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Mouvement perpétuel/エスプリとリリシズム プーランクの歌曲~没後50年に寄せて(2013年11月26日 ルーテル市ヶ谷ホール)

Mouvement perpétuel特別演奏会
エスプリとリリシズム
プーランクの歌曲~没後50年に寄せて

2013年11月26日(火)18:45 ルーテル市ヶ谷ホール(自由席)

上沼純子(soprano)
齋藤青麗(soprano)
原彩子(soprano)
新井田さゆり(soprano)
萩原雅子(soprano)
成川友希(soprano)
鳥海仁子(soprano)
島田裕里子(mezzo soprano)
池端歩(mezzo soprano)
武田正雄(ténor)
佐藤光政(bariton)

Ensemble du Mouvement perpetual (choeur)

白取晃司(pf)
室伏琴音(pf)
吉本悟子(pf)
田中健(pf)

--------------

●島田裕里子(mezzo soprano) 白取晃司(pf)
『動物詩集またはオルフェオのお供』(ギヨーム・アポリネール)
 駱駝
 チベットの山羊
 蝗
 海豚
 ざりがに
 鯉

『ギヨーム・アポリネールの四つの詩』
 鰻
 絵はがき
 映画に行く前に
 1904年

●上沼純子(soprano) 室伏琴音(pf)
『ルイーズ・ラランヌの三つの詩』
 贈り物
 歌
 昨日

『変身』(ルイーズ・ド・ヴィルモラン)
 カモメの女王
 おまえはこんなふうだから
 パガニーニ

●齋藤青麗(soprano) 白取晃司(pf)
『そんな日そんな夜』(ポール・エリュアール)
 素晴らしい日
 空の貝殻のかけら
 失われた旗のような額
 瓦礫に覆われた四輪馬車
 全速力で
 一本の哀れな草
 私は君を愛したいだけだ
 燃えるような野生の力の姿
 私たちは夜を作った

●原彩子(soprano) 室伏琴音(pf)
『かりそめの婚約』(ルイーズ・ド・ヴィルモラン)
 アンドレの貴婦人
 草の中で
 飛んでいるのだ
 私の死骸は手袋のように柔らかい
 ヴァイオリン
 花

●新井田さゆり(soprano) 吉本悟子(pf)
『ルイ・アラゴンの二つの詩』
 C.(セー)
 雅やかな宴

ラ・グルヌイエール(ギヨーム・アポリネール)
モンパルナス(ギヨーム・アポリネール)
ハイドパーク(ギヨーム・アポリネール)

~休憩(Entr'acte)~

●萩原雅子(soprano) 吉本悟子(pf)
『カリグラム』(ギヨーム・アポリネール)
 女スパイ
 変異
 南へ
 雨が降る
 追放された恩恵
 蝉たちと同じ程度に
 旅

●池端歩(mezzo soprano) 田中健(pf)
『画家の仕事』(ポール・エリュアール)
 パブロ・ピカソ
 マルク・シャガール
 ジョルジュ・ブラック
 フワン・グリス
 ポール・クレー
 フワン・ミロ
 ジャック・ヴィヨン

●武田正雄(ténor) 田中健(pf)
いなくなった人(ロベール・デスノス)
平和の祈り(シャルル・ドルレアン)
やぐるまぎく(ギヨーム・アポリネール)

●佐藤光政(bariton) 白取晃司(pf)
『村人の歌』(モーリス・フォンブール)より
 祭りに行く若者たち
 乞食

●成川友希(soprano) 室伏琴音(pf)
モンテカルロの女(ジャン・コクトー)

●オペラ『カルメル派修道女の対話』第二幕第二場 第二の修道院長の祈り「わが娘たちよ」
リドワーヌ新修道院長:鳥海仁子(soprano)
受肉のマリー上級修道女:池端歩(mezzo soprano)
修道女たち:Ensemble du Mouvement perpétuel
新海華子・高橋季絵・牧優雅(sopranos 1)
鈴木亜矢子・出口佳子・長坂理絵(sopranos 2)
友光耀子・庄司由美・望月唯(altos)
田中健(pf)

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先週に引き続き、プーランクの没後50年を記念する歌曲コンサートがあったので、出かけてきた。
先週も出演していたテノールの武田正雄がおそらく中心になっているのであろうMouvement perpétuelという団体の特別演奏会である。
配布されたプログラムの挨拶として武田氏が書かれているところによると、レジーヌ・クレスパンの元夫Lou Bruder氏の話として紹介されていたことが特に興味深かった。
Bruder氏の詩にプーランクが作曲してクレスパンに捧げる計画があったそうだが、その矢先にプーランクが亡くなってしまったそうだ。
もう少しプーランクが長生きをしていたら、クレスパンに献呈した新しい歌曲が存在したであろうに残念だ。

今回も多くの歌手、ピアニストが出演して、プーランクの多彩な歌曲の花束が編まれた。
休憩15分をはさみ、9時5分ごろ終演で、正味2時間を超すボリュームたっぷりの内容であった。
今回もある歌曲集の全曲を特定の一人の歌手とピアニストが演奏して、それを次々に別の演奏者がリレーしていくという形が中心であり、最後にオペラの抜粋を合唱を加えて演奏した。

歌手陣は若手から中堅、ベテランまで幅広く、今後が楽しみな若々しい歌唱から、脂の乗り切った中堅の立派な歌唱、さらに経験豊かさが滲み出るベテランの味わい深い歌唱まで、それぞれの個性が際立つ歌の競演であった。
さらにピアニスト4人もそれぞれの個性がありながら、みなテクニックもしっかりしており、作品への把握も素晴らしく、大いにその妙技を楽しんだ。

