« エリー・アーメリング他(Ameling, Watkinson, Meens, Holl, Jansen, Brautigam)/ブラームス:四重唱曲、二重唱曲他 初出音源(1983年1月14日, アムステルダム・コンセルトヘバウ(live)他) | トップページ | ベートーヴェン「隣人への愛(Die Liebe des Nächsten, Op. 48, No. 2)」(『ゲレルトの詩による6つの歌曲』より) »

ベートーヴェン「祈願(Bitten, Op. 48, No. 1)」(『ゲレルトの詩による6つの歌曲』より)

Bitten, Op. 48, No. 1
 祈願

1.
Gott, deine Güte reicht so weit,
So weit die Wolken gehen,
Du krönst uns mit Barmherzigkeit
Und eilst, uns beizustehen.
Herr! Meine Burg, mein Fels, mein Hort,
Vernimm mein Flehn, merk auf mein Wort;
Denn ich will vor dir beten!
 神よ、御身の善意ははるかまで届く、
 雲が進むはるかまで。
 御身は慈悲によって我らに冠をかぶせて
 我らを助けようと急ぐ。
 主よ!わが城、わが岩、わが避難所、
 わが懇願を聞きたまえ、わが言葉に気を配りたまえ、
 なぜなら私は御身の前で祈りたいから!

2.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Ich bitte nicht um Überfluß
Und Schätze dieser Erden.
Laß mir, so viel ich haben muß,
Nach deiner Gnade werden.
Gib mir nur Weisheit und Verstand,
Dich, Gott, und den, den du gesandt,
Und mich selbst zu erkennen.
 私はあり余るほどのものや
 この地上の宝を請うわけではない。
 私が持たなければならないほどの量を
 御身の慈悲で私に与えたまえ、
 私にただ思慮と分別を与えたまえ、
 神である御身、そして御身が遣わした者、
 そして私自身を認識できるように。

3.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
Ich bitte nicht um Ehr und Ruhm,
So sehr sie Menschen rühren;
Des guten Namens Eigentum
Laß mich nur nicht verlieren.
Mein wahrer Ruhm sei meine Pflicht,
Der Ruhm vor deinem Angesicht,
Und frommer Freunde Liebe.
 私は名誉や栄光を請うわけではない、
 それらは人々の心を動かすものだが。
 よき名声という財産を
 私から失くさないでおくれ、
 私の真の栄光は私の義務であれ、
 栄光は汝の顔の前にあり
 そして敬虔な友の愛だ。

4.(この節にはベートーヴェンは作曲していない)
So bitt ich dich, Herr Zebaoth,
Auch nicht um langes Leben.
Im Glücke Demut, Mut in Not,
Das wolltest du mir geben.
In deiner Hand steht meine Zeit;
Laß du mich nur Barmherzigkeit
Vor dir im Tode finden.
 こうして私は御身に請う、万軍よ、
 長生きを請うわけでもないが。
 幸福の中の謙遜、窮地の際の勇気、
 それを御身は私に与えようとした。
 御身の手の中にわが時はある。
 御身はただ慈悲を
 御身の前で死する時に私に見出させておくれ。

Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788) sets stanzas 1-2, 4
L. Beethoven sets stanza 1

詩:Christian Fürchtegott Gellert (1715-1769)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827), "Bitten", op. 48 no. 1 (1803), stanza 1, from Sechs Lieder nach Gedichten von Gellert, no. 1

-------------

ベートーヴェンは、1798年/1799年にかけての冬から1802年の3月までクリスティアン・フュルヒテゴット・ゲレルト(Christian Fürchtegott Gellert: 1715.7.4, Hainichen - 1769.12.13, Leipzig)の詩による6曲の歌曲を作曲し、1803年に『ゲレルトの6つの歌曲(Sechs Lieder von Gellert, Op. 48)』として出版されました。

ここで取り上げられたゲレルトの詩は、1757年に出版された「宗教的頌歌と歌曲(Geistliche Oden und Lieder)」から採られています。この詩集からカール・フィリプ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach: 1714.3.8, Weimar - 1788.12.14, Hamburg)が多くの歌曲を作曲しています。ベートーヴェンの作曲した詩とも5編が共通しています(C.P.E.バッハは「神の力と摂理」には作曲しませんでした)。

ベートーヴェンは6曲中最初の5曲ははじめの1節のみ、もしくは2節のみ(「自然における神の栄光」)に作曲して、それ以外の節は省略しました。
現在では演奏者によって元のゲレルトの詩を数節、または全節復活させて歌われることもあります。

