シューベルト「ヒッポリュトスの歌(Hippolits Lied, D890)」を聴く
Hippolits Lied, D890
ヒッポリュトスの歌
Laßt mich, ob ich auch still verglüh',
Laßt mich nur stille gehn;
Sie seh' ich spät, Sie seh' ich früh
Und ewig vor mir stehn.
放っておいて、私が静かに燃え尽きようとも。
ただ静かに行かせてほしい。
遅かろうが早かろうが彼女に会い、
永遠に私の前に立つのだ。
Was ladet ihr zur Ruh' mich ein?
Sie nahm die Ruh' mir fort;
Und wo Sie ist, da muß ich seyn,
Hier sey es oder dort.
何できみたちは私を憩いに誘うのか?
彼女は憩いを私から奪ってしまった。
そして彼女のいるところに私は行かねばならぬ、
ここだろうが、あちらだろうが。
Zürnt diesem armen Herzen nicht,
Es hat nur einen Fehl:
Treu muß es schlagen bis es bricht,
Und hat deß nimmer Hehl.
この哀れな心を恨むな、
それはただ一つの欠点がある。
破れるまで忠実に打ち続けなければならない、
決して隠すことなく。
Laßt mich, ich denke doch nur Sie;
In Ihr nur denke ich;
Ja! ohne Sie wär' ich einst nie
Bei Engeln ewiglich.
放っておいて、私はただ彼女のことを思っている、
彼女の中でだけ私は思う。
そう!彼女がいなければいつの日か
天使のそばに永遠にいることは出来ないだろう。
Im Leben denn und auch im Tod',
Im Himmel, so wie hier,
Im Glück und in der Trennung Noth
Gehör' ich einzig Ihr.
生きていようが、死んでいようが、
天国にいようが、ここと同じだ。
幸せの中だろうが、別れの苦しみの中だろうが、
私はただ彼女のもの。
詩:Georg Friedrich Conrad Ludwig Müller von Gerstenbergk (1778-1838)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)
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有名な哲学者アルトゥア・ショーペンハウアーの母ヨハンナ・ショーペンハウアー(Johanna Schopenhauer)の小説にこの詩が登場する為、ヨハンナの作と思われることが多かったようですし、グレアム・ジョンソンによればシューベルト自身もそう信じていた可能性があるようです。
ヨハンナはこの「ヒッポリュトスの歌」が含まれる『ガブリエーレ(Gabriele)』の序文に「この本に含まれる詩は私の作ではありません(daß daher die in diesem Buche enthaltnen Gedichte nicht von mir sind.)」と明記しています。
実際の作者はゲオルク・フリードリヒ・コンラート・ルートヴィヒ・ミュラー・フォン・ゲルステンベルクという人です。
父の姓がミュラー、母の姓がフォン・ゲルステンベルクだそうです。
ヒッポリュトスというのはギリシャ神話の登場人物で、テーセウスとアンティオペー(またはヒッポリュテーかメラニッペー)の子です。狩猟・貞潔の女神アルテミスと森に住んでいました。アプロディーテーの策略により継母パイドラーから求愛されますが、断ったことでパイドラーは遺書を残して自殺し、その為にテーセウスの呪いを受け、ヒッポリュトスは戦車を曳いていた馬に轢かれて亡くなります。
このゲルステンベルクの詩でヒッポリュトスが愛した女性は誰のことなのでしょう。アルテミスはヒッポリュトスにとって恋愛の対象ではなく崇拝の対象のようです。
グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)によると、ヒッポリュトスを題材にしたジャン・ラシーヌ(Jean Racine)の作品『フェードル(Phèdre)』にアリシー(Aricie)というキャラクターが登場しており、そこではアリシーへの愛をヒッポリュトスが父親に打ち明けているそうです。
このシューベルトの作品をはじめて聴いたのはF=ディースカウが1980年代にブレンデルと録音したCDでした。ピアノの弱拍に絶えずあらわれるプラルトリラー(元の音から2度上の音に行き、また元の音に戻る装飾音)が特徴的で一瞬のうちに魅了されたことを思い出します。
