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アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)の言葉-共演者たちとの思い出など

下記のリンク先に、アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)が2007年頃に"Freunde der Villa Musica"というドイツのラインラント=プファルツ州(Rheinland-Pfalz)の団体のインタビューに答えた記事がありました。
エンガース城のディアーナホール(Diana-Saal von Schloss Engers)という場所での公開インタビューのようです。
過去の共演者についても語っており、とても興味深いので、いくつか抜粋してご紹介します(インタビュアーはこの団体の総裁であるBarbara Harnischfegerという人です)。

 こちら

「歌手の伴奏者は荷物運びの価値しかない」という偏見と伴奏者たちはずっと闘ってきた。
ゲイジはカールスルーエのプラットホームでのエピソードを語って、ほくそえんだ。
「私のかばんをソプラノのジェシー・ノーマンが持ってくれたんですよ。私よりも彼女の方が力持ちですからね。」

ゲイジは自分の契約をエージェントに主張した最初の伴奏者らしい。ジェラルド・ムーアでさえそうではなかったとのこと。

ゲイジはアメリカ合衆国のオハイオ州クリーヴランドに生まれた。
母親はロシア人、父親はハンガリー人だった。
4歳からピアノは弾いていたが、本格的に勉強したのは18歳の時。
ゲイジの母親は指揮者のジョージ・セルと親しく、グレン・グールドにピアノを聞いてもらう仲介をしてくれた。
13歳の時、ピアノを完全にやめて、野球に打ち込んだ。
ミシガン大学では、将来駐日アメリカ大使になろうとして、日本語を勉強した。
その後、イェール大学へ行き、文学を専攻する。
「パーティを開く代わりに、私たちは夕方図書館でテキストを朗読していたのです」
このようにして自然に例えばマックス・レーガーの作品全集を知り、文学を通じてリートに行き着き、再びピアノを弾くことになる。
「私にとって芸術は神聖なもの(Heilige Kuh)ではなかったのです。私はスポーツ観戦するよりも早くからピアノを弾いていたのです。」

1963年にゲイジはヴィーンへ渡る。
「アメリカ人はヨーロッパに2年ほど滞在するものでした。」
しかし、ゲイジは今にいたるまでチューリヒに住み続けている。

ヴィーンでは向こう見ずにも当時の大歌手に手紙を出して知り合おうとした。

フリッツ・ヴンダーリヒのエージェントからこんな返事がきた-「アメリカ人がヴンダーリヒの伴奏をしたいとどうして思ったのでしょう」
1966年にヴンダーリヒはすでに亡くなっていた。

グンドゥラ・ヤノヴィッツからはこういう返事がきた-「今私の伴奏をヘルベルト・フォン・カラヤンがしてくれているのですが、あなたに弾いてもらう日もくるでしょう。」
カラヤンが病気になった時、ゲイジは列車に乗ってヤノヴィッツの許に向かった。
演目はヒンデミットの「マリアの生涯」だったが、ゲイジはヒンデミットを知っていた。イェール大学時代の先生だったのだ。

ヴィーンで学んでいた時、ゲイジはリート伴奏家のエリク・ヴェルバの譜めくりとして演奏会ツアーに同行を許された。
「父親が歯医者で、毎月小切手を送ってくれたので、ぶらぶら過ごすことも出来たでしょう。」
ゲイジはヴィーンのユーゲントシュティール時代の歌曲シリーズで名前を知られるようになった。
彼はアルバン・ベルク夫人と知り合い、戦後初めてヴィーン・コンツェルトハウスでベルク作品の入ったプログラムを演奏した。
これらの成功によって、上層部はエリー・アーメリングのリートコンサートを彼に依頼した。
「このオランダ人女性は私にとって最良のシューベルト歌手でした。」
アーメリングと詩の内容を議論することで「彼女から私はシューベルト歌曲を理解することを学んだ。」

その後、彼は同時代の大歌手たちと演奏した。その際、彼はいつもパートナーと同価値であろうとした。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは、「呼吸のしかたが違います」とゲイジに言われて気分を害した。
「ここでブレスすれば、このフレーズを最後までたやすく歌えますよ」とゲイジは助言し、実際うまくいった。
しかしフィッシャー=ディースカウは「アメリカ人の野球プレーヤーが、私フィッシャー=ディースカウにこうすればよいとよく言えるものですね。」
そして、これが一緒に演奏した最後となった。

