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モーツァルトの誕生日に寄せて「喜びに寄せて(An die Freude)」

An die Freude, K. 53(47e)
 喜びに寄せて

1:
Freude, Königin der Weisen,
Die, mit Blumen um ihr Haupt,
Dich auf güld'ner Leier preisen,
Ruhig, wenn die Torheit schnaubt:
Höre mich von deinem Throne,
Kind der Weisheit, deren Hand
Immer selbst in deine Krone
Ihre schönsten Rosen band!
 喜び、それは賢さの女王、
 頭のまわりを花で飾り、
 金のライアーであなたを称え、
 愚かさが鼻息を荒げても、落ち着いている。
 あなたの玉座から私の話をお聞きください、
 賢さの子、その手は
 常に自分であなたの冠を
 もっとも美しいバラで編んでいた!

2:
Rosen, die mit frischen Blättern,
Trotz des Nords, unsterblich blüh'n,
Trotz des Südwinds, unter Wettern,
Wenn die Wolken Flammen sprüh'n:
Die dein lockicht Haar durchschlingen,
Nicht nur an Cytherens Brust,
Wenn die Grazien dir singen,
Oder bei Lyäens Lust.
 バラは青々した葉を付け、
 北方だろうが、枯れずに咲く、
 南風に吹かれようが、雷雨にさらされようが、
 雲が炎を放つときでも。
 バラはあなたの巻き毛の髪にもからみつくのだ、
 それは美の女神キュテレイア(アフロディーテ)の胸を飾るだけでない、
 美の女神グラティアがあなたに歌ったり、
 酒神リュシオス(ディオニュソス)のところで楽しむときに。

3:
Sie bekränzen dich in Zeiten,
Die kein Sonnenblick erhellt,
Sahen dich das Glück bestreiten,
Den Tyrannen uns'rer Welt,
Der um seine Riesenglieder
Donnerndes Gewölke zog
Und mit schrecklichem Gefieder
Zwischen Erd' und Himmel flog.
 バラはあなたを花輪で飾る、
 太陽の輝きが照らさない時に。
 幸福はあなたが反論しているのを見た、
 われらの世界の暴君に向かって。
 彼は巨大な四肢のまわりに
 雷鳴轟く雲の群れを浮かばせ、
 そしておそろしい羽で
 大地と空の間を飛び回った。

4:
Dich und deine Rosen sahen
Auch die Gegenden der Nacht
Sich des Todes Throne nahen,
Wo der kalte Schrecken wacht.
Deinen Pfad, wo du gegangen,
Zeichnete das sanfte Licht
Cynthiens mit vollen Wangen,
Die durch schwarze Schatten bricht.
 あなたとあなたのバラを見たのだ、
 夜になった地域でもまた、
 死の玉座がそれらに近づくのを。
 そこでは冷たい戦慄が目覚めている。
 あなたが歩んだ小道を
 穏やかな光が線を描いた、
 ふくよかな頬のキュテレイアの光が。
 彼女は黒い影の中から現れるのだ。

5:
Dir war dieser Herr des Lebens,
War der Tod nicht fürchterlich,
Und er schwenkete vergebens
Seinen Wurfspieß wider dich:
Weil im traurigen Gefilde
Hoffnung dir zur Seite ging
Und mit diamant'nem Schilde
Über deinem Haupte hing.
 あなたにはこの生の支配者である
 死は恐ろしくなかった。
 そして死は無駄に振り回した、
 投げ槍をあなたに向けて。
 なぜなら、わびしい平野で
 希望があなたの脇に行き、
 そしてダイアモンドの盾をもって
 あなたの頭上に掛かっていたから。

6:
Hab' ich meine kühnen Saiten
Dein lautschallend' Lob gelehrt,
Das vielleicht in späten Zeiten
Ungeborne Nachwelt hört;
Hab' ich den beblümten Pfaden,
Wo du wandelst, nachgespürt
Und von stürmischen Gestaden
Einige zu dir geführt:
 私は自らの大胆な心に、
 あなたに向けて大きく響き渡る賛美を教えた、
 ひょっとすると晩年に
 まだ生まれていない後世が聞くかもしれない賛美を。
 私は花咲き乱れた小道を、
 あなたが歩いた小道をたどり、
 そして嵐吹き荒れる岸辺から
 何人もあなたのもとへ連れて行った。

