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ベートーヴェン「プードルの死に寄せる悲歌(Elegie auf den Tod eines Pudels)」 WoO. 110

Elegie auf den Tod eines Pudels, WoO. 110
 プードルの死に寄せる悲歌

(Mesto)
1.
Stirb immerhin, es welken ja so viele
der Freuden auf der Lebensbahn.
Oft, eh' sie welken in des Mittags Schwüle,
fängt schon der Tod sie abzumähen an.
 それでも死ぬがいい、
 人生の喜びのこれほど多くがしぼむとしても。
 しばしば、昼の蒸し暑いさなかにしぼむ前に
 すでに死が喜びを刈り取りはじめるのだ。

2.
Auch meine Freude du! dir fließen Zähren,
wie Freunde selten Freunden weihn;
der Schmerz um dich kann nicht mein Aug' entehren,
um dich, Geschöpf, geschaffen mich zu freun.
 私の喜びであるおまえも!おまえを思い涙が流れる、
 友がごくまれに友に捧げる涙のように。
 おまえを失った苦痛が私の目を汚すことはできない、
 動物のおまえは私を喜ばせるために創られたのだ。

3.
Allgeber gab dir diese feste Treue.
dir diesen immer frohen Sinn;
Für Tiere nicht, damit ein Mensch sich freue,
schuf er dich so, und mein war der Gewinn.
 創造主はおまえにこの揺るぎない忠実さを与えた。
 おまえにこの常に快活な心を与えた。
 動物としてではなく、人間が喜ぶように
 主はおまえを創った、そして獲得したのは私だった。

4.
Oft, wenn ich des Gewühles satt und müde
mich gern der eklen Welt entwöhnt,
hast du, das Aug' voll Munterkeit und Friede,
mit Welt und Menschen wieder mich versöhnt.
 しばしば、私が雑踏にうんざりして疲れ、
 むかむかする世間から喜んで離れたとき、
 おまえは生き生きと安らぎに満ちた目で
 私を世間や人間と再び和解させてくれたのだ。

5.
Du warst so rein von aller Tück' und Fehle
als schwarz dein krauses Seidenhaar;
wie manchen Menschen kannt' ich, dessen Seele
so schwarz als deine Außenseite war.
 おまえはあらゆる悪意や欠点から離れて清らかなままだった、
 おまえのカールした絹のような毛の黒さと同じぐらいの悪意や欠点から。
 幾人かの人間を私は知っていた、その魂が
 おまえの外側の色と同じぐらい黒い人間を。

6.
Trüb sind die Augenblicke unsers Lebens,
froh ward mir mancher nur durch dich!
Du lebtest kurz und lebtest nicht vergebens;
das rühmt, ach! selten nur ein Mensch von sich.
 我々の人生の瞬間は暗い、
 おまえがいた時だけ私はいくらか明るくなった!
 おまえの命は短かったが無駄に生きたわけではなかった。
 そのことを、ああ!人はめったに褒めないが。

(Andante ma non troppo)
7.
Doch soll dein Tod mich nicht zu sehr betrüben;
du warst ja stets des Lachens Freund;
geliehen ist uns alles, was wir lieben;
kein Erdenglück bleibt lange unbeweint.
 だがおまえが死んでも私はあまり悲しまない。
 おまえはいつも笑わせてくれる友だった。
 私たちが愛したものはすべて借りてきたのだ。
 嘆き悲しまないでいられる地上の幸せなどずっとない。

8.
Mein Herz soll nicht mit dem Verhängnis zanken
um eine Lust, die es verlor;
du, lebe fort und gaukle in Gedanken
mir fröhliche Erinnerungen vor.
 私の心の中で争うべきではない、
 喜びを失ったこの不幸のために。
 さあ、心の中で生き続けて
 私に楽しい思い出を見させておくれ。

詩:Anonymous(詩の作者不詳)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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ベートーヴェンの歌曲「プードルの死に寄せる悲歌」の作曲年代は諸説あり、Beethoven-Haus Bonnのサイトでは1806~1809年の間頃(ベートーヴェン36~39歳)の作曲と記載されていて、平野昭氏の解説では「1787年?94/95年?(ベートーヴェン17歳?24/25歳?)」と記載されていました。また、『ベートーヴェン事典』の藤本一子氏の解説では「1787年頃、または1794/95年の可能性もあり」と記載されていて、初期作品だけれどももしかしたらもっと遅い時期の作曲かもしれないというところでしょうか。

歌詞の作者は知られていませんが、飼っていたプードルの死に際して、これまでどれほど世間の荒波から自分を救ってくれたことかと感謝を述べるという内容です。動物が日常の疲れを癒してくれるというのはいつの世でも同じなのですね。ちなみに私も毎日動物動画を見て心を回復させていただいています。

曲は詩の第1連から第6連までは2連をまとめて1節にした形の有節形式で、ヘ短調でプードルを失った悲しみを歌います。続いて第7連から第8連は同主調のヘ長調に転調し、通作形式で愛犬への感謝を述べて曲を締めくくります。最初の有節形式の箇所は抜粋の形で演奏されることも多いです。