ヘルマン・プライに対しては、彼が楽譜を見ずに合わせてみて、音楽的に不確かな箇所があったとしても、これまで得た教訓から何も言わなかった。
「私たちはみんなフィッシャー=ディースカウの影響を受けていた。でもプライは模範的なディクションをしていた。言葉を強調し過ぎるフィッシャー=ディースカウよりもプライの方が良いディクションだった。」
「プライは親切で、父親のようでさえあり、愛想が良く、そして傷つきやすかった。」
「彼の美点はナチュラルなところです。あれこれとやるのではなく、我々は音楽を奏でたのです。」
ゲイジは師のヴェルバの言葉を引用する。「思い悩んだり、試行錯誤するのは、コンサートの舞台ではなく、家でやることだ。コンサートではなにもかも忘れて、準備をしていないように演奏しなければならない。どのコンサートも重要だ。それが村のホールだろうが、カーネギーホールだろうが一緒である。私の与え得るものをすべて感情にのせるのだ。」

ゲイジは2年前にやむなくピアノ演奏を断念した。ローマン・トレーケル(※訳注:原文ではNorman Trekelと書かれていますが、おそらく誤植と思われます)とのアムステルダムでの「冬の旅」が彼の最後のコンサートとなった。
彼は指先を負傷していたのだった。
コンクールやマスタークラスの仕事で多忙だったので、演奏からの引退はそれほど悲しまずに受け入れることが出来た。

クリストフ・プレガルディエンと演奏する時はいつも過剰なほどの感情表現をこめて演奏していた。
プレガルディエンはもっとあっさりした方が好みかもしれない。
「私たちは水と油でした。いつも沢山議論しましたが、我々はお互い好感をもっています」

マティアス・ゲルネをゲイジはよく知っていた。「私はゲルネのはじめての伴奏者でした。私と演奏していた頃、彼は若くて礼儀正しかった。」
ゲルネのロンドン・デビューの時、ロンドンっ子がすでによく知っていたゲイジに対しては良い批評が書かれ、新人のゲルネに対しては悪く書かれた。
それによってゲイジはゲルネを失った。
「ゲルネは決して悪い演奏ではなかった。ただ、大都市で最初に演奏する時にはよくあることなんだよ」
最後にゲイジはいたずらっぽく付け加えた。「もっともピアニストはあまり良い演奏をしない方がいいのだろうね」

ゲイジにとってリートとは?
「それは言葉で言うことは出来ないです。それはテキストと音楽の融合であり、私のファンタジーを促すものです。リートは私の人生です。私の本質はすべてリートです。それは私の私的な世界なのです。」

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アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)特集ラジオ放送(SWR2: 2018年4月22日(日))

先日78歳で亡くなった歌曲ピアニストのアーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)を特集したラジオ放送がドイツのSWR2で放送されるようです。

2018年4月22日(日)日本時間22:05-24:00(現地時間15:05-17:00)

 SWR2のサイトはこちら

SWR2の放送は、上記のサイトの真ん中あたりにある"Webradio an!"という青い箇所をクリックすると、別ウィンドウが立ち上がるので、その下の方の ">>SWR2" の矢印マークをクリックすると聞けます。

なお、放送後、しばらくは下記のサイトで好きな時に聞けるようです。

 Rückschau und Nachhören

曲目リスト等は次のリンク先をご覧ください。

 曲目リスト等、番組詳細はこちら

上記サイトのリストの中で注目すべき録音がいくつかあります。

・F=ディースカウとのシューベルト「魔王」
・トレーケルとの「冬の旅」抜粋

そして、ゲイジのピアノ独奏(!!!)で、シューベルトのピアノ小品3曲
・即興曲 D 935-1
・12のドイツ舞曲 D 790
・ハンガリーのメロディー D 817
も放送されるとのことです。

今挙げた曲目はおそらくスタジオ録音されていないと思われるので、すべてライヴ録音と推察されます。
まさかゲイジのシューベルト・ソロの録音が聴けるとは思ってもいませんでした(オーストリアのシューベルティアーデで演奏しているはずなので、その時の録音でしょうか)。

