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R.シュトラウス/歌曲集「商人の鑑Op. 66」(全12曲)~その3(第7曲~第9曲)

今回はR.シュトラウス「商人の鑑」の第7曲~第9曲を取り上げます。

7. Unser Feind ist, grosser Gott
 我々の敵は、偉大なる神よ

Unser Feind ist, grosser Gott,
Wie der Brite so der Schott.
Manchen hat er unentwegt
Auf das Streckbett hingelegt.
Täglich wird er kecker--
O du Strecker!
 我々の敵は、偉大なる神よ、
 あのイギリス人同様、あのスコットランド人(ショット)である。
 そいつは絶えず多くの人々を
 拷問台(シュトレックベット)に寝かせたんだ。
 日に日にそいつはずうずうしくなるのさ、
 おお、あんたのことだよ、手足伸ばし屋さん(シュトレッカー)!

詩:Alfred Kerr (1867-1948)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)

ここではマインツの楽譜出版社、ショット社(B.Schott's Söhne)と、その経営者である商務顧問官(Kommerzienrat)のドクトル・ルートヴィヒ・シュトレッカー(Dr. Ludwig Strecker)に矛先が向かっています。
ショットはドイツ語でスコットランド人を意味します。
ここでは作曲した1918年当時戦争でドイツの敵であったスコットランドと出版社の名前をかけています。
シュトレックベットというのは拷問台で、手足を伸ばして苦しめたようです。
 こちら
もちろんこの名前は経営者シュトレッカーとかけてあるのは明白です。
シュトラウスはこの歌曲集中で最も激しい曲調をこのテキストに与えました。
ピアノパートは急激に下降するオクターブ音型と大きく飛躍する和音の組み合わせが使われ、その飛躍はあたかも拷問台で手足を引き裂かれる様を模しているかのようです。
歌は第3行以降でやはり音程の飛躍が大きくなり、5行目の「kecker(ずうずうしい)」にメリスマを与えて強調しています。
そして最終行の落ちで、これまでの深刻な曲調から一転して快活な音楽に変わるのは、この歌曲集でシュトラウスがよくやる仕掛けで、強烈な皮肉となっています。

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8. Von Händlern wird die Kunst bedroht
 商人に芸術は脅かされる

Von Händlern wird die Kunst bedroht,
Da habt ihr die Bescherung:
Sie bringen der Musik den Tod,
Sich selber die Verklärung...
 商人に芸術は脅かされる、
 なんともひどい話だよ。
 やつらは音楽に死をもたらし、
 自分たちには浄化をもたらすっていうんだからなぁ。

詩:Alfred Kerr (1867-1948)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)

この曲の前奏は非常に美しく、恍惚とする表情さえうかがえます。
そしてその長大さは曲の半分以上を占めているほどです。
この美しい音楽はもちろんシュトラウスが守ろうとしている「芸術」をあらわしています。
そして、その美しい前奏が終わると突然激しい曲調に変わり、商人たちへの積もり積もった不平が歌われます。
第3行と第4行の歌詞の最後には、シュトラウスの有名な交響詩「死と浄化(変容)(Tod und Verklärung)」が織り込まれています。
第3行最後の"Tod(死)"で歌手はハイAを歌わなければならず、さらに次の音は2オクターブ低いAで歌い始めなければなりません。
歌手にとっても試練の曲ですね。
そして、最終行の歌声部は「死と浄化」の最後の方にあらわれるフレーズが引用されています。
また、後年シュトラウスは、歌劇「カプリッチョ」の中の月光の音楽として、この曲の長大な前奏を再度使用しています。
私がはじめて劇場で「カプリッチョ」を鑑賞した際、そのことを知らず、この音楽どこかで聞き覚えがあるなぁとしばらく考え込んでしまった記憶があります。

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9. Es war mal eine Wanze
 昔々一匹の南京虫がおったとさ

Es war mal eine Wanze,
Die ging, die ging aufs Ganze.
Gab einen Duft, der nie verflog,
Und sog und sog.
Doch Musici, die packten sie
Und knackten sie.
Und als die Wanze starb und stank,
Ein Lobgesang zum Himmel drang.
 昔々一匹の南京虫がおったとさ、
 そいつは徹底していて、
 決して消えない臭いを発しては
 血を吸いまくったんだ。
 だが音楽家がそいつをつかみ、
 パチッとつぶしてやったのさ。
 そうして南京虫は死に、悪臭を放ち、
 賛歌は天まで届いたとさ。

詩:Alfred Kerr (1867-1948)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)

ここで言う「南京虫(Wanze)」が商人たちをあらわしているのは明白ですね。
不協和音を用いた不気味な前奏は南京虫が強烈な臭いを発しながら、血を吸いまくっている様を模しているのでしょう。
後半で音楽家が登場すると音楽も明るくなり、南京虫をつぶす様が装飾音を伴ったピアノパートで描写されます。
商人に対して音楽家の勝利が描かれている作品と言えるでしょう。
なお、ドイツ語で"Wanzen und Flöhen(南京虫とのみ)"と言うと当時の音楽家の隠語で「シャープとフラット」のことを意味していたそうです。
この曲にピアノの黒鍵が多く使われているのはそういう意味も掛けてあるのでしょう。

なお、この記事を執筆するにあたって、HyperionのR.シュトラウス歌曲集第6巻(CDA67844)のロジャー・ヴィニョールズ(Roger Vignoles)の解説を参照しました。
 こちら

