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【ライラックさんの部屋】開設(2019年8月~12月)

いつもコメント欄で歴史に関する考察を披露して下さるライラックさんの文章をまとめる記事を作りました。
ぜひ歴史に詳しい方、歴史に興味を持たれた方はライラックさんの考察をお読みいただき、紹介されたリンク先を訪問していただけたら幸いです。
歴史に関するやりとりをコメント欄でご自由に交わしていただくことも大歓迎です。
私は横で拝読させていただきたいと思いますので、皆さんで楽しんでいただく場になればと思います。

宜しくお願いいたします。

【ライラックさんの部屋】2019年8月~12月

●2019/8/16

赤い靴履いていた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった。とか花嫁人形、月の砂漠も哀愁が漂い、幼な子でも一度聞いたら忘れえぬメロディと歌詞で、やはり日本人も悲しい曲を好む一面があるのかもしれないですね。

匈奴、突厥、吐蕃、渤海の人々がロシアを通り、東北に渡来していたらしいので、ロシア的要素をDNAに多少とも持っている人々が日本にもいるのだと思います。色白で背も高く目鼻だちもはっきりした美男美女が日本人にいらっしゃいますが、渡来系のご先祖なのだろうなと感じます。

●2019/9/19

「栗本慎一郎の全世界史」などに7世紀のお寺はゾロアスター教やミトラ教の影響があるとか。東大寺の火を使う行事や清水寺はゾロアスター教。ソグド僧の名前が残っていたり古代アラム語が書かれた伽羅が正倉院にあるとか。

高野山大阿闍梨、大僧正だった織田隆弘師、芥川賞作家の玄侑宗久和尚、あの世についての著書が多い矢作直樹東大名誉教授(上皇陛下心臓手術医師団の代表だった方)の著書もかなり読みました。あの世からこの世は見えているらしいです。もう1度会いたいと思った人にはあの世で会えるとか。人は何度もなんども転生を繰り返すのだとか。矢作先生は、独居で亡くなられたご母堂の霊と、霊媒を通して会話をされたと本に書かれていました。親子しか知らぬ話をしたので、本物だと思われたとか。救急部長として、あの世からお迎えが来て、その瞬間、患者さんの顔がパッと輝くケースを何度も見たそうです。あの世に光輝く存在がいるのだとか。矢作先生の20冊近い本が図書館にあり、熟年に人気なのです。(出版後1年を超えた本は、地元公立図書館でリクエストができます。国立大学の図書館から貸していただける場合もあります)

玄侑さんは天龍寺で修行の折、木の上に乗って伐採中、下から別の雲水さんが、玄侑さんの乗った枝を知らずに伐採して落下、自分の肢体を空中から見ていたそうです。千日回峰行など、修行をされた方は、不思議な体験をなさるそうですね。

●2019/11/13

京都でも1日10km歩きましたが、ヨレヨレでございます。奈良は電車バスの本数が本当に少ないです。
 「寺社勢力の中世」伊藤正敏著 ちくま新書によれば、高野山、比叡山をはじめ、大きな寺社は、1つの寺だけで1つの都市であった、境内には僧侶でない者の方が多く、僧兵、武器工場まで備えていた、と。この本で、寺社のイメージがちょっと変わりました。

>亡くなった人と会話するといえばイタコを思い出しますが、私が小さい頃はその手の番組がテレビで多く放送されていてワクワクしながら見ていたものでした。

青森でいらっしゃいますか?青森出身の織田隆弘師の本にもよく当たる巫女のお話が出てきました。私はイタコをTVでも拝見したことがなくて。

>修行を積んだ人には普通の人には分からないものが見聞き出来るのでしょうね。

そのようです。あと臨死体験をされた方は、まだ冥界に来るでない、やることがあるのだよ、と使命が与えられるようです。

>生と死というのは本当に紙一重で、遠い世界のことではないということを今回のことで実感しました。シューベルトは若くして生死の間をさまようような曲を書いていましたが、病魔に襲われて実際に生死の間を行き来していたのかなぁなどと思ったりもします。

おっしゃる通りでしょう。玄侑宗久氏が書かれていたのは、亡くなる数日前から人の魂は体から出たり入ったりするのだとか。体から出て、空中を飛んで、会いたい人に最後の挨拶をしたりするらしいです。

そうそう、東大教授の矢作先生ですが、シリウスだったかプレアデスだったか忘れてしまいましたが、前世?は遠い星から地球に転生されたとか。宇宙人の寿命は、人より長そうですが、どうなんでしょうね。

新井信介さんの過去ブログを読んでいたら、猿から人になったのではなくて、宇宙人が遺伝子操作をして人ができた、と書かれていて、それも面白いな、と思いました。

●2019/11/16

私は普段から2~4kmなら歩きます。スポーツもしません。10kmは見惚れるものがあれば、知らず知らずに歩けてしまいます。中部に住んでおりまして、1日バス旅行で奈良国立博物館と、滋賀県miho美術館で天目茶碗を見るツアーへ行った際も10kmくらい歩きました。朝8時集合、19時半解散バスとはいえ、内部見学でかなり歩きました。でも美術館は楽しいですね。miho美術館は、ガンダーラ仏ほか、珍しい古代美術品をたくさん持っています。リュトンという角笛のような形の先端が牡牛、山羊、虎、鹿や鷹のもの。

死後、自分の人生を走馬灯のように見せられて、生まれる前に決めたことが実現できたかどうかの反省会?があるらしいとスピリチュアルの本で読んだことがあります。ドキッとしますね。

