シューベルト「アトラス」D957-8を聴く
Der Atlas
アトラス
Ich unglücksel'ger Atlas! Eine Welt,
Die ganze Welt der Schmerzen muß ich tragen,
Ich trage Unerträgliches, und brechen
Will mir das Herz im Leibe.
俺は世にも不幸なアトラス!ひとつの世界、
苦悩の全世界を俺は支えねばならぬ。
俺は耐えがたきを背負い、
心は体内で破裂すればいいさ。
Du stolzes Herz, du hast es ja gewollt!
Du wolltest glücklich sein, unendlich glücklich,
Oder unendlich elend, stolzes Herz,
Und jetzo bist du elend.
誇り高き心よ、おまえは望んでいたはずだ!
幸せでありたい、限りなく幸せでありたい、
さもなければ限りなく惨めでありたいと、誇り高き心よ、
いまやおまえは惨めそのものだ。
詩:Heinrich Heine (1797 - 1856)
曲:Franz Peter Schubert (1797 - 1828)
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シューベルトが最晩年になってはじめて手がけたハイネの詩による作品群は、後に出版社によってレルシュタープやザイドルの詩による歌曲と合わせて「白鳥の歌」としてまとめられました。
そのハイネの詩による6曲はどれも最晩年の新しい境地を垣間見せていて、その深淵に戦慄を覚えるものばかりですが、ギリシャ神話に題材をとった「アトラス」は歌曲の限界に挑戦するかのような激しい怒りの表現が聴き手に強い印象を与えます。
音楽は重々しい左手のバスを伴った右手のトレモロのピアノ前奏で始まり、世界を背負った重みと、心の中の自暴自棄を激しく吐露するさまがイメージされます。
A-B-A’の構成をとった歌は高低の音域の広さが際立っていて、落ち着かず苦しむ様が旋律で見事に描かれているように感じられます。
Bの部分で歌もピアノも突然雰囲気を変えるところと、最後に元の音楽に回帰するところが非常に印象的です。
詩の朗読(Susanna Proskura)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)&ピアニスト(おそらくジェラルド・ムーアとの1970年代の録音)
ディースカウの余裕をもった歌唱はほれぼれするほどうまいです。ムーアもただ激しいだけでない音楽としてのゆとりが感じられます。
ハンス・ホッター(BSBR)&ジェラルド・ムーア
ホッターの低音はこの曲と相性ぴったりで、いつもより速めでリズムを強調しながら歯切れよく歌うのが素晴らしいです。ムーアも硬質の歯切れ良いタッチが効果的で見事です。
ヘルマン・プライ&レナード・ホカンソン
5:11-が「アトラス」です。1980年代のプライがまるでもっと若返ったかのようなドラマティックな響きで全身全霊の歌唱を聴かせてくれます。ホカンソンはさすがにプライと息がぴったりです。
ペーター・シュライアー(T)&アンドラーシュ・シフ(1989年録音)
47:39-が「アトラス」です。シュライアーがまだ美声を保っていた頃の貫録の名唱です。シフもよいコンビネーションを聴かせています。
ナタリー・シュトゥッツマン(CA)&インゲル・セーデルグレン
シュトゥッツマンほどこの曲を違和感なくしっかり歌い上げる女声は他になかなかいないのではないでしょうか。セーデルグレンもさりげない巧さが感じられます。
トーマス・E.バウアー(BR)&ヨス・ファン・インマーセール(2013年録画)
期待のリート歌手バウアーも丁寧に歌っていて好感が持てます。重鎮インマーセールのフォルテピアノもこの曲の激しさを十分に表現しています。
Ayhan Baran (BS)&ジェラルド・ムーア
トルコのバス歌手は地の底から響くような狂気を感じてユニークです。ここでもムーアが好サポートしています。
ヴェルナー・ギューラ(T)&クリストフ・ベルナー
ギューラは非常にうまい歌手なので、テノールでも激しい感情の吐露が伝わってきて素晴らしいです。ベルナーも上手い演奏です。
リスト編曲のピアノ独奏版:Valentina Lisitsa(P)
最初のピアノのトレモロが分散和音に変わっていたり、終盤あたりの音楽など、リストの歌曲編曲の中ではアレンジの要素がかなり強い方だと思います。演奏は見事です。
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コメント
フランツさん、こんにちは。
アトラスは、一度聞いたら忘れられないドラマチックな曲ですよね。
私が初めて聴いたのが、プライさんのLONDONの日本盤(1962年。2013年にリリースされた同盤には1963年4月と記載)だったのですが、これがピアニストのワルターと競争しているのかという位のドラマチックな演奏で、しばらくは「白鳥」はこれしか聴けないほどでした。
今回、フランツさんが貼り付けてくださったプライ&ホアンソンは、視聴できなくなっていまし(;_;)。
1984年の映像付きの録音だったのでしょうか?