Mesto (悲しげに) - Andante ma non troppo
2/4拍子
ヘ短調(f-moll) - ヘ長調(F-dur)

●プードルはどんな犬?
Rasseportrait: Pudel

この歌曲の歌詞のように「雑踏にうんざりして疲れ」た方は、4分弱のこのプードルの動画がお役に立つと嬉しいです。

●ヘルマン・プライ(BR) & レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)

第1-8節。プライはごく自然な感情表現で、詩に共感を寄せた歌唱を聞かせていて感動的です。

●ペーター・シュライアー(T) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T) & Walter Olbertz(P)

第1,2,7,8節。シュライアーは前半の悲しみと後半の前向きな希望の表現の歌い分けが素晴らしかったです。

●エドウィン・クロスリー=マーサー(BSBR) & ジャン=フランソワ・ジゲル(P)
Edwin Crossley-Mercer(BSBR) & Jean-François Zygel(P)

第5,6,7,8節。クロスリー=マーサーは最初に第3節の1行目を歌いはじめたと思ったら2行目途中から第5節の2行目に移ったので「創造主はおまえにこの揺るぎない忠実さを与えた。おまえにカールした絹のような毛を与えた」という意味になりました。これが最初から詩行をくっつける予定だったのか、ミスなのかは分かりませんが、もしこれが突然のハプニングだったらこれ以上ないぐらい自然に対処したということですね。

●カール・シュミット=ヴァルター(BR) & ミヒャエル・ラウハイゼン(P)
Karl Schmitt-Walter(BR) & Michael Raucheisen(P)

第1-8節。シュミット=ヴァルターは好々爺のような味わい深い声とディクションで引き込まれました。

●動画サイトに音源がアップされていない録音の中では、Constantin Graf von Walderdorff(BSBR) & Kristin Okerlund(P)が、第1,2,3,5,4,6,7,8節の順序で歌っています。また、水越 啓(T) & 重岡麻衣(Fortepiano)の録音でも第1,2,3,5,7,8節が歌われています。3→5→4→6節の順序が最新の研究成果で得られた結果なのかどうかは未確認ですが、何らかの根拠があるのではないかと思われます。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

《プードルの死に寄せる悲歌》——愛犬の死を悲しむ詩をベートーヴェンの音楽が見事に表現

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

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江崎皓介ピアノリサイタル(2021年10月23日 カワイ川口リリアサロン)

江崎皓介ピアノリサイタル/ショパンエチュード全曲

2021年10月23日(土)
開場 14:30/開演 15:00
カワイ川口リリアサロン

江崎皓介(P)

ショパン:エチュード Op. 10-1~12

(休憩:約15分)

ショパン:エチュード Op. 25-1~12

(アンコール)

1. ショパン:夜想曲第2番 変ホ長調 Op. 9-2

2. ショパン:ワルツ第7番 嬰ハ短調 Op. 64-2

3. ショパン:ワルツ第6番 変ニ長調 Op. 64-1「小犬のワルツ」

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昨日、川口リリアのカワイのサロンに行き、一年ぶりに江崎皓介氏の演奏を聴いてきました。
生演奏は今年はじめてです。
某騒動で凄かった去年でさえ3回もコンサートに行ったのに...。
リモートワークが続きプライベートもだんだん出不精になってしまいました。

江崎さんは今回ショパンのエチュードのみでプログラミングし、前半はOp.10の12曲、そして後半はOp.25の全12曲を披露しました。
久しく感じていなかった音のシャワーを浴びる感覚がよみがえってきました。
エチュードといえど、ハノンやバイエルではなく、やはりショパンの芸術作品なのだと実感しました。
有名な曲があちこちに散りばめられていますが、ニックネームが付いていない曲でも馴染みのある曲が多く、それらが全曲まとめて演奏されると、単独で弾かれる時とは違った色合いを放つのが興味深かったです。
やはり江崎さんの演奏は昨年同様響きが美しかったです。
今回特に感じたのは他の演奏ではあまり強調されないような声部を際立たせることで、新鮮な魅力を感じることが出来たことです。内声もそうですが、バス音を強調するだけで随分雰囲気が変わり、聴いていて惹きこまれる箇所が多数ありました(例えばOp.25-2等)。
私の右側ブロックの一番真ん中よりの席からは手はほとんど見れなかったのですが、その代わりペダリングがよく見えて、細やかなペダルの踏みかえが印象に残っています。
ショパンは繊細な印象が強いですが、ドラマティックに畳みかけるところも魅力的ですね。
特に休憩後のOp.25では江崎さんの演奏が鬼気迫るような、何かが乗り移ったかのようなものが感じられて、12曲からなる物語のページを次々にめくっていくようなわくわくする感覚がありました。
曲が終わって次の曲に進むタイミングも音楽の一部なのだなぁとあらためて感じられた演奏でした。

アンコールは3曲でしたが、ツアーが下関、大阪と続くようですので、曲名はそれが終わった頃に追記しようと思います。
1曲目の超有名なあの曲では右手に多くの装飾を施していて興味深かったです。
何かそういう装飾の代替フレーズが記載された楽譜があるのか、それとも江崎さんが創作した装飾なのか気になり、帰り際にお見送りいただいた時に伺おうかとも思ったのですが、お疲れのところ申し訳ないと思い、一言感想をお伝えしてその場を離れてしまいました。