音楽のお話からずれてしまいますが、私は海外で暮らした経験があり、韓国人、シンガポール人、ドイツ人から歴史について尋ねられたことに上手く答えられなかったことからも、日本の古代史についてとても興味を持ちました。
去年放送大学院の日本史料論をとってみて、木簡から現代まですごくざっくり学び、ついでに毎週図書館で5冊本を借りてきました。大学教科書から離れて、天平時代にソグド人、ペルシャ人、インド人、トルコ人が東大寺や奈良大安寺他建造に関わり、そのまま日本に移住、お寺は天皇の住居よりも高級な材料を使っていたほか、四天王寺にはミトラ教、東大寺にはゾロアスター教の名残の行事が行われているなど、面白いことを知りました。

図書館の書庫には昭和初期からの本がありますし、最寄りの公立図書館にリクエストすると1か月ほど待つこともありますが、何万もする本を借りることができます。(国立大学図書館から最寄りの図書館まで貸してくれるのです)本によっては図書館内で読んで欲しいということもあります。本は、閲覧室の決められた場所でスマホで写真を撮っても良いことになっています。
発刊から1年後に、図書館で読めるのは有難いなと思います。アジアの少数民族民族衣装とか、古墳の出土品とか、フルカラーの図録を眺めるのはワクワクします。

下記のブログ、ティリア・テペ遺跡と藤ノ木古墳出土の黄金の冠がそっくりなことを大きな写真で掲載されています。
http://avantdoublier.blogspot.com/2016/07/blog-post_5.html

創元社の写真の方が文章よりも多い、図説中国文明史(特に3、5、8巻)を見ると、正倉院御物や日本の建築や仏像に瓜二つのものがあり、目を惹かれます。
文献(歴史書)は嘘も書けるので、金属の遺物、陶器、織物、建築、人々から昔を想像するのも面白いと思いました。

日本文化と日本人のルーツってなんなの?という疑問は、中東、南ロシア・セミレチエ地方、西アジア、南アジアからも稲作、宗教、金属加工を伴って来たようです。ロシアのサハ共和国、ヤクート人、ブリヤート人、キルギス人の人々が日本人とよく似た風貌なことには興味津々です。

イシク・クル湖 の静謐な美しさには見とれます。石工来る?
http://isekineko.jp/silkroad-index.html#キルギス

アジア少数民族は雲南省にもとても多いのですが、珍しい民族衣装を保全されていて楽しいですよ。
http://fansoon.jugem.jp/?day=20150808

●2019/11/22

美しいものを見ること、美しい音楽を聴くこと、美味しいものを食べることが人生の楽しみの1つですね。あの世では魂が、思うだけで意思疎通でき、過去の偉人にも会えるらしいのです。モーツアルトに会って見たいですよね。彼は水銀で暗殺されたという本がありましたよ。
「聖徳太子の未来記とイルミナティ」中山士市朗著 学研
ドイツ人医師ケンペルは、1690年から2年日本に滞在し「日本誌」を著述した。英語、仏語、ドイツ語で出版された。「日本誌」には天照大神からの天皇の名前と聖徳太子についての記述があり、ジャポニズムの下地となる。タミーノはト書きでは、日本の狩衣を着ていると書いてある。
意外な組み合わせで驚きました。ただ聖徳太子は突厥族の大可汗で、ササン朝ペルシャの王女と結婚しており、その間にできたのがヤズデガルド3世(最後の皇帝)と斉明天皇らしいのです。イスラムの攻撃でササン朝ペルシャは滅亡します。ヤズデガルド3世の息子ペーローズが妻と娘その他を連れて渥美大島に亡命してきたことが日本書紀に書かれています。吐噶喇から来たと。
聖徳太子はササン朝ペルシャのコスロー二世の右腕として活躍した証拠が、夢殿の救世観音と法隆寺の獅子狩文錦の冠上に、三日月を横にして上に丸が付いているマークがあることだそうです。このマークはコスロー二世のシンボルなんだとか。
https://www.yamano.ac.jp/subject/labo/resarchcenter/pdf17/ya17_01.pdf
遊牧民族はお妃に各地の族長の娘をもらうので、白人に近い容貌をしていたらしいです。オリエント研究をされていた三笠宮殿下が現代思潮社に頼んで出版されたらしい、元岡山大学助教授の小林惠子(やすこ)さんの一連の本は大胆です。聖徳太子は赤毛に緑の目だったのではないかと。
匈奴、突厥、契丹、吐蕃、元、金の女真 そのほか沢山の遊牧民族と国が出てきて脳内が混乱しますが、匈奴の方が中国よりも軍事力が高かった為、中国皇帝は跪いて、毎年一定の絹や奴隷、その他を貢ぐ協定が決まったそうです。そして突厥族である達頭(タルドウ)可汗が日本に来て大王、天皇になった為、中国は日本を遊牧民族の国とみなし、征服はしなかった、という話です。達頭は娘をサマルカンド王や新羅王にも嫁がせたらしいです。おそらく古代パフラヴィー語、アラム語、古代朝鮮語と中国語、日本語は話せたのではないでしょうか。正倉院御物の幾らかは太子由来のものではと想像します。

Kirov Opera: Alexander Borodin - Prince Igor / Князь Игорь (Part 1)
https://www.youtube.com/watch?v=un1rtMjtYzM
1:20あたりから有名なあの曲が演奏されます。この遊牧民族長(韃靼)の顔は満州っぽい感じですが、イゴール公を演じている方のような顔をしていたのが聖徳太子や天武天皇らしいです。小林説では、天武天皇は太子の息子だそうです。太子はペルシャ宮廷を救う為、スイアーブへ帰還。コスロー2世の王子カワードが父を殺した為、カワードを殺し、最終的に太子とペルシャ王女の息子がヤズデガルド3世として即位したとか。スケールの大きな話ですね。キトラ古墳の天井には、高句麗でしか見えない星図が描いてあったそうです。

