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ロベルト・ホル&みどり・オルトナー/~心のふるさと - 春のドナウへの旅~(2015年5月16日 川口リリア・音楽ホール)

ロベルト・ホル(バス・バリトン)
~心のふるさと - 春のドナウへの旅~

2015年5月16日(土)14:00 川口リリア・音楽ホール

ロベルト・ホル(Robert Holl)(バス・バリトン)
みどり・オルトナー(Midori Ortner)(ピアノ)

シューベルト/
春の信仰D686
さすらい人D489
菩提樹D911-5

川のほとりでD539
エアラーフ湖D586
ドナウにてD553

水の上に歌うD774
湖上にてD543
船乗りD536

~休憩~

シューマン/
「ミルテの花」より
 自由な想いOp.25-2
 私はただひとりでOp.25-5(西東詩集・酌童の巻より)
 手荒くするなOp.25-6(西東詩集・酌童の巻より)

亡き友の杯にOp.35-6
旅の歌Op.35-3

ロベルト・ホル/「ヴァッハウ地方の民謡集」より
 我がドナウの谷
 孤独な道
 ヴァッハウの歌
 ヴァッハウ、夢見る娘

~アンコール~
シューベルト/楽に寄すD547
シューベルト/夕映えの中でD799

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オランダの名バスバリトン、ロベルト・ホルのリサイタルを川口リリアホールで久しぶりに聴いた。
ピアノはいつものみどり・オルトナー。
みどりさんのトークとホルへの簡単なインタビューをはさみながらのトークコンサートといった趣だった。

今回は「心のふるさと - 春のドナウへの旅」と題されたプログラミングがされていたが、みどりさん曰く「春の歌を集めて来日したら夏だった」と言って会場を沸かす。
みどりさんのトークははじめて聞くが、ユーモアも交えながらなかなか達者である。
ドナウ川というのはただ良いイメージだけではなく、水難事故も引き起こすおそろしい一面ももっているのだとか。
様々なお話を分かりやすくかみくだいて話してくれたみどりさんには、ぜひ今後もこのようなトークを交えたコンサートを続けてほしいものである。

前半はすべてシューベルト。
比較的知られた春と水の歌が並び、ホルの声は相変わらず朗々と豊かに響き渡る。
体の中から豊麗な響きが分厚く会場を満たすのを存分に堪能したが、もちろんホルの歌唱は作品への誠実で血肉となった自然な表情を伴っていた。
丁寧にじっくり歌われる歌はシューベルトの音楽の温かさを感じさせるものだった。

後半の最初はシューマンのミルテの花から3曲と、ケルナーの詩によるOp.35からの2曲。
こちらは酒の歌が中心。
特に「ミルテの花」の酌童の巻からの2曲は、酔っ払いホルの名演技も見られて楽しかった。「私はただひとりで」は確か2回繰り返して歌われた。

最後のホル自身による作曲(むしろアレンジだろう)の「ヴァッハウ地方の民謡集」のヴァッハウというのは、ドナウ河畔で最も美しい地方とされるワインの名産地だそうだ。
この土地の民謡(作曲者は分かっているらしい)にホルがピアノ伴奏を付けたものらしい。
みどりさん曰く「ホルも20世紀の作曲家だから、独特の和音が感じられる」とのこと。
歌の内容は「孤独な道」を除くと、素朴なヴァッハウ賛歌といった感じだ。
確かにホルによるピアノパートは独特の和音が置かれて、単なる民謡に芸術の香りを付与していると言えるだろう。

アンコールはシューベルトの名歌2曲。
もはや何も語ることはない。
心の底からの名歌唱で感動的だった。

ピアノのみどり・オルトナーはすべてにおいて目の行き届いた細やかな演奏を聴かせてくれた。
ホルの暗めの響きに清澄さを加えていたのはみどりさんの響きゆえだろう。
素敵なピアニストである。

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リートの巨匠ロベルト・ホルによるオープン・レッスン
シューベルトの光と影~リリアのシューベルティアーデ

2015年5月16日(土)16:45 川口リリア・音楽ホール(自由席)

ロベルト・ホル(Robert Holl)(講師)
みどり・オルトナー(Midori Ortner)(ピアノ・通訳)

シューベルト(Schubert)/若き尼D828
大江美里(ソプラノ)
みどり・オルトナー(ピアノ)

