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2019年もご訪問いただき、有難うございました。

本年もブログをご覧いただきまして、誠に有難うございました。

今年は父の死をはじめ、昔から親しんできたアーティストの死去のニュースが多く、死というものに向き合った年でした。

テーオ・アーダム(Theo Adam: 1926.8.1-2019.1.10)
イェルク・デームス(Jörg Demus: 1928.12.2-2019.4.16)
パウル・バドゥラ=スコダ(Paul Badura-Skoda: 1927.10.6-2019.9.25)
佐藤しのぶ(Shinobu Sato: 1958.8.23-2019.9.29)
ジェシー・ノーマン(Jessye Norman: 1945.9.15-2019.9.30)
ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin: 1931.12.19-2019.12.12)
ペーター・シュライアー(Peter Schreier: 1935.7.29-2019.12.25)

全員、実演に接することの出来た方たちです。ステージでの彼らを思い出します。

昔は今よりも衛生面や医療面において死がより身近にあって、そういう中で多くの作曲家たちが名曲を残してきたことをあらためて考えるきっかけともなりました。

シューベルトの音楽の生死の間を行きかうような浮遊感がより一層身近に感じられるようになるのではないかと思います。

最後になりましたが、父の件につきまして、多くの励ましのお言葉をいただきました。

どれほど励みになったか分かりません。

あらためてお礼申し上げます。

本当に有難うございました。

2020年もいつも通りマイペースにブログを書き進めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

皆様、良いお年をお迎え下さい。

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ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)の伴奏LP「レッツ・シング・シューベルト(Let's sing Schubert with Dalton Baldwin)」(キングレコード: SEVEN SEAS: K28C-152)

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レッツ・シング・シューベルト(Let’s sing Schubert with Dalton Baldwin)」(キングレコード: SEVEN SEAS: K28C-152)

ダルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)(P)

録音:1980年12月12日, King Record Studio No 1, Tokyo

[第1面]
シューベルト(Franz Schubert)作曲
1. ます(Die Forelle)
2. 春の信仰(Frühlingsglaube)
3. 聞け、聞け、ひばりを(Ständchen "Horch, horch, die Lerch")
4. 水の上にて歌える(Auf dem Wasser zu singen)
5. 君は我が憩い(Du bist die Ruh)
6. シルヴィアに(An Silvia)
7. 子守歌(Wiegenlied)

[第2面]
8. 楽に寄す(An die Musik)
9. 糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)
10. 野ばら(Heidenröslein)
11. 笑いと涙(Lachen und Weinen)
12. 春に(Im Frühling)
13. ミューズの子(Der Musensohn)
14. アヴェ・マリア(Ave Maria)

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歌曲の伴奏者がピアノパートのみを演奏して録音したLPレコードやCDがいくつか出ています。
例えば、エリク・ヴェルバ(Erik Werba)やジョン・ワストマン(John Wustman)、アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)、イェルク・デームス(Jörg Demus)、カール・カマーランダー(Karl Kammerlander)等の録音を挙げることが出来るでしょう。
私の知る限り、ヴェルバのLP以外はCDとして入手可能だったはずです。
私はヴェルバの録音については入手できていない為未聴なのですが、それ以外の録音を聞いた記憶では、アーウィン・ゲイジのシューベルトとブラームスの録音については歌手の練習用というよりはピアノパートの鑑賞用という印象を受けました。
ルバートの多いゲイジの演奏に合わせて歌うのはなかなか大変なのではないかと思ったのです。
もしかしたらゲイジは最初から歌手の存在を意識せず、ピアノパートだけでどれだけ芸術性があるのかを演奏で実証しようとしたのではないかとすら想像してしまいます。

先日(2019年12月12日)亡くなった名伴奏ピアニスト、ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)も日本のスタジオでシューベルトの伴奏レコードを録音していました。
このLPレコードはCD化されておらず、知る人ぞ知る隠れた録音となっています。
私もこのレコードは随分昔にネットのオークションサイトで見つけて入手しましたし、現在も探せば時折出品されているようですので、気になる方は検索してみてはいかがでしょうか。
録音は1980年12月12日と記されています。
偶然にも彼の命日と同じ日でした。

このLPジャケットの表には「糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)」の自筆譜が、裏面にはボールドウィンによる各曲の演奏の手引きが翻訳されて(鈴木靖子氏による翻訳)掲載されています。
このLPでのボールドウィンの演奏は、シューベルトの楽譜に忠実でありながら、そこに美しい歌が感じられ、テンポももたつくことがなく、ピアノパートだけで素晴らしい響きを再現しています。
一見特別なことはしていないように感じられるほど自然でありながら、よく聴くと実に細やかな表情が込められているのが分かります。
ゲイジと対照的に、このボールドウィンの演奏に合わせて歌うのはとても気持ちよさそうです。
ボールドウィンというピアニストは、もともと歌手になりたかったけれど声に恵まれていなかった為にピアニストになって歌曲と関わっていくことを決心したとプロフィールにはよく書かれています。
実際に彼の歌声がどうだったのかは分かりませんが、彼の理想が高かったのかもしれません。
でも、そのお陰でEMIの膨大なフランス歌曲全集(Fauré、Debussy、Ravel、Poulenc、Roussel)を、ボールドウィンの最高の演奏で聴くことが出来るわけですから、彼が伴奏者の道を選んでくれたことに感謝したいです。

ボールドウィンが「楽に寄す(An die Musik)」について述べている言葉を引用したいと思います。

「間奏と後奏にでてくるforte pianoのアクセントは、その音をよく響かせるためにほんの少し時間をかけて弾いて下さい。それは強く叩くアクセントではなく、inner(内的)な=つまり奥の深いところでのアクセントと思って下さい。」