下記に、お水取りがペルシャ伝来のものだという写真と記事があります。戦時中も休みなく続けられたとは天皇家に関わりのある行事だからではないでしょうか。
https://serai.jp/tag/お水取り

小林女史の著書は多いですが「空海と唐と三人の天皇」「聖徳太子の真実」「桓武天皇の謎」などを読まれて違和感がなかったら「興亡古代史ー東アジア覇権争奪1000年」が良いと思います。

日本人でも体操の白井健三選手のような目はぱっちり、鼻が高く彫りの深いタイプの方、時々いらっしゃいますね。親戚にもおりまして、不思議に思っておりました。ペルシャ人、ソグド人、トルコ人、インド人、遊牧騎馬民族フン族系と和人との混血の結果かと想像します。

●2019/11/26

中国の呉王の姓が姫氏で、九州に亡命して姫を紀氏に変えたという話もあります。紀貫之の前に坂上田村麻呂の頃にも紀諸人、紀男麻呂、紀舟守など紀氏の名前が出てきます。
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-11985511032.html?fbclid=IwAR3haJbjsrJS5JAbUxyVDZnkDy0K9ARvPjnWwXj6hI2KL9ZD2hEbFJZUuYg

https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12507264079.html?fbclid=IwAR34a8UCuoa4t31xdLGWHNdewJsMpIm9TgObrVf7THzvVEB0aPuXiP-HYwg

突厥可汗は、勇敢に先頭に立って戦うので、戦死するケースが多かったのだそうです。また親族同士の殺し合いもあったそうです。620年玄奘三蔵がインドへ行く途中、達頭可汗の孫に当たる統葉護(ジベール)可汗が砕葉城(スイアーブ)で玄奘を厚くもてなし、インドまでの国への通行証と通訳をつけて別れを惜しんだそうです。ところがそのあと、ジベール可汗は叔父に殺されたとか。しかし聖徳太子は、80代まで生きたらしい伝承があるのだそうです。
 思うに、背は180cmくらい(夢殿の救世観音と同じ身長)、可汗特有の腰までまっすぐ伸びた髪、眼は緑、しかも美男子、男性にもこの方にお仕えしたい、この方の為なら死ぬことも厭わないと思われた人だったようです。

赤毛で髪の長い方といえばモロッコのラーラ・サルマ王妃。
https://ameblo.jp/audrey-beautytips/entry-12144452004.html

赤毛といっても茶色に近い感じですが、太子もこんな感じだったとしたら、それは誰もが惹かれたことでしょう。

日本で出土した冠や沓には、魚が付いています。滋賀県 鴨稲荷山古墳の冠と沓の写真がこちらです。子馬がたくさん並んでいる冠もあるのです。魚はキリスト教のシンボルとも聞きますが、はて。
https://www.travel.co.jp/guide/article/11906/?yclid=YJAD.1574748667.vCoL_Hudcq205C4EmqeEpdaTYwFuDuMhU6fb.7yeDwAZg1hzEfpg1

延々と歴史話を書かせていただき、ありがとうございます。興味を持たれたところだけ、ツマミ食いなさってくださいませ。

馬形飾冠は、行方市三昧塚古墳でした。茨城県立歴史館
 冠の上に6頭の馬の飾りがある珍しいものです。
http://www.rekishikan-ibk.jp/cms/wp-content/uploads/2016/10/5db8528b4937cbf951c989cf92db5844.pdf

こちらで詳細を書いて下さっているブログがあります。
http://mahoranokaze.com/blog-entry-2621.html

シベリアで暮らす少数民族の今を撮影したポートレート「顔で見る世界」に日本人によく似た写真があります。https://news.biglobe.ne.jp/trend/0912/kpa_170912_1520669776.html?fbclid=IwAR1sRb1CFH-a0PGIG7J0LQF9yi_TEVHCIR0fKi_fhkaWcmOiJcwUVL6H3lA

私は伯母が茶道を教えており、龍村織の布地からコートを作って着ていたので、織物と陶器は子供の頃から印象に残ったようです。ルーブル美術館のイスラムセクションで見たイラン11世紀の陶器は、日本の抹茶茶碗、ご飯茶碗にそっくりでした。ペルシャ、中国の三彩と日本の織部焼の緑は似ていると思います。そこで下記の人間国宝のお二人の著書は写真もあり大変興味深く拝読しました。

「ラスター彩遊記 砂漠が誘う」加藤卓男著 
加藤卓男:ラスター彩の復元に生涯をささげた陶芸家
https://www.nippon.com/ja/views/b02327/

「錦とボロの話」龍村光翔・光峯著 アスターナの砂漠のミイラの顔を覆っていた錦を復元した話など。

「錦 光を織る」龍村光峯著 復元した正倉院の琵琶の袋は、中国皇帝
しか使用を許されない禁色で、太宗皇帝からの贈り物だったのではないかと書かれています。

モンゴルと日本の絵は、線が細くて似ている気がします。特にモンゴルと日本の屏風絵の馬は、瓜二つと感じます。

パリにあるギメ東洋美術館には、アジア中の美術品が収蔵されていて、全部見るのには7時間は必要ですが、大変面白く、何度か行きました。後から日本にも、凝った美術品があることを知りました。
殷代青銅器は東京と京都の泉屋博古館にあります。
https://www.sen-oku.or.jp/collection/col01/002.htmlhttp://www.mmm-ginza.org/museum/special/backnumber/0711/special01.html

ガンダーラ仏は白金台の松岡美術館にたくさんありました。
https://www.matsuoka-museum.jp

●2019/12/12

古代の歴史は面白い、と言いますか、現代よりもロマンを感じます。
奈良の藤ノ木古墳ですが、大変興味深い考察をされている方の、ウイグル族女性のトルコ石と珊瑚の飾りについてのブログがあり、ぜひご覧くださいませ。

