ローマン・トレーケル&松原友&多田羅迪夫&新日本フィル/ツィンマーマン作曲「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た」ほか(2014年7月19日 すみだトリフォニーホール)
新日本フィルハーモニー交響楽団
トリフォニー・シリーズ
第529回定期演奏会
2014年7月19日(土)14:00 すみだトリフォニーホール
ローマン・トレーケル(Roman Trekel)(バス)*
松原 友(Tomo Matsubara)(語り:第1の話者)*
多田羅迪夫(Michio Tatara)(語り:第2の話者)*
新日本フィルハーモニー交響楽団(New Japan Philharmonic)
インゴ・メッツマッハー(Ingo Metzmacher)(指揮)
ベートーヴェン(Beethoven: 1770-1827)/バレエ音楽『プロメテウスの創造物』op.43 序曲
ツィンマーマン(Bernd Alois Zimmermann: 1918-70)/わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た(Ich wandte mich und sah an alles Unrecht, das geschah unter der Sonne)(1970)(日本初演)*
~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調『運命』op.67
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ローマン・トレーケルの歌唱を聴きに新日本フィルの定期演奏会に出かけた。
演目はオペラ「軍人たち」で知られるツィンマーマン作曲の「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た」という40分ほどの作品。
語り手2人とバス歌手を伴ったオーケストラ曲で、作曲者のツィンマーマンはこの作品を書き上げてほどなくピストル自殺をしたという。
テキストは旧約聖書の「伝道者の書」とドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「荒野の誘惑」や「大審問官」の章からとられているという。
第1の話者とバス歌手が伝道者ソロモンを、第2の話者がドストエフスキーからの抜粋を担当する。
二人の話者はテノールの松原 友とバスバリトンの多田羅迪夫が担当した。
2人の話者は2階のオルガン台の上に距離を置いて立ち(左が松原、右が多田羅)、途中で大の字になって飛び跳ねたり、手を床についてかがんだり、座ったり、足踏みをしたりもする。
視覚的には単純に面白いけれど、大の字になってどういう効果があるのかは私には分からなかった。
二人はドイツ語で単独に、もしくは他の語り手や歌手と同時に語るのだが、その言葉は明瞭で朗読のイントネーションも見事で、素晴らしかった。
最後に話者2人と指揮者がしゃがみこむ場面があるのだが、そこでの語りは日本語訳だった。
その日本語の語りとトレーケルのドイツ語がうまい具合にミックスされて、これは効果的だったと感じた。
そして肝心のトレーケルはまさに脂の乗り切った歌唱。
長身の体から発せられるオーラもあるが、その語り口のうまさやダイナミクスの自在さなど、旬の歌手を目の当たりにしているという感動があった。
「任意の母音および子音で。強弱、リズム、造形は自由」などという作曲家の指示にも全くの違和感なく演じきっていた。
エレキギターまで加わったオーケストラもドラマティックな迫力をもって演奏していて素晴らしかった。
「運命」交響曲は久しぶりに聴いたが、メッツマッハーはかなり早いテンポでめりはりをつけて快適に進める。
その片足を浮かしたりした踊るような指揮ぶりも印象的だが、胸のすくようなスピーディーな運命に気持ちが高揚させられた。
素晴らしい指揮者とオケの演奏であった。
冒頭に演奏された『プロメテウスの創造物』は5分ぐらいの愛らしい作品。
なお、この日はテレビマンユニオンの撮影が入っていて、一部ネット配信される予定とのことなので、楽しみにしたい。
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コメント
フランツさん、こんにちは。
なかなか珍しい曲を聞きに行かれたのですね。
「伝道の書」は、「一切は空・・」という句もあり、仏教の無常観にも通じる書です。
そこに「荒野の誘惑」が組み合わされているという点にとても興味を持ちました。
「荒野の誘惑」は、新約聖書「マタイによる福音書」の中にそのエピソードが書かれています。
バプテスマのヨハネから洗礼を受けたあと、荒野へおもむき、そこで悪魔から3つの誘惑を受けたがそれらを退けたというエピソードです。
その一つに「人はパンのみにて生きるにあらず」という有名な句があります。
旧約からは、「伝道の書」、新約からは「荒野の誘惑をテキストにし、作曲した直後に自殺したというのは、作曲中から自殺願望が既にあったのかもしれませんね。
>途中で大の字になって飛び跳ねたり、手を床についてかがんだり、座ったり、足踏みをしたりもする。
視覚的には単純に面白いけれど、大の字になってどういう効果があるのかは私には分からなかった。
舞台を見ていないので断言はできませんが、これはもしかしたら、悪魔がキリストを誘惑する言葉と合わせたしぐさなのかなと思いました。
もしそうなら、なかなか面白い演出ですね。
ツィンマーマンがこのような曲を作っているとは知りませんでした(プライさんが録音している何曲かしか聞いたことがなかったです)。
フランツさんは本当に珍しい作品を見つけてこられる名人ですね!!
