パウル・バドゥラ=スコダ/ラスト・コンサート(2014年6月5日 すみだトリフォニーホール)
パウル・バドゥラ=スコダ ラスト・コンサート
PAUL BADURA-SKODA THE LAST CONCERT
2014年6月5日(木)19:00 すみだトリフォニーホール
パウル・バドゥラ=スコダ(Paul Badura-Skoda)(ピアノ・指揮)
東京交響楽団(Tokyo Symphony Orchestra)(*)
モーツァルト/幻想曲 ニ短調 K397
Mozart / Fantasy d-moll K397
ハイドン/ピアノ・ソナタ ハ短調 Hob. XVI-20
Haydn / Sonate c-moll Hob. XVI-20
I. Moderato
II. Andante con moto
III. Finale: Allegro
シューベルト/4つの即興曲 作品90, D899
Schubert / 4 Impromptus op.90 D899
1. c-moll
2. Es-Dur
3. Ges-Dur
4. As-Dur
~休憩~
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595(*)
Mozart / Concerto Nr. 27 B-Dur K595
I. Allegro
II. Larghetto
III. Allegro
~アンコール~
モーツァルト/ピアノ協奏曲 第27番 K595~第2楽章(*)
モーツァルト/グラスハーモニカのためのアダージョ K356(617a)
----------------
86歳(!)の著名なピアニスト、パウル・バドゥラ=スコダの最後の来日公演を聴いた。
私がバドゥラ=スコダの実演に接したのはこれで2度目。
前回聴いたのは2009年で当時すでに80代だった。
今回は「ラスト・コンサート」と銘打たれ、全国各地で最後のコンサートツアーが催されている。
プログラムも数種類用意されているようだ。
私はすみだトリフォニーホールの1階最後列で聴いたのだが、見渡した限りではお客さんはよく入っていた。
前回聴いた時の記事を久しぶりに見たのだが、感じたことは今回も同様だった。
つまり、バドゥラ=スコダという研究者としての側面ももつピアニストは決して演奏も学究肌ではなく、むしろ感覚的なひらめきを大切にしているタイプであった。
テクニカルな面では年齢を感じないわけにはいかなかったが、それでも果敢に作品に切り込んでいこうとする。
美音で聴かせるというタイプでもない。
しかし強弱のコントラストは思ったよりもはっきりと付け、響かせようとする箇所では思い切りのよいタッチで大胆に響かせる。
弱い箇所でも音の響きよりも流れを大事にしているかのようだった。
つまり、我々が往年の巨匠と呼ばれる演奏家たちの録音から感じる類のものを彼の演奏から聴きとることが出来たと言えるのではないか。
それはバドゥラ=スコダの場合は特有の趣や味わいではないだろうか。
現代のピアニストたちから失われつつある何か大切な趣がそこにあるからこそ、これだけ長いこと第一線で活動してこられたのではないかと感じた。
今回前半は独奏、後半は弾き振りのモーツァルトのコンチェルトが披露されたのだが、特に後半は東京交響楽団が実に協力的な姿勢でバドゥラ=スコダを見事に支えたと思う。
バドゥラ=スコダのテンポは決してオーケストラにとって有難いタイプではなかっただろう。
しかし破綻なく支え、しかも美しい音色を聴かせた東京交響楽団のメンバーに拍手を贈りたい。
バドゥラ=スコダはコンチェルトでもマイペースではある。
だが、こじんまりとまとまった演奏とは対極にある彼の自在な演奏からオーケストラも学ぶところがあったに違いないと思う。
こうして伝統は受け継がれていくのだろう。
ちなみに後半の演奏前にバドゥラ=スコダのトークがあり、この第27番のコンチェルトと関連深い歌曲「春への憧れ」の一節をバドゥラ=スコダが鼻歌のように口ずさむという場面があり、大いに盛り上がった。
この年齢にしてお茶目な人柄もまた魅力的であった。
前半のモーツァルト、ハイドン、シューベルトはいずれもバドゥラ=スコダの血肉となったレパートリーである。
多少のミスは問題ではない。
ごく当たり前のようにして聴き手の胸を打つ演奏を披露した彼はやはり偉大な巨匠の一人にちがいない。
理屈を超えたじんわりとした感銘を与えてくれた演奏だった。
