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エリーザベト・クールマン&エドゥアルド・クトロヴァッツ/東京春祭 歌曲シリーズ vol.16(2015年4月11日(土)19:00 東京文化会館 小ホール)

東京春祭 歌曲シリーズ vol.16
エリーザベト・クールマン(メゾ・ソプラノ)
~愛と死をうたう

2015年4月11日(土)19:00 東京文化会館 小ホール

エリーザベト・クールマン(Elisabeth Kulman)(メゾ・ソプラノ)
エドゥアルド・クトロヴァッツ(Eduard Kutrowatz)(ピアノ)

リスト:
私の歌は毒されている S289
昔、テューレに王がいた S278

ワーグナー:
《ヴェーゼンドンク歌曲集》 より
温室にて
悩み

エルダの警告~逃れよ、ヴォータン(舞台祝祭劇《ラインの黄金》 より)

リスト:
私は死んだ (《愛の夢》第2番 S541-2 ) (ピアノ・ソロ)

グルック:
ああ、われエウリディーチェを失えり
(歌劇《オルフェウスとエウリディーチェ》 より)

~休憩~

リスト:
愛し合うことは素晴らしいことだろう S314

シューマン:
彼に会ってから (《女の愛と生涯》 op.42 より)

リスト:
われ汝を愛す S315

シューマン:
私にはわからない、信じられない (《女の愛と生涯》 op.42 より)
満足 (《子供の情景》 op.15 より)(ピアノ・ソロ)
やさしい友よ、あなたは見つめる (《女の愛と生涯》 op.42 より)
私の心に、私の胸に (《女の愛と生涯》 op.42 より)

シューベルト:
子守歌 D.498

シューマン:
あなたは初めての悲しみを私に与えた (《女の愛と生涯》 op.42 より)

シューベルト:
夜の曲 D.672
死と乙女 D.531
精霊の踊り D.116
小人 D.771

~アンコール~
リスト(Liszt)/3人のジプシー(Die drei Zigeuner, S.320)
三ツ石潤司 編曲/さくらさくら
リスト/愛とは?(Was Liebe sei, S288)

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今年の東京春祭 歌曲シリーズは、2公演が催された。
そのうち、ロバート・ディーン・スミス&ジャン・フィリップ・シュルツェの公演は残念ながら聴くことが出来なかった。
もう1つの公演、エリーザベト・クールマン&エドゥアルド・クトロヴァッツによるリサイタルを聴いて、深い満足感を味わった。

クールマンは今回ヴァルキューレの演奏会形式公演にも登場したそうだが、その事実からも分かるように非常に声量が豊かである。
最初に歌われたリストの「私の歌は毒されている」からすでに滔々と流れる大河のような豊麗な美声がホールを満たした。
そして、表情の付け方が非常に細やかである。
フォルテにもピアニッシモにも見事に対応する声の素晴らしさと表現力の多彩さに心奪われた。

今回は「愛と死を歌う」という副題が添えられていて、当初は全曲を休憩なしで演奏する予定だったそうだが、リハーサルの結果、休憩をはさむことにしたそうだ。

リスト、ヴァーグナー、グルック、シューマン、シューベルトの歌曲を独自の流れに設計したなかなか面白い試みで、ピアノ・ソロ曲2曲もはさむなど、新鮮なプログラミングだった。
リストやヴァーグナーの濃密な歌曲に、クールマンの深みと明晰さのある声と表現がぴたっとはまっていて、聴きごたえがあった。
前半最後のグルックの有名な「ああ、われエウリディーチェを失えり」はドイツ語訳で歌われたが、この簡素な作品をもクールマンの色に染めて聴かせてくれた。

後半で興味深かったのは、シューマンの《女の愛と生涯》からの抜粋を他の作曲家の作品をはさんで解体しながら、プログラミングされていたことだ。
以前キルヒシュラーガーらのCDで似たような試みがされていたが、実演で《女の愛と生涯》が解体されたのを聴くのは初めてで面白かった。
つまり、この曲の次にはこの曲という先入観が(いい意味で)裏切られて、《女の愛と生涯》を構成する各曲の独立性が高められた。