この放送は2003年にMarlene Weber-Schäferという人がゲイジと語った内容の再放送のようです。

アーメリングやヤノヴィッツ、ファスベンダー、オジェー、ノーマン、ポップといった名歌手たちとの録音や、ゲイジの伴奏パートのみのシューベルト「春に」の録音も聞けるようで今から楽しみです(これらはおそらくCD録音と思われますが)。

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曲目リストは放送が終わればいずれ上記のサイトから削除されると思われますので、下記に転載しておきます。

Franz Schubert:
"Gretchen am Spinnrade", Lied D.118
Cheryl Studer (Sopran)
Irwin Gage (Klavier)

Franz Schubert:
"Die Forelle", Lied D.550
Elly Ameling (Sopran)
Irwin Gage (Klavier)

Anselm Hüttenbrenner:
"Lerchenlied"
Gundula Janowitz (Sopran)
Irwin Gage (Klavier)

Robert Schumann:
Nr. 5 bis Nr. 7 aus dem Liederkreis op. 24
Brigitte Fassbaender (Mezzosopran)
Irwin Gage (Klavier)

Wolfgang Amadé Mozart:
"Abendempfindung", Lied KV 523
Arleen Auger (Sopran)
Irwin Gage (Klavier)

Gustav Mahler:
"Das irdische Leben" aus der Sammlung "Des Knaben Wunderhorn"
Jessye Norman (Sopran)
Irwin Gage (Klavier)

Franz Schubert:
"Der Erlkönig" D.328
Dietrich Fischer-Dieskau (Bariton)
Irwin Gage (Klavier)

Franz Schubert:
"Im Frühling", Lied D.882, Klavierbegleitung solo
Irwin Gage (Klavier)

Franz Schubert:
Ausschnitt aus dem Liederzyklus "Die Winterreise"
Roman Trekel (Bariton)
Irwin Gage (Klavier)

Richard Strauss:
"Blauer Sommer", Lied op. 31 Nr. 1
Lucia Popp (Sopran)
Irwin Gage (Klavier)

Franz Schubert:
Impromptu f-Moll D. 935 Nr. 1
Irwin Gage (Klavier)

Franz Schubert:
12 Deutsche D. 790
Irwin Gage (Klavier)

Franz Schubert:
Ungarische Melodie h-Moll D. 817
Irwin Gage (Klavier)

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アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage: 1939.9.4-2018.4.12)の動画

IRWIN GAGE - DER BEGLEITER
アーウィン・ゲイジ-伴奏者

ゲイジのドキュメンタリーの一部。
ルチア・ポップ(Lucia Popp)とのR.シュトラウス「子守歌(Wiegenlied)Op. 41-1」のおそらくリハーサル風景。
討論をしつつも和気藹々とした雰囲気が伝わってきます。


Tom Krause - Auf dem Flusse, Die Winterreise
トム・クラウセ-川の上で(シューベルト「冬の旅」より)

フィンランドのバリトン、トム・クラウセとの「川の上で(Auf dem Flusse)」のおそらく練習風景。
クラウセのドキュメンタリーでしょうか。
ゲイジの弾くバス音がずしりと重量感があります。


Schubert_Der_Atlas_Schleswig_Holstein_Musikfestival
シューベルト「アトラス」(シュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭)

エスター・デ・ブロス(Esther de Bros)と共にシューベルトの「アトラス(Der Atlas)」を指導するゲイジ。受講者の歌手はヤン・ブッフヴァルト(Jan Buchwald)
この受講者、F=ディースカウのマスタークラスの映像にも出ていたような気がします。


Arleen Auger Morgen Richard Strauss 1988 YouTube 9
アーリーン・オジェー歌唱、R.シュトラウス「明日」

オジェーとゲイジによるR.シュトラウス「明日(Morgen)Op. 27-4」のコンサート映像。ゲイジの歌うような演奏が味わえます。オジェーの透明な美声も素敵です。

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アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)の思い出

