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マルリス・ペーターゼン&イェンドリック・シュプリンガー/東京春祭 歌曲シリーズ vol.12(2014年3月29日 東京文化会館 小ホール)

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2014-
東京春祭 歌曲シリーズ vol.12マルリス・ペーターゼン(ソプラノ)

2014年3月29日(土)18:00 東京文化会館 小ホール

マルリス・ペーターゼン(Marlis Petersen)(ソプラノ)
イェンドリック・シュプリンガー(Jendrik Springer)(ピアノ)

R.シュトラウス(R.Strauss)/献呈(Zueignung) op.10-1

シューマン(Schumann)/《女の愛と生涯(Frauenliebe und -leben)》op.42
1.彼に会ってから(Seit ich ihn gesehen)
2.だれにもまさる彼(Er, der Herrlichste von allen)
3.私にはわからない、信じられない(Ich kann's nicht fassen, nicht glauben)
4.私の指につけた指環よ(Du Ring an meinem Finger)
5.姉妹よ、手をかして(Helft mir, ihr Schwestern)
6.やさしい友よ、あなたは見つめる(Süsser Freund, du blickest)
7.私の心に、私の胸に(An meinem Herzen, an meiner Brust)
8.あなたは初めての悲しみを私に与えた(Nun hast du mir den ersten Schmerz getan)

R.シュトラウス/《おとめの花(Mädchenblumen)》op.22
1.矢車菊(Kornblumen)
2.けしの花(Mohnblumen)
3.きづた(Epheu)
4.すいれん(Wasserrose)

~休憩(Intermission)~

R.シュトラウス/オフィーリアの歌(Lieder der Ophelia)(《6つの歌》op.67より)
1.どうしたらほんとうの恋人を見分けられるだろう(Wie erkenn' ich mein Treulieb)
2.おはよう、今日は聖ヴァレンタインの日(Guten Morgen, 's ist Sankt Velentinstag)
3.彼女は布もかけずに棺台にのせられ(Sie trugen ihn auf der Bahre bloss)

リーム(Rihm: 1952-)/《赤(Das Rot)》
1.真紅(Hochrot)
2.すべては音もなくうつろに(Ist alles stumm und leer)
3.少年の朝のあいさつ(Des Knaben Morgengruss)
4.少年の夜のあいさつ(Des Knaben Abendgruss)
5.クロイツァーへ(An Creuzer)
6.あなたは暗闇を好む(Liebst du das Dunkel)

R.シュトラウス/ツェチーリエ(Cäcilie) op.27-2

~アンコール~

R.シュトラウス/万霊節(Allerseelen) op.10-8
シューマン/献呈(Widmung) op.25-1
即興「さくら」

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二日連続で東京文化会館の小ホールに来ることも珍しい。
しかもどちらも歌曲の夕べ。
私としてはうれしい2 daysだ。

今年は東京・春・音楽祭が10周年を迎えたとのこと。
おめでとうございます。
このシリーズは実行委員長の鈴木幸一氏が私財を投げ打って始めたと聞いた。
最初は動員も厳しかったそうだが、今はすっかり春の恒例イベントに定着した感がある。
今回は(いつも通り無料で)配布される分厚いプログラムに過去10年の全公演の記録も掲載されているので、このプログラムめあてに何か1公演聴かれるのもいいかもしれない。

今日聴くのは、ドイツ出身の今活躍中のソプラノ、マルリス・ペーターゼンの初リサイタル。
ピアノ共演はこの音楽祭ではお馴染みのイェンドリック・シュプリンガー。

今回のコンサートについて、演奏者2人の名前によるコメントがあり、テーマは「女性」とのこと。
シューマンの「女の愛と生涯」や、ハムレットによるシュトラウスの「オフィーリアの歌」は言うまでもないが、シュトラウスの歌曲集「おとめの花」は男性が女性を花にたとえた内容である。
そしてリームの「赤」という歌曲集の詩はカロリーネ・フォン・ギュンダーローデという女性の手による。
この人は、演奏者のコメントによれば「既婚の愛人、文献学者のフリードリヒ・クロイツァーが最終的に彼女のもとを去った時、26歳で自害」したとのこと。
歌曲集の5曲目の「クロイツァー」というのは愛人に向けての内容ということになる。

そのリームの歌曲集「赤」は、あまり現代音楽特有の趣は強くなく、歌の旋律などは後期ロマン派の流れといってもいいぐらいに親しみやすい。
ピアノパートもそれほど奇抜ではなく、歌唱パートに寄り添っているのは明らかだ。

ペーターゼンはカラフルな花をあしらった明るいドレスで登場した。
髪も一部をピンクに染めて、快活な現代っ子という感じ。
だが、その歌唱はリート歌唱の伝統を受け継ぐに足る充実したものだった。

声は基本リリックソプラノのようだが、芯があり、ボリュームも豊かで朗々とよく響く。
クールな美声と恵まれた容姿をもち、すでに完成されたアーティストという印象だ。
リームの歌曲集のみ楽譜を見ながらの歌唱だったが、他はもちろん暗譜。
シュトラウスの名品の数々も生き生きと躍動感にあふれて歌われ、しっとりとした趣の「おとめの花」の中の歌も魅力的な歌唱。
シューマンの「女の愛と生涯」はテキストに沿った丁寧な歌唱で、主人公になりきって歌ってはいるものの、第三者的な冷静な目も感じさせる。
そのクールな声の質感からそう感じさせられるのか。
リームの歌曲集では音の跳躍やら音程やらのおそらく難関を余裕で突破した見事な歌唱。

そして「ツェチーリエ」でドラマティックに締めくくる。
リート歌手としての知性と感性のバランスの良さを感じさせる逸材と思う。

アンコールはシュトラウスとシューマンから名作を1曲ずつ。
そして、最後は桜の美しさに触発されて短い即興を歌ってみせた(シュプリンガーのみやびやかな分散和音にのって)。

ピアノのイェンドリック・シュプリンガーはその対応能力の高さを感じさせた。
1972年ゲッティンゲン生まれというからまだ40台に入ったところ。
軽めのタッチだが、曲の特徴をよくつかんだ演奏を聴かせる。
上半身をゆっくり回転させながら演奏するのが特徴的だ。
今後の成熟が楽しみである。

演奏会前に寄った上野公園はすでに花見客でごったがえしている。
しかし、その活気もまた今の日本には必要なものだろう。
上野の森に耳と目を堪能させてもらった。

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Petersen_springer_autograph_2014032←二人のサイン(右下がペーターゼン、左上がシュプリンガー)

Tokyo_bunka_kaikan_20140329←東京文化会館がリボンで結ばれています。

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河原忠之/リサイタル・シリーズ 2014 ~歌霊(うたたま)~第6回 フランシス・プーランクⅡ(2014年03月28日 東京文化会館 小ホール)

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河原忠之リサイタル・シリーズ 2014 ~歌霊(うたたま)~第6回 フランシス・プーランクⅡ
デビュー30周年記念

2014年03月28日(金)18:30 東京文化会館 小ホール(全自由席)

河原忠之(Tadayuki Kawahara)(ピアノ / Piano)
羽根田宏子(Hiroko Haneda)(ソプラノ / Soprano)
林美智子(Michiko Hayashi)(メゾ・ソプラノ / Mezzo-soprano)
村田健司(Kenji Murata)(バリトン・レジェ / Baritone martin)※プレ・トークと語り