歌曲ファンの立場から今回ショパンのエチュードを聴いていて感じたことなのですが、ヴォルフは意外とショパンの影響を受けているのではないかと思いました。ヴォルフの歌曲のピアノパートに出てくるような音楽が、ショパンの音楽の中にいくつか感じられました。ヴォルフは若い頃音楽評論家でもあったので、その評論をひもとけば何か出てくるかもしれませんね。

余談ですが、昨今ショパンコンクールの日本人お二人の入賞がメディアでも話題になり、本当におめでたいと思いますが、普段クラシックの報道をほとんどしない一般メディアもこういう時はにわかクラシックファンになるのだなぁとひねくれた見方をしてしまいます。
でも、途中で先に進めなかったピアニストの方も素晴らしい演奏をした方がおられましたし、動画でそれぞれの演奏が聴けるので、お気に入りのピアニストをじっくり探すというのも楽しいですね。

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エリー・アーメリング&ルドルフ・ヤンセン他(Elly Ameling, Rudolf Jansen, & others)フランス放送録音(1985年1月28日)

エリー・アーメリング((Elly Ameling)の1985年の初出音源がアップされていました!!
未知だった音源がどんどん発掘されていくのはファンにとってはたまらなく嬉しいです。
1985年のフランスでの放送音源とのことで、プログラムは、フォレ、ラヴェルのアンサンブル版歌曲集とシューベルトの「岩の上の羊飼い」を含む7曲です。

フォレの歌曲集『優れた歌(La bonne chanson)』は抜粋の7曲ですが、おそらくライヴでは全9曲披露されて、ラジオ番組の時間制約上第1曲、第8曲がカットされたのだろうと推測されます。

演奏形態は、フォレが歌+弦楽四重奏+ピアノ、ラヴェルが歌+フルート2+クラリネット2+弦楽四重奏+ピアノ、シューベルトは「岩の上の羊飼い」のみ歌+クラリネット+ピアノで他は歌+ピアノです。

アーメリングは1985年1月&9月にERATOレーベルにラヴェル歌曲集を録音しているのですが、その時の共演メンバーが今回の音源と同じなので、おそらくスタジオ録音と放送用録音を平行して行ったのではないかと推測されます。

そしてアーメリングの歌声、とても素晴らしかったです!相変わらずきめの細かい感触が彼女の歌から感じられます。言葉一つ一つを大切にしながら、フレーズの大きな流れも意識した至芸!
ピアノ、弦楽四重奏、管楽器とのアンサンブルも美しかったです。

それにしてもアーメリングは「岩の上の羊飼い」が好きだったようで、いろんな音源が発掘されていますね(日本では一度も披露されなかったのが意外です)。

An Elly Ameling Recital (France, 1985)

チャンネル名:kadoguy

フランス放送音源
1985年1月28日

エリー・アーメリング(S)
ルドルフ・ヤンセン(P)
ヴィオッティ四重奏団
フィリップ・ゴティエ(FL)
ジャン=ルイ・ボマディエ(FL)
ロラン・スィモンスィニ(CL)
ジャン=マルク・ヴォルタ(CL)

I. ガブリエル・フォレ:『優れた歌』Op. 61 (抜粋)
2. 曙の色がひろがり 0:00
3. 白い月 2:00
4. ぼくは不実な道を歩いていた 4:26
5. ほんとに、ぼくはこわいくらいだ 6:14
6. おまえがいなくなる前に 8:33
7. さて、それは或る明るい夏の日のことだ 10:56
9. 冬は終わった 13:24

II. モリス・ラヴェル:『3つのステファヌ・マラルメの詩』M. 64
溜息 16:27
叶わぬ望み 20:16
臀部より出でて,ひと跳びで 24:08

III. フランツ・シューベルト:
夕映えの中で, D. 799 26:58
月に寄せて, D. 193 31:12
ひそやかな恋, D. 922 34:30
乙女の嘆き, D. 191 38:30
ここにいたこと, D. 775 42:06
若い尼僧, D. 828 46:04

IV. フランツ・シューベルト: 岩の上の羊飼い, D. 965 50:49

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French radio broadcast
28 January 1985

Elly Ameling(S)
Rudolf Jansen(P)
Quatuor Viotti
(Philippe Goulut, violin; Mark Duprez, violin; Pierre Franck, viola; and Hugh Mackenzie, cello)
Philippe Gautier(FL)
Jean-Louis Beaumadier(FL)
Roland Simoncini(CL)
Jean-Marc Volta(CL)

I. Gabriel Fauré: "La bonne chanson", op. 61 (excerpts)
2. "Puisque l'aube grandit" 0:00
3. "La lune blanche luit dans les bois" 2:00
4. "J'allais par des chemins perfides" 4:26
5. "J'ai presque peur, en vérité" 6:14
6. "Avant que tu ne t'en ailles" 8:33
7. "Donc, ce sera par un clair jour d'été" 10:56
9. "L'hiver a cessé" 13:24