みな素晴らしかったが、ひとつだけ挙げるとすると、先週のボールドウィンのコンサートにも出演した池端歩による『画家の仕事』が実に堂々たる歌唱で、メゾソプラノの深みと力強さがあり、特筆に値する素晴らしさだった。
そして彼女をサポートする田中健がピアニスティックな鋭利さで歌唱と互角に演奏していたのも印象に残った。

こうしてプーランクの歌曲をまとめて聴いてみると、フランスのエスプリというものがどんなものか、その雰囲気だけは感じられたような気がする。
ちょっと平たく私なりの印象で表現すると、プーランクの歌曲は「お茶目」ということになるのではないか。
真摯な中に遊び心がある、また真面目なテキストにちょっと軽さを加えてみたりする。
また、ピアノ後奏がとても充実して美しい作品が多い印象もある。
例えば『そんな日そんな夜』の終曲「私たちは夜を作った」や『カリグラム』の終曲「旅」の後奏など、惹きこまれる魅力がある。
また、私がスゼー&ボールドウィンで知って以来大好きな『村人の歌』は全曲ともに歌とピアノの結びつきが特に緊密で面白い。
本来は全曲で聴きたいところだったが、バリトンの佐藤氏は独特のオーラを発して、クラシックの枠を超えた歌唱と表情で、曲集中の2曲を披露していた。
それから「モンテカルロの女」という曲が長いモノローグで興味深かった。

企画したスタッフと演奏者の皆さんに拍手を贈りたい。
とても意義深い楽しいコンサートだった。

今年もあと1月を残すのみだが、プーランクの歌曲にますますはまってしまいそうな今日このごろである。

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NISSAY OPERA/ベートーヴェン作曲オペラ「フィデリオ」(2013年11月23日 日生劇場)

日生劇場開場50周年記念公演
オペラ「フィデリオ(FIDELIO)」
(全二幕 原語ドイツ語上演 -日本語字幕付-)

原作:ジャン=ニコラ・ブイイの戯曲『レオノール、あるいは夫婦愛』
台本:ヨーゼフ・フォン・ゾンライトナー、シュテファン・フォン・ブロイニング、ゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)

2013年11月23日(土)14:00 日生劇場
(75分-休憩25分-65分)

ドン・フェルナンド:木村 俊光
ドン・ピツァロ:ジョン・ハオ
フロレスタン:成田 勝美
レオノーレ:小川 里美
ロッコ:山下 浩司
マルツェリーネ:安井 陽子
ヤキーノ:小貫 岩夫
囚人1:伊藤 潤
囚人2:狩野 賢一

合唱:C.ヴィレッジシンガーズ
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:飯守 泰次郎

演出:三浦 安浩

美術:鈴木 俊朗
照明:稲葉 直人
衣裳:坂井田 操

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日生劇場でベートーヴェン唯一のオペラ「フィデリオ」を見た。
「フィデリオ」を生で見るのははじめてだが、日生劇場の50年前のこけらおとしで演じられたのがベルリン・ドイツ・オペラによる「フィデリオ」だったとのことで、この劇場にとって特別な作品なのである。
その時はフィッシャー=ディースカウやルートヴィヒ、ベリーなど錚々たるメンバーがカール・ベームの指揮により演奏した。
そして、今回はドン・ピツァロを中国人のジョン・ハオが歌う以外は日本人メンバーにより全曲上演にこぎつけた。
まずはその偉業をたたえたいと思う。

ベートーヴェンの音楽はここでも彼らしさが全開で、荘厳で力強く、苦悩の中を光に向かって突き進んでいく響きは、全くぶれない。
ただ、そんな彼の音楽においても台本に従っただけなのかもしれないが、冒頭の場面は男女の駆け引きが軽快に歌われ、コミカルな要素も取り入れていて、深刻な内容に気晴らしの要素を与えてくれた。
今回はレオノーレがフロレスタンと再会した後に、マーラー以降の慣例に従って「レオノーレ序曲第3番」が演奏されたが、場面変換にはちょうどいいのかもしれない。

夫フロレスタンが失踪した後、妻レオノーレがフィデリオと名を変えて男装して監獄に潜り込み、夫を捜して救出するというのがおおまかな筋である。
フロレスタンは政敵ドン・ピツァロにさらわれて地下牢に閉じ込められていたが、最後は大臣ドン・フェルナンドの前で悪事が暴かれ、夫婦が再会し、妻の勇気が称えられて幕が下りる。

今回の演出(三浦 安浩)は現代人の設定のようだが、衣装も舞台装置も国や時代をそれほど強く意識させるものではないため、読み替えというほどではないのだろう。
助演の女性カメラマンが登場して、ドン・ピツァロの撮影をしたすえにピツァロの部下にいたぶられるというシーンもあった。
序曲の前に雷雨の音響が鳴り渡り、雨の照明の中、傘をさしたレオノーレの一人芝居があった。
そこではレオノーレの夫救出の決心に至る心の動きが描かれていたようだ。

