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シューベルト「緑野の歌(Das Lied im Grünen, D 917)」を聴く

Das Lied im Grünen, D 917, Op. posth. 115 no. 1
 緑野の歌

1:
Ins Grüne, ins Grüne!
Da lockt uns der Frühling der liebliche Knabe,
Und führt uns am blumenumwundenen Stabe,
Hinaus, wo die Lerchen und Amseln so wach,
In Wälder, auf Felder, auf Hügel, zum Bach,
Ins Grüne, ins Grüne.
 緑野へ、緑野へ!
 春という愛らしい少年がわれわれをそこへ誘い、
 花を巻き付けたステッキでわれわれを導く。
 出かけよう、ひばりやつぐみがとても元気な場所へ、
 森へ、野原へ、丘へ、小川へ、
 緑野へ、緑野へ。

2:
Im Grünen, im Grünen!
Da lebt es sich wonnig, da wandeln wir gerne,
Und heften die Augen dahin schon von ferne;
Und wie wir so wandeln mit heiterer Brust,
Umwallet uns immer die kindliche Lust,
Im Grünen, im Grünen.
 緑野で、緑野で!
 そこでは楽しく暮らしたり、喜んで歩き回ったりする。
 そしてすでに遠くからそちらへと見やる。
 そして陽気な気分でわれわれは歩き回ると、
 子供のような喜びがいつもわれわれを包む。
 緑野で、緑野で。

3:
Im Grünen, im Grünen,
Da ruht man so wohl, empfindet so schönes,
Und denket behaglich an Dieses und Jenes,
Und zaubert von hinnen, ach! was uns bedrückt,
Und alles herbey, was den Busen entzückt,
Im Grünen, im Grünen.
 緑野で、緑野で、
 ここでくつろぎ、こんなに素晴らしいものを感じ、
 のんびりとあれこれ考える。
 ここから魔法をかける、ああ!われわれの気分を滅入らせるものに。
 この胸を魅了するものはすべて集まれ、
 緑野で、緑野で。

4:
Im Grünen, im Grünen, [im Grünen,]
Da werden die Sterne so klar, die die Weisen
Der Vorwelt zur Leitung des Lebens uns preisen.
Da streichen die Wölkchen so zart uns dahin,
Da heitern die Herzen, da klärt sich der Sinn,
Im Grünen, im Grünen.
 緑野で、緑野で、
 そこでは星々はとても澄んでいて、
 太古の世界の歌がわれわれの人生を統率するものとして星を讃える。
 小さな雲の数々はやさしくあちらへと動き、
 心は明るくなり、感覚は澄みわたる、
 緑野で、緑野で。

5:
Im Grünen, im Grünen,
Da wurde manch Plänchen auf Flügeln getragen,
Die Zukunft der grämlichen [Ansicht (NGA: Aussicht)] entschlagen.
Da stärkt sich das Auge, da labt sich der Blick,
[Sanft wiegen die Wünsche sich hin und zurück,
(NGA: Leicht tändelt die Sehnsucht dahin und zurück,)]
Im Grünen, im Grünen.
 緑野で、緑野で、
 多くの計画が翼に乗って運ばれた、
 不愉快な[光景(※NGAの歌詞も同じような意味)]の未来は捨て去り
 そこで目は強くなり、まなざしによって元気になる。
 [望みはやさしく揺れて行き来する、
 (NGA: 憧れは行き来しながらすぐにたわむれる)]
 緑野で、緑野で。

6:
Im Grünen, im Grünen,
Am Morgen, am Abend, in traulicher Stille,
[Entkeimet (NGA: Da wurde)] manch Liedchen und manche Idylle,
[Und Hymen oft kränzt den poetischen Scherz,
(NGA: Gedichtet, gespielt, mit Vergnügen und Schmerz,)]
Denn leicht ist die Lockung, empfänglich das Herz
Im Grünen, im Grünen.
 緑野で、緑野で、
 朝に、夕方に、心地よい静けさの中、
 かなり多くの歌や牧歌[が生まれ(NGA: となり)]、
 [そして婚礼の歌はしばしば詩的な冗談に花冠をかぶせる。
 (NGA: 喜びや苦しみを伴って詩作したり、遊んだりした。)]
 というのも、誘惑はたやすく、心は感じやすいから、
 緑野で、緑野で。

7:
O gerne im Grünen
Bin ich schon als Knabe und Jüngling gewesen,
Und habe gelernt, und geschrieben, gelesen,
Im Horaz und Plato, dann Wieland und Kant,
Und glühenden Herzens mich selig genannt,
Im Grünen, im Grünen.
 おお、緑野にいるのが
 すでに青少年の時に好きだった、
 私は学んだり、手紙を書いたり、本を読んだりしたものだ、
 ホラティウスやプラトン、それからヴィーラントやカントを。
 そして燃え上がる心の私を幸せだと言った。
 緑野で、緑野で。

8:
Ins Grüne, ins Grüne!
Laßt heiter uns folgen dem freundlichen Knaben!
Grünt einst uns das Leben nicht fürder, so haben
Wir klüglich die grünende Zeit nicht versäumt,
Und, wann es gegolten, doch glücklich geträumt,
Im Grünen, im Grünen.
 緑野へ、緑野へ!
 親切な少年のあとを陽気について行こう!
 われわれの人生が今後いつか若返ることはないとしても、
 賢明にも若い時期をなおざりにはしなかった。
 そして若さの効力があった時には、幸せを夢見ていたものだった。
 緑野で、緑野で。

※(NGA: )内は、新シューベルト全集(Neue Gesamtausgabe)で採用されている歌詞

詩:Johann Anton Friedrich Reil (1773-1843), "Das Lied im Grünen", written 1827, first published 1827
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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ライルの詩は何度かの改変があり、この曲の出版物にもそれが反映されているとのことで、新シューベルト全集(Neue Gesamtausgabe)で採用されている歌詞は上記では(NGA: )として区別しました(現在聴ける録音のほとんどが旧全集の歌詞で歌われています)。また、第7節はシューベルト自身のあずかり知らない詩節とのことです。

曲は変形有節形式といってよいでしょう。基本的にはほぼ同じ楽想ながら、時に変化が加わります。例えば第3-4節や第6-7節は少し変化させていますし、最後の第8節を繰り返す箇所はコーダのように終結に向かっていく感じがします。しかし、それらが天衣無縫の自然さでつながっていて、シューベルトの器楽曲などに見られる息の長いメロディーが微妙な光加減を変えながら続いていく感覚に近いと思います。
亡くなる前年に書かれた作品だけあって無垢でありながらも素晴らしい輝きを放っていると思います。
最後の節を繰り返すところで"Grünt einst uns das Leben nicht fürder"の詩行に陰りを見せるところとその後すぐに元の明るさに戻っていくところは胸をつかまれますね。こういうところ本当に最高です!最後の方の"golten"の"gol-"では歌手は2点イ音(A)を出さなければならず、歌手たちもここは気合いを入れて歌っている気がします。歌声部は基本的に長-短-短のリズムなのが特徴的で、例えば同じ晩年の歌曲「星(Die Sterne, D 939)」でも同様のリズムがあらわれます。

