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シューベルト「マリアの憐憫について(Vom Mitleiden Mariä, D 632)」を聴く

Vom Mitleiden Mariä, D 632
 マリアの憐憫について

Als bei dem Kreuz Maria stand,
Weh über Weh ihr Herz empfand,
Und Schmerzen über Schmerzen:
Das ganze Leiden Christi stand
Gedruckt in ihrem Herzen.
 マリアが十字架の前に立ったとき
 彼女の心が感じたのは、悲しみにつぐ悲しみ、
 苦痛につぐ苦痛。
 キリストのあらゆる苦悩が
 彼女の心を押しつぶした。

Sie ihren Sohn muß bleich und todt,
Und überall von Wunden roth,
Am Kreuze leiden sehen.
Gedenk, wie dieser bittre Tod
Zu Herzen ihr mußt' gehen!
 彼女は息子が青ざめて生気を失い、
 いたるところが傷で真っ赤になり
 十字架で苦しんだのを見なければならない。
 思い馳せよ、いかにこの辛い死が
 彼女の心へ向かわざるをえなかったか。

In Christi Haupt durch Bein und Hirn,
Durch Augen, Ohren, durch die Stirn
Viel scharfe Dornen stachen;
Dem Sohn die Dornen Haupt und Hirn
Das Herz der Mutter brachen.
 キリストの頭に、脚や脳を通じて、
 目、耳を通じて、額を通じて、
 多くの鋭いとげが刺さった。
 とげは息子の頭や脳を、
 そして母の心を砕いた。

詩:Friedrich von Schlegel (1772-1829)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの詩は、十字架上で息絶えた息子イエスキリストの姿を見た母マリアの悲痛な心情を描いています。

シューベルトの曲は有節形式で3節からなります。
歌声部、ピアノの右手、左手といった三つの声部がコラール風に進行していきます。
歌の音域は1オクターヴ内にすっぽり収まってしまいます。
グレアム・ジョンソンはC.P.E.バッハのゲレルト(Gellert: Geistliche Oden und Lieder, Wq. 194, H. 686)とクラーマー(Cramer: 42 Psalmen mit Melodien, Wq. 196, H. 733)の詩による歌曲をシューベルトが思い浮かべていたのではと指摘しています。

この曲の厳かで神々しい雰囲気は、静かにじわじわと訴えかけてきます。

2/2拍子
Langsam(ゆっくりと)
ト短調(g-moll)
28小節(1節分の小節数。全3節の有節形式)

歌声部の最高音:2点ト音(G)
歌声部の最低音:1点ト音(G)

作曲:1818年12月

●クリスティーネ・シェーファー(S) & アーウィン・ゲイジ(P)
Christine Schäfer(S) & Irwin Gage(P)

シェーファーの凛とした歌声が情景をくっきりと描き出していて素晴らしいです。ゲイジのピアノはヤノヴィツと共演の時もそうですが、第3節でタッチを強めて演奏し、彼の主張をそこに聴くことが出来ます。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Gerald Moore(P)

ここでは第3節は残念ながら省略されています。F=ディースカウのむらのない響きが静かな感銘を与えてくれます。ムーアが来日した際、畑中良輔氏が彼から「毎日バッハのコラールをさらう」という話を聞いてそれがムーアのレガートの秘訣なのではないかと思ったという記述をこの演奏を聴きながら思いました。

●ジビュラ・ルーベンス(S) & ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Sibylla Rubens(S) & Ulrich Eisenlohr(P)

細身のリリックなルーベンスの歌唱は、けなげなマリア様を想起させてくれます。

●ヴェルナー・クレン(T) & ジェラルド・ムーア(P)
Werner Krenn(T) & Gerald Moore(P)

第3節のとげの描写でクレンの悲痛な表現が迫ってきます。

●グンドゥラ・ヤノヴィツ(S) & アーウィン・ゲイジ(P)
Gundula Janowitz(S) & Irwin Gage(P)