歴史とか 民俗とか https://ysiuruhasi.exblog.jp/19086661/

この古墳には2人の男性が葬られているという学者先生の主張があるのですが、このブログ主様のように、明らかに王と妃が葬られているのだと私も思います。

ラダックというアジアのチベット仏教の地に、ペラクというトルコ石と珊瑚の玉をつないだ、コブラを模倣している女性の頭飾りもありました。だいぶ下の方に写真があります。
https://www.panoramaphotohunter.com/目次/東南アジア-Ⅱ-55-ラダック/

ラダックはチベット仏教で、ブータンともよく似ていると思いました。

小林惠子さんは、藤ノ木古墳の被葬者は、崇峻天皇と比定されています。崇峻天皇は、突厥可汗だそうです。勢力範囲ですから、チベット族のお妃でも全然おかしくないですね。

紀氏についてのブログ記事があります。 この方は「謎の巨大氏族 紀氏」「熊襲は列島を席巻していた」など著作がある内倉武久氏です。
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12507264079.html

「法隆寺は移築された 太宰府から斑鳩へ」米田良三著
「法隆寺のものさし 隠された王朝交代の謎」川端俊一郎著

など、意外な歴史を掘り下げた著書が図書館には並んでいました。

>魚や馬の付いた冠やくつ、可愛らしいですね。
動物は何らかの象徴としての意味がありそうですね。

そうなんです。馬は騎馬民族を表し、魚は原始キリスト教を表すのかもしれません。冠と沓以外にも、古墳から魚の形の飾りが出土しているのです。

先日は、東大寺にゾロアスター教の影響がある話題を書きましたが、四天王寺と籠神社には、牛の市が古代に立っていたそうです。

石橋家が全国の牛市の総代で、始まりが四天王寺建立と関係があることは、大正十五年に子安農園出版部から「日本牛史」に詳しく紹介されているそうです。四天王寺建立の頃、秦河勝から石橋家は牛売買支配御免之御証文を頂戴したとか。

喜田貞吉「民俗と歴史」という個人雑誌に上代食肉考という論文の中で、「太古にはいずれの神社にも動物を犠牲として提供したものであった。神主はその犠牲たる動物を屠って神に供したのである。神主のことを古来「はふり」という。動物を殺すことを「ほふる」という。神主がほふるので、両者同語を以ってあらわすことになったと認められる」

ヘブライの民のようですが、牛をミトラ神の前に捧げ、屠ったらしいのです。その名残が四天王寺、広隆寺に神事として残っているらしいです。日本には、色々な史実が謎として残されていますね。

伯母は大正生まれで、5歳頃伯母の龍村織のコートがなぜか印象深く記憶に残り、その文様が隋の頃のアジア王族貴族に流行していたものだとは「忘れへんうちに」様の写真ブログで知りました。

https://silkroad-museum-collection.jp/赤地双鳥円文錦靴下/
https://silkroad-museum-collection.jp/赤地猪頭円文刺繍裂/

>古代の神話とかギリシャ悲劇にその手の話はごろごろありそうですね。その時代に生まれなくて良かった!(前世で生きていたかもしれませんが)

本当ですね。

>『西遊記』を思い出します。三蔵法師を厚くもてなした方が叔父に殺されるとは何とも切ない話ですね...。

そう思います。

日本は世界の雛形だと言いますが、以下に出てくる地図はとても面白いです。
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2017/01/24/204452

なぜ日本の東北地方には、青や灰色の瞳をした日本人がいるのですか?https://www.multilingirl.com/2017/12/why-some-japanese-have-blue-eyes.html

小林惠子さんの本によれば、吐蕃という民族が大陸から日本の東北地方に入植したそうなので、当時から吐蕃には目の青い人々が多く、日本に住み着いて混血して現在に至るようです。

長崎の五島列島、沖縄などこのあたりも顔の濃い人々らしいですね。南アジアから渡来したのでしょうか。話題があちこちに飛びまして恐縮です。

小林惠子さんが、奈良當麻寺の広目天が、天武天皇のイメージではないかと著書で書かれていたのを思い出しました。
写真はこちらにあります。當麻寺も一度行ってみたいのですが交通は不便そうです。
http://www.taimadera.org/feature/shitenou.html
http://www.taimadera.or.jp

●2019/12/13

申し訳ありません。紀氏のブログはお知らせ済みで重複していました。

魚の古墳出土品は、他にもあるのです。
福島県 真野20号墳出土 
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/76446

これを復元した写真が以下の1番下にあります。
http://www.mahoron.fcp.or.jp/nenpou/nenpou2001_33.htm

双龍式環頭大刀の柄頭(木更津市郷土博物館「金のすず」蔵)
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/637745

藤ノ木古墳 龍文飾金具
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/383628

龍は古代中国にも頻出ですが、なぜか象も鞍金具に彫刻されているのです。象がいた南アジアから、金属加工職人が来たのでしょうか。
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main10401.html

ロマンは尽きません。
天皇皇后の冠も、古いお雛様に残っているようなデザインだったようです。例えばこんな感じ。正方形で玉すだれは中国風ですね。
https://lucky-river.at.webry.info/201901/article_8.html

ウィーンで行かれた博物館はどちらですか?体力のあるうちに、海外の美術館を回れて良かった、と思っています。無味乾燥と感じた学校の歴史の時間より、実際に自分で遺物を見て想像したりする方がずっと楽しいですね。

