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ベートーヴェン「奇跡的に愛らしい花(Das Blümchen Wunderhold, Op. 52, Op. 8)」

Das Blümchen Wunderhold, Op. 52, Op. 8
 奇跡的に愛らしい花

1.
Es blüht ein Blümchen irgendwo
In einem stillen Thal;
Das schmeichelt Aug' und Herz so froh
Wie Abendsonnenstrahl;
Das ist viel köstlicher als Gold,
Als Perl' und Diamant:
Drum wird es "Blümchen Wunderhold"
Mit gutem Fug genannt.
 ある花が咲いている、
 静かな谷のどこかに。
 それは目と心を喜ばせ、
 夕日の光のように喜ばしい。
 金よりもずっと価値がある、
 真珠やダイアモンドよりも。
 だから「奇跡的に愛らしい花」と
 当然呼ばれている。

2.
Wohl sänge sich(*) ein langes Lied
Von meines Blümchens Kraft;
Wie es am Leib' und am Gemüth
So hohe Wunder schafft.
Was kein geheimes Elixir
Dir sonst gewähren kann,
Das leistet traun mein Blümchen dir!
Man säh' es ihm nicht an.
 ある長い歌をうまく歌うだろう、
 私の花のもつ力についての歌を。
 いかに体と心に
 かくも大きな奇跡をうみだすことか。
 秘薬が
 あなたにかつて与えることの出来なかったもの、
 それは私の花があなたに確かに与えるのだ!
 見えるものではないだろうが。

(*: 原詩ではich)

3.
Wer Wunderhold im Busen hegt,
Wird wie ein Engel schön.
Das hab' ich, inniglich bewegt,
An Mann und Weib gesehn.
An Mann und Weib, alt oder jung,
Zieht's wie ein Talisman
Der schönsten Seelen Huldigung
Unwiderstehlich an.
 奇跡的に愛らしいものを胸に抱く者は
 天使のように美しくなる。
 そのことを私は、心から感動して
 男性や女性の中に見た。
 男性や女性、老いも若きも、
 お守りのように
 最も美しい魂の忠誠心を
 抗いがたく身に付ける。

4.(この節は出版譜に記されていません)
Auf steifem Hals ein Strotzerhaupt,
Dess' Wangen hoch sich bläh'n,
Dess' Nase nur nach Äther schnaubt,
Läßt doch gewiß nicht schön.
Wenn irgend nun ein Rang, wenn Gold
Zu steif den Hals dir gab,
So schmeidigt ihn mein Wunderhold
Und biegt dein Haupt herab.
 首の凝り固まった高慢な者の頭、
 その頬は高くふくらみ、
 その鼻はただ荒い息をたてているが、
 確かに美しくないままだ。
 とにかく地位や金が
 あなたにあまりにも凝り固まった首を与えたのなら
 私の奇跡的に愛らしいものが首をしなやかにして
 あなたの頭をかがめよう。

5.(この節は出版譜に記されていません)
Es webet über dein Gesicht
Der Anmut Rosenflor;
Und zieht des Auges grellem Licht
Die Wimper mildernd vor.
Es teilt der Flöte weichen Klang
Des Schreiers Kehle mit,
Und wandelt in Zephyrengang
Des Stürmers Poltertritt.
 あなたの顔の上に
 優美なばらが咲き誇っている、
 目に刺さるような光よりも
 まつげにやさしい方がいい。
 フルートの柔らかい音を
 わめきちらす者の喉が伝える。
 そして微風のそよぎの中の歩みになるのだ、
 向こう見ずな者のドタバタした足どりが。

6.(この節は出版譜に記されていません)
Der Laute gleicht des Menschen Herz,
Zu Sang und Klang gebaut,
Doch spielen sie oft Lust und Schmerz
Zu stürmisch und zu laut:
Der Schmerz, wann Ehre, Macht und Gold
Vor deinen Wünschen fliehn,
Und Lust, wann sie in deinen Sold
Mit Siegeskränzen ziehn.
 人の心はリュートに似ていて、
 歌や響きになる。
 だがそれらは喜びや苦悩を奏でるが
 しばしばあまりに激しく声高に過ぎる。
 苦悩は、栄誉、権力、金を
 望んだのに消え去ってしまうときに、
 そして喜びは、歌や響きが
 勝利の栄冠を伴って俸給となるときに生じる。