第1節(音部記号と調号はすべての節で共通です)

20210430_1

第2節

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第3節

20210430_3

第4節

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第5節

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第6、7節

20210430_6-7

第8節

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●エリー・アーメリング(S) & ドルトン・ボールドウィン(P)
Elly Ameling(S) & Dalton Baldwin(P)

1-8節。旧全集の歌詞で歌っています。アーメリングの情緒豊かで細やかな歌を聴いていると5分が一瞬に感じられるほどです。ボールドウィンも見事に一体となっています。

●マーガレット・プライス(S) & ヴォルフガング・サヴァリシュ(P)
Margaret Price(S) & Wolfgang Sawallisch(P)

1-8節。旧全集の歌詞で歌っています。涼やかな風のようなプライスの美声が春の心地よさを感じさせてくれる名唱でした。サヴァリシュのくっきりとした枠組みのピアノが雄弁に語っていて素晴らしかったです。

●エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S) & エトヴィン・フィッシャー(P)
Elisabeth Schwarzkopf(S) & Edwin Fischer(P)

1-5,8節。旧全集の歌詞で歌っています。シュヴァルツコプフが歌うと奥行きのある気品が感じられますね。最終節の陰りの表現が秀逸でした!

●マティアス・ゲルネ(BR) & ヘルムート・ドイチュ(P)
Matthias Goerne(BR) & Helmut Deutsch(P)

1-8節。旧全集の歌詞で歌っています。ゲルネの声で聴くと大地に包まれているような安心感があります。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Gerald Moore(P)

1-8節。旧全集の歌詞で歌っています。軽快で語るように歌うF=ディースカウの歌唱も素敵です。

●ダニエラ・ズィントラム(MS) & ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Daniela Sindram(MS) & Ulrich Eisenlohr(P)

1-6,8節。新全集で採用された歌詞で歌っています(私がこの機会にまとめて聴いた様々な音源の中で、唯一新全集の歌詞で歌っていました)。ズィントラムは深みのある強めの声をコントロールしながら歌っています。影のある詩行を歌う時に特に効果的に感じました。

●ピアノパートのみ(Giorgia Turchi, pianist)

ピアノパートだけで聴いてもこのまま即興曲の中の1曲と錯覚しそうです。

他にベンヤミン・アップル(Benjamin Appl)(BR) & グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)(P)のウィグモア・ライヴ(1-8節)は、この勢いに乗ったバリトンの清々しい歌唱と、様々なフレーズを引き立たせるジョンソンの老練なピアノがとても良かったです。グンドゥラ・ヤノヴィツ(Gundula Janowitz)(S) & チャールズ・スペンサー(Charles Spencer)(P)の録音(1-6,8節)も軽快なテンポで、円熟期らしい余裕とつやつやした美声を味わえます。シェリル・ステューダー(Cheryl Studer)(S) & アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)(P)(1-8節)やエディト・ヴィーンス(Edith Wiens)(S) & ルドルフ・ヤンセン(Rudolf Jansen)(P)(1-4,8節)の録音もあります。

往年の演奏でいえば、エリーザベト・シューマン(Elisabeth Schumann)(S) & カール・アルヴィン(Karl Alwin)(P)(1,3,5,8節)、エレナ・ゲルハルト(Elena Gerhardt)(MS) & ハロルド・クラクストン(Harold Craxton)(P) (1,3,5,8節)、イルムガルト・ゼーフリート(Irmgard Seefried)(S) & エリク・ヴェルバ(Erik Werba)(P)(1,3,5,8節)やリタ・シュトライヒ(Rita Streich)(S) & エリク・ヴェルバ(P)(1,3,5,8節)の録音もありますので、機会がありましたら是非聴いてみて下さい。

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クリスタ・ルートヴィヒ(Christa Ludwig)逝去

20世紀の代表的なメゾソプラノ歌手の一人、クリスタ・ルートヴィヒ(Christa Ludwig: 1928.3.16 - 2021.4.24)が亡くなりました。
93歳とのことなので、大往生ではありますが、やはり訃報を聞くのは悲しいものです。

New York Times

Gramophone

BR Klassik

私がはじめて聞いたルートヴィヒの音源は今でもはっきりと覚えています。Deutsche Grammophonの音源から有名な声楽曲をまとめたカセットテープを中学生の頃に小遣いで買ったのですが、その中に彼女の歌ったシューベルト「アヴェ・マリア」が入っていたのです(アーウィン・ゲイジのピアノ)。

そのカセットテープを買った本来の目的は「魔王」だったのですが、そのすぐ後にこの「アヴェ・マリア」が置かれていたので、テープを流しっぱなしにするとルートヴィヒの神々しい声が響いてきました。

●シューベルト/アヴェ・マリア D 839
Schubert: Ave Maria, Op. 52/6, D 839
Christa Ludwig(MS), Irwin Gage

歌曲の虜となり少しずつ聴きはじめていた頃の私に歌曲のことをいろいろ教えてくれた方が聴かせてくださったのが、ルートヴィヒの歌曲集『女の愛と生涯』とブラームスの歌曲集『ジプシーの歌』や「甲斐なきセレナード」等の入ったLP録音でした。
これらの歌曲はこのルートヴィヒ&ムーアの録音で初めて知ったので、私の中ではやはり思い出深い演奏です。

ジェラルド・ムーアがルートヴィヒについて名著『お耳ざわりですか』で述べた言葉を引用します。

「クリスタ・ルートヴィヒと《甲斐なきセレナーデ》の録音をした際、彼女のテンポが私の感覚では少し遅すぎるように思った。しかし出来上がったレコードを聴いてみると、その解釈はまったく妥当で、すばらしい出来映えであった。少しおそめのテンポは、彼女の豊かな声に、まさにぴったりなのであった。」(萩原和子・本澤尚道訳:音楽之友社:昭和57年第1刷)

私は「甲斐なきセレナード」を初めて聴いたのが、このルートヴィヒとムーアの録音だった為、これが遅いとは思っておらず、後に他の演奏を聴いて、ようやくムーアの言っていた意味が分かったという記憶があります。

●ブラームス/甲斐なきセレナード
Brahms: Vergebliche Ständchen
Christa Ludwig(MS), Gerald Moore(P)

ちなみにこのコンビがBBCの為に映像収録した演奏を見ることが出来ます。

●ブラームス/甲斐なきセレナード
Brahms: Vergebliche Ständchen
Christa Ludwig(MS), Gerald Moore(P)

