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シューベルト「至福」D433を聴く

皆様、2013年もブログをご訪問くださり、有難うございました。
お蔭様でとても楽しく過ごさせていただきました。
2013年の最後に、感謝の気持ちとして、シューベルトの「至福」で締めくくりたいと思います。

Seligkeit
 至福

Freuden sonder Zahl
Blühn im Himmelssaal
Engeln und Verklärten,
Wie die Väter lehrten.
O da möcht ich sein
Und mich ewig freun!
 無数の喜びが
 天上の広間に花開き、
 天使たちや浄化された人たちがいる、
 神父たちが教えてくれたように。
 おお、そこに行って
 永遠に楽しみたいものだ!

Jedem lächelt traut
Eine Himmelsbraut;
Harf und Psalter klinget,
Und man tanzt und singet.
O da möcht ich sein
Und mich ewig freun!
 誰に対しても親しげに
 天上の許嫁は微笑んでくれる。
 竪琴やプサルテリウムが鳴り響き、
 踊ったり、歌ったりしている。
 おお、そこに行って
 永遠に楽しみたいものだ!

Lieber bleib ich hier,
Lächelt Laura mir
Einen Blick, der saget,
Daß ich ausgeklaget.
Selig dann mit ihr,
Bleib ich ewig hier!
 むしろ私はここにいたい、
 ラウラが私に微笑みかけて
 一瞥を送ってくれるから、その視線は
 私が嘆くのは終わりだと語っている。
 それならば彼女とともに幸せに
 ここに永遠にとどまろう!

詩:Ludwig Heinrich Christoph Hölty(1748.12.21, Mariensee – 1776.9.1, Hannover)
曲:Franz Peter Schubert

※第3節の第2行目"Laura"は女性の名前なので、女声歌手が歌う時は"Liebe"や"der Traute"などに変更して歌われることがあります(シュヴァルツコプフなど)。

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エリー・アーメリング(S)&イェルク・デームス(Hammerflügel)

アーメリングは微笑みを優雅さでまとったチャーミングな名唱です。デームスも味わい深い演奏です。

ルチア・ポップ(S)&アーウィン・ゲイジ(P)

ポップのつやつやした美声がなんとも魅力的です。ゲイジも踊っているような演奏です。

アーリーン・オジェー(S)&エリック・ヴェルバ(Fortepiano)

1978年録音。ヴェルバのひなびた古楽器の響きにのって、クリーミーなオジェーの美声が堪能できます。

エディット・ヴィーンス(S)&ルドルフ・ヤンセン(P)

ヴィーンスの清澄な声に惹きつけられます。ヤンセンも丁寧なサポートです。

エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)&ジェフリー・パーソンズ(P)

アムステルダムでのライヴ映像で、会場で聴いている雰囲気が楽しめます。

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(BR)&ジェラルド・ムーア(P)

ディースカウのなんとも力の抜けた自然な歌と、ムーアのセンスあふれるピアノが楽しい演奏です。

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それでは、皆様よい年をお迎えください。

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ハンス・ホッター&ハンス・ドコウピルの1969年歌曲リサイタル初CD化!

名バスバリトン歌手のハンス・ホッター(Hans Hotter: 1909-2003)は今年が没後10年にあたります。
それを記念して、1969年の来日公演の演奏が2枚組でCD化されました。
1枚目は「冬の旅」で、これはもう何度も繰り返しCD復活しているお馴染みの盤ですが、注目すべきは2枚目。
LPで発売されて以来一度もCD化されなかったドイツ歌曲リサイタルがとうとう復活したのです!
形態はSACDですが、ハイブリッド盤なので、私のように普通のCDプレーヤーしか持っていなくても再生可能です。

さらにうれしいのは付属解説書が充実していることです。
歌詞対訳はもちろんのこと、LP初出時の様々な寄稿文章がそのまま掲載されており、さらにホッターとドコウピルの演奏写真やホッターのサインなどもあります。
ジャケットも初出のものを使っているようで、至れり尽くせりのファン垂涎のセットになっています(決して回し者ではありませんが)。

以前に書いた関連記事は以下をご覧ください。
 こちら

曲目詳細は以下のとおりです。

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シューベルト作曲
人間の限界 D.716
春の小川のほとりで D.361
泉 D.530
ひめごと D.719
ヘリオポリス II D.754
ドナウ川の上で D.553

シューマン作曲
新緑 作品35の4
だれがあなたを悩ませたのか? 作品35の11
古いリュート 作品35の12

ブラームス作曲
喜びに満ちたぼくの女王よ 作品32の9
メロディのように 作品105の1
セレナード 作品106の1
愛の歌 作品71の5
早くおいで 作品97の5

