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シューベルト「秋(Herbst)」D945を聴く

Herbst, D945
 秋

Es rauschen die Winde
So herbstlich und kalt;
Verödet die Fluren,
Entblättert der Wald.
 風がざわめく、
 これほど秋めいて、冷たく。
 野は荒れ果て、
 森は葉を落とす。

Ihr blumigen Auen!
Du sonniges Grün!
So welken die Blüten
Des Lebens dahin.
[So welken die Blüten]
[Des Lebens dahin.]
 おまえたち、花咲いていた野よ!
 おまえ、日の光の照っていた緑よ!
 こうして人生の花々は
 枯れ果てるのだ。

Es ziehen die Wolken
So finster und grau;
Verschwunden die Sterne
Am himmlischen Blau!
 雲が流れる、
 これほど暗く灰色になって。
 星々は
 天上の青で消え去った!

Ach wie die Gestirne
Am Himmel entflieh'n,
So sinket die Hoffnung
Des Lebens dahin!
[So sinket die Hoffnung]
[Des Lebens dahin!]
 ああ、天の星が
 逃げるように、
 人生の希望は
 沈み去るのだ!

Ihr Tage des Lenzes
Mit Rosen geschmückt,
Wo ich die Geliebte
Ans Herze gedrückt!
 おまえたち、春の日々は
 バラに飾られ、
 私は恋人を
 胸に押し付けたものだった!

Kalt über den Hügel
Rauscht, Winde, dahin!
So sterben die Rosen
Der Liebe dahin!
[So sterben die Rosen]
[Der Liebe dahin!]
 丘の上を冷たく
 ざわめき去れ、風よ!
 こうして愛のバラは
 死に去るのだ!

詩:レルシュタープ(Heinrich Friedrich Ludwig Rellstab: 1799.4.13, Berlin - 1860.11.27, Berlin)
曲:シューベルト(Franz Peter Schubert: 1797.1.31, Himmelpfortgrund - 1828.11.19, Wien)

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暦の上では「秋」ですが、もうしばらくは「夏」の名残を感じながら過ごすことになるのでしょう。
せめて気分だけでも「秋」を味わうために、シューベルトのこの曲を聴き比べしたいと思います。

このシューベルトの歌曲「秋」については、以前投稿した記事で触れていますので、よろしければリンク先をご覧ください。
 こちら

私がはじめてシューベルトの「秋」という歌曲を聴いたのは、おそらく1980年代前半にF=ディースカウがブレンデルとPHILIPSレーベルに録音したシューベルト歌曲集のLPだったと思います。
そこで聴いたシューベルトの音楽は、ちょうど歌手人生の秋の時期を歩んでいた(ように感じられた)F=ディースカウの寂れたような声質も相俟って、印象に残りました。

この6節からなるレルシュタープの詩の2節ずつをまとめて1つにして、全部で3節からなる有節歌曲として作曲されました。
最後の2行を繰り返すのですが、繰り返された時の1行目最後の2音節が急激に上昇する箇所はぐっと引き寄せられます(Blüten, Hoffnung, Rosen)。

ピアノパートの絶え間ないトレモロが寂寥感を強調し、聞き手を秋の風吹くうら寂しい情景に連れて行きます。

●ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR) & ジェラルド・ムーア(P)
Dietrich Fischer-Dieskau(BR) & Gerald Moore(P)

これは名演です!F=ディースカウもムーアも気持ちの入った演奏で、惹きつけられます。

●ヘルマン・プライ(BR) & フィリップ・ビアンコニ(P)
Hermann Prey(BR) & Philippe Bianconi(P)
 こちら(これは埋め込み出来ない動画なので、リンクを貼っておきます。)
80年代に「白鳥の歌」の一環として録音された音源。速めのテンポで円熟期のプライが諦観よりもむしろ生の感情を素直に歌っていて、胸に染みます。ビアンコニも見事な描写力です。

●マティアス・ゲルネ(BR) & クリストフ・エッシェンバッハ(P)
Matthias Goerne(BR) & Christoph Eschenbach(P)