歌手で第一に挙げるべきはレオノーレの小川 里美だろうか。
舞台姿の良さとちょっとクールな響きが特徴と感じられ、尻あがりに良くなっていった印象である。
ロッコ(山下 浩司)、マルツェリーネ(安井 陽子)、ヤキーノ(小貫 岩夫)は安定した上手さがあり、良かった。
特にコミカルな役どころのヤキーノは途中で第九やら「君を愛す(Ich liebe dich)」などを鼻歌で口ずさみ、会場をなごませていた。
私にとってはドン・フェルナンド役で木村 俊光の健在ぶりを聴けたのがうれしかった。
昔から名前は存じていたものの、一度もその生声に接する機会がなく、年齢的に正直若干不安もあったのだが、ボリュームこそ他の歌手ほどではないものの、朗々とした美声と醸し出される雰囲気は短い出番でも素晴らしく、聴けて良かったと思わせられた。
合唱も多少不揃いの場面もあったものの、総合的には素晴らしかった。
囚人の合唱はやはりこのオペラの重要な聴きどころなのだろう。
そして飯守 泰次郎の指揮は実に素晴らしかった。
今回一番の功労者ではなかろうか。
隅々まで目の行き届いた響きを作り上げ、とりわけ挿入された「レオノーレ序曲第3番」はなかなか聴けないほどの熱演だったのではないだろうか。
新日本フィルは最初のうち歌手と合わない箇所もあったものの、徐々に馴染み、ベートーヴェンの音を素晴らしく響かせていた。

正直なところ、頻繁に聴きたい作品ではないかもしれないが、この重厚で充実した音楽に折を見て今後も触れていけたらと思った。

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鎌田滋子ほか&ダルトン・ボールドウィン/プーランク没後50年記念ガラコンサート(2013年11月19日 白寿ホール)

プーランク没後50年記念ガラコンサート
(Francis Poulenc 50 Anniversary Gala Concert)
2013年11月19日(火)19:00 白寿ホール(全自由席)
(休憩15分。21:20終演)

 

ダルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)(ピアノ)(「対話」以外)
鎌田滋子(Shigeko Kamada)(ソプラノ)
高橋さやか(Sayaka Takahashi)(ソプラノ)
池端 歩(Ayumi Ikehata)(メゾ・ソプラノ)
坂本貴輝(Takateru Sakamoto)(テノール)
武田正雄(Masao Takeda)(テノール)
坂下忠弘(Tadahiro Sakashita)(バリトン)
鈴木靖子(Yasuko Suzuki)(ピアノ)(「対話」)

 

企画構成:鈴木靖子;鎌田滋子

 

プーランク(Poulenc)作曲

 

1.アポリネール(Guillaume Apollinaire)の詩による
「動物詩集(Le Bestiaire, ou le Cortège d'Orphée)」(池端)
1. らくだ(Le dromadaire)
2. チベットの牝山羊(La chèvre du Thibet)
3. いなご(La sauterelle)
4. イルカ(Le dauphin)
5. ザリガニ(L'Écrevisse)
6. 鯉(La carpe)

 

モンパルナス(Montparnasse)(坂本)
ハイド・パーク(Hyde Park)(坂本)
矢車菊(Bleuet)(坂本)

 

「四つの詩(Quatre poèmes)」(池端)
1. ウナギ(L'Anguille)
2. 絵はがき(Carte-Postale)
3. 映画の前に(Avant le cinéma)
4. 1904(1904)

 

「月並み事(Banalités)」(坂下)
1. オルクニーズの歌(Chanson d'Orkenise)
2. ホテル(Hôtel)
3. ワロニーの沼地(Fagnes de Wallonie)
4. パリへの旅(Voyage à Paris)
5. すすり泣き(Sanglots)

 

2.アラゴン(Louis Aragon)の詩による
「二つの詩(Deux Poèmes de Louis Aragon)」(坂本)
1. セーの橋(C)
2. 艶なる宴(Fêtes Galantes)

 

3.ヴァレリー(Paul Valéry)の詩による
対話(Colloque)(高橋;坂下)

 

4.ジャコブ(Max Jacob)の詩による
「マックス・ジャコブの5つの詩(5 Poèmes de Max Jacob)」(鎌田)
1. ブルターニュ風の歌(Chanson bretonne)
2. 墓地(Cimetière)
3. ちいさな召使い(La petite servante)
4. 子守唄(Berceuse)
5. スリックとムリック(Souric et Mouric)

 

「パリジアーナ(Parisiana)」(武田)
1. ビューグルを吹く(Jouer du Bugle)
2. もう手紙をくれないの?(Vous n'écrivez plus?)

 

〜休憩〜

 

5.ヴィルモラン(Louise de Vilmorin)の詩による
「かりそめの婚約(Fiançailles pour rire)」(高橋)
1. アンドレの奥さん(La Dame d'André)
2. 草の中で(Dans l'herbe)
3. 飛んでいるの(Il vole)
4. 私の屍は手袋のようにぐったりと(Mon cadavre est doux comme un gant)
5. ヴァイオリン(Violon)
6. 花(Fleurs)

 

6.エリュアール(Paul Éluard)の詩による
「そんな日、そんな夜(Tel jour, telle nuit)」(武田)
1. よい1日(Bonne journée)
2. からの貝殻のかけら(Une ruine coquille vide)
3. 失われた旗のような額(Le front comme un drapeau perdu)
4. 瓦礫に覆われた四輪馬車(Une roulotte couverte en tuiles)
5. 全速力で(A toutes brides)
6. 一本の哀れな草(Une herbe pauvre)
7. 私は君を愛したいだけだ(Je n'ai envie que de t'aimer)
8. 燃え上がる荒々しい力の姿(Figure de force brûlante et farouche)
9. 私たちは夜を作った(Nous avons fait la nuit)

 

「燃える鏡(Miroir brulante)」より
君は夕暮れの火を見る(Tu vois le feu du soir)(池端)

 