フィッシャー=ディースカウとムーアが1960年代後半から1970年代前半にかけて膨大なシューベルト歌曲全集をDeutsche Grammophonに録音した後、女声用の録音をすることになり、白羽の矢がたったのがルートヴィヒでした。彼女はゲイジと1973~1974年にかけて2枚の歌曲集を録音しましたが、何故かそれだけで中断してしまい、ヤノヴィツがゲイジとその後を引き継ぎました。しかし、その2枚の録音は今でもCDとして聴くことが出来ます。

●シューベルト/糸車のグレートヒェン(糸を紡ぐグレートヒェン)
Schubert: Gretchen am Spinnrade, Op.2, D.118

その後、彼女は先日亡くなった指揮者のレヴァインをピアニストに迎えて、女声が歌うのは当時まだ珍しかった「冬の旅」を録音しました(1986年)。
これは主人公になりきるというよりは、母親のように主人公を温かく見守るような歌唱と感じました。当時話題になったものです。

●シューベルト/歌曲集『冬の旅』D 911から「春の夢」
Schubert: Winterreise, Op.89, D.911 - 11. Frühlingstraum
Christa Ludwig(MS), James Levine(P)

ルートヴィヒが録音で共演したピアニストは、エリク・ヴェルバ、ジェラルド・ムーア、ジェフリー・パーソンズ、アーウィン・ゲイジ、レナード・バーンスタイン、ダニエル・バレンボイム、ジェイムズ・レヴァイン、チャールズ・スペンサー等と多岐に渡っています。ところがザルツブルク音楽祭やシューベルティアーデのコンサートアーカイヴを見ると、彼女の共演者はほぼヴェルバばかりで、晩年はスペンサーと組んでいたようです。

ルートヴィヒの歌曲の歌唱は、比較的ゆったり余裕のあるテンポでフレーズを流麗に響かせ、生の直接的な感情表現も辞さない潔さがあったように思います。内に内にこもる歌唱とは対照的で、旋律の美しさをそのまま引き立たせる歌唱だったように思います。包容力のある美声やドイツ語のディクション、表現力は本当に素晴らしかったです。彼女の録音やコンサートで歌曲を好きになった方もきっと多くいらっしゃることでしょう。

彼女のライヴ映像やマスタークラスの映像は幸い動画サイトにアップされていました。それらを少しずつ見ていきたいと思います。

また一人馴染みの歌手が去り、本当に寂しいですが、安らかにお休みください。

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ベートーヴェン「奇跡的に愛らしい花(Das Blümchen Wunderhold, Op. 52, Op. 8)」

Das Blümchen Wunderhold, Op. 52, Op. 8
 奇跡的に愛らしい花

1.
Es blüht ein Blümchen irgendwo
In einem stillen Thal;
Das schmeichelt Aug' und Herz so froh
Wie Abendsonnenstrahl;
Das ist viel köstlicher als Gold,
Als Perl' und Diamant:
Drum wird es "Blümchen Wunderhold"
Mit gutem Fug genannt.
 ある花が咲いている、
 静かな谷のどこかに。
 それは目と心を喜ばせ、
 夕日の光のように喜ばしい。
 金よりもずっと価値がある、
 真珠やダイアモンドよりも。
 だから「奇跡的に愛らしい花」と
 当然呼ばれている。

2.
Wohl sänge sich(*) ein langes Lied
Von meines Blümchens Kraft;
Wie es am Leib' und am Gemüth
So hohe Wunder schafft.
Was kein geheimes Elixir
Dir sonst gewähren kann,
Das leistet traun mein Blümchen dir!
Man säh' es ihm nicht an.
 ある長い歌をうまく歌うだろう、
 私の花のもつ力についての歌を。
 いかに体と心に
 かくも大きな奇跡をうみだすことか。
 秘薬が
 あなたにかつて与えることの出来なかったもの、
 それは私の花があなたに確かに与えるのだ!
 見えるものではないだろうが。

(*: 原詩ではich)

3.
Wer Wunderhold im Busen hegt,
Wird wie ein Engel schön.
Das hab' ich, inniglich bewegt,
An Mann und Weib gesehn.
An Mann und Weib, alt oder jung,
Zieht's wie ein Talisman
Der schönsten Seelen Huldigung
Unwiderstehlich an.
 奇跡的に愛らしいものを胸に抱く者は
 天使のように美しくなる。
 そのことを私は、心から感動して
 男性や女性の中に見た。
 男性や女性、老いも若きも、
 お守りのように
 最も美しい魂の忠誠心を
 抗いがたく身に付ける。

4.(この節は出版譜に記されていません)
Auf steifem Hals ein Strotzerhaupt,
Dess' Wangen hoch sich bläh'n,
Dess' Nase nur nach Äther schnaubt,
Läßt doch gewiß nicht schön.
Wenn irgend nun ein Rang, wenn Gold
Zu steif den Hals dir gab,
So schmeidigt ihn mein Wunderhold
Und biegt dein Haupt herab.
 首の凝り固まった高慢な者の頭、
 その頬は高くふくらみ、
 その鼻はただ荒い息をたてているが、
 確かに美しくないままだ。
 とにかく地位や金が
 あなたにあまりにも凝り固まった首を与えたのなら
 私の奇跡的に愛らしいものが首をしなやかにして
 あなたの頭をかがめよう。

5.(この節は出版譜に記されていません)
Es webet über dein Gesicht
Der Anmut Rosenflor;
Und zieht des Auges grellem Licht
Die Wimper mildernd vor.
Es teilt der Flöte weichen Klang
Des Schreiers Kehle mit,
Und wandelt in Zephyrengang
Des Stürmers Poltertritt.
 あなたの顔の上に
 優美なばらが咲き誇っている、
 目に刺さるような光よりも
 まつげにやさしい方がいい。
 フルートの柔らかい音を
 わめきちらす者の喉が伝える。
 そして微風のそよぎの中の歩みになるのだ、
 向こう見ずな者のドタバタした足どりが。

6.(この節は出版譜に記されていません)
Der Laute gleicht des Menschen Herz,
Zu Sang und Klang gebaut,
Doch spielen sie oft Lust und Schmerz
Zu stürmisch und zu laut:
Der Schmerz, wann Ehre, Macht und Gold
Vor deinen Wünschen fliehn,
Und Lust, wann sie in deinen Sold
Mit Siegeskränzen ziehn.
 人の心はリュートに似ていて、
 歌や響きになる。
 だがそれらは喜びや苦悩を奏でるが
 しばしばあまりに激しく声高に過ぎる。
 苦悩は、栄誉、権力、金を
 望んだのに消え去ってしまうときに、
 そして喜びは、歌や響きが
 勝利の栄冠を伴って俸給となるときに生じる。

