ベートーヴェン「隣人への愛(Die Liebe des Nächsten, Op. 48, No. 2)」(『ゲレルトの詩による6つの歌曲』より)
Die Liebe des Nächsten, Op. 48, No. 2
隣人への愛
1.
So jemand spricht: Ich liebe Gott,
Und haßt doch seine Brüder,
Der treibt mit Gottes Wahrheit Spott
Und reißt sie ganz darnieder.
Gott ist die Lieb, und will, daß ich
Den Nächsten liebe, gleich als mich.
誰かがこう言う:私は神を愛していますが、
兄弟は嫌いです、と。
そういう人は神の真理をあざ笑い
引き落とす。
神は愛であり、私が
自分自身を愛するように隣人を愛することを望んでおられるのだ。
2.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wer dieser Erden Güter hat,
Und sieht die Brüder leiden,
Und macht den Hungrigen nicht satt,
Läßt Nackende nicht kleiden;
Der ist ein Feind der ersten Pflicht,
Und hat die Liebe Gottes nicht.
この世の財産を持つ者で
兄弟が苦しむのをただ見て
空腹な者の腹を満たすこともせず
裸の者に服を着せもしない。
そういう者は第一の義務の敵であり
神に愛されない。
3.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wer seines Nächsten Ehre schmäht,
Und gern sie schmähen höret;
Sich freut, wenn sich sein Feind vergeht,
Und nichts zum Besten kehret;
Nicht dem Verleumder widerspricht;
Der liebt auch seinen Bruder nicht.
隣人の名誉をののしる者、
名誉をののしるのを聞きたがる者、
敵が死ぬときに喜ぶ者、
よき方に向かない者、
中傷する者に抗議しない者、
そういう者は兄弟をも愛することはない。
4.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wer zwar mit Rat, mit Trost und Schutz
Den Nächsten unterstützet,
Doch nur aus Stolz, aus Eigennutz,
Aus Weichlichkeit ihm nützet;
Nicht aus Gehorsam, nicht aus Pflicht;
Der liebt auch seinen Nächsten nicht.
確かに忠告し、慰めて、保護して
隣人を支援する者でも
ただ高慢や利己心、
軟弱さから隣人の役に立とうとし、
従順さや義務からではない者、
そういう者は隣人をも愛することはない。
5.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wer harret, bis ihn anzuflehn,
Ein Dürftiger erst erscheinet,
Nicht eilt, dem Frommen beizustehn,
Der im Verborgnen weinet;
Nicht gütig forscht, ob's ihm gebricht;
Der liebt auch seinen Nächsten nicht.
彼に嘆願しようと
貧しい者がようやく現れるまで待ち、
敬虔な者を助けようと急ぐことをせず、
その敬虔な者はひそかに泣いている、
彼が不足しているかどうか親切に調べようとしない者、
そういう者は隣人をも愛することはない。
6.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wer andre, wenn er sie beschirmt,
Mit Härt und Vorwurf quälet,
Und ohne Nachsicht straft und stürmt,
So bald sein Nächster fehlet;
Wie bleibt bei seinem Ungestüm
Die Liebe Gottes wohl in ihm?
彼が彼女を庇護するとき、
他人を非情に非難して苦しめる者、
そして容赦なく罰し荒れ狂う者は
すぐに隣人がいなくなる。
彼が荒れ狂っているときに
神の愛は彼の中でいかにあるのだろうか。
7.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wer für der Armen Heil und Zucht
Mit Rat und Tat nicht wachet,
Dem Übel nicht zu wehren sucht,
Das oft sie dürftig machet;
Nur sorglos ihnen Gaben gibt;
Der hat sie wenig noch geliebt.
貧しき者のために安寧と秩序を
忠告と行為によって監視しようとしない者、
災いを阻止しようとしない者、
その災いはしばしば彼らを惨めにする。
ただなげやりに彼らに施しを与える者、
そういう者は彼らをほとんど愛していないのだ。
8.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wahr ist es, du vermagst es nicht,
Stets durch die Tat zu lieben.
Doch bist du nur geneigt, die Pflicht
Getreulich auszuüben,
Und wünschest dir die Kraft dazu,
Und sorgst dafür: so liebest du.
あなたが
常に行いによって愛することが出来ないというのは真実だ。
だがあなたはただ、義務を
忠実に果たそうとして
自身にさらなる力を望み、
配慮する、このようにあなたは愛してみなさい。
9.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Ermattet dieser Trieb in dir:
So such ihn zu beleben.
Sprich oft: Gott ist die Lieb, und mir
Hat er sein Bild gegeben.