シューベルト/丘の少年D702
小野山幸夏(メゾ・ソプラノ)
山内三代子(ピアノ)

シューベルト/ますD550
今井照子(ソプラノ)
西祥子(ピアノ)

シューベルト/ガニメートD544
小島博(バリトン)
小島まさ子(ピアノ)

シューベルト;野田暉行(Teruyuki Noda)(合唱編曲)/アヴェ・マリアD839
女声合唱団リーダークライス
関根裕子(指導・指揮)
高松和子(ピアノ)

シューベルト;リディア・スモールウッド(Lydia Smallwood)(合唱編曲)/楽に寄すD547
混声合唱団アン・ディー・ムジーク
人見共(指導・指揮、ソプラノ)
みどり・オルトナー(ピアノ)

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ロベルト・ホルのレッスンが、演奏会に引き続いて行われた。
みどり・オルトナーも通訳とピアノで登場したが、実際にはレッスンもしていた(特にピアニストに対して)。
当初は18:30終演の予定が大幅にずれこみ、「ガニメード」が終わった時にすでに18:30になっていた。
私は所用の為、残念ながら合唱団のレッスンは聞かずに、「ガニメード」終了時に退出した。

レッスンは一度受講生が1曲まるまる演奏した後で、ホルの指示により、最初から再度少しづつ演奏しては止めて、指導を受けるという形だった。
ホルは簡潔に問題点を語り、それをオルトナーが通訳する。
そして、その通りに受講生が歌えた時はホルはよく出来たというサインをする。
穏やかで気さくな気持ち良い先生だった。

ホルが指導の際よく言っていたのが、「子音をもっと強調して発音する」ということだった。
日本語と異なるドイツ語での歌唱なので、発音に重きが置かれるのは当然であり、リートを歌ううえでやはり外せないところだろう。
また、テキストには重要な単語とそうでない単語があり、すべてを同等に歌うのではなく、重要性を考慮して歌うということが言われていた。
それから曲にのめりこむあまり、演奏が停滞しがちなコンビにはもっと流れるようにテンポを保って演奏するように言っていた。
メカニックに過ぎる演奏者に対しては、むしろオルトナーさんが注意していた。

「ガニメート」の最後の長いフレーズについて、ホル氏が面白いエピソードを披露していた。
彼の師でもあるハンス・ホッターは最後のフレーズを一息で歌えない人はこの歌を歌ってはいけないと言っていたそうだ。
だが、そうすると、この曲を歌える人はわずかしかいなくなってしまうので、息継ぎをしてもいいから、音楽的に演奏することが大事だとホルは言う。
確かにリートはもともと選ばれた大歌手のためだけのものではなく、サロンのこじんまりとして雰囲気の中で歌われていたものだから、高度なテクニックを持たない者にも門戸は開かれているべきだろう。

今回聴いた歌手たちの中で私は最初の大江美里さんの美声と歌唱の素晴らしさに強い印象を受けた。
今後に期待したい歌手である。

また、珍しい「丘の少年」のレッスンもなかなか聞けない貴重な機会で、この曲を選曲したのは勇気がいることだったと思う。
中身の濃いレッスンであった。

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クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース/〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第16篇(2015年5月13日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第16篇
クリストフ・プレガルディエン(テノール)

2015年5月13日(水)19:00 トッパンホール

クリストフ・プレガルディエン(Christoph PRÉGARDIEN)(テノール)
ミヒャエル・ゲース(Michael GEES)(ピアノ)

マーラー(Mahler)/さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)
 第1曲 いとしいひとがお嫁に行く日は(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
 第2曲 今朝ぼくは野原を歩んだ(Ging heut morgen übers Feld)
 第3曲 ぼくは燃える剣をもっている(Ich hab' ein glühend Messer)
 第4曲 いとしいあの子のつぶらな瞳が(Die zwei blauen Augen von meinem Schatz)

ヴィルヘルム・キルマイヤー(Wilhelm Killmayer: 1927-)/ヘルダーリンの詩による歌曲集 第2巻より(Lieder aus Hölderlin-Lieder II)
 やさしい青空に(In lieblicher Bläue)
 人間(Der Mensch)
 あたかも雲を(Wie Wolken)
 ギリシア(Griechenland)