アンコールで弾かれたモーツァルトのグラスハーモニカのためのアダージョはこの世のものではないかのような響き。
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コメント
フランツさん、こんにちは。
素敵なピアノコンサートだったようですね。
86歳になっても来日してくださるとは、ファンにとっては嬉しいことですね。
私はピアノは、必要に迫られて2年習いましたが、ピアノの事がさっぱりわからないのです。
でも、フランツさんのブログの聴き比べのおかげで、弾く人によって違いがある事がちょっとだけわかってきました(「水の上で歌う」の前奏は、弾く人によってこんなに違うのかと思いました)。
声楽曲はついつい声に聞き入ってしまいますが、ピアノにも耳を傾けると観賞の幅が広がりますね。
投稿: 真子 | 2014年6月10日 (火曜日) 11時22分
真子さん、こんばんは。
巨匠の演奏を楽しんできましたよ(^^)
ちなみにバドゥラ=スコダは、昔フリードリヒ・グルダ、イェルク・デームスとともにウィーン三羽烏と呼ばれて親しまれていました。そのグルダもデームスもプライさんと共演したフィリップスの全集録音がありますよね。しかしバドゥラ=スコダとは録音がなく、共演していなかったのかもしれません。
真子さんもピアノを習っておられたのですね。私も2年ぐらいですが学生の時に習っていました。全然うまくなりませんでしたが、下手なりにリートの伴奏を弾いて楽しんでいたのを覚えています。
「水の上で歌う」の美しいピアノパートはピアニストにとってもきっとやりがいのある曲ではないかと思います。伴奏に耳を傾けるとピアニストのテクニックだけでなく、やる気の有無なども感じられたりします。リート歌手の歌唱に耳を傾けるのと同じようにリートのピアニストの演奏に注目してみると、楽しみが増すように思います。
投稿: フランツ | 2014年6月10日 (火曜日) 21時55分
フランツさん、こんにちは。
バドゥラ=スコダさんは、グルダ、デームスとともにウィーン三羽烏と呼ばれていらっしゃったんですか。全然知らなかったです。
ピアニストは、お恥ずかしいことですが、プライさんと共演している方しか知らない私です(^^;)
リートの伴奏までなさっていたなんてすごいですね!
私はピアノは、短大の幼児教育科に入って慌てて習ったというお粗末なものです。グレードをこなせなければ卒業できないので必死でした。
本当は、国文を勉強したかったのです(が、落ちたんです)。
しかし、幼児教育科に進学し、更に音楽に多く触れた事が、私の人生の大きな分岐点になりました。
高校も短大と同じ系列で、音楽が必須科目で3年間授業がありました(普通は音楽は選択なんですってね)。
ミッションスクールだったから、讃美歌始め、歌う事の多い5年間でもありました。
あのまま国文科に行っていたら(未だに「国文科」という響きには憧れますが)、声楽を習うこともなく、プライさんの事も知らないまま一生を終えていたでしょうね。
今となっては考えられない人生です。
そして、こちらのブログでフランツさんともお知り合いになれなかったでしょうね。
ひとつの選択が(自ら強く望んだものでなかったにせよ)、後の人生を大きく転換させ、出会う人すら変えてしまう・・。
吉野弘さんの「心の四季~風が~」の詩ではありませんが、
「人は 見えない時間に吹かれている」んだなぁと思います。
投稿: 真子 | 2014年6月11日 (水曜日) 09時43分
真子さん、おはようございます。
>プライさんと共演している方しか知らない私です(^^;)
プライさんは沢山のピアニストと共演していますよね。ソロピアノしか聞かない人の知らないピアニストを真子さんは沢山知っていると思いますよ。
真子さんは幼児教育科を専攻されていたのですね。真子さんにぴったりな気がしました。今真子さんが音楽を楽しんでおられるルーツはそこにあったのですね!音楽の時間が沢山あったとはうらやましい環境でしたね。おっしゃるとおり、音楽は選択科目なので高校では選ばない人もいたわけです(私は当然音楽を選びましたが)。音楽の授業で忘れられない思い出があります。歌のテストでブラームスの「日曜日」を歌ったのですが、その伴奏を生徒何人かで分担し、私も伴奏を弾く経験が出来たことです。下手なので猛烈に練習した記憶があります。いい思い出です。
真子さんは国文を希望されていたのですね。吉野弘さんの詩、はじめて知りましたがいいですね!