アクセントを杓子定規に強く叩いてしまってはこの曲のデリカシーを壊してしまうのでしょう。
そういう繊細さをボールドウィンはピアニストに求めていますし、聴き手も内的なアクセントを味わいたいものだと思います。

ボールドウィンはジェラール・スゼー(Gérard Souzay)の1960年代以降のほぼ唯一の共演ピアニストでした。
もちろん例外はあって、80年代に日本に来た時にはピアニストの三浦洋一(Youichi Miura)とブラームスの歌曲集を録音しています。
でもスゼーにとって、彼の歌を最も理解しているピアニストは複数必要なかったのでしょう。
ボールドウィンのような常に快適なテンポで過剰さとは無縁の引き締まった演奏を聞かせてくれるピアニストと出会えたことがスゼーにとっても運命的なものだったのでしょう。
ボールドウィン以前にスゼーが共演していたジャクリーヌ・ロバン=ボノー(Jacqueline Robin-Bonneau)はソリストでもあり、シュヴァルツコプフ等とも共演した名伴奏者でもあったのですが、飛行機が苦手だった為、スゼーの演奏旅行の際に同行する別のピアニストが必要になり、ボールドウィンとの共演が始まったようです。
スゼー&ボールドウィンは、Philipsにフランス歌曲の主だったところを録音し、その後にEMIのフランス歌曲全集に参加しました。
後者では声の衰えが指摘されることも少なくないスゼーですが、その語り口の見事さはやはり別格だと思います。
そして、その優れた歌唱を完璧なまでに支え、時にリードし、一体となって歌の細やかな世界を披露してくれたボールドウィンは、スゼー同様の大きな貢献をしてきたと思っています。

私はスゼーと1回、アーメリングと2回の他は、日本人歌手たちと複数回共演するボールドウィンの実演に接することが出来ました。
日本人歌手と共演した時のボールドウィンは、演奏の一グループが終わり、袖に戻る時に、常に歌手に声をかけていて、労わっているように見えました。
歌を演奏するのが本当に心から好きなんだなぁというのが、舞台上でも感じられました。
こういうピアニストはそういるものではないと思います。

彼は最近ほぼ毎年秋に来日して日本人歌手たちとコンサートの舞台に出ていました。
今年の11月にも来日したそうですが、おそらく一般には非公開の形でレッスンを行ったのではないかと思います。
その後にミャンマーに旅行に行き、家に帰る飛行機の中で具合が悪くなり、緊急着陸したものの北京で亡くなったということのようです。

生涯現役を貫いた名手に心からの賛辞と感謝を捧げたいと思います。

Thank you and rest in peace, Mr. Dalton Baldwin.

Fauré: Les berceaux, Op. 23: No. 1(フォレ:ゆりかご)

Gérard Souzay(BR), Dalton Baldwin(P)

Schubert: An die Musik, D 547(シューベルト:音楽に寄せて)

Elly Ameling(S), Dalton Baldwin(P)

Duparc: Chanson triste(デュパルク:悲しい歌)

Jessye Norman(S), Dalton Baldwin(P)

Quilter: Love's Philosophy(クィルター:愛の哲学)

Arleen Augér(S), Dalton Baldwin(P)

Masterclasse Dalton Baldwin(マスタークラス:ファリャ(Falla)「ムルシア地方のセギディーリャ(Seguidilla murciana)」)

Chrystelle Couturier janvier 2009
Centre d'ARt Lyrique de la Méditerranée

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ペーター・シュライアー(Peter Schreier: 1935.7.29 – 2019.12.25)逝去

立て続けに思い入れの強いアーティストが亡くなり、本当に寂しいです。

ドイツの名テノール、ペーター・シュライアーが闘病の末、ドレスデンで12月25日に亡くなったそうです。84歳でした。クリスマスの日に亡くなったというのがシュライアーらしい気がします。たまたま、ハンスイェルク・アルブレヒト(Hansjörg Albrecht)と共演したクリスマスに因んだリサイタルのライヴ録音(Lieder zur Weihnacht in der Dresdner Frauenkirche)を聴いたばかりだったので驚きました。

後日改めて記事を書きたいと思います。

素敵な歌の数々を有難うございました。どうか安らかにお休み下さい。

https://www.zeit.de/kultur/musik/2019-12/opernsaenger-tenor-peter-schreier-tot

https://www.google.co.jp/amp/s/amp.dw.com/en/opera-tenor-and-conductor-peter-schreier-dies-at-84/a-51802818

https://www.japantimes.co.jp/culture/2019/12/27/entertainment-news/famed-german-opera-singer-conductor-peter-schreier-dies-84/#.XgUSzSRcWEc

https://www.mdr.de/kultur/themen/peter-schreier-tod-reaktionen-100.html

https://www.asahi.com/articles/ASMDW4SJCMDWUHBI00Z.html

https://www.afpbb.com/articles/-/3261387

Schubert: Der Müller und der Bach, D 795-19(シューベルト:『美しい水車屋の娘』~水車屋職人と小川)

Peter Schreier(T), Walter Olbertz(P) 1974

R.I.P. Peter Schreier

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【ライラックさんの部屋】開設(2019年8月~12月)

いつもコメント欄で歴史に関する考察を披露して下さるライラックさんの文章をまとめる記事を作りました。
ぜひ歴史に詳しい方、歴史に興味を持たれた方はライラックさんの考察をお読みいただき、紹介されたリンク先を訪問していただけたら幸いです。
歴史に関するやりとりをコメント欄でご自由に交わしていただくことも大歓迎です。
私は横で拝読させていただきたいと思いますので、皆さんで楽しんでいただく場になればと思います。

