エリー・アーメリング86歳の誕生日
エリー・アーメリング(Elly Ameling)が2019年2月8日に86回目の誕生日を迎えました。
アーメリングは日本でのさよならコンサートで来日した1996年春に「音楽の友」誌のインタビューに応じています。
その中で彼女のお気に入りの録音は?という質問に対して、「自分の録音を聞くのは好きではない。どれも私の理想との違いを感じてしまうから」というようなことを答えていました。
そういえば、かのシュヴァルツコプフ女史も、来日公演をラジオ用に録音したところ、ご自身のチェックが厳しすぎて、放送できる曲が足りなくなってしまったので、急遽別日の公演も録音したということがあったようです。
それほど自身の芸に対しても厳格な聞き方をしているのはどこまでも高みを追求する芸術家のさがなのかもしれませんが。
アーメリングは前述のインタビューで、ヴォルフのミニョン歌曲群の録音は悪くないですと言っていました。
私もこの録音は以前から大のお気に入りだったので、彼女自身もいいと思っていたと知り、嬉しくなったものでした。
その中からの1曲です。
ヴォルフ(Hugo Wolf)/ミニョンⅢ「このままの姿でいさせてください(Mignon III "So laßt mich scheinen, bis ich werde")」
エリー・アーメリング(Elly Ameling)(S), ルドルフ・ヤンセン(Rudolf Jansen)(P)
1981年6月&8月, Haarlem録音
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Mignon III
ミニョンⅢ
So laßt mich scheinen, bis ich werde,
Zieht mir das weiße Kleid nicht aus!
Ich eile von der schönen Erde
Hinab in jenes feste Haus.
天使になるときが来るまで、このままの姿でいさせてください、
私の白い衣裳を脱がさないでください!
私はこの美しい地上から
あちらの堅牢な家へと急ぎ降りて行くのです。
Dort ruh' ich eine kleine Stille,
Dann öffnet sich der frische Blick;
Ich lasse dann die reine Hülle,
Den Gürtel und den Kranz zurück.
あちらで私は少しの間静かに休むと、
新鮮な視界が開けます。
そしてきれいな服も
ベルトも冠も置いてきてしまうのです。
Und jene himmlischen Gestalten
Sie fragen nicht nach Mann und Weib,
Und keine Kleider, keine Falten
Umgeben den verklärten Leib.
そしてあの天上の方々、
彼らは男も女も問いません。
衣服やひだのついた翼を
浄化された身体に纏うことはないのです。
Zwar lebt' ich ohne Sorg und Mühe,
Doch fühlt' ich tiefen Schmerz genung.
Vor Kummer altert' ich zu frühe;
Macht mich auf ewig wieder jung.
私は憂慮も苦労もなく生きてきたことは確かですが、
深い苦痛は充分に味わいました。
悲しんだあまり、私はあまりにも早く老けこんでしまいました。
私をまた永遠に若がえらせてください。
詩:Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)
曲:Hugo Wolf (1860-1903)
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ジェラルド・ムーアの名著『お耳ざわりですか(Am I too loud?)』の中で、彼がシュヴァルツコプフとこの曲を録音した時に、彼女のように楽譜通りに最後の一行で高く音程をあげなからデクレッシェンドで消えるように見事に歌えた人はいないというように称えていました。
当時はそうだったのかもしれません。
しかし、このアーメリングの録音で、最後の一行"Macht mich auf ewig wieder jung."を聞いてみてください。
"ewig(永遠に)"を文字通り長く伸ばしながら高音から一気に下降し、"wieder(再び)"でさらに下降して、最後の"jung(若い)"で急激な上昇をします。
この"jung"をシュヴァルツコプフは最初から弱く歌い、さらにデクレッシェンドしていますが、アーメリングは"jung"のはじめの方は普通の音量で、その後に声を絞り込んでいきます。
レガートを維持しつつ、言葉も明晰に発音しながら、声の盛り上げと絞り込みによって、私たちを曲の世界に惹きこんでくれます。
彼女は特に円熟期以降、声を絞り込んでいく技法に磨きをかけていきます。
1981年という円熟期に差し掛かってきた頃にこの「ミニョン」で彼女は素晴らしい歌唱を聞かせてくれました。
これは私にとってアーメリングの録音史に輝く素晴らしい記録の一つだと思います。
もちろんルドルフ・ヤンセンの緊張感の持続した素晴らしく繊細なピアノも特筆すべきだと思います。
皆さんもよろしければ聞いてみてください。
この絞り込みの技法がその後も美しく開花していきますが、とりわけ1989年録音のHyperionのシューベルト歌曲全集の第7巻の中でアーメリングが歌った「イーダより(Von Ida), D 228」(グレアム・ジョンソンのピアノ)は素晴らしいです。
有節形式で3節分を歌っていますが、各節の最後の絞り込みには呪縛されました。
サンプルはこちら(曲目の左にある八分音符2つのマークをクリックすると1分ほど抜粋が聞けます)
美声、可愛らしい、清楚といった彼女の美点の、さらに別の側面を知っていただければ嬉しく思います。
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コメント
フランツさん、こんばんは。
高音でのPPはとてもむつかしいのですが、更にそこにディクレッシェントをかけるのはなおむつかしいですよね。しかも一度低音部を出した後ですし。
「君こそ憩い」の中でも、実に美しい高音でのPPを聞かせてくれていますが、本当に聞き惚れてしまいます。
一流の歌手は皆美しいPPを持っていますが、アメリングはもともとの声が美しいこともあって、何度も聴きたくなります。
円熟期の深みを増した音色は、単に澄んで美しいだけでなく、リートの世界に引き込んでくれる深遠さを感じました。そういう意味での美しさも感じる演奏でした。
それにしてもこの曲のピアノパートは、不安になるほどの緊張感がありますね。
投稿: 真子 | 2019年2月13日 (水曜日) 23時10分
真子さん、こんばんは。
実践を経験された真子さんならではの、テクニカルな面でのコメントを有難うございます!