~休憩~

マーラー/《子供の魔法の角笛》より(Aus "Des Knaben Wunderhorn")
 この歌をつくったのはだれ?(Wer hat das Liedlein erdacht?)
 高い知性への賛美(Lob des hohen Verstandes)
 ラインの伝説(Rheinlegendchen)
 原光(Urlicht)
 トランペットが美しく鳴りひびくところ(Wo die schönen Trompeten blasen)
 死んだ鼓手(Revelge)

~アンコール~
マーラー/《5つのリュッケルトの詩による歌》より 私はこの世に捨てられて(Ich bin der Welt abhanden gekommen)

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クリストフ・プレガルディエンとミヒャエル・ゲースによるドイツリートのコンサートがトッパンホールで2夜にわたって行われた。
その1日目を聴いた。
本当は2日目のゲーテ歌曲集も聴きたかったが、残念ながらそちらは見送り。
空席の多さに驚いたが、演奏は真に感動的だった。

1日目のプログラムはマーラー歌曲を中心に、途中に1927年ミュンヒェン生まれというキルマイアーという作曲家のヘルダーリン歌曲集(全3巻)から第2巻最後の4曲が歌われた。

キルマイヤーの歌曲は、最初の「やさしい青空に」が長大なテキストによる規模の大き目な作品である以外は、どれもコンパクトな作品だった。
現代音楽の尖鋭性はここにはほとんどなく、後期ロマン派リートの伝統に位置付けてもおかしくないような曲調だったように感じられる。
ヘルダーリンのテキストによっていることもあってか、どこか深淵なところがあったようにも感じられる。
最初の3つの曲はいずれもピアノ後奏が長めだったのが印象的だった。

プレガルディエンの声は絶好調だった。
前から5列目ぐらいで聴くと、彼の声は確かにテノールなのだなぁと感じられる。
清澄で美しい声は健在で、高音に年齢から来るのであろう若干の苦しい箇所もあったものの、それすらも表現の一部に取り込んでしまう。
もはや細かい箇所をあれこれ論じることが無意味に感じられるほど、一貫して充実した音楽が響き渡った。
その語り口の素晴らしさと、各曲の空気を一瞬にして作り上げる表現は至芸と言っていいだろう。
マーラーの「さすらう若人の歌」では彼の歌唱がまだまだ十分に若者になりきって苦悩を表現していたのが素晴らしかった。
「子供の魔法の角笛」のコミカルかつシニカルな表現をかなり大胆に表現していたのも印象的だった。

ピアノのゲースは相変わらずの濃い演奏であった。
かつて彼の演奏をはじめて聞いた時は鼻白んだものだったが、こうして繰り返し彼の演奏に接していると、ドラマを強烈に強調した彼の音楽づくりはプレガルディエンの歌唱と不思議なほど相性がよいようなのだ。
そこに演奏姿勢の違いからくる居心地の悪さがないのである。
ゲースが蓋全開のピアノから大粒の音を鳴らしても、それがプレガルディエンの表現の一部として確かに絶妙なバランスを保っている。
長年のパートナーだからこそ得られた境地なのかもしれない。

生演奏ならではのハプニングもあった。
プレガルディエンは「ラインの伝説」の確か2節目後半の箇所で突然歌詞を忘れたのか、黙ってしまったのである。
すると、すかさずゲースがかなりのボリュームで歌詞を唱え、助け舟を出したのであった。
ピアノ伴奏者のエピソードとしてよく出てくる類の話だが、実際にこのような場面に出くわしたのは珍しいことである。
ピアノが奏でられている中でそっと気づかれないように歌詞をささやくだけでは、歌手には聞きとれないだろう。
ゲースは楽譜を見ながら弾いていたのは確かだが、あの咄嗟のサポートはおそらく歌詞を暗記していなければ出来なかったのではないか。
そういう意味で私は歌曲ピアニストとしてのゲースにちょっと尊敬の念を抱いたのであった。

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シューベルト/「春の信仰」D686を聴く

Frühlingsglaube, D686
 春の信仰

Die linden Lüfte sind erwacht,
Sie säuseln und weben Tag und Nacht,
Sie schaffen an allen Enden.
O frischer Duft, o neuer Klang!
Nun, armes Herze, sei nicht bang!
Nun muß sich alles, alles wenden.
 穏やかな風が目を覚まし、
 昼夜を問わず、そよぎ、息づいている。
 それはいたるところで活動している。
 おお新鮮な香り、おお新しい響き!
 さあ、あわれな心よ、心配するな!
 今やすべてのことが変わるにちがいない。