Denk oft: Gott, was ich bin, ist dein;
Sollt ich, gleich dir, nicht gütig sein?
あなたの中のこの衝動が弱まるときには
衝動を元気づけようとしなさい。
しばしば言いなさい:神は愛であり、私に
彼は自身の姿を与えたのだ。
しばしば考えなさい:神よ、私はあなたのものだ、
私はあなたのように慈悲深くあるべきなのか。
10.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Wir haben einen Gott und Herrn,
Sind eines Leibes Glieder;
Drum diene deinem Nächsten gern;
Denn wir sind alle Brüder.
Gott schuf die Welt nicht bloß für mich;
Mein Nächster ist sein Kind, wie ich.
我らには主なる神がいて、
我らは一つの身体の部分なのだ。
だからあなたの隣人に喜んで奉仕せよ。
というのも我らはみな兄弟だからだ。
神はこの世界を私のためだけに創ったのではない、
わが隣人も、私同様、神の子なのだ。
11.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Ein Heil ist unser aller Gut.
Ich sollte Brüder hassen,
Die Gott durch seines Sohnes Blut
So hoch erkaufen lassen?
Daß Gott mich schuf, und mich versühnt,
Hab ich dies mehr, als sie, verdient?
安寧は我らのあらゆる良きことにある。
私は兄弟を憎まなければならないのか、
神が息子キリストの血により
あまりに高い代償を払って得た兄弟を。
神が私を創り、私と和解することで、
私は兄弟より多くを得たのだろうか。
12.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Du schenkst mir täglich so viel Schuld,
Du Herr von meinen Tagen!
Ich aber sollte nicht Geduld
Mit meinen Brüdern tragen?
Dem nicht verzeihn, dem du vergibst,
Und den nicht lieben, den du liebst?
御身は私に日々これほど多くの恩義を与えてくださる、
わが日々の主よ!
私はしかし
わが兄弟に我慢せずにいられようか、
御身が許した兄弟を許さず、
御身が愛した兄弟を愛さないでいられようか。
13.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Was ich den Frommen hier getan,
Dem Kleinsten auch von diesen,
Das sieht Er, mein Erlöser, an,
Als hätt ich's ihm erwiesen.
Und ich, ich sollt ein Mensch noch sein,
Und Gott in Brüdern nicht erfreun?
私が敬虔な者たちにここでしたことは
ささいなことでもここから
あの方が見ておられるのだ、わが救い主が、
あたかも私があの方に示したかのように。
そして私は、私はまだ人でいなければならない、
そして兄弟の中にいる神を喜ばせられないのか。
14.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Ein unbarmherziges Gericht
Wird über den ergehen,
Der nicht barmherzig ist, der nicht
Die rettet, die ihn flehen.
Drum gib mir, Gott! durch deinen Geist
Ein Herz, das dich durch Liebe preist.
無慈悲な裁きが
下るだろう、
慈悲深さがなく、
懇願する者たちを救わない者には。
だから私に与えたまえ、神よ!御身の精神により
愛によって御身を讃える心を。
L. Beethoven sets stanza 1
Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788) sets stanzas 1, 9-10, 13
詩:Christian Fürchtegott Gellert (1715-1769)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827), "Die Liebe des Nächsten", op. 48 no. 2 (1803), stanza 1, from Sechs Lieder nach Gedichten von Gellert, no. 2
-------------
ゲレルトの詩による6つの歌曲集の第2曲は「隣人への愛」です。神を愛していても隣人を嫌っていたら神には愛されないと歌われます。