II. Maurice Ravel: "Trois Poèmes de Stéphane Mallarmé", M. 64
"Soupir" 16:27
"Placet futile" 20:16
"Surgi de la croupe et du bond" 24:08

III. Franz Schubert: Six Songs
"Im Abendrot", D. 799 26:58
"An den Mond", D. 193 31:12
"Heimliches Lieben", D. 922 34:30
"Des Mädchens Klage", D. 191 38:30
"Daß sie hier gewesen", D. 775 42:06
"Die junge Nonne", D. 828 46:04

IV. Franz Schubert: "Der Hirt auf dem Felsen", D. 965 50:49

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ベートーヴェン「憧れ(Sehnsucht, WoO. 134)」

Sehnsucht, WoO. 134
 憧れ

1:
Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiß, was ich leide!
Allein und abgetrennt
Von aller Freude
Seh ich an's Firmament
Nach jener Seite.
 ただ憧れを知る人だけが
 私が何に苦しんでいるのか分かるのです!
 ひとりぼっちで
 あらゆる喜びから引き離されて
 私は天空の
 あちら側に目をやります。

2:
Ach, der mich liebt und kennt,
Ist in der Weite.
Es schwindelt mir, es brennt
Mein Eingeweide.
Nur wer die Sehnsucht kennt
Weiß, was ich leide!
 ああ、私を愛し、知る方は
 遠方にいるのです。
 私は眩暈がして、
 はらわたがちくちく痛みます。
 ただ憧れを知る人だけが
 私が何に苦しんでいるのか分かるのです!

詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832), "Mignon", written 1785, appears in Wilhelm Meisters Lehrjahre, first published 1795
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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古今東西の作曲家たちの作曲意欲を掻き立てたゲーテの「ただ憧れを知る人だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt)」は、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(Wilhelm Meisters Lehrjahre)』第4部第11章でミニョンと竪琴弾きによって歌われるという設定になっていますが、ベートーヴェンは1808年初頭に3種類、1810年に1種類の計4作ソプラノ独唱用に作曲しました。
いずれも前作の改訂というわけではなく個別の異なる作品として4回作曲されています。第1作のみ1808年に雑誌に掲載されたそうですが、1810年にKunst und Industrie Comptoir.から出た際は、4作まとめて「ピアノ伴奏付きの4つの旋律を伴ったゲーテによる憧れ」(Die Sehnsucht / von / Göthe / mit vier Melodien nebst Clavierbegleitung)として出版されました(楽譜の歌声部の冒頭に"Soprano"と記載されています)。初版は歌声部の音符記号がソプラノ記号(ハ音記号)で記載されていますが、ベートーヴェンの自筆楽譜もソプラノ記号だったので、そのまま初版で生かしたということになります(旧全集ではト音記号に変更されていました)。

同じ年に作られた第1作から第3作まではすべて詩の6行を1節にした2節からなる有節形式で作曲されています。
調は第1,2作がト短調で主人公の苦悩を響かせますが、第3作は変ホ長調で穏やかな曲調です。長調で有節形式だと「眩暈がして、はらわたがちくちく痛みます」の詩句も第三者的に穏やかに過ぎてしまいますが、これはこれで一つの可能性を探ったのでしょう。
拍子は1作から3作まですべて異なり、ベートーヴェンがいろいろな表現を試していたのだと想像されます。

一方2年後に作曲した第4作は調こそ第1,2作のト短調に回帰しているものの、はじめて通作形式を取り入れ、全体で一つの感情の流れを追う形になっているのが新しいところです。
ベートーヴェンは"Allein und abgetrennt"の箇所に細かく8分休符を入れ、"Allein / und ab- / getrennt / von ~"(スラッシュ箇所が8分休符)のように分けて歌うように記していますが、これは"abgetrennt(引き離されて)"という言葉の意味を反映しているのでしょう。
「ああ、私を愛し、知る方は遠方にいるのです。」の箇所で明るい響きになりますが、いとしい人のことを思った時の心情がふっと挿入されているようで空気が変わるのが感じられます。
「眩暈がして、はらわたがちくちく痛みます」でピアノの和音を細かく刻ませてドラマティックな効果を生み出しているところは特筆すべきでしょう(のちのシューベルトの作品(D877-4)はこのベートーヴェン第4作の影響を受けているように思われます)。
最後に"Weiß, was ich leide!"の詩句を繰り返す前に"ja"という言葉を追加しているのは、単に歌の旋律にあてはまる言葉を追加したというだけでなく、ベートーヴェンのこの詩句への思い入れが感じられました。

第1作の「Freude」「Eingeweide」の最後の音節、第4作の「Eingeweide」の最後の音節は、次の音程に向けてポルタメントのように間を音符で埋めています。この手法は私の印象では歌曲ではあまり見られず、オペラアリア的に感じました。ちなみに第2作、第3作は上述の箇所の最後の音節と次の音節が同音程の為、ポルタメントにしようがなかったということは言えると思いますが、もし違う音程だったらポルタメントにしていたのかどうか気になるところです。