宜しくお願いいたします。

【ライラックさんの部屋】2019年8月~12月

●2019/8/16

赤い靴履いていた女の子、異人さんに連れられて行っちゃった。とか花嫁人形、月の砂漠も哀愁が漂い、幼な子でも一度聞いたら忘れえぬメロディと歌詞で、やはり日本人も悲しい曲を好む一面があるのかもしれないですね。

匈奴、突厥、吐蕃、渤海の人々がロシアを通り、東北に渡来していたらしいので、ロシア的要素をDNAに多少とも持っている人々が日本にもいるのだと思います。色白で背も高く目鼻だちもはっきりした美男美女が日本人にいらっしゃいますが、渡来系のご先祖なのだろうなと感じます。

●2019/9/19

「栗本慎一郎の全世界史」などに7世紀のお寺はゾロアスター教やミトラ教の影響があるとか。東大寺の火を使う行事や清水寺はゾロアスター教。ソグド僧の名前が残っていたり古代アラム語が書かれた伽羅が正倉院にあるとか。

高野山大阿闍梨、大僧正だった織田隆弘師、芥川賞作家の玄侑宗久和尚、あの世についての著書が多い矢作直樹東大名誉教授(上皇陛下心臓手術医師団の代表だった方)の著書もかなり読みました。あの世からこの世は見えているらしいです。もう1度会いたいと思った人にはあの世で会えるとか。人は何度もなんども転生を繰り返すのだとか。矢作先生は、独居で亡くなられたご母堂の霊と、霊媒を通して会話をされたと本に書かれていました。親子しか知らぬ話をしたので、本物だと思われたとか。救急部長として、あの世からお迎えが来て、その瞬間、患者さんの顔がパッと輝くケースを何度も見たそうです。あの世に光輝く存在がいるのだとか。矢作先生の20冊近い本が図書館にあり、熟年に人気なのです。(出版後1年を超えた本は、地元公立図書館でリクエストができます。国立大学の図書館から貸していただける場合もあります)

玄侑さんは天龍寺で修行の折、木の上に乗って伐採中、下から別の雲水さんが、玄侑さんの乗った枝を知らずに伐採して落下、自分の肢体を空中から見ていたそうです。千日回峰行など、修行をされた方は、不思議な体験をなさるそうですね。

●2019/11/13

京都でも1日10km歩きましたが、ヨレヨレでございます。奈良は電車バスの本数が本当に少ないです。
 「寺社勢力の中世」伊藤正敏著 ちくま新書によれば、高野山、比叡山をはじめ、大きな寺社は、1つの寺だけで1つの都市であった、境内には僧侶でない者の方が多く、僧兵、武器工場まで備えていた、と。この本で、寺社のイメージがちょっと変わりました。

>亡くなった人と会話するといえばイタコを思い出しますが、私が小さい頃はその手の番組がテレビで多く放送されていてワクワクしながら見ていたものでした。

青森でいらっしゃいますか?青森出身の織田隆弘師の本にもよく当たる巫女のお話が出てきました。私はイタコをTVでも拝見したことがなくて。

>修行を積んだ人には普通の人には分からないものが見聞き出来るのでしょうね。

そのようです。あと臨死体験をされた方は、まだ冥界に来るでない、やることがあるのだよ、と使命が与えられるようです。

>生と死というのは本当に紙一重で、遠い世界のことではないということを今回のことで実感しました。シューベルトは若くして生死の間をさまようような曲を書いていましたが、病魔に襲われて実際に生死の間を行き来していたのかなぁなどと思ったりもします。

おっしゃる通りでしょう。玄侑宗久氏が書かれていたのは、亡くなる数日前から人の魂は体から出たり入ったりするのだとか。体から出て、空中を飛んで、会いたい人に最後の挨拶をしたりするらしいです。

そうそう、東大教授の矢作先生ですが、シリウスだったかプレアデスだったか忘れてしまいましたが、前世?は遠い星から地球に転生されたとか。宇宙人の寿命は、人より長そうですが、どうなんでしょうね。

新井信介さんの過去ブログを読んでいたら、猿から人になったのではなくて、宇宙人が遺伝子操作をして人ができた、と書かれていて、それも面白いな、と思いました。

●2019/11/16

私は普段から2~4kmなら歩きます。スポーツもしません。10kmは見惚れるものがあれば、知らず知らずに歩けてしまいます。中部に住んでおりまして、1日バス旅行で奈良国立博物館と、滋賀県miho美術館で天目茶碗を見るツアーへ行った際も10kmくらい歩きました。朝8時集合、19時半解散バスとはいえ、内部見学でかなり歩きました。でも美術館は楽しいですね。miho美術館は、ガンダーラ仏ほか、珍しい古代美術品をたくさん持っています。リュトンという角笛のような形の先端が牡牛、山羊、虎、鹿や鷹のもの。

死後、自分の人生を走馬灯のように見せられて、生まれる前に決めたことが実現できたかどうかの反省会?があるらしいとスピリチュアルの本で読んだことがあります。ドキッとしますね。

音楽のお話からずれてしまいますが、私は海外で暮らした経験があり、韓国人、シンガポール人、ドイツ人から歴史について尋ねられたことに上手く答えられなかったことからも、日本の古代史についてとても興味を持ちました。
去年放送大学院の日本史料論をとってみて、木簡から現代まですごくざっくり学び、ついでに毎週図書館で5冊本を借りてきました。大学教科書から離れて、天平時代にソグド人、ペルシャ人、インド人、トルコ人が東大寺や奈良大安寺他建造に関わり、そのまま日本に移住、お寺は天皇の住居よりも高級な材料を使っていたほか、四天王寺にはミトラ教、東大寺にはゾロアスター教の名残の行事が行われているなど、面白いことを知りました。

