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岩田達宗(演出・構成)/歌劇『ヴォルフ イタリア歌曲集』(2020年11月28日東京文化会館小ホール)

歌劇『ヴォルフ イタリア歌曲集』

2020年11月28日(土)15:00 東京文化会館小ホール

ソプラノ:老田裕子
バリトン:小森輝彦
ピアノ:井出徳彦
ダンス:山本裕、船木こころ

演出・構成:岩田達宗

美術:松生紘子
衣裳:前田文子
照明:大島祐夫
振付:山本裕
舞台監督:大仁田雅彦

岩田達宗演出の歌劇『ヴォルフ イタリア歌曲集』を聴いた。
公式サイトはこちら

公演プログラムはこちら(公式)

大好きなヴォルフの『イタリア歌曲集』全曲がオペラ化されたと知り、楽しみにでかけてきた。
何年ぶりかで降り立った上野駅公園口は以前と出口が移動していて、信号を渡らずに東京文化会館に続いていたのが驚きだった(工事の途中?)。

小ホールに入ると、舞台に壇があり、テーブルが中央に置かれている。
その上から第1曲冒頭のドイツ語歌詞"Auch kleine Dinge können uns entzücken"がぶら下がっている。
階段で上下の場所を移動出来るうえ、両端にも階段が設置されていて、出入りの際に使われることが多かった。
ダンサーは壇の上で演じ、歌手はその下で歌うことが多いが、結局皆上下を行き交う。
ピアニストは客席と同じ高さの中央に、オーケストラピットのように位置する。
歌手とダンサーはそれぞれ男女のペアで、手に持てるサイズの「箱」が続々テーブルに積まれ、何らかの暗示をしていた。
場面によってその「箱」は異なる色を放つ。
相手に渡したり、投げ落としたりと、感情表現の象徴的な役割も与えられていたようだ。

ステージ上部に訳詞が投影されたが、オペラ字幕のようにうまく意訳してストーリーの流れを作り上げていた。

ヴォルフの『イタリア歌曲集』はイタリアの詩にパウル・ハイゼが独訳した46編に作曲された歌曲集で、男女の恋愛の機微が歌われる。
どれもほとんど1~2分の短い作品で、全曲がCD1枚分に収まってしまう。
その第1曲は「小さなものでも僕らを魅了することは出来る」という詩で、演出・構成の岩田達宗さんも今回のオペラ化に際して、この第1曲のメッセージに触発されて、全体のモットーとして掲げたようだ。

全46曲なので、休憩をはさんで23曲ずつでもよさそうなところだが、岩田さんはそうせず、前半26曲、後半20曲として、曲順もヴォルフのオリジナルとは大きく入れ替えた。
ヴォルフの曲順でやる場合も、入れ替えて演奏する場合もほぼ男女が1曲ずつ交互に演奏出来るのだが、それでも男性が続けて、もしくは女性が続けて2曲以上を歌う場面も普通は出てくる。
少なくとも市販されている音源や、私がこれまで聞いたコンサートを思い返してみても、同じ人が連続して歌うところはあった。
ところが、今回の岩田版は見事なまでに1曲ずつ男女が交互に歌えるように編み上げていた。
そして、岩田版の曲順ではある一つの物語が浮き上がるように綿密に考えられていた。
まずはモットーが歌われ、続いて女性が恋人が欲しいと望み、その望みが叶えられ、恋愛のはじまりのういういしい男女のやりとりが続く。
その後、お互いに相手をからかいながら恋愛中の駆け引きをやりあう。
くっついたり離れたりを繰り返し、最後に女性が相手に対して「誰があんたを呼んだの?」と言って前半を締めくくる。
その前に「天上のお母さまに祝福あれ」(ステージ上の字幕では確か「お母さんの冥福を祈ります」というような感じだった。老田さんが黒いベールをかぶって登場)が歌われ、その何曲か前に伏線として「みんな言っているわよ、あなたのお母さんが反対してる、って」という曲で「あなたはマザコンなんでしょ」というような字幕スーパーが付けられていた。
つまり、年上の女性に目移りしていることに苛立って、最後に「もっと好きな女のところに行きなさいよ」と突き放すという締めなのだろう。

休憩後は沸点が爆発した歌のやりとりで感情がエスカレートしていく。
女性が「地の底にあいつの家が飲み込まれればいい」と言えば男性が「お高くとまりやがって、このお嬢サマ」と応戦する。
この言い争いの場面はダンサーは登場せず、歌手二人だけで演じていたが、歌手たちの迫真の演技に舌を巻いた。
その後、言葉が止まり二人の間に沈黙が訪れる。
体感時間は結構長かったが、その後に女性が「ふたりとも ずっと黙ったままでした」と歌い始める。オペラ上演ならではの演出だろう。