7.カレーム(Maurice Carême)の詩による
「くじ引き遊び(La courte paille)」(鎌田)
1. 眠け(Le sommeil)
2. 大冒険(Quelle aventure!)
3. ハートの女王(La reine de Coeur)
4. バ、ベ、ビ、ボ、ブ(Ba, be, bi, bo, bu)
5. 音楽家の天使たち(Les anges musiciens)
6. 小さなガラスびん(Le carafon)
7. 四月のお月さま(Lune d'Avril)

 

8.オペラ「ティレジアスの乳房(Extrait de "Les Mamelles de Tirésias")」より
「いいえ、旦那様」("Non, Monsieur, mon mari")(高橋;武田)

 

〜アンコール〜
愛の小径(Les chemins de l amour)(全員)

 

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今年もドルトン・ボールドウィンが来日し、多くの日本人歌手たちと共演している。
そのうちの一つを聴いた。
今年はヴァーグナーやヴェルディばかりが盛り上がっているが、プーランクも没後50年の記念年なのであった。
この夜は、プーランクの歌曲ばかりを集めたガラコンサートである。
まずはパンフレットに掲載されたボールドウィンの言葉から。

 

「ジェラール・スゼーと私が50年以上前、日本で最初にプーランクの歌曲を演奏した時、観客は困惑し、批評家からは好評を得られませんでした。いつの世も新しい芸術の形式を受け入れるのには時間が掛かります。」
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ボールドウィンが日本でプーランクを演奏してから50年経ち、日本のプーランク受容は変わったのか。
少なくとも当時と比べれば演奏される機会が増えたことは確かだろう。
ただ言葉の壁がある歌曲に関して言えば、まだまだ浸透しているには程遠い状態ではないか。
かく言う私も、プーランクの歌曲の中で好んで聴く曲は限られている(曲調に慣れるとこの上なく楽しい作品ばかりだが)。
そういう状況で、このようなプーランクの歌曲にどっぷり浸かるコンサートは大きな意味を持つのではないか。
実際、ボールドウィンの演奏目当てで来たこのコンサートで、私はプーランクの魅力にあらためて惹きこまれてしまったのである。

 

ここ数年ボールドウィンの実演を聴いていると、どうしても記憶力の面で年齢を感じてしまう場面に少なからず遭遇してきた(楽譜は置いているのだが)。
それが、この日のコンサートでは、十八番のプーランクの作品ということもあるのか、行方不明になることがほとんどなく、しかもテクニカルな面で難曲の多い彼の歌曲をものの見事に弾いていた。
来月で82歳を迎えるピアニストとしてはそれは驚異的なことではないだろうか。
相変わらずタッチは骨太でよく歌い、それでいながら歌手それぞれへの細やかな配慮は怠りない。
まさに円熟の演奏であった。
ボールドウィンの名人芸にサポートされた日本の優れたフランス歌曲歌手たちも気持ちよく歌えたのではないだろうか。
一つだけ苦言を呈させてもらうと、曲が終わって最後の音をペダルで伸ばしながら次の曲の楽譜を置く時の音ががさがさ大きすぎ、余韻に浸りにくいということはあった。
いっそ譜めくりを頼んではどうかと思ってしまったが、あるいはプーランクの歌曲は余韻に浸ることを拒むものなのだろうか。
そのあたりは分からず仕舞である。

 

今回は詩人ごとにまとめられた歌曲集をそれぞれ担当の歌手が登場して歌っては袖に戻り、次の歌手が登場して歌うということを繰り返し、ボールドウィンはただ1曲愛の二重唱「対話」でお弟子さんの鈴木靖子が演奏した以外は全曲ひとりで通して演奏した。
その鈴木さんが伴奏した時はボールドウィンは客席1列目の左端に腰を下ろし、弟子たちの演奏を満足そうに見ていた。
ボールドウィンは本当に歌が大好きで、演奏するのも大好きで、また仲間の歌手たちがうまく歌ったのがうれしくて仕方がないという風に見えた。
歌い終えて引っ込む歌手それぞれに拍手を送ったり声や合図を送ったりするボールドウィンの姿は慈愛にあふれていた。
以前EMIのプーランク歌曲全集の解説書にボールドウィンが寄稿した文章によれば、確かプーランクにはじめて彼が会った時、手を調べられたという。
プーランクの歌曲を演奏するのに必要な厚みがあるかどうかを見られたのだとか。
プーランク自身が優れたピアニストであり、自作の演奏をピエール・ベルナックらと数多く演奏してきたわけで、彼の歌曲においていかにピアノパートが充実しているかは想像に難くない。
そのような歌曲を解釈するうえで、ボールドウィンの経験がこうして次代の歌手たちに引き継がれていくことがどれほど意義深いことか。
例えば、最初の「動物詩集」を歌った池端歩は、歌う前に各曲のタイトル(動物名)をフランス語で語るのだが、そのうちの一つの発音が正しくなかったのか、すぐにボールドウィンが正しい発音をし直していた。
その妥協のなさと、歌手たちへの指導の一端が垣間見えた瞬間であった。

 

プーランクの歌曲は大まじめだったり、おふざけがあったり、華やかだったり、シンプルだったり、早口だったり、ゆったりだったりと実に多彩である。
しかし、その多彩さの中にプーランクの色が強く刻印されているのがすごいとあらためて感じた。
「動物詩集」の第1曲「らくだ」という曲は下降するピアノパートに乗って、荘厳と言ってもいい真面目さで「私に4匹のらくだがいたら、ドン・ペドロ・ダルファルベイラがしたように世界を巡り歩いただろう」と妄想が歌われる。
しかし、最後のピアノ後奏はどう見てもおちゃらけた響きである。
大真面目に妄想を繰り広げ、「なーんちゃって」と煙に巻くかのようだ。
一方で「矢車菊」や「セーの橋」は戦争で傷ついたフランスの現実を真摯に表現する。
そうかと思えば早口の「艶なる宴」のナンセンスな内容を実に面白おかしく表現する。
ポール・ヴァレリーの「対話」は男女の官能的な対話を静かに表現する(この曲の最後で坂下さんが急に背中を向けて高橋さんと口づけを交わす演技が唐突でびっくりしたが、テキストの内容がストレートに伝わってきた)。
「かりそめの婚約」や「くじ引き遊び」は今やフランス歌曲の重要なレパートリーに定着したのではないか。
「そんな日、そんな夜」はフェリシティー・ロットで聴き馴染んでいた為、武田さんのバリトンでの歌唱は新鮮だった。