第1部 ポール・エリュアールの詩による歌曲

歌曲集「5つの詩」(林美智子)
1.睡るその男は…
2.彼は彼女を…
3.透きとおった水の羽…
4.ガラスの額をもち…
5.恋する女たち…

歌曲集「こんな日 こんな夜」(林美智子)
1.うららかな日…
2.空の貝殻…
3.ちぎれた軍旗…
4.災難にあった馬車…
5.まっしぐらに…
6.野の花は…
7.きみだけを…
8.猛々しい顔…
9.私達は夜を創った…

歌曲集「燃える鏡」(羽根田宏子)
1.君は夕暮れの火を見る…
2.お前の額に名前を…

歌曲「この優しい顔」(羽根田宏子)

歌曲「・・・だが それは滅ぶこと」(羽根田宏子)

歌曲「心に支配される手」(羽根田宏子)

歌曲集「冷気と火」(林美智子)
1.眼から太陽から…
2.朝枝々は…
3.すべて消え去った…
4.庭の闇の中に…
5.冷気と火を…
6.おとこやさしい微笑…
7.流れて行く大河は…

歌曲集「画家の仕事」(林美智子)
1.パブロ・ピカソ
2.マルク・シャガール
3.ジョルジュ・ブラック
4.フアン・グリス
5.パウル・クレー
6.ホアン・ミロ
7.ジャック・ヴィヨン

歌曲「磁器の歌」(林美智子)

~休憩~

第2部 反戦と詩人

~マックス・ジャコブ詩~

歌曲集「5つの詩」(羽根田宏子)
1.ブルターニュの唄
2.お墓
3.かわいい女中
4.子守歌
5.スリックとムリック

歌曲集「パリジアーナ」(羽根田宏子)
1.コルネットを吹くこと
2.あなたもう書かないの?

~ルイ・アラゴン詩~

歌曲集「2つの詩」(羽根田宏子)
1.セー
2.みやびやかな宴

~ロベール・デスノス詩~

歌曲「消えた男」(林美智子)

歌曲「最後の詩」(羽根田宏子)

~休憩~

第3部 子供の世界

ジャン・ド・ブリュノフ作詞・絵
「子象ババールの物語」(語り:村田健司)

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河原忠之リサイタル・シリーズ“歌霊”も今年で第6回目を迎え、プーランクのⅡ回目が東京文化会館小ホールで演奏された。
Ⅰ回目を聴けなかったのが残念だが、前回と同じメンバーによるとのこと。
今回は6時半にスタートし、2回の休憩をはさみ、終演が9時20分頃というボリュームのある内容だった。
それでもちらしで予告されていたいくつかの歌曲はプログラムから省かれたというのも致し方ないことだろう(「村人たちの歌」が省かれたのは残念だったが)。

仕事を終えて会場に着くと、すでに村田健司氏のプレ・トークが始まっていた。
舞台上手側に立ち、穏やかで冷静に詩人と作曲家のかかわりを語る村田氏のトークは興味深いものだった。
スクリーンも利用され、詩人の写真や、演奏中の訳詩、さらに「子象ババールの物語」ではもとの絵本の中からの絵も映し出され、視覚からも楽しませてもらった。

エリュアールの詩はシュルレアリスムの言葉のとらえがたい内容を理屈でとらえずに、感覚で浴びることが大事とのこと。
確かに日本語に訳されたもので意味をとろうとすることは難しく、またそうする必要もないのかもしれない。
フェリシティ・ロットのリサイタルで好きになった歌曲集「こんな日 こんな夜」も理屈に合わない場面の連続であり、むしろその不思議な感覚そのものを楽しめばよいのだろう。
またちょっと変わった猥雑な人だったというマックス・ジャコブや、ロベール・デスノスといった詩人たちは、いずれもユダヤ人であった為に収容所で亡くなったとのこと。
そういう事実を知ったうえで、デスノスの「消えた男」というユダヤ人の友人がある日ぱったり町から消えたという内容の曲を聴くと、その重みが(曲の軽さも相まって一層)実感される。
プーランクの音楽はしゃれていたり、真面目くさっていたり、早口言葉だったり、悲しげだったり、そのころころ変わる楽想は飽きることがない。
だが、じっくり聴いていると、同じような曲想を異なる作品で使ったりもしている。
例えば、歌曲集「村人たちの歌」の中の「乞食」の前奏の音楽は、「子象ババールの物語」の中で母象が子象を背中に乗せて歩く場面で流用され、重い足取りを表す時のプーランクのお決まりの音楽なのかもしれない。

今回20歳でデビューして30周年の記念も兼ねているという河原忠之のピアノはまったくもって素晴らしい!
先日望月哲也のリサイタルで世紀末のウィーンの歌曲集を聴いたばかりだが、この短期間にプーランクの多彩で雄弁で難しい(であろう)音楽をよくここまで見事に自分のものにして演奏していることか。
河原氏の能力に脱帽するだけでなく、彼の各作品への愛情が演奏する姿勢からも感じられ、本当に素晴らしいピアニストだとあらためて実感させられた。
音があいかわらず温かみのあるみずみずしい響きなのが素敵だ。

歌手も多彩だ。
今が旬のさなかのメゾソプラノの林美智子は、舞台姿も美しく、さらに深みのあるメゾの美声がそれぞれの歌曲に息吹を与えているのを心地よく聴くことが出来た。
ベテランのソプラノ、羽根田宏子は全曲暗譜(!)で、どの曲も味わいがにじみ出た血肉となった表現が素晴らしかった。
そして各ブロック演奏前のトークもこなした村田健司がフランス語の語りで出演した「子象ババールの物語」のなんという名演!
目をつむっていればここにいるのが日本人であるとは誰も思わないだろう。
名俳優さながらの起伏に富みドラマティックに演出する村田氏の語りは、映像がもしなかったとしても聴き手の胸に温かいものを灯したであろうことは間違いない。
目の前にババールが、町の老婦人が、象の国の王様が、ぱっと目に浮かぶような迫真の語りであった。
これはよいものが聴けて大満足である。
前回の再演とのことだが、これは次回のプーランクの時にもぜひ再演を重ねてほしい演目である。

長丁場だが全く疲れを感じずに一気に楽しめた(演奏者は大変だったろうが)。
唯一注文をつけるとすれば、この文化会館の小ホールの構造上の問題なのかもしれないが、舞台裏の話し声や物音が結構聞こえるのが多少気になった。
だが演奏と選曲自体は大満足で、プーランクがますます身近になり、好きになった。

なお“歌霊”シリーズの次回は来年の3月31日、R.シュトラウスのⅡ回目とのこと。
楽しみである。

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新国立劇場/コルンゴルト作曲 オペラ「死の都」(2014年3月21日 新国立劇場 オペラパレス)

新国立劇場オペラ「死の都(Die tote Stadt)」

原作(Original):ジョルジュ・ローデンバック(Georges Rodenbach)
台本(Libretto):パウル・ショット(Paul Schott)(ユリウス・コルンゴルト(Julius Korngold)/エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold))
作曲(Music):エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold)

2014年3月21日(金・祝)14:00 新国立劇場 オペラパレス
(1幕:50分-休憩25分-2幕:50分-休憩25分-3幕:50分)

パウル:トルステン・ケール(Torsten Kerl)
マリエッタ/マリーの声:ミーガン・ミラー(Meagan Miller)
フランク/フリッツ:アントン・ケレミチェフ(Anton Keremidtchiev)
ブリギッタ:山下牧子(Yamashita Makiko)
ユリエッテ:平井香織(Hirai Kaori)
リュシエンヌ:小野美咲(Ono Misaki)
ガストン(声)/ヴィクトリン:小原啓楼(Ohara Keiroh)
アルバート伯爵:糸賀修平(Itoga Shuhei)
マリー(黙役):エマ・ハワード(Emma Howard)
ガストン(ダンサー):白鬚真二(Shirahige Shinji)