大変参考になります。
私も聴きながら、こんなに上がり下がりしながらボリュームをコントロールするのは難しいのだろうなぁと思います。
アーメリングのマスタークラスの時を思い出してみても、受講生の方々は皆優秀なのですが、アーメリングが求めるフレーズを一息でチャレンジさせられると最後の方は苦しそうだったり、途中で息つぎをしてしまったりと、大変そうなのが素人ながらも感じられます。
このヴォルフの「ミニョン」はシュヴァルコプフで馴染んでいたのですが、アーメリングの録音をはじめて聴いた時は衝撃的でした。彼女の少女のような透明な美声で、これほどの人生の苦悩を重々しく歌うというギャップにまず驚かされました。そして彼女の表現の深化に身体中が身動きとれないほど聴き入ってしまいました。
ピアノのヤンセンも彼の最も優れた演奏の一つではないかと思えるほどに、雄弁さと繊細さを巧みなテクニックと音楽性で聞かせてくれて素晴らしいです。この曲のピアノパートはおっしゃるように緊張感がみなぎっているのですが、こういう素晴らしい演奏を聴くとヴォルフの才能にあらためて驚かされます。
投稿: フランツ | 2019年2月14日 (木曜日) 18時32分
フランツさん、こんにちは。
私はアメリングの事をリートの女王だと思っています。
全くの私見ですが、ミニヨンが薄幸の少女であることを思えば、芸術的に優れていても、あまりに老練な大人の女性を思わせる声だと、聴いていて何か違うなあと思ってしまうのです。
この曲は儚さと憧れ~ウイリヘルムへの慕情とともに死への憧れも含まれているように私には感じられます。
レース編みのように繊細で清楚な声で儚さを出せる一方で、可愛い可愛いで終わらない深さを持ったアメリングならではの演奏ですよね。
その上、アメリングには清澄だけれども温かい音色もありますから、言葉の踏み込みの部分以外でも表現の幅が広いのだと思います。
そう言う意味で、アメリングはリートの女王だと思っています。
マティスやヤノヴィッツなども好きなんですが、じっくりリートを聴きたくなるとアメリングのCDを手にとっています。
録音の数はアメリングにはかないませんが、バーバラボニーも大好きです。ソプラノリリコレッジェーロにはリートはむつかしいと言われていた中で出されたシューベルト歌曲集は絶賛されましたよね。あのCDは私も愛聴盤です。ちなみに彼女のPPもとても美しいです♪
キャスリーンバトルも好きなのですが、彼女はやっぱりオペラの人なのかなあ、と。陰影に欠ける分表現が豊かで、曲が合えばとても嵌るのですが。
彼女たちの可憐な声をピンクに例えると、バトルはまさに桃色!という可愛いピンク、ボニーは青みがかったややひんやりしたピンク、アメリングは桃色と桜色の間くらいのピンク。
そんなイメージです。
ながながと勝手なおしゃべり、失礼しましたm(__)m
投稿: 真子 | 2019年2月15日 (金曜日) 14時59分
真子さん、こんばんは。
アーメリングや他の女声歌手について素敵なコメントを有難うございます!
