ベートーヴェン「うずらの鳴き声(Der Wachtelschlag, WoO 129)」
Der Wachtelschlag, WoO 129
うずらの鳴き声
[Ach! wie (Horch, wie)]1 schallt's dorten so lieblich hervor;
Fürchte Gott!
Fürchte Gott!
Ruft mir die Wachtel in's Ohr!
Sitzend im Grünen, von Halmen umhüllt,
Mahnt sie den Horcher [im Schattengefild (am Saatengefild)]2:
Liebe Gott!
Liebe Gott!
Er ist so [gütig, so (gütig und)]3 mild.
ああ!(聞け、)あそこからなんと愛らしい鳴き声が響いてくることか。
神を畏れよ!
神を畏れよ!
と、うずらが私の耳に向けて鳴いている。
緑野に座り、わらに覆われて、
日陰の野原(耕地)で、うずらは聞き耳を立てる者に向けて勧告するのだ、
神を愛せ!
神を愛せ!
神はとても親切で穏やかだ、と。
Wieder bedeutet ihr hüpfender Schlag:
Lobe Gott!
Lobe Gott!
Der dich zu lohnen vermag.
Siehst du die herrlichen Früchte im Feld,
Nimm es zu Herzen, Bewohner der Welt!
Danke Gott!
Danke Gott!
Der dich ernährt und erhält.
再びうずらのはずんだ鳴き声が意味しているのは、
神を讃えよ!
神を讃えよ!
神はあなたに報いることができる、ということだ。
畑に立派な果実が見えるならば
心に受けとめなさい、この世の住民よ!
神に感謝せよ!
神に感謝せよ!
神はあなたを養い、面倒をみてくださるのだ。
Schreckt dich im Wetter der Herr der Natur,
Bitte Gott!
Bitte Gott!
Ruft sie, er schonet die Flur.
Machen Gefahren der Krieger dir bang,
Traue Gott!
Traue Gott!
Sieh, er verziehet nicht lang!
自然の主が悪天候であなたを驚かせるとき、
神に祈れ!
神に祈れ!
と、うずらが鳴くと、神は野をいたわってくださる。
戦士が不安なあなたを危険にさらすとき、
神を信頼せよ!
神を信頼せよ!
見よ、神は長く待たせることはないのだ!
1 Beethoven (first print), and Schubert: "Ach, mir"; Sauter (1811 edition), and Beethoven (Breitkopf & Härtel): "Horch, wie"
2 Sauter (1811 edition), Beethoven (Breitkopf & Härtel), and Schubert (Alte Gesamtausgabe): "am Saatengefild"
3 Beethoven (Breitkopf & Härtel): "gütig und"
詩:Samuel Friedrich Sauter (1766-1846), "Der Wachtelschlag", written 1796, first published 1799
曲:Ludwig van Beethoven (1770 - 1827), "Der Wachtelschlag", WoO 129 (1803)
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詩は、学校の先生だったザムエル・フリードリヒ・ザウターによって1796年に書かれ、1799年に初版が出版されました。この詩はいくつかの異なる版があったようで、ベートーヴェンの作品も出版譜によって異なるテキストになっている箇所があります。上記のテキストで[ ]で囲まれている箇所が版による違いのある箇所です。( )内はベートーヴェンの死後に出版された旧全集に掲載されたもので、詩人の詩句の変更を反映しているのでこちらで歌われることが多いようですが、ベートーヴェン自身による変更ではないものと思われます。
うずらの鳴き声特有のリズムから詩人は「Fürchte Gott!(神を畏れよ!)」「Liebe Gott!(神を愛せ!)」「Lobe Gott!(神を讃えよ!)」「Danke Gott!(神に感謝せよ!)」「Bitte Gott!(神に祈れ!)」「Traue Gott!(神を信頼せよ!)」という3音節からなる神へのメッセージを聞き取り、それをうずらからの神への賛歌として詩にしました。
ベートーヴェンはこの詩に1803年4月上旬に作曲しました。この年の9月後半にベートーヴェンはライプツィヒのブライトコプフ&ヘルテル(Breitkopf & Härtel)に出版の打診の手紙を送りましたが、結局実現せず、翌1804年にWiener Kunst- und Industrie-Comptoir (Bureau des Arts et d'Industrie)から出版されました。
うずらの鳴き声を模したタッタタンという付点リズムが曲全体を通して歌にもピアノにもあらわれ、途中の嵐や戦士に言及される箇所なども描写的に表現されています。
1980年代にエディト・マティス&小林道夫のコンサートの録画がNHKで放送され、その時にこの曲がとりあげられていて、面白い曲だなぁと思った記憶があります。
2/4拍子
ヘ長調(F-dur)
Larghetto
ちなみに同じテキストにシューベルトも1822年に作曲しています(Der Wachtelschlag, D 742, Op. 68)。
シューベルトの詩の改変や第3節の行の削除(Tröstet mich wieder der Wachtelgesang:)がベートーヴェンと同じであることから、シューベルトはザウターの詩集ではなく、ベートーヴェンの作品を見て作曲したのかもしれません。
●うずらの鳴き声
Wachtelschlag - Balzruf der Europäischen Wachtel im Wildpark-MV
うずらの特徴的なタッタタンという鳴き声が聞けます。
●フリッツ・ヴンダーリヒ(T), フーベルト・ギーゼン(P)
Fritz Wunderlich(T), Hubert Giesen(P)
1965年Salzburgライヴ。どこまでも甘美で力強く響くヴンダーリヒの美声と表現力の素晴らしさにただ聴きほれます!