R.シュトラウス作曲
夜 作品10の3
みつけもの 作品56の1
胸の想い 作品21の1
夜の散歩 作品29の3
憩え、わが魂 作品27の1

レーヴェ作曲
魔王 作品1の3
追いかける鐘 作品20の3
婚礼の歌 作品20の1

[アンコール]
R.シュトラウス作曲
汝(なれ)こそわが心の冠 作品21の2
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早速シューベルト、シューマン、ブラームス、R.シュトラウス、レーヴェの歌曲集を聴いてみました。
東京文化会館の小ホールで演奏されたというだけあって、声を張り上げる必要もなく、自然な表情のホッターの声が聴けました。
ちょうど60歳のホッターによる歌唱ですが、「冬の旅」の批評でよく言われる声の衰えはそれほど感じませんでした。
むしろ温かみと親密感が増して、あたかも上野の小ホールの中で聴いているかのような臨場感があり、何度聴いても飽きることがありません。
ホッターの歌は特有の人間味があるんですね。
その包み込むような温かい声でシューベルトの「春の小川のほとりで」やシューマンの「新緑」、ブラームスの「メロディのように」などが聴けるのですから、素晴らしいです。
R.シュトラウスの「胸の想い」ではホッターのユーモアあふれる語りかけに思わず微笑んでしまいます。
レーヴェの「魔王」ではその緊迫感に手に汗にぎりますし、「婚礼の歌」での早口言葉も見事です。

ピアノのドコウピルは「冬の旅」の批評では概してあまり評判がよくないですが、この歌曲リサイタルを聴いた限りではなかなか良いです。
なによりもホッターの音楽とピッタリ性格が一致しているのがいいです。
ちょっとタッチが荒くなったりするところはありますが、それ以外はよく作品を読み込んだピアノだと私には思えました。
この来日公演の2年後にドコウピルは亡くなってしまうのですから分からないものですね。

このCD解説書の最後に鷹島真琴さんが来日公演などについて触れているのですが、その中で私のブログに触れておられるのが驚きであると共に責任の重さも感じました。

Amazonのサイトで試聴も出来ますので、興味のある方はぜひ。

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ゲルハルト・オピッツ/シューベルト連続演奏会(全8回)【第7回&第8回】(2013年12月5日&20日 東京オペラシティ コンサートホール)

ゲルハルト・オピッツ シューベルト連続演奏会(全8回)【第7回&第8回】
GERHARD OPPITZ SCHUBERT ZYKLUS

【第7回】
2013年12月5日(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz)(piano)

シューベルト(Schubert)

ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 D840
(Sonate C-Dur, D840)
 I. Moderato
 II.Andante

3つのピアノ曲 D946
(Drei Klavierstücke, D946)
 I. Allegro assao
 II. Allegretto
 III.Allegro

~休憩~

ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 D850
(Sonate D-Dur, D850)
 I. Allegro vivace
 II. Con moto
 III.Scherzo, Allegro vivace
 IV. Rondo, Allegro moderato

~アンコール~
シューベルト/ピアノソナタ第20番イ長調D959より第3楽章

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【第8回】
2013年12月20日(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz)(piano)

シューベルト(Schubert)

ピアノ・ソナタ 第6番 ホ短調 D566
(Sonate e-moll, D566)
 I. Moderato
 II. Allegretto
 III.Scherzo, Allegro vivace

ハンガリーのメロディ ロ短調 D817
(Ungarische Melodie h-moll, D817)

アレグレット ハ短調 D915
(Allegretto c-moll, D915)

2つのスケルツォ D593
(Zwei Scherzi, D593)
 I. Allegretto B-Dur
 II.Allegro moderato Des-Dur

~休憩~

ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
(Sonate B-Dur, D960)
 I. Molto moderato
 II. Andante sostenuto
 III.Scherzo, Allegro vivace con delicatezza
 IV. Allegro ma non troppo

~アンコール~
シューベルト/即興曲 変イ長調 D935-2

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201312_oppitz_2

2010年より4年がかりで8回のシューベルト・シリーズを続けてきたゲルハルト・オピッツだが、とうとう今年が最終回である。

【第7回】
オピッツのシューベルトは温かく、いい意味での即興性を感じさせ(もちろん細心の準備のもとなされているのだろうが)、感情の揺れをやり過ぎない範囲で素直に表現する。
それは今回の演奏でも一貫していた。
例えば、現役若手の最高のシューベルト弾きの一人としてポール・ルイスが挙げられるが、彼のベートーヴェンのような構築感に貫かれた、一分の隙もなく計算されたシューベルトの演奏は素晴らしい。
だが、オピッツの演奏はルイスとは異なる意味で、シューベルトの理想的な演奏だと思う。
オピッツはシューベルトの身の丈に合った素朴で味わい深い演奏を響かせるのである。
もちろんどちらの演奏も素晴らしいし、両方のタイプのシューベルトが聴けるというのもまた贅沢な喜びである。
(余談だが、先日王子ホールでシューベルトの最後のソナタ3曲をミッシェル・ダルベルトが弾き、好演だったようで、チケットがとれず残念だった。)