7.(この節は出版譜に記されていません)
O wie dann Wunderhold das Herz
So mild und lieblich stimmt!
Wie allgefällig Ernst und Scherz
In seinem Zauber schwimmt!
Wie man alsdann nichts thut und spricht,
Drob jemand zürnen kann!
Das macht, man trotzt und strotzet nicht
Und drängt sich nicht voran.
 おお、なんと奇跡的に愛らしいものは心を
 こんなにも穏やかに快い気分にしてくれることか!
 好ましいまじめさも冗談も
 いかに愛らしいものの魔力の中に漂うことか!
 すると誰かが腹を立てるようなことを
 したり話したりすることは何もなくなるのだ!
 反抗したり高慢になったり
 我先に突き進むことのないようにしてくれるのだ。

8.(この節は出版譜に記されていません)
O wie man dann so wohlgemuth,
So friedlich lebt und webt!
Wie um das Lager, wo man ruht,
Der Schlaf so segnend schwebt!
Denn Wunderhold hält alles fern,
Was giftig beißt und sticht;
Und stäch' ein Molch auch noch so gern,
So kann und kann er nicht.
 おお、人はなんと機嫌よく
 平和に暮らし、活動することか!
 人が休む寝床のまわりを
 眠りが祝福しながら漂うことか!
 なぜなら奇跡的に愛らしいものは、
 毒をもってかんだり刺したりするものを遠ざけておくから。
 サンショウウオがどれほど刺したがろうが、
 刺すことが出来ようが、出来まいが。

9.(この節は出版譜に記されていません)
Ich sing', o Lieber, glaub' es mir,
Nichts aus der Fabelwelt,
Wenn gleich ein solches Wunder dir
Fast hart zu glauben fällt.
Mein Lied ist nur ein Widerschein
Der Himmelslieblichkeit,
Die Wunderhold auf Groß und Klein
In Thun und Wesen streut.
 私が歌うのは、おお親愛なる者よ、私を信じておくれ、
 寓話の世界のものではない、
 そのような奇跡があなたに
 信じるのがほとんど難しいほど降りかかっても。
 私の歌はただ
 天国の愛らしさの反映なのだ、
 その愛らしさは、奇跡的に愛らしいものが大小にかからわず
 行動と存在の中にまくもの。

10.
Ach! hättest du nur die gekannt,
Die einst mein Kleinod war -
Der Tod entriß sie meiner Hand
Hart hinterm Traualtar --
Dann würdest du es ganz verstehn,
Was Wunderhold vermag,
Und in das Licht der Wahrheit sehn,
Wie in den hellen Tag.
 ああ!あなたがただあの女(ひと)を知っていたならば、
 かつて私の宝物だった女(ひと)を。
 死が彼女を私の手から奪った、
 非情にも婚礼祭壇の向こう側へ。
 するとあなたは完全に理解するだろう、
 奇跡的に愛らしいものの能力を。
 そして真実の光の中へと見るだろう、
 明るい昼間の中のように。

11.(この節は出版譜に記されていません)
Wohl hundertmal verdankt' ich ihr
Des Blümchens Segensflor.
Sanft schob sie's in den Busen mir
Zurück, wann ich's verlor.
Jetzt rafft ein Geist der Ungeduld
Es oft mir aus der Brust.
Erst, wann ich büße meine Schuld,
Bereu' ich den Verlust.
 何百回もの
 この花の祝福された盛りは彼女のおかげだった。
 そっと彼女はそれを私の胸に戻した、
 私が失くしたとき。
 今や待ちきれない心が
 それを幾度も私の胸からつかみとった。
 ようやく、私が罪を償うとき、
 私は失ったものを悔やむだろう。

12.(この節は出版譜に記されていません)
O was des Blümchens Wunderkraft
Am Leib' und am Gemüt
Ihr, meiner Holdin, einst verschafft,
Faßt nicht das längste Lied! -
Weil's mehr, als Seide, Perl' und Gold
Der Schönheit Zier verleiht,
So nenn' ich's "Blümchen Wunderhold",
Sonst heißt's - Bescheidenheit.
 おお、この花の奇跡の力が
 私の恋人である彼女の体と心に
 かつて与えたものは
 長い歌で表せなかった!
 それは、絹や真珠や金よりも多く
 美しい装身具を与えるので、
 私はそれを「奇跡的に愛らしい花」と呼び、
 ほかに「慎ましいもの」と呼ばれている。