投稿: 真子 | 2014年7月29日 (火曜日) 17時43分
真子さん、こんばんは。
バリトンのトレーケルめあてで行ったコンサートでしたが、結果的に珍しい作品を知ることとなり、とても良い体験をしました。
さすが真子さん、聖書にお詳しい真子さんの解説を拝見して、なるほどあの語り手の動きはそういう可能性もあるなぁと納得しました。
有難うございました(^^)
「一切は空・・」というと思い出すのがブラームスの「4つの厳粛な歌」です。この歌曲集も聖書をテキストにしたものだったことを思うと、ヨーロッパ文化においてキリスト教の存在の大きさをあらためて思いました。
プライもツィンマーマンの曲を録音しているのですか!プライは現代曲もレパートリーに加えていたのですね。プライのような人に現代曲を歌ってもらうと親しみやすそうですね。
投稿: フランツ | 2014年7月30日 (水曜日) 02時14分
フランツさん、こんにちは。
ブラームスの「四つの厳粛な歌」!
大好きです。
沈痛なピアノで始まる、本当に厳粛な気持ちにさせる第一曲が特に好きです。
私は1957年のEMIでのプライさんを愛聴しています。
それにして、もこんなに「伝道の書」が作曲家に使われていたんだと改めて驚きます。
この虚無感が、芸術家の心を捉えるのでしょうか。
ブラームスがこの曲を書いたのは死の1年前だそうですね。
ブラームスの孤独な心がこのテキストを選ばせたのだとしたら、いたたまれない気持ちになりますが、第四曲は、躍動的ですね。
テキストは、コリント人への第一の手紙」で、パウロの「愛の讃歌」と呼ばれる箇所です。
「愛と希望と信仰と、・・・この中でもっとも大いなるものは愛である」という言葉で、Ⅰコリント13章は締めくくられています。
ブラームスは、死の向こうに、希望や愛を見出していたのでしょうか。
そうならほっとします。
私はブラームスのドイツ・レクイエムも好きです。「Herr(主よ)・・」で始まるバリトンソロ&合唱など、とっても壮大で、神秘的な響きです。
プライさんの、スケールの大きい美声に酔うという不信心な聴き方をしています(^^;)
プライさんが録音したツィンマーマンの曲、辞書で調べて題名を・・と思いながら、ずっとそのままになっているため、何の曲かわからず聴いています。そろそろ真面目に調べます(笑)
投稿: 真子 | 2014年7月30日 (水曜日) 12時05分
真子さん、こんばんは。
「四つの厳粛な歌」は宗教心の有無を超えて感動的な作品ですね。私も
厳粛さと劇性の同居した第1曲が特に好きですが(前奏は「黄金虫は金持ちだ」のメロディを思い出してしまいますが・・・)、2、3曲目の深刻さを経て、最後の曲で愛の讃歌がくると、ほっと救われる気がします。よく出来た曲順だと感じています。「虚無感」は確かに晩年のブラームスの心情と結びつくところがあったのでしょう。
プライはメルツァーやムーアと録音していますね。
「ドイツレクイエム」については、コンサートで一応聴いたことはあるのですが、あまりちゃんと聴きこんではいないので、いずれじっくり聴いてみたいと思っています。プライの歌が素晴らしいそうですね。「不信心な聴き方」もいいと思いますよ(笑)
投稿: フランツ | 2014年7月31日 (木曜日) 01時45分