全14節からなる原詩の第1節のみにベートーヴェンは作曲しました。ただ曲の終わりにダル・セーニョ記号があり、歌を繰り返すように指示されていることから、第2節以降も歌うことを意図していたのかもしれませんし、あるいは第1節をもう一度繰り返すという意味なのかもしれません(どちらのパターンも下記引用の演奏にあります)。ちなみに動画サイトにはありませんでしたが、ベートーヴェン歌曲全集を録音したコンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR)&クリスティン・オーカーランド(P)は、「隣人への愛」も含むゲレルト歌曲集全曲で原詩をすべて復元していますので、この曲では14節すべて歌っていました。
ベートーヴェンの曲は軽快な趣で途中スタッカートも出てくるほどです。とはいえ、宗教的な内容ですので、ここでも基本はコラールのような進行です。ピアノの右手と左手でリズムをずらしたり、細かいパッセージを交互に配置したりという音楽的な工夫も興味深いです。
2/2拍子
変ホ長調(Es-dur)
Lebhaft doch nicht zu sehr (生き生きと、ただし極端になりすぎないように)
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)
歌が入る前のピアノの和音が省かれた版で歌っています(動画の楽譜はPeters版と記されています)。F=ディースカウは遅すぎず、かつ軽快になり過ぎないほどよいテンポでいつものように説得力のある歌唱を聞かせています。
●ヘルマン・プライ(BR), レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR), Leonard Hokanson(P)
円熟期のプライの自然な表現が魅力的です。
●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)
第1節だけでなく、第3,4,14節を追加して有節形式で歌っています。ゲルネは軽快なテンポでさらっと歌っているのが魅力的です。
●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)
シュライアーは厳かに人々に諭すかのように歌っています。オルベルツも丁寧に演奏しています。
●ジェスィー・ノーマン(S), ジェイムズ・レヴァイン(P)
Jessye Norman(S), James Levine(P)
神々しい美声がなんとも胸に響きます。第4行の「(兄弟を憎む者は)神の真理を引き落とす」というところで神妙な表情を聞かせてくれます。
●ロデリック・ウィリアムズ(BR), イアン・バーンサイド(P)
Roderick Williams(BR), Iain Burnside(P)
第1,13節を演奏しています。ウィリアムズは細やかな語り口と美声で詩の内容を伝えてくれます。
●エンゲルベルト・クッチェラ(BS), グレアム・ジョンソン(P)
Engelbert Kutschera(BS), Graham Johnson(P)
ポーランドのバス歌手クッチェラ(1930-2013)は、ここで第1節の後でもう1度第1節を繰り返して歌っています。
●リスト編曲ピアノ独奏版(Asagi Nakata: piano)
Asagi Nakata - Liszt / Beethoven - Die Liebe des Nächsten, S467/5
リストの編曲は比較的ベートーヴェンの原曲に忠実ですが、和音を若干変更し、後奏を少し拡大しているのが印象的です。
●カール・フィリプ・エマヌエル・バッハ作曲「隣人への愛」
C.P.E. Bach: Geistliche Oden und Lieder, Wq. 194, H. 686: No. 10, Die Liebe des Nächsten
ドロテー・ミールツ(S), ルドガー・レミー(Fortepiano)
Dorothee Mields(S), Ludger Rémy(Fortepiano)
C.P.E.バッハによるこの付曲は穏やかで一貫して美しいです。1,9,10,13節(C.P.E.バッハの選んだ節)を歌っています。ミールツは繊細な歌唱を聞かせ、節を進むにつれて装飾を入れて歌っています。
(参考)
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コメント
フランツさん、こんばんは。
最近の日本の夏は亜熱帯ですよね。
湿度が高いので、冷房以外に逃れようがないですね。若い頃のように暑さと闘う気力もなくなってしまいました。
さて、ゲレルトの詩は、元々はこんなに長かったのですね。訳されるご苦労を思います。
この隣人愛というのは、キリスト教信仰の中心の柱と言えます。
「第一はこれである。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛しせよ。第二はこれである。自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」これより大切ないましめは、ほかにない。」
(新約聖書マルコによる福音書12章29節;から31節)
これは、キリストが律法学者(ユダヤ教指導者)から、数多ある戒めのうち、一番大切なものは何かと聞かれた時に答えられた言葉です。
第一の戒めは、キリストが、旧約聖書申命記(しんめいき)6章5節から引用して答えています。
当然のことですが、キリストが活躍した時代には、まだいわゆる旧約しかなく、聖書と言う言葉も、概念もありませんでした。(律法とか預言という表現がされていました)