私が拝読した本が、100%正しいとは限りませんが、その考察は面白くて、楽しんでおります。また出土品の美的センスの高さにはいつも感心するばかりです。遊牧民族は、狼や鹿をトーテムとしたようです。奈良の鹿を見ると、ひょっとするとその鹿は、その遊牧騎馬民族が連れて来たものなのかも、など想像が膨らんでしまいます。
https://silkroad-museum-collection.jp/牝鹿像/
http://avantdoublier.blogspot.com/2009/10/blog-post_06.html

●2019/12/23

思いがけず、部屋を特設していただき、ありがとうございました。

安禄山の安という苗字と康という苗字がソグド人の姓で1番多いそうです。日本の安藤、安田、安川、安井という苗字も、ソグド系なのかもしれません。安姓と藤姓が結婚して安藤になったとか?井氏という珍しい苗字が九州にあるそうですが、一文字の姓は特に、中国大陸からの渡来人なのでしょう。ソグド商人は大変お金持ちで、西域から日本まで、様々な交易に関わり、軍人や政治家にもなったそうです。情報ネットワークを持っていた人々だったと思います。苗字から、ルーツがわかるらしいです。図書館に分厚い苗字辞典がありました。

日本の武士も騎馬民族系?という気も少しします。
源義経=ジンギスカン説がありますがご存知ですか?ロシアに、桔梗紋を彫刻した建物、神社のような建造物があったそうです。最初は北海道に渡り、そこからロシアへ。義経だけでなく、藤原家家臣など100名以上も義経を守るために一緒に移動したらしいです。
下記の本、私は読んでいないのですが、別の本で見ました。

丘 英夫 「義経はジンギスカンになった」
七海晧奘 「ボルテ・チノ 真 義経記」
土井全一郎 「義経伝説をつくった男 義経ジンギスカン説を唱えた気骨の人 小矢部全一郎伝」

日本の大学よりも費用をかけ、ロシア人、韓国人、中国人、日本人、モンゴル人の精鋭を集め、満州に陸軍が作った建国大学では全寮制で二ヶ国語完全バイリンガルの文武両道エリートを育て、給与も払ったことは初めて知りました。戦争の為、彼らは利用するだけされて潰されたのですが、優秀なのに戦後活躍する場がなかったことが気の毒です。

三浦英之 「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」

匈奴
http://www.rekishinoshinzui.com/entry/2017/09/02/081523

シルクロードと唐帝国
https://1000ya.isis.ne.jp/1431.html

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【ライラックさんの部屋】」カテゴリの記事

コメント

フランツ様

思いがけず、部屋を特設していただき、ありがとうございました。

安禄山の安という苗字と康という苗字がソグド人の姓で1番多いそうです。日本の安藤、安田、安川、安井という苗字も、ソグド系なのかもしれません。安姓と藤姓が結婚して安藤になったとか?井氏という珍しい苗字が九州にあるそうですが、一文字の姓は特に、中国大陸からの渡来人なのでしょう。ソグド商人は大変お金持ちで、西域から日本まで、様々な交易に関わり、軍人や政治家にもなったそうです。情報ネットワークを持っていた人々だったと思います。苗字から、ルーツがわかるらしいです。図書館に分厚い苗字辞典がありました。

日本の武士も騎馬民族系?という気も少しします。
源義経=ジンギスカン説がありますがご存知ですか?ロシアに、桔梗紋を彫刻した建物、神社のような建造物があったそうです。最初は北海道に渡り、そこからロシアへ。義経だけでなく、藤原家家臣など100名以上も義経を守るために一緒に移動したらしいです。
下記の本、私は読んでいないのですが、別の本で見ました。

丘 英夫 「義経はジンギスカンになった」
七海晧奘 「ボルテ・チノ 真 義経記」
土井全一郎 「義経伝説をつくった男 義経ジンギスカン説を唱えた気骨の人 小矢部全一郎伝」

日本の大学よりも費用をかけ、ロシア人、韓国人、中国人、日本人、モンゴル人の精鋭を集め、満州に陸軍が作った建国大学では全寮制で二ヶ国語完全バイリンガルの文武両道エリートを育て、給与も払ったことは初めて知りました。戦争の為、彼らは利用するだけされて潰されたのですが、優秀なのに戦後活躍する場がなかったことが気の毒です。

三浦英之 「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」

匈奴
http://www.rekishinoshinzui.com/entry/2017/09/02/081523

シルクロードと唐帝国
https://1000ya.isis.ne.jp/1431.html

投稿: ライラック | 2019年12月23日 (月曜日) 16時18分

ライラックさん、こんにちは!

苗字の話、面白いですね。
ソグド人に由来する姓が日本人の姓のルーツにもなっているのですね。
そういう意味では日本というのは実は多民族国家なのかもしれませんね。

源義経はジンギスカンだったのですか?
ちょっとびっくりしてググったところ、「義経=ジンギスカン説」という項目がWikipediaに立っていてまたびっくりです。
歴史は本当にいろいろな説が生まれ、どれが正しく、どれが作り話なのか素人には判別が難しいです。
でも、そうかもしれないと思って気楽に楽しむのもまた一興かもしれませんね。

満州の大学での英才教育、別のことに彼らの能力を使えば良かったのでしょうが、何とも辛い結末ですね。

投稿: フランツ | 2019年12月29日 (日曜日) 20時51分

フランツ様

こんにちは。
日本は多民族国家だと思います。
長崎の五島列島の方は、東南アジアっぽいお顔。沖縄もそうですね。アイヌはロシア北方の顔と似ている。そして、インドやイラン系の彫りの深く、目鼻が大きく、色白の日本人。例えば体操の白井健三選手も、彫りの深い中東の王子様に似ていると思いました。若く亡くなられた佐藤しのぶさんもイラン系に似ていませんか?