なお、ゲーテのこの詩に作曲した複数の作曲家による演奏を以前の記事でまとめていますので、興味のある方はこちらもご覧いただけると幸いです。

【No. 1】
4/4拍子
ト短調 (g-moll)
Andante poco Agitato(旧全集ではAndante poco Adagioと記載されています。誤りか意図的かは不明ですが、新全集の校訂報告を見れば何か掲載されているかもしれません)
2節の有節形式

【No. 2】
6/8拍子
ト短調 (g-moll)
Poco Andante
2節の有節形式

【No. 3】
3/4拍子
変ホ長調 (Es-dur)
Poco Adagio
2節の有節形式

【No. 4】
6/8拍子
ト短調 (g-moll)
Assai Adagio
通作形式

●【第1作】アデーレ・シュトルテ(S), ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S), Walter Olbertz(P)

シュトルテの響きの切なさがしっとりと伝わってくる名唱でした。

●【第1作】エリーザベト・ブロイアー(S), ベルナデッテ・バルトス(P)
Elisabeth Breuer(S), Bernadette Bartos(P)

ブロイアーは古楽歌手のような清冽な響きで主人公の心痛を丁寧に表現していました。

●【第2作】アデーレ・シュトルテ(S), ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S), Walter Olbertz(P)

同じ音を続けたり徐々に隣り合った音にスライドしていく歌声部の効果なのか、訴えかけてくる印象が強いです。このノスタルジックな曲調とシュトルテの清澄な響きが美しく溶け合っていました。

●【第2作】イアン・ボストリッジ(T), アントニオ・パッパーノ(P)
Ian Bostridge(T), Antonio Pappano(P)

竪琴弾きの視点からの歌唱ということになるのでしょう。ボストリッジの持ち味ゆえか、ちょっと斜に構えたピリピリした感じが新鮮でした。

●【第3作】アデーレ・シュトルテ(S), ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S), Walter Olbertz(P)

第3作の長調の響きはどこか第三者的な印象を受けますが、苦悩を内に隠して平然を装っている風にもとることは出来ると思います。シュトルテはここで優しい表情を聞かせてくれます。

●【第3作】イリス・フェアミリオン(MS), ペーター・シュタム(P)
Iris Vermillion(MS), Peter Stamm(P)

フェアミリオンは主人公の心痛を自ら癒すかのように静かに歌っていました。

●【第4作】アデーレ・シュトルテ(S), ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S), Walter Olbertz(P)

8分の6拍子のたゆたうようなリズムに悲痛な心情が込められ、聞き手がすっと感情移入してしまう傑作だと思います。シュトルテの可憐であるがゆえに悲痛な表現がより強く聴き手に迫ってくるように感じました。そしていつもながらオルベルツが見事にドラマを作っていて素晴らしかったです。

●【第4作】バーバラ・ヘンドリックス(S), ルーヴェ・デルヴィンゲル(P)
Barbara Hendricks(S), Love Derwinger(P)

円熟期のヘンドリックスの粘りのある暗めの声質がこの曲の表現にぴったりでした。彼女は後半装飾も加えていました。

(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

《憧れ》全4作——ゲーテの同じ詩で異なる歌を4回作曲!(平野昭)

『ベートーヴェン事典』:1999年初版 東京書籍株式会社(歌曲の解説:藤本一子)

IMSLP (楽譜のダウンロード)

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ジェラール・スゼー&ドルトン・ボールドウィン/1961年リサイタル音源(france musique)

Récital de Gérard Souzay et Dalton Baldwin en 1961
https://www.francemusique.fr/emissions/les-tresors-de-france-musique/recital-de-gerard-souzay-et-dalton-baldwin-en-1961-98546

フランスのバリトン、ジェラール・スゼー(Gérard Souzay: 1918-2004)とアメリカのピアニスト、ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin: 1931-2019)は歌曲演奏の名コンビとして広く知られていますが、ヘンデル、パーセル、シューベルト、ドビュッシー、ヴィラ=ローボスの作品による音源がfrance musiqueのサイトで公開されていました。

スゼーは言わずと知れたフランス歌曲の名人ですが、実は多言語のレパートリーを持ち、中田喜直の歌曲も以前録音しています(おそらくCD化はされていませんが)。今回の音源の中ではポルトガル語の作品(ヴィラ=ローボス)も歌っています。

ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」もレパートリーだったとは知りませんでした。
パーセルの軽快な歌いぶり、シューベルトの多様性、十八番のドビュッシー(夕暮れに因んだ3曲)など聴きどころ満載でスゼー42歳の絶頂期の美声と表現を堪能できます。それから彼と切り離せない存在のボールドウィンの完璧なまでに一体となった素晴らしい演奏もぜひお聞きください。

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ジェラール・スゼー(BR)
ドルトン・ボールドウィン(P)

1961年5月12日録音

(5:01-)
ヘンデル:オンブラ・マイ・フ(これほどの木陰はなかった)

(9:03-)
パーセル:男は女のために作られていて
パーセル:ニンフと羊飼い
パーセル:バラよりも甘く

(15:28-)
シューベルト:悲しみ D 772
シューベルト:春の思い D 686
シューベルト:春への憧れ D 957-3
(24:40-)
シューベルト:小人 D 771
シューベルト:酒神讃歌 D 801
シューベルト:星 D 939

(36:48-)
ドビュッシー:美しい夕暮れ
ドビュッシー:夕暮れのハーモニー(『5つのボドレールの詩』より)
ドビュッシー:夕暮れ(『叙情的散文』より)

(47:37-)
ヴィラ=ローボス:モジーニャ(『セレスタス』より)
ヴィラ=ローボス:Saudades da Minha Vida (『セレスタス』より)
ヴィラ=ローボス:ノザニ・ナ(『ブラジル風カンサン』より)
ヴィラ=ローボス:天の星は新しい月だ(『ブラジル風カンサン』より)

(55:43-)
R.シュトラウス:明日!