その後「さあもう仲直りしよう」と男性が歌い、テーブル上に積み重ねられていた箱が完成して家が出来上がった。

男女の気持ちが通じ合った瞬間なのかもしれない。

晴れて大団円かと思いきや場面転換のようなエピソード(「しょっちゅう噂で聞いたわよ」)の後、男性が「どんな歌をきみにうたってあげればいいだろう」と、思いつめたような歌を歌う。
続いて「戦場に向かう若者のみなさん」と続き、男性が戦場に向かうことが明らかになる。
その後、登場した小森さんは兵隊のコートに身を包んでいた。
そして「きみがぼくを見て ほほえみ」と歌い終えると暗転する。
ここで戦場に向かった男性が死ぬことを暗示しているようだが、詩は、君を求める気持ちがふくらんで、ハートが脱走しないようにしたいという内容である。
ハートが肉体から脱走するということを死ととらえたということかもしれないが、正直そういう意図かどうか自信はない。
再び点灯すると、最後の曲「ペンナにわたしの恋人がいるの」で女性版ドン・ジョヴァンニの華麗な男性遍歴が歌われて華やかに締めくくる。

ダンサー2人は歌手の歌う内容に応じて、その内面を全身で表現する。
時に歌い手の感情の投影として、時に歌い手を応援する仲間として。
その振り付けはダンサーの一人、山本さんが担当したそうだ。
「ああ、あなたのお家がガラスのように透けて見えたなら」は、恋人の家が透明だったら川や雨の水滴よりも多くの視線を送るのにという内容で、水滴のような細かい同音反復がピアノパートを貫くが、その曲調を模したかのようにダンサー二人が小刻みな歩幅で前進する振り付けはコミカルで楽しかった。

ダイナミックあるいは繊細なダンスが音楽の表情をより増幅して真摯な感銘を与えてくれる一方、寝っ転がって足をばたつかせたりというコミカルな振りもまた生の肉体表現ならではの味わいを感じさせてくれたと思う。

ソプラノの老田さんはリリックでよく通る美声がなんとも耳に心地よい。
喜怒哀楽のころころ変わる演技を求められていたが、どれも自然で演技も素晴らしかった。
地団駄を踏んだり、してやられて「イーッ」ってなる箇所ですら愛らしさを感じたのは、持って生まれたキャラクターも関係しているのかもしれない。

バリトンの小森さんは何度かリサイタルを聴いたことがあったが、オペラ歌手としての側面を今回初めて知り、歌曲をオペラの表現にするということがこんなにも新たな魅力を引き出してくれるものなのかということを感じた。例えば「目の見えないひとはさいわいだ」の最後の行の言葉"Liebesqualen(恋の苦しみ)"の"qualen"の"a"のメリスマにあえて一音ずつ息を入れて"a"を分離させることで苦悩をより拡大して伝える効果が出ていた。言葉への細やかな表情の綾、歌声の響き方、そして演技の自在さ・自然さ、どこをとっても圧巻だった。

ピアノの井出さんは飄々としたいでたちから演奏が始まった時のスイッチの入り方がすごい。何か憑依しているような空気の変化が感じられた。
長い指が生き物のように鍵盤上を自在に這い回り、視覚的にも印象的だが、オペラとして間をとったり、ガンガン突き進んだりと振れ幅の大きい表現でヴォルフの核心に迫ろうという気迫がすさまじかった。

衣装が白を基調としていたのも見やすかった。
女性二人は白いワンピースで裾が緑だった。
「緑色ってステキ 緑色を着ている人も」の時に裾が緑であることに気づいたので、目立つような振り付けだったのかもしれない。

拍手の時には演出の岩田さんの他にスタッフの方2人も登場した。

これが1回だけというのはなんとももったいない気持ちだが、このご時世の中、無事に公演が行われ、新しい試みが成功した場にいられたことの喜びを感じずにはいられない。
本当にワクワクが止まらない時間だった。

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(2021/1/30追記)この日の公演の動画を収録したものが公開されました!最初5分ほど解説があり、その後に演奏です。全曲聴けます!皆さん、是非ご覧ください。

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コメント

フランツさん、こんばんは。

ご無沙汰しています。
いつの間にか12月に入り、今年もあと一月となりましたね。

さて、素敵なステージを体験しと来られたのですね。ヴォルフのイタリア歌曲集のオペラ化ですか!
記事から、フランツさんのワクワクしたお気持ちが伝わって来ました!
詳しく書いて下さっているので、臨場感をもって拝見できました(*^^*)

ソプラノの老田さんのリリックな美声が気になります。きっと、アメリング系列の声なのでしょうね

投稿: 真子 | 2020年12月 2日 (水曜日) 18時40分

真子さん、こんばんは。
コメントを有難うございます!