Die Welt wird schöner mit jedem Tag,
Man weiß nicht, was noch werden mag,
Das Blühen will nicht enden;
Es blüht das fernste, tiefste Tal:
Nun, armes Herz, vergiß der Qual!
Nun muß sich alles, alles wenden.
 世の中は日ごとに美しくなっていく。
 さらにどうなりたがっているのか誰も知らない。
 花は咲くことをやめようとしない。
 最も遠く深い谷まで花が咲いている。
 さあ、あわれな心よ、苦しみを忘れるのだ!
 今やすべてのことが変わるにちがいない。

詩:Johann Ludwig Uhland (1787-1862)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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真子さんと、Zu-Simolinさんのリクエストにより、シューベルトの「春の信仰」を取り上げます。
もう季節は夏に向かっているようですが、この曲を聴いて、さわやかな春を思い出してみるのもいいのではないでしょうか。
春の到来とともに事態が好転するのだから悩むのはやめるのだと歌われます。
シューベルトの音楽はこれ以上ありえないほどに春の息吹を描き出しています。

歌詞の朗読(Susanna Proskura)

テキストをまず味わってみて下さい。

アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)&ジェラルド・ムーア(P)

ローテンベルガーの爽やかな美声で聴くのは気持ち良いですね。ムーアの縁取りのはっきりした演奏も彩を添えています。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)&ジェラルド・ムーア(P)

なんと柔らかく爽やかな美声でしょう!彼の表現力の素晴らしさに脱帽です。ムーアのピアノがなんとも温かく優しいです!

クリスティアン・ゲアハーアー(BR)&ゲロルト・フーバー(P)

ゲアハーアーの力の抜けた柔らかい美声と語り口に魅了されない人はいないのでは?フーバーが柔らかくそよぐ風のような演奏を聴かせてくれます。

フリッツ・ヴンダーリヒ(T)&ピアノ伴奏(フーベルト・ギーゼン?)

ヴンダーリヒは美声を聴かせながらも、歌いこみ過ぎず抑制が効いています。ピアノも味があります。

ヘルマン・プライ(BR)&レナード・ホカンソン(P)

プライが描き出したのは成熟した大人による春の歌に感じられます。ホカンソンはプライの解釈を徹底して再現しているかのようです。

クリスタ・ルートヴィヒ(MS)&アーウィン・ゲイジ(P)

ルートヴィヒの低めの声は落ち着いた包容力を感じさせます。ゲイジは流れるように演奏しています。

エリーザベト・シューマン(S)&ジョージ・リーヴズ(P)

シューマンの歌はポルタメントが独特の味わいを醸し出しています。リーヴズは内声を浮かび上がらせた演奏を聴かせます。

ピアノ伴奏のみ(演奏者不明)

一部弾かれるべき和音が弾かれていない箇所もありますが、演奏自体はいいと思いますので、伴奏に耳を傾けて、さらに歌ってみて下さい。

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2015《PASSIONS パシオン》(2015年5月4日 東京国際フォーラム)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2015《PASSIONS パシオン》

●2015年5月4日(月) 19:45 ~ 20:30
東京国際フォーラム ホールD7

公演番号:356
“恋の物語~プーランクによる狂乱のオペラ”

中村まゆ美 (ソプラノ)
大島義彰 (ピアノ)

プーランク/オペラ《人間の声》(演奏会形式)

●2015年5月4日(月) 21:00 ~ 22:00
東京国際フォーラム ホールA

公演番号:316
“LFJ2015の大団円を飾るパシオンの饗宴”

アマンダ・パビアン (ソプラノ)*
アレッサンドロ・リベラトーレ (テノール)**
ユリアンナ・アヴデーエワ (ピアノ)***
シンフォニア・ヴァルソヴィア
ロベルト・トレヴィーノ (指揮)

プッチーニ/オペラ《ジャンニ・スキッキ》より 「私のお父さん」*
プッチーニ/オペラ《ラ・ボエーム》より 「私の名前はミミ」*
ドニゼッティ/オペラ《愛の妙薬》より 「人知れぬ涙」**
ヴェルディ/オペラ《ラ・トラヴィアータ》より 「乾杯の歌」* & **

