R.シュトラウス/歌曲集「商人の鑑Op. 66」(全12曲)~その1(第1曲~第3曲)
R.シュトラウスの記念年を祝して記事を書こうと思った時にまず最初にこれだけは必ず取り上げたいと思った歌曲集があります。
それが今回から数回に分けて取り上げる「商人の鑑(Krämerspiegel, Op. 66)」という作品です。
シュトラウスが自身の作品出版に際して、出版社との間に権利上の諍いが起き、うさをはらす為にドイツの著名な文芸評論家アルフレート・ケルにテキストを依頼しました。
その12篇の詩に作曲したのがこの「商人の鑑」で、出版社たちをあてこすった辛辣な内容ゆえに、出版社はこの作品の出版を拒否し、裁判の結果、シュトラウスは別の新作歌曲を書かなければならなくなりました。
テキストには出版に関わった人たちの名前が言葉遊びのように織り込まれ、作曲家が彼らをやっつけるという内容になっています。
今回は最初の3曲を聴いてみます。
Krämerspiegel, Op. 66
商人の鑑
1. Es war einmal ein Bock
昔々一匹の雄山羊がおったとさ
Es war einmal ein Bock, ein Bock,
Der fraß an einem Blumenstock, der Bock.
Musik, du lichte Blumenzier,
Wie schmatzt der Bock voll Schmausegier!
Er möchte gar vermessen
Die Blüten alle [alle] fressen.
Du liebe Blüte wehre dich,
Du Bock und Gierschlung, schere dich!
Schere dich, du Bock!
[Schere dich, du Bock!
Du liebe Blüte wehre dich,
Du Bock und Gierschlung,
Schere dich, du Bock!]
昔々一匹の雄山羊(ボック)が、雄山羊がおったとさ、
そいつは鉢植えの草花を食っちまった、雄山羊の野郎がさ。
音楽よ、輝く花飾りよ、
御馳走をたっぷり欲した雄山羊が音を立てながら貪り食ってやがる!
そいつは、身の程も知らず
花々を全部[全部]食い尽くしたいと思っているぞ。
いとしい花よ、身を守るんだ、
大食らいの雄山羊よ、失せやがれ!
失せやがれ、雄山羊よ!
[失せやがれ、雄山羊よ!
いとしい花よ、身を守るんだ、
大食らいの雄山羊よ、
失せやがれ、雄山羊よ!]
※[ ]内は、テキストの繰り返しの箇所を示す。
詩:Alfred Kerr (1867-1948)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)
シュトラウスが「家庭交響曲」を出版したボーテ&ボック社(Bote & Bock)とはOp.56の歌曲集の契約時に、次に書かれる6つの歌曲の権利はボーテ&ボック社が有する旨を許可してしまいました。
その件などを経て両者の間に諍いが生じたようです。
このテキストの第1行にある"Bock"とは「雄山羊」という意味ですが、ボーテ&ボック社の商業顧問官フーゴ・ボック(Hugo Bock)へのあてつけとなっています。
花(Blumen, Blüte)は楽曲、もしくは作曲家を暗示しているのでしょう。
大食らいの出版者に向けて、作品を食いつくすなと警告しているテキストとなっています。
この歌曲集の音楽上の特徴はピアノパートに重要な役割を持たせていることで、その長さが歌を優に超えている作品すらあります。
この第1曲の前奏からすでにかなり規模は大きめで、歌の旋律を先取りしています。
Es war einmalというのは「昔々あるところに」という昔話の始まりに使われる文言で、音楽も品の良さを湛えて、テキストとのギャップが面白い作品です。
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2. Einst kam der Bock als Bote
かつて雄山羊が使いに来た
Einst kam der Bock als Bote
Zum Rosenkavalier ans Haus;
Er klopft mit seiner Pfote,
Den Eingang wehrt ein Rosenstrauss.