インドのシク教という宗教とお寺を初めて目にしましたので、その記事をお目にかけますね。
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/sik.html

投稿: ライラック | 2020年1月25日 (土曜日) 10時53分

ライラックさん、こんにちは。

沖縄の方は目鼻立ちくっきりの方が多いですよね。ルーツをたどると同じ日本人でも別々の民族に由来するというのは面白いですね。白井選手はWikipediaによると横浜出身とのことですが、ルーツはまた別の地方なのかもしれませんね。佐藤しのぶさんも日本人離れしたくっきりした顔立ちをされていましたね。

インドのシク教というのを私もはじめて知りました。他宗教の信者にも寛容で、神様がおらず代わりに真理という聖典を本堂に安置する等、他宗教とは異なる面が多そうですね。

投稿: フランツ | 2020年1月26日 (日曜日) 14時42分

フランツ様 こんばんは。

渥美清さんにそっくりなモンゴルの人を、テレビの旅番組か何かで見た時は、おやまあ、と思いました。
キルギスに古墳調査に行った栗本慎一郎さんは、現地で2回、キルギス人に間違えられ、向こうの言語で話しかけられたそうです。

祖先がペルシャの貴族だったという西澤裕子さんの『波斯の末裔(ペルシャのすえ)』という本があります。戦国時代、城に隠し扉や落とし扉のある精巧な建築ができ、日本の地図も持っていたが、あえなく棟梁の息子をかどわかされ殺され、棟梁も地図を食べて自殺したストーリーです。西澤さんは顔の彫りの深い顔立ちだったそうです。

ウナギの原型が、蛇神ナーガから来ているという話もとても興味深いので、ご紹介いたします。民俗学者の吉野信子さんの、神社のしめ縄が、二匹の蛇が交尾しているところを表しているという説がありますが、インドではどうもそのようです。

蛇神ナーガと日本
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/naga02.html

蛇神ナーガの系譜
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/naga01.html

投稿: ライラック | 2020年1月27日 (月曜日) 19時08分

ライラックさん、こんにちは。

ライラックさんは顔をご覧になるとルーツが思い浮かぶのですね。
これまで同じ日本人ということで気にしていなかったのですが、ライラックさんに教えていただき、顔には先祖の民族の特徴があらわれていることを知りました。
渥美清さんも栗本さんもアジア人らしい顔立ちをされていますが、モンゴルやキルギスの人に近いのですね。
こういう研究をされている方には例えばどなたがいらっしゃるのか気になります。

『波斯の末裔』についてネットで検索してみると作者の西澤裕子さんの出自について扱っている記事がありますね。
ご自身の主張に確証はないけれど、可能性はあるとのこと、ルーツを調べる為に大使館を訪れたりもされているようですね。

蛇神ナーガというのは全く知りませんでした。
いつもながら勉強になります。
詳しく記載してあるサイトのご紹介も有難うございました。

投稿: フランツ | 2020年2月 2日 (日曜日) 17時13分

ライラックさん、

ちなみに2020年1月以降にいただいたコメントは、次のURLに記事として掲載させていただいています。
http://franzpeter.cocolog-nifty.com/taubenpost/2020/01/post-841e93.html

投稿: フランツ | 2020年2月 2日 (日曜日) 17時16分

フランツ様

沢山、お部屋を追加して下さって、恐縮です。どうもありがとうございます。
李香蘭さんのようなお顔も、私の思うペルシャ系です。彼女の声楽の先生はロシア人だったそうで、ロシア語でも歌っていたようです。

Persian Bird(Перская птица)(ペルシャの鳥) sang by 李香蘭https://www.youtube.com/watch?v=Avvmz_De3YA

中国で撮影したと思われる映画の一部で、小学生の子供たちが赤ちゃんをおんぶし、アヒルもお行儀よく出演している動画つい見てました。

サヨンの歌 - 李香蘭
https://www.youtube.com/watch?v=6h6Gpfl8VsM

投稿: ライラック | 2020年2月 6日 (木曜日) 18時53分

ライラックさん、こんにちは。

李香蘭はよく名前は聞いてはいたのですが、どういう方なのかほとんど知りませんでした。紹介いただいた動画を見て、とても綺麗な方で、歌も素晴らしいと思いました。Wikipediaを読むと波乱に満ちた生涯を送った方だったのですね。国同士の間で翻弄されて辛い思いもされたようですが、ものすごい才女で各国で人気者だったようですね。ロシア語の歌曲が素晴らしかったです。古賀政男の曲もクラシックのようなしっかりした発声で歌われていますね。
彫りが深くて外国人のようだと思いました。
アヒルや豚と共に歩く映像は微笑ましいですが、映画の題材としては戦争の悲劇が描かれているのですね。

投稿: フランツ | 2020年2月 9日 (日曜日) 16時26分

フランツ様

李香蘭は芸名で、本名は山口淑子、好きな人は戦争で帰ってこず、彫刻家の野口イサムと結婚、離婚後、外交官の大鷹弘と再婚したのだとか。

中国映画に出演していた頃は、日本人であることを隠して中国人として女優をする羽目になり、戦後日本に協力した漢奸として収容所に入るものの、戸籍で日本人と証明され、無事帰国できたとか。ロシア人の友人が、帯に戸籍を隠した日本人形を収容所に届けてくれて、身元証明が可能になったそうです。

田中角栄時代、党からの援助一切なく、参議院選挙に当選。中国に議員として行った際、夜中に2人の共産党員がホテルに来て、本当に日本人だったのか詰問に来たそうです。自伝に書いてありました。つまり戦後すぐ彼女の帰国を許可したのは国民党であり、共産党としてはそれが確かか確認に来たのだとか。