 

歌手たちはヴェテランも若手も実にフランス歌曲に真摯に向き合って、素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。
メゾの池端さんはきれいな声が印象的で、テノールの坂本さんもよい声をしており、将来を期待させてくれた。
バリトンの坂下さんは昨年はじめてボールドウィンとのコンサートで聴いたが、今回も豊かに響くディクションと響きが素晴らしく、特に抑えた声が良かった。
ソプラノの高橋さんは声量も豊かでディクションも美しく、歌曲だけでなく、オペラ「ティレジアスの乳房」からの一場面を実に生き生きと歌って、強く印象に残った。
ソプラノの鎌田さんはベテランの味わいを滲ませた声の響きが美しく、表情も愛らしい。
テノールの武田さんもベテランらしい安心感で、フランス語の美しさと、プーランクらしい響きを堪能した。
武田さんだけ「もう手紙をくれないの?」という快活な歌を歌った後にボールドウィンに耳打ちされて、もう一度歌った。
前半の最後なので、アンコール的な意味合いもあるのだろうが、それにしてもボールドウィンのスタミナには驚かされた。

 

全曲が終わったアンコールでは、ボールドウィンが「愛の小径」の前奏を弾きはじめると、一人ずつ順番に歌いながら再度登場して、全員が最後に舞台に勢ぞろいするという形だった。
こうしてボリュームたっぷりのプーランク祭りは楽しく幕を閉じたのだった。

 

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ヘルマン・プライ&ミヒャエル・クリストによる「美しい水車屋の娘」ライヴ音源(1978年4月)

ヘルマン・プライの「美しい水車屋の娘」のライヴ録音が動画サイトにアップされていたので、貼り付けておきます。
ピアニストのクリストとは来日公演もしていますが、シューベルトの録音では共演していなかったはずですので貴重な音源で、アップしてくれた方に感謝です。

シューベルト「美しい水車屋の娘(Die schöne Müllerin)」D795
ライヴ録音:1978年4月28日, University of Chicago

ヘルマン・プライ(Hermann Prey)(baritone)
ミヒャエル・クリスト(Michael Krist)(piano)

1978年4月といえば、プライはまだ48歳で脂の乗り切った全盛期真っ只中です。
演奏を聴いても、その美声はほれぼれするほどです。
また、1978年はシューベルトの没後150年の記念の年で、きっと世界各地でシューベルトを歌っていた時期と思われます。
若い頃のように情熱に身を任せるわけでもなく、晩年のように噛んでふくめるような歌い方でもなく、まさに絶好調のプライが主人公の心情と客観的な視点の両方に目を届かせた全盛期ならではの名唱が聴けます。
クリストもプライの解釈に沿った柔軟な演奏を聴かせています。

なお、11曲「ぼくのもの!」の後にアナウンサーによる曲目紹介が入っています(おそらくラジオからの音源なのでしょう)。

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ペーター・レーゼル/シューマンの詩情を弾く(2013年11月16日 紀尾井ホール)

ドイツ・ロマン派 ピアノ音楽の諸相2013<協奏曲>
レーゼル シューマンの詩情を弾く
紀尾井シンフォニエッタ東京 第92回定期演奏会
2013年11月16日(土)14:00 紀尾井ホール

ペーター・レーゼル(Peter Rösel)(Piano)(シューマン)

紀尾井シンフォニエッタ東京(Kioi Sinfonietta Tokyo)
アントン・バラホフスキー(Anton Barakhovsky)(Guest Concertmaster)

イェルク=ペーター・ヴァイグレ(Jörg-Peter Weigle)(Conductor)

メンデルスゾーン(Mendelssohn-Bartholdy)/弦楽のためのシンフォニア第7番ニ短調
 I. Allegro
 II. Andante
 III. Menuetto
 IV. Allegro molto

シューマン(Schumann)/ピアノ協奏曲イ短調Op.54
 I. Allegro affettuoso
 II. Intermezzo: Andantino grazioso
 III. Allegro vivace

~アンコール~
シューマン/「子供の情景」より~「トロイメライ」op.15-7(レーゼル独奏)

~休憩~

シューベルト(Schubert)/交響曲第5番変ロ長調D485
 I. Allegro
 II. Andante con molto
 III. Menuetto: Allegro molto
 IV. Allegro vivace

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ペーター・レーゼルの「ドイツ・ロマン派 ピアノ音楽の諸相2013」シリーズの一環として行われた、紀尾井シンフォニエッタ東京 第92回定期演奏会(2日目)を聴いた。
満席の会場で、今回レーゼルが演奏したのがシューマンのピアノ協奏曲。

レーゼルは同曲を録音しているが、日本でこの曲を演奏するのはおそらく今回がはじめて。
そういう意味でもとても楽しみにしていたが、相変わらずの安定した味わいと作品への敬意を感じさせる真摯な表現で、シューマンの魅力を楽しませてくれた。