この夜はまず「レリーク」として最初の2楽章のみが完成しているハ長調のソナタが演奏された。
「レリーク」といえばリヒテルが第3、4楽章も未完成のまま演奏したライヴ録音が出ていて、それでこの曲の魅力を知ったのだが、オピッツは完成された最初の2つの楽章のみを演奏し、それもまた一つの見識であるだろう。
オピッツは比較的ゆったりとしたテンポで演奏をしたが、部分的にテンポを速めたりして、表情の変化は充分ついていた。

「3つのピアノ曲 D946」は最近様々なピアニストによって取り上げられるようになった作品である。
切迫感あふれる第1番がおそらく最も有名だが、第2番の無言歌、第3番のコミカルな表情など、どれも晩年の充実した作品である。
それらをオピッツは、魅力的な味わい深い響きで演奏した。
私はその響きに浸る幸せをつくづく実感した。

後半は「ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調」。
この個性的な作品をなんの衒いもなく、自然体で演奏したオピッツの演奏は時間の経つのを忘れるほど魅力的であった。
第1楽章はともすれば力ずくになりがちだが、オピッツの演奏は必要な劇性は備えているが、決して乱暴になることがない。
最終楽章はカチカチとした時計のようなリズムが印象的だが、オピッツはペダルを適度に用いることによって、そのリズムをあえて強調しなかった。
それによってまた新しい魅力が生み出されたように感じられた。
その熟練したタッチから紡ぎだされるシューベルトの心の旅を心ゆくまで堪能した。

アンコールではソナタ第20番の軽妙な第3楽章。
このまま第4楽章も続けて弾いてほしかったと思うほど心に響いた演奏だった。

【第8回】
はじまりがあれば必ず終わりがある。
分かってはいるが、やはり最後となると寂しいものである。
決して会場が満席になるシリーズではなかったが、それでも最終回には多くの聴衆がホールに集まった。

最終回の最初に弾かれたのは1817年に作曲されたピアノ・ソナタ第6番。
コンサート会場で聴ける機会の少ないシューベルト若かりし日の作品をこうして演奏してくれることにまず感謝。
そしてオピッツの演奏は比較的速めのテンポで自然体で演奏する。
そして、時々微妙にためたり、歩みを速めたりする。
その表情もとってつけた感は一切なく、シューベルトがこうしてほしがっているのではないかと思えるほどの説得力があった。

ソナタの後の4曲をオピッツは続けて演奏した(「ハンガリーのメロディ」の後に軽く起こった拍手に対して座ったまま軽く礼をしてすぐに次に進めた)。
「ハンガリーのメロディ」「アレグレット ハ短調」「2つのスケルツォ」をオピッツはあたかも1つのソナタのようにみなして演奏していたかのように私には感じられた。
もちろん学術的な意味ではなく、プログラムビルディングにおける流れとして、オピッツはこれらの作品をつなげて演奏することに意義を見出していたのではないだろうか。
「ハンガリーのメロディ」は比較的ペダルを多めに使い、曖昧模糊とした雰囲気を醸し出す。
それによって単なるキャラクターピースとみられがちなこの作品にある種の重みが加わっていたように感じた。
続く「アレグレット ハ短調」はあたかもソナタの緩徐楽章であるかのようにゆったりとデリカシーに富んだ演奏をする。
そして2つのスケルツォの第1曲もペダルを効果的に使用し、趣深さを付け加えていた。
第2番では一転して急速なテンポで細かい音をころころと演奏し、ソナタのフィナーレのような華やかさを醸し出した。
こうして、オピッツによって、ばらばらな小品が一つの流れを獲得した。
これもまた一つの演奏の在り方であり、大いに楽しませてもらった。

そして、休憩後、シリーズ最後の演目にはやはり最後の変ロ長調ソナタが演奏された。
このソナタの延々と続く生死の間を行き来するかのような浮遊感をオピッツは自在に自然に演奏して聴かせてくれた。
もちろん第1楽章のリピートは省略することなく、長大なシューベルトのソナタの終着点をたっぷりと味わわせてくれた。
第2楽章の悲哀の歌も共感に満ちた演奏であった。
普通そのあとに弾かれる第3楽章が突然雰囲気が変わり、前半と後半が断絶してしまいかねないところだが、オピッツは第3楽章や第4楽章も紛れもなくシューベルトの晩年の所産であることを納得させてくれた。
おおげさな言い方かもしれないが、オピッツにシューベルトが乗り移ったのではないかと思えるほど、演奏者と作曲家が一体となっていた。
こういう印象をもつことはなかなか無いことである。
オピッツはかつてケンプに師事していた。
ケンプはベートーヴェンもブラームスも得意にしていたが、シューベルトの作品をはじめてまとめて録音したシューベルトの名手であった。
オピッツが意識しているか否かはともかく、彼が師匠の精神を引き継いだ演奏をしていたということなのかもしれない。