7.(この節は出版譜に記されていません)
O wie dann Wunderhold das Herz
So mild und lieblich stimmt!
Wie allgefällig Ernst und Scherz
In seinem Zauber schwimmt!
Wie man alsdann nichts thut und spricht,
Drob jemand zürnen kann!
Das macht, man trotzt und strotzet nicht
Und drängt sich nicht voran.
 おお、なんと奇跡的に愛らしいものは心を
 こんなにも穏やかに快い気分にしてくれることか!
 好ましいまじめさも冗談も
 いかに愛らしいものの魔力の中に漂うことか!
 すると誰かが腹を立てるようなことを
 したり話したりすることは何もなくなるのだ!
 反抗したり高慢になったり
 我先に突き進むことのないようにしてくれるのだ。

8.(この節は出版譜に記されていません)
O wie man dann so wohlgemuth,
So friedlich lebt und webt!
Wie um das Lager, wo man ruht,
Der Schlaf so segnend schwebt!
Denn Wunderhold hält alles fern,
Was giftig beißt und sticht;
Und stäch' ein Molch auch noch so gern,
So kann und kann er nicht.
 おお、人はなんと機嫌よく
 平和に暮らし、活動することか!
 人が休む寝床のまわりを
 眠りが祝福しながら漂うことか!
 なぜなら奇跡的に愛らしいものは、
 毒をもってかんだり刺したりするものを遠ざけておくから。
 サンショウウオがどれほど刺したがろうが、
 刺すことが出来ようが、出来まいが。

9.(この節は出版譜に記されていません)
Ich sing', o Lieber, glaub' es mir,
Nichts aus der Fabelwelt,
Wenn gleich ein solches Wunder dir
Fast hart zu glauben fällt.
Mein Lied ist nur ein Widerschein
Der Himmelslieblichkeit,
Die Wunderhold auf Groß und Klein
In Thun und Wesen streut.
 私が歌うのは、おお親愛なる者よ、私を信じておくれ、
 寓話の世界のものではない、
 そのような奇跡があなたに
 信じるのがほとんど難しいほど降りかかっても。
 私の歌はただ
 天国の愛らしさの反映なのだ、
 その愛らしさは、奇跡的に愛らしいものが大小にかからわず
 行動と存在の中にまくもの。

10.
Ach! hättest du nur die gekannt,
Die einst mein Kleinod war -
Der Tod entriß sie meiner Hand
Hart hinterm Traualtar --
Dann würdest du es ganz verstehn,
Was Wunderhold vermag,
Und in das Licht der Wahrheit sehn,
Wie in den hellen Tag.
 ああ!あなたがただあの女(ひと)を知っていたならば、
 かつて私の宝物だった女(ひと)を。
 死が彼女を私の手から奪った、
 非情にも婚礼祭壇の向こう側へ。
 するとあなたは完全に理解するだろう、
 奇跡的に愛らしいものの能力を。
 そして真実の光の中へと見るだろう、
 明るい昼間の中のように。

11.(この節は出版譜に記されていません)
Wohl hundertmal verdankt' ich ihr
Des Blümchens Segensflor.
Sanft schob sie's in den Busen mir
Zurück, wann ich's verlor.
Jetzt rafft ein Geist der Ungeduld
Es oft mir aus der Brust.
Erst, wann ich büße meine Schuld,
Bereu' ich den Verlust.
 何百回もの
 この花の祝福された盛りは彼女のおかげだった。
 そっと彼女はそれを私の胸に戻した、
 私が失くしたとき。
 今や待ちきれない心が
 それを幾度も私の胸からつかみとった。
 ようやく、私が罪を償うとき、
 私は失ったものを悔やむだろう。

12.(この節は出版譜に記されていません)
O was des Blümchens Wunderkraft
Am Leib' und am Gemüt
Ihr, meiner Holdin, einst verschafft,
Faßt nicht das längste Lied! -
Weil's mehr, als Seide, Perl' und Gold
Der Schönheit Zier verleiht,
So nenn' ich's "Blümchen Wunderhold",
Sonst heißt's - Bescheidenheit.
 おお、この花の奇跡の力が
 私の恋人である彼女の体と心に
 かつて与えたものは
 長い歌で表せなかった!
 それは、絹や真珠や金よりも多く
 美しい装身具を与えるので、
 私はそれを「奇跡的に愛らしい花」と呼び、
 ほかに「慎ましいもの」と呼ばれている。

詩:Gottfried August Bürger (1747-1794)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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Op. 52の最後に置かれた第8曲「奇跡的に愛らしい花」は、第5曲「モリーの別れ」同様ビュルガーの詩によります。

※ちなみにゲーテの詩による第7曲「マーモット(Marmotte)」は過去に記事にしていますので、そちらをご覧ください。http://franzpeter.cocolog-nifty.com/taubenpost/2018/11/marmotte-op-52-.html

詩は「奇跡的に愛らしい花」がどんな効能をもっているかが描かれていきますが、最後に結婚を目前にして主人公の恋人が亡くなったことが明かされます。

ビュルガーの原詩は全12節からなりますが、ベートーヴェンは第1,2,3,10節の4つの節を選び完全な有節形式で作曲しています。

歌声部は器楽的な発想でつくられているように思えます。ピアノパートの右手高音部はやはり歌声を完全になぞっていて、後奏も愛らしいです。作曲年は不詳ですが、おそらく若い頃の作品ではないかと想像されます(ちなみにベートーヴェン研究家の平野昭氏は「1790年代半ば頃か?」と記載しておられます)。素朴な美しさが感じられ、動画サイトにも様々な演奏がアップされている比較的人気の高い作品です。

2/4拍子
Andante
ト長調(G-dur)

※これでOp.52の8曲すべてを取り上げたわけですが、すべての曲が弱起(Auftakt)で始まるのが興味深いですね。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Jörg Demus(P)

1,3,10節。F=ディースカウの美声が堪能できます!歌声部が順次進行ではなく跳躍しているのですが、あえてレガートを意識して歌っているようにも感じられます。

●ペーター・シュライアー(T) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T) & Walter Olbertz(P)

1,2,10節。シュライアーの清潔感のある歌い口が心地よいです。

●ヘルマン・プライ(BR) & レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)

1,2,3,10節。プライの慈しむような優しい歌声が味わえます。

●マックス・ファン・エフモント(BR) & ヴィルヘルム・クルムバハ(Hammerflügel)
Max van Egmond(BR) & Wilhelm Krumbach(Hammerflügel)

1,2,10節。エフモントの爽やかな美声はいつまでも聴いていたくなります。ハンマーフリューゲルの響きも味わい深くていいですね!