余談ですが、詩人の名前の一部「フュルヒテゴット(Fürchtegott)」は「神を畏れよ(Fürchte Gott)」という意味で、名は体を表していますね。

歌曲集第1曲は「祈願(Bitten)」というタイトルで、全4節からなるゲレルトの詩の第1節のみにベートーヴェンは作曲しました。

歩行しているようなピアノの四分音符の進行とメロディアスな歌が美しく絡み合う作品です。曲の最後は歩みも止まり、静かに祈りにふけっているかのようです。

2/2拍子
ホ長調(E-dur)
Feierlich und mit Andacht (荘重に、そして敬虔に)

●ヘルマン・プライ(BR), ヴォルフガング・サヴァリシュ(P)
Hermann Prey(BR), Wolfgang Sawallisch(P)

1980年代前半の脂ののりきった頃のプライの録音と思われます。朗々と響く歌声が何とも温かいです。サヴァリシュの明晰なピアノも素晴らしいです。

●マティアス・ゲルネ(BR), ヤン・リシエツキ(P)
Matthias Goerne(BR), Jan Lisiecki(P)

第1節だけでなく、第2,4節を加えて歌っています。包み込むようなゲルネの声の響きが心地よいです。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(P)

F=ディースカウにしてはかなりゆっくりめのテンポで厳かに歌っているのが印象的でした。

●ペーター・シュライアー(T), ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P)

清澄なシュライアーの歌唱は宗教曲のアリアを真摯に歌っている時を思い起こさせます。

●ジェスィー・ノーマン(S), ジェイムズ・レヴァイン(P)
Jessye Norman(S), James Levine(P)

ノーマンの輝かしい声はこの曲から外に放射される魅力を引き出しているように感じました。

●カール・フィーリプ・エマヌエル・バッハ作曲「祈願」
C.P.E. Bach: Bitten, Wq. 194
ノルベルト・マイン(T), テレンス・チャールストン(P)
Norbert Meyn(T), Terence Charlston(Clavichord)

C.P.E.バッハは第1,2,4節に作曲したそうですが、ここでは第3節も加え、全4節を歌っています。ベートーヴェンの曲よりも深刻な響きですね。

●カール・フィーリプ・エマヌエル・バッハによる「祈願」
C.P.E. Bach: Bitten, Wq. 194
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), イェルク・デームス(Tangentenflügel)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR), Jörg Demus(Tangentenflügel)

ここでF=ディースカウは第1節のみを歌っています。

(参考)

Beethoven-Haus Bonn

The LiederNet Archive

「ゲレルトの詩による6つの歌(リート)」——伯爵夫人の死に際して出版された歌曲集(平野昭)

| |

« エリー・アーメリング他(Ameling, Watkinson, Meens, Holl, Jansen, Brautigam)/ブラームス:四重唱曲、二重唱曲他 初出音源(1983年1月14日, アムステルダム・コンセルトヘバウ(live)他) | トップページ | ベートーヴェン「隣人への愛(Die Liebe des Nächsten, Op. 48, No. 2)」(『ゲレルトの詩による6つの歌曲』より) »

音楽」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

ベートーヴェン」カテゴリの記事

コメント

フランツさん、こんにちは。

この曲集大好きです。
祈願は、祈りそのもののようなメロディがうつくしいですよね。
「私が持たなければならないほどの量を
 御身の慈悲で私に与えたまえ、」は、旧約聖書 箴言30章8節の、「貧しくもなく、また富もせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください」を思いおこします(好きな聖句なんです)。
ゲレルトもそれを意識していてかもしれません。

プライさんのこの音源は、1980年、1981年に録音されたDENON盤だと思います。
この演奏は、音楽好きの著名人何人かが絶賛していました。その方々のお名前等失念してしいましたが。
男性的ど、温かさと威厳が同居した素晴らしい演奏、というような評だったと思います。
この「祈願」は、祈りの思いがストレートに伝わって来ます。彼の歌う宗教曲好きなんですよね。

ゲルネの声はいつも思うのですが、大地のような声ですね。
プライさんの声が父性に包まれているような声だとしたら、ゲルネは大地に抱かれているようなそうな気がします。

ディースカウさんは、宗教曲も歌曲と同じようなアプローチで歌われますね。バッハを聴いていた時も思ったのですが。
プライさんも、バッハだからと言って歌い方を特に変えないと話していましたが、特に宗教曲ですと、歌手の特性が出るようで興味深いです。

