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ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)の伴奏LP「レッツ・シング・シューベルト(Let's sing Schubert with Dalton Baldwin)」(キングレコード: SEVEN SEAS: K28C-152)

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レッツ・シング・シューベルト(Let’s sing Schubert with Dalton Baldwin)」(キングレコード: SEVEN SEAS: K28C-152)

ダルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)(P)

録音:1980年12月12日, King Record Studio No 1, Tokyo

[第1面]
シューベルト(Franz Schubert)作曲
1. ます(Die Forelle)
2. 春の信仰(Frühlingsglaube)
3. 聞け、聞け、ひばりを(Ständchen "Horch, horch, die Lerch")
4. 水の上にて歌える(Auf dem Wasser zu singen)
5. 君は我が憩い(Du bist die Ruh)
6. シルヴィアに(An Silvia)
7. 子守歌(Wiegenlied)

[第2面]
8. 楽に寄す(An die Musik)
9. 糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)
10. 野ばら(Heidenröslein)
11. 笑いと涙(Lachen und Weinen)
12. 春に(Im Frühling)
13. ミューズの子(Der Musensohn)
14. アヴェ・マリア(Ave Maria)

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歌曲の伴奏者がピアノパートのみを演奏して録音したLPレコードやCDがいくつか出ています。
例えば、エリク・ヴェルバ(Erik Werba)やジョン・ワストマン(John Wustman)、アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)、イェルク・デームス(Jörg Demus)、カール・カマーランダー(Karl Kammerlander)等の録音を挙げることが出来るでしょう。
私の知る限り、ヴェルバのLP以外はCDとして入手可能だったはずです。
私はヴェルバの録音については入手できていない為未聴なのですが、それ以外の録音を聞いた記憶では、アーウィン・ゲイジのシューベルトとブラームスの録音については歌手の練習用というよりはピアノパートの鑑賞用という印象を受けました。
ルバートの多いゲイジの演奏に合わせて歌うのはなかなか大変なのではないかと思ったのです。
もしかしたらゲイジは最初から歌手の存在を意識せず、ピアノパートだけでどれだけ芸術性があるのかを演奏で実証しようとしたのではないかとすら想像してしまいます。

先日(2019年12月12日)亡くなった名伴奏ピアニスト、ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)も日本のスタジオでシューベルトの伴奏レコードを録音していました。
このLPレコードはCD化されておらず、知る人ぞ知る隠れた録音となっています。
私もこのレコードは随分昔にネットのオークションサイトで見つけて入手しましたし、現在も探せば時折出品されているようですので、気になる方は検索してみてはいかがでしょうか。
録音は1980年12月12日と記されています。
偶然にも彼の命日と同じ日でした。

このLPジャケットの表には「糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)」の自筆譜が、裏面にはボールドウィンによる各曲の演奏の手引きが翻訳されて(鈴木靖子氏による翻訳)掲載されています。
このLPでのボールドウィンの演奏は、シューベルトの楽譜に忠実でありながら、そこに美しい歌が感じられ、テンポももたつくことがなく、ピアノパートだけで素晴らしい響きを再現しています。
一見特別なことはしていないように感じられるほど自然でありながら、よく聴くと実に細やかな表情が込められているのが分かります。
ゲイジと対照的に、このボールドウィンの演奏に合わせて歌うのはとても気持ちよさそうです。
ボールドウィンというピアニストは、もともと歌手になりたかったけれど声に恵まれていなかった為にピアニストになって歌曲と関わっていくことを決心したとプロフィールにはよく書かれています。
実際に彼の歌声がどうだったのかは分かりませんが、彼の理想が高かったのかもしれません。
でも、そのお陰でEMIの膨大なフランス歌曲全集(Fauré、Debussy、Ravel、Poulenc、Roussel)を、ボールドウィンの最高の演奏で聴くことが出来るわけですから、彼が伴奏者の道を選んでくれたことに感謝したいです。

ボールドウィンが「楽に寄す(An die Musik)」について述べている言葉を引用したいと思います。

「間奏と後奏にでてくるforte pianoのアクセントは、その音をよく響かせるためにほんの少し時間をかけて弾いて下さい。それは強く叩くアクセントではなく、inner(内的)な=つまり奥の深いところでのアクセントと思って下さい。」

アクセントを杓子定規に強く叩いてしまってはこの曲のデリカシーを壊してしまうのでしょう。
そういう繊細さをボールドウィンはピアニストに求めていますし、聴き手も内的なアクセントを味わいたいものだと思います。

ボールドウィンはジェラール・スゼー(Gérard Souzay)の1960年代以降のほぼ唯一の共演ピアニストでした。
もちろん例外はあって、80年代に日本に来た時にはピアニストの三浦洋一(Youichi Miura)とブラームスの歌曲集を録音しています。
でもスゼーにとって、彼の歌を最も理解しているピアニストは複数必要なかったのでしょう。
ボールドウィンのような常に快適なテンポで過剰さとは無縁の引き締まった演奏を聞かせてくれるピアニストと出会えたことがスゼーにとっても運命的なものだったのでしょう。
ボールドウィン以前にスゼーが共演していたジャクリーヌ・ロバン=ボノー(Jacqueline Robin-Bonneau)はソリストでもあり、シュヴァルツコプフ等とも共演した名伴奏者でもあったのですが、飛行機が苦手だった為、スゼーの演奏旅行の際に同行する別のピアニストが必要になり、ボールドウィンとの共演が始まったようです。
スゼー&ボールドウィンは、Philipsにフランス歌曲の主だったところを録音し、その後にEMIのフランス歌曲全集に参加しました。
後者では声の衰えが指摘されることも少なくないスゼーですが、その語り口の見事さはやはり別格だと思います。
そして、その優れた歌唱を完璧なまでに支え、時にリードし、一体となって歌の細やかな世界を披露してくれたボールドウィンは、スゼー同様の大きな貢献をしてきたと思っています。

私はスゼーと1回、アーメリングと2回の他は、日本人歌手たちと複数回共演するボールドウィンの実演に接することが出来ました。
日本人歌手と共演した時のボールドウィンは、演奏の一グループが終わり、袖に戻る時に、常に歌手に声をかけていて、労わっているように見えました。
歌を演奏するのが本当に心から好きなんだなぁというのが、舞台上でも感じられました。
こういうピアニストはそういるものではないと思います。

彼は最近ほぼ毎年秋に来日して日本人歌手たちとコンサートの舞台に出ていました。
今年の11月にも来日したそうですが、おそらく一般には非公開の形でレッスンを行ったのではないかと思います。
その後にミャンマーに旅行に行き、家に帰る飛行機の中で具合が悪くなり、緊急着陸したものの北京で亡くなったということのようです。

生涯現役を貫いた名手に心からの賛辞と感謝を捧げたいと思います。

Thank you and rest in peace, Mr. Dalton Baldwin.

Fauré: Les berceaux, Op. 23: No. 1(フォレ:ゆりかご)

Gérard Souzay(BR), Dalton Baldwin(P)

Schubert: An die Musik, D 547(シューベルト:音楽に寄せて)

Elly Ameling(S), Dalton Baldwin(P)

Duparc: Chanson triste(デュパルク:悲しい歌)

Jessye Norman(S), Dalton Baldwin(P)

Quilter: Love's Philosophy(クィルター:愛の哲学)

Arleen Augér(S), Dalton Baldwin(P)

Masterclasse Dalton Baldwin(マスタークラス:ファリャ(Falla)「ムルシア地方のセギディーリャ(Seguidilla murciana)」)

Chrystelle Couturier janvier 2009
Centre d'ARt Lyrique de la Méditerranée

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