図書館の書庫には昭和初期からの本がありますし、最寄りの公立図書館にリクエストすると1か月ほど待つこともありますが、何万もする本を借りることができます。(国立大学図書館から最寄りの図書館まで貸してくれるのです)本によっては図書館内で読んで欲しいということもあります。本は、閲覧室の決められた場所でスマホで写真を撮っても良いことになっています。
発刊から1年後に、図書館で読めるのは有難いなと思います。アジアの少数民族民族衣装とか、古墳の出土品とか、フルカラーの図録を眺めるのはワクワクします。

下記のブログ、ティリア・テペ遺跡と藤ノ木古墳出土の黄金の冠がそっくりなことを大きな写真で掲載されています。
http://avantdoublier.blogspot.com/2016/07/blog-post_5.html

創元社の写真の方が文章よりも多い、図説中国文明史(特に3、5、8巻)を見ると、正倉院御物や日本の建築や仏像に瓜二つのものがあり、目を惹かれます。
文献(歴史書)は嘘も書けるので、金属の遺物、陶器、織物、建築、人々から昔を想像するのも面白いと思いました。

日本文化と日本人のルーツってなんなの?という疑問は、中東、南ロシア・セミレチエ地方、西アジア、南アジアからも稲作、宗教、金属加工を伴って来たようです。ロシアのサハ共和国、ヤクート人、ブリヤート人、キルギス人の人々が日本人とよく似た風貌なことには興味津々です。

イシク・クル湖 の静謐な美しさには見とれます。石工来る?
http://isekineko.jp/silkroad-index.html#キルギス

アジア少数民族は雲南省にもとても多いのですが、珍しい民族衣装を保全されていて楽しいですよ。
http://fansoon.jugem.jp/?day=20150808

●2019/11/22

美しいものを見ること、美しい音楽を聴くこと、美味しいものを食べることが人生の楽しみの1つですね。あの世では魂が、思うだけで意思疎通でき、過去の偉人にも会えるらしいのです。モーツアルトに会って見たいですよね。彼は水銀で暗殺されたという本がありましたよ。
「聖徳太子の未来記とイルミナティ」中山士市朗著 学研
ドイツ人医師ケンペルは、1690年から2年日本に滞在し「日本誌」を著述した。英語、仏語、ドイツ語で出版された。「日本誌」には天照大神からの天皇の名前と聖徳太子についての記述があり、ジャポニズムの下地となる。タミーノはト書きでは、日本の狩衣を着ていると書いてある。
意外な組み合わせで驚きました。ただ聖徳太子は突厥族の大可汗で、ササン朝ペルシャの王女と結婚しており、その間にできたのがヤズデガルド3世(最後の皇帝)と斉明天皇らしいのです。イスラムの攻撃でササン朝ペルシャは滅亡します。ヤズデガルド3世の息子ペーローズが妻と娘その他を連れて渥美大島に亡命してきたことが日本書紀に書かれています。吐噶喇から来たと。
聖徳太子はササン朝ペルシャのコスロー二世の右腕として活躍した証拠が、夢殿の救世観音と法隆寺の獅子狩文錦の冠上に、三日月を横にして上に丸が付いているマークがあることだそうです。このマークはコスロー二世のシンボルなんだとか。
https://www.yamano.ac.jp/subject/labo/resarchcenter/pdf17/ya17_01.pdf
遊牧民族はお妃に各地の族長の娘をもらうので、白人に近い容貌をしていたらしいです。オリエント研究をされていた三笠宮殿下が現代思潮社に頼んで出版されたらしい、元岡山大学助教授の小林惠子(やすこ)さんの一連の本は大胆です。聖徳太子は赤毛に緑の目だったのではないかと。
匈奴、突厥、契丹、吐蕃、元、金の女真 そのほか沢山の遊牧民族と国が出てきて脳内が混乱しますが、匈奴の方が中国よりも軍事力が高かった為、中国皇帝は跪いて、毎年一定の絹や奴隷、その他を貢ぐ協定が決まったそうです。そして突厥族である達頭(タルドウ)可汗が日本に来て大王、天皇になった為、中国は日本を遊牧民族の国とみなし、征服はしなかった、という話です。達頭は娘をサマルカンド王や新羅王にも嫁がせたらしいです。おそらく古代パフラヴィー語、アラム語、古代朝鮮語と中国語、日本語は話せたのではないでしょうか。正倉院御物の幾らかは太子由来のものではと想像します。

Kirov Opera: Alexander Borodin - Prince Igor / Князь Игорь (Part 1)
https://www.youtube.com/watch?v=un1rtMjtYzM
1:20あたりから有名なあの曲が演奏されます。この遊牧民族長(韃靼)の顔は満州っぽい感じですが、イゴール公を演じている方のような顔をしていたのが聖徳太子や天武天皇らしいです。小林説では、天武天皇は太子の息子だそうです。太子はペルシャ宮廷を救う為、スイアーブへ帰還。コスロー2世の王子カワードが父を殺した為、カワードを殺し、最終的に太子とペルシャ王女の息子がヤズデガルド3世として即位したとか。スケールの大きな話ですね。キトラ古墳の天井には、高句麗でしか見えない星図が描いてあったそうです。

下記に、お水取りがペルシャ伝来のものだという写真と記事があります。戦時中も休みなく続けられたとは天皇家に関わりのある行事だからではないでしょうか。
https://serai.jp/tag/お水取り

小林女史の著書は多いですが「空海と唐と三人の天皇」「聖徳太子の真実」「桓武天皇の謎」などを読まれて違和感がなかったら「興亡古代史ー東アジア覇権争奪1000年」が良いと思います。

日本人でも体操の白井健三選手のような目はぱっちり、鼻が高く彫りの深いタイプの方、時々いらっしゃいますね。親戚にもおりまして、不思議に思っておりました。ペルシャ人、ソグド人、トルコ人、インド人、遊牧騎馬民族フン族系と和人との混血の結果かと想像します。