Irwin_gage_2


アーウィン・ゲイジという名前をはじめて知ったのがいつだったのか、記憶を手繰り寄せてみたところ、ある一つの情景が浮かんできました。
私は中学生の音楽の授業でシューベルトの「魔王」を鑑賞したことがきっかけでクラシック音楽を聴くようになったのですが、最初に「魔王」の入った音源を探していたところ、「野ばら」と題された世界の名歌が収録されたカセットテープを見つけたのでした。
なけなしのお小遣いでそのテープを買った私は当然まずは4番目に入っている「魔王」まで早送りをしては何度も繰り返し聞いていました。
そのテープはDeutsche Grammophonの音源だったので、F=ディースカウ&ムーアの歌曲全集の中の音源が使われていました。
今でも私にとって「魔王」といえばその音源が真っ先に思い浮かびます。
実際に演奏も素晴らしかったですし、何度繰り返し聞いたか分かりません(今でもCDで聞いています)。
そして、「魔王」熱がひとまず収まると、そのカセットテープに入っていた他の歌曲も聴くようになりました。
ヴンダーリヒ&ギーゼンの「ます」「野ばら」「セレナーデ」、シュライアー&オルベルツの「歌の翼に」、マティス&クレーのモーツァルト「春への憧れ」などがありましたが、その中でシューベルトの「アヴェ・マリア」を演奏していたのが、クリスタ・ルートヴィヒ&アーウィン・ゲイジでした。

私とゲイジとの最初の出会いは間違いなく、そのカセットテープでの「アヴェ・マリア」にあったと思います。

「歌曲」というクラシック音楽ファンにとって"脇道"にある芸術に心惹かれた私は、さらに"脇道"に逸れて、歌手以上にピアノ伴奏者に注目することになります。
このカセットテープには表裏に記載された1枚の解説書が入っていたのですが、歌手についての紹介はあっても、ピアニストの紹介は一切ありません。
「魔王」の壮絶な三連符を見事に弾いていたジェラルド・ムーアというピアニストはどういう人なのだろう、という疑問を抱きながら、歌曲のLPレコードを収集する日々が続きました。
とはいえ、当時学生の身、限られたお小遣いであれこれ買えるはずもなく、当時はFM放送の番組表が2週間ごとに書店に並んでいた時期だったので、その番組表の曲目を見ながらエアチェック(ラジオ放送を個人的な楽しみのためにテープに録音すること)をし始めました。

FMラジオでは、LPレコードの新譜なども流れますが、特に歌曲ファンにとって有難かったのが、海外の音楽祭ライヴ放送でした。
夜に2時間弱クラシックライヴ番組があるのですが、たまに一週間ぐらいオーストリアやドイツで行われた歌曲コンサートのライヴ録音がシリーズで流れるのです。
当時テノールのフランシスコ・アライサが勢いを増している時期で、FMでも彼のシューベルトの歌曲が多く放送されたのです。
その時の伴奏者はほぼアーウィン・ゲイジでした。
一方、シューベルトの完成された最初の歌曲「ハガルの嘆き」という20分ぐらいかかる長大な歌曲をソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツがライヴで歌った時もゲイジが共演していました。
そんな風にゲイジの演奏はFMラジオから沢山流れてきて、いつの間にか馴染みの深いピアニストになったのでした。

そうこうするうちにNHKの教育テレビ(現在のEテレ)でアライサが来日公演で歌った「美しい水車屋の娘」が放送されることになりました。
伴奏者はもちろんゲイジです。
インターネットなどなかった時代、ゲイジの弾く録音は聞いていても、その容姿を見たことなどなく、テレビ放送が待ち遠しかったことを思い出します。

歌曲におけるピアノ伴奏者の役割について、その重要性はすでに認識されていた時期だとは思いますが、テレビ放映となるとまた話は違ってきます。
容姿端麗(当時イケメンなどという言葉ももちろんありません)のメキシコ人、アライサの絵になる歌いっぷりが映像のほとんどを占め、たまに申し訳程度にゲイジの姿(主に手のみ)が映ります。
それでも私にとっては、音でしか知らなかったピアニストの姿を見ることが出来て、嬉しかったことを覚えています。