合唱:新国立劇場合唱団(New National Theatre Chorus)
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団(Setagaya Junior Chorus)
管弦楽:東京交響楽団(Tokyo Symphony Orchestra)
指揮:ヤロスラフ・キズリング(Jaroslav Kyzlink)

演出:カスパー・ホルテン(Kasper Holten)

美術(Scenery Design):エス・デヴリン(Es Devlin)
衣裳(Costume Design):カトリーナ・リンゼイ(Katrina Lindsay)
照明(Lighting Design):ヴォルフガング・ゲッベル(Wolfgang Göbbel)
再演演出(Revival Director):アンナ・ケロ(Anna Kelo)
合唱指揮(Chorus Master):三澤洋史(Misawa Hirofumi)
舞台監督(Stage Manager):斉藤美穂(Saito Miho)
芸術監督(Artistic Director):尾高忠明(Otaka Tadaaki)

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コルンゴルトのオペラ「死の都」をはじめて見た。
なんでも数日前にびわ湖で上演されたのが舞台上演の日本初演だったそうで、こちらは数日遅れで初演の栄誉を逃してしまったことになる。
しかし、上演は美しい音楽と凝った舞台美術、さらに工夫された照明で楽しめ、最後にはなぜか感動までしてしまった。

妻を亡くした男パウルが街中で妻にうりふたつなマリエッタと出会い、家に招待する。
そこで亡き妻と、目の前の似姿たるマリエッタとの間で揺り動くパウルの心理を描いたオペラということになるだろうか。
結果から言うと、マリエッタと過ちを犯し、最後には絞殺してしまうというのはすべて夢でしたという落ちになっている。
今時は誰もやらない手法だろうが、この当時はまだこういう手法もありだったのかもしれない。
だが、煮え切らないように見えるパウルだが、結局妻だけを愛していて、その面影を見たマリエッタを本当に好きになったわけではないことは誰でも分かるだろう。
しかし、理屈どおりにいかないのが人間関係であり、その機微を描いた作品として、これまで上演されなかったのが不思議なほどだ。
なんでもコルンゴルト23歳ごろに完成した作品とのことで、台本も父親との共作らしく、なんとも早熟な天才だったのだろう。
たまにR.シュトラウスっぽいところもあるが、全く前衛的な要素はなく、全体的には素直に耳に入ってくる音楽で、後の映画音楽の片りんを感じさせるようなドラマティックな音楽も出てくる。
マリエッタのリュートの歌というのと、道化フリッツの歌が単独でも歌われる有名なナンバーらしく、確かに甘美で美しい。

今回はミニチュアハウスが散らばった部屋の中に亡き妻の思い出の品や写真が飾られているという設定で、中央にベッドがある。
そして死んだはずの妻が常に黙役で舞台上に出ずっぱりなのも演出家の工夫なのだろう。
確かにパウルにだけ見える存在として、部屋の中をさまよっているのはそれなりの効果があったように思う。
第3幕でマリエッタにもマリーの姿が見えて以降の"女の闘い"は時代を超えておそろしい...

第2幕では踊り子マリエッタの一座が登場してにぎやかになるが、主にパウルとマリエッタのやり取りが中心にあり、工夫次第で良くも悪くもなろう。
今回の演出は、舞台装置はほとんど同じで、照明や後景の変化で、単調にならないように工夫しているようだ。
だが、夢から覚めたパウルが妻の死を受け入れ、友フランクの誘いに乗って「死の都」ブリュージュから旅立つという最後が一番の見せ場だったような気がする。
もちろんそこに至るまでの様々な描写があってこそだが、最後にパウルが新たな一歩を踏み出すところは不思議な感銘があった。
演出のせいだろうか、音楽のためだろうか、とにかく珍しいオペラという以上のものが、この作品には宿っていることが分かり、充実した時間だった。

歌手では出ずっぱりのパウル役、トルステン・ケールが最後まで朗々たる声を聴かせ見事。
マリエッタ役のミーガン・ミラーも徐々に調子を上げて、初役とは思えない充実感があった。
天井桟敷ではっきり見えなかったのが残念だが、公式サイトのゲネプロビデオを見た限り、見た目も美しいようだ。
そして、黙ったまま舞台上で亡きマリーを演じたエマ・ハワードも可憐で目を引いた。
マリエッタとうりふたつという感じではなかったが。
召使いブリギッタ役の山下牧子も非常に充実した歌唱を響かせていたし、フランクとフリッツを兼ねたアントン・ケレミチェフも落ち着いた雰囲気が良かった。

キズリング指揮の東京交響楽団もよく音楽の美しさを引き出していたのではないか。
合唱団は今回必ずしも出番が多くはなかったが、いつも通りの安定した充実感はあった。

これから様々なプロダクションで上演されるようになることを祈ることにしたい。
なお、舞台のきれいな写真が掲載されているサイトをご紹介したい。
 こちら

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藤村実穂子&ヴォルフラム・リーガー/リーダーアーベントⅣ(2014年3月19日 紀尾井ホール)

藤村実穂子 リーダーアーベントⅣ
2014年3月19日(水)19:00 紀尾井ホール

藤村実穂子(Mihoko Fujimura)(MS)
ヴォルフラム・リーガー(Wolfram Rieger)(P)

R. シュトラウス(Strauss)/
薔薇のリボン(Das Rosenband) Op.36-1
白いジャスミン(Weißer Jasmin) Op.31-3
高鳴る胸(Schlagende Herzen) Op.29-2
愛を抱きて(Ich trage meine Minne) Op.32-1
愛する人よ、別れねばならない(Ach Lieb, ich muss nun scheiden) Op.21-3
憧れ(Sehnsucht) Op.32-2

静かな歌(Leise Lieder) Op.41-5
解放(Befreit) Op. 39-4
岸で(Am Ufer) Op.41-3
帰郷(Heimkehr) Op. 15-5
小さな子守唄(Wiegenliedchen) Op.49-3
子守唄(Wiegenlied) Op. 41-1

~休憩~

マーラー(Mahler)/歌曲集「子供の魔法の角笛」より(aus "Des Knaben Wunderhorn")
ラインの小伝説(Rheinlegendchen)
この世の生活(Das irdische Leben)
原初の光(Urlicht)
魚に説教するパドゥアの聖アントニウス(Des Antonius von Padua Fischpredigt)
この歌を思い付いたのは誰?(Wer hat dies Liedlein erdacht?)
不幸の中の慰め(Trost im Unglück)
無駄な努力(Verlorene Müh)
高い知性への賞賛(Lob des hohen Verstandes)

~アンコール~

マーラー/歌曲集「若き日の歌」より~ハンスとグレーテ(Hans und Grethe)
マーラー/歌曲集「若き日の歌」より~たくましい想像力(Starke Einbildungskraft)
マーラー/歌曲集「若き日の歌」より~別離と忌避(Scheiden und Meiden)

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藤村実穂子のリーダーアーベントを聴くのも今回で4回目となった。
毎回充実した歌唱を聴かせてくれる藤村だが、今回は特に血肉となった見事な歌の連続に深い感銘を受けた。
共演のピアニストは、第2回からずっと共演しているヴォルフラム・リーガー。
この人も国際的に活躍しているリートピアニストだが、今回が最も藤村さんとのアンサンブルが密に感じられた。