●アン・マリー(MS) & イアン・バーンサイド(P)
Ann Murray(MS) & Iain Burnside(P)

1,2,3,10節。マリーの温かみのある声はあたかも暖炉の前で子供に本を読み聞かせているような雰囲気が感じられて素晴らしいです!バーンサイドがたまに装飾を入れているのが面白いです。

●コンスタンティン・グラーフ・フォン・ヴァルダードルフ(BR) & クリスティン・オーカーランド(P)
Constantin Graf von Walderdorff(BR) & Kristin Okerlund(P)

1-10節。ビュルガーの原詩をすべて省略せずに歌っています。

●メキシコの子供たちのチェロ合奏と歌とピアノの演奏
Los Chelos de Hamelín, dirección Pilar Gadea, voz Ana Cortina

小さな子供たちの演奏、微笑ましいですね(^^)

●ピアノパートのみ:Marco Santià (piano)
Sing with me - L. V. Beethoven - Das Blümchen Wunderhold (high voice)
Marco Santià plays the piano part of L. V. Beethoven's "Das Blümchen Wunderhold" for high voice (G major).

3回繰り返して演奏しています。左手パートに注目してみるとベートーヴェンは前半の同じフレーズを2回繰り返す箇所でピアノパートを変化させているのが興味深いです。

●「8つの歌(8 Lieder, Op. 52)」全曲
Pamela Coburn(S) & Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)

No. 1. Urians Reise um die Welt 0:00​
No. 2. Feuerfarb 2:53​
No. 3. Das Liedchen von der Ruhe 6:00​
No. 4. Mailied 10:42​
No. 5. Mollys Abschied 13:08​
No. 6. Die Liebe 16:53​
No. 7. Marmotte 18:11​
No. 8. Das Blümchen Wunderhold 19:29

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ブラームス/若き歌Ⅰ「私の恋は緑」(Junge Lieder I "Meine Liebe ist grün", Op. 63, No. 5)を聴く

Junge Lieder I "Meine Liebe ist grün", Op. 63, No. 5
 若き歌Ⅰ「私の恋は緑」

Meine Liebe ist grün wie der Fliederbusch,
und mein Lieb ist schön wie die Sonne,
die glänzt wohl herab auf den Fliederbusch
und füllt ihn mit Duft und mit Wonne.
 私の恋はライラックの茂みのように緑で、
 私の恋人は太陽のように美しい、
 太陽はライラックの茂みに光を降り注ぎ、
 香りと喜びで茂みを満たすのだ。

Meine Seele hat Schwingen der Nachtigall,
und wiegt sich in blühendem Flieder,
und jauchzet und singet vom Duft berauscht
viel liebestrunkene Lieder.
 私の魂はサヨナキドリの翼をもっていて、
 花咲くライラックの中で揺れ動く。
 そして歓声をあげ、香りに酔いしれて
 多くの愛に陶酔した歌を歌うのだ。

詩:Felix Schumann (1854-1879)
曲:Johannes Brahms (1833-1897)

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緑映える時期にぴったりの歌曲をブラームスも作曲しています。「若き歌Ⅰ」という作品で、詩の冒頭から「私の恋は緑」という呼び名でも親しまれています。

詩の作者フェーリクス・シューマンは、あのローベルト&クラーラ・シューマンの末の息子です。肺結核にかかり、闘病生活を続けましたが、24歳の若さで亡くなりました。フェーリクスはいくつかの詩をしたため、彼の詩によってブラームスは3曲作曲しています(この曲の他には「若き歌Ⅱ:ニワトコのまわり(Junge Lieder II "Wenn um den Holunder", Op. 63, No. 6)」と「没頭(Versunken, Op. 86, No. 5)」)。

詩は、恋する主人公のわくわくする感情を、自然や鳥を織り交ぜながら描いています。
ちなみに1行目などに登場する"Flieder(ライラック、リラ)"の写真はこちらで見ることが出来ます。

ブラームスは1873年(当時フェーリクスは19歳!)に2節の有節形式として作曲しました。輝かしい歌声部は朗々と響き渡ります。ピアノは右手と左手のリズムがずれる形でほぼ一貫していて、歌と拮抗するかのように情熱的な音楽を奏でます。間奏や後奏で、fからクレッシェンドでぐいぐい畳みかけた後にpoco ten.(ポーコ・テヌート)で音を保持し、フェルマータで伸ばして一息ついてから、pで静かに続ける箇所はピアニストによって様々な表現が楽しめる箇所で、聴きどころの一つでもあると思います。ちなみにクレッシェンドで畳みかける箇所はアッチェレランドという指示は書かれていませんが、速度を速めていく演奏が多いです。それは演奏家による楽譜の解釈でしょうし、そうすることがむしろ自然に感じられます。

4/4拍子
Lebhaft (生き生きと)
嬰ヘ長調(Fis-dur)

●エディト・ヴィーンス(S) & ロジャー・ヴィニョールズ(P)
Edith Wiens(S) & Roger Vignoles(P)

なんとみずみずしく芯のある美声と見事なディクション!春の喜びが素晴らしく表現されていると思います。

●アンネ・ソフィー・フォン・オッター(MS) & ベングト・フォーシュバリ(P)
Anne Sofie von Otter(MS) & Bengt Forsberg(P)

オッターの知性的な歌唱も気品があって良いです。

●ジェスィー・ノーマン(S) & ジェフリー・パーソンズ(P)
Jessye Norman(S) & Geoffrey Parsons(P)

ノーマンの豊麗な声で聴くと、恋する者の溢れんばかりの思いが伝わってきます。パーソンズもとてもいいですね。

●エリーザベト・シュパイザー(S) & ジョン・バトリック(P)
Elisabeth Speiser(S) & John Buttrick(P)

シュパイザーは清楚で耳に心地よい美声で一瞬で惹き込まれました!

●シュザンヌ・ダンコ(S) & グイド・アゴスティ(P)
Suzanne Danco(S) & Guido Agosti(P)

フランス歌曲のイメージが強いダンコによるドイツ歌曲、素晴らしかったです。声がすぱっと響き渡る感じと素晴らしいドイツ語のディクション・表現をぜひ味わってみてください。アゴスティのピアノも見事です!

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & カール・エンゲル(P)
Dietrich Fischer Dieskau(BR) & Karl Engel(P)

メリハリの効いたF=ディースカウならではの歌唱ですね。

●エルンスト・ヘフリガー(T) & ヘルタ・クルスト(P)
Ernst Haefliger(T) & Hertha Klust(P)

ヘフリガーの真摯な歌は本当に胸に迫ってきます。クルストの畳みかけるような後奏も良かったです。

●ピアノパートのみ(Rau Neuman: piano)

全体の構築から細かな表現まで理想的なピアノ演奏で素晴らしかったです!ピアノだけでも楽しめました!ブラームスは右手と左手のリズムをずらすのが好きですね。

これらの他に、動画サイトにはアップされていませんでしたが、プライ&ドイチュ(Prey & Deutsch: SAPHIR)、アーメリング&ヤンセン(Ameling & Jansen: Hyperion)、ベーア&ドイチュ(Bär & Deutsch: EMI)、シュライアー&レーゼル(Schreier & Rösel: DENON)、バトル&レヴァイン(Battle & Levine: RCA)、ストゥッツマン&セーダーグレン(Stutzmann & Södergren: RCA VICTOR)、トレーケル&ポール(Trekel & Pohl: ARTE NOVA)等の録音も素晴らしいので機会があれば是非!
人気曲だけあって、動画サイトにはライヴ映像も山のようにアップされていました。それらの中にも素晴らしい演奏があることと思いますので興味のある方はいろいろ聴いてみるのもいいかもしれませんね。

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ベートーヴェン「愛(Die Liebe, Op. 52, No. 6)」

Die Liebe (Lied), Op. 52, No. 6
 愛 (歌)

Ohne Liebe
Lebe, wer da kann;
Wenn er auch ein Mensch schon bliebe,
Bleibt er doch kein Mann.
 愛なしに
 生きるがいい、現に可能な者は。
 その者は人間のままでいられるとしても
 男ではない。

Süße Liebe
Mach' mein Leben süß,
Stille ein die regen Triebe
Sonder Hindernis!
 甘い愛よ、
 私の人生を甘くしておくれ、
 旺盛な欲望を満たしてくれ、
 滞りなく!