彼女は幼少時代から中国で育ち、発音もネイティブ並み、容貌も中国にはあの様な彫りの深い美人が多いので、怪しまれずに済んだ様です。ただ中国人の女優の中には、彼女が日本人であると見破っていたそうです。やはり慣習が違うので、そばにいればわかるのでしょうね。

李香蘭と愛新覚羅溥傑に嫁いだ嵯峨浩の伝記を読みましたが、嵯峨さんの場合は、国民党と共産党の両方に拘束され、本当に死と隣り合わせの日々が長く、昭和天皇の遠縁に当たる方ですが、この方ほど苦労された方も珍しいと思いました。

愛新覚羅家は、香港、台湾、日本に亡命され、今でも日本にお住まいだそうです。

投稿: ライラック | 2020年2月20日 (木曜日) 08時46分

ライラックさん、こんにちは。

李香蘭について詳細なご説明を有難うございます!
勉強になりました。
Wikipediaでも読んだのですが、こうしてまとめて下さるととても分かりやすかったです。

日本人と証明するために戸籍を渡してくれたロシア人の友人がいなかったら、収容所で彼女の人生は終わっていたのかもしれないと思うと、本当に人生はどちらにどう転ぶかで随分違ってくるのだろうなと思います。中国人の女優が、ネイティブ並みの李香蘭が日本人であると見破っていたということは、何らかの日本人らしさが出ていたということなのかもしれませんね。

二つの国の間で翻弄された波乱万丈の人生を送った著名人というところでしょうか。
目鼻立ちのくっきりした美人さんとのことで、女優もやり、政治家もやり、テレビの司会もやって、裁判でも裁かれ、相当な覚悟をもって毎日を送っていたのではないかと思うと、凡人の私にはちょっと想像もつかないぐらいです。

イサムノグチと結婚していた時期があったのですね。文化人同士惹かれるものがあったのでしょうか。結局長続きはしなかったのですね。

愛新覚羅溥傑という人物もたまにテレビで取り上げられていますよね。私はほとんど知らなかったのですが、この方の奥様もまたご苦労があったとのこと。

時代に翻弄された方々が少しでも気持ちの休まる瞬間があったのなら良かったのですが...。

ライラックさんにはいつもご教示いただき、有難うございます。

投稿: フランツ | 2020年2月23日 (日曜日) 14時39分

フランツ様

私は小学生時代から読書が好きでした。とりわけエーリヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」「ふたりのロッテ」「エーミールと探偵たち」など。ケストナーが、”全ての子供たちと、子供の心を持った大人たちへ”と前書きに書いているのも気に入っていました。ケストナーは新聞記者の妻ルイーゼロッテに子供ができなくて、スイスの愛人との間に男の子ができ、遺産を半分スイスの愛人と子に残したことを、ルイーゼロッテが日本語翻訳者高橋健二氏にこぼした、と成長してから読みました。

双子の女の子が、父と母にそれぞれ1人ずつ引き取られ、サマーキャンプで偶然出会い、親に内緒で入れ替わって父と母の元に戻ります。父には言いよる女性がいて、元の鞘に収まって欲しい双子ちゃんは気が気ではありません。結果は片方の子が熱を出し、母が父に電話をかけたことで家族四人が再会します。これが「ふたりのロッテ」で、妻の名から、ルイーゼちゃんとロッテちゃんと主人公の名前を決めたのだそうです。映画化されていて、日本では美空ひばりが主役を務めたとか。

本(映画などもそうですが)を読んでいる間は、現実から本の世界にタイムトリップするような感じがします。オペラやバレエをyoutubeで見ている時すら、その魅惑的な舞台に我を忘れて見入ってしまいますよね。そのとき、自分の魂は舞台の中に飛んで行っているのかもしれません。現実では、狭い世界に住んでいても、このように様々な美しい世界や興味深い世界を見ていられる魅力から、読書好きになったのかもしれません。

戦時中、今では考えられないような活躍を国を跨いでしていた人々の本を読みました。例えば、スウェーデンの外交官だった「諜報の神様と呼ばれた男 小野寺信の流儀」岡部 伸著
では、語学に堪能で、ソ連が大連等に侵攻することを事前に察知したことなどが書かれています。棺桶をたくさん注文したニュースを協力者から聞いて突き止めたとか。奥様はムーミンシリーズを翻訳された方だそうです。秘密の手紙を帯に隠して持っていたとか。終戦時、海外にいた日本人は80万人だったと聞いたように思います。忍者の末裔と言いますか、諜報員も優秀だったのだなと思いました。

投稿: ライラック | 2020年2月24日 (月曜日) 21時41分

ライラックさん、こんにちは。

読書好きだったとのこと、ライラックさんの幅広い知識の秘訣はそこにあったのですね!
ケストナー、懐かしい名前ですが、恥ずかしながら私はまだケストナーを読んでいないのです。
「二人のロッテ」など名前は知っていたのですが。
ケストナーは、愛情を奥様以外にも注いで遺産までも分け与えたのですか。
愛情深いのかもしれませんが、奥様のことを思うと複雑ですね...。

>本(映画などもそうですが)を読んでいる間は、現実から本の世界にタイムトリップするような感じがします。オペラやバレエをyoutubeで見ている時すら、その魅惑的な舞台に我を忘れて見入ってしまいますよね。そのとき、自分の魂は舞台の中に飛んで行っているのかもしれません。現実では、狭い世界に住んでいても、このように様々な美しい世界や興味深い世界を見ていられる魅力から、読書好きになったのかもしれません。

全く同感です。
自分の人生にはないものを経験できるというのが本や芸術を楽しむ醍醐味ですね。
その世界の中で、喜怒哀楽が沸き起こり、カタルシスを感じさせてくれるのかなと思います。