前半が12曲のリヒャルト・シュトラウス歌曲、後半がマーラーの「子供の魔法の角笛」からの8曲ですっきりまとめられていた。

青みがかった紫っぽい初お披露目と思われるドレスを着て舞台に登場した藤村さんはいつも通りの威厳が感じられた。
リーガーは髪に白いものが増えたような気がした。

最初の「薔薇のリボン」からすでに鍛えられて美しく充実した藤村さんの声が、あたかもなんともないかのような自然なディクションで響く。
ドイツ人でもないのに、この美しいディクションを聴くと、ドイツ語がとても美しい言語であるように感じられる。
そして曲が進むにつれて彼女の声がふくよかさを増し、つやつやと輝き、充分なボリュームで聴き手の耳を幸福に満たす。
「高鳴る胸」で"Kling-klang(クリン、クラン)"と胸のときめきを表現する時の藤村さんの愛らしいこと!
彼女の笑顔が聴く者の緊張をほぐしていく。
続いて甘美な「愛を抱きて」を情感こめて歌い、「愛する人よ、別れねばならない」の簡潔な悲しみの表現を見事に歌った。
そして不安げな雰囲気のピアノパートが印象的な「憧れ」で藤村さんは言葉の意味を歌唱で伝えきった。
例えば「君が冷たい眼を向けても」という時の"kalt(冷たい)"という言葉を彼女の声の質で表現し、何度も繰り返される"ich liebe dich(君を愛す)"をそのたびごとに表情を変えて表現した。
この曲が終わると、二人は拍手を受けていったん袖に戻ってからシュトラウスの次のグループに入った。
中でも名曲の評判高い「解放」をドラマティックに息の長いフレーズも含め見事に歌ったが、彼女はこの曲をリートの枠組みの中で歌いきった。
そこが他のオペラ歌手がシュトラウス歌曲をオペラアリアのように歌いたがるところと異なる美質だろう。
シュトラウスのグループ最後は2曲の「子守唄」が並んだ。
そして前半最後を締めくくる「子守唄」では完璧な彼らにしては珍しいミスがあった。
最初にリーガーが異なる音をぽんと鳴らすと、すぐに藤村さんも調子を崩したのである。
ほんのちょっとしたミスが伝染するというのは、藤村さんがピアノパートを実によく聴きながら歌っていることの証ではなかろうか。
もちろん二人はすぐに持ち直したが、緊密な関係であるからこそのミスの連鎖だったように私には思えた。

休憩後はオール・マーラーだが、こちらは本当に肩のこらない楽しい曲が中心だった。
だが、中には「この世の生活」のような曲もあったが、飢えた子どもと母親の会話による悲痛というよりは皮肉な表現を、彼女は声色を変えはしたがストレートに表現する。
そうすることによって、聴き手の想像力を掻き立てる節度のある歌唱だったと言えるのではないか。
「原初の光」はぴんと背筋が伸びるような真摯な表現が胸に迫った。
「ラインの小伝説」では王様の声色を変え、「不幸の中の慰め」や「無駄な努力」は恋人同士の一人二役をこなし、オペラ歌手の本領を発揮した。
「魚に説教するパドゥアの聖アントニウス」や「高い知性への賞賛」では彼女にしては珍しいコミカルな歌唱で、マーラーの皮肉を巧まずに表現した。
どの歌も藤村さんの自我が前面に出てくることは一切なく、曲そのものの姿をありのままに美しく提示してくれる。
そこに藤村さんの歌唱の素晴らしさがあるのではないだろうか。

なお、ピアノのヴォルフラム・リーガーの細やかで柔軟な表現力はさすが世界を股に活躍しているだけのことはある。
「憧れ」の後奏のように慈しむようにゆったりと弾きおさめる面があるかと思うと、「無駄な努力」のように雄弁な演奏で積極的に歌をつくりあげたりもする。
その対応の幅広さが彼を理想的なリート伴奏者としているのだろう。
音色は常に練られていて、耳に心地よい。
こういうピアニストを選んだ藤村さんの耳も素晴らしい。

なお、今回の来日ツアーの別公演のインタビューが興味深いのでぜひご覧ください。
 こちら

いかに彼女が使命感をもって日常のすべてを歌に捧げているかが伝わってくる。
このような生活を続けていて、彼女曰く「体が高速道路をファーストギアで走り続け、焼け焦げた車のモーターみたいになってしまいました」とのことで、残念ながら歌曲リサイタルは一時休止するとのこと。
一日も早く歌曲リサイタルを再開する日が来ることを祈りたい。

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エリー・アーメリングのモーツァルト&マーラー・1969年ライヴ配信(Radio 4 Concerthuis)

オランダのインターネットラジオRadio 4 Concerthuisで、アーメリングが参加したライヴ録音が期間限定で配信されています(2014年3月22日現在で残り63日となっています)。

 こちら

Matinee op de vrije zaterdag: Radio Filharmonisch Orkest o.l.v. Bernard Haitink
(土曜日マチネ公演:ベルナルト・ハイティンク指揮オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団)

録音:1969年11月8日(土)15:00 Concertgebouw Amsterdam, grote zaal (アムステルダム・コンセルトヘバウ 大ホール)

Elly Ameling(エリー・アーメリング)(Soprano)
Aafje Heynis(アーフィエ・ヘイニス)(Alt)
Groot Omroepkoor(オランダ放送大合唱団)
Radio Filharmonisch Orkest(オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団)
Bernard Haitink(ベルナルト・ハイティンク)(Conductor)

1. Wolfgang Amadeus Mozart(モーツァルト) / Motet voor sopraan en orkest KV.165, "Exsultate, jubilate" (モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」) (17'01)

2. Gustav Mahler(マーラー) / Symfonie nr.2 in c "Auferstehung" (交響曲第2番ハ短調「復活」) (1'26'10)

前半はモーツァルトの有名なモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」をアーメリングのソロでたっぷり聴けます。
この日はモーツァルトの後に休憩が入り、後半はマーラーの「復活」全曲演奏となったようです。
マーラーでは1時間08分ごろからアーメリングの最初の声が聴けます。
とりわけモーツァルトでは36歳の若さあふれるみずみずしいアーメリングの美声を堪能できます。
ライヴということもあり、声が朗々と響きわたっています。
ちなみにマーラーでのアルトのヘイニスの温かい声も聴きものです。

なお、当日のプログラム冊子は
 こちら

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新国立劇場バレエ団/シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ(2014年3月18日 新国立劇場 中劇場)

新国立劇場バレエ団公演

暗やみから解き放たれて
大フーガ
シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ

2014年3月18日(火)19:00 新国立劇場 中劇場

『暗やみから解き放たれて(Escaping the Weight of Darkness)<世界初演>』
音楽:オーラヴル・アルナルズ、ニルス・フラーム、ジョッシュ・クレイマー、ジョン・メトカーフ
振付:ジェシカ・ラング(Jessica Lang)
出演:小野絢子、長田佳世、福岡雄大、八幡顕光、米沢 唯、貝川鐵夫、奥村康祐、井倉真未、清水裕三郎、竹田仁美、奥田花純、小野寺雄、小柴富久修、若生 愛 ほか

『大フーガ(Grosse Fuge)<新制作>』
音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン「大フーガ」Op.133、弦楽四重奏曲第13番Op.130~第5楽章「カヴァティーナ」
振付:ハンス・ファン・マーネン(Hans van Manen)
出演:長田佳世、本島美和、湯川麻美子、米沢 唯、菅野英男、福田圭吾、古川和則、輪島拓也

