ベートーヴェン「友情の幸せ (人生の幸せ) (Das Glück der Freundschaft (Lebensglück), Op. 88)」
Das Glück der Freundschaft (Lebensglück), Op. 88
友情の幸せ (人生の幸せ)
1.
Der lebt ein Leben wonniglich,
Deß Herz ein Herz gewinnt;
Geteilte Lust verdoppelt sich,
Geteilter Gram zerrinnt.
幸せに暮らすだろう、
愛を射止める者は。
喜びを分かち合えば倍になり、
心痛を分かち合えば消えてしまう。
2.
Beblümte Wege wandelt ab,
Wem trauliches Geleit;
Den Arm die gold'ne Freundschaft gab
In dieser eh'rnen Zeit.
花咲き乱れた道を変えるのは
親しいお供に連れる者。
黄金の友情が腕を差し出すのだ、
この堅固な時に。
3.
Sie weckt die Kraft und spornt den Mut
Zu schönen Taten nur,
Und nährt in uns die heil'ge Glut
Für Wahrheit und Natur.
友情は力を目覚めさせ勇気を鼓舞する、
ただ素晴らしき行動へと。
そして我々の内にはぐくむのだ、
真理と自然のための神聖な炎を。
4.
Erreichet hat des Glückes Ziel,
[Wer eine Freundin fand, (Wer sich ein Mädchen fand,)]
Mit [der (dem)] der Liebe Zartgefühl
Ihn inniglich verband.
幸せの目標に到達したのだ、
女友達を見つけた者は。
彼女と愛の気遣いによって
密接に結び付くにいたったのだ。
5.
Entzückt von ihr, [ihr beigesellt, (mit ihr gesellt,)]
Verschönert sich die Bahn;
[Durch sie allein (In dir, durch sie)] blüht ihm die Welt
Und alles lacht ihn an.
彼女に魅了され、彼女の仲間になり
道はさらに美しくなる。
彼女だけが彼にとって世の中を花咲かせることが出来、
すべてが彼に笑いかけるようになる。
ドイツ語訳詩:Christoph August Tiedge (1752-1841) (原詩は作者不詳のイタリア語による"Beato quei che fido amor")
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827),
[ ]内の歌詞の括弧外は「初版(Wien: bey Joseph Eder, [1807])」や旧全集の歌詞。( )内はベートーヴェンが初版の間違いを修正して別の出版社から出版した際の歌詞(Leipzig: bei Hoffmeister & Kühnel, [1803])
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●イタリア語歌詞
Vita felice
1.
Beato quei che fido amor
Mai seppe meritar!
Ei solcherà senza timor
Di questa vita il mar.
2.
Dovunque lo conduca il ciel,
Gli ride dolce fior;
La gioja non là cuopre un vel,
Si scema ogni dolor.
3.
Ei sente l'alma divam par
Di generoso ardir;
Il vero ei puote sol amar,
Del bello sol gioir.
4.
Felice chi ad un fido sen
Può cheto riposar,
E negl' occhietti del suo ben
Contento si specchiar!
5.
Che in mezzo agli disa striancor
Quel sol gli riderà,
Ed a più bella calma oror
Tutto gli tornerà.