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調 op.16 ***

ショパン/ワルツ第5番Op.42(アヴデーエワのピアノ独奏アンコール)***

マルケス/ダンソン2番

~アンコール~
ヴェルディ/オペラ《ラ・トラヴィアータ》より 「乾杯の歌」* & **
ブラームス/ハンガリー舞曲第5番

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2015年も例年通り東京国際フォーラムにてラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭が催された。
5月2日から4日の3日間にかけて、様々な会場で同時進行的に催される数々のコンサートはもはやゴールデンウィークの恒例行事として定着した感がある。
私も以前はフレンズ登録して、発売日にネット予約を格闘したりしていたが、ここ数年は直前にとれたチケットだけ聴くという形にしている。
今回は最終日の最後の方の2公演を聴くことが出来た。
国際フォーラムに到着した時にはすでに日が暮れていて、祭りの終焉を間近に控えた寂しさのようなものが感じられた。

最初はホールD7でプーランクのオペラ《人間の声》をピアノ伴奏バージョンで聴いた。
登場人物は、恋人と別れたばかりの女性1人だけ。
彼女が元恋人や電話交換手と電話で話す内容が歌われる。
はじめは余裕を装っていた彼女だが、徐々に未練をのぞかせ、最後には電話線を首に巻きつけて愛を訴えるという内容。
ちょうど45分ぐらいなので、LFJにはぴったりという感じだった。

ソプラノの中村まゆ美さんはもうずっとこの作品を歌い続けてきたそうだが、それがよく分かる名唱だった。
衣装と簡単なセット(テーブルに置かれた電話、椅子)だけで、見事に主人公の面影が浮かんでくる。
そのなりきり方はまさに女優といってもいいぐらいだった。
声は澄んでリリカルだが、言葉はしっかり発音され、歌は主人公の心の機微を表現したものだった。
女心の移り行きが繊細に、説得力をもって表現され、中村さんの歌を通して、迫真のモノドラマを目の当たりにした。
素晴らしい名演であり、表現者としての中村さんの素晴らしさをたっぷり堪能した。
そして、ピアノで電話の呼び鈴をはじめ、様々な心理描写やドラマの展開を描き尽くした大島義彰さんにも拍手を贈りたい。
かつて大島正泰さんという日本のピアノ伴奏者の先駆者的な方がいて、ムーアの著書の翻訳なども手掛けていたが、ひょっとして血縁関係がおありなのだろうか。

続いて、ホールAで今年のLFJのラストコンサート。
私の目当てはピアノのアヴデーエワだが、有名なオペラアリアが4曲も聞けるのも楽しみだった。

ソプラノのパビアンは緑の衣装を着た若干恰幅のよい女性。
巨大なAホールの天井桟敷に座っていた私の席まで確かに彼女の声は届いた。
細かいビブラートは好みが分かれるだろうが、心をこめて歌っていたのは十分伝わってきたし、大画面に映し出される彼女の近影を見ても、表情の豊かな歌だったと思う。
だが、テノールのリベラトーレはさらに魅力的だった。
イタリアの明るいテノールの伝統を受け継いでいるような天性の美声と表現。
低音で一部かすれた箇所もあったものの、それを上回る感銘を与えてくれた。
「乾杯の歌」では歌手二人のダンスまで披露して、芸達者なところを見せてくれた。

会場が大いに沸いたところで、ピアニストのユリアンナ・アヴデーエワが登場。
いつも通りパンツスーツ姿が決まっている。
彼女のグリーグの協奏曲ははじめて聴くが、とても良かった。
民俗色をしっかり残しながらも、彼女特有の清冽で真摯な表現が耳に心地よく、細部まで作りこまれた演奏はただただ見事だった。
確かな技術に裏付けられたはったりのない正攻法の演奏は、作品の良さをストレートに伝えてくれた。
何度もカーテンコールに呼ばれた彼女はショパンのワルツをアンコールに演奏して、そちらも自然な表情がなんとも快い演奏だった。

最後のオケ曲「ダンソン2番」は、メキシコの作曲家マルケスによる比較的最近の作品。
メキシカンな響きとリズムがありながら、徐々に盛り上がっていく感じ。
悪くはないが、最初から惹きつけられたわけではなかった。
もう少し聴きこまないとなんとも言えない。