『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ(Symphony in Three Movements)<新制作>』
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
振付:ジョージ・バランシン(George Balanchine)
出演:長田佳世、小野絢子、米沢 唯、八幡顕光、福岡雄大、菅野英男 ほか
第二楽章パ・ド・ドゥ:小野絢子、福岡雄大

出演:新国立劇場バレエ団
管弦楽:新国立劇場プレイハウス・シアター・オーケストラ
指揮:アレクセイ・バクラン(Alexei Baklan)

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3つの異なる演目の組み合わせによる新国立劇場バレエ団の公演を見た。

「暗やみから解き放たれて」はポスト・クラシカルというジャンルの音楽によるバレエとのことで、世界初演。
グレーの衣装(だったと思う)による5部からなる作品。暗めの照明の中、心地よい音楽にのって様々な人数で踊られる。

「大フーガ」はベートーヴェンの同名曲による作品で、ベージュのレオタードの女性4人と上半身裸で黒い袴(スカート?)を履いた男性4人が官能的な踊りを繰り広げる。
特に男性のベルトにつかまって女性が引きずられる箇所など印象的。

「シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ」は3組のプリンシパル・カップル、5組のソリスト・カップル、そして16人の女性アンサンブルによる(パンフレットによる)。
大勢でかつての金融系のCMダンスみたいなのをやるところが面白い(俗な言い方ですみませんが、それが思い付いたもので...)。
ストラヴィンスキーのおもちゃ箱をひっくり返したような楽しい音楽に乗ったダンスは時に腕の形など変わった動きをして面白い。

難しいことは分からないので、ひたすら音楽を聴きながら優れたダンサーのダンスを見て、楽しんだ。
後の2作品は生のオケの演奏にのせての上演。

記憶の曖昧なところもあるので、上記の内容、混同しているところもあるかもしれません。ご了承ください。

Symphony_in_three_movements_2014031
Symphony_in_three_movements_20140_2

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北村朋幹/ピアノ・エトワール・シリーズ アンコール!Vol.2(2014年3月15日 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール)

ピアノ・エトワール・シリーズ アンコール!Vol.2
北村朋幹ピアノ・リサイタル

2014年3月15日(土)14:00 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
北村朋幹(Tomoki Kitamura)(Piano)

シューマン(Schumann)/4つのフーガ 作品72
 1.速くなく
 2.とても生き生きと
 3.速くなく、とても表情豊かに
 4.中庸のテンポで

ベリオ(Berio)/セクエンツァ IV

スクリャービン(Scriabin)/ソナタ第10番 作品70

~休憩~

ベートーヴェン(Beethoven)/ソナタ第29番変ロ長調 作品106 「ハンマークラヴィーア」
 1.アレグロ
 2.スケルツォ アッサイ・ヴィヴァーチェ
 3.アダージョ・ソステヌート
 4.ラルゴ-アレグロ・リソルート

~アンコール~
バッハ(Bach)/シンフォニア第11番ト短調 BWV797
ベートーヴェン/「11の新しいバガテル」より第11番 作品119-11

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彩の国さいたま芸術劇場で北村朋幹のリサイタルを聴いた。
このホールは初めて出かけたが、埼京線の与野本町駅から徒歩10分ぐらい。
案内には7分とあったが、それ以上は確実にかかったと思う。

目下ドイツ留学中の北村朋幹だが、今もたびたび帰国して演奏を聴かせてくれるのは嬉しいことだ。
見た目は相変わらずの細身だが、演奏は以前よりも成熟した印象を受けた。
拍手を受けてからピアノに向かうと、演奏に没入するところはいつも通りだが、その演奏姿勢は幾分落ち着いてきたように見えた。
冒頭のシューマンの「4つのフーガ」がまず素晴らしく、ひとつひとつの音が吟味されていて、胸に沁みわたる。
このフーガ、シューマン的な雰囲気も多少はあるものの、やはりバッハ的な印象が強い。
緩急緩急の4曲それぞれが異なる性格をもち、とても魅力的だ。
こういう珍しい作品を掘り起こす北村のプログラミングも見事だと思った。

ベリオとスクリャービンは楽譜を置き、譜めくりをしてもらいながらの演奏。
中断せずにこの2曲は続けて演奏された。
ベリオの作品はぽつっぽつっと和音を短く切りながら曲が始まるが、途中で盛り上がりも見せ、急速なパッセージも出てくる。
こちらも北村の没入ぶりがいい演奏につながっていたように感じられた。

スクリャービンのソナタ第10番は単一楽章の作品で10分強ほど。
こちらはゆったりめのテンポでたっぷり音に余裕を持たせながら、半音階のアンニュイな雰囲気やトリル、トレモロの響きなどを丁寧に聴かせていた。

後半はベートーヴェンの大作「ハンマークラヴィーア・ソナタ」。
これはいくら才能豊かな北村にとっても挑戦だったのではないか。
こればかりはさすがに成熟とはまだ言えないが、若さみなぎる演奏だった。
勢いのあるチャレンジングな姿勢が、彼の等身大の演奏となっていて、いさぎよかった。
今後演奏を重ねることでより練れていくのだろう。
今しか出せない力強さが感じられて、これはこれで十分満足できるよい演奏だったと思う。

そしてアンコール2曲は歌心あふれる演奏で温かい気持ちで帰路につけた。
ピアニストとしてよい演奏家に成長していることを確認できて、気持ちよいコンサートだった。
今後のさらなる研鑽に期待したい。

なお、北村朋幹がこのプログラムに寄せた文章はこちら

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髙橋節子&田代和久&平島誠也/ドイツ歌曲の夕べ ~シューマンとブラームス~(2014年03月13日 日暮里サニーホール コンサートサロン)

Liederabend_20140313_pamphlet

ドイツ歌曲の夕べ ~シューマンとブラームス~
Liederabend “Werke von Schumann und Brahms”

2014年03月13日(木)19:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全自由席)

髙橋節子(Setsuko TAKAHASHI)(ソプラノ)
田代和久(Kazuhisa TASHIRO)(パリトン)
平島誠也(Seiya HIRASHIMA)(ピアノ)

ブラームス(J.Brahms)/ドイツ民謡集より(Deutsche Volkslieder)
谷の底では(Da unten im Tale) WoO33-6(髙橋&田代)
どうしたら戸を開けて入れるのだ?(Wie komm ich denn zur Tür herein?) WoO33-34(髙橋&田代)
月が明るく照らなければ(Soll sich der Mond nicht heller scheinen) WoO33-35(1,3,4,5節)(髙橋&田代)
あるヴァイオリン弾き(Es wohnet ein Fiedler) WoO33-36(髙橋&田代)

ブラームス/ダウマーの詩による歌曲(Lieder nach Texten von Daumer)
便り(Botschaft)(田代)
私の女王様、あなたは何と(Wie bist du, meine Königin)(田代)
僕らはさまよい歩いた(Wir wandelten)(田代)
なまあたたかく大気は淀み(Unbewegte laue Luft)(田代)

シューマン(R.Schumann)/レーナウの6つの詩とレクイエム 作品90より(Sechs Gedichte von Nikolaus Lenau und Requiem Op.90)
私の薔薇(Meine Rose)(髙橋)
羊飼いの娘(Die Sennin)(髙橋)
孤独(Einsamkeit)(髙橋)
陰鬱な夕暮れ(Der schwere Abend)(髙橋)
レクイエム(Requiem)(髙橋)