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作者不詳のイタリア語詩にクリストフ・アウグスト・ティートゲがドイツ語訳しました。
ベートーヴェンはイタリア語原詩、ドイツ語訳両方の歌詞に、1803年春か夏に作曲しました。藤本一子さんの解説によると、「1803年にヴィーンのレッシェンコール社とボンのジムロック社から《友情の幸せ》という題で出版。初版直後10月22日にベートーヴェンはリース宛に,出版社(レッシェンコール)が犯したひどい誤りを直して出版してほしいとして,正しい題と歌詞を書き送っている。そこでは題が《人生の幸せ》となっているほか歌詞も初版と6箇所が異なっている」(『ベートーヴェン事典』(1999年 初版 東京書籍))そうです。ドイツ語詩の歌詞の違いはそういうことだったのですね。
ベートーヴェンの曲は第5節まで歌った後、第1節を再度歌って終わります。
明朗なメロディーで一貫していて、メリスマを使用したりして、アリアのようです。
2/4拍子
Andante quasi allegretto
イ長調(A-dur)
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
ドイツ語。ベートーヴェンの歌詞訂正版(Hoffmeister & Kühnel)で歌っています。軽快に歌うところと力強く強調するところの歌いわけがいつもながら素晴らしいなぁと思いながら聞きました。
●ヴァンサン・リエーヴル=ピカール(T), ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Vincent Lièvre-Picard(T), Jean-Pierre Armengaud(P)
ドイツ語。こちらもHoffmeister & Kühnel版で歌っています。フランス人ということもあってか色っぽい歌い方をしているように感じました。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)
イタリア語。F=ディースカウの言葉一言一言に鋭い切れ味を見せるところはイタリア語であろうとも変わりないですね。
●ルネ・ヤーコプス(CT), ジョス・ファン・インマーセール(Pianoforte)
René Jacobs(CT), Jos van Immerseel(Pianoforte)
イタリア語。まさかヤーコプスが歌曲聞き比べに登場するとは思いませんでした。古典派歌曲も歌っていたのですね。F=ディースカウとは全く対照的にカウンターテナーの柔らかい雰囲気で歌っています。
●パメラ・コバーン(S), レナード・ホカンソン(P)
Pamela Coburn(S), Leonard Hokanson(P)
イタリア語。コバーンはメロディーラインの美しさを生かした歌い方をしているように感じました。
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(参考)
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コメント
フランツさん、こんばんは。
イタリア語とドイツ語。
文字の見た目から違いますね。
同じアルファベットを使っていても、カチッとしたドイツ語、滑らかなイタリア語を見ているだけで、それぞれの音が響き出すようです。
リエーヴル=ピカール、声も色っぽいですね。シュライアーのドイツ語と比べると、かなり柔らかい気がしました。
ディースカウさんのイタリア語は、リエーヴル=ピカールのドイツ語より歯切れがよくて、興味深い対比でした。
ヤーコプスの、ゆったりしたテンポで、楷書を書くような折り目正しい歌いぶりも素敵でした。
そう思うと、ディースカウさんは、行書と草書を取り混ぜた筆勢ある書のようです。
コパーンは、唯一の女声ということもあって、ふわ~っと花が咲いたような空気が流れて来ました。コバーンの声
投稿: 真子 | 2021年9月18日 (土曜日) 20時59分
途中で送信してしまいましたm(__)m
コバーンの声、美しいですね。
投稿: 真子 | 2021年9月18日 (土曜日) 21時19分
真子さん、こんばんは。
今回もコメントを有難うございます!
本当にイタリア語とドイツ語、全然違いますよね。同じ音楽なのに言葉が違うだけで別の曲みたいです。
イタリア語は母音が多いので、同じく母音の多い日本人には馴染みやすいとよく言われますよね。ただ私の場合イタリア語の勉強は学生時代にラジオ講座の最初の方で挫折してしまったので、詩を訳せないのが残念です。今からでも少しずつ文法を勉強したいという気持ちだけはあるのですが。
リエーヴル=ピカール、色っぽいですよね。フランス人だからなのか彼独自のものなのかは分かりませんが、愛の歌にはぴったりだと思いました。
シュライアーはもっとかっちりしていますからね。