それで、ディースカウさんの後に出てきた音源で聴きました。
多分、ピアニストがムーアの、1971年フィリップス盤だと思うのですが、彼が残した演奏の中では一番冷静な?演奏だと思います。
プライさんの声の調子が特に良く、特にこういう曲ですと、彼の縦長で、奥行のある声でうたわれると、かっこいいなあ、と思ってしまいます。
ムーアのピアノの音も美しく、これも大変気に入っている録音です(すみません。違う音源の感想で・・)。
音源は違いますが、このような曲に魂を入れ込んで歌う彼の演奏は、どの年代でも変わらないですね。
普段リートはバリトンで聴くことが多いので、シュラーヤーの演奏を新鮮な思いで聴きました。
確かに迫力という点では、低音歌手には及ばないかもしれませんが、線が細く高い音域で歌われる切々とした「アトラス」もいいものだと思いました。
ヴェルナー・ギューラは、シュライヤーに比べてかなりドラマチックなテノールですね。
同じテノールでここまで印象が変わるとは思っていませんでした。
この演奏いいですね!
ディースカウさんは、本当に王者の余裕ですね。
いつも、私などがあれこえ言えない、そんな気持ちになります。
ホッターの速めのテンポは聴いていて胸がすきます。
低音なので、テンポは早くでも重厚ですし、でも、必要以上に深刻にならない感じがいいですね。
トーマス・E.バウアーは初めて聴きますが、丁寧に歌い込んでいく演奏もいいですね。ホッターの胸のすく演奏と対極にあるように思いますが、歌手の個性を感じます。
Ayhan Baran は、前奏からして地下から湧いてくる感じですね。
バス歌手ならではの凄みを感じました。
そして、ムーアという人は、各歌手の個性を活かしながら、ご自身のピアノでも魅了させてくれるすばらしいピアニストですね。
最近、著書「お耳障りですか?」を買いました。
シュトゥッツマンは、カウターテノールで聴いているような不思議な感覚に囚われました。
男性歌手の迫力にはかないませんが、女性でこの曲に挑戦できる人はなかなかいないでしょうね。貴重な録音のご紹介に感謝します。
今回のような劇的な曲では、誰が歌ってもそう変わらないのではと思っていましたが、こんな違う演奏が生まれるとは、聴き比べは本当に面白いですね。
それから、1964年のザルツブルグ音楽祭でのプライさんのライヴ(「白鳥の歌」他、シューベルト歌曲)が届き、毎日2回くらい聴き続けています。
「白鳥」では、アトラスから始まり、斬新な感じがしました。
1963年DECCA,1971年フィリップス、1984年デンオンやDVDのどれとも違う演奏で、DECCA盤が「激情」だとすれば今回の演奏は「熱情」でしょうか。
ムーアのピアノも素敵でした。
うまく説明できないのですが、琴線に触れる音色ですね。
長くなっちゃいました(^_^;)すみません・・・。
投稿: 真子 | 2015年9月18日 (金曜日) 15時32分
真子さん、こんばんは!
ものすごく丁寧なご感想を一つ一つの演奏に対して書いて下さり、感謝あるのみです。
本当に有難うございました(o^-^o)
なんだか真子さんのコメントだけでひとつの記事にしたいぐらいです。
プライのホカンソンとの映像は削除されてしまったようですね。
真子さんはDVDお持ちでしょうから、そちらで再度聴いていただくと、プライがまだまだ朗々と声を響かせていて魅力的に感じられるのではないかと思います。
プライは最初のヴァルター・クリーンとの録音が衝撃的ですよね。あの熱さはちょっと他に比べられないレベルです。ピアノのクリーンは普段モーツァルトのソナタなどを軽やかなタッチで聴かせる人なので、この「白鳥の歌」の熱さはプライに触発されたのかもしれませんね。
ムーアとのフィリップス盤はおっしゃるように冷静沈着な演奏ですね。プライが残した録音のそれぞれに特色があるのは興味深いですよね。
ムーアの「お耳ざわりですか」は、私は中学生ごろに書店で見つけて読みましたが、彼のユーモアや仕事への真摯さなど、人となりが伝わってきて、私の愛読書になりました。
プライについてはわずかに触れられているに過ぎませんが、ムーアはプライを好意的に見ていたようです。
それぞれの歌手たちへの真子さんのコメントがとても納得できて、共感しました。
本当に有難うございました!
投稿: フランツ | 2015年9月18日 (金曜日) 22時11分