~休憩~

シューマン/ゲーテのヴィルヘルムマイスターにもとづくリートと歌 作品98a(Lieder und Gesange aus "Wilhelm Meister" von Johann Wolfgang von Goethe Op.98a)
1.ご存知ですか、レモンの花が咲くあの国を(Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn)(髙橋)
2.竪琴弾きのバラード(Ballade des Harfners)(田代)
3.ただ憧れを知る人だけが(Nur wer die Sehnsucht kennt)(髙橋)
4.涙と共にパンを食べたことのない者(Wie nie sein Brot mit Tränen aß)(田代)
5.語れと言わないで(Heiß mich nicht reden)(髙橋)
6.孤独に身を浸す者は(Wer sich der Einsamkeit ergibt)(田代)
7.悲しい調子で歌うのはやめて(Singet nicht in Trauertönen)(髙橋)
8.戸口にそっと歩み寄り(An die Türen will ich schleichen)(田代)
9.このままの姿でいさせてください(So laßt mich scheinen)(髙橋)

~アンコール~
シューマン/私はあなたを思う(Ich denke dein) Op.78-3(髙橋&田代)
ブラームス/静かな夜に(In stiller Nacht) WoO33-42(髙橋&田代)

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ソプラノの髙橋節子とバリトンの田代和久、そしてピアノの平島誠也による歌曲の夕べを聴くのは今回で2度目である。
いずれも安定した実力の持ち主だけあって、この日暮里の小さな空間がドイツロマン派の空気に染まったのだった。
男女の歌手が揃ってはじめて可能な選曲がここではなされていて、ブラームスの「ドイツ民謡集」の恋人同士のやりとりはまさにうってつけ。
一方でそれぞれの歌手の持ち味が生かされたソロ曲も披露され、田代さんはブラームスを、髙橋さんはシューマンを歌った。
ブラームスの4曲はいずれも有名な作品で、田代氏の充実した美声が遺憾なく発揮された。
一方のシューマンは名作との誉れ高い「レーナウの6つの詩とレクイエム」からの抜粋で、とりわけ「陰鬱な夕暮れ」は歌、ピアノともに極めて充実した演奏だった。

後半が意欲的な選曲で、シューマンがゲーテの「ヴィルヘルムマイスター」から選んで作曲した歌曲を出版した通りの順序で演奏するというものである。
これこそ名歌手2人が揃わないと実現できない企画であり、この選曲にブラヴォーである。
これまで竪琴弾きやミニョンのテキストによる歌曲で私が最初に思い浮かべるのはシューベルトやヴォルフによるもので、シューマンによるものではなかった。
だがこれらのシューマンの作品をじっくり聴いてみると、シューマンの心の闇が深く反映されているように感じられ、テキストに対するシューマンの感受性の豊かさを改めて思わずにはいられない。
この歌曲集、頭でっかちで、最初の2曲が長めで、その後はミニアチュールが続く。
だが、「このままの姿でいさせてください」で控えめに歌曲集を締めくくるなど、なんとも粋ではないか。
最後にクライマックスをもってくるだけがいいわけではないのである。
竪琴弾きの歌の中では「涙と共にパンを食べたことのない者」が非常にドラマティックで驚かされるが、他の2曲も感動的で、もっと演奏されてよいだろう。
シューベルトやヴォルフの「歌びと」と同じ歌詞の「竪琴弾きのバラード」をはじめ、他のどの作曲家にも増してピアノパートに「竪琴」の響きが頻出するのが興味深かった。

髙橋さんは声量が徐々に豊かさをもち、後半でその良さが最大に開花した。
ドイツ語の響きの美しさと、テキストの主人公になりきる歌唱は胸を打たれるものがあった。
田代さんはダンディでノーブルな声をもつ。
なんとも耳に心地よい声の質と表現力で聴き手を魅了した。
平島さんのピアノは、端正な中に歌手への深い気配りが感じられ、歌の呼吸に合わせて絶妙に伸縮するピアノは歌手にとって得難いものだろう。
後半のシューマンの演奏ではとりわけ魂がこもっていて、端正かつ美しく絡み合う響きで、シューマネスクな世界を形成していた。

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望月哲也&河原忠之/Wanderer Vol.5~世紀末以後のウィーンに寄せて~(2014年3月6日 王子ホール)

望月哲也 Wanderer Vol.5 ~世紀末以後のウィーンに寄せて~

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2014年3月6日(木)19:00 王子ホール

望月哲也(Tetsuya Mochizuki)(Tenor)
河原忠之(Tadayuki Kawahara)(Piano)

マーラー(Gustav Mahler: 1860-1911)/若き日の歌(Lieder und Gesänge aus der Jugendzeit)より
 春の朝(Frühlingsmorgen)
 思い出(Erinnerung)
 セレナーデ(Serenade)
 自尊心(または《うぬぼれ》)(Selbstgefühl)

ツェムリンスキー(Alexander von Zemlinsky: 1871-1942)/歌曲集第1集Op.2より(Aus "Lieder" Heft 1, Op. 2)
 聖なる夜(Heilige Nacht)
 夜のささやき(Geflüster der Nacht)
 真夜中に(Um Mitternacht)
 街のはずれで(Vor der Stadt)

シェーンベルク(Arnold Schönberg: 1874-1951)/4つの歌曲(Vier Lieder)Op.2
 期待(Erwartung)
 あなたの金の櫛を私に(Schenk mir deinen goldenen Kamm)
 森の太陽(Waldsonne)
 高揚(Erhebung)

~休憩(Intermission)~

ヨーゼフ・マルクス(Joseph Marx: 1882-1964)/
 5月の花(Maienblüten)
 マリアの歌(Marienlied)
 愛はあなたに触れる(Hat dich die Liebe berührt)      

ベルク(Alban Berg: 1885-1935)/初期の7つの歌(Sieben Frühe Lieder)
 夜(Nacht)
 葦の歌(Schilflied)
 夜鳴きうぐいす(Die Nachtigall)
 夢にみた栄光(Traumgekrönt)
 部屋で(Im Zimmer)
 愛の讃歌(Liebesode)
 夏の日(Sommertage)

コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold: 1897-1957)/12の歌Op.5より(Aus "Zwölf Lieder" Op. 5)
 少女(Das Mädchen)
 夕べの風景(Abendlandschaft)
 山より(Vom Berge)
 森の孤独(Waldeinsamkeit)
 歌う気持ち(Sangesmut)

~アンコール~
山田耕筰(Kosaku Yamada)/からたちの花(Karatachi no hana)
山田耕筰/鐘がなります(Kane ga narimasu)
R.シュトラウス(Richard Strauss)/献呈(Zueignung)

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テノールの望月哲也が毎年王子ホールで開いているリサイタルシリーズ"Wanderer"の5回目を聴いた。
オペラの舞台で聴く機会の多い望月だが、久しぶりのドイツリートのリサイタルを楽しんできた。
ピアノはこのシリーズでお馴染みの河原忠之で、彼の演奏もまた聴きものだった。

今回は配布プログラムの歌手自身の言葉を借りるならば「世紀末という激動の時代に、お互い刺激し合って創作活動を行っていた作曲家たちの初期の歌曲作品」を取り上げたとのこと。
マーラーに始まり、ツェムリンスキー、シェーンベルク、マルクス、ベルク、コルンゴルトと様々な大家たちの名前が並ぶが、彼らの何人かに特徴的な無調音楽になる前のまだロマン派の流れを汲んでいた時期の作品なだけに聴きやすい。