F=ディースカウはおっしゃるようにイタリア語を歌っていても歯切れよくなりますね。そこが好みの分かれるところかもしれませんが、F=ディースカウの持ち味は言語の差を超えるのが興味深く感じます。
ヤーコプスの音源が出てくるとは想像していなかったので驚きましたが、さすが古楽の名歌手は歌曲でも素敵でした。
真子さんの書道になぞらえた形容、興味深く拝見しました。
F=ディースカウは勢いありますよね。
プライとのベートーヴェン全集で、なぜこの曲をコバーンが担当したのかは分かりませんが、男性目線の詩を第三者の立場で歌うならば女声が歌ってもなんら問題はないですね。
ここでも美しい声でしたね。
投稿: フランツ | 2021年9月18日 (土曜日) 21時36分
フランツさん、こんにちは。
イタリア語はやはり歌う言語だなあと思います。レッスンを受けていても、声を響かせやすいのはやはりイタリア語でした。
モーツァルトもイタリア語の台本にはレジタティーヴォを入れて作曲して、ドイツ語台本の「魔笛」「後宮からの誘拐」などは、ジングシュピール形式で作曲していますものね。
複子音が多いからなのかなあ、などと勝手に想像しています。
以前、老人ホームで友人と歌を歌いに言った事があるのですが、「ローレライ」を、ドイツ語~日本語で歌うつもりにしていましたが、ドイツ語からうまく日本語に移行できずに、全部ドイツ語にしたことがありました。
私の技術不足も大いにあったとは思いますが、、。
ある人が面白い事を言っていました。
ドイツ人は、固いものを口蓋で磨り潰して食べるから、ああいう子音が生まれた。
イタリア人は、柔らかいパスタもたくさん食べるから口蓋がドーム状なのだ、と。真意のほどは分かりませんが、興味深い説ではありました。
声楽家の藍川由美さんが「これでいいのか、にっぽんのうた」(文春新書)の中で、「日本語の母音は五つしかないと言われているが、例えば海のうは、唇を付きだし発音する。豆腐のふ(う)は、もう少し軽く発音する」と言うような事を書いておられました。
その他にも、いくつか例を出されています。
日本の歌に特化していますが、深い内容ですので、もし機会があれば読んでみてください。私はこういう話が大好きでなんです。
ディースカウさんはドイツ語の特性を際立たせる歌唱を追求され、プライさんは歌を歌として(ドイツ語を無視してと言う事ではなく)捉えて行ったのは、二人の声質や発声の違いもあったかもしれませんね。
時々、プライさんの声、発声でディースカウさんの歌いぶりを、またその反対を想像してみるのですが、やはりうまくマッチングしません。
>プライとのベートーヴェン全集で、なぜこの曲をコバーンが担当したのかは分かりませんが、、
そうなんですよ。私もなぜかなあ、と。プライさんでのこの曲も聞いてみたかったけど、例により脳内再生致します笑
投稿: 真子 | 2021年9月20日 (月曜日) 16時07分
すみません。説明が抜けました。
『「海の「う」は、唇を付きだし発音する。豆腐の「ふ(う)」は、もう少し軽く発音する」だから、厳密に言えば五つではなく、母音数はもう少し多いのではないか』
ということでした。
目からウロコでした。
投稿: 真子 | 2021年9月20日 (月曜日) 16時13分
真子さん、こんばんは。
イタリア語は歌われるのに確かに適していそうですね。
イタリア語のオペラや歌曲は聴いていて爽快で気持ちいいですよね。
私の場合はドイツ語の響きが好き過ぎて、ドイツ語の歌を聴いている時が一番心地よいのですが、一般的にはイタリア語の響きの方が好まれるでしょうし、それもよく分かります。
"durch"などいかにもドイツ語っぽい響きですよね。「魔王」の中でこの単語が出てくると、ドイツリートを聴いていることを実感します。
「ローレライ」をドイツ語から日本語へ移行できなかったというエピソードを読ませていただき、プライの来日公演で「鳩の便り」を最初の方だけ歌って言葉がつまり、何度かやり直した挙句いったん袖に引っ込んだことを思い出しました。ハイネ歌曲とザイドル歌曲の間の壁がプライほどの巨匠でもあったのでしょうから、異なるタイプのものに移行するのはなかなか大変なのだろうなと思ったりしました。
ドイツ人とイタリア人の食の違いの比較、興味深いです。そういう説があるのですね。
海と豆腐の"u"の違いは、アクセントや音節の違いもありそうですね。興味深いお話です。藍川由美さんの本、図書館で探してみますね。
>時々、プライさんの声、発声でディースカウさんの歌いぶりを、またその反対を想像してみるのですが、やはりうまくマッチングしません。
やはり二人の個性は入替え可能ではなく、それぞれの声や発声のうえに必然的に成り立っているのかもしれませんね。
興味深いお話を沢山有難うございます。いろいろ実例をあげていただき、とてもイメージしやすかったです。
また、折に触れてご紹介いただけると幸いです。
投稿: フランツ | 2021年9月21日 (火曜日) 20時31分