7:
Göttin, o so sei, ich flehe,
Deinem Dichter immer hold,
Daß er schimmernd' Glück verschmähe,
Reich in sich, auch ohne Gold;
Daß sein Leben zwar verborgen,
Aber ohne Sklaverei,
Ohne Flecken, ohne Sorgen
Weisen Freunden teuer sei!
 女神よ、おお、かくあれと、私は願う。
 あなたの詩人に常に好意をもっていておくれと、
 彼がかすかな幸福をすげなく拒絶して、
 金(きん)はなくとも、心豊かでいられるように。
 彼の人生は人に知られてはいないが、
 奴隷でなく、
 汚点もなく、心配事もない、
 賢い友にとってかけがえのない存在であれ!

詩:Johann Peter Uz (1720-1796)
曲:Wolfgang Amadeus Mozart (1756-1791)

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本日1月27日はモーツァルトの265歳の誕生日!というわけで、彼の一番最初の歌曲を聴き比べてみます。

モーツァルト12歳の時に作られた「喜びに寄せて」はウーツの詩による全7節からなる有節歌曲です。多くの録音では最初と最後の節(つまり第1節と第7節)を演奏していますが、プライのように第7節の代わりに第4節を歌うと、第1節との内容的なつながりが感じられます。
ちなみに以前この作品について投稿した記事はこちらです。

●ヘルマン・プライ(BR) & ベルンハルト・クレー(P)
Hermann Prey(BR) & Bernhard Klee(P)

第1,4節。1975年11月録音。プライがマティスのご主人のクレーのピアノで歌っています。Deutshce Grammophonでマティスと分担してモーツァルト歌曲全集を作った時の録音です。プライは荘厳な響きで真摯に歌っています。クレーは第4節で装飾を加えていて華やかさを加えています。

●ルート・ツィーザク(S) & ウルリヒ・アイゼンローア(P)
Ruth Ziesak(S) & Ulrich Eisenlohr(P)

第1,7節。ツィーザクのしっとりとした歌唱に聞き惚れてしまいます。

●バーバラ・ボニー(S) & ジェフリー・パーソンズ(P)
Barbara Bonney(S) & Geoffrey Parsons(P)

第1,7節。1990年8月録音。かなりゆっくり目のテンポで噛みしめるように歌うボニーの歌が素晴らしいです。楽譜付き

●エリー・アーメリング(S) & ドルトン・ボールドウィン(P)
Elly Ameling(S) & Dalton Baldwin(P)

第1,7節。1977年8月録音。アーメリングは他の歌手に比べて明るい表情で軽やかに歌っていて、楽しい気分にさせてくれます。ボールドウィンのタッチは明らかにこの当時の鍵盤楽器を意識した弾き方で、明瞭です。

●【ピアノパートのみ】フランクリン・アギラル(P)
Franklin Aguilar(P)

ゆっくり目のテンポなので合わせて歌いやすいと思います!2節分演奏しています。

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コメント

フランツさん、こんばんは。

これを12歳で作曲するのだから、やはり天才ですね。モーツァルトらしさは、既に芽生えていますし。

さて、プライさんのこの演奏、数ある彼のCDの中でも、とりわけ声が甘いんです。鼻腔に響くだけ響いている感じで。
そして、おっしゃる通り歌詞をじっくり読むとつながりのある歌詞選択ですよね(*^^*)

ツィーザクは、しっとりがぴったりのうたいぶりですね。今、気持ちが落ち着かない中にいますので、聞いていてホッとします。

ボニーの若き日の声もフレッシュで、心が洗われますね。1990年初頭、ラジオで素晴らしい新人が出てきたと紹介されたのがボニーでした。ラジオでかかっていたのはメンデルスゾーンでした。メンデルスゾーンに続いてリリースされたのがモーツァルト歌曲集だったと記憶しています。
もちろん、CDも出る度買いました!