望月哲也の声は相変わらず爽やかで美しい。
この爽快な声質は持って生まれたものであろうから、歌手一人だけでなく、聴き手にとっての財産でもあり、大事に育み、維持していっていただけたら嬉しい。
彼の活動の大半はおそらくオペラであろうから、リートを余技に思う方もいるかもしれないが、この日聴いた彼の歌唱は一人の立派なリート歌手による演奏であった。
もちろんマーラーの「自尊心」のように、自分がどうなってしまったか分からない主人公に対して診察する医者のセリフの歌い方やさりげない仕草などの巧みさはオペラでの経験が大きく影響しているのは間違いないだろう。
だが、これらの必ずしも馴染み深いとは言い難い作品全曲をすべて暗譜で完全に自分のものにしてしまうのは、リートを本格的に歌うという覚悟なしには難しいだろう。
舞台姿の絵になる様はさすがオペラ界のスターだけのことはあるが、テキストへの細やかな配慮や、どの音も手を抜かずしっかり歌いきる姿勢は素晴らしいと思う。
彼は奇をてらったことはせず、どの作品へもまっすぐに向かう。
ただやみくもに歌いあげるのではなく、抑制した表情や細やかな配慮も聴かせてくれた。
それが後期ロマン派の流れを汲んだやや素朴でロマンティックな作品群にはよく合っていた。
最初のマーラー「春の朝」のういういしさも「思い出」の切なさも「セレナーデ」の素朴さも「自尊心」のユーモアも、優れたリートの演奏を聴いているという実感があった。
馴染みの薄いツェムリンスキーの4曲では、最後に楽師の軽快な音楽が盛り上がる「街のはずれで」という楽曲で締めくくるのがプログラミングのうまさをも感じさせてくれた。
そしてシェーンベルクのOp.2の4つの歌曲はミステリアスで濃密な表情が望月の清澄な声で歌われるギャップも楽しめた。

後半はマルクスの3曲ではじまったが、望月氏が「カンツォーネ」に例えたように、マルクスの作品は分かりやすく、聴きやすく、それゆえ聴き手の琴線にすぐに触れる可能性を秘めていると思う。
それにもかかわらず知名度が低いのが残念ではあるが、今回取り上げられた3曲の中で私も唯一知っていた「愛はあなたに触れる」はずっしりと響く充実したピアノパートと共に歌が情熱的に歌いあげるタイプの作品で、望月の歌唱も見事に決まっていた。
アルバン・ベルクの「初期の7つの歌」は7曲まとめてでも抜粋でもよく歌われる作品ではあるが、本来ソプラノの為の作品の為、テノールで歌われるのは珍しいとのこと。
しかし、詩の内容から言えば、どの声種の人にも門戸は開かれているようにも思える。
望月氏は特に第3、4曲がお気に入りとのこと。
だが、実際の演奏はすべての曲が望月氏の端正な歌唱で感動的に表現されていた。
最後のコルンゴルトの作品は(プログラムには書かれていなかったが)すべてアイヒェンドルフの詩によるもの。
望月氏も指摘しているように「非常に耳触りのいい音楽」が並び、特に「少女」や「歌う気持ち」はもう一度聴いてみたいと思わせる魅力を感じた。

ピアノの河原忠之は多くの歌手たちから共演を求められる売れっ子ピアニストである。
そして、この日の演奏でも彼の“音を慈しむ”ような姿勢は一貫して感じられ、それは指が鍵盤を離れた後もしばしば感じられたのであった。
決してけばけばしい音は出さず、曲にふさわしい芯のある温かい音色を作り出そうとしているところに彼の美質があるのではないだろうか。
それは例えばシェーンベルクの「期待」のようなひんやりとした冷たさ(アーウィン・ゲイジはかつてマスタークラスで「オカルト映画のよう」と言っていた)が持ち味の作品であっても、どこか河原氏の温もりの余韻のようなものが残って感じられたのである。

アンコールの前にお二人からのコメントがあり、来年の"Wanderer"シリーズでは日本歌曲を取り上げるとのこと。
その早めのお披露目が2曲演奏された。
望月氏の歌う日本歌曲というのも案外貴重かもしれない。
そして大好きだというR.シュトラウスの「献呈」を歌、ピアノ共に情熱的に演奏してお開きとなった。

プログラミングといい、歌といい、ピアノといい、大変充実したいい時間を過ごすことが出来た。
望むらくは、望月氏が1年に1度と言わず、さらにリートを歌う機会を増やしてくれたらうれしいのだが、彼の多忙さがそれを許さないのだろう。

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新国立劇場 オペラ研修所/R.シュトラウス作曲「ナクソス島のアリアドネ」(2014年3月1日 新国立劇場 中劇場)

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新国立劇場 オペラ研修所(New National Theatre, Tokyo Opera Studio)
リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)/ナクソス島のアリアドネ(Ariadne auf Naxos)
全2幕/ドイツ語上演/字幕付

2014年3月1日(土)14:00 新国立劇場 中劇場
上演時間:2時間30分(Ⅰ幕40分 休憩30分 Ⅱ幕80分)

プロローグ
【執事長】ヨズア・バールチュ(Josua Bartsch)
【音楽教師】小林啓倫(16期)
【作曲家】原 璃菜子(15期)
【テノール歌手(バッカス)】菅野 敦(15期)
【士官】伊藤達人(14期)
【舞踊教師】日浦眞矩(14期)
【かつら師】駒田敏章(11期修了)
【下僕】大塚博章
【ツェルビネッタ】清野友香莉(15期)
【プリマドンナ(アリアドネ)】飯塚茉莉子(16期)
【ハルレキン】村松恒矢(14期)
【スカラムッチョ】岸浪愛学(16期)
【トゥルファルディン】松中哲平(16期)
【ブリゲッラ】小堀勇介(15期)
【貴族(黙役)】根岸 幸

劇中劇
【アリアドネ】飯塚茉莉子(16期)
【バッカス】菅野 敦(15期)
【ナヤーデ(水の精)】種谷典子(16期)
【ドリアーデ(木の精)】藤井麻美(15期)
【エコー(やまびこ)】今野沙知恵(14期)
【ツェルビネッタ】清野友香莉(15期)
【ハルレキン】村松恒矢(14期)
【スカラムッチョ】岸浪愛学(16期)
【トゥルファルディン】松中哲平(16期)
【ブリゲッラ】小堀勇介(15期)

【管弦楽】ポロニア・チェンバーオーケストラ(Paulownia Chamber Orchestra)
【指揮】高橋直史

【演出・演技指導】三浦安浩
【美術】鈴木俊朗
【照明】稲葉直人
【振付】伊藤範子
【衣裳コーディネーター】加藤寿子
【舞台監督】髙橋尚史

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R.シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」を見た。
新国立劇場オペラ研修所の公演だが、大いに満足して楽しんだ。
これほどプロの卵たちの歌唱と演技がしっかりしているとはなんとも頼もしい限り。
演出は現代風で、プロローグはちょっと懐かしいアメリカンなテイストだった。
舞台は、回り舞台の機能を使った効果的なもので、プロの上演と比べても遜色のないものだった。
歌手ではまず作曲家役の原 璃菜子の健闘をたたえたい。
その真摯な姿が印象に残る歌唱と演技だった。
そして、ツェルビネッタの清野友香莉がコロラトゥーラを自在に操り、魅力的な仕草もあいまって聴衆から熱烈な拍手を受けていた。
アリアドネの飯塚茉莉子や音楽教師の小林啓倫も将来性を感じさせる。
バッカスの菅野 敦もまだ完全ではないが声の質が魅力的で、今後が楽しみである。
また、ドリアーデ(木の精)の藤井麻美は深みと強靭さのある声が魅力的だった。
オネエの設定らしい舞踊教師やタンクトップ姿のワイルドな道化役4人もコミカルな味で大いに楽しませてくれた(大道芸をしながらの歌唱もよくこなしていて素晴らしい)。
歌手の卵たちはみな恵まれた資質と努力が感じられ、応援したくなる。
声量はまだこれからという人が多い印象だが、声の質と言葉の発音などはなかなか見事なものである。
賛助出演の人も素晴らしく、執事長(ヨズア・バールチュ)は歌わず語りのみだが、ドイツ語の語りが演劇調になりすぎず、自然さを感じさせたのが新鮮だった。
かつら師の駒田敏章は以前「カルミナ・ブラーナ」で見事な歌唱を聴いて強く印象に残ったが、今回はごくわずかしか出番のない役なのが残念。だが、他の出演日は音楽教師というかなり活躍する役を歌うそうなので、そちらで活躍されることだろう。