レーゼルは決してピアノの独り舞台にしない。
オケとの協調によってひとつのまとまった響きを作り上げていく。
ピアノのパートが休みの時はほぼ例外なく、オケの方を向いて、その響きにじっと耳を傾ける。
決して華美ではない作品だが、硬質なタッチによる美しい響きで、聴き手をうっとりとさせた。
自分ひとりが駆け抜けたり、スタンドプレーに陥ることが一切ないから、良質の室内楽を聴くような一体感が生まれる。
そういう温かさとドイツ人らしいがっちりした感覚が相俟って、得も言えぬ満ち足りた時間をつくりあげていた。

コンチェルトの演奏後に何度もカーテンコールに呼び出された後、レーゼルのみによるアンコールとして「トロイメライ」が弾かれた。
その響きは決して甘美なものではなく、彼がドイツ人であることを思い出させる硬質な響きに満ちたものだったが、その孤高の響きがなんと胸に迫ってくることか。
この「トロイメライ」の演奏は決して忘れられないだろう。

レーゼル登場前には紀尾井シンフォニエッタ東京によってメンデルスゾーンのシンフォニア第7番が演奏されたが、作曲家12~13歳の時の作品とのこと。
メンデルスゾーンの早熟ぶりにあらためて驚かされる。
作品として立派なものであったし、弦のみによる響きが新鮮に感じられる曲だった。

そして後半はシューベルトの交響曲第5番。
モーツァルトのような簡素で軽快な曲調で、私のようなオケ曲に疎い者でも結構とっつきやすく感じる作品である。
生で聴いたのはおそらくはじめてだと思うが、各楽章がそれぞれの良さをもっていて聴きやすかった。

ヴァイグレ指揮の紀尾井シンフォニエッタ東京は非常に自発的で雄弁な演奏が素晴らしかった。

なお、紀尾井シンフォニエッタ東京のヴァイオリンにN響で見た顔があるなと思い、プログラムを見たらやはりそうで、大宮臨太郎さんという人だそうだ。

それにしてもこの紀尾井ホールはあらためて響きの素晴らしいホールだなぁと感じた。
真ん中より若干後ろよりの列の左端の席だったが、ピアノとオケが極めて美しく響いてきた。

来年でレーゼルの「ドイツ・ロマン派 ピアノ音楽の諸相2013」シリーズは最終回。
来年こそはソロとコンチェルトだけでなく、室内楽(ブラームスのピアノ五重奏曲)も聴こうと思うが、財布が大丈夫か?

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岡田博美/ピアノリサイタル2013 ロマン派の真髄―シューマンをめぐって(2013年11月14日 東京文化会館 小ホール)

岡田博美ピアノリサイタル2013
ロマン派の真髄―シューマンをめぐって
2013年11月14日(木)19:00 東京文化会館 小ホール
岡田博美(Hiromi Okada)(piano)

ショパン(Chopin)/プレリュード 嬰ハ短調 作品45

ショパン/バラード 第3番 変イ長調 作品47

ブラームス(Brahms)/パガニーニの主題による変奏曲 作品35(全2巻)

~休憩~

シューマン(Schumann)/森の情景 作品82
 入口
 待ち伏せる狩人
 寂しい花
 気味の悪い場所
 親しみのある風景
 宿屋
 予言の鳥
 狩の歌
 別れ

シューマン/クライスレリアーナ(幻想曲集)作品16

~アンコール~
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/無言歌集より「春の歌」
リスト(Liszt)/愛の夢 第3番
シューマン/トロイメライ

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毎年秋恒例の岡田博美によるリサイタルを今年も聴いた。
昨年までの「ふらんすplus」が終了し、今回からは一回ごとに独自のテーマを設けるとのこと。
そして、今年は「今いちばん弾きたいロマン派」からシューマンを中心とした作品を集めたそうだ。

最初にショパンのプレリュード作品45とバラード第3番が演奏された。
ショパンの作品の中でもそれほど知名度が高いものではないが、岡田氏が本当に弾きたいものを選曲したのではないかと推測される。
岡田のショパンはストレートである。
決して情感が薄いというわけではないが、のめりこんで甘ったるくなるショパンとは対照的である。
人によっては物足りないと思うかもしれないが、これが岡田さんらしいショパンと感じた。

続くブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」はバリバリの超絶技巧を駆使した作品で、ブラームスもそのように作曲しているのだから演奏する人も思う存分テクニックを駆使すればよい。
そういう意味で岡田の本領発揮であり、彼の細長い指が鍵盤を這い回って、次々に繰り出されるテクニカルな難題をさらっとクリアーしていくのは視覚的にも爽快だが、その響きは迫力に満ち、聴き手はただただ圧倒される。
パガニーニの有名なテーマ(「24のカプリス」の24番)からこれだけ魅力的な変奏の数々を作り上げたブラームスの作品は全く長さを感じさせないものだった。

後半はシューマンの2つの曲集が演奏された。
最初は「森の情景」全9曲。
この曲集はシューマン後期の渋みも加わったロマンティックな小品集だが、ここでの岡田は曲によって向き不向きがあったように感じた。
例えば「親しみのある風景」はあまりにも速い速度で練習曲のように弾かれて、私には若干物足りなかった。
だが、その一方で「狩の歌」のリズミカルな演奏、さらに最後の「別れ」のそこはかとない情感表現は素晴らしかった。

最後の「クライスレリアーナ」は圧巻。
起伏に富んだ作品をうまくつないで集中力を途切らすことがない。
ここでは岡田さんによるシューマネスクな世界が表現されていたように感じた。
それにしても、あたかも妖精がぴょんぴょんと飛び跳ねて去ってしまうような終曲はやはりシューマンならではの世界だとあらためて実感。