詩:Gottfried August Bürger (1747-1794)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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Op. 52の最後に置かれた第8曲「奇跡的に愛らしい花」は、第5曲「モリーの別れ」同様ビュルガーの詩によります。

※ちなみにゲーテの詩による第7曲「マーモット(Marmotte)」は過去に記事にしていますので、そちらをご覧ください。http://franzpeter.cocolog-nifty.com/taubenpost/2018/11/marmotte-op-52-.html

詩は「奇跡的に愛らしい花」がどんな効能をもっているかが描かれていきますが、最後に結婚を目前にして主人公の恋人が亡くなったことが明かされます。

ビュルガーの原詩は全12節からなりますが、ベートーヴェンは第1,2,3,10節の4つの節を選び完全な有節形式で作曲しています。

歌声部は器楽的な発想でつくられているように思えます。ピアノパートの右手高音部はやはり歌声を完全になぞっていて、後奏も愛らしいです。作曲年は不詳ですが、おそらく若い頃の作品ではないかと想像されます(ちなみにベートーヴェン研究家の平野昭氏は「1790年代半ば頃か?」と記載しておられます)。素朴な美しさが感じられ、動画サイトにも様々な演奏がアップされている比較的人気の高い作品です。

2/4拍子
Andante
ト長調(G-dur)

※これでOp.52の8曲すべてを取り上げたわけですが、すべての曲が弱起(Auftakt)で始まるのが興味深いですね。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Jörg Demus(P)

1,3,10節。F=ディースカウの美声が堪能できます!歌声部が順次進行ではなく跳躍しているのですが、あえてレガートを意識して歌っているようにも感じられます。

●ペーター・シュライアー(T) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T) & Walter Olbertz(P)

1,2,10節。シュライアーの清潔感のある歌い口が心地よいです。

●ヘルマン・プライ(BR) & レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)

1,2,3,10節。プライの慈しむような優しい歌声が味わえます。

●マックス・ファン・エフモント(BR) & ヴィルヘルム・クルムバハ(Hammerflügel)
Max van Egmond(BR) & Wilhelm Krumbach(Hammerflügel)

1,2,10節。エフモントの爽やかな美声はいつまでも聴いていたくなります。ハンマーフリューゲルの響きも味わい深くていいですね!

●アン・マリー(MS) & イアン・バーンサイド(P)
Ann Murray(MS) & Iain Burnside(P)

1,2,3,10節。マリーの温かみのある声はあたかも暖炉の前で子供に本を読み聞かせているような雰囲気が感じられて素晴らしいです!バーンサイドがたまに装飾を入れているのが面白いです。

●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR) & クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR) & Kristin Okerlund(P)

1-10節。ビュルガーの原詩をすべて省略せずに歌っています。

●メキシコの子供たちのチェロ合奏と歌とピアノの演奏
Los Chelos de Hamelín, dirección Pilar Gadea, voz Ana Cortina

小さな子供たちの演奏、微笑ましいですね(^^)

●ピアノパートのみ:Marco Santià (piano)
Sing with me - L. V. Beethoven - Das Blümchen Wunderhold (high voice)
Marco Santià plays the piano part of L. V. Beethoven's "Das Blümchen Wunderhold" for high voice (G major).

3回繰り返して演奏しています。左手パートに注目してみるとベートーヴェンは前半の同じフレーズを2回繰り返す箇所でピアノパートを変化させているのが興味深いです。

●「8つの歌(8 Lieder, Op. 52)」全曲
Pamela Coburn(S) & Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)

No. 1. Urians Reise um die Welt 0:00​
No. 2. Feuerfarb 2:53​
No. 3. Das Liedchen von der Ruhe 6:00​
No. 4. Mailied 10:42​
No. 5. Mollys Abschied 13:08​
No. 6. Die Liebe 16:53​
No. 7. Marmotte 18:11​
No. 8. Das Blümchen Wunderhold 19:29

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コメント

フランツさん、こんばんは。

前記事のコメントに書いておられた、ディースカウさんがドラマチックな歌を歌う、というお話。最近分かるようになりました。
思えば、雑誌の記事は色々な情報を与えてくれますが、刷り込みもされますね笑
ここでのディースカウさんは、澄んだ音色で歌っていますね。

