が押し黙るとき、
枯れて荒れ果てた枝の下で
思い出が腰をおろすとき、
近づくのだ、あなたに見捨てられた者が嘆き悲しみ、
真夜中に身震いし、
沈められた壺に身を預けている場所に。
4:(Op.32:3節 / Op.94:4節)
Und blickt er auf, das Schicksal anzuklagen,
Wenn scheidend über seinen Tagen
Die letzten Strahlen untergehn:
Dann laß' ihn um den Rand des Erdentraumes
Das Leuchten eines Wolkensaumes
Von einer nahen Sonne seh'n!
そして彼は運命をとがめるべく仰ぎ見る、
彼の日々に別れを告げながら
最後の光が沈むときに。
地上の夢のふちに
近くの太陽から雲のふちに当たる光を
彼に見せておくれ!
詩:Christoph August Tiedge (1752-1841), no title, appears in Urania, in Erster Gesang (Klagen des Zweiflers)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827),
An die Hoffnung, op. 32, stanzas 2-4
An die Hoffnung, op. 94, stanzas 1-4,2
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クリストフ・アウグスト・ティートゲの『ウラーニア(Urania)』という作品に登場する「希望に寄せて」という詩に、ベートーヴェンは2回時期をあけて作曲しました。下記参考文献のリンク先にある平野昭氏の文章によると、ベートーヴェンとティートゲは親交があったそうです。
1805年2月~3月作曲の「希望に寄せて」第1作は、上記の詩の2-4連(作曲当時のティートゲの版では上記の1連はありませんでした)に完全な有節形式で作曲され、作品番号32として1805年に出版されました。穏やかな曲調で聴き手を静かに慰撫しているように感じられます。ピアノは、歌がないところでは弧を描くような分散和音で美しく主張しますが、歌と一緒の箇所は控えめな伴奏の枠内におさまっています。
その10年後の1815年初頭作曲の第2作は、ティートゲの詩の改作を知ったベートーヴェンが、前作の冒頭の前にあらたに追加された連(行数が1行少ない5行からなり、これまでの弱強ではなく強弱のリズムになっています)を含めたすべてに通作形式で作曲し、最後に第2連を同じ音楽で繰り返します。作品番号94として1816年に出版されました。
第1連はレチタティーヴォ風に曲がつけられています。第1連最後の終わり方もレチタティーヴォ風ですが、ベートーヴェンは下記の譜例のように"Er frage nicht"を「ラファミド」と記譜しています。これはレチタティーヴォの慣例的には「ラファミレド」とレが加わるように思えます。ベートーヴェンが慣例でレを書かなくても演奏者に伝わると思ったのか、それともレを歌わないでほしいと思ったのかはベートーヴェンの記譜法を研究しないとはっきりと断言は出来ませんが、おそらくレは記譜の慣例で書かないだけで実際には加えて歌われることを想定していたのではないかという気がします。
様々な演奏家がどう扱っているかを調べてみたところ、F=ディースカウはクルスト、ムーア、デームス、ヘルすべての録音で「レ」を加えず表記された音のみで歌っていましたが、プライは一番最初のムーアとの録音では「レ」を加えず、後のホカンソンとの2種類では「レ」を加えていました。シュライアーもオルベルツ盤では「レ」を加えず、シフ盤では加えていました。パドモアやエインスリーなど古楽系の歌手は「レ」を加えているのは想定内でしたが、同じ古楽系でもヴェルナー・ギューラは「レ」を加えていませんでした。結局のところ正解はなく、演奏家の解釈によるということでしょう。
第2連から頻繁に曲想が変わります。第2連は曲の最後に再度同じ音楽を繰り返しており、ベートーヴェン自身がこのテキストの中のハイライトとみなしたのではないでしょうか。「天使が涙の数を数えている」のクライマックスに向けて美しい旋律が聞かれます。
第3連では歌声部の途中に休符がさしはさまれていますがあたりの音が消えて聞こえにくくなっている様を表現しているように思います。
第4連ではピアノが最初の和音連打から分散和音に移っていきますが、分散和音もどんどん細かくなり、歌とともに高揚していきます。
曲の最後に"O Hoffnung(おお希望よ)"の詩句を繰り返して終わりますが、このHoffnungがソ→ミとなるように見せかけて、ソ→ドで終わるのが意表をつかれます。希望へ語りかけるというよりは、すでに希望を見出して心の平安を得た境地にいたったのかもしれません。
歌声部もピアノパートも演奏しにくそうな印象を受けますが、聞くたびに感銘を与えてくれる名作だと思います。
●第1作(Op. 32)
Poco adagio
3/4拍子
変ホ長調(Es-dur)
●第2作(Op. 94)
Poco sostenuto - Allegro - Larghetto - Adagio - Tempo I
2/2拍子 - 4/4拍子