アンコールは3曲。
いずれも名曲集などでお馴染みの曲だが、こういうリサイタルで聴く機会は意外と少ない。
そういう意味でもアンコールはデザートのようなものとかつて岡田さんが語っていたのが実感される楽しい時間であった。

来年は12月にショパンの葬送ソナタとスクリャービンのソナタなどが予定されている。
今から楽しみである。

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新国立劇場バレエ団/バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング(2013年11月13日 新国立劇場オペラパレス)

バレエ・リュス
ストラヴィンスキー・イブニング
火の鳥/アポロ/結婚
2013/2014シーズン
Ballets Russes Stravinsky Evening
The Firebird / Apollo / Les Noces

2013年11月13日(水)19:00 新国立劇場オペラパレス

『火の鳥』The Firebird
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
振付:ミハイル・フォーキン
火の鳥:小野絢子
イワン王子:山本隆之
王女ツァレヴナ:寺田亜沙子
カスチェイ:マイレン・トレウバエフ

『アポロ』Apollo [新制作]
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
振付:ジョージ・バランシン
アポロ:福岡雄大
テレプシコール:小野絢子
カリオペ:寺田亜沙子
ポリヒムニア:長田佳世
レト:湯川麻美子

『結婚』Les Noces [新制作]
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
振付:ブロニスラヴァ・ニジンスカ
花嫁:本島美和                   
花婿:小口邦明
両親:千歳美香子;堀口純;マイレン・トレウバエフ;輪島拓也

新国立劇場バレエ団

ソプラノ:前川依子(『結婚』)
アルト:佐々木昌子(『結婚』)
テノール:二階谷洋介(『結婚』)
バス:塩入功司(『結婚』)
新国立劇場合唱団(『結婚』)
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:クーン・カッセル(Koen Kessels)

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新国立劇場バレエ団の2013/2014シーズン開幕公演を鑑賞した。
すべてストラヴィンスキーの音楽によるバレエ・リュスの演目である。
新国立劇場のサイトによると、バレエ・リュスとは「1909年突如ヨーロッパに出現した、天才プロデューサー・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団」のことである。
多くの賛同した芸術家たちがジャンルを超えて総合芸術をつくりあげた古き良き時代を、今回初台に再現しようというものであり、このような古典を知ることは、私のようなバレエ素人にとっても得るところは大きかったと思う。

ストラヴィンスキーの音楽としても代表作のひとつといえる『火の鳥』のストーリー性の面白さ、『アポロ』の古典的な様式美と、どことなくコミカルに感じられる(私見では)振りの興味深さ、そしてロシアの民俗色豊かな『結婚』の土臭いわくわく感と、どれも私には新鮮で楽しめるものだった。
中でもニジンスキーの妹のニジンスカが振りつけたという『結婚』は私には最も面白く感じられた。
群舞が多く、主役がほとんど踊らない不思議なバレエだが、ダンサーたちが首をかしげて、まとまって寄りかかる振りが印象的だった。
何かバレエ特有の意味があるのだろうか。
独唱者、それに男声合唱も加えた民俗色の強い歌も印象的で、見ていて本当に楽しめるものだった。

バレエについてはどしろうとなので、テクニック面では何も言えないのだが、小野さんの火の鳥は可憐で、山本さんの王子はノーブル。
福岡さんのアポロは貫録に満ち、『結婚』の群舞(コール・ド・バレエというんでしたっけ)は振りがかえって新鮮で飽きることが一切ない。

それにしても『結婚』の時のオーケストラピットは面白かった。
左半分を新国立劇場合唱団がぎっしり詰まって座っており、真ん中をピアノ4台が扇状に設置され、その後ろに独唱者4人が座り、その他の楽器は右側に位置していた。
きっと合唱曲としてもレパートリーに入っている作品なのだろうが、ロシア語のハンデをよく克服して、皆さん演奏されたと思う。

きっと記念碑的な意味のある上演だったと思うが、単純にバレエ作品として鑑賞して素晴らしかったと思う。
再演希望です!

Ballets_russes_20131113

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二期会/ライマン作曲オペラ「リア」(2013年11月10日 日生劇場)

《二期会創立60周年記念公演》
オペラ「リア(Lear)」

オペラ全2部
字幕付原語(ドイツ語)上演 <日本初演>
原作:ウィリアム・シェイクスピア「リア王」
台本:クラウス・H・ヘンネベルク
作曲:アリベルト・ライマン(Aribert Reimann)

2013年11月10日(日)14:00 日生劇場
(85分/休憩25分/70分)

指揮:下野竜也
演出:栗山民也

美術:松井るみ
衣裳:前田文子
照明:服部 基

ドラマトゥルク:長木誠司
演出助手:上原真希

舞台監督:大澤 裕

リア:小森輝彦
ゴネリル:小山由美
リーガン:腰越満美
コーディリア:臼木あい
フランス王:小田川哲也
オルバニー公:宮本益光
コーンウォール公:高橋 淳
ケント伯:大間知 覚
グロスター伯:峰 茂樹
エドマンド:小原啓楼
エドガー:藤木大地
道化:三枝宏次

合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団

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二期会によるアリベルト・ライマンのオペラ「リア」初演の最終日を見た。
ライマンのオペラは昨年の二期会による「メデア」も見て面白かったので、今回も期待していたが、予想を上回る面白さだった(「面白い」という言葉がふさわしいかどうかは分からないが)。
このオペラ、あのフィッシャー=ディースカウの求めで書かれた作品で、初演もディースカウが歌っている。