諜報員ってスパイのことですよね。
おそらく我々の日常生活の中にも紛れ込んでいるであろうスパイたちがどのように情報を得て、どう依頼者に伝えているのか...。
メールも携帯もない時代の人はどうしていたのでしょう。
そういうことが書かれているのでしょうか。
機会があったら読んでみたいです。
ムーミンを翻訳した奥様とスパイとして優秀だったご主人、不思議な組み合わせだと思いました。

投稿: フランツ | 2020年2月29日 (土曜日) 16時21分

フランツ様

ケストナーは大人の為の本も書いていますが、そちらは私も読んでいないのです。ナチスに狙われていて亡命し、戦後はドイツのペン会長になったと以前読みました。ケストナーは子供好きで、どうしても自分の子が欲しかったのだろうと思います。「サーカスの小人」など可愛い挿絵の本がありますが、自分の息子のために書いたらしいのです。

諜報員はスパイですね。往々にして大使館に所属するらしいです。また古代から、僧侶も往往にして、スパイであったそうです。理由は怪しまれないし、語学、知識が豊富で、外交官の役割を果たしたこともあったからのようです。小林惠子先生によれば、空海は3人の天皇に仕え、外交官の役割も果たしたとか。

川島芳子という愛新覚羅家王女がスパイであったようですが、処刑されたのは別人で、本人が戦後、尼僧として来日したと「川島芳子知られざるさすらいの愛」相馬勝著に書かれていました。

仏教を通して、アジアは繋がっているのでしょう。特に唐の密教恵果阿闍梨と弟子空海のように、中国の寺と日本の寺は交流があるのかもしれません。

昔はやはり暗号文の手紙ではないでしょうか?有名なのは、明石元次郎でしょうか。
https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/025/01.html

広瀬武夫も、ドラマ「坂の上の雲」で有名になったと思います。お二人ともロシア語堪能で、広瀬はロシア貴族令嬢と婚約までしたそうですから、かなり語学、柔道など文武両道だったようです。

他にも明治時代、ロシアや中国奥地を探検した石光真清「荒野の花」、戦時中の満州では阿片王 里見甫「満州の夜と霧」、馬賊王 小日向白朗「日本軍の金塊 馬賊王小日向白朗の戦後秘録」他、多くの諜報員がいたようです。完全なバイリンガルで、現地の事情に詳しく、武道に優れ、すごいですね。

小野寺信さんの場合、おそらく戦後は公職追放で、経済的にも大変だったのでは。未亡人となってから、奥様が戦前のスウェーデン語を生かして、ムーミンの翻訳家になられたのではないかと思われます。

戦中の武官で生き残った方は、後の自衛隊などに入った場合は生活が保障され、もう戦いに関わりたくなかった沖縄の高級武官だった八原博道さん「沖縄決戦」に寄れば、約しい暮らしだったそうです。この本では、沖縄最高司令官の辞世の句なども載っていて、腹切、介錯の様子もあり、ありありと当時の様子が書かれていました。北海道では、8月15日以後もソ連との戦いがあった由、本当に大変だったようです。

非常に困難な状況で、中央の指令に背いてまで、部下を守って戦った話とか、零戦で7回も生き残った方の本とか、様々な本が出版されています。硫黄島の戦いなど、欧米人を恐れさせた日本人の戦いぶりも知りました。ドイツだとギムナジウム、フランスだとENAというエリート養成システムがありますが、日本もあったのに戦後潰されたのですね。

投稿: ライラック | 2020年3月 2日 (月曜日) 08時52分

ライラックさん、こんにちは。

ケストナーについての詳しい情報を有難うございます!
ナチスに狙われて亡命した作家や芸術家は多いですね。
そういう苦しみが作品に反映されているのでしょうか。

諜報員について教えていただき、有難うございます!
僧侶がスパイだったことがあるのですね。
確かにスパイとは思われないですよね。
紛れ込むにはちょうどいい職業なのかもしれません。

川島芳子についても有難うございます。
ライラックさんの文章を拝見して、ネットで調べてみたところ、処刑されて亡くなったという説と、生き延びたという説とあるようですね。
処刑された人と川島さんとの髪の長さなど違いがあるのだとか...。
こうして謎の残る事件は小説や研究書などの題材としてはもってこいなのかもしれませんね。

暗号でのやりとりなんて映画の中の世界のようですね。
事実は小説より奇なりなどと言いますが、その通りですね。

北海道では、8月15日以後もソ連との戦いがあったのですか。
終戦といっても完全な終戦ではなかったのですね。

中央の指令に背いてまで部下を守る方など、素晴らしいですね。

様々な分野にお詳しいライラックさんは話題が尽きないですね。
ライラックさんにはご自分の情報を発信するブログをぜひ立ち上げてほしいです!

投稿: フランツ | 2020年3月 8日 (日曜日) 21時31分

フランツ様

居候も長くなりましたので、仰せのようにブログを始めました。
覚え書きの書き散らかしで、纏まっていませんが、

「好きなもの、心惹かれるもの」
https://meinfavorit.hatenablog.com/entry/2020/02/12/191738?_ga=2.31975420.330842402.1583795098-5399752.1583664181

へ、どうぞお越しくださいませ。

投稿: ライラック | 2020年3月10日 (火曜日) 19時52分

ライラックさん、こんにちは。

ブログ開設おめでとうございます!
この日を待っていました!
博学なライラックさんの知識と情報を弊ブログのコメント欄だけに埋もれさせてしまうのはもったいないと思っていたので、良かったと思います。
ゆっくり拝見させていただきますね!

投稿: フランツ | 2020年3月11日 (水曜日) 12時52分

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