とても興味深く拝読しました(^^)
真子さんがアーメリングを「リートの女王」と思ってくださっているのは、私のようなファンにとってはとても嬉しいことです。有難うございます!リート歌手の代表的な地位を認められたようで、この称号はとても嬉しく感じます。
彼女は若いころの音楽誌を図書館などで読むと「リートのおばさん」的な扱いをされていて、「まだおばさん呼ばわりするほどではないのに」とちょっと不満でしたが、それだけ親しみやすいということでもあるのでしょうね。
私には若いころの彼女は目もくりくりしていて、愛らしい表情で「どう見てもリートのお姉さんだろう」と内心思っていました。
まぁどうでもいいことですけどね。ちょっと話が横にそれました(^-^;
アーメリングはその透明な美声ばかりに一般の注目がいきがちですが、実はリートの歌唱にとって必要なものをしっかりと備えていてこその素晴らしさなのだと思います。
真子さんも書いてくださっていますが、「清楚」さと「深さ」は両立すると思います。少なくともアーメリングの歌唱を聞くと、一見相反する要素が見事に溶け合っていることに感動することがしばしばあります。もちろんずっと初期の頃の彼女はまだ深みはそれほどではなかったかもしれませんが、それでもリート歌手としてこうあってほしいという要素はすでに持っていたように思えます。
バトルやボニーらとのピンクの表現、面白く拝見しました。そういえば音を聞くと「色」が感じられる人が実際にいるようですね。視覚と聴覚は不思議な関係だと思います。
この「ミニョン」はまだ若い設定なんですよね。複雑な人間関係に翻弄されながら、はかなくもけなげに振る舞うヒロインとして、多くの作曲家の興味を引き付けてきましたが、ヴォルフの作品はとりわけ優れているように私には思えます。
おっしゃるように、まさにヴォルフの描いたミニョンは「死への憧れ」が濃密に込められていると思います。
バーバラ・ボニーも素敵ですよね。彼女の芯のあるクールな美声と爽やかな解釈は、リートに新しい魅力を聞きてに伝えてくれたと思います。彼女のインタビューで、確か若いころ「アーメリングが私のアイドルでした」と言っていた記憶があります。国籍も年齢も違った歌手たちがこうしてリートの伝統をつないでいくのは嬉しいことですね。NHKで以前ボニーのオペラ歌手のためのクラスがシリーズで放送されていましたが、とにかく明るく場を和ませ、よく褒めるという、新しい指導者の姿を見せてくれました。こういう指導者によって教わる歌手たちは幸せだろうなと思いました。
マティス、ヤノヴィツ、バトル、ポップなど、素敵なリート歌手は沢山いますね。
こういう歌手たちの録音が多く残っていることは本当にレコード会社に感謝あるのみです。
投稿: フランツ | 2019年2月16日 (土曜日) 22時24分
こんにちは。
アメリング先生86歳のお誕生日当日、オランダでまさにこの曲をはじめとするWolfのミニョンのレッスンをしていただいていました。今この投稿を拝見しte、Franz様、見てらしたのかしらと不思議な気分です(笑)。とてもお元気でいらっしゃいました。
彼女にとってこの作品群は特別なのだとおっしゃっていました。また他の作曲家の作品とは違い、ヴォルフのミニョンは大人の女性として歌うべきではないか、ともおっしゃっていました。しかし一方で、シュワルツコプの歌う、So lasst mich scheinenは、子供として歌うことに成功している、とも。
厳しい、ありがたいレッスンでした。
投稿: Atsuko | 2019年2月23日 (土曜日) 18時06分
Atsukoさん、こんにちは。
とても貴重なお話をシェアしていただき、有難うございます!
アーメリングさんのお誕生日にAtsukoさんがご本人からヴォルフのミニョン歌曲群のレッスンを受けておられたとのこと、偶然とはいえ本当に不思議ですね。もしかしたら知らない間に私の魂だけが抜け出してオランダにいたのかもしれません。"Und meine Seele spannte / weit ihre Flügel aus"という風に。
お元気と伺い嬉しいです!やはり彼女にとってミニョンは特別なのですね。彼女のマスタークラスのDVDの中でも、ヴォルフの「ミニョン」を指導している場面がありましたし、紀尾井ホールでのさよならコンサートではシューベルトのミニョン歌曲群を歌っていたのが思い出されます。
確かにヴォルフの濃密な作品は少女にしては大人びていますから、あまり少女らしさを意識しない方がいいということなのでしょうかね。アーメリングはもともとの声が若々しいので、ミニョンにはぴったりだと思います。シュヴァルツコプフのミニョンを子供として歌って成功しているという見方は興味深いですね。
Atsukoさんにとって素敵な時間をお過ごしになられたことと思います。
いつかAtsukoさんのミニョンを披露していただけたら嬉しいです。
投稿: フランツ | 2019年2月24日 (日曜日) 14時59分