その時の映像が幸い動画で見れますので、最初の数曲を貼っておきます。

そのうち、ポップ、ファスベンダー、ノーマン、オジェー、そしてアーメリングなどのLPレコードや80年代半ばから取って代わったコンパクトディスクという媒体により、ゲイジの演奏を聴く機会は増えていきました。

大学生になると、実際に演奏を聞いてみたいということになり、当時頻繁に来日していたアライサのリサイタルではじめてゲイジの演奏を聴くことになります。

当時のアライサは素晴らしかったです。
リートの伝統を踏まえていないことを自覚していて、自分にしか出来ない演奏を最初から目指しているのですが、それがなかなかいいのです。
特にライヴだと、その場の空気も相俟って感銘深いシーンにいくつも出会いました。
そして、ゲイジはレコードで聞くと、かっちりと作曲家の意図に忠実に演奏していることが多いのですが、実演ではかなりのめり込むようなデフォルメがなされることがありました。
例えば、途中で止まってしまうのではないかと思うほどテンポを大胆に揺らしたりすることもありました。
おそらく繰り返し聞く録音媒体ではそれは大げさに聞こえてしまうのでしょうが、一度限りの実演においては、その場の空気を察知することが大切なのだと思います。
確かに、その大胆なルバートはコンサート会場においてはいささかも大げさに聞こえないどころか、胸に強く訴えかけてくるのです。

アライサとゲイジがよくアンコールで演奏した「カタリ・カタリ」のドラマティックな演奏は本当に胸に迫ってきて込み上げてくるものがありました。
録音媒体とライヴの違いをまざまざと体験させてくれたという意味でアライサ&ゲイジの例は非常に印象深いものでした。

ムーアやパーソンズといった名手たちは、切れの良さと起伏に富んだドラマの妙で聞かせてくれましたが、ゲイジは決してピアノを粒立ちそろった美しい音で弾こうとはしていないように思います。
彼はペダルも惜しまず使うピアニストなのですが、それが時に重ったるく感じられることもありました。
ただ、彼は音色に独特の感性を持っていたように思います。
切れの代わりに音色のパレットの豊富さで、歌手たちを豊かに包み込むような演奏という感じでしょうか。
「うまい伴奏者ね」と言われるよりも「いい曲ね」と言われることを目指していたのではないか-そんな風に思うのです。

彼は歌曲の伴奏者がまだまだ注目されていないことをおそらく自覚していたのではないでしょうか。
70年代にヤノヴィッツやルートヴィヒと録音したシューベルトの歌曲集のジャケットに歌手と一緒に彼も写っています。
当時は歌手のみがジャケットに写ることが多かったと思うので、ゲイジは意図的に伴奏者も表に出ようとしたのではないかと推測されます。

そういえば、アライサのリサイタルのプログラム冊子で、何度かゲイジについてのエッセーが掲載されていましたが、これは他の歌手のコンサートプログラムではほとんどないことでした。
演奏だけでなく、メディアの露出という面でも伴奏者はもっと表に立つべきだと彼が考えたのではないだろうかと思わずにはいられません。

以前、音楽の友ホールでゲイジが日本人学生のためにマスタークラスを開いたことがありました。
彼は教師としても常に紳士で、決して声を荒げることなく、歌手とピアニストに助言を与えていました(英語1割、ドイツ語9割ぐらいだった記憶があります)。
シェーンベルクの「期待」という歌曲を扱った時にピアノの雰囲気を伝えるために、ゲイジはホラー映画(タイトルは忘れてしまいましたが)の名前を出して、不気味な様を指導していたのを覚えています。
ブラームスの「五月の夜」をレッスンしていた時に、最後を締めくくる後奏を彼が模範演奏した時、その場の空気が上の方へと吸い上げられてしまうかのような体験をしました。あの時の感銘はいまだに忘れられません。

私が彼の実演を聞いたのはほとんどアライサのコンサートだったように記憶しています。
あとルネ・コロとクリスティーネ・シェーファーが1回づつぐらいあったかなという感じです。

海外では女声歌手たちから引く手あまたの彼ですが、遠い国へはさすがにそうそう頻繁に来るわけにはいかなかったでしょう(1970年代にはローテンベルガーやヤノヴィッツと来日していたようです)。