●ペーター・シュライアー(T) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T) & Walter Olbertz(P)
シュライアーは物語を読み聞かせるようにめりはりのきいたディクションで聞き手を引きこんでくれます。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Jörg Demus(P)
楽譜が表示されるので見ながら聴くとF=ディースカウがいかに楽譜を尊重して演奏しているかが分かります。デームスも推進力のある演奏で良かったです。
●ヘルマン・プライ(BR) & レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)
円熟期のプライはこの曲を甘美に優しく歌っており、嵐の描写の箇所でさえ劇的になり過ぎず、うずらの愛おしさを感じさせる歌唱でした。
●エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S), エトヴィン・フィッシャー(P)
Elisabeth Schwarzkopf(S), Edwin Fischer(P)
1954年イタリアTorino放送録音。シュヴァルツコプフの気品のある歌声が神への賛歌にふさわしく感じられます。
●ジョン・マーク・エインスリー(T), イアン・バーンサイド(P)
John Mark Ainsley(T), Iain Burnside(P)
爽やかなエインスリーの美声は耳に心地よいです。バーンサイドの雄弁なピアノも良かったです。
●シューベルト作曲「うずらの鳴き声(Der Wachtelschlag, D 742, Op. 68)」
フリッツ・ヴンダーリヒ(T), ルートヴィヒ・クッシェ(P)
Fritz Wunderlich(T), Ludwig Kusche(P)
1965年録画。シューベルトによる作品は、うずらのリズムはベートーヴェンと同じですが、変形有節形式で、第3節の嵐の箇所も短調にすることで嵐をほのめかす趣です。美声テノール、ヴンダーリヒの貴重な映像が見られるのが嬉しいです!
<参考>
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コメント
>3音節からなる神へのメッセージを聞き取り、それをうずらからの神への賛歌として詩にしました。
うずらからの神への賛歌という着想が、またすごいですね。なかなか思い浮かびません。
うずらの鳴き声も、初めて聞きました。
伸びやかなで甘美なヴンダーリヒのライヴ、聞き惚れますね!
あまりの才能に神様は、お側に置きたくて召されたのかと思うほど、素晴らしい歌手です。
シュライアーは、語りが巧みですね。そこからのディースカウさん。
かつて、エリカ·ケイトが、
「イタリア語を歌に向く言葉、フランス語を愛を語る言葉、ドイツ語を詩を作る言葉」と、語ったそうです。(劇団四季の浅利慶太さんの自著にあるそうです。)
シュライアーやディースカウさんの演奏を聞くと、この言葉を思い出します。
ちなみに、日本語は、「人を敬う言葉です」と、言って下さったそうです。
プライさんは、自伝の中で、エリカ·ケートを魅力的な同僚と、書いていました。
そのプライさんですが、三節の何回目かの、
Bitte Gott!、Traue Gott!
の優しい甘い歌い口が素敵です。
ヴンダーリヒ&プライの声を聞いていると、この二人の声は二重唱で良く混じり合うのがよく分かりますね。
ソプラノで聞くと、印象が全く違いますね。人間の声帯は、男性と女性とでは、日本人ですが、8ミリしか違わないそうです。
それでこんなにも音が変わるのが、昔から神秘でした。
シュワルツコップは本当に気品に満ちていますね。これが、神への賛美の歌だと思い起こさせてくれますね。
エインスリーも爽やかな美声で魅力的ですね。繊細なテノールと雄弁なピアノの共演が印象的でした。
シューベルトでのヴンダーリヒの映像、貴重ですね。
リズムが一緒なので、似た曲にも聞こえますね。
どちらの作曲が先なのでしょうか。
影響を受けたのかな、と。
シューベルトは、ベートーベンのような交響曲を書きたいと思い、ベートーベンはシューベルトのような歌曲が書きたいと思ったそうですね。
投稿: | 2021年9月11日 (土曜日) 15時00分
すみません。名前もご挨拶も抜けましたが、私です(^_^;)
投稿: 真子 | 2021年9月11日 (土曜日) 15時16分
真子さん、こんにちは。
早速コメントをくださり、有難うございます!
お名前は書かなくても真子さんの文章だなと分かりますので大丈夫ですよ。
今日たまたま用事の帰りに図書館に行ったらベートーヴェン事典という立派な解説本があり、ベートーヴェンの歌曲ほぼ全曲を藤本一子さんという方が解説されていたのでコピーしてきました。藤本さんによると
「鋭い響きの「うずら」の声は古来,神の警告の声として宗教詩などにうたわれてきた。」(『ベートーヴェン事典』(1999年初版 東京書籍))と書かれてありました。うずらの声に以前からそういう意味合いがこめられていたようですね。
ヴンダーリヒの甘い美声は神様も聞きたくなるほどでしょうね。
シュライアーとF=ディースカウはおっしゃるように語りが巧みですよね。エリカ・ケートがそういうことをおっしゃっていたのですね。はじめて知りました。分かる気がします。プライやディースカウにとってちょうど同世代にあたるんでしょうね。
プライも甘い美声に引き付けられますね。
声帯は男女で8mmほどの違いなのですね。日本の音楽好きなお医者さんが来日演奏家の喉の治療をした時のことを本にしていて、シュヴァルツコプフはかなり長くてしっかりした声帯をもっていたと書かれてあった記憶があります。声帯の違いは声質と関連が深いのかもしれませんね。
>どちらの作曲が先なのでしょうか。
これはベートーヴェンが1803年で、シューベルトが1822年なのでベートーヴェンがかなり先に書いたことになりますね。そしてベートーヴェンの詩の改変とシューベルトの詩の改変が一致していることから、シューベルトはベートーヴェンのこの作品の詩を見て作曲したのではないかと推測されています。
ベートーヴェンとシューベルトは同じ町に住んでいてお互い意識はしていたでしょうが、もし二人が手を組んで何か作品をつくっていたらとつい想像してしまいます。
投稿: フランツ | 2021年9月11日 (土曜日) 15時44分