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クリスタ・ルートヴィヒ(Christa Ludwig)逝去

20世紀の代表的なメゾソプラノ歌手の一人、クリスタ・ルートヴィヒ(Christa Ludwig: 1928.3.16 - 2021.4.24)が亡くなりました。
93歳とのことなので、大往生ではありますが、やはり訃報を聞くのは悲しいものです。

New York Times

Gramophone

BR Klassik

私がはじめて聞いたルートヴィヒの音源は今でもはっきりと覚えています。Deutsche Grammophonの音源から有名な声楽曲をまとめたカセットテープを中学生の頃に小遣いで買ったのですが、その中に彼女の歌ったシューベルト「アヴェ・マリア」が入っていたのです(アーウィン・ゲイジのピアノ)。

そのカセットテープを買った本来の目的は「魔王」だったのですが、そのすぐ後にこの「アヴェ・マリア」が置かれていたので、テープを流しっぱなしにするとルートヴィヒの神々しい声が響いてきました。

●シューベルト/アヴェ・マリア D 839
Schubert: Ave Maria, Op. 52/6, D 839
Christa Ludwig(MS), Irwin Gage

歌曲の虜となり少しずつ聴きはじめていた頃の私に歌曲のことをいろいろ教えてくれた方が聴かせてくださったのが、ルートヴィヒの歌曲集『女の愛と生涯』とブラームスの歌曲集『ジプシーの歌』や「甲斐なきセレナード」等の入ったLP録音でした。
これらの歌曲はこのルートヴィヒ&ムーアの録音で初めて知ったので、私の中ではやはり思い出深い演奏です。

ジェラルド・ムーアがルートヴィヒについて名著『お耳ざわりですか』で述べた言葉を引用します。

「クリスタ・ルートヴィヒと《甲斐なきセレナーデ》の録音をした際、彼女のテンポが私の感覚では少し遅すぎるように思った。しかし出来上がったレコードを聴いてみると、その解釈はまったく妥当で、すばらしい出来映えであった。少しおそめのテンポは、彼女の豊かな声に、まさにぴったりなのであった。」(萩原和子・本澤尚道訳:音楽之友社:昭和57年第1刷)

私は「甲斐なきセレナード」を初めて聴いたのが、このルートヴィヒとムーアの録音だった為、これが遅いとは思っておらず、後に他の演奏を聴いて、ようやくムーアの言っていた意味が分かったという記憶があります。

●ブラームス/甲斐なきセレナード
Brahms: Vergebliche Ständchen
Christa Ludwig(MS), Gerald Moore(P)

ちなみにこのコンビがBBCの為に映像収録した演奏を見ることが出来ます。

●ブラームス/甲斐なきセレナード
Brahms: Vergebliche Ständchen
Christa Ludwig(MS), Gerald Moore(P)

フィッシャー=ディースカウとムーアが1960年代後半から1970年代前半にかけて膨大なシューベルト歌曲全集をDeutsche Grammophonに録音した後、女声用の録音をすることになり、白羽の矢がたったのがルートヴィヒでした。彼女はゲイジと1973~1974年にかけて2枚の歌曲集を録音しましたが、何故かそれだけで中断してしまい、ヤノヴィツがゲイジとその後を引き継ぎました。しかし、その2枚の録音は今でもCDとして聴くことが出来ます。

●シューベルト/糸車のグレートヒェン(糸を紡ぐグレートヒェン)
Schubert: Gretchen am Spinnrade, Op.2, D.118

その後、彼女は先日亡くなった指揮者のレヴァインをピアニストに迎えて、女声が歌うのは当時まだ珍しかった「冬の旅」を録音しました(1986年)。
これは主人公になりきるというよりは、母親のように主人公を温かく見守るような歌唱と感じました。当時話題になったものです。

●シューベルト/歌曲集『冬の旅』D 911から「春の夢」
Schubert: Winterreise, Op.89, D.911 - 11. Frühlingstraum
Christa Ludwig(MS), James Levine(P)

