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ベートーヴェン「懺悔の歌(Bußlied, Op. 48, No. 6)」(『ゲレルトの詩による6つの歌曲』より)

Bußlied, Op. 48, No. 6
 懺悔の歌

1:
An dir, allein an dir hab ich gesündigt,
Und übel oft vor dir getan.
Du siehst die Schuld, die mir den Fluch verkündigt;
Sieh, Gott, auch meinen Jammer an.
 あなたに、あなたにだけ私は罪を犯し、
 しばしばあなたの前で悪いことをしました。
 あなたはその罪をご覧になりました、私に天罰を告げる罪を。
 神よ、私の不幸もご覧ください。

2:
Dir ist mein Flehn, mein Seufzen nicht verborgen,
Und meine Tränen sind vor dir.
Ach Gott, mein Gott, wie lange soll ich sorgen?
Wie lang entfernst du dich von mir?
 私の懇願、私の嘆息はあなたにはお見通しで
 私の涙はあなたの御前にあります。
 ああ神よ、わが神よ、どれほどの間私は心配すればいいのでしょう。
 どれほどの間あなたは私から離れておられるのでしょうか。

3:
Herr, handle nicht mit mir nach meinen Sünden,
Vergilt mir nicht nach meiner Schuld.
Ich suche dich, laß mich dein Antlitz finden,
Du Gott der Langmut und Geduld.
 主よ、私の罪によって私と取引しないでください、
 私のとがによって私に報いないでください、
 私はあなたをさがしています、あなたの顔を見つけさせてください、
 あなた、寛容と忍耐の神よ。

4:
Früh wollst du mich mit deiner Gnade füllen,
Gott, Vater der Barmherzigkeit.
Erfreue mich um deines Namens willen,
Du bist mein Gott, der gern erfreut.
 早くもあなたは私をあなたの恩寵で満たそうとしておられる、
 神よ、慈悲の父よ。
 あなたの名前ゆえに私を喜ばせてください、
 あなたは私の神で、心から喜ばせてくださるのです。

5:
Laß deinen Weg mich wieder freudig wallen
Und lehre mich dein heilig Recht
Mich täglich tun nach deinem Wohlgefallen;
Du bist mein Gott, ich bin dein Knecht.
 あなたの道を私に再び喜びをもって歩かせてください、
 そして私にあなたの聖なる法を教えてください。
 毎日私をあなたの意にかなうままにしてください。
 あなたは私の神で、私はあなたのしもべです。

6:
Herr, eile du, mein Schutz, mir beizustehen,
Und leite mich auf ebner Bahn.
Er hört mein Schrei'n, der Herr erhört mein Flehen
Und nimmt sich meiner Seele an.
 主よ、お急ぎください、わが庇護者よ、私を助けるために、
 私を平坦な軌道に導いてください。
 あの方は私の叫び声を聞き、主は私の懇願を聞き入れ、
 私の魂を御心にかけてくださいます。

Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788) sets stanzas 1-3, 6

詩:Christian Fürchtegott Gellert (1715-1769)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827), "Bußlied", op. 48 no. 6 (1803), from Sechs Lieder nach Gedichten von Gellert, no. 6

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『ゲレルトの詩による6つの歌曲』の最後、第6曲は「懺悔の歌」です。

「懺悔の歌」では、全6節からなるゲレルトの詩のすべての節にベートーヴェンは通作形式で作曲しました。『ゲレルト歌曲集』のうち、原詩を省略せず、すべてを使用したのはこの第6曲だけでした。

ゲレルトの詩は懺悔で始まりますが、後半では「寛容と忍耐」をもった神に自分を導いてほしいと訴えます。
ベートーヴェンは詩の前半3節と後半3節の違いを明確に意識したようです。前半では主人公が真摯に懺悔する様を描くように、歌もピアノも寄り添って静かに告白しています。第3節が終わると、曲調がこれまでの短調から同主長調に転調し、ピアノは細かい音型に変わって対位法的な動きになり、歌は堂々たる賛歌のような趣になります。罪を告白し、重荷から解放された主人公は、後半で神の導きを力強く求めていきます。
心労を乗り越えて前向きに進むベートーヴェンらしい作品だと思います。

3/4拍子
イ短調(a-moll)→イ長調(A-dur)
Poco adagio (Etwas langsam) (いくぶんゆっくりと)
→Allegro ma non troppo (Geschwind doch nicht zu viel) (速く、しかし速すぎずに)

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

シュライアーの懺悔は真摯で、悔やんでいる心情が真に迫ってきます。最後は許しを得たように感じられました。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)