Schmachten lassen
Sei der Schönen Pflicht;
Nur uns ewig schmachten lassen,
Dieses sei sie nicht!
 焦がれ苦しませることが
 美女の義務であれ。
 ただ我らを永遠に苦しませること、
 これは義務ではないように!

詩:Gotthold Ephraim Lessing (1729-1781)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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Op. 52の第6曲は、啓蒙思想で知られるゴットホルト・エフライム・レッスィングの詩による「愛」です。
短い愛の賛歌ですね。
第2節第3行の"ein"はレッスィングのオリジナルでは"nie(決して~ない)"であり「旺盛な欲望を静めないでくれ」という意味になります。

ベートーヴェンの曲は3節の有節形式による快活な作品です。
歌声部は十六分音符のメリスマが印象的です。
ピアノパートの右手は完全に歌声部をなぞっています(楽譜はそれぞれ別に書いています)。

2/4拍子
ヘ長調(F-dur)
Allegretto

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & イェルク・デームス(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Jörg Demus(P)

堂々たる貫禄すら感じられる語り口の見事なF=ディースカウの歌唱です。デームスの軽快なタッチがなんともチャーミングです。

●ヘルマン・プライ(BR) & レナード・ホカンソン(P)
Hermann Prey(BR) & Leonard Hokanson(P)

プライの歌唱は酸いも甘いも噛み分けた人生経験豊かな男性のように感じられます。

●ペーター・シュライアー(T) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Peter Schreier(T) & Walter Olbertz(P)

シュライアーの若々しい美声で歌われると爽やかな風が吹いてくるかのようです。

●マックス・ファン・エフモント(BR) & ヴィルヘルム・クルムバハ(Hammerflügel)
Max van Egmond(BR) & Wilhelm Krumbach(Hammerflügel)

エフモントのハイバリトンの声はここでもとても魅力的に響きます。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & ハルトムート・ヘル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Hartmut Höll(P)

デームスとの録音よりも随分趣が異なり、達観したようなF=ディースカウの歌唱です。ヘルが最後の後奏を名残惜しそうに弾くのが印象的でした。

●ディルク・クラインケ(T) & クリス・カルトナー(P)
Dirk Kleinke(T) & Chris Cartner(P)

録画:2020年春, Staatstheater Cottbus。柔らかい声質の美しい歌唱ですね。

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シューマン「新緑(Erstes Grün, Op. 35, No. 4)」を聴く

Erstes Grün, Op. 35, No. 4
 新緑

Du junges Grün, du frisches Gras!
Wie manches Herz durch dich genas,
Das von des Winters Schnee erkrankt,
O wie mein Herz nach dir verlangt!
 若い緑よ、新鮮な草よ!
 どれほど多くの心がきみのおかげで健やかさを取り戻したことか、
 冬の雪に病んだ心が。
 おお、私の心はどれほどきみを求めていたことか!

Schon wächst du aus der Erde Nacht,
Wie dir mein Aug' entgegen lacht!
Hier in des Waldes stillem Grund
Drück' ich dich, Grün, an Herz und Mund.
 もうきみは大地の夜から育ってきているんだね、
 きみに向けて私の目はどれほど笑っていることか!
 ここにある森の静かな地面で
 私の心と口に、緑よ、きみを押しつけよう。

Wie treibt's mich von den Menschen fort!
Mein Leid, das hebt kein Menschenwort,
Nur junges Grün ans Herz gelegt,
Macht, daß mein Herze stiller schlägt.
 どれほど私を人から遠ざけてくれることか!
 私の苦悩、それを人の言葉が助長することもなくなる。
 ただ若い緑を心に押し当てて
 私の心臓が前より静かに打つようにしてくれるのだ。

詩:Justinus (Andreas Christian) Kerner (1786-1862), "Frühlingskur(春の療養)"
曲:Robert Schumann (1810-1856)

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緑映える時期が到来しましたね!緑の中を散歩するのが気持ちよい時期になりました。ドイツの新緑はもう少し後かもしれませんが、ここでシューマンの新緑に寄せる歌曲をご紹介したいと思います。

「新緑」は、シューマンが「歌の年」と呼ばれる歌曲量産の年、1840年に作曲した作品で、翌1841年に『ユスティーヌス・ケルナーの12の詩(Zwölf Gedichte von Justinus Kerner)』の第4曲として出版されました。

シューマンの音楽は3節からなる有節歌曲です。歌は短調に終始しますが、ピアノ後奏が長調なのがいいですね。後奏でほのかに明るくなってほっとしていたのもつかの間、次の節の最初の和音が再び短和音で、そのまま短調の歌が続きます。明暗を行ったり来たりしているところがシューマンらしくてぐっときます。
テキストは決して暗いだけの内容ではなく、緑によって病んだ心が癒えたことを歌っているのですが、シューマンはまだ完全には傷が癒えておらず、吹っ切れるまでに至らない状況を描いているかのようです。
繊細な響きに魅了されます。

2/4拍子
Einfach (素朴に)
ト短調(g-moll)→後奏:ト長調(G-dur)

●ハンス・ホッター(BSBR) & ジェラルド・ムーア(P)
Hans Hotter(BSBR) & Gerald Moore(P)

1957年10-11月録音。往年のリートファンはこのホッターの録音でこの曲を知ったという方も多いのではないでしょうか。包み込むような感触の声は色あせることがありません。素晴らしい名唱です。

●ヘルマン・プライ(BR) & カール・エンゲル(P)
Hermann Prey(BR) & Karl Engel(P)

1962年5月録音。プライの言葉に応じた繊細な表情の付け方が胸に沁みます。例えば1節4行目の"mein Herz"の響きなどプライの声の魅力満載ですね。

●デイム・マーガレット・プライス(S) & ジェイムス・ロックハート(P)
Dame Margaret Price(S) & James Lockhart(P)

プライスのちょっと影のある響きがこの上なく美しいです!