聴衆の熱く長い拍手がこの演奏の充実を物語っていた。
そして、シリーズの締めにオピッツが選んだアンコールは即興曲 変イ長調 D935-2であった。
この美しい無言歌をオピッツはやはりさりげない味わいをこめて弾いた。
まさに最後にふさわしい演奏であった。

全8回すべて聴いて、ゲルハルト・オピッツという素晴らしい道案内の導きによって、シューベルトの歩いたさまざまな世界を旅することが出来た。
シューベルトの短い人生において、ピアノ作品はひとつのジャンルに過ぎないけれど、彼の試行錯誤と成長の足跡を垣間見ることが出来たのは素晴らしい体験だった。
ベートーヴェンやブラームスの名手と見られることの多いオピッツだが、私はもう一つの肩書を決して忘れないだろう。
オピッツが現代最高のシューベルト演奏家の一人であるということを。

↓12月5日のオペラシティのイルミネーション
Tokyo_opera_city_20131205

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新国立劇場バレエ団/バレエ「くるみ割り人形」(2013年12月17日 新国立劇場 オペラパレス)

2013/2014シーズン
バレエ「くるみ割り人形(THE NUTCRACKER)」

2013年12月17日(火)19:00 新国立劇場 オペラパレス
第1幕:55分-休憩25分-第2幕:50分

金平糖の精(Sugar Plum Fairy):小野 絢子(Ono Ayako)
王子(Prince):菅野 英男(Sugano Hideo)
クララ(Clara):五月女 遥(Soutome Haruka)
ドロッセルマイヤー(Drosselmeyer):冨川祐樹(Tomikawa Yuki)
雪の女王(Snow Queen):米沢 唯(Yonezawa Yui)

第1幕
シュタルバウム:貝川鐵夫
シュタルバウム夫人:湯川麻美子
フリッツ:髙橋一輝
ハレーキン:奥村康祐
コロンビーヌ:竹田仁美
トロル:八幡顕光
ねずみの王様:小柴富久修
くるみ割り人形:福田圭吾

第2幕
スペイン:湯川麻美子、古川和則
アラビア:本島美和、貝川鐵夫
中国:竹田仁美、江本拓
トレパック:八幡顕光、福田圭吾、髙橋一輝
葦の精:長田佳世、寺田亜沙子、井倉真未
花のワルツ:丸尾孝子、川ロ藍、小村美沙、中田実里、輪島拓也、田中俊太朗、林田翔平、原健太

新国立劇場バレエ団

合唱(Chorus):東京少年少女合唱隊(The Little Singers of Tokyo)
管弦楽(Orchestra):東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)
指揮(Conductor):井田勝大(Ida Katsuhiro)

芸術監督(Artistic Director):デヴィッド・ビントレー(David Bintley)
音楽(Music):ピョートル・チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky)
原案・台本(Libretto):マリウス・プティパ(Marius Petipa)
振付(Choreography):レフ・イワーノフ(Lev Ivanov)
演出・改訂振付(Production):牧 阿佐美(Maki Asami)
装置・衣裳(Designs):オラフ・ツォンベック(Olaf Zombeck)
照明(Lighting):立田雄士(Tatsuta Yuji)

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バレエ「くるみ割り人形」をはじめて見た。
新国立劇場バレエ団ではお馴染みの演目のようだ(クリスマス・イヴの設定だから、12月に上演されることが多いのだろうか)。
2時間、私も童心に帰って、ファンタジーの世界に酔いしれた。
新国立劇場バレエ団のバレエは、主役級も脇を固めるダンサーもみな優れているので、安心して楽しめる。
各場面で見せ場もありつつ、ストーリーが解りやすく展開していく。
クララの五月女 遥はモダンダンスなどで特に活躍していたが、今回は可憐で役柄にぴったり。
金平糖の精の小野 絢子はもはや貫禄の安定感ある素晴らしさ。
王子役の菅野 英男は実はこれまであまり見る機会がなかったのだが、どこをとってもぴしっと決まっていて素晴らしかった。
第2幕の各国の踊りはもう楽しい場面の連続である。
特にトレパックの3人のアクロバティックなダンスは素晴らしく大いに沸いた。
雪の女王の米沢 唯はさすがの美しさである。