F=ディースカウの綿密な構成と語り口が見事です!ここまで細やかに懺悔されたら神も救いの手を伸ばさずにはいられないでしょう。

●ヘルマン・プライ(BR), ヴォルフガング・サヴァリシュ(P)
Hermann Prey(BR), Wolfgang Sawallisch(P)

プライの歌は懺悔していても前向きで、特に後半は生きることの喜びを全身で表現しているように感じられます。サヴァリシュの明晰なピアノも素晴らしかったです。

●ジェスィー・ノーマン(S), ジェイムズ・レヴァイン(P)
Jessye Norman(S), James Levine(P)

ノーマンの前半の真摯さから後半の熱い嘆願への移行がごく自然で、豊かな声による告白が神に届いたのではないかと想像されます。

●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

ゲルネの含蓄のある声は、懺悔する者の心情を深く感じさせてくれます。

●ピアノパートのみ(Esteban de Bardeci (piano))
❤️ Bußlied - Op. 48 no. 6 🍃 Ludwig van Beethoven 🎧 Piano Accompaniment 🎼 Score and Karaoke

歌がないことで聴こえてくる音楽もあると思います。ベートーヴェンがこの曲のピアノパートに盛り込んだ音楽を味わうにちょうどいい音源ではないかと思います。

●フランツ・リストによるピアノ独奏用編曲(Yung Wook Yoo (piano))
Beethoven - 6 Geistliche Lieder, S. 467/R. 122: No. 3, Busslied

リストの編曲は比較的原曲に忠実ですが、後半の長調になってからは技巧的な華やかさも織り込んでリストらしく盛り上げていきます。

●カール・フィリプ・エマヌエル・バッハによる作曲「懺悔の歌」
Carl Philipp Emanuel Bach: Geistliche Oden und Lieder, Wq. 194, H. 686: No. 3, Busslied
ドロテー・ミールツ(S), ルドガー・レミー(Fortepiano)
Dorothee Mields(S), Ludger Rémy(Fortepiano)

C.P.E.バッハは1-3,6節に有節形式で作曲し、ミールツ&レミーもその通りに演奏しています。哀愁を帯びた音楽は主人公の懺悔の思いを反映しているのでしょう。

(参考)

The LiederNet Archive

Beethoven-Haus Bonn

「ゲレルトの詩による6つの歌(リート)」——伯爵夫人の死に際して出版された歌曲集

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コメント

フランツさん、こんばんは。

ベートーベンは、なぜか第6曲にだけ全部の詩を歌うようにしたのですね。

詩は、旧約聖書の詩編に出てくる、神に語りかけるような形式で、ゲレルトの「詩編」であるかのように感じました。
聖書は、他の文書は「神から人間へ」書かれている形なんですが、詩編だけは「人間から神に」祈ったり、感謝したり、愚痴ったり(わりとしばしば)しているんです。
「私をあなたの意にかなうままにしてください。」は、キリストが、十字架の上で父なる神に祈った祈りを意識しているようです。

まず、プライさんを聞きました。
懺悔の思いが声色に出ていますよね。
後半では、神の守り、助け、導きを確信した歌いぶりですね。
彼の温かい声がより、信仰の確信を思わせました。

シュライヤーは、本当に真摯ですね。シュライアーの魅力がつまった演奏ですね。私はシュライアーは、宗教曲から入ったので、これぞシュライアー!と思いました。どこまでも求道者のようで。

ディースカウさんは、懺悔を細かくその時の気持ちまで、神様に申し上げてるかのようですね。
後半の軽妙さとの対比がくっきりした演奏は、さすがですね。

ゲルネのブレスがはっきり聞こえる歌い方に、懺悔の生々しさが聞こえるようです。
ゲルネの声を聞くと、例えば映画「十戒」の中で、モーセに語りかける神様を思わせます。
私はバッハの受難曲で、プライさんがイエス様役を歌うのを聞くのが好きなんですが、ゲルネは父なる神様の声のイメージです。

一度ここで送信しますね。

投稿: 真子 | 2021年9月 4日 (土曜日) 22時11分

真子さん、こんにちは。


>ベートーベンは、なぜか第6曲にだけ全部の詩を歌うようにしたのですね。

おそらく他のゲレルトの詩は全節に作曲するには長すぎたので、第1節のみに作曲したのではないかと想像します。
「懺悔の歌」は6節だけなので通作形式なら省略せずに済むと思ったのかもしれませんね。