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Gérard Souzay, baryton
Dalton Baldwin, piano

Georg Frederic Haendel:
Serse, HWV 40 - "Ombra mai fu"

Henry Purcell:
The Mock Marriage, Z 605 - "Man is for woman made
The Libertine or The Libertine Destroyed, Z 600 - "Nymphs and Shepherds"
Pausanias The Betrayer of His Country, Z 585 - "Sweeter than roses"

Franz Schubert:
Wehmut, D 772
Frühlingsglaube, D 686
Schwanengesang, D 957 - n°3 - "Frühlingssehnsucht"
Der Zwerg, D 771
Dithyrambe, D 801
Die Sterne, 939

Claude Debussy:
Beau Soir, L 84
5 Poèmes de Charles Baudelaire, L 70 - n°2 - "Harmonie du soir"
Proses Lyriques, L 84 - n°4 - "De soir..."

Heitor Villa-Lobos:
14 Serestas, W 216 - n°5 - "Modinha"
14 Serestas, W 216 - n°4 - "Saudades da Minha Vida"
13 Cancoes Tipicas Brasileiras, W 158 - n°2 - "Nozani Na"
13 Cancoes Tipicas Brasileiras, W 158 - n°5 - "Estrela é lua nova"

Richard Strauss:
Morgen!, Op. 27-4

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ベートーヴェン「恋する女性が別れを望んだとき、あるいはリューディアの不実における感情(Als die Geliebte sich trennen wollte, oder Empfindungen bei Lydiens Untreue, WoO. 132)」

Als die Geliebte sich trennen wollte, oder Empfindungen bei Lydiens Untreue, WoO. 132
 恋する女性が別れを望んだとき、あるいはリューディアの不実における感情

Der Hoffnung letzter Schimmer sinkt dahin,
Sie brach die Schwüre all' mit flücht'gem Sinn;
So schwinde mir zum Trost auch immerdar
Bewußtsein, Bewußtsein, daß ich zu glücklich war!
 希望の最後のともしびが沈み去る、
 彼女は出来心で誓いをみな破った。
 だから慰めのためにも永久に私から消えておくれ、
 あまりに幸せだったという意識よ、意識よ。

Was sprach ich? Nein, von diesen meinen Ketten
Kann kein Entschluß, kann keine Macht mich retten;
Ach! selbst am Rande der Verzweifelung,
Bleibt ewig, bleibt ewig süß mir die Erinnerung!
 私はいったい何を話しているんだ?いや、この私を縛るものから
 自分を救うことの出来る決断もなければ力もない。
 ああ!絶望のふちにいてさえも
 永遠に、永遠に思い出は甘美なままだ!

Ha! holde Hoffnung, kehr' zu mir zurücke,
Reg' all mein Feuer auf mit einem Blicke,
Der Liebe Leiden seien noch so groß,
Wer liebt, wer liebt, fühlt ganz unglücklich nie sein Los!
 さあ!いとしい希望よ、私のもとに戻ってきておくれ、
 一瞥で私のすべての炎をかきたてておくれ、
 愛の苦悩がまだこれほど大きくても、
 愛する者は、愛する者は、自分の運命を決して不幸とは思わない。

Und du, die treue Lieb' mit Kränkung lohnet,
Fürcht' nicht die Brust, in der dein Bild noch wohnet,
Dich hassen könnte nie dies fühlend' Herz,
Vergessen, vergessen? eh' erliegt es seinem Schmerz.
 そしておまえ、誠実な愛に侮辱で報いるおまえ、
 おまえの姿がまだ住みついたままのこの胸を恐れないでくれ、
 この繊細な心はおまえを憎むことなど出来ないし、
 まして忘れる、忘れることなど出来ようか、むしろ心の苦痛に屈するほうがましだ。

詩:Stephan von Breuning (1774-1827)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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歌曲「恋する女性が別れを望んだとき、あるいはリューディアの不実における感情」はフランス語の詩をもとにしたシュテファン・フォン・ブロイニング(Stephan von Breuning: 1774-1827)のドイツ語の訳詩に1806年5月から1809年11月の間に作曲されました。オリジナルの詩はかつてはフレデリック・スリエ(Frédéric Soulié)の作とみなされていましたが、現在ではフランソワ・ブノワ・オフマン(François Benoît Hoffmann: 1760-1828)の詩"Je te perds, fugitive espérance"であることが判明しています。

ベートーヴェンの曲は4節からなる変形有節形式で、第4節でピアノ声部に大きな変化が聞かれ、歌声部も終結を意識した形になっています。不実を働かれたという内容にもかかわらずどこか能天気な音楽は失恋に耐性が付いている主人公を描いているのでしょうか。