歌曲を聴く素晴らしさを教えてくれた演奏家は沢山いますが、ゲイジも間違いなくその中の一人でした。

彼の名前と演奏はこれからは録音を通してずっと生き続けていくことと思います。

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最後に、彼のコンサート記録のいくつかが見られるサイトをご紹介しておきます。青い文字をクリックすると、それぞれのサイトに飛びます。

(1) Schubertiade Schwarzenberg Hohenems
シュヴァルツェンベルク、ホーエネムス、シューベルティアーデ

Vergangene Veranstaltungenをクリックすると、出演した公演の日程が表示されます。
各日付の右端の"Details"をクリックすると、詳細が表示されます。

1979年6月23日から1993年6月27日まで21公演に出演。


(2)SALZBURGER FESTSPIELE
ザルツブルク音楽祭

1970年8月15日から1992年8月30日まで14公演に出演。

GUNDULA JANOWITZ 1970,1972,1974,1976
TOM KRAUSE 1970,1973,1982
LUCIA POPP 1983
EDITA GRUBEROVA 1984
FRANCISCO ARAIZA 1985,1986,1987,1989
CHERYL STUDER 1992


(3)Wien Musikverein
ヴィーン・ムジークフェライン

1963年6月26日から2003年4月2日まで68公演に出演。

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追悼アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)

歌曲のピアニストとしてステージに録音に活躍してきたアーウィン・ゲイジ(Irwin Gage)が2018年4月12日にスイス、チューリヒで亡くなったそうです。78歳でした。

ソース

Wikipedia

長く闘病生活をしてこられたとは知りませんでした。
昔から馴染んでいたピアニストの一人だったので驚きと哀しみの入り混じった心境です。
彼の実演も録音も沢山の思い出があります。
後で思うことを記事にしたいと思いますが、まずはご冥福を心よりお祈りいたします。

そしてゲイジさん、歌曲の素晴らしさを沢山教えてくれて本当に有難うございました。

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シューベルト「光と愛(Licht und Liebe)」D 352を聴く

シューベルトには美しい重唱曲も多くありますが、中でも比較的知られている「光と愛」という作品をご紹介したいと思います。
詩人は「夜と夢」のテキストでも知られるコリンです。
この曲、二重唱コンサートのアンコールでもたびたび取り上げられ、私が実演ではじめて聴いたのも、中村智子&ウーヴェ・ハイルマン夫妻がノーマン・シェトラーのピアノで歌ったコンサートのアンコールでした。
最初に男声がソロで歌い、中盤で歌に変化が出てきたところで女声のソロに代わり、最後に冒頭の音楽が回帰して二人で美しいハーモニーを奏でます。
ピアノは大きな見せ場はないのですが、歌唱を美しい響きで支えています。


Licht und Liebe (Nachtgesang), D 352
 光と愛(夜の歌)

(Männliche Stimme)
Liebe ist ein süßes Licht.
Wie die Erde strebt zur Sonne,
Und zu jenen hellen Sternen
In den weiten blauen Fernen,
Strebt das Herz nach Liebeswonne:
Denn sie ist ein süßes Licht.
(男声)
 愛は甘美な光。
 大地が太陽や
 青いはるか遠方にある
 あの明るい星々を求めるように、
 心は愛の喜びを求める、
 何故ならそれは甘美な光だから。

(Weibliche Stimme)
Sieh! wie hoch in stiller Feier
Droben helle Sterne funkeln:
Von der Erde fliehn die dunkeln
Schwermutsvollen trüben Schleier.
Wehe mir! wie so trübe
Fühl ich tief mich im Gemüte,
Das in Freuden sonst erblühte,
Nun vereinsamt, ohne Liebe.
(女声)
 見よ!なんと高くに静かな祝典の中で
 頭上の明るい星々がきらめいていることか。
 すると、大地から暗く
 憂いに満ちた、陰鬱なベールが消え失せる。
 なんと悲しいこと!
 かつて喜びに花開いていた気持ちの中で、
 私は深く陰鬱さを感じているのだ、
 いまや孤独の身で、愛を失くして。