シュライヤーは、私はバッハから入ったせいか、宗教曲歌いのイメージが強いんです。
この演奏も、真摯で、演奏会というより、教会で歌っているかのようでした。緩急等の表現はついていますが。

とりあえず、一度送信します。

投稿: 真子 | 2021年7月31日 (土曜日) 11時49分

真子さん、こんばんは。

真子さんはこの歌曲集がお好きなのですね。
クリスチャンではない私でも背筋が伸びるような厳かさと真摯さを感じます。
ゲレルトという人は同時代の多くの人たちから敬意をもたれていたようです。

「貧しくもなく、また富もせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください」
素敵な言葉ですね。
ヴォルフが作曲したメーリケの「祈り」という詩も「喜びでも/悲しみでも/ありあまるほどは下さいませんように!」と主に祈るという句があり、それを思い出しました。

プライのDENON盤は声の艶と表現の素晴らしさが魅力的ですね。ムーアやホカンソンとの録音も素晴らしいですが、このサヴァリシュとの共演盤は特別な魅力を感じます。プライは宗教的な作品を歌う時に人間らしさを感じさせてくれるところがいいなぁと思います。

バッハもロマン派歌曲も歌い方を変えないというのは、様式をしっかり身に着けているプライならではの自信のようなものがあるように感じました。

実は私がはじめてこの歌曲集を聴いたのはF=ディースカウ&ムーアのザルツブルク・ライヴの録音だったので、彼の巧みな語り掛けに惹きつけられます。このデームスとのスタジオ録音は随分たっぷりしたテンポ設定で興味深いです。

シュライアーといえばエヴァンゲリストという印象をお持ちの方も多いように思います。私は一度生で彼の「マタイ」のエヴァンゲリストを聴いたことがあるのですが(確か指揮も兼ねていたと記憶しています)もうただただ感動でした。

投稿: フランツ | 2021年7月31日 (土曜日) 21時10分

フランツさん、こんばんは。

続きです。
ノーマンのこの演奏は力強く輝かしいですね。
祈りはいつも内に向かうと限りません。
溢れる感謝であったり、喜び、また慟哭、言葉にならない呻きであることもあります。
特に、悩みや病にあるとき、
〉わが城、わが岩、わが避難所
と、祈られる事は多いです。
わが隠れ家と表現される事もあります。
ルターは、「神はわがやぐら、わが強き盾」という讃美歌を書いています。
ノーマンの力のこもった演奏は、私を強く守って下さる神を思わせます。

カール・フィリーブ・エマニエル・バッハの祈願も、いい曲ですね。
ディースカウさんのゆっくり取ったテンポの歌いぶりがとても心にしみました。

ヴォルフ=メーリケの「祈り」にも、箴言を思わせる歌詞が入っているのですね。
この句を好きな人は多いと思います。

〉プライのDENON盤は声の艶と表現の素晴らしさが魅力的ですね
そうなんですよね。若い頃の演奏も素晴らしいのですが、年を重ねた分、宗教曲への深みも増したように感じます。
その上で、
〉プライは宗教的な作品を歌う時に人間らしさを感じさせてくれるところがいいなぁと思います。
と、温かい共感も感じさせてくれるのですよね。

〉バッハもロマン派歌曲も歌い方を変えないというのは、様式をしっかり身に着けているプライならではの自信のようなものがあるように感じました。
プライさんは、プロの批評家からも、よく「プライは、何も考えずにさらりと歌っている」などと批されましたが(そんなわけないでしょう!)、フランツさんのように愛を持って歌手の真意を聴いて下さると、ファンとして本当に嬉しく思います。
プライさんだけでなく、どの歌手にも、敬意と温かい眼差しで聴いておられる姿勢にいつも感銘を受けています。

伊藤京子さんが亡くなられましたね。声楽を始めた頃、伊藤さんが歌われた、山田耕筰=三木露風の「野薔薇」に引き込まれて、何度も何度も聴いた事を思い出します。
ご冥福をお祈りいたします。

投稿: 真子 | 2021年8月 1日 (日曜日) 22時40分

真子さん、こんばんは。

>祈りはいつも内に向かうと限りません。

ノーマンの外に向かう歌声は、天の神様と地上の人々の間をとりもつ巫女さんのような印象をもちました。朗々と響く声は神々しいですね。

"Meine Burg, mein Fels, mein Hort,"をどう訳したらいいのか悩んだのですが、おそらくキリスト教圏で決まった言い方なのかなと想像しつつも辞書の訳を使いました。
"Burg"は「やぐら」、"Hort"は「隠れ家」と訳されるのですね。有難うございます。この類のテキストはキリスト教の知識がないと結構訳すのが大変です。