ゆっくり目のテンポで一見クールで泰然としたヤノヴィツの歌唱はそれゆえにマリアの哀しみを自然に浮き立たせているようにも感じられます。

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コメント

フランツさん、こんばんは。

シューベルト好きのクリスチャンなのに、この曲を知らなかったです。
心に染みる曲をご紹介下さりありがとうございました。

今年は2月17日が、四旬節と呼ばれる受難節が始まります。またこの日はレント(灰の水曜日)です。
この時期にぴったりの曲ですね。
キリストの受難を思うとともに、私にも息子がいますから、母マリアの胸のうちを思うと、悲痛などと言う言葉では表せません。。

演奏に目を向けますと、シェーファーの声がこの曲とぴったり合って、迫って来ました。凛とした響きに母としての悲しみを隠しているかのようで。

ルーベンスの可憐な響きは、受胎告知を受けた頃の若きマリアを想起させ、涙を誘います。いつか来るこの日を思いながらキリストを産み育てた若き日々を思い起こしているかのように聞こえました。
ルーベンスの声、いいですね!

ヤノヴィッツのゆっくりした演奏からは、確かにおっしゃる通りマリアの悲しみが伝わってきますね。そこには祈りも込められて要るように聞こえました。

男声で聞くと、福音史家的な立ち位置で歌っているように聞こえますね。
クレンのテノールいいですね。とても惹かれる演奏でした。
ディースカウさんは、いつものように言葉が立つのを抑えていたのかやはり、切々とした演奏でした。
プライさんでも聞いてみたかったです(想像ですが、トゥーレの王に近いうたいかたになるのかなあ、、)

ムーアは毎日バッハのコラールをさらっていたのですね。彼の琴線に触れる演奏の蔭にはそのような努力もあったのですね。

投稿: 真子 | 2021年2月15日 (月曜日) 20時21分

真子さん、こんばんは。

この曲を真子さんにご紹介できて良かったです。
真子さんにはきっと気に入っていただけるだろうと思っていました!

今が四旬節という時期の始まりなのですね。
キリスト教の暦は細かく設定されているので、それぞれの時期に因んで信者の方々は思いを寄せられることと思います。

マリア様がイエスの受難を前にした場面はクリスチャンでなくともその心中を察すると何とも言えないですね。
そういう場面をシューベルトが厳粛さに満ちた作品に仕上げています。
聴き比べをしていると、この曲が頭の中をループして離れなくなってしまいます。それぐらい耳に残るメロディーだと思います。

シェーファーの歌は本当に凛とした佇まいが感じられますよね。

ルーベンスの歌唱もまだ若々しい美声ゆえにより辛さが際立っていると思います。真子さんのルーベンスのご感想、とても共感しました!

ヤノヴィツはおっしゃるように祈りのようですね。

男声陣はやはりマリアの心情を外側から描くというスタンスなのでしょうね。
真子さんがプライの歌っていない曲を脳内再生しているというお話を伺っているうちに、私も多少出来るようになってきたようです!
この曲をプライの歌で脳内再生すると、あの温かみのある朗々と響く声がマリアへの共感を真摯に描いていました。
プライにはうってつけの作品だと思いますね。

ムーアはレガートの美しさに定評があるのですが、F=ディースカウの録音でもフレーズの歌わせ方が最高でした!

投稿: フランツ | 2021年2月16日 (火曜日) 20時24分

フランツさん、こんにちは。

この曲には本当に心惹かれます。何度も聞いています!