●2019/11/26

中国の呉王の姓が姫氏で、九州に亡命して姫を紀氏に変えたという話もあります。紀貫之の前に坂上田村麻呂の頃にも紀諸人、紀男麻呂、紀舟守など紀氏の名前が出てきます。
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-11985511032.html?fbclid=IwAR3haJbjsrJS5JAbUxyVDZnkDy0K9ARvPjnWwXj6hI2KL9ZD2hEbFJZUuYg

https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12507264079.html?fbclid=IwAR34a8UCuoa4t31xdLGWHNdewJsMpIm9TgObrVf7THzvVEB0aPuXiP-HYwg

突厥可汗は、勇敢に先頭に立って戦うので、戦死するケースが多かったのだそうです。また親族同士の殺し合いもあったそうです。620年玄奘三蔵がインドへ行く途中、達頭可汗の孫に当たる統葉護(ジベール)可汗が砕葉城(スイアーブ)で玄奘を厚くもてなし、インドまでの国への通行証と通訳をつけて別れを惜しんだそうです。ところがそのあと、ジベール可汗は叔父に殺されたとか。しかし聖徳太子は、80代まで生きたらしい伝承があるのだそうです。
 思うに、背は180cmくらい(夢殿の救世観音と同じ身長)、可汗特有の腰までまっすぐ伸びた髪、眼は緑、しかも美男子、男性にもこの方にお仕えしたい、この方の為なら死ぬことも厭わないと思われた人だったようです。

赤毛で髪の長い方といえばモロッコのラーラ・サルマ王妃。
https://ameblo.jp/audrey-beautytips/entry-12144452004.html

赤毛といっても茶色に近い感じですが、太子もこんな感じだったとしたら、それは誰もが惹かれたことでしょう。

日本で出土した冠や沓には、魚が付いています。滋賀県 鴨稲荷山古墳の冠と沓の写真がこちらです。子馬がたくさん並んでいる冠もあるのです。魚はキリスト教のシンボルとも聞きますが、はて。
https://www.travel.co.jp/guide/article/11906/?yclid=YJAD.1574748667.vCoL_Hudcq205C4EmqeEpdaTYwFuDuMhU6fb.7yeDwAZg1hzEfpg1

延々と歴史話を書かせていただき、ありがとうございます。興味を持たれたところだけ、ツマミ食いなさってくださいませ。

馬形飾冠は、行方市三昧塚古墳でした。茨城県立歴史館
 冠の上に6頭の馬の飾りがある珍しいものです。
http://www.rekishikan-ibk.jp/cms/wp-content/uploads/2016/10/5db8528b4937cbf951c989cf92db5844.pdf

こちらで詳細を書いて下さっているブログがあります。
http://mahoranokaze.com/blog-entry-2621.html

シベリアで暮らす少数民族の今を撮影したポートレート「顔で見る世界」に日本人によく似た写真があります。https://news.biglobe.ne.jp/trend/0912/kpa_170912_1520669776.html?fbclid=IwAR1sRb1CFH-a0PGIG7J0LQF9yi_TEVHCIR0fKi_fhkaWcmOiJcwUVL6H3lA

私は伯母が茶道を教えており、龍村織の布地からコートを作って着ていたので、織物と陶器は子供の頃から印象に残ったようです。ルーブル美術館のイスラムセクションで見たイラン11世紀の陶器は、日本の抹茶茶碗、ご飯茶碗にそっくりでした。ペルシャ、中国の三彩と日本の織部焼の緑は似ていると思います。そこで下記の人間国宝のお二人の著書は写真もあり大変興味深く拝読しました。

「ラスター彩遊記 砂漠が誘う」加藤卓男著 
加藤卓男:ラスター彩の復元に生涯をささげた陶芸家
https://www.nippon.com/ja/views/b02327/

「錦とボロの話」龍村光翔・光峯著 アスターナの砂漠のミイラの顔を覆っていた錦を復元した話など。

「錦 光を織る」龍村光峯著 復元した正倉院の琵琶の袋は、中国皇帝
しか使用を許されない禁色で、太宗皇帝からの贈り物だったのではないかと書かれています。

モンゴルと日本の絵は、線が細くて似ている気がします。特にモンゴルと日本の屏風絵の馬は、瓜二つと感じます。

パリにあるギメ東洋美術館には、アジア中の美術品が収蔵されていて、全部見るのには7時間は必要ですが、大変面白く、何度か行きました。後から日本にも、凝った美術品があることを知りました。
殷代青銅器は東京と京都の泉屋博古館にあります。
https://www.sen-oku.or.jp/collection/col01/002.htmlhttp://www.mmm-ginza.org/museum/special/backnumber/0711/special01.html

ガンダーラ仏は白金台の松岡美術館にたくさんありました。
https://www.matsuoka-museum.jp

●2019/12/12

古代の歴史は面白い、と言いますか、現代よりもロマンを感じます。
奈良の藤ノ木古墳ですが、大変興味深い考察をされている方の、ウイグル族女性のトルコ石と珊瑚の飾りについてのブログがあり、ぜひご覧くださいませ。

歴史とか 民俗とか https://ysiuruhasi.exblog.jp/19086661/

この古墳には2人の男性が葬られているという学者先生の主張があるのですが、このブログ主様のように、明らかに王と妃が葬られているのだと私も思います。

ラダックというアジアのチベット仏教の地に、ペラクというトルコ石と珊瑚の玉をつないだ、コブラを模倣している女性の頭飾りもありました。だいぶ下の方に写真があります。
https://www.panoramaphotohunter.com/目次/東南アジア-Ⅱ-55-ラダック/