この曲のテキストは「旧約聖書の詩編」に近いのですね。
やはりゲレルトは聖書の内容を自分の言葉に置き換えているということなのですね。

>他の文書は「神から人間へ」書かれている形なんですが、詩編だけは「人間から神に」祈ったり、感謝したり、愚痴ったり(わりとしばしば)しているんです。

なるほど興味深いです。人間から神への言葉も採用することで、神の存在を別の視点から描いているのかなと思いました。

プライの歌は懺悔をすることで力が漲り、前向きに進んでいこうという気持ちが感じられました。まさに「確信」を得た歌いぶりなのでしょう。

シュライアーは本当に宗教曲歌いですよね。訴えかける気持ちがひしひし伝わってきて感動的でした。

F=ディースカウは実況中継しているかのようにあらゆる感情を描き切っているのが彼らしいですよね。

ゲルネの録音は意図的なのかそうでないのかブレスがはっきり聞こえますよね。これは人間的な息遣いが感じられていいなぁと思います。真子さんにとってゲルネは父なる神のイメージなのですね。

プライのイエス役、動画サイトで見てみますね。

投稿: フランツ | 2021年9月 5日 (日曜日) 11時43分

フランツさん、こんにちは。

プライさんは、1964年にリヒター指揮のヨハネ受難曲でイエス役を歌っています。
イエス役は、あまりセリフは多くないのですが、プライさん自身も(1953年のマタイ受難曲の初めてのイエス役についてですが)「イエスが語るわずかな言葉は、受難曲に特別な性格を与えている。」と、自伝で書いています(P218)。

1964年リヒター盤でのイエス役について、「神々しくない」と評する人もいましたが、受難前のイエスは、キリストではなく、まさに苦悩する人間イエスでしたので(福音書を読むと)、プライさんはキチンとテキストを読み、イエス役を演じ歌ったのだと思います。
評するなら、テキストは読んで欲しいと思いますね。読んだけど、イエス=キリストはいつも神々しいと思っておられるのかもしれませんが。
私はこの時のイエス役のプライさんが大好きです。もっとも、いつ何歌っても大好きなんですが(笑)

>歌がないことで聴こえてくる音楽もあると思います。と言うビアノパートのフランツさんの感想が素敵です!
本当にそうですよね。

リストは、やはり技巧を入れて来ますね。指が黙っていられないんでしょうね。でも、聞きごたえありました。
赦しを得た喜びが体中から沸き上がっていますね。唐突に終わったのもおもしろかったです。リストさんすみません(^^;

C.P.E.バッハは、全く違うアプローチですね。ミールツの少女のような澄んだ声で聞くと、ただただ祈り求める切なる心情が心にしみます。

ゲルネのブレス音、いいですよね。おそらく音をたてないでブレスする技術をお持ちだと思うので、意図してされているのかな、と思います。
プライさんも、ゲルネほとじゃないけど、たまに入っています。

投稿: 真子 | 2021年9月 5日 (日曜日) 13時12分

すみません。
ノーマンを忘れていました。
この歌曲集で、ノーマンの素晴らしさを再確認しました。
それまでは、とにかくパワフルでスケールの大きさに耳が行っていましたが、彼女の神経の行き届いた繊細な表現も絶品ですね。
当曲のように、前半後半で全く表現をかえる曲では、ノーマン程幅広く歌える女声、特にソプラノはそうそういないと思います。ブラヴァ!!でした。

投稿: 真子 | 2021年9月 5日 (日曜日) 13時18分

真子さん、こんにちは。

プライのリヒター盤「ヨハネ受難曲」、Apple Musicで聞いてみました。
プライのイエスは、すべてを運命として受け入れているかのように超然として動じず、責める者に対しても感情的にならず理性的に諭すように語っていたように感じました。人肌の温かみを感じさせる声で、イエスの、苦悩を超越した器の大きさをプライの歌から感じました。
イエスの担当箇所はとても少ないですが、いずれも印象的な音楽がつけられていますね。

ゲルネのブレスは意図的なのかもしれませんね。おっしゃるようにブレスを目立たさずに歌うこと自体はわけなく出来るでしょうからね。

ノーマンについては真子さんと同じように私も今回あらためて彼女の素晴らしさを知りました。パワーとスケール感だけでなく、実はとても歌曲をリスペクトした繊細で細やかな姿勢が感じられて好感をもちました。
「懺悔の歌」の異なるキャラクターをスケール感と繊細さを両立させて歌えるのは素晴らしいですね。
ノーマンの遺品の楽譜が以前オークションに出されて、日本の方が落札されたそうで、その写真が載っていたのですが、楽譜にいろいろ書き込みがあり、彼女が細部にいたるまで真摯に歌曲に取り組んでいたことをあらためて知ったものでした。