プライさんが歌うとしたら、1985年録音のグノーのアヴェマリアのように、温かく包み込んでくれる声がいいなあ、と思います。
どんどん妄想グセが暴走し、いろんな曲を脳内で再生してしまっています笑

プライさんが歌うと、父ヨセフのようになるのではないか、と想像します。

ヨセフの記述は少なく、受胎告知に続き、生誕物語、ヘロデ王から逃れるためエジプトに行く話。それから、12歳になったイエスさまと両親が、エルサレムへ都詣でする話。
その後両親に仕えたという記述がありますが、およそ30歳で活動を始めて以降は聖書にはヨセフは出て来ないんです。
だから、その頃には、父ヨセフは亡くなっていたのではないかと思います。
少ない記述であっても、ヨセフの人柄は伝わって来ます。
数奇な運命を背負った妻と息子を、いつも温かく大きな愛で包んでいたのではないかと思います。

聖書には、イエスさまが神様をアッバ(父)と呼ぶシーンが出てきます。それは親しみを持った「父ちゃん」というほどのヘブライ語なんだそうです。
神学的には、神様の性質を表しているんですが、私は温かかった父ヨセフの事がいつも、イエスさまの頭にあったのではないかと思っています。

受難の箇所を読んだり、音楽を聞くと、母マリアと共に父ヨセフの事も思います。
そこから更に、ちょっと親バカなプライさんをヨセフと結びつけてみました。
変な妄想話ですみません(^-^;

投稿: 真子 | 2021年2月17日 (水曜日) 17時36分

真子さん、こんばんは。

プライのグノー「アヴェ・マリア」YouTubeで聴きましたが素晴らしいですね。
人肌の温かさがあって、声で包まれる感じがしました。

真子さんの妄想のお話楽しく読ませていただきました(^^)

イエスの父ヨセフに関する聖書の記述が少ないということをはじめて知りました。
確かにイエスキリストや母マリアについては宗教曲の題材に頻繁に取り上げられているのに、ヨセフの名前はあまり聞かないですね。
いろいろ教えていただき、有難うございます。
真子さんはマリアとイエスを見守っていたであろうヨセフとプライを重ねておられるのですね。

音楽を通じて、聖書の話も教えていただけるので、いつも有難く思っています。
本当はヨーロッパの音楽を知るには私ももっと宗教的なことを知らなければならないのですが。

またいろいろ教えて下さいね。
有難うございました!

投稿: フランツ | 2021年2月17日 (水曜日) 21時24分

フランツさん、こんばんは。

プライさんの、グノーのアヴェマリア、素晴らしいでしょう?(*^^*)
数年前、まだ福岡にいた友人に、この曲をプレゼントしたところ、「直接感動を伝えたい」と、電話してきてくれた事があります(普段はメールでやり取りしていました)。
私は心が疲れた時に特に聞きます。心がホロホロとほぐれて行き、プライさんの声に包まれます。
声域の広い彼ならではの、朗々と響く低音と伸びやかな高音に、さすが!と思わせられます。

この曲に話を戻しますと、ソプラノにとって、
歌声部の最高音:2点ト音(G)
歌声部の最低音:1点ト音(G)
と言うのは一番歌いやすく、かつ美しい響きを出せる音域ですよね。
ここで歌っているソプラノ三人とも、本当に美しいです。
ルーベンスは初めて聞いた歌手ですか、声がとても好みなのでCDを探してみました。
「NAXOS Schumann lied edition5」と言うのがヒットしたので、アマゾンで注文しました。
「女の愛と生涯」ほかが入っているようで楽しみです。

フランツさんのブログのお陰で、たくさんの知らない歌手にも出会え、感謝しています。

投稿: 真子 | 2021年2月17日 (水曜日) 23時43分

真子さん、こんばんは。

お友達がわざわざ真子さんに感動を伝えたくて電話されたのですね。
気持ちが溢れてきて、直接真子さんに伝えたかったのでしょうね。
プライの歌声は声のマッサージですね!

2点ト音あたりはソプラノの方は難なく出せるものなのですか!
ソプラノ歌手にとっては歌いやすい音域なのですね。

ルーベンスを気に入って下さったとのこと、NAXOSのシューマン歌曲全集のうちの1つですね。
私も記事を書きながらいろいろな演奏を聴くことが出来るので楽しいです。

そしてしっかり聴いて下さる真子さん、いつも本当に有難うございます!

投稿: フランツ | 2021年2月18日 (木曜日) 21時14分

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