C.P.E. バッハの曲もいいですよね。F=ディースカウはデームスと1枚録音を残してくれています。

「プライは、何も考えずにさらりと歌っている」と批判されたのですね。プライが念入りに準備したうえでそれと気づかせない自然さで歌っているという意味では「さらりと歌う」というのは理想的ですよね。「何も考えずに」というのは単なる偏見だと思いますが。
逆にF=ディースカウは「芝居がかっていて鼻につく」と日本の批評家によく言われました。まぁ感じ方は人それぞれなので好き嫌いはあるとは思いますが、批評家は好き嫌いは置いといて批評すべきだよなぁとよく思ったものでした。

お褒めいただき、有難うございます。たくさんの演奏家がいればそれぞれの特徴があるので、せっかくならば多様な演奏を楽しんで聴きたいと思っています。
真子さんもいつも素敵な言い回しで演奏家の特徴を表現してくださり、素晴らしいなぁと思っています。声を色に例えるということも私は出来ないので、真子さんの才能ですね。

伊藤京子さんはビクターの膨大な日本歌曲全集の録音で名前を見て以来、日本歌曲の歌手というイメージでいました。先ほども「からたちの花」などを聴いて素晴らしいなぁと思ったのですが、Appleのサブスクリプションで「カルミナブラーナ」の日本初演という貴重な音源を聴くことが出来て、こちらも素晴らしかったです。実演を聴けなかったのが残念です。

投稿: フランツ | 2021年8月 2日 (月曜日) 19時14分

フランツさん、こんにちは。

ここ数日暑いですね。
さて、キリスト教界にも業界用語なるものがあらりまして(笑)、馴染みのない方には分かりづらいですよね。

先に書きましたルターの作った讃美歌のドイツ語ですが、Ein' feste Burg ist unser Gott, となっています。
日本語訳(1954年版讃美歌)では、前回書いたように「神はわがやぐら、わが強き盾」になっています。
すべての讃美歌の原詩を調べたわけではありませんが、「やぐら」はよく使われる訳詞だと思います。

参考聖句は、旧約聖書詩篇46篇2節。
神は神はわれらの避け所またちからである。悩める時のいと近き助けである。(1955年改訳口語訳聖書 日本聖書協会)

神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。(1987年改訳新共同訳聖書 日本聖書協会)

神は我らの逃れ場、我らの力。苦難の時の傍らの助け。(2918年訳 聖書協会共同訳 日本聖書協会)

と、それぞれなっています。
この詩篇46篇は、ルターの愛唱聖句だったようです。
ちなみに、新共同、共同訳と言うのは、それまで別々に聖書翻訳していたカトリックとプロテスタントが1987年に、初めて共同で聖書を訳す作業をしたことを表します。エキュメニズム(教会一致運動)としてなされたものです。(厳密に言えば新共同訳の前に、1978年に新約だけが訳されています)。

聖書辞典をひきますと、やぐら→要害=塔、砦は神の保護の象徴とされた。
と、あります。
表現は色々ですが、神が守って下さると言うことですね。
訳の慣習と言うのは、なかなか崩せないものだと、ある旧約学者が言っていました。
代々、教会や信徒に受け継がれて来たものでもありますから、新しく訳出するときも苦労があるようです。

一つの参考として、書いてみました。

投稿: 真子 | 2021年8月 6日 (金曜日) 16時20分

真子さん、こんにちは。

暑いですね。
ここ1、2週間を乗り切れば少しは暑さも和らぐことを信じて過ごしたいですね。
熱中症にはお互い気を付けましょう。

キリスト教の業界用語についてご教示いただき、有難うございます!