チャイコフスキーの音楽は全体にわたって、どこかで耳にしたことのある曲のオンパレードで、これほど多くの曲が知られているバレエ曲も珍しいのではないか。

私が見た初日は平日の夜だったせいか、思ったほど子供のお客さんが少なかった印象だが、土日はきっと子供たちであふれかえることだろう。
こんな夢の世界を見せられたらバレエダンサーになりたがる女の子が増えることだろう。

主役3人のサイン
20131217_nutcracker

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東京バレエ団/「ザ・カブキ」(2013年12月14日 東京文化会館 大ホール)

東京バレエ団創立50周年記念シリーズⅠ
モーリス・ベジャール振付
「ザ・カブキ」(全2幕)

2013年12月14日(土)15:00 東京文化会館 大ホール

[第1幕] 15:00-16:15
[休憩] 20分
[第2幕] 16:35-17:20

プロローグ:現代の東京
第一場:兜改め
第二場:おかる、勘平
第三場:殿中松の間
第四場:判官切腹
第五場:城明け渡し
第六場:山崎街道

第七場:一力茶屋
第八場:雪の別れ
第九場:討ち入り

由良之助:柄本弾
直義:森川茉央
塩冶判官:梅澤紘貴
顔世御前:奈良春夏
力弥:吉田蓮
高師直:木村和夫
伴内:氷室友
勘平:入戸野伊織
おかる:沖香菜子
現代の勘平:松野乃知
現代のおかる:三雲友里加
石堂:杉山優一
薬師寺:永田雄大
定九郎:岡崎隼也
遊女:吉川留衣
与市兵衛:山田眞央
おかや:伝田陽美
お才:高木綾
ヴァリエーション1:岡崎隼也
ヴァリエーション2:梅澤紘貴

東京バレエ団

演出・振付:モーリス・ベジャール
音楽:黛敏郎
美術:ヌーノ・コルテ=レアル

※音楽は特別録音によるテープを使用

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東京バレエ団の「ザ・カブキ」をはじめて見た。
故モーリス・ベジャールが歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」をもとに東京バレエ団のためにバレエ化した作品で、音楽は黛敏郎(「題名のない音楽会」の司会が懐かしい)である。
内容は誰もが知る「忠臣蔵」の話で、四十七士が仇討ちをして、最後に自決するまでを描いているが、本筋とは(おそらく)異なる脇のストーリーもあるので(歌舞伎を再現したためか?)、事前にあらすじをプログラムで読んでおかないと、何をあらわしているのか分かりにくい箇所もあった。

舞台は現代の東京から始まる。
若者たちが踊りに興じているうちに、リーダー(柄本弾)が刀を見つけ、それに触れることによって、過去にタイムスリップするという始まり方である。
第1幕では、有名な松の廊下での刃傷事件のほか、勘平とおかるの逢瀬の場から盗賊などに巻き込まれて勘平は切腹し、おかるは遊女に身をやつす話などが盛り込まれている。
塩冶判官の切腹の際にその場に居合わせた若者が、その瞬間から由良之助となり、四十七士のリーダーとして生きていくことになる。
第2幕は敵にさとられぬように酒色にふける由良之助が顔世御前の説得を受け、いよいよ仇討ちを決行し、本懐を遂げて集団で自決する場面で終わる。

西洋の文化であるバレエによって日本の古い話をどう表現するのかというのは興味深いところだが、結局のところ、無理に日本の様式で統一することはなく、バレエらしい箇所も残しつつ、日本の伝統芸能を取り入れた折衷的な作品になっていたような印象を受けた。
だが、それを欠点だとは思わない。
むしろ、両者を併置することで生まれるものもあるということをこの作品は示しているのではないだろうか。
西洋のバレエの表現と日本式の作法、身振りが作品を生かすためにうまく共存して、独自の魅力を得ることになったと思う。

遊女たちの艶やかな場面もあるが、主役はやはり四十七士、特にそのリーダーたる由良之助である。

由良之助を演じた柄本弾は、そのオーラたるや主役にふさわしく素晴らしかった。
テクニカルなことは分からないのだが、全く危なげなく自信に満ちて踊り、作品を引っ張っていった若武者といった感じである。

それからおかるを演じた沖香菜子が可憐であり、また妖艶でもあり、魅力にあふれていた。

ある場面では、由良之助とおかるが黒子を使って人形浄瑠璃のような動きをする箇所があり、ベジャールの勤勉さに感心した。

敵役、高師直を演じた木村和夫は、さすがにぴったり役になりきって、はまっていたと思う。

群舞もフォーメーションなどが美しく、力強さもあり、ベジャールの振付の魔力を感じた。

素晴らしい作品であり、東京バレエ団の財産として、今後も演じ続けていくのだろう。

それから黛敏郎の音楽も素晴らしい。
今回は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団などの演奏をテープに録音した音源が使われていたが、一人、舞台上手にたびたびあらわれては、拍子木(?なんというのか分からずすみません)を叩く和装の方がいて、それがテープ音楽に新鮮なアクセントを与えていた。
最後の討ち入りから集団自決に至るまでの音楽は「涅槃交響曲」からの引用もあるそうだが、非常に効果的で胸が熱くなるのを感じた。