シュライアーの歌い口は、「清潔」という表現がぴったりですね。
いい塩梅の歯切れがあるからでしょうか。

「プライの慈しむような優しい歌声」
素敵な表現をありがとうございます(*^^*)
この声にはいつも癒されます。

エフモントの声は本当に、ずっと聞いていたい心地好さがありますよね。時々ふっと甘い音色が入るのも魅力的です。

マリー、いいですよね。声も歌い口も好きです。温かくチャーミングな演奏でした。

子どもの声はピュアでかわいいですね。弦楽器が入って音に深みが増すのもいいものですね。

OP52 8つの歌も好きです。
ベートーベンのいろんな面を知ることができて、勉強になりました。

今回も長い詩を訳してくださって、ありがとうございました。

投稿: 真子 | 2021年4月25日 (日曜日) 22時28分

真子さん、こんばんは。

F=ディースカウは実演で聴くとかなり強弱の幅が大きかったです。録音だとなかなか伝わりにくいですよね。いろいろ雑誌などから情報を得るとそれに引きずられるということはあるでしょうね。私の記事も感想など書いているので、もしかしたら誘導してしまっているのかもしれませんが、ご自分の感覚を第一に優先していただけたらと思います。

シュライアーが清潔というのは本当に同感です。折り目正しい感じが聞いていて気持ちよいです。

プライは、このベートーヴェン全集の録音時、父性のようなものが歌からにじみ出ているような気がします。一生懸命歌うというよりは肩の力を抜いて人生が自然と歌声にあらわれているかのような感じでしょうか。

エフモントもマリーも今回のベートーヴェン聴き比べで発見できた逸材ですね。二人とも声が美しく、かつ語り口も素晴らしいですよね!

こちらこそ毎回聞いてくださり、有難うございます(^^)

Op.52を通して聴くという経験はリサイタルではほぼ無いと思いますので、この機会にまとめて聴けてなかなか面白い体験でした。

まだまだベートーヴェン歌曲の旅は続きますので、よろしければ今後もお付き合いくださいね。

投稿: フランツ | 2021年4月26日 (月曜日) 18時54分

フランツさん、こんにちは。

今、夏の花を春から植え替えたところです。
ここ数日は朝晩肌寒いですが、いよいよ日本は初夏ですね。
ドイツでは、春が一気に目覚める頃でしょうか。

さて、フランツさんの記事は、音楽への愛、演奏家への暖かい眼差しに満ちていて、とても素晴らしいです。誘導などされてないですよ(*^^*)

プライさんは、このベートーベン歌曲集を始め、50歳代に入る頃から、とても父性をかんじる包容力のある歌を歌うようになったと思います。

だから、勝手に30代までは恋人、40代は憧れの先輩、50代以降はお父さんの歌、と言う感じで聞いています。
ファンになったのが、30歳の頃なので、自然にそんな風に聴いて来ました。

その頃、プライさんは既に60歳でしたが、録音を聴くときはそんな感じなかったしたね。

今思えば、ディースカウさんも、一度は菜まで聴いておけばよかったです。
やはり、生のステージは違いますものね。

マリー、エフモント、本当にお宝発掘です。このブログのおかげです。感謝!

投稿: 真子 | 2021年4月27日 (火曜日) 14時25分

真子さん、こんばんは。

花を植え替えられたのですね。季節を感じられていいですね。
花の手入れは大変そうですが、その分見るものを癒してくれるのでしょうね。

まだ朝晩は冷えますね。暑がりの私にとっては今ぐらいの気候は結構快適です。
もう少しすると汗がとまらない時期になるのでしょう。
きっとドイツではそろそろ春の目覚めで一斉に開花する時期なのかもしれませんね。

褒めていただき、有難うございます。真子さんの言葉にいつも励まされています。誘導していないのでしたら良かったです(^^)

真子さんのプライの聴き方、興味深く拝見しました。時期によって歌は変わってきますよね。
プライはそれぞれの時期ならではの良さがあって、複数回同じ曲を録音していると、その聴き比べも楽しいですね。

F=ディースカウは実演も素晴らしかったですが、ライヴ映像もいくつか残っていますので、それを見ることで実演を聞いた時のことを思い出したりもします。

いつも温かいお言葉を感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。

投稿: フランツ | 2021年4月27日 (火曜日) 19時49分

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