第2節最終行の"die Erinnerung"の"die Er-"はそれぞれ十六分音符があてられていて非常に発音が難しそうです。前節の第4行より1音節多いので仕方ないのかもしれませんが。

4/4拍子
変ホ長調 (Es-dur)
Sehr bewegt (非常に活発に)

●アン・ソフィー・フォン・オッター(MS), メルヴィン・タン(Fortepiano)
Anne Sofie von Otter(MS), Melvyn Tan(Fortepiano)

この恋人に裏切られた男の詩を、オッターはコケティッシュに歌い、あわよくば復縁できるかもと考える少年のようです。タンのフォルテピアノは感情豊かなオッターと素晴らしく一心同体になっていました。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)

F=ディースカウの堂々たる歌唱はどこか冷静に事態を外側から見ているような印象です。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

「非常に活発な」というベートーヴェンの指示よりは落ち着いたゆったりしたテンポですが、さすがシュライアーは芝居っけたっぷりに演じてみせます。

●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)

プライの歌からは酸いも甘いも嚙み分けた男性像が思い浮かびます。

●ロデリック・ウィリアムズ(BR), イアン・バーンサイド(P)
Roderick Williams(BR), Iain Burnside(P)

ウィリアムズのゆっくりとしたテンポでの噛みしめるような歌唱から、強がってみせても悲哀が感じられる男性が感じられました。

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(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

Hyperion Records

「恋人が別れたいと思ったとき」——大作に挟まれた感情豊かな歌曲 (平野昭)

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ベートーヴェン「希望に寄せて(An die Hoffnung, Op. 32 / Op. 94)」(第1作/第2作)

An die Hoffnung, Op. 32 / Op. 94
 希望に寄せて

1:(Op.94:1節)
Ob ein Gott sei? Ob er einst erfülle,
Was die Sehnsucht weinend sich verspricht?
Ob, vor irgendeinem Weltgericht,
Sich dies rätselhafte Sein enthülle?
Hoffen soll der Mensch! Er frage nicht!
 神はいるのかどうか。神はいつかかなえるのか、
 憧れが泣きながら期待しているものを。
 最後の審判とかいうものの前に
 この謎めいた存在が正体をあらわすのか。
 人間は望むべきだ!問うなかれ!

2:(Op.32:1節 / Op.94:2節)
Die du so gern in heil'gen Nächten feierst
Und sanft und weich den Gram verschleierst,
Der eine zarte Seele quält,
O Hoffnung! Laß, durch dich empor gehoben,
Den Dulder ahnen, daß dort oben
Ein Engel seine Tränen zählt!
 あなたが喜んで聖夜に祝い、
 穏やかにやさしく
 繊細な魂を苦しめる悲嘆を隠すもの、
 おお、希望よ!あなたに高く持ち上げられ、
 耐え忍んでいる者に予感させておくれ、あの上方で
 天使が涙の数を数えていると!

3:(Op.32:2節 / Op.94:3節)
Wenn, längst verhallt, geliebte Stimmen schweigen;
Wenn unter ausgestorb'nen Zweigen
Verödet die Erinn'rung sitzt:
Dann nahe dich, wo dein Verlaßner trauert
Und, von der Mitternacht umschauert,
Sich auf versunk'ne Urnen stützt.
 とうに音は消え、愛する声が押し黙るとき、
 枯れて荒れ果てた枝の下で
 思い出が腰をおろすとき、
 近づくのだ、あなたに見捨てられた者が嘆き悲しみ、
 真夜中に身震いし、
 沈められた壺に身を預けている場所に。

4:(Op.32:3節 / Op.94:4節)
Und blickt er auf, das Schicksal anzuklagen,
Wenn scheidend über seinen Tagen
Die letzten Strahlen untergehn:
Dann laß' ihn um den Rand des Erdentraumes
Das Leuchten eines Wolkensaumes
Von einer nahen Sonne seh'n!
 そして彼は運命をとがめるべく仰ぎ見る、
 彼の日々に別れを告げながら
 最後の光が沈むときに。
 地上の夢のふちに
 近くの太陽から雲のふちに当たる光を
 彼に見せておくれ!

詩:Christoph August Tiedge (1752-1841), no title, appears in Urania, in Erster Gesang (Klagen des Zweiflers)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827),
An die Hoffnung, op. 32, stanzas 2-4
An die Hoffnung, op. 94, stanzas 1-4,2

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クリストフ・アウグスト・ティートゲの『ウラーニア(Urania)』という作品に登場する「希望に寄せて」という詩に、ベートーヴェンは2回時期をあけて作曲しました。下記参考文献のリンク先にある平野昭氏の文章によると、ベートーヴェンとティートゲは親交があったそうです。

1805年2月~3月作曲の「希望に寄せて」第1作は、上記の詩の2-4連(作曲当時のティートゲの版では上記の1連はありませんでした)に完全な有節形式で作曲され、作品番号32として1805年に出版されました。穏やかな曲調で聴き手を静かに慰撫しているように感じられます。ピアノは、歌がないところでは弧を描くような分散和音で美しく主張しますが、歌と一緒の箇所は控えめな伴奏の枠内におさまっています。