楽譜が演奏と共に映されています。ゲルネの深みのある弾力のある声が秋のもの悲しさを見事に表現しています。エッシェンバッハもさすがのうまさです。

●クリスティアン・ゲルハーエル(BR) & ゲロルト・フーバー(P)
Christian Gerhaher(BR) & Gerold Huber(P)

2014年録音。ゲルハーエルの明晰なディクションがここでも生きています。フーバーは抑揚の付け方が細やかでいい演奏です。

●クリスティアーネ・カルク(S) & ブルクハルト・ケーリング(P)
Christiane Karg(S) & Burkhard Kehring(P)

2009年録音。女声が歌うとまた違った雰囲気になります。彼女はかなりドラマティックな起伏を盛り込んで歌っていますね。ケーリングも歌に合わせた協調ぶりです。

●クリストフ・プレガルディアン(T) & アンドレアス・シュタイアー(P)
Christoph Prégardien(T) & Andreas Staier(P)

2008年録音。ここで注目すべきなのは、プレガルディアンが装飾を付けて歌っていることです。当時、シューベルトと共に彼のリートを歌ったフォーグルはかなり装飾を付けて歌ったらしく、それを意識した試みだと思われます。

●ピアノ伴奏のみ(Hye-Kyung Chung)(P)

トレモロを聴いているだけで肌寒い情景が目に浮かびます。速めのテンポで演奏されています。

【参考】管弦楽編曲版(ケヴィン・ハルピン編曲)
Orchestral arrangement by Kevin Halpin - strings, woodwinds and timpani.

様々な音色で、秋をドラマティックに描いています。面白い試みだと思います。

【参考】フランツ・リストによる同じテキストによる歌曲(グンドゥラ・ヤノヴィツ(S) & アーウィン・ゲイジ(P))
Liszt: Es rauschen die Winde (Gundula Janowitz(S) & Irwin Gage(P))

1977年ライヴ録音。同じ詩とは思えないほど、リストの音楽は濃厚で劇的です。

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コメント

プレガルディエンで聴いています。装飾といっても過多にならず、節度と感覚の良さを感じます。曲からは晩秋の印象を受けます。

投稿: 田中文人 | 2018年9月 9日 (日曜日) 18時54分

田中文人さん、こんにちは。
プレガルディアンは実演で聴いた時も装飾をところどころ入れて歌っていたので、馴染みの曲が新鮮に聞こえました。
確かに無理がなく、自然に装飾が溶け込んでいるのは、彼が古楽を得意としていることも無縁ではないのでしょう。
シューベルトの「秋」は確かに初秋ではなく、深まってきた時期の秋の肌寒さを感じさせますね。

投稿: フランツ | 2018年9月10日 (月曜日) 05時36分

フランツさん、こんにちは。

今日はこの曲を聴くのにふさわしい気候でした。

この歌詞を読んでいますと、春もそうでしたが、ドイツ人の捉える秋と日本人の捉える秋のイメージが違いますね。

ディースカウさんの歌唱、素晴らしかったです。
秋の寂しさを避けることなく、むしろしっかりとそこに身を置いていく覚悟、厳しささえ感じる演奏でした。

プライさんはCDを持っていますので、また改めて聴いてみます。

ゲルネの声は晩秋にぴったりですね。
深まりゆく秋、やがて来る厳しい冬を予感させるかのような演奏でした。しかし、大地を包むような声の響きにほっとさせられもします。
ゲルネは、フランツさんのブログでたくさんの演奏をご紹介していただきましたね。聴くたび、いいバリトンだなあと思います。

ゲルハーエルは、比較的若いかたなのでしょうか?ハイバリトンよりの声で言葉を明晰に歌うところなどディースカウさんを思わせますね。
もしかしたら、ディースカウさんに憧れている歌手なのかな、なんて思いました。
改めて「君は安らい」コーナーに書こうと思っていますが、あるところの歌い回しがよく似ていました。