私のR.シュトラウス・アレルギーもだんだん治っているようだ。彼の音楽を楽しんでいる自分が確かにいる。オケが小編成でピアノが活躍するところは私好みだった。
終盤のバッカスの歌など、少しヴァーグナーを思い起こさせる感じだった。
このオペラの最後の方で、三人の精霊がシューベルトの有名な「子守歌」を思わせる重唱曲を歌っていたが、シュトラウスが意図的に似せたのだろうか。

公式サイトはこちら

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R.シュトラウス「セレナーデOp.17-2」を聴く

今回は、R.シュトラウスの歌曲の中で軽快な曲想が親しまれている作品「セレナーデ」を取り上げます。
恋する女性の窓辺に立って愛の歌を歌うというのがセレナードの習慣ですが、シュトラウスの時代はまだそういうことが行われていたのでしょうか。
それとも過去の風習を懐かしんで作曲したのでしょうか。
とにかくシチュエーションからロマンティックな情景が浮かびますし、音楽もそういう状況ですから甘く誘いかけるようなものになるでしょう。
シューベルトもシューマンもブラームスもヴォルフもセレナーデを作っていますが、シュトラウスの「セレナーデ」も彼の代表作の一つと言えるでしょう。
細かい動きをするピアノの上を声も負けじと細やかに歌っていきます。
どれだけ軽快に、しかし官能的な味わいもこめて歌われるかが聴きどころではないでしょうか。
ピアノ後奏は愛の情熱が表現され、ピアニストの腕のふるいどころです。

1886年作曲。
嬰ヘ長調、8分の6拍子-8分の9拍子-8分の6拍子-8分の9拍子-8分の6拍子-8分の9拍子、全92小節
Vivace e dolce

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Ständchen
 セレナーデ

Mach auf, mach auf, doch leise mein Kind,
Um keinen vom Schlummer zu wecken.
Kaum murmelt der Bach, kaum zittert im Wind
Ein Blatt an den Büschen und Hecken.
Drum leise, mein Mädchen, daß nichts sich regt,
Nur leise die Hand auf die Klinke gelegt.
 開けてよ、開けてくれよ、でもそっとだよ、いとしい子、
 誰も眠りから覚まさないようにね。
 小川もほとんど音を立てず、風に震えていないよ、
 茂みややぶの葉っぱ一枚すらね。
 だからそっとね、ぼくの娘よ、何も動かないようにね、
 ただそっと手を取っ手に置くんだよ。

Mit Tritten, wie Tritte der Elfen so sacht,
Um über die Blumen zu hüpfen,
Flieg leicht hinaus in die Mondscheinnacht,
Zu mir in den Garten zu schlüpfen.
Rings schlummern die Blüten am rieselnden Bach
Und duften im Schlaf, nur die Liebe ist wach.
 歩くときは、妖精の足取りのように、そっとね、
 花々を飛び越えるためにね、
 月夜に軽々と飛び出して行くのだよ、
 庭のぼくのところにすべり込んでくるためにね。
 あたりでは、流れる小川のほとりの花々が眠っていて、
 まどろみの中で香りを放ち、ただ愛だけが目覚めているんだ。

Sitz nieder, hier dämmert's geheimnisvoll
Unter den Lindenbäumen,
Die Nachtigall uns zu Häupten soll
Von unseren Küssen träumen,
Und die Rose, wenn sie am Morgen erwacht,
Hoch glühn von den Wonnenschauern der Nacht.
 腰を下ろしてよ、ここは秘密めいて日が暮れていくよ、
 ボダイジュの下でね。
 ぼくらの頭上のナイチンゲールには
 ぼくらの口づけを夢見させておけばいいさ、
 そしてバラは、朝目が覚めたときに
 昨夜の歓喜の身震いに真っ赤に燃え上がればいいよ。

詩:Adolf Friedrich, Graf von Schack (1815-1894)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)

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フリッツ・ヴンダーリヒ(T)&バイエルン放送交響楽団&Jan Koetsier(C)

ヴンダーリヒの甘美で情熱的なテノールはセレナーデにうってつけです。オケ版は後奏が短縮されているのが残念ですが、シュトラウス自身の編曲なのでしょうか。

ヘルマン・プライ(BR)&カール・エンゲル(P)

1962年録音。プライの厚みのあるダンディな声でこんなふうにくどかれたら女の人は参ってしまうのではないでしょうか。エンゲルはプライとぴったり一体になっています。

ジェラール・スゼー(BR)&ドルトン・ボールドウィン(P)

スゼーがノーブルな声で表情豊かに歌っていて素晴らしい動画です。ボールドウィンは映っていませんが、しっかりと存在感のある演奏です。

ニコライ・ゲッダ(T)&ジェラルド・ムーア(P)

ゲッダは一見端正に思えますが実は熱い歌唱を聴かせます。ムーアは粒立ちのいいタッチが印象的な演奏です。

ヘルベルト・リッペルト(T)&エーリヒ・ビンダー(P)

リッペルトの明るい歌も清々しいです。ビンダーもよくサポートしています。

バーバラ・ボニー(S)&ジェフリー・パーソンズ(P)

ボニーは安定したうまさで細やかに表現します。パーソンズのきらめくような美しいタッチがいつもながら素晴らしいです。

キャスリーン・バトル(S)&ウォレン・ジョーンズ(P)

バトルの少女のような美声はこのような曲でも魅了させられます。ジョーンズは見事な演奏です。

アーリーン・オジェー(S)&アーウィン・ゲイジ(P)

オジェーはもう貫禄さえ感じられる素晴らしさですね。ゲイジが音楽的な演奏を聞かせてくれるのもうれしいです。

エリー・アーメリング(S)&ドルトン・ボールドウィン(P)

アーメリングはシュトラウスをそれほど頻繁に歌いませんでしたが、この曲は得意にしていたようで、さすがの語り口の巧さを聞かせます。ボールドウィンも完ぺきな演奏で見事です。

ジェシー・ノーマン(S)&ジェフリー・パーソンズ(P)

ノーマンの豊かな声をコントロールした歌もまた魅力的です。ここでもパーソンズの巧さが際立っています。

ビクトリア・デ・ロサンヘレス(S)&オーケストラ伴奏

1950年代のライヴ。こんなに愛らしく可愛らしく歌われた「セレナーデ」もなかなかないでしょう。ロサンヘレス、やはり良いです。

ユッシ・ビョルリング(T)&オーケストラ伴奏

TV番組でしょうか。ビョルリングが窓辺のセットでセレナーデの状況を再現しながら甘い歌を聞かせます。彼の動画が残っているというのだけでも貴重ですね。

ヴァルター・ギーゼキングによるピアノ独奏編曲版(演奏もギーゼキング自身)

ギーゼキングは高名なピアニストですが作曲もこなし、ここでも技巧的に編曲していますが、原曲を最大限に生かしたものとなっています。

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