かつて雄山羊(ボック)が使い(ボーテ)に来た、
ばらの騎士の屋敷へ。
そいつは前足でノックしたが、
ばらの花束(シュトラウス)はそいつが入ってくるのを阻止した。
Der Strauss sticht seine Dornen schnell
Dem Botenbock durch's dicke Fell.
O Bock, zieh mit gesenktem Sterz
Hinterwärts, hinterwärts!
花束はトゲですばやく
使者の雄山羊の厚い毛皮をぶっ刺した。
おお雄山羊よ、しっぽを下ろして
引き下がれ!引き下がれ!
[O Bock, zieh mit gesenktem Sterz
hinterwärts, hinterwärts!
O Bock, o Botenbock,
zieh mit gesenktem Sterz
hinterwärts, hinterwärts!]
[おお雄山羊よ、しっぽを下ろして
引き下がれ!引き下がれ!
おお雄山羊よ、おお使者の雄山羊よ、
しっぽを下ろして
引き下がれ!引き下がれ!]
詩:Alfred Kerr (1867-1948)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)
前の曲ではフーゴ・ボック個人に対するあてこすりだったのですが、この曲ではボーテ&ボック社に対して攻撃しています。
ボーテ(Bote)というのはドイツ語で「使者」のことを指します。
そして「ばらの騎士」というのはご存じシュトラウスの代表作のオペラの名前ですね。
シュトラウス(Strauss)の名前は「花束」という意味があり、花束がトゲで使者の雄山羊(ボーテ&ボック社)を刺して復讐します。
ピアノ前奏はおどろおどろしい低音で雄山羊が使いに来たことをグロテスクに表現しています。
そして歌が始まる少し前にウィンナー・ワルツのような軽快な音楽に変わります。
私は残念ながらまだ「ばらの騎士」を聞き込んでいないのですが、おそらくこのオペラを意識したワルツなのではないかと思われます。
歌っている内容は過激ですが、音楽はほぼ一貫して優美さを保っているのが余計に相手を刺激してしまいそうです。
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3. Es liebte einst ein Hase
かつて一匹の野うさぎが愛していた
Es liebte einst ein Hase
Die salbungsvolle Phrase,
Obschon wie ist das sonderbar,
Sein Breitkopf hart und härter war.
Hu, wisst ihr, was mein Hase tut?
Oft saugt er Komponistenblut
Und platzt hernach [und platzt hernach] vor Edelmut.
かつて一匹の野うさぎ(ハーゼ)が
もったいぶった楽句を愛していた。
なんとも奇妙なことではあるが、
うさぎの扁平頭(ブライトコップフ)はますます固く(ヘルテル)なった。
げっ、僕のうさぎがどうなるか分かるかい。
そいつは作曲家の血をしょっちゅう吸って、
その後高潔なあまりに破裂しちまうんだとさ[破裂しちまうんだとさ]。
詩:Alfred Kerr (1867-1948)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)
この曲では音楽出版社のブライトコップフ&ヘルテル社(Breitkopf & Härtel)と、その経営者の枢密顧問官ドクトル・オスカル・フォン・ハーゼ(Geheimrat Dr. Oskar von Hase)がやり玉にあがっています。
シュトラウスは初期の作品をブライトコップフ&ヘルテル社から出版していました。