だが、ロベルト・トレヴィーノ指揮のシンフォニア・ヴァルソヴィアは表情豊かな演奏を聴かせてくれた。

お祭りの最後にふさわしい楽しいコンサートだった。
グリーグの協奏曲の第1楽章の後で拍手が起きたり、ピアノを片づけるスタッフが数人登場したところで拍手が起きるなど、LFJらしい懐の大きな雰囲気が味わえてかえって楽しめた。

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シューベルト/「森の夜の歌」D913を聴く

Nachtgesang im Walde, D913
 森の夜の歌

Sei uns stets gegrüßt, o Nacht,
aber doppelt hier im Wald,
wo dein Aug' verstohlner lacht,
wo dein Fußtritt leiser hallt!
 常に我々の挨拶を送ろう、おお夜よ、
 だがここ森の中では二倍もの挨拶を送ろう、
 そこはあなたの目がそっと笑う場所、
 そこはあなたの足音がより静かに響く場所!

Auf der Zweige Laubpokale
gießest du dein Silber aus;
hängst den Mond mit seinem Strahle
uns als Lamp' ins Blätterhaus.
 枝の葉で出来た杯の上で
 あなたはあなたの銀の輝きを注ぐ。
 月をその光で
 葉の家の我々へランプのように注ぎ入れる。

Säuselnde Lüftchen sind deine Reden,
spinnende Strahlen sind deine Fäden,
was nur dein Mund beschwichtigend traf,
senket das Aug' und sinket in Schlaf!
 そよいで音をたてるそよ風はあなたが語っているのだ。
 紡ぐ光はあなたの糸なのだ。
 ただあなたの口がなだめながら当たったものは
 目を閉じ、眠りに沈む。

Und doch, es ist zum Schlafen zu schön,
drum auf, und weckt mit Hörnergetön,
mit hellerer Klänge Wellenschlag,
was früh betäubt im Schlummer lag!
 しかし、眠るには美しすぎる。
 だから起きよ、目覚めるのだ、角笛の響きで、
 より明るい響きの打ち寄せる波の音で。
 朝にぼうっとして横たわって寝ていたものよ。

Es regt in den Lauben des Waldes sich schon,
die Vöglein, sie glauben, die Nacht sei entflohn,
die wandernden Rehe verlieren sich zag;
sie wähnen, es gehe schon bald an den Tag,
die Wipfel des Waldes erbrausen mit Macht,
vom Quell her erschallt es, als wär' er erwacht!
 森のあずまやでもう動いているのは
 小鳥たち、それらは夜が逃げてしまうと思っている。
 歩くノロジカはおずおずと姿を消す。
 それらはもうすぐ日がのぼると信じこんでいる。
 森の梢は勢いよく鳴り響く。
 泉から響いてくる、あたかも一日が目覚めたかのように!

Und rufen wir im Sange:
"Die Nacht ist im Walde daheim!",
so ruft auch Echo lange:
"Sie ist im Wald daheim!"
 我々は大声で歌おう、
 「夜は森の中が我が家なのだ!」と。
 するとこだまが長く返すだろう、
 「それは森の中が我が家なのだ!」と。

Drum sei uns doppelt hier im Wald gegrüßt,
o holde, holde Nacht,
wo Alles, was dich schön uns malt,
uns noch weit schöner lacht.
 だから森のこの場所では我々からの二倍もの挨拶を送ろう。
 おおいとしい、いとしい夜よ、
 あなたを美しく描くものはすべて
 さらに遠くでより美しく笑っている。

詩:Johann Gabriel Seidl (1804-1875)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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Zu-Simolinさん、大変お待たせしました!!
Zu-Simolinさんのリクエストにより、シューベルトの「森の夜の歌」を取り上げます。
男声合唱と4つのホルンという珍しい編成の合唱曲です。
いかにもドイツの森の情景が目に浮かぶような楽しい作品ですね。
テキストに沿って、音楽も快活な箇所や静かな箇所など、異なる雰囲気の音楽が連続して進行していきます。
それだけに合唱にもホルニストたちにも高い技術と表現力が求められているように感じられます。

Vienna Vocalists, Ensemble of the Vienna State Opera Chorus他

勢いがあって表情豊かでいい合唱だと思います。ホルン合奏はやはり難しそうですね。

九大男声&荒谷俊治(C)他

日本の演奏家が繊細に美しく歌っています。ホルン奏者たちも見事ですね。

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