お久しぶりですね。
あっという間に12月になってしまいましたね。

ヴォルフの『イタリア歌曲集』は大好きな作品で、どの曲からもミニアチュールならではの凝縮した輝きが感じられるんですよね。
真子さんもきっとプライの録音を聞かれたことと思います。
今回は舞台セットと衣装、演技、さらにダンスも加わって、視覚的な表現を楽しむことが出来ました。
演出家の方はよく考えたなぁと脱帽しました。

老田さんはおっしゃるようにアーメリング系統のリリックな美声で、ボリュームもたっぷりで本当に素晴らしかったです。かなり感情の起伏が激しい曲集ですが、激しい曲でも決して耳ざわりにならず、常に練られた声を保っていて良かったです。

投稿: フランツ | 2020年12月 2日 (水曜日) 19時13分

フランツさん、こんばんは。

老田さん、リリックな美声なんですね。アメリング系統なら美しいお声だと想像します。

イタリア歌曲集から離れてしまうのですが、、、
クラシックの歌い方も、一昔前と変わって来ていますね。
近年は、より自然な発声になっているように思います。

最近、集中して聴いているのが、雨谷麻世さんと塩田美奈子さんの二人のソプラノです。彼女たちは、クロスオーバーの分野でも活動されているせいか、オペラオペラしてなくて、とても自然に情感たっぷりな歌を聴かせてくれます。曲によっては妖艶ですらあります。

今聴いているのは、雨谷さんは「日本のうた さくら横丁」と、塩田さんは「愛情物語 愛をうたう」というCDです。
塩田さんのは、外国の名曲に(リストの愛の歌や、落葉のパヴァーヌなど)山川啓介さんの日本語歌詞を付けたものなので、なおさら日本語の語感の良さを感じます。

そして、ピアニスト!!
雨谷さんとは斉藤雅広さん、塩田さんは小原孝さんと共演なんですが、いいですね、お二人とも。
日本語だと意味がストレートに入ってきますから、ピアノも歌詞や歌いぶりと共にしっとりとしみて来ました。

いつも、フランツさんがピアノの事も語って下さるので、耳を傾けるようになりました(*^^*)
歌とピアノは、ぴったり呼吸が合うと素敵な演奏になるんだなあ、と当たり前の事を改めて感じています。

投稿: 真子 | 2020年12月 9日 (水曜日) 18時14分

真子さん、こんばんは。

歌唱法はやはり時代とともに変わってきているのでしょうね。20世紀の日本人歌手と今の歌手を比べると確かによりさらっとしてきた感じはありますよね。

雨谷麻世さんと塩田美奈子さん、お名前は存じ上げているのですが、あまりしっかり聞いた記憶がないので、ネットで聞いてみました。雨谷さんの「月の砂漠」がさらっとしていながら味もあって良かったです。塩田さんはオペラで有名な印象があったのですが、おっしゃるようにクロスオーバー的な映像が多いですね。「荒城の月」など透き通った美声が心地よいです。あまりビブラートを強くかけたり朗々と重みのある歌い方をしていないところがクラシックに縁遠い聞き手にも受け入れやすいように思います。

真子さんはCDでお聞きになったのですね。「オペラオペラしていない」というのは、分かる気がします。それからお二人とも日本語の響きがとても美しいですね。

斉藤雅広さん、小原孝さんはソリストでありながら、伴奏者としても著名な方々ですね。残念ながら実演ではお二人とも聞いたことがないのですが、斉藤さんは武蔵野の声楽コンサートの常連ピアニストですし、テレビでも活躍されていたようですね。
真子さんがピアノにも「しみて」感じられたというのはきっと魅力があったのでしょうね。

>歌とピアノは、ぴったり呼吸が合うと素敵な演奏になるんだなあ

本当におっしゃる通りだと思います!歌とピアノは私にとっては最高の組み合わせです。全く違う響きなので難しさもあるのでしょうが。

興味深いコメントをいつも有難うございます!

投稿: フランツ | 2020年12月 9日 (水曜日) 20時00分

フランツさん、こんばんは。

やはり歌唱法は時代と共に変わっていくのですね。
私が声楽曲を聞き始めたころは、中沢桂さんなど、しっかり声を出す感じの歌唱が多かったように思います。
クラシックの発声と日本語の発音をどう融合させて、日本語らしく聞かせるか、まだまだ模索していました。

塩田さんや雨谷さんの日本語の歌は、一つの答えを出したように思います。

例えば、私が大好きな「霧と話した」など、昔の演奏を聞くと、発声も響きも立派でしっかりしているのです。
しかし、しっかりしているゆえに、詩歌の世界観と合わなかったりするんですね。もっと儚げでもいいような、、。
歌は世に連れ、、といいますが、演奏についてもそうですね。
聞き比べる楽しさはこういうところにもありますね。

投稿: 真子 | 2020年12月12日 (土曜日) 18時24分

真子さん、こんばんは。

おっしゃる通りですね。昔ビクターに日本歌曲をまとめて様々な演奏家でLPに録音されたものがありましたが、その歌などもしっかりと揺るぎない発声法に基づいて歌われていて、西洋の発声で日本語を響かせ、日本の情緒を表現していたように思います。当時はこういう歌い方が王道で、それがあってこそ今があるということは言えると思いますが、今の歌手たちはより自然に日本語を響かせていますよね。中沢桂さんも日本歌曲のLPで沢山歌っておられたように記憶しています。
淡い日本的な情緒を表現する点で確かに今の歌手たちは進化しているように思います。
過去の先人たちに敬意を払いつつ、歌唱の進化も受け入れていきたいと思います。

PS. 「霧と話した」いい曲ですよね(^^)

投稿: フランツ | 2020年12月12日 (土曜日) 21時46分

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