クールマンは《女の愛と生涯》の抜粋を速めのテンポで、語るように歌っていた。
そして、それは歌曲集としてのまとまりを意識したものではなく、オペラアリアのモノローグのような趣であった。
例えば「私にはわからない、信じられない」で"Ich bin auf ewig dein(ぼくは永遠にきみのものだよ)"という箇所を突如深く低い音色で歌い、男性のセリフであることを強調したりする。
また、間合いやテンポの揺れなどもテキストに沿って、自由に表現された。
それは、解体したことによって得られた自由さなのかもしれず、このプログラミングでこそ生きる表現だったように感じた。

シューベルトの「子守歌」は弱声で優しく歌われ、クールマンの表現力の幅広さを印象づけられた。

最後を締めくくるシューベルトの恐ろしい「小人」をクールマンはドラマティックに演じてみせた。

そして、このプログラムは、ピアノのエドゥアルド・クトロヴァッツと共に作り上げられたことを強く感じさせられた。
クトロヴァッツの音色は温かみがあり、味わい深さのある熟した魅力を感じさせる演奏だった。
彼の演奏は劇的な箇所で時に荒くなることも厭わず、作品に没入するものだったが、それが、今回のテーマの流れを大きくリードしていたということも言えると思う。
ソロの演奏も魅力的で、このコンビでさらに継続して活動していってほしいと思う。

ちなみに今回のピアノはYAMAHAが使われていた。

アンコールはリスト歌曲2曲に、「さくらさくら」(「3人のジプシー」は最後も省略しないバージョンで演奏された。華麗な分散和音などもおそらく即興的に挿入されていた)。
クールマンの日本語のうまさと、日本情緒への同化の素晴らしさが印象的だった。

なお、この日はNHKのカメラが入っており、6月25日5時からBSプレミアムで放映予定とのことで、楽しみに待ちたい。

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コメント

フランツさん、こんばんは。

「女の愛と生涯」をばらして、間に別の曲を挟んだり、歌い方も男性のセリフである部分を意識させるものだったり、斬新な演奏方法だったようですね。
また、多彩な表現を見せてくれるコンサートだったようで、BSプレミアムでの放映が楽しみです。

私も、幸田浩子さんのコンサートに行ってきました。
オペレッタ、シューベルト歌曲、日本の歌、普段のオペラ上映では役どころではないオペラアリア等色様々なプログラムでした。
日本の歌は東北の震災時に作られた「春なのに」「花は咲く」を歌われて会場からはすすり泣きが聞こえて来ました。
終演後、CDを買ってサインをいただきました。幸田さんのCDは全部持っているのに、サインが欲しくて買っちゃいました(笑)
ライナーノーツか、CDにサインをもらうか迷っていたら、「両方に書来ますね」。
とても感じのいい方でした(*^^*)


投稿: 真子 | 2015年4月24日 (金曜日) 20時29分

真子さん、こんにちは。

クールマンのプログラミングはかなり斬新でした!
賛否両論あると思いますが、試みとして面白かったことは確かでした。
バラしたことによって、統一感よりも個々の曲の独立性を強く感じましたし、歌唱もかなり大胆でした。
私もテレビで再度楽しみたいと思います。

幸田浩子さんのコンサート、楽しんでこられたようで良かったですね(^^)
真子さんにとってお久しぶりのコンサート、さぞかし堪能されたのではないでしょうか。
幅広い選曲で、幸田さんの様々なレパートリーが披露されたのですね。
日本の歌は、言葉が直に伝わる為か、胸が熱くなることが多いですね。今回も会場のお客さんを感動させる歌だったようですね。
サイン会では幸田さんのお人柄に触れられて、素敵な時間を過ごされましたね。

投稿: フランツ | 2015年4月25日 (土曜日) 14時08分

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