(Beide Stimmen)
Liebe ist ein süßes Licht.
Wie die Erde strebt zur Sonne,
Und zu jenen hellen Sternen
In den weiten blauen Fernen,
Strebt das Herz nach Liebeswonne:
Liebe ist ein süßes Licht.
(女声&男声)
 愛は甘美な光。
 大地が太陽や
 青いはるか遠方にある
 あの明るい星々を求めるように、
 心は愛の喜びを求める。
 愛は甘美な光。

詩:Matthäus Kasimir von Collin (1779-1824)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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エッダ・モーザー(S), ペーター・シュライアー(T), レナード・ホカンソン(P)
Edda Moser(S), Peter Schreier(T), Leonard Hokanson(P)

1983年録音。シュライアーの清冽な美声が何とも素晴らしいです!


アンケ・フォンドゥング(MS), コンラッド・ジャーノット(BR), クリストフ・ベルナー(fortepiano)
Anke Vondung(MS), Konrad Jarnot(BR), Christoph Berner(fortepiano)

ジャーノットのテノラールなバリトンの美声と、フォンドゥングの落ち着いたメゾの声が見事に溶け合っています。


エレン・ファン・リアー(S), ロベルト・ホル(BSBR), デイヴィッド・ルッツ(P)
Ellen van Lier(S), Robert Holl(BSBR), David Lutz(P)

実際の夫婦による二重唱。息が合わないはずがないですね。丁寧な歌いぶりがとても心に沁みました。


ジャネット・ベイカー(MS), ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR), ジェラルド・ムーア(P)
Janet Baker(MS), Dietrich Fischer Dieskau(BR), Gerald Moore(P)

1972年録音。ゆったりとしたテンポ設定で抑えた表現をした名手たちの競演です。


ピアノ伴奏のみ

分散和音の簡素なピアノパートながらシューベルトがいかに必要な音を選び抜いたかが分かります。こちらの素敵な伴奏に乗せて歌ってみて下さい。

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アーメリングの出演したオランダのテレビ番組が見られます(2018.4.1)

エリー・アーメリング(Elly Ameling)が出演した"Podium Witteman"というテレビ番組がインターネットで閲覧出来るようになっています。
1時間番組の最初から33分ぐらいまで出演しています。

 こちらのリンク先でご覧ください。

放送日が4月1日ということで、最初に指揮者とオーケストラのちょっとした茶番劇があり、今日がエイプリルフールであることが告げられてほっとするという場面があります。
オランダでもしっかりエイプリルフール・ネタをやるようですね。

最初にタンゴの演奏(Carel Kraayenhof en zijn ensemble)があり、その後にアメリカ人の作曲家Nico Muhly(ニコ・ミューリー)という人の"The last letter: Dear leader of the company"という作品が歌われ(Raoul Steffani(BR), Daan Boertien(P))、それに続いて、始まってから8分経った頃からようやくアーメリングのインタビューコーナーが始まります。
オランダ語のやりとりなので内容は詳しくは分かりませんが、「マタイ受難曲」の話になり、指揮者のアルノンクールがどうとか話しています。
途中でマイクというピアニストがアーメリングへの讃歌と思われる即興風の弾き語りを聞かせ、アーメリング女史も大喜びしていました。
その後話の途中で若い頃の「ます」の録音が流れ、さらにフランスでのマスタークラスを収めたDVDの一部も流れます(プーランク「愛の小道」の指導)。
さらに彼女の弟子のソプラノのレネケ・ライテンからの動画メッセージが流れます。
最後にマスタークラスの話になり、日本(Japan:ヤパン)という言葉が出てくるので日本のマスタークラスのことに触れているようです。
昨年のデームスとのマスタークラスの写真もモニターに映されていました。
その後、バリトンのラウル・ステファーニと弦楽合奏の伴奏でシューマンの「献呈(Widmung)」が歌われました。
アーメリングの終始明るい応対はとてもチャーミングで、サービス精神旺盛のように感じました。
あらためて彼女のバイタリティに敬服しました。

この動画がいつまで見られるのか分かりませんので興味のある方はお早めにご覧ください。

Elly_ameling_podium_whitteman_1_apr←これは公式ツイッターに掲載されていた画面のキャプチャーです。映像は上方の青い文字のリンク先からご覧ください。


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