その10年後の1815年初頭作曲の第2作は、ティートゲの詩の改作を知ったベートーヴェンが、前作の冒頭の前にあらたに追加された連(行数が1行少ない5行からなり、これまでの弱強ではなく強弱のリズムになっています)を含めたすべてに通作形式で作曲し、最後に第2連を同じ音楽で繰り返します。作品番号94として1816年に出版されました。
第1連はレチタティーヴォ風に曲がつけられています。第1連最後の終わり方もレチタティーヴォ風ですが、ベートーヴェンは下記の譜例のように"Er frage nicht"を「ラファミド」と記譜しています。これはレチタティーヴォの慣例的には「ラファミレド」とレが加わるように思えます。ベートーヴェンが慣例でレを書かなくても演奏者に伝わると思ったのか、それともレを歌わないでほしいと思ったのかはベートーヴェンの記譜法を研究しないとはっきりと断言は出来ませんが、おそらくレは記譜の慣例で書かないだけで実際には加えて歌われることを想定していたのではないかという気がします。
様々な演奏家がどう扱っているかを調べてみたところ、F=ディースカウはクルスト、ムーア、デームス、ヘルすべての録音で「レ」を加えず表記された音のみで歌っていましたが、プライは一番最初のムーアとの録音では「レ」を加えず、後のホカンソンとの2種類では「レ」を加えていました。シュライアーもオルベルツ盤では「レ」を加えず、シフ盤では加えていました。パドモアやエインスリーなど古楽系の歌手は「レ」を加えているのは想定内でしたが、同じ古楽系でもヴェルナー・ギューラは「レ」を加えていませんでした。結局のところ正解はなく、演奏家の解釈によるということでしょう。

An-die-hoffnung-1←クリックすると拡大します。

第2連から頻繁に曲想が変わります。第2連は曲の最後に再度同じ音楽を繰り返しており、ベートーヴェン自身がこのテキストの中のハイライトとみなしたのではないでしょうか。「天使が涙の数を数えている」のクライマックスに向けて美しい旋律が聞かれます。
第3連では歌声部の途中に休符がさしはさまれていますがあたりの音が消えて聞こえにくくなっている様を表現しているように思います。
第4連ではピアノが最初の和音連打から分散和音に移っていきますが、分散和音もどんどん細かくなり、歌とともに高揚していきます。
曲の最後に"O Hoffnung(おお希望よ)"の詩句を繰り返して終わりますが、このHoffnungがソ→ミとなるように見せかけて、ソ→ドで終わるのが意表をつかれます。希望へ語りかけるというよりは、すでに希望を見出して心の平安を得た境地にいたったのかもしれません。
歌声部もピアノパートも演奏しにくそうな印象を受けますが、聞くたびに感銘を与えてくれる名作だと思います。

●第1作(Op. 32)
Poco adagio
3/4拍子
変ホ長調(Es-dur)

●第2作(Op. 94)
Poco sostenuto - Allegro - Larghetto - Adagio - Tempo I
2/2拍子 - 4/4拍子
変ロ短調(b-moll)→頻繁に転調する

●第1作(Op. 32)
マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

ゲルネの包み込むような深い声から、希望が常に見守っているかのような安心感を感じました。

●第1作(Op. 32)
ヴェルナー・ギューラ(T), クリストフ・ベルナー(Fortepiano)
Werner Güra(T), Christoph Berner(Fortepiano)

ギューラは福音史家のように情景を眼前に浮かばせてくれます。フォルテピアノの響きがなんとも味わい深いです。

●第1作(Op. 32)
イリス・フェアミリオン(MS), ペーター・シュタム(P)
Iris Vermillion(MS), Peter Stamm(P)

1997年5&10月録音。フェアミリオンの落ち着いた声がしっとりと包み込んでくれるかのようです。

●第2作(Op. 94)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Jörg Demus(P)

フィッシャー=ディースカウは自らが「希望」であるかのように隙のない堂々たる歌唱を聞かせていました。

●第2作(Op. 94)
ヘルマン・プライ(BR) & ジェラルド・ムーア(P)
Hermann Prey(BR) & Gerald Moore(P)

プライは熱量が増してきて泣きが入るところが人間味があっていいなぁと思いました。希望に対して若さゆえの情熱をもって語り掛けているようです。

●第2作(Op. 94)
ペーター・シュライアー(T) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T) & Walter Olbertz(P)

シュライアーが歌うと「希望」が宗教的な意味合いを強めているように感じられます。ゆったりめのテンポで民衆に説いて聞かせるような趣がありました。

●第2作(Op. 94)
マーク・パドモア(T), クリスティアン・ベザイデンハウト(Fortepiano)
Mark Padmore(T), Kristian Bezuidenhout(Fortepiano)

上述した譜例箇所で「レ」を歌っている例です。パドモアの清冽な歌唱もいいですね。

<参考>
The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn
Op. 32
Op. 94

「希望に寄せて」——ベートーヴェンの恋心が乗せられた歌曲(平野昭)

詩の改作を知ってベートーヴェンも再作曲! 希望に寄せて(第2作)(平野昭)

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