リストのピアノ独奏編曲は歌曲をピアノ音楽のファンに紹介するという意味合いと、自身の技巧の披露という2つの意味合いを持たせているのでしょうね。おっしゃるように唐突な終わり方でしたね。リストならもっと膨らませて引き延ばすことも出来たでしょうが、そこは原曲への敬意ゆえなのかもしれません。

C.P.E.バッハによる作品は全く異なる哀愁漂う雰囲気で、これはこれでとても美しくて魅力的でした。ミールツの美声は本当にチャーミングでずっと聞いていたくなりますね。

投稿: フランツ | 2021年9月 5日 (日曜日) 15時49分

フランツさん、こんにちは。

斎藤雅広さん、テレサ・ジリス=ガーラさん亡くなられたのですね。
テレサさんは、お名前を知っているくらいでしたが、斎藤さんは、雨谷麻世さんの「日本のうた』のCDでビアにストをつとめておられて愛聴しています。まだお若いので訃報にびっくりしました。
本当に残念です。
お二人のご冥福をお祈りしています。

投稿: 真子 | 2021年9月 7日 (火曜日) 10時59分

真子さん、こんばんは。

斎藤雅広さんは武蔵野市民文化会館で催される歌のコンサートでピアノを担当されることが多かったと思うのですが、家から遠いこともあり、一度も実演を聴くことが出来なかったのが悔やまれます。テレビの教育番組でも親しまれたようですね。雨谷麻世さんのCDは持っていないのですが、足立さつきさんとのフォーレ、ドビュッシー歌曲集を聴いて偲んでいます。まだお若いのにびっくりですね。
ジリス=ガーラさんはシューベルトやシューマンなどの王道歌曲のスタジオ録音は残さなかったと思うのですが、ショパンの歌曲集の録音が良かったです。オペラや宗教曲を沢山歌っていたようですね。

投稿: フランツ | 2021年9月 7日 (火曜日) 19時28分

フランツさん、こんばんは。

私は、前述の「日本のうた」を聞いて、斎藤さんを偲びました。
普段どのような演奏をされてる方なのか、恥ずかしながら知らないのですが、ここではたゆとうような雨谷さんのソプラノに寄り添って、歌うような演奏をされています。情感たっぷりです。
私の大好きな「霧と話した」では、しっとりとロマンチックで、時に劇的なピアノを聞かせてくれています。

フランツさんも実演には接する事が出来なかったのですね。コンサートもタイミングや地理的な条件が合わないと、なかなか行けませんよね。

それから、フランツさんがブログで紹介してくださった、ソプラノのルーベンスですが、シューマン歌曲集のCDを購入しました。
「女の愛と生涯」は、シューベルトの「マリアの憐憫について」の、儚げな演奏とは違って、一曲目から速めのテンポで、凛とした自立した女性を思わせました。
終曲の夫をなくした妻の悲しみの深さ。そのコントラストを出す為にそれまでの凛とした演奏があったのかと思わせる程でした。
それから、細い可憐な声質ですが、パワフルな響きも持った歌手でした。

投稿: 真子 | 2021年9月 7日 (火曜日) 20時26分

真子さん、こんばんは。

斎藤さんの演奏について教えていただき有難うございます。情感たっぷりの演奏なのですね。真子さんのコメントを拝読してきっと素敵な演奏なのだろうと思いました。
私も前述のフランス歌曲集のCDでしか斎藤さんの演奏を聴いていないのですが、歌と寄り添いつつピアノの響きも大事にしていて良かったです。ソリストとしても録音を出しているようでどんな演奏をしているのか興味あります。

本当にタイミングや地理的な要素は大きいですよね。とはいえ、昔はアーメリングを聴くために府中まで遠出したりもしました。まぁそれは例外的ですが(笑)

ルーベンスのCD、聴かれたのですね。シューマン歌曲集、私も今再生しています。まだ「指輪」のあたりなので「凛とした」前向きな表現ですが、終曲は対照的な表情なのですね。このまま聴き続けてみます。

彼女のような細くて可憐、しかも芯のある美声、大好きなタイプです。ディクションも素晴らしいですよね。真子さんと歌声の好みが似ているかもしれません。

投稿: フランツ | 2021年9月 8日 (水曜日) 19時20分

フランツさん、こんにちは。

リーベンスのシューマン「女の愛と生涯」は、いかがでしたか?また、感想をお聞かせ頂けたら嬉しいです。
私は、すっかりルーベンスが気に入り、Amazonでシューベルトの「マリアの憐憫について」が入っているCDを注文しました。
元々は、ソプラノ·リリコ·レッジェーロの声質が好きで、そのような歌手ばかり選んで聞いていたんです。
ですから、声の好みが同じですね(*^^*)