プレガルティアンの試み、おもしろいですね。
バロック期(その前?)から歌手は結構好きに歌っていたようですね。
勝手に装飾音符を付けられるのが嫌で、ロッシーニは装飾音符もすべて書き込んだと聞いたことがあります。
シューベルトはどう思っていたのでしょうね。
彼のことだから、にこにこしながら聞いていたかもしれませんね。

投稿: 真子 | 2018年9月25日 (火曜日) 17時03分

パソコンの調子が悪いので、一旦送りましたm(__)m

ソプラノのカルクは、かなり冬よりの秋ですね
歌詞を読めば人生の秋を歌っているとわかりますが、最初にも書いたように日本人なら同じ寂寥感でも、もう少し叙情的な表現をするでしょうね

ピアノだけで聴きますと、トレモロが物悲しさを浮き彫りにしますね これだけでも演奏が成り立っているのは流石にシューベルトだと思いました

管弦楽でのシューベルト
声も(歌詞はありませんが)入っていますか?
ピアノだけの侘しさと比べ、少しもみじの紅や銀杏の黄色が見えた気がしました

投稿: 真子 | 2018年9月25日 (火曜日) 17時26分

真子さん、こんばんは。

そろそろ秋めいてきましたね。
この曲の物悲しいトレモロがだんだん似合う季節になりました。早いものです。

ドイツ人と日本人の感性の違いは、詩によく現れていますね。このレルシュタープの詩は、秋と死の近親性を歌っていると思います。

ディースカウについて「秋の寂しさを避けることなく、むしろしっかりとそこに身を置いていく覚悟」というご感想、なるほどと目から鱗が落ちました!
彼に限らないでしょうが、ディースカウが全身を使ってあらゆる情感を表現する様は凄かったです。微細な表現も劇的な表現も彼が歌うと説得力があるんですよね。
今回の「秋」についても、詩人の視点になりきって感動的な歌を聞かせてくれています。

ゲルネの声は本当に深みがあっていいですよね。しかも重すぎずまろやかな響きにくるまれていると、心地よいです。だから冷たい風の吹き渡る秋の情景なのに温かみも感じられるのでしょうね。

ゲルハーエルはディースカウやシュヴァルツコプフのマスタークラスを受けています。ディースカウからはディクションの明晰さを受け継いだように感じます。ゲルネより二歳若いだけなので、ほぼ同世代ですね。ゲルネと対照的なハイバリトンが耳に心地よいです。私はハイバリトンの響きが特に好きなんです。彼には沢山録音を残してもらいたいです。

プレガルディアンは古楽の経験が豊かだったので、リートの装飾もお手の物でしょう。シューベルトがよく伴奏したフォーグルという歌手の装飾が楽譜の形で残っています。シューベルトはおそらくフォーグルが自由に装飾しても何も言わなかったと思いますが、内心はどうだったのだろうと思います。
ロッシーニのエピソード、面白いですね。でも多くの作曲家の本音はロッシーニに近いような気がします。

投稿: フランツ | 2018年9月26日 (水曜日) 20時16分

真子さん、パソコンの調子、どうですか?万が一に備えて大事なデータはバックアップをとっておいた方がいいかもしれませんね。

カルクは来日もしてリートも歌っているようなのですが、最近演奏会はご無沙汰しているので、まだ実演を聴いたことがありません。来年には再来日の予定だったそうなのですが、おめでたの為中止なんだとか。まだ若そうなので、これから徐々に成熟した歌になっていくことでしょう。この「秋」もかなりいろいろな表情を付けた歌い方ですね。

ピアノだけでアップしてくれる人がいるのが動画サイトの有難いところです。もちろん歌の練習用にアップしているのでしょうが、歌なしで聞いてみると、また違った聴き方が出来るので、鑑賞用としても重宝しています。シューベルトの非凡さも感じられますね。

管弦楽版の「秋」、声に似せた響きは電子音なのかもしれません。確かに響きが彩り豊かになるので、秋の情景が目に浮かびやすいですよね。

いつも有難うございます!

投稿: フランツ | 2018年9月26日 (水曜日) 20時21分

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