●トマス・ハンプソン(BR) & ジェフリー・パーソンズ(P)
Thomas Hampson(BR) & Geoffrey Parsons(P)

ハンプソンの歌声がまず魅力的ですが、ちょっとした表情の陰りなどに胸をつかまれます。とても魅力的な歌唱でした。パーソンズのピアノは相変わらず美しいですね!

●ペーター・シュライアー(T) & ノーマン・シェトラー(P)
Peter Schreier(T) & Norman Shetler(P)

若き日の繊細なシュライアーの歌がこの歌によくマッチしていると思います。

●バーバラ・ヘンドリックス(S) & ローラント・ペンティネン(P)
Barbara Hendricks(S) & Roland Pöntinen(P)

ヘンドリックスの細身の声が傷つきやすい主人公の心情を真摯に表現していて素晴らしいです。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & ヴォルフガング・サヴァリシュ(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Wolfgang Sawallisch(P)

1974年の映像。F=ディースカウの哀愁のこもった表情豊かな歌唱をサヴァリシュの演奏姿と共に映像で見られるのは貴重です!

●マティアス・ゲルネ(BR) & エリク・シュナイダー(P)
Matthias Goerne(BR) & Eric Schneider(P)

ゲルネの抑制した歌唱、シュナイダーの切迫した後奏などこちらもまた魅力的でした。

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ベートーヴェン「モリーの別れ(Mollys Abschied, Op. 52, No. 5)」

Mollys Abschied
 モリーの別れ

1
Lebe wohl, du Mann der Lust und Schmerzen!
Mann der Liebe, meines Lebens Stab!
Gott mit dir, Geliebter! Tief zu Herzen
Halle dir mein Segensruf hinab!
 さようなら、欲望と苦しみの男(ひと)!
 愛する男、わが人生の支柱よ!
 神があなたと共にあらんことを、恋人よ!あなたの心に深く
 私の祝福の呼び声が響き渡りますように!

2
Zum Gedächtnis biet' ich dir, statt Goldes --
Was ist Gold und goldeswerter Tand? --
Biet' ich lieber, was dein Auge Holdes,
Was dein Herz an Molly Liebes fand.
 記念にあなたに差し上げます、金の代わりに、
 金や、金の価値のあるがらくたとは何なのでしょう?
 むしろあなたの目が喜ぶものをさしあげます、
 あなたの心がモリーの好きなところだと思っていたものを。

3 (ベートーヴェンは第4節として作曲した)
Nimm, du süßer Schmeichler, von den Locken,
Die du oft zerwühltest und verschobst,
Wann du über Flachs an Pallas Rocken,
Über Gold und Seide sie erhobst!
 お世辞の上手いいとしい人、この巻毛の中から受け取ってください、
 あなたがよくかきむしってずらしていた巻毛から。
 あなたがパラスの糸巻き棒につける亜麻よりも
 金や絹よりもこの巻毛の方がいいというならば!

4 (ベートーヴェンは第3節として作曲した)
Vom Gesicht, der Waltstatt deiner Küsse,
Nimm, so lang' ich ferne von dir bin,
Halb zum mindesten im Schattenrisse
Für die Phantasie die Abschrift hin!
 あなたのキスの戦場だったこの顔から
 受け取ってください、私があなたから遠く離れている間、
 少なくとも半分はシルエットで
 想像できるように私の写しを受け取ってください!

5
Meiner Augen Denkmal sei dies blaue
Kränzchen flehender Vergißmeinnicht,
Oft beträufelt von der Wehmut Taue,
Der hervor durch sie vom Herzen bricht!
 私の瞳の記念になるのは、この青い
 欲しがっていたわすれな草の花輪です、
 しばしば悲しみの露が滴(したた)ります、
 わすれな草を通して心から湧き出る露が!

6 (ベートーヴェンはこの節を省略した)
Diese Schleife, welche deinem Triebe
Oft des Busens Heiligtum verschloß,
Hegt die Kraft des Hauches meiner Liebe,
Der hinein mit tausend Küssen floß.
 この輪は、あなたの衝動に対して
 しばしばこの胸の聖域を施錠しましたが、
 私の愛の息吹の力を育てます、
 その息吹は千ものキスをする時に流れ込むのです。

7 (ベートーヴェンはこの節を省略した)
Mann der Liebe! Mann der Lust und Schmerzen!
Du, für den ich alles that und litt,
Nimm von allem! Nimm von meinem Herzen --
Doch -- du nimmst ja selbst das Ganze mit!
 愛する男(ひと)!欲望と苦しみの男よ!
 私が何でもしてあげて苦しめられたあなた、
 すべての中から受け取ってください!私の心から受け取ってください!
 でも...あなたは自分で全部持っていってしまうのでしょうね!

詩:Gottfried August Bürger (1747-1794)
曲:Ludwig van Beethoven (1770-1827)

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Op.52の第5曲目はゴットフリート・アウグスト・ビュルガーの詩による「モリーの別れ」です。
モリーというのは、詩人ビュルガーの元妻が亡くなった翌年に結婚した義妹Auguste Leonhartのことです。このモリーも翌年(1786年)の出産時に亡くなってしまいます。
この「モリーの別れ」を含む詩集は1789年に初版が出版されました。

ビュルガーの原詩は全部で7節ありますが、ベートーヴェンは最初の5節のみの有節歌曲として作曲しました(作曲年は不詳ですが、1805年に出版されているのでそれ以前なのは確実です)。しかも、第3節と第4節の順序を入れ替えました。これがベートーヴェン自身の意図なのか、それとも出版に際して間違えて印刷されたのかは不明ですが、下記録音の中でハイディ・ブルナー(MS) & クリスティン・オーカーランド(P)の演奏だけは、原詩の順序(第3節→第4節の順)で、ベートーヴェンが省いた節(第6節&第7節)も復元して、全7節歌っています。

ピアノパートの右手最高音は常に歌声部をなぞっています。後奏の細かい音のパッセージがきらきらして魅力的です。ピアニストの表現意欲をかきたてるでしょう。

4/4拍子
ト長調(G-dur)
Adagio con espressione

●アン・マリー(MS) & イアン・バーンサイド(P)
Ann Murray(MS) & Iain Burnside(P)

第1,2,4,3,5節。マリーは美しいフレーズと細やかなディクション、豊かな感情表現が素晴らしいです。

●パメラ・コバーン(S) & レナード・ホカンソン(P)
Pamela Coburn(S) & Leonard Hokanson(P)

第1,2,4,3,5節。コバーンの真っ直ぐな歌唱は好感を持てます。

●ナタリー・ペレス(MS) & ジャン=ピエール・アルマンゴー(P)
Natalie Pérez(MS) & Jean-Pierre Armengaud(P)

第1,4,5節。ペレスの歌声は温かみがあって聴いていて安心しますね。

●アデーレ・シュトルテ(S) & ヴァルター・オルベルツ(P)
Adele Stolte(S) & Walter Olbertz(P)