アップテンポのアメリングの歌唱もいいですね。元気が出ます!
プライさんが、「テンポも解釈です。」と自伝に書いていましたが、こうして、テンポの違う演奏を聞いていると、本当にそうだなあと思います。
同じ曲でも、全く違う印象をうけますよね。

そして、毎回の翻訳をありがとうございます。思えば、フランツさんは、ストレートにドイツリートがわかるんですよね。
私はワンクッション置かないとわからないからうらやましいです。もちろん、ご努力なさったからですけど。

投稿: 真子 | 2021年1月27日 (水曜日) 21時24分

書き忘れました(^-^;

モーツァルト、生きていたら265歳なんですね。
でも、モーツァルトもシューベルトもベートーベンも、私たちには今も生きている、とも言えますよね(*^^*)♪

投稿: 真子 | 2021年1月27日 (水曜日) 21時27分

真子さん、こんばんは。

モーツァルトは本当に早熟の天才ですよね。
生き急いでしまったのでしょうか。

プライの声、改めて聴いてみましたが、確かに甘美ですね。こんな声で歌われたらモーツァルトも大喜びでしょう。

ツィーザクの趣のある歌、いいですよね。彼女は若い頃から歌曲を沢山歌っているのですがそれほど録音が多くないのであまり知られていないのが残念です。この動画で真子さんの気持ちが落ち着いてくださったなら、ご紹介して良かったです。

ボニーもひところ次々に歌曲の録音をリリースしましたよね。彼女とパーソンズのコンビによるモーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ヴォルフ、シュトラウス等の録音は折に触れて聴きたくなります。ここではかなりゆっくり目に歌っているのが意外でしたが、本当にテンポ設定の違いで曲の雰囲気は随分変わりますよね。アーメリングとは別の曲みたいです。アーメリングのモーツァルト歌曲全集は辞書的な意味合いが強いと思いますが、一気に聞けてしまうぐらいチャーミングです!

プライは「テンポも解釈です。」と言ったのですね。シューベルトの「御者クロノスに」の70年代と80年代のテンポの違いにびっくりした思い出がある私にとって、この言葉は重みがありますね。

>毎回の翻訳をありがとうございます。思えば、フランツさんは、ストレートにドイツリートがわかるんですよね。

こちらこそいつも有難うございます。
私はストレートには分からないんです...単語は分かっても意味をつなげるのはとても難しいです。いつも数種類の独和辞典やらネットやらを調べて、英訳なども参考にしながらなんとか訳すという感じです。

>モーツァルトもシューベルトもベートーベンも、私たちには今も生きている、とも言えますよね(*^^*)♪

本当おっしゃる通りですね!彼らは音楽を聴く人の中でずっと生き続けていくのでしょうね♪

投稿: フランツ | 2021年1月28日 (木曜日) 20時55分

フランツさん、こんばんは。

翻訳に、とても時間をかけて丁寧にしてくださっていたのですね。
私もドイツリートを勉強したり、プライさんにファンレターを書くのに、ドイツ語を勉強したことがありました。でも、外国語は本当に難しいです。
文章や詩を翻訳するには、かなりの語学力がなければ、なかなかできるものではないと思います。
確か、ドイツかオーストリアにいらっしゃった事がありましたね。
その国の地を踏む、風を感じる感じないでは全然違うと思います。

大変な作業だと思いますが、これからも楽しみにしています。
私も心を込めて読ませていただきます(*^^*)

投稿: 真子 | 2021年1月29日 (金曜日) 18時48分

真子さん、こんにちは。

真子さんもドイツ語を勉強されていたのですね。プライに手紙を書くという目的があると、ドイツ語の勉強のモチベーションも高まりますよね。
私はドイツ語を全く知らない中学生の頃にドイツ歌曲が好きになり、歌詞を知る為にドイツ語を勉強したのがきっかけですね。
オーストリアにも一度だけ行きましたが、素晴らしい体験でした。
シューベルトの生家やヴォルフの記念館に行ったり、街中をぶらぶら散歩したり、今ではいい思い出です。

>その国の地を踏む、風を感じる感じないでは全然違うと思います。

確かにその場にいてはじめて分かることはあったと思います。
例えば、ウィーンの大きな美術館で見終わってお土産の絵葉書を買おうとした時、電話中だった店員さんがこちらをちらりと見た後もしばらく普通に電話を続け、終わってから特にお詫びの言葉もなく何事もなかったように対応したのは、日本の接客業とは違うなぁと思いました。
その店員さんがサービスを軽視していたというのではなく、そういうお国柄で特に悪気はなかったのではないかと思います。

>大変な作業だと思いますが、これからも楽しみにしています。
私も心を込めて読ませていただきます(*^^*)

有難うございます!
そう言っていただけると励みになります。
私も公開するからには出来るだけマシな訳文になるように努めたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: フランツ | 2021年1月30日 (土曜日) 16時16分

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