キリストは、第一に神への愛、第二に隣人愛と語ったかに見えますが、神への愛と隣人愛は切り離すことのできない表裏一体のものと言われます。
それを踏まえて歌詞を読みますと、神への愛を語りながら隣人を愛せないのは、矛盾を含んでいると語るゲレルトの思いもよく理解できると思います。
けれども、人間は容易に隣人愛を実践できない存在であることも、ゲレルトはよく分かっているのですね。
そして、隣人愛だと思っているこの行為は偽善ではないのか、と悩みもする。
どこまで愛せばいいのだろう。身を削らない愛は愛ではないのだろうか。
それが14節にもわたる詩になったのかもしれませんね。
これは、現代の信徒にも問われているようで、身につまされます。
私が尊敬している牧師さんは、「できるところまでで、いい。足りないところは神が義としてくださる(足してくださる)」と、言われました。それで、安心して自分のできる事をできる範囲でしよう、と思えるようになりました。
歌詞解釈が長くなりました(^_^;)
歌の感想ですが、プライさんの歌からは、神様をやさしいお父さんと捉えるキリスト自身の神観を表すような雰囲気を感じました。それこそ、できる範囲でいいんだよ、と言っているような。
ディースカウさんからは、威厳をかんじました。そうは言っても、やはり隣人愛の道は厳しいものなんだと。
ゲルネは、今回この演奏を聴いて、まさに神の声だと思いました。
神の声を、音声として聞いたことはもちろんありませんが、そう思わせる深淵さがありますよね。
シュライヤーは、牧師さん。
諭すようなと、フランツさんも書いておられますが、私も同じように感じました。
しかも、熱く語るのではなく、静かに穏やかに信徒を導く牧師さん。
ノーマン、改めて美声ですね。ノーマンは、何かとバワーに目が行きがちですが、今回こんなに美しい声をしていたんだ、と新たな発見をしました。
ここで一度送信します。
投稿: 真子 | 2021年8月 9日 (月曜日) 20時47分
真子さん、こんばんは。
今日は体温超えの暑さでしたね。
今日も冷房が大活躍です。
>さて、ゲレルトの詩は、元々はこんなに長かったのですね。訳されるご苦労を思います。
有難うございます。すごい長い詩ですよね。最初にこれほど長いと知って、ベートーヴェンの作曲した第1節だけでいいかとも思ったのですが、せっかくの機会なので怠け癖に鞭打って訳してみました。
真子さんに解説していただいて隣人愛について勉強になりました。
いつも有難うございます。
第一が神様への愛で第二が隣人への愛、しかし両者は表裏一体とのこと、深いですね。
>それを踏まえて歌詞を読みますと、神への愛を語りながら隣人を愛せないのは、矛盾を含んでいると語るゲレルトの思いもよく理解できると思います。
けれども、人間は容易に隣人愛を実践できない存在であることも、ゲレルトはよく分かっているのですね。
隣人も愛さなければならないけれど、あらゆる隣人に対してということになると実際には難しいですよね。世の中いろんな価値観の人がいますからね。
>そして、隣人愛だと思っているこの行為は偽善ではないのか、と悩みもする。
どこまで愛せばいいのだろう。身を削らない愛は愛ではないのだろうか。
ゲレルトの詩は庶民の人間くさい悩みにも目を背けずに表現しているのですね。
>私が尊敬している牧師さんは、「できるところまでで、いい。足りないところは神が義としてくださる(足してくださる)」と、言われました。
素晴らしいですし、ほっと安心しますね。すべての隣人に対して愛情をもって接することは理想ではあるけれど、うまくいかないことがあってもそのことで神様は見捨てることはないということなのかぁと思いました。
プライの懐の大きさ、ディースカウのめりはり、シュライアーの惹きつける話術、そしてノーマンの密度のある美声、それぞれの魅力で聴き比べるのは楽しいですね。
ゲルネの声、確かに神々しい響きがしますね。
投稿: フランツ | 2021年8月10日 (火曜日) 19時42分
フランツさん、こんにちは。
猛暑一転、また梅雨に逆戻りしたようなお天気ですね。災害が起きないことを祈るばかりです。
さて、ウィリアムズはソフトなハイバリトンが耳に心地良かったです。
私は、歌手には(結果的に)文学的表現と絵画的表現にざっくりと分かれるような気がするのですが(もちろんその中間もありますが)、ウィリアムズは文学的ですね。
ちなみに文学的の代表はディースカウさん、(もちろん彼も詩を深く解釈していますが、演奏から受けるイメージとして)。
クッチェラの語り口に、時々ディースカウのさんの語りを感じました。メリハリがある為でしょうか。
前曲もそうでしたが、C.P.E.バッハの曲は安らぎに満ちていて好きです。
歌っているミールツの声もいいですね。このCD、手に入るならほしいです。
今回もたくさんの歌手のご紹介をありがとうございました(^^)
次回も楽しみにしています♪
投稿: 真子 | 2021年8月13日 (金曜日) 09時22分
真子さん、こんにちは。
しばらく天気が荒れ模様のようですね。何事も起こらないことを願っています。
ウィリアムズが文学的というご指摘分かります!
テキストの明晰な発音と解釈が細やかで、確かにイギリス版F=ディースカウという感じがします。
クッチェラが威勢よく声を張るところはF=ディースカウの影響もあるかもしれませんね。
C.P.E.バッハの曲、古典的な爽やかさが心地よいですね。ミールツの透き通った美声と豊かな表現力も魅力的です。
こちらこそいつも有難うございます。
『ゲレルト歌曲集』をこれほど集中的に聴いたことがなかったので、楽しみながら記事を書いています。
投稿: フランツ | 2021年8月13日 (金曜日) 12時48分