かつてオペラ「蝶々夫人」を見た時にも感じたのだが、日本をテーマにした作品を見ると、制作したのが外国の人であっても、何故か胸が熱くなり、時にはこみあげてくることさえあるのである(今回は大丈夫だったが)。
自分のDNAは紛れもなく日本人なのだなと、こういう作品を鑑賞するたびに感じるのである。

余談だが、現在歌舞伎座で「仮名手本忠臣蔵」が上演されているそうだ。どうやら今からチケットを入手するのは困難なようなので、また次の機会にはぜひ鑑賞してみたい。

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トム・クラウセ逝去(2013年12月6日没)

ヘルシンキ生まれのフィンランドのバスバリトン歌手、トム・クラウセ(Tom Krause)が亡くなった。
ソースはこちら

1934年7月5日生まれだから79歳である。
残念ながら私はクラウセの実演に接する機会はなかった。
そもそもクラウセは来日をしたことがあるのだろうか(東京文化会館のアーカイブではヒットしなかった)。
彼はオペラ歌手として世界中で活躍したが、私にとってクラウセはまずリート歌手である。

シベリウス歌曲全集をソプラノのセーダーストレームと分担してアーウィン・ゲイジのピアノで録音したのは大きな仕事だったが、私にとって印象に残っているのはヴォルフの「イタリア歌曲集」全曲の録音である(彼は多言語を操る才能に恵まれていたようだ)。
女声用歌曲はアーメリングが担当し、クラウセは男声用歌曲をゲイジと共に録音した(CBS/NONESUCH/Globe)。
クラウセの歌う「イタリア歌曲集」は、人のよい、ちょっと頼りないが嘘の付けない憎めない人物像である。
彼の声の質がそうであり、同じ曲をF=ディースカウやプライが歌った時とは異なるクラウセの描く性格描写がそこには刻まれていた。
托鉢僧の振りをして家の奥で大事に育てられている若い女の子をくどこうという曲"Geselle, woll'n wir uns in Kutten hüllen(相棒よ、おれたちゃ修道服でもまとって)"では、クラウセは決して世慣れたドン・ジョヴァンニではなく、優しい声音で警戒心を解いてしまうような人物像を表現していた。
その一見頼りなげなおっとりとした声にまんまとだまされる女性が続出しそうな、そんなクラウセの名演であった。

ご冥福をお祈りいたします。

シューマン「こよなく麗しい五月に」

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新国立劇場バレエ団/DANCE to the Future ~ Second Steps ~ NBJ Choreographic Group(2013年12月7日 新国立劇場 小劇場)

2013/2014シーズン
DANCE to the Future ~ Second Steps ~ NBJ Choreographic Group

2013年12月7日(土)14:00 新国立劇場 小劇場
第1部:35分-休憩20分-第2部:40分

【第1部】

「フォリア」Folia
振付:貝川鐵夫
音楽:コレッリ「ラ・フォリア」
出演:小野絢子;福岡雄大;堀口純;輪島拓也;田中俊太朗;川口藍

「SWAN」
振付:マイレン・トレウバエフ
音楽:ヴィターリ「シャコンヌ ト短調」
出演:小野寺雄

「春」Spring
振付:広瀬碧
音楽:ヤン・ティルセン「Déjà Loin」
出演:宇賀大将;奥田花純;林田翔平;広瀬碧

「Calma」
振付:今井奈穂
音楽:吉田靖「Octave of Leaves」,チャイコフスキー「無言歌Op2 No.3」
出演:今井奈穂

「Chemical Reaction」
振付:小笠原一真
音楽:U2「約束の地」
出演:湯川麻美子;丸尾孝子;輪島拓也;中田実里;原健太

~休憩~

【第2部】

「ONE」
振付:宝満直也
音楽:高木正勝「One by one by one」,マックス・リヒター「A Lovers Complaint」
出演:宝満直也

「The Celebrities, Part VI: The Post, Break-Up Depression of the Baroque Peacocks」バロック孔雀の乖離後の憂鬱
振付:アンダーシュ・ハンマル
音楽:ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第11番 へ短調」
出演:奥村康祐;丸尾孝子;大和雅美

「球とピンとボクら...。」Ball, pin, and Us...
振付:宝満直也
音楽:レーサーX「テクニカル・ディフィカルティーズ」
出演:小柴富久修;宝満直也