「ハーゼ(Hase)」とは野うさぎのこと、「ブライトコップフ(Breitkopf)」は扁平頭のことです。
4行目に「ブライトコップフ&ヘルテル」が織り込まれています(Härtelとhärterの違いはありますが、「l」と「r」の違いは詩の脚韻でも同じものとして扱われます)。
シュトラウスの歌は高低差が大きく、歌手は大変だろうと思います。
なお、この記事を執筆するにあたって、HyperionのR.シュトラウス歌曲集第6巻(CDA67844)のロジャー・ヴィニョールズ(Roger Vignoles)の解説を参照しました。
こちら
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コメント
『商人の鑑』は、白井(抜粋)、ディースカウ(全曲)の録音を持っています。ハイペリオンの第6巻もあります。
凝り過ぎ&やり過ぎではと思う時もありますが、強烈な異色作ですよね。
投稿: 田中文人 | 2014年9月 1日 (月曜日) 06時13分
田中文人さん、こんばんは。
ディースカウはムーア(EMI)とデームス(DG)の2回録音していますね。ムーアの至芸を味わいたい時はこの歌曲集の録音を聴くことが多いです。
白井は生で全曲を聴けたのがよい思い出です。
他にシュライアー&シェトラーの録音もいい演奏でした。
ここまでやるとテキストに読み込まれた当人はたまったものじゃないでしょうが、音楽は稀に見る面白さですね。
投稿: フランツ | 2014年9月 1日 (月曜日) 19時52分
フランツさん、こんにちは。
R・シュトラウスにこのような面白い作品があるとは知らなったです。
うさを晴らすために曲を作った、というのが凡人と違うところですね(笑)
歌詞を読まなければ、このような内容の音楽だとは思わないほど、華麗な音楽ですね。
シュトラウスらしいピアノが印象的でした。
まだ1曲目しか聴けていませんので、また続きを聴きますね。
1980年のディースカウさんのリサイタルも少しづつ聴いています。
投稿: 真子 | 2014年9月 2日 (火曜日) 10時22分
真子さん、こんばんは。
内容が内容だけにあまり演奏される曲ではありませんが、純粋に音楽のみに耳を傾けても面白いと思います。確かにシュトラウスらしい華がありますよね。ピアノパートが充実しているのも印象的です。作曲家はこういう風に鬱憤を晴らすことが出来るんですね(笑)
ぜひゆっくり楽しんでくださいね。
ディースカウの演奏もお好きな曲から楽しんでいただけたら幸いです。
投稿: フランツ | 2014年9月 2日 (火曜日) 21時39分
フランツさん、こんにちは。
2曲目は半分位がピアノ前奏なんですね。
「hinterwärts!」がテノール(ですよね?)にはちょっと低いのか、やや音が破綻していますが、それがかえって効果を生んでいるように思いました。
バリトンが朗々と歌うよりも。
3曲目も、歌詞に反してピアノパートが美しいところが、逆説的で面白いです。
この曲集、全12曲なんですね。
よほど腹に据えかねたのでしょうね(笑)
続きも楽しみにしています。
ところで、この演奏をしているのはどなたなのでしょうね。
投稿: | 2014年9月 5日 (金曜日) 14時57分
真子さん、こんにちは。
2曲目の前奏は規模が大きいですよね。でもさらに長大な前奏をもつ曲も後で出てきます。
3曲目は前半の甘美な音楽が印象的ですね。事情の分からない聴き手には普通の歌曲に聞こえるようにカモフラージュしているのかもしれませんね。
この動画で歌っている歌手は残念ながら私も分からないのですが、リートの唱法をしっかり身に付けた方のように感じます。ただおそらくテノールと思われるので、真子さんのご指摘のとおり低音がやや弱いですね。まぁその弱点がこの曲では効果的に響くという利点にもなっているようですが。
残りの曲も期待を裏切らないツワモノ揃いです。シュトラウスの毒が満載です(笑)
どうぞご期待ください!