プライさんに出会ってからは、プライ三昧ドイツリート三昧になりましたが、やっぱり可憐なソプラノはずっと好きです。

>とはいえ、昔はアーメリングを聴くために府中まで遠出したりもしました。まぁそれは例外的ですが(笑)
ええ、ええ。分かりますよ!
私も昔、シューベルトイヤーのプライさんの連続コンサートに、関西から日帰りで東京まで行くつもりだったんです。日曜日の昼2時開演だから、朝出て、コンサートが終わって夜に戻る。
でも、子どもが小さくて主人に阻止されて、、。その事では未だに主人を恨んでおります(笑)
演目も、「様々な詩人による歌曲」だったんですよね。聞きたかったなあ。
後日、NHKラジオで抜粋したのは聞けましたが(その時とったカセットテープは、今も持っています)、テレビでは、三大歌曲集しか放映されませんでした。

ご紹介頂いているドロテー・ミールツも気に入って、C.P.E.バッハの当該CDも購入していますので、充実した芸術の秋になりそうです(*^^*)♪

投稿: 真子 | 2021年9月 9日 (木曜日) 09時36分

真子さん、こんばんは。

ルーベンスのシューマン、いいですね!
彼女はバッハを得意としていることも影響しているのかは分からないのですが、たまにノンビブラートにしますよね。これ、ここぞという時に使うと効果的で聴き手の気持ちがぐっと持っていかれます(やり過ぎると逆効果でしょうが)。
「女の愛と生涯」の最終曲、"leer"を最初はビブラートをかけて、2回目はノンビブラート気味にしていて興味深かったです(アーメリングなどは1回目をノンビブラート気味にしていた記憶があります)。「空しい」気持ちを呆然としているかのようにあえて揺らさない単音で描いているのですよね。
それからピアノのウタ・ヒールシャーも本当に見事でした。
このNAXOS版はシューマン全集シリーズということもあり、作品番号ごとにまとめて収録されているのがいいですね。ヴォルフの「庭師」と同じ詩に付けられた曲など随分ヴォルフと違うので面白いです。


プライのシューベルトイヤーのコンサート、残念でしたね。もし行かれていたら真子さんと同じホール内でコンサートを聴いたことになりましたのに。「さまざまな詩人による歌曲」は、こんな機会でもないとまず日本で聴けないと思い私も気合を入れて聴きに行った記憶があります。

ドロテー・ミールスのCDはベートーヴェンの「ゲレルト歌曲集」と同じ詩の作品が沢山入っているので、そういう意味でも楽しめるのではないかと思います。
でも純粋にミールスの軽めのリリカルな美声を満喫するだけでも良さそうですね。
芸術の秋を満喫してくださいね!

投稿: フランツ | 2021年9月 9日 (木曜日) 19時23分

フランツさん、こんにちは。

ルーベンスのシューマン、私もお気に入りの一枚になりました。
「女の愛と生涯」終曲、聞き直しました。
ビブラートとノンビブラートの件、なるほどそうですね。
歌の中において、ピアニッシモやノンビブラートという、音として一見主張していない音の方が、ここ!と言うときに使われると、ぐっと引き寄せられますよね。
どこにその音を使うか、強弱など楽譜に指示がない場合、歌手の思いを、使った音から聞き取れそうに思います。

投稿: 真子 | 2021年9月11日 (土曜日) 15時07分

書き忘れました、、

ルーベンスは、よく「鳴る」声をしていますね。水笛を鳴らしたときのように瑞々しいです。
レリ·グリストやエディット·マティスに比べ細い声ですが、彼女たちのクリスタルなよく鳴る声を想起しました。

投稿: 真子 | 2021年9月11日 (土曜日) 15時14分

真子さん、こんにちは。

ルーベンスのCD、お気に入りになったとのこと、良かったですね。
アーメリングのマスタークラスを以前京都で聞いた時、ビブラートの少ない受講生の方に向けて、基本的にビブラートはかけた方がいいと思うというようにおっしゃっていました。だからこそ、うつろな心境でノンビブラートにすると映えるんですよね。
今回のルーベンスの「女の愛と生涯」聞きごたえがありました。
歌手がどう解釈するかというのはその人の個性が出て面白いですよね。

水笛というのが実は分からなくて動画サイトで聞いてみました。鳥みたいな音なのですね。みずみずしいルーベンスの美声をたとえるのにふさわしく感じました。
レリ・グリスト、マティスやボニーなどと同系統の声ですね。

投稿: フランツ | 2021年9月11日 (土曜日) 15時53分

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