ルターの「神はわがやぐら(Ein' feste Burg ist unser Gott)」聴いてみました。
Wikipediaによると日本福音連盟では「み神は城なり」と訳しているそうですね。

参考聖句の3種類の訳もそれぞれで興味深かったです。
聞き比べならぬ読み比べですね。
「避け所」と「逃れ場」、「力」と「砦」、比較してみるとその句がどういうことを言おうとしているのかがより明瞭になる気がしました。

1987年にカトリックとプロテスタントが共同で訳していたのですね。立場の違いを超えて一つの目標に向けて協力する姿勢はなんかいいですね。

>やぐら→要害=塔、砦は神の保護の象徴とされた。
と、あります。
表現は色々ですが、神が守って下さると言うことですね。

なるほどそういうことなのですか。すごく分かりやすいご説明を有難うございます(^^)

>訳の慣習と言うのは、なかなか崩せないものだと、ある旧約学者が言っていました。

これ僭越ながら私も分かる気がします。
ドイツリートのタイトル訳も個人的に変えたいと思うことがあっても躊躇してしまうことがありますし、一周回って、意味するところは従来の訳の方がより適切だったと納得することもあります。

いろいろな文献も調べていただき、解説を有難うございました!

投稿: フランツ | 2021年8月 7日 (土曜日) 11時36分

フランツさん、こんにちは。

日本福音連盟の「聖歌」のことをすっかり失念しておりました。
「聖歌」は私も持っているのですが、「讃美歌」に比べ直訳的です。
だから、Burgをそのまま城と訳したのではないかと想像します。
ちなみに「讃美歌」は叙情的な訳が多いです。

一例としまして、イースター(復活祭)に歌われる曲をあげてみます。
讃美歌496
1、うるわしの白百合 ささやきぬ昔を、
イエス君(きみ)の墓より いでましし昔を
2、春に合う花百合 夢路よりめさめて、
限りなき命に 咲きいずる姿よ

(くりかえし)
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花 百合の花
ささやきぬ 昔を

聖歌661
1、イースターの朝には
白百合をいけましょう。
イエスさまが命に
帰られたよい日です。

2、ああ冬中 地面の中におった白百合
目に見えぬ命が 春をまっておったのです。

(くりかえし)
ああ白百合!主イエスがよみがえった良い日を、
記念してかおるのか イースターの良い日に。

長くなるので、三番は省略しましたが、それぞれの歌集の傾向がわかると思います。
この他にも、パプテスト連盟が採用している「新生讃美歌」や、聖公会、カトリック教会も独自の讃美歌集を持っています。

1954年版讃美歌が、一番クリスチャンでない日本人に馴染んでいる讃美歌集だと思いますが、この讃美歌も1997年に改定されています。
文語から口語に変わった曲も多く、当初は信徒の「受け」があまりよくなかったようです。
私も馴染みのある1954年版を、一人で歌う時は使っています。
あの文語訳が好きなんですよね(^^)。
聖書訳だけではなく、讃美歌も慣習が根強いんですね。

その観点から、私はカトリックの方々に敬意を表します。1987年に出された新共同訳聖書では、それまでの「イエズス」から、「イエス」に変わっているからです。
信仰の対象である方のお名前が変わると言うのは、大変なことであったと思います。

尚、今回は日本聖書協会の聖書にしぼりましたが、日本聖書刊行会の聖書、カトリックの、バルバロ訳聖書、フランシスコ会訳聖書、個人訳聖書もいくつかあります。
おっしゃる通り、読み比べも楽しいです。
ただ、比べてばかりいると、なかなか先にすすみませんが笑

聖書翻訳史なんかも好きなもので、長くなってしまい、失礼しました(^-^;

投稿: 真子 | 2021年8月 7日 (土曜日) 17時01分

真子さん、こんばんは。

讃美歌の訳の違いなど、ご説明を有難うございます。
文語と口語でこうも違うのですね。
とても興味深いです。
私がリートを訳す時は、文語体の知識がない為に口語で訳しているのですが、読む立場からすると文語体の方が趣がありますよね。

「イエズス」から「イエス」への変更は確かに信者の方にとって思い切った決断だったことと想像されます。慣例的な訳語を変更するのは勇気がいりますよね。

>今回は日本聖書協会の聖書にしぼりましたが、日本聖書刊行会の聖書、カトリックの、バルバロ訳聖書、フランシスコ会訳聖書、個人訳聖書もいくつかあります。

すごい翻訳の歴史があるのですね。これだけで研究分野になりそうですね。

今回もとても勉強になりました。有難うございます!

投稿: フランツ | 2021年8月 8日 (日曜日) 19時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« エリー・アーメリング他(Ameling, Watkinson, Meens, Holl, Jansen, Brautigam)/ブラームス:四重唱曲、二重唱曲他 初出音源(1983年1月14日, アムステルダム・コンセルトヘバウ(live)他) | トップページ | ベートーヴェン「隣人への愛(Die Liebe des Nächsten, Op. 48, No. 2)」(『ゲレルトの詩による6つの歌曲』より) »