不思議な縁をこれからも大切にしていきたいですね。
投稿: フランツ | 2014年6月12日 (木曜日) 06時28分
フランツさん、こんにちは。
音楽の歌のテストに、ブラームスの「日曜日」とは、なかなか洒落た先生でいらっしゃったんですね。
伴奏や歌う生徒さんは少々ご苦労をなさったかもしれませんが・・。
でも素敵な学生時代の思い出ですね♪
私は、子供の頃から書道を習っていて、十代の頃は仏教にとても関心がありました(自称仏教徒でした)。
それで、大学で古典を勉強して、更に仏教を学び、写経などして・・・というつもりでいたんです。
それがクリスチャンになり、音楽を始め、教会で讃美歌のソロなんか歌って・・。
えらい方向転回です(笑)
でも、仏教も素晴らしいと思っていますし、書道も続けています(病気休養中ですが)。
やはり発病のことですが、人前で歌うとき、音楽をしている自分が場違いな場所にいるような気がしていました。
でも、好きなんですよね、歌が。
投稿: 真子 | 2014年6月12日 (木曜日) 09時17分
すみません。訂正です。
やはり発病のことですが⇒やはり発病前のことですが
すみません(^^;)
吉野弘さんの「心の四季」は、高田三郎さん作曲の合唱曲になっています。
一曲目の「風が」は、本当に詩も曲も美しいです。
風が桜の花びらを散らす
春がそれだけ弱まってくる
ひとひらひとひら舞い落ちるたびに
---人は 見えない時間に吹かれている
光が萄の丸い頬をみがく
夏がそれだけ輝きを増す
内に床しい味わいを湛え(たたえ)
---人は 見えない時間にみがかれている
雨が銀杏の金の葉を落とす
秋がそれだけ透き通ってくる
うすいレースの糸を抜かれて
---・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雪がすべてを真白に包む
冬がそれだけ汚れやすくなる
汚れを包もうと また雪が降る
---私は 見えない時間に包まれている
とても深みのある繊細な詩で大好きです。
「うすいレースの糸を抜かれて」など繊細の極みですよね。
高田三郎さんは「水のいのち」(高野喜久雄・詩)もとても有名で、私は合唱団で歌ったのですが、歌いながら感動が押し寄せてくる(特に最後の「海よ」)素晴らしい曲です。
両曲とも、フランツさんもきっとお好きな曲だと思います(*^^*)
投稿: 真子 | 2014年6月12日 (木曜日) 09時54分
真子さん、こんばんは。
ブラームス「日曜日」は教科書に掲載されていたので、歌のテストに使われることになったのですが、確かに「日曜日」で歌のテストをやるというのは、今思えば、なぜこの曲だったのだろうという気もします。まぁ素敵な曲だからかもしれませんが。
真子さんは書道を習っておられたそうですが、私も小学生の6年間習っていました。今ではたまに奈良に旅行に行った時に写経をするぐらいで、すっかり縁遠くなってしまいましたが。
仏教がお好きだった真子さんがクリスチャンになられたというのは面白いですね。でも興味の幅が広いというのは素敵だと思います。それにこうして歌を歌われて音楽を聴かれることで、私のブログにも来ていただけたのでしょうし、縁って不思議ですね。
私は合唱曲は本当に疎くて、恥ずかしいぐらいなのですが、こうして合唱曲をご紹介いただき、有難うございます!素敵な詩ですね。繊細な言葉選びがまた素晴らしいです!ぜひ聴いてみたいと思います。
投稿: フランツ | 2014年6月13日 (金曜日) 02時05分
フランツさん、こんにちは。
奈良にご旅行された折には写経をなさったとのこと、素晴らしいですね。
筆を持つと心が静かになりますよね。
私は平安かなが大好きで、筆はかな書道もやっていたのですが、細い線を緊張を持って引く時と、音を細く当ててピアニッシモで歌う時の緊張感と集中の仕方が似ているんです。
歌の場合はエネルギーは外へと向かいますから、書を書くときと少し違うんですが・・。
興味深いい共通点です。
フランツさんご指摘のように、色んな事に関心があり、よく周りからも笑われます。十代の頃にはちょっとした武勇伝もありました。といっても、仏教徒だったくらいですから、変なことはしておりませんが(笑)
私も素晴らしいご縁に感謝しております(*^^*)
投稿: 真子 | 2014年6月13日 (金曜日) 14時54分
真子さん、おはようございます。
薬師寺に写経道場があり、終わると仏像の絵が書かれた集印帳に印を押してもらえるので、コレクター魂が出て(笑)、行ける時には年一回ペースで行きます。道場のしーんと時が止まったような空間で写経をするのは日常ではなかなか味わえない感覚です。
書道と歌との共通点、とても興味深いです!緊張感をもって集中して取り組む時には似た感覚があるのかもしれませんね。両方体験された真子さんだからこその経験談有難うございます(^^)
仏教徒だった真子さんの武勇伝、きっと周りの人たちの頬をゆるめるような素敵なものだろうと想像します。興味が広いというのはいいことですよね。
ブログに来てくださる方とのご縁は本当に貴重で有難いなぁと思っております。
投稿: フランツ | 2014年6月14日 (土曜日) 08時54分