ラダックはチベット仏教で、ブータンともよく似ていると思いました。

小林惠子さんは、藤ノ木古墳の被葬者は、崇峻天皇と比定されています。崇峻天皇は、突厥可汗だそうです。勢力範囲ですから、チベット族のお妃でも全然おかしくないですね。

紀氏についてのブログ記事があります。 この方は「謎の巨大氏族 紀氏」「熊襲は列島を席巻していた」など著作がある内倉武久氏です。
https://ameblo.jp/kodaishi-omoroide/entry-12507264079.html

「法隆寺は移築された 太宰府から斑鳩へ」米田良三著
「法隆寺のものさし 隠された王朝交代の謎」川端俊一郎著

など、意外な歴史を掘り下げた著書が図書館には並んでいました。

>魚や馬の付いた冠やくつ、可愛らしいですね。
動物は何らかの象徴としての意味がありそうですね。

そうなんです。馬は騎馬民族を表し、魚は原始キリスト教を表すのかもしれません。冠と沓以外にも、古墳から魚の形の飾りが出土しているのです。

先日は、東大寺にゾロアスター教の影響がある話題を書きましたが、四天王寺と籠神社には、牛の市が古代に立っていたそうです。

石橋家が全国の牛市の総代で、始まりが四天王寺建立と関係があることは、大正十五年に子安農園出版部から「日本牛史」に詳しく紹介されているそうです。四天王寺建立の頃、秦河勝から石橋家は牛売買支配御免之御証文を頂戴したとか。

喜田貞吉「民俗と歴史」という個人雑誌に上代食肉考という論文の中で、「太古にはいずれの神社にも動物を犠牲として提供したものであった。神主はその犠牲たる動物を屠って神に供したのである。神主のことを古来「はふり」という。動物を殺すことを「ほふる」という。神主がほふるので、両者同語を以ってあらわすことになったと認められる」

ヘブライの民のようですが、牛をミトラ神の前に捧げ、屠ったらしいのです。その名残が四天王寺、広隆寺に神事として残っているらしいです。日本には、色々な史実が謎として残されていますね。

伯母は大正生まれで、5歳頃伯母の龍村織のコートがなぜか印象深く記憶に残り、その文様が隋の頃のアジア王族貴族に流行していたものだとは「忘れへんうちに」様の写真ブログで知りました。

https://silkroad-museum-collection.jp/赤地双鳥円文錦靴下/
https://silkroad-museum-collection.jp/赤地猪頭円文刺繍裂/

>古代の神話とかギリシャ悲劇にその手の話はごろごろありそうですね。その時代に生まれなくて良かった!(前世で生きていたかもしれませんが)

本当ですね。

>『西遊記』を思い出します。三蔵法師を厚くもてなした方が叔父に殺されるとは何とも切ない話ですね...。

そう思います。

日本は世界の雛形だと言いますが、以下に出てくる地図はとても面白いです。
http://tacchan.hatenablog.com/entry/2017/01/24/204452

なぜ日本の東北地方には、青や灰色の瞳をした日本人がいるのですか?https://www.multilingirl.com/2017/12/why-some-japanese-have-blue-eyes.html

小林惠子さんの本によれば、吐蕃という民族が大陸から日本の東北地方に入植したそうなので、当時から吐蕃には目の青い人々が多く、日本に住み着いて混血して現在に至るようです。

長崎の五島列島、沖縄などこのあたりも顔の濃い人々らしいですね。南アジアから渡来したのでしょうか。話題があちこちに飛びまして恐縮です。

小林惠子さんが、奈良當麻寺の広目天が、天武天皇のイメージではないかと著書で書かれていたのを思い出しました。
写真はこちらにあります。當麻寺も一度行ってみたいのですが交通は不便そうです。
http://www.taimadera.org/feature/shitenou.html
http://www.taimadera.or.jp

●2019/12/13

申し訳ありません。紀氏のブログはお知らせ済みで重複していました。

魚の古墳出土品は、他にもあるのです。
福島県 真野20号墳出土 
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/76446

これを復元した写真が以下の1番下にあります。
http://www.mahoron.fcp.or.jp/nenpou/nenpou2001_33.htm

双龍式環頭大刀の柄頭(木更津市郷土博物館「金のすず」蔵)
https://www.chibanippo.co.jp/news/local/637745

藤ノ木古墳 龍文飾金具
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/383628

龍は古代中国にも頻出ですが、なぜか象も鞍金具に彫刻されているのです。象がいた南アジアから、金属加工職人が来たのでしょうか。
http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main10401.html

ロマンは尽きません。
天皇皇后の冠も、古いお雛様に残っているようなデザインだったようです。例えばこんな感じ。正方形で玉すだれは中国風ですね。
https://lucky-river.at.webry.info/201901/article_8.html

ウィーンで行かれた博物館はどちらですか?体力のあるうちに、海外の美術館を回れて良かった、と思っています。無味乾燥と感じた学校の歴史の時間より、実際に自分で遺物を見て想像したりする方がずっと楽しいですね。

私が拝読した本が、100%正しいとは限りませんが、その考察は面白くて、楽しんでおります。また出土品の美的センスの高さにはいつも感心するばかりです。遊牧民族は、狼や鹿をトーテムとしたようです。奈良の鹿を見ると、ひょっとするとその鹿は、その遊牧騎馬民族が連れて来たものなのかも、など想像が膨らんでしまいます。
https://silkroad-museum-collection.jp/牝鹿像/
http://avantdoublier.blogspot.com/2009/10/blog-post_06.html