投稿: フランツ | 2014年9月 6日 (土曜日) 10時35分
フランツさん、こんにちは。
前回記名し忘れていましたね。すみません。
>残りの曲も期待を裏切らないツワモノ揃いです。シュトラウスの毒が満載です(笑)
それはますます楽しみです(笑)
シュトラウスって面白い人ですね、なんだか親近感が湧きました。
ところで、カウフマンが10月に来日しますね。
今、旬の、豊潤な声を生で聞いてみたいという、声楽的関心がむくむくと顔を出しています。が、持病があるため当日の体調がわからないので、チケットは買っていないんです。
大阪は、D席でも14000円していましたから、とりあえず買うには0がひとつ多いですし・・・。
カウフマンほどの声でしたら、どの席で聴いても豊かに響くでしょうね。
当日の体調と気分で、チケットが残っていたら行ってみようかと思っています。
♪21年前初めて行ったプライさんの公演(外来の世界的演奏家の公演としても初めてでした)を思い出します。
投稿: 真子 | 2014年9月 6日 (土曜日) 14時55分
真子さん、こんばんは。
シュトラウスという人は金に執着したり、自己顕示欲が強かったりという面でも知られていますが、作曲家の権利を楽譜出版社から不当に搾取されないように闘った人でもあって、その闘いの流れの中でこの「商人の鑑」が出来たことを思うと、憤りを作品に昇華した茶目っ気もあったのかもしれませんね。もっと人物像を知りたいので、最近出たシュトラウスの伝記を今読み始めたところです。
カウフマン来日するんですよね。あまりにも常識を超えたチケット代なので、私はまだ行くかどうか決めかねていますが、素晴らしいアーティストであることは確かですし、共演のドイチュも素晴らしいピアニストなので、当日財布の状況を見て決めようかなと思っています。
真子さんは久しぶりのコンサート、体調がいいといいですね。せっかくの機会ですので大阪公演を楽しんでいただけたらと思いますが、決してご無理のないようにしてくださいね。
そういえば10月10日の朝6時からBSプレミアムでバリトンのトレーケルの来日公演が放送されるそうです。「詩人の恋」などが聴けると思います。
投稿: フランツ | 2014年9月 6日 (土曜日) 19時23分
フランツさん、こんにちは。
>作曲家の権利を楽譜出版社から不当に搾取されないように闘った人でもあって・・
そうなんですね。今のように法整備もされていなかったでしょうからね。
>シュトラウスという人は金に執着したり、自己顕示欲が強かったりという面でも知られていますが・・
それも知りませんでした。
華麗な曲からはあまり想像できませんが、自己顕示欲が強いゆえにあのような情熱的な曲を書いた、とも言えるかもしれませんね。ピアノパートなんてきらびやかですものね。
そういう作曲家の生き様や背景がわかると、より深く作品も楽しめますね。
ご本を読み終えられましたら、また色々教えてください。
演奏家のチケット代を決めるのは誰なんでしょうね。演奏家本人なのか、招聘する音楽事務所なのか。
今をときめくカウフマンだから、それでも多くの人が行かれるのでしょうね。実際にドイツに行くことを思えば安いのかもしれませんが・・・。
バリトンのトレーケル(最近の歌手を知らなくて、初耳です(^^;))の情報をありがとうございます!
今から、予約録画しておきます!!
投稿: 真子 | 2014年9月 7日 (日曜日) 16時12分
真子さん、こんばんは。
>ご本を読み終えられましたら、また色々教えてください。
私は本を読むのがものすごく遅いので、全部読み切るのは先になるかもしれませんが、興味のある個所から読んでいこうと思っています。ちなみに音楽之友社から出た「リヒャルト・シュトラウス」(岡田暁生著)という本です。今のところ読みやすい文章だなという印象です。
カウフマンのチケットはギャラの高さもあるでしょうが、やはり招聘元のさじ加減で決まるのかもしれませんね。リートのリサイタルでこの設定はちょっと高過ぎではないかという気がしますが、確かに日本で聴けるだけでも有難いと思えばいいのかもしれませんね。
ローマン・トレーケルはディースカウ門下で、オペラとリートの両方で活躍している人です。今年のリートの演奏会は武蔵野であったのですが、家から遠いのと、すでに売り切れていたこともあって行けませんでした(数年前には実演を聴きましたが良かったです)。いい歌手なのでおすすめですよ。ぜひテレビで聴いてみてくださいね。
投稿: フランツ | 2014年9月 7日 (日曜日) 18時55分