ルートヴィヒが録音で共演したピアニストは、エリク・ヴェルバ、ジェラルド・ムーア、ジェフリー・パーソンズ、アーウィン・ゲイジ、レナード・バーンスタイン、ダニエル・バレンボイム、ジェイムズ・レヴァイン、チャールズ・スペンサー等と多岐に渡っています。ところがザルツブルク音楽祭やシューベルティアーデのコンサートアーカイヴを見ると、彼女の共演者はほぼヴェルバばかりで、晩年はスペンサーと組んでいたようです。

ルートヴィヒの歌曲の歌唱は、比較的ゆったり余裕のあるテンポでフレーズを流麗に響かせ、生の直接的な感情表現も辞さない潔さがあったように思います。内に内にこもる歌唱とは対照的で、旋律の美しさをそのまま引き立たせる歌唱だったように思います。包容力のある美声やドイツ語のディクション、表現力は本当に素晴らしかったです。彼女の録音やコンサートで歌曲を好きになった方もきっと多くいらっしゃることでしょう。

彼女のライヴ映像やマスタークラスの映像は幸い動画サイトにアップされていました。それらを少しずつ見ていきたいと思います。

また一人馴染みの歌手が去り、本当に寂しいですが、安らかにお休みください。

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コメント

フランツさん、こんにちは。

ルートヴィヒ亡くなったのですね。寂しいですね。
彼女の歌で印象に残っているのは、1990年年代にNHKで流れたリートリサイタルの中の、シューベルトの「夕映えの中で」です。

お書きになっている通りのゆったりとしたテンポで歌われる「夕映えの中で」では、彼女の世界観に包まれて心地よかったのを覚えています。

地上は寂しくなりましたが、天国できっとまた歌っておられますね。

投稿: 真子 | 2021年4月27日 (火曜日) 14時35分

真子さん、こんばんは。

歌曲の素晴らしさを教えてくれた歌手がまた一人旅立ってしまい寂しいです。

真子さんがご覧になったのは来日公演の映像でしょうか。彼女の「夕映えの中で」も神々しく感じられますね。
ルートヴィヒの歌は外に放射するような魅力が感じられます。リートは内向的というイメージが強いですが、彼女の歌はメロディーラインの美しさを素直に味わわせてくれたと思います。

>地上は寂しくなりましたが、天国できっとまた歌っておられますね。

本当にそうですね。あちら側では名歌手たちが毎日リサイタルを開いているのかもしれませんね。

投稿: フランツ | 2021年4月27日 (火曜日) 19時49分

フランツさん、こんばんは。

私が見たルートヴィヒの映像は、来日公演のものだったと記憶しています。
ビデオテープに録ったものを、声楽の先生にお貸ししたら、他の生徒にも見せたいからテープを欲しいと言われ、差し上げました。
今から、10枚までダビングできますが。

録画は手元からなくなりましたが、あの感動は覚えています。
深いメゾソプラノで歌われる「夕映えの中で」は、沈み行く夕陽、夜のとばりが降りる前の、独特の時間感まで表していたように思います。
ボニーのようなソプラノで聞くと、同じ夕映えでも、彩度の高いオレンジなんですよね。
ルートヴィヒの表すオレンジは、
もう少し深い茜色でした。

私はソプラノの声はピンクに聞こえるので、桜色、桃色、ヤマツツジのような紫かがったピンク、深紅等々に聞き分けたりしています。
話がそれましたが、深みのあるルートヴィヒのメゾは、本当に魅力的でした。

投稿: | 2021年4月28日 (水曜日) 22時56分

真子さん、こんばんは。

ルートヴィヒの映像、来日公演だったのですね。
声楽の先生におねだりされてしまったのですか。
手元からなくなってしまったのは残念ですね。
でも真子さんの記憶にはしっかり残っておられて良かったです(^^)

>沈み行く夕陽、夜のとばりが降りる前の、独特の時間感まで表していたように思います。

素敵なご感想ですね!ルートヴィヒの豊かで包み込むような歌は自然への信仰心のようにも感じられました。

真子さんは歌声が色で感じられるのですね。
素晴らしいです!
作曲家のスクリャービンは音を聞くと色が思い浮かんだそうです。
私は残念ながらそういう感覚をもっていないのですが、音や響きに対して視覚でも感じられるという方は持って生まれたものなのかもしれませんね。

有難うございました!

投稿: フランツ | 2021年4月29日 (木曜日) 20時28分

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