●2019/12/23

思いがけず、部屋を特設していただき、ありがとうございました。

安禄山の安という苗字と康という苗字がソグド人の姓で1番多いそうです。日本の安藤、安田、安川、安井という苗字も、ソグド系なのかもしれません。安姓と藤姓が結婚して安藤になったとか?井氏という珍しい苗字が九州にあるそうですが、一文字の姓は特に、中国大陸からの渡来人なのでしょう。ソグド商人は大変お金持ちで、西域から日本まで、様々な交易に関わり、軍人や政治家にもなったそうです。情報ネットワークを持っていた人々だったと思います。苗字から、ルーツがわかるらしいです。図書館に分厚い苗字辞典がありました。

日本の武士も騎馬民族系?という気も少しします。
源義経=ジンギスカン説がありますがご存知ですか?ロシアに、桔梗紋を彫刻した建物、神社のような建造物があったそうです。最初は北海道に渡り、そこからロシアへ。義経だけでなく、藤原家家臣など100名以上も義経を守るために一緒に移動したらしいです。
下記の本、私は読んでいないのですが、別の本で見ました。

丘 英夫 「義経はジンギスカンになった」
七海晧奘 「ボルテ・チノ 真 義経記」
土井全一郎 「義経伝説をつくった男 義経ジンギスカン説を唱えた気骨の人 小矢部全一郎伝」

日本の大学よりも費用をかけ、ロシア人、韓国人、中国人、日本人、モンゴル人の精鋭を集め、満州に陸軍が作った建国大学では全寮制で二ヶ国語完全バイリンガルの文武両道エリートを育て、給与も払ったことは初めて知りました。戦争の為、彼らは利用するだけされて潰されたのですが、優秀なのに戦後活躍する場がなかったことが気の毒です。

三浦英之 「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」

匈奴
http://www.rekishinoshinzui.com/entry/2017/09/02/081523

シルクロードと唐帝国
https://1000ya.isis.ne.jp/1431.html

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インターネットで聴けるドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)のライヴ録音など

●ジェラール・スゼーBBCリサイタル(1966年)

A Gérard Souzay Recital (BBC, 1966)

Gérard Souzay (1918-2004) (BR)
Dalton Baldwin (1931-2019) (P)

In memory of the late Dalton Baldwin (1931-2019),
here is a recital he gave with his long-time musical partner Gérard Souzay (1918-2004).
They perform works by Schubert, Debussy, Francaix, Poulenc, and Roussel.

I. Franz Schubert (シューベルト): "Harfenspieler (竪琴弾き)", D. 478 0:00
Wer sich der Einsamkeit ergibt (孤独にひたりこむ者は)
Wer nie sein Brod mit Thränen aß (涙を流してパンを食べたことのない者は)
An die Thüren will ich schleichen (私が戸口に忍び寄ろうとすると)

II. Claude Debussy (ドビュッシー): "Le promenoir des deux amants (二人の恋人の散歩道)" 12:58
Auprès de cette grotte sombre (この暗い洞窟のほとり)
Crois mon conseil, chère Climène (愛するクリメーヌよ、私の言う通りにしておくれ)
Je tremble en voyant ton visage (お前の顔をみて私は震える)

III. Jean Françaix (フランセ): "L'adolescence clémentine (クレマンの若き日)" 20:07
De jan-jan (ジャン=ジャンのこと)
Mon cœur est tout endormy (わが心は眠っている)
D'une vieille dame fort pâle et d'un vieil gentilhomme (とても青ざめた老婦人と老紳士のこと)
Complainte (嘆き)
Avant naissance (生まれる前に)

IV. Francis Poulenc (プランク): "Calligrammes (カリグラム)" 26:52
L'espionne (女スパイ)
Mutation (変容)
Vers le sud (南の方へ)
Il pleut (雨が降る)
La grâce exilée (追われる美女)
Aussi bien que les cigales (蝉と同じように)
Voyage (旅)

V. Albert Roussel (ルッセル): "Trois mélodies (3つの歌)" 39:02
Amoureux séparés (引き裂かれた恋人たち)
Sarabande (サラバンド)
Cœur en péril (危機に瀕した心)


●ジェラール・スゼー「冬の旅」1959年パリ・ライヴ

Gérard Souzay sings "Winterreise" - Paris, 1959

Here is a live recital with Gérard Souzay and Dalton Baldwin
 from Paris of Schubert's setting of Wilhelm Müller's "Die Winterreise".
From the Salle Gaveau, Paris, December 2, 1959.
 (The illustrations are by Lotte Lehmann).


エリー・アーメリング、シューベルト・リサイタル 1978年アムステルダム・ライヴ
(オランダ放送局Radio4によるボールドウィンを偲ぶ文章と共に)

Sopraan Elly Ameling en pianist Dalton Baldwin

vrijdag 14 april 1978, Concertgebouw

Elly Ameling(S), Dalton Baldwin(P)

Schubert(シューベルト)作曲

1. Ellens Gesang nr.1 (エレンの歌Ⅰ“憩いなさい、兵士よ”D837)
2. Ellens Gesang nr.2 (エレンの歌Ⅱ“狩人よ、休みなさい”D838)
3. Ellens Gesang nr.3 (エレンの歌Ⅲ“アヴェ・マリア”D839)

4. Rosamunde, Fürstin von Zypern D.797: Romanze "Der Vollmond strahlt" (「キプロスの女王ロザムンデ」D797より~ロマンツェ“満月は輝き”)
5. Amalia (アマーリア D195)
6. Das Mädchen (乙女 D652)
7. Refrainlieder: Die Männer sind méchant (「4つのリフレイン歌曲」より~男はみんなこんなもの D866-3)

8. Suleika I (ズライカⅠ D720)
9. Der König in Thule (トゥーレの王 D367)
10.Gretchens Bitte (グレートヒェンの祈り D564)
11.Gretchen am Spinnrade (糸を紡ぐグレートヒェン D118)