「Side Effect」
振付:福田圭吾
音楽:ロバート・フッド「Side Effect」
出演:八幡顕光;福田圭吾;五月女遥;高橋一輝

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新国立劇場でバレエやダンス公演を見るようになって随分たつが、相変わらず専門的なことは全然分からない。
だが、素人の強みで感覚だけで楽しもうと決めている。
音楽も同時に楽しめるし。
大分顔ぶれも覚えてきたし、バレエやダンスから放出されるエネルギーも私にとって大事な財産になるにちがいない。

今シーズンはデヴィッド・ビントレー監督の最終年度にあたるが、恒例の「ダンス・トゥ・ザ・フューチャー」を見てきた。
しかし、いつもは外部の振付師の作品を新国立劇場バレエ団が披露するのだが、今回はそうではなく、バレエ団のメンバーが振付した作品をメンバーが踊るというものである。
振付師本人が出演している作品もあれば、振付師と出演者が異なる作品もある。
彼らの中から振付のセンスのある人を発掘して、その才能を伸ばそうというビントレーの思いなのだろう。
どの作品もそれぞれみなタイプが違っていて、素人の私でも単純に面白かった。

一番長大でどっしりとした手ごたえが感じられたのは最初の貝川作品「フォリア」。
登場人物も多く、コレッリの曲にのって静と動の対比が追及されていたように感じた。
トレウバエフ作品の「SWAN」は小野寺雄の白鳥のダンスがういういしかった。
広瀬作品の「春」は自身も出演して、男女で春の喜びを素直に表現していて、心地よい。
今井作品の「Calma」は、砂利道を踏みしめるような音楽で始まり、演者は苦悶の表情でもがく。その後、チャイコフスキーの音楽になったところで苦悩が解消したかのような晴れやかな表現になる。
その対比が印象に残った。
小笠原作品の「Chemical Reaction」は、迷彩っぽい衣装に顔までメイクをして、無機質な感じが面白かった。

後半は2つの作品で宝満直也が振り付けと出演をしていたが、「ONE」が椅子を用いて、孤独と闘い、恋人の幻影を見ているような苦悩の表現だったのに対して、「球とピンとボクら...。」は小柴富久修と二人きりのスピーディーな掛け合いで、ボーリング場でのコミカルなやり取りを鮮やかなタイミングで魅せる。
拍手にこたえる時まで計算されていたのはお見事!
私が今回個人的に一番面白かったのが、この「球とピンとボクら...。」だった。
宝満直也というダンサーは現代もののダンスにかなりの適性があるのかもしれない。

ハンマル作品は3人の演者が孔雀を模して様々な表現をする。
そのシリアスでもあり、コミカルでもある感じが印象に残った。

最後の福田作品「Side Effect」は、昨年見たミニマル音楽によるダンスを思い起こさせる。
スピーディーで新鮮で高揚する感じが最後にふさわしく感じた。

演目が終わったところで、8人の振付師が登場してほぼ満席の会場からの大きな拍手を受けていた。
本格的な作品とは違って、肩のこらない素朴さと、試行錯誤の跡も見えたりして、興味深く充実した公演だった。

この公演の趣旨については公式サイトに掲載されています。
 こちら

余談だが、今井奈穂さん作品で使われていたチャイコフスキーの「無言歌Op2 No.3」という短いピアノ曲を動画サイトで聴いていたら、最後の終わり方がシューベルトの歌曲「わが挨拶を送ろうD741(Sei mir gegrüßt)」の後奏と似ていることに気付いた。試しに聴いてみてください。

チャイコフスキー「無言歌Op.2 No.3」(2:17-)

シューベルト「わが挨拶を送ろう」(3:14-)

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新国立劇場/オッフェンバック作曲「ホフマン物語」(2013年12月1日 新国立劇場 オペラパレス)

2013/2014シーズン
ジャック・オッフェンバック/「ホフマン物語」
Jacqus Offenbach / Les Contes d'Hoffmann
全5幕【フランス語上演/字幕付】

2013年12月1日(日)14:00 新国立劇場 オペラパレス
(第1&2幕:70分-休憩30分-第3幕:50分-休憩30分-第4&5幕:45分)

【ホフマン】アルトゥーロ・チャコン=クルス(Arturo Chacón-Cruz)(T)
【ニクラウス/ミューズ】アンジェラ・ブラウアー(Angela Brower)(MS)
【オランピア】幸田浩子(S)
【アントニア】浜田理恵(S)
【ジュリエッタ】横山恵子(S)
【リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット】マーク・S・ドス(Mark S. Doss)(BSBR)
【アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ】高橋 淳(T)
【ルーテル/クレスペル】大澤 建(BS)
【ヘルマン】塩入功司(BR)
【ナタナエル】渡辺文智(T)
【スパランツァーニ】柴山昌宣(BR)
【シュレーミル】青山 貴(BR)
【アントニアの母の声/ステッラ】山下牧子(MS)