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コメント

フランツさん、こんにちは。

7曲目の初行「我々の敵は、偉大なる神よ」と、9曲目の最終行「賛歌は天まで届いたとさ」は、呼応しているのでしょうね。
「南京虫」は、「偉大なる神」であり、「讃歌」はその神のいる天に届いた。
そう思うと、真ん中の歌詞の皮肉さが一層聴く者に伝わってくるようです。

この曲集に、惜しみなく、流麗なピアノパートを与えた気持ちの中に、皮肉る気持ちだけではない、音楽は美しい、その音楽を守りたいというシュトラウスの思いも聞き取れました。

それにしても、歌手泣かせのメロディが散りばめられていますね。
このテノールがどなたかは分かりませんが、結構好きな音色です。

投稿: 真子 | 2014年9月22日 (月曜日) 16時00分

真子さん、こんにちは。

第7曲最初と第9曲最後が呼応しているという真子さんの説、なるほどそういう見方も出来るのですね。
全く気付きませんでした。
また南京虫が神様だったという説、斬新ですね!
真子さんのコメントを拝見すると、いろいろな解釈を考えることが出来て楽しいです(^^)

第8曲の美しい前奏はまさにシュトラウスが守ろうとしている「音楽」そのものですよね。この曲はピアニストの演奏にいつも注目してしまいます。このYouTubeでのピアニストも音楽性の豊かな素晴らしい演奏を聴かせてくれていますね。

恐ろしく歌いにくい歌曲集だと思いますが、この歌手は素晴らしく歌ってくれていますね。声質も魅力的です。

投稿: フランツ | 2014年9月23日 (火曜日) 10時35分

フランツさん、こんばんは。

「偉大なる神よ」の前にある「我々の敵」という言葉を見て、南京虫と神が結びつきました。
南京虫=商人たちということですので、すなわち、ここでいう神は商人のことなのかな、と。「偉大なる」というのは皮肉っているのでしょうね。
「偉大なる神」なる「南京虫」を潰し、天に送り、その天に「讃歌が届いた」、と皮肉っているいうように私には読めました。

シュトラウスの頃は、例えばニーチェが「神は死んだ」と言ったように、ヨーロッパにおけるキリスト教のあり方も変わっていった時代ですので、このような物言いも許されたのかもしれませんね。
シュトラウスの信仰心がどのようなものであったのかわかりませんので、単なる私の推測ですが、わざわざ「神」を出したのには何か意図があったのかなと思います。
色んな事を想像させてくれる、面白い(と言ってしまうのは語弊がありますが)作品ですね。

次はいよいよ最終章ですね。
どのように終わるのか楽しみです。

投稿: 真子 | 2014年9月23日 (火曜日) 20時26分

真子さん、こんばんは。

第7曲についての真子さんのお考えを聞かせてくださり有難うございました。
最初の2行を普通の語順にするとおそらく次のようになると思います。

Unser Feind ist so der Schott wie der Brite, grosser Gott.

意味は一緒ですが、シュトラウスの敵であるSchottの名前をもったいぶって最後に置こうとしたのではないかと思います。GottはSchottと韻を踏むために1行目の最後に置かれたのだと想像できます。

ただ真子さんのお話をうかがってシュトラウスが「神」に対してどのような立場をとっていたのか知りたくなりました。

いつも示唆に富むコメント、感謝しています。
次がこの歌曲集のラストです。
どうぞお楽しみに!

投稿: フランツ | 2014年9月24日 (水曜日) 20時46分

フランツさん、こんにちは。

なるほど、原詩を理解しないとトンチンカンなことになりますね(笑)
お恥ずかしい限りです(^^;)
実はこれ、私が年一回、ミッション系某大学で受講している聖書の講座でも実感していていることです。原語の釈義や、史的・本文批判と呼ばれる聖書学で、自由主義神学に立脚して聖書の解析を行うものです。

奇しくも、こういう自由主義神学(聖書無謬説~聖書の言葉は一字一句間違いがない~の否定等、中世的な保守的キリスト教からの脱却)がドイツで発達したのは、R・シュトラウスの時代と重なっています。
ニーチェの著書も、こう言う流れの中にあると思います。

私も、シュトラウスが、神をどのように捉えていたのか気になり、手元にある「大作曲家の信仰と音楽」(P・カヴァノー著 吉田幸弘訳 教文館)という本を見てみましたが、R・シュトラウスの項がないのです(シューベルト始め、大作曲家はほとんど載っています)。
教文館はキリスト教系出版社ですし、シュトラウスは比較的新しい作曲家ですから、もし信仰的な事を書いたものや発言が残っているのなら載っていると思うのです。
また、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」に作曲していることからも(さほど過激なテキストは採用していないようですが)、R・シュトラウスは信仰をもっていなかったのではないかと思います。
さりとて、ニーチェほどアンチ・キリスト教でもない、というあたりでしょうか。

ただ、この分野は日本ではあまり研究されていませんし、邦訳資料も少ないですから、断言はできませんが・・・。

投稿: 真子 | 2014年9月25日 (木曜日) 12時07分

真子さん、こんばんは。

聖書の講座で勉強されているとのこと、素晴らしいですね。
自由主義神学というものがシュトラウスの時代から発達してくたのですね。
そう考えるとシュトラウスが信仰に対してなんらかの立場をとっていたとしても不思議ではないですね。
でも「大作曲家の信仰と音楽」という文献では触れられていないとのこと、信仰に関する立場を表明していなかったのでしょうか。
このあたりの研究が進むといいですね。

投稿: フランツ | 2014年9月26日 (金曜日) 06時41分

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