12.Die Liebende schreibt (恋する娘が手紙を書く D673)
13.Claudine von Villa Bella: "Liebe schwärmt auf allen Wegen" (「ベラ荘のクラウディーネ」D239より“愛はいたるところに”)
14.Nähe des Geliebten (恋人のそば D162)
15.Liebhaber in allen Gestalten (あらゆる姿をとる恋人 D558)

16.Heidenröslein (野ばら D257)
17.Der Schmetterling (蝶々 D633)


ジェシー・ノーマン、オペラ・ギャルニエ・リサイタル

Concert exceptionnel à l’Opéra Garnier du 04/11/1980 (Archive INA)

Récital Jessye NORMAN accompagnée par Dalton BALDWIN au piano

Franz Schubert(シューベルト)
 Die Allmacht(全能) D.852
 An die Natur(自然に寄せて) D.372
 Am See(湖畔で) D.746
 Der Musensohn(ムーサの息子) D.764

Johannes Brahms(ブラームス)
 Ständchen(セレナーデ) Opus 106 n°1
 Dein blaues Auge(あなたの青い瞳) Opus 59 n°8
 Es träumte mir(私は夢に見た) Opus 57 n°3
 Feldeinsamkeit(野の孤独) Opus 86 n°2 
 Das Mädchen spricht(娘は語る) Opus 107 n°3

Charles Gounod(グノー)
 Ou voulez-vous aller?(どこへ行きたいの)
 Mignon(ミニョン)
 Sérénade(セレナード)
 Aimons-nous(愛し合おう)

Richard Wagner(ヴァーグナー)
 Wesendonck Lieder(5つのヴェーゼンドンクの詩による歌曲集)

Bis(アンコール)

Cäcilie de Richard Strauss (extrait des Quatre lieder op 27)(R.シュトラウス: ツェツィーリエ)

Je suis un peu grise de Jacques Offenbach (extrait de la Périchole) (オッフェンバック: 「ラ・ペリコール」より「ちょっぴり酔っぱらっちゃってるの」)


●Tadahiro Sakashita Official Web Site

師走はいかがお過ごしですか?

ボールドウィンの愛弟子でもあったバリトンの坂下忠弘さんのブログで、貴重な思い出話が書かれています。


SLIPPED DISC

同僚のグレアム・ジョンソン(Graham Johnson)の追悼文が掲載されています。

 

●追悼とVermontでのマスタークラスについての記事

The Lowe Down: Dalton Baldwin brought Vermonters ‘magic moments’


●私が過去に投稿したドルトン・ボールドウィンの記事

フィフティ・フィフティの関係-ドルトン・ボールドウィン

鎌田滋子&ボールドウィン/リサイタル(2008年11月15日 サントリーホール ブルーローズ)

メゾソプラノ本多厚美リサイタル~ダルトン・ボールドウィンとともに~(2011年11月22日 サントリーホール ブルーローズ)

大塚恵美子&坂下忠弘Joint Concert~Dalton Baldwin氏を迎えて~(2012年11月15日 ルーテル市ヶ谷センターホール)

大島富士子&ダルトン・ボールドウィン/リーダーアーベント(2012年11月20日 ルーテル市ヶ谷ホール)

鎌田滋子ほか&ダルトン・ボールドウィン/プーランク没後50年記念ガラコンサート(2013年11月19日 白寿ホール)

ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)逝去(1931.12.19-2019.12.12)

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ドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)逝去(1931.12.19-2019.12.12)

大好きなアーティストがまた一人天に召されました。

ピアニストとして、そして後進の指導者として、歌曲の普及発展に大きく貢献されたドルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)が2019年12月12日(木)に亡くなりました。一般的にはダルトン・ボールドウィンと表記されることが多かったのですが、NHKではより正確なドルトンという表記が使われていました。

ある記事によると、ミャンマーと日本で指導した後家路につく際に亡くなったとのことです。

https://slippedisc.com/2019/12/reports-jessye-normans-accompanist-has-died/

1週間後には88歳の誕生日を迎えるはずでした。87歳といえばジェラルド・ムーアが亡くなった年齢でもあります。長生きだとは思いますが、クラシック音楽を聴き始めた当初から馴染みのあったピアニストで、何度も実演を聴けたこともあり、とても寂しいです。

ボールドウィンの名前と切っても切れないのがフランスの名バリトン、ジェラール・スゼーで、ベルナック&プーランク、パンゼラ、モラーヌの流れを汲み、二人でフランス歌曲を網羅的に録音し、世に広めてきました。

数ヶ月前に亡くなったジェシー・ノーマンとも素敵な録音を残していますし、スゼーに次いで沢山共演したエリー・アーメリング、さらにアーリーン・オージェ、フレデリカ・ヴォン・スターデ、ニコライ・ゲッダ、スティーヴン・キンブロー、ジョゼ・ヴァン・ダム等世界中の歌手たちから求められるピアニストでした。

いろいろ書きたいことはあるのですが、整理してまた記事をアップしたいと思います。

歌曲を聴く喜びを常に教えてくれたドルトン・ボールドウィンに心から感謝したいと思います。

どうか安らかに。

https://www.wfmt.com/2019/12/14/dalton-baldwin-pianist-who-shared-stage-with-gerard-souzay-for-30-years-has-died/

https://www.google.co.jp/amp/s/amarketnews.com/2019/12/13/dalton-baldwin-death-obituary/amp/

https://www.francemusique.fr/actualite-musicale/mort-du-pianiste-dalton-baldwin-figure-des-accompagnateurs-79513

https://www.google.co.jp/amp/s/www.nicematin.com/amp/culture/dalton-baldwin-le-plus-antibois-des-pianistes-americains-est-decede

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