変ロ短調(b-moll)→頻繁に転調する
●第1作(Op. 32)
マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)
ゲルネの包み込むような深い声から、希望が常に見守っているかのような安心感を感じました。
●第1作(Op. 32)
ヴェルナー・ギューラ(T), クリストフ・ベルナー(Fortepiano)
Werner Güra(T), Christoph Berner(Fortepiano)
ギューラは福音史家のように情景を眼前に浮かばせてくれます。フォルテピアノの響きがなんとも味わい深いです。
●第1作(Op. 32)
イリス・フェアミリオン(MS), ペーター・シュタム(P)
Iris Vermillion(MS), Peter Stamm(P)
1997年5&10月録音。フェアミリオンの落ち着いた声がしっとりと包み込んでくれるかのようです。
●第2作(Op. 94)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Jörg Demus(P)
フィッシャー=ディースカウは自らが「希望」であるかのように隙のない堂々たる歌唱を聞かせていました。
●第2作(Op. 94)
ヘルマン・プライ(BR) & ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR) & Gerald Moore(P)
プライは熱量が増してきて泣きが入るところが人間味があっていいなぁと思いました。希望に対して若さゆえの情熱をもって語り掛けているようです。
●第2作(Op. 94)
ペーター・シュライアー(T) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T) & Walter Olbertz(P)
シュライアーが歌うと「希望」が宗教的な意味合いを強めているように感じられます。ゆったりめのテンポで民衆に説いて聞かせるような趣がありました。
●第2作(Op. 94)
マーク・パドモア(T), クリスティアン・ベザイデンハウト(Fortepiano)
Mark Padmore(T), Kristian Bezuidenhout(Fortepiano)
上述した譜例箇所で「レ」を歌っている例です。パドモアの清冽な歌唱もいいですね。
Beethoven-Haus Bonn
Op. 32
Op. 94
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コメント
フランツさん、こんばんは。
来週から、フローリングの張り替え工事があるので、片付けに追われています。全部はがして、束柱からやり直すのでかなり大がかりですが、古い家なのでその方が安心です。
今、ちょっと休憩です(*^^*)
フランツさんのブログの音楽は、作業しながら聴いていました。
この曲は、シューベルト歌曲の先がけのようにも思います。
Er frage nicht"の、音階の解説も勉強になりました!
聞き比べて初めて分かる事ですね。
この、若き日のプライさん、本当にいいんですよね。
1964年の「ステレオ」誌でも、すごい若い歌手が出てきたと好評でした。
高音も音色が変わらず、胸の響きのまま持って行く、若い彼の歌いぶりには血が騒ぎます。
Hoffnungの広がりも素晴らしいですよね。喉が強いんでしょうね。
私は、若き日のプライさんを聴いていると、中沢桂さんを思い出すんです。
彼女は、高音も響きで逃がさないで実声(ではないでしょうが、そう聞こえるくらい芯のある声)で、ビアニッシモも響きを残すと言うより、やはり芯の声で絞って行くんです。
1970年代の、三浦洋一さんのピアノで歌った「鐘が鳴ります」は、絶品です。
話がそれてしまった上、今回はこんな感想ですみません(^^;
投稿: 真子 | 2021年10月 6日 (水曜日) 17時51分
真子さん、こんばんは。
フローリングの改装、大変そうですね。
お片付けのお供にブログの音楽を聞いてくださっているとのことで、有難うございます(^^)
荷物運びなどでお体無理なさらないよう祈っています。
新しくなっていくお家も楽しみですね。
シューベルトもこの曲、知っていたのではないかと想像しています。第2作の前奏は「夜曲(Nachtstück)D672」に似ているなぁと思いながら聴いています。
"Er frage nicht"のところ面白いですよね。こういうちょっとしたところに気付くことが出来るのが聞き比べの醍醐味だと思います。
プライの最初のベートーヴェン歌曲集、若さみなぎっていて聴いていて気持ちいいですね。「ステレオ」誌で絶賛されていたのですね。
音色の件、実践をしていない私にははっきりしたことは言えないのですが、胸声とか頭声とかという話ですね。
なんとなくおっしゃっていること分かる気がします。
中音域の胸の響きのまま高音域を歌うのはなかなか大変で、一般的には頭声を使うということかなと思いました。
プライや中澤桂さんは高音域でも胸声のような響きを朗々と響かせているということですね。
YouTubeに中澤さんの「鐘が鳴ります」があったので聴いてみました。本当に芯のある密度の濃い声だなぁと感じました。素敵ですね!
投稿: フランツ | 2021年10月 7日 (木曜日) 19時27分