第1,2節。シュトルテの可憐な声で聴くと、けなげな感じが前面に出ています。

●ハイディ・ブルナー(MS) & クリスティン・オーカーランド(P)
Heidi Brunner(MS) & Kristin Okerlund(P)

第1,2,3,4,5,6,7節。ビュルガーの原詩の順序で省略せずに全節歌っています。

●ピアノパートのみ(Marco Santià (piano))

5回繰り返して演奏していますので歌の練習にも恰好の音源です。右手の高音部が歌声をそのままなぞっています。

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シューベルト「ヒッポリュトスの歌(Hippolits Lied, D890)」を聴く

Hippolits Lied, D890
 ヒッポリュトスの歌

Laßt mich, ob ich auch still verglüh',
Laßt mich nur stille gehn;
Sie seh' ich spät, Sie seh' ich früh
Und ewig vor mir stehn.
 放っておいて、私が静かに燃え尽きようとも。
 ただ静かに行かせてほしい。
 遅かろうが早かろうが彼女に会い、
 永遠に私の前に立つのだ。

Was ladet ihr zur Ruh' mich ein?
Sie nahm die Ruh' mir fort;
Und wo Sie ist, da muß ich seyn,
Hier sey es oder dort.
 何できみたちは私を憩いに誘うのか?
 彼女は憩いを私から奪ってしまった。
 そして彼女のいるところに私は行かねばならぬ、
 ここだろうが、あちらだろうが。

Zürnt diesem armen Herzen nicht,
Es hat nur einen Fehl:
Treu muß es schlagen bis es bricht,
Und hat deß nimmer Hehl.
 この哀れな心を恨むな、
 それはただ一つの欠点がある。
 破れるまで忠実に打ち続けなければならない、
 決して隠すことなく。

Laßt mich, ich denke doch nur Sie;
In Ihr nur denke ich;
Ja! ohne Sie wär' ich einst nie
Bei Engeln ewiglich.
 放っておいて、私はただ彼女のことを思っている、
 彼女の中でだけ私は思う。
 そう!彼女がいなければいつの日か
 天使のそばに永遠にいることは出来ないだろう。

Im Leben denn und auch im Tod',
Im Himmel, so wie hier,
Im Glück und in der Trennung Noth
Gehör' ich einzig Ihr.
 生きていようが、死んでいようが、
 天国にいようが、ここと同じだ。
 幸せの中だろうが、別れの苦しみの中だろうが、
 私はただ彼女のもの。

詩:Georg Friedrich Conrad Ludwig Müller von Gerstenbergk (1778-1838)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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有名な哲学者アルトゥア・ショーペンハウアーの母ヨハンナ・ショーペンハウアー(Johanna Schopenhauer)の小説にこの詩が登場する為、ヨハンナの作と思われることが多かったようですし、グレアム・ジョンソンによればシューベルト自身もそう信じていた可能性があるようです。
ヨハンナはこの「ヒッポリュトスの歌」が含まれる『ガブリエーレ(Gabriele)』の序文に「この本に含まれる詩は私の作ではありません(daß daher die in diesem Buche enthaltnen Gedichte nicht von mir sind.)」と明記しています。
実際の作者はゲオルク・フリードリヒ・コンラート・ルートヴィヒ・ミュラー・フォン・ゲルステンベルクという人です。
父の姓がミュラー、母の姓がフォン・ゲルステンベルクだそうです。

ヒッポリュトスというのはギリシャ神話の登場人物で、テーセウスとアンティオペー(またはヒッポリュテーかメラニッペー)の子です。狩猟・貞潔の女神アルテミスと森に住んでいました。アプロディーテーの策略により継母パイドラーから求愛されますが、断ったことでパイドラーは遺書を残して自殺し、その為にテーセウスの呪いを受け、ヒッポリュトスは戦車を曳いていた馬に轢かれて亡くなります。

 (参考:Wikipedia)

このゲルステンベルクの詩でヒッポリュトスが愛した女性は誰のことなのでしょう。アルテミスはヒッポリュトスにとって恋愛の対象ではなく崇拝の対象のようです。
グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)によると、ヒッポリュトスを題材にしたジャン・ラシーヌ(Jean Racine)の作品『フェードル(Phèdre)』にアリシー(Aricie)というキャラクターが登場しており、そこではアリシーへの愛をヒッポリュトスが父親に打ち明けているそうです。

 (参考:グレアム・ジョンソンの解説)

このシューベルトの作品をはじめて聴いたのはF=ディースカウが1980年代にブレンデルと録音したCDでした。ピアノの弱拍に絶えずあらわれるプラルトリラー(元の音から2度上の音に行き、また元の音に戻る装飾音)が特徴的で一瞬のうちに魅了されたことを思い出します。

曲はA-B-A-B-A'のほぼ有節形式といってよいでしょう。最後のA'は最後の2行を繰り返すのですが、"Gehör'"の"hör"の音がこれまでの2点ホ音(E)より1音高い2点ヘ音(F)になって締めくくるところがなんとも心憎いと思います。私はここでぐっときてしまいます。

1826年7月作曲
2/2拍子
イ短調(a-moll)
Etwas langsam

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & アルフレート・ブレンデル(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Alfred Brendel(P)

いい具合に枯れた当時のF=ディースカウの声が、この作品の雰囲気にぴったりはまっています。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Gerald Moore(P)

ここでF=ディースカウはAの4行目の前打音付きの音(例えば第1節の"ewig")を「ホ-ニ」と八分音符で分けずに「ホ」の四分音符のみで歌っています(ブレンデルと共演の盤では「ホ-ニ」で歌っています)が、シューベルトの記譜ではこの歌い方も正しいようです(「音楽に寄せて」D547の"entzunden"も同様の例です)。最後の節の"Gehör'"の"hör"は装飾音ではなく、八分音符2つで記されているので、ここだけは八分音符2つがシューベルトの意図に沿うことになり、F=ディースカウもそのように歌っています。

●ズィークフリート・ローレンツ(BR) & ノーマン・シェトラー(P)
Siegfried Lorenz(BR) & Norman Shetler(P)

F=ディースカウやプライの次の世代のリート歌手として名前の挙がっていたローレンツの歌唱です。ディクションも歌唱も美しく素晴らしいと思います!

●マルクス・シェーファー(T) & ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Markus Schäfer(T) & Ulrich Eisenlohr(P)

シェーファーの真摯な歌いぶりもいいですね。アイゼンローアはプラルトリラーの弾きはじめを左手の音の前に出さず、同時に弾いていますが、また違った趣があります。

●イアン・ボストリッジ(T) & ジュリアス・ドレイク(P)
Ian Bostridge(T) & Julius Drake(P)

ウィグモア・ホールでのライヴ録音。曲に合わせたのかボストリッジの声がやや重めに感じられます。ドレイクがプラルトリラーを強調して弾いているのも印象的です。

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