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】フレデリック・シャスラン(Frédéric Chaslin)

【ダンサー】キミホ・ハルバート;小岩井香里;平下梨奈;塩山紗也加;木原実優;谷桃子バレエ団(山際諒;守屋隆生;中村慶潤;齋藤充央;安村圭太)

【演出・美術・照明】フィリップ・アルロー(Philippe Arlaud)
【衣裳】アンドレア・ウーマン
【振付】上田 遙

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新国立劇場によるオッフェンバック唯一のオペラ「ホフマン物語」を見た(彼の他の作品はオペラではなくオペレッタである)。
今年の夏にも二期会の同演目を見たので、一年のうちに異なるプロダクションで2回見たことになる。
ここ数年で私もオペラの面白さに開眼しつつあるのだが、まだ筋や音楽が頭に入っているというところまではとてもいかず、依然として簡単な予習を直前にしてから劇場に出かけるという状態である。
ただ、聴きこんでいる歌曲と違い、ほとんど音楽が頭に入っていないオペラの鑑賞は、その場ではじめて知る新鮮さを感じることが出来るのがいい。
今回は夏に一度聴いているので、プロローグ(今回は第1幕扱い)の酒場の仲間たちの合唱やホフマンの「クラインザックの歌」、オランピアの超絶技巧の難曲、病身のアントニアが第3幕冒頭で歌うアリア、それに第4幕のいわゆる「ホフマンの舟歌」など、印象的なメロディーはある程度脳裏に残っていて、楽しむことが出来た。
オッフェンバックによる音楽は耳に残るほど親しみやすく、時にコミカル、時にドラマティックと変幻自在で、素晴らしい。
これまでオペレッタ作曲家として培ってきたものが生かされているのではないか。

この新国立劇場のプロダクションは2003年11月~12月と2005年11月~12月に続いて3度目の上演になるらしい(2005年はフロリアン・フォークトがホフマンを歌ったとのこと)。
それだけ好評なのだろう。
カラフルで派手な衣装や豪華な舞台、照明は視覚を楽しませ、ダンサーたち(女性は踊り子、男性は給仕)を使って酒場の喧騒を盛り上げるなどの工夫もあった。

フィリップ・アルローの演出は、複数あるこの作品の版を組み合わせた独自のヴァージョンだそうである(プログラムでの文による)。
一番異なるのは、おそらく最後の幕でホフマンがピストル自殺してしまい、ニクラウスに変身していたミューズが他の登場人物たち(全員かどうかは確認できなかった)と、ホフマンの詩人としての魂の蘇生を祈るという内容になっている点である。
私の席は左の脇の上方だった為、舞台左端は見えなかったのだが、それぞれの幕を彩った3人のヒロインたちが最後のミューズの場面でも登場していたようだ。

それにしてもホフマンの友人ニクラウスに扮してホフマンを見守り、危機を救う役割を担ったミューズは、二期会の時もそうだったが、今回もあたかも宝塚の男役のようである。
それがオリジナルの素直な解釈なのかもしれないが、他の解釈によるニクラウス役も見てみたい気がする。

今回はフレデリック・シャスラ指揮の東京フィルが非常に雄弁で切れのいい演奏をしていて楽しめた。
歌手陣では、ニクラウス/ミューズ役のアンジェラ・ブラウアーの常に安定した見事な歌唱が最も印象に残った。
それからリンドルフなど悪役4役を歌ったマーク・S・ドスが凄かった。
声そのものも地から湧きあがるような悪役の迫力があり、声による演技力が素晴らしかった。
一方のホフマン役のメキシコ出身のアルトゥーロ・チャコン=クルスはいい声をしており、ボリュームも充分だが、時に荒削りな箇所も聴かれた。
しかし、今後世界中で活躍するテノールに成長するのではないか。
3人のヒロインたちはいずれもそれぞれの持ち味を生かした名唱。
とりわけコロラトゥーラを見事に操った幸田浩子への聴衆の熱狂が大きかったが、アントニアの浜田理恵の歌唱も充実していて、聴きほれた。
性格的な4役を兼任した高橋 淳もいつもながらの芸達者ぶり(特にフランツのアリアは印象的)。
体を大事にして今後も活躍していただきたい。
他の脇を固める日本人歌手たちはそれぞれの役になりきり良かったと思うし、新国立劇場合唱団は相変わらず充実した歌唱だった。

先日二期会の「ホフマン物語」がテレビで放映されたので、その録画を後で見返してみたいと思う。
幻想的な内容であり、未完の大作でもあり、きっと演出家によってさまざまな可能性を秘めているのだろう。
今後も機会があれば、様々な演出で見てみたいと思う(経済的な余裕があればだが…)。

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