曲はA-B-A-B-A'のほぼ有節形式といってよいでしょう。最後のA'は最後の2行を繰り返すのですが、"Gehör'"の"hör"の音がこれまでの2点ホ音(E)より1音高い2点ヘ音(F)になって締めくくるところがなんとも心憎いと思います。私はここでぐっときてしまいます。
1826年7月作曲
2/2拍子
イ短調(a-moll)
Etwas langsam
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & アルフレート・ブレンデル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Alfred Brendel(P)
いい具合に枯れた当時のF=ディースカウの声が、この作品の雰囲気にぴったりはまっています。
●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Gerald Moore(P)
ここでF=ディースカウはAの4行目の前打音付きの音(例えば第1節の"ewig")を「ホ-ニ」と八分音符で分けずに「ホ」の四分音符のみで歌っています(ブレンデルと共演の盤では「ホ-ニ」で歌っています)が、シューベルトの記譜ではこの歌い方も正しいようです(「音楽に寄せて」D547の"entzunden"も同様の例です)。最後の節の"Gehör'"の"hör"は装飾音ではなく、八分音符2つで記されているので、ここだけは八分音符2つがシューベルトの意図に沿うことになり、F=ディースカウもそのように歌っています。
●ズィークフリート・ローレンツ(BR) & ノーマン・シェトラー(P)
Siegfried Lorenz(BR) & Norman Shetler(P)
F=ディースカウやプライの次の世代のリート歌手として名前の挙がっていたローレンツの歌唱です。ディクションも歌唱も美しく素晴らしいと思います!
●マルクス・シェーファー(T) & ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Markus Schäfer(T) & Ulrich Eisenlohr(P)
シェーファーの真摯な歌いぶりもいいですね。アイゼンローアはプラルトリラーの弾きはじめを左手の音の前に出さず、同時に弾いていますが、また違った趣があります。
●イアン・ボストリッジ(T) & ジュリアス・ドレイク(P)
Ian Bostridge(T) & Julius Drake(P)
ウィグモア・ホールでのライヴ録音。曲に合わせたのかボストリッジの声がやや重めに感じられます。ドレイクがプラルトリラーを強調して弾いているのも印象的です。
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コメント
フランツさん、こんばんは。
この曲、初めて聴きました。
繊細で美しい曲ですね。
どの演奏もそれぞれによかったです。
ローレンツのバリトンもいいですね。あの頃、音楽雑誌を定期購読していましたが、名前に覚えがなくて、、 いい歌手ですね。
ボストリッジは、最初オーソドックスだったのが、だんだんボスリッジ節が現れそうになっていましたね。
最近は動かないで歌っているのでしょうか?
美しい曲をご紹介頂き、ありがとうございました。
投稿: 真子 | 2021年4月 4日 (日曜日) 08時40分
真子さん、こんばんは。
この曲、めったに演奏されないのですが、とても気に入っている曲なので、聴いていただけて良かったです(^^)
ずっと曲の間中つきまとうような装飾音を伴うピアノパートがまず耳に残り、歌は沈んだ雰囲気の中訴えかけてくるものが感じられて一度聴いて忘れられなくなった曲です。
ローレンツは80年代か90年代前半ぐらいに海外の音楽雑誌で書かれた記事を日本の雑誌で紹介していたのを読んだのですが、白井光子さんらと並んでローレンツが紹介されていました。ピアニストのノーマン・シェトラーと組んで多くのシューベルトの歌曲を録音しています。すでに75歳になられたそうで時の流れの速さに驚かされます。テレビ放送でベックメッサーを歌っているのを大昔に見た記憶があります。
ボストリッジは時々かなり個性的な表現に傾くことがあるのですが、一方で真っ当に歌ったりもするので興味深いです。
彼の実演は、気まぐれに歩き回ったり、足を交差したり、ポケットに手をつっこんで歌ったりするので、たまに目をつむって聞きたくなりますが、それでも声は素晴らしいので聴きに行きたくなります。最近はどうなのでしょうね。録音セッションの映像などを見ると、大人しく一か所に留まって歌っていたりもするので、もしかしたらステージ用の演出なのかもしれませんが、ジャーナリストの方がそのへんをつっこんで聞いてくれないだろうかと思ってしまいます。
投稿: フランツ | 2021年4月 4日 (日曜日) 17時54分