ちなみにディースカウの歌った映像の一部を貼っておきます。

ライマンといえばフィッシャー=ディースカウが現代歌曲を歌う時のピアニストにしばしば起用したことでも知られている。
つまり、ライマンはディースカウの共演者として彼の声を知り尽くしていたのだ。
当然このオペラもディースカウの声を想定して書かれているし、今回のリア役の小森輝彦の歌を聴きながら、ディースカウが歌っているような錯覚に陥ることもあった。

このオペラはシェイクスピアの「リア王」のヘンネベルクによる独訳にライマンが作曲した2部からなる作品である。
あらすじについては大変分かりやすいdachonさんのブログをご覧ください(私が聴かなかった日のコーンウォール公役で出演されていた高田正人さんが書かれています)。
 こちら

リア王が引退前に3人の娘に土地を相続しようとして、自分をどれだけ愛しているか言わせるのだが、強欲で権力志向の強い上の二人(ゴネリル、リーガン)は美辞麗句を並べたてる一方、末娘のコーディリアは父を心から愛している為に言葉で表現することが出来ない。
それゆえにリアの怒りを買って追放されてしまうというのがオペラの冒頭の場面である。
その後、グロースター伯の二人の息子達もからみ、それぞれの思惑と性格描写が丁寧に描かれていく。
結局最後はみなが破滅に向かう話なので、救いはないのだが、そのドロドロ具合にライマンの描く現代音楽のおどろおどろしさが実によくはまっている。
普段現代音楽に疎い私だが、このオペラの音楽は歌もオケも含めて、聴き手の集中力を一切途切れさせずに、物語に引き込んでしまう。
その吸引力たるや、私がこれまでに見たオペラ(そんなに多くはないが)の中で五本の指の中に入るのではとさえ思われる。
人間の生の感情がオケの不協和な響きと大胆に使われるパーカッション群によって増幅される。
そして、ある時は城の中、ある時は荒野をあらわす舞台装置や照明が簡素ながら効果をあげていた。
舞台中央の円形の場所が回る仕組みも効果的に使われていた。

歌手の中ではやはりリアを演じた小森輝彦の歌唱の素晴らしさと、なりきった演技の見事さに拍手を送りたい。
おそろしく困難な歌唱パートを歌いきった全歌手たちの中でも、小森の健闘が成功に大きく寄与したことは間違いないだろう。
3人の娘たちもそれぞれの性格があらわれた声質の歌手を配置して、持ち味を存分に出していた。
中でもヒステリックなリーガンを演じた腰越満美の熱演ぶりには圧倒されるばかりだった。

上の娘それぞれの夫の性格描写もくっきりと描かれていて分かりやすい。
グロスター伯の峰茂樹の重厚な歌も素晴らしかった。

エドマンドの小原啓楼も悪役を見事にこなしたが、エドガーの藤木大地はカウンターテノールの声を生かして難しい役どころを素晴らしく表現していた。
そして二期会の男声合唱団も王の家来として酒宴で酔っ払った場面などで活躍していた。

今回王のそばに仕える道化役にダンサーの三枝宏次が起用されており、破れた衣装に白塗りの顔で踊るだけでなく、格言のような言葉をドイツ語でそれもかなり頻繁に語っていたのは凄いと思った。

下野竜也指揮の読売日本交響楽団は素晴らしい演奏をした。
彼らにブラボーである。

演出の栗山民也は日生劇場の限られた空間内で素晴らしい成果をあげたと思う。

歌ったり演じたり、演奏したりするタイミングをはかるきっかけさえ素人の耳には困難そうに思えたが、全キャストとスタッフがきっと一丸となって困難を克服してきたのだろう。
そんな充実した舞台を見られたことは、私にとっても大きな財産となった。
願わくは、いずれ日本でももっと頻繁にこのオペラが上演されるようになるといいのだが。

カーテンコールでは客席で聴いていたライマン氏も舞台に呼び出され、盛大な拍手に応えていた。

最後に、今回プロンプターも活躍していたようで、はっきり声が聞こえていたが、この類の作品では当然必要不可欠であろう。

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ペーター・レーゼル/リサイタル 情熱と憧憬(2013年11月9日 紀尾井ホール)

ペーター・レーゼル
ドイツ・ロマン派 ピアノ音楽の諸相2013
リサイタル2 情熱と憧憬
2013年11月9日(土)15:00 紀尾井ホール

ペーター・レーゼル(Peter Rösel)(piano)

シューベルト(Schubert)/楽興の時 Op.94, D780
 1.モデラート ハ長調
 2.アンダンティーノ 変イ長調
 3.アレグロ・モデラート ヘ短調
 4.モデラート 嬰ハ短調
 5.アレグロ・ヴィヴァーチェ ヘ短調
 6.アレグレット 変イ長調

ブラームス(Brahms)/2つのラプソディー Op.79
 第1番 激情的に ロ短調
 第2番 非常に情熱的に、しかし快活すぎずに ト短調

~休憩~

ウェーバー(Weber)/舞踏への勧誘 変ニ長調 Op.65

シューマン(Schumann)/ピアノ・ソナタ第1番 嬰ヘ短調 Op.11
 1.Introduzione:Un poco Adagio - Allegro vivace
 2.Aria:senza passione, ma espressivo
 3.Scherzo e intermezzo:Allegrissimo - lento - Allegrissimo
 4.Finale:Allegro un poco maestoso

~アンコール~

ブラームス/幻想曲集 Op.116より 第1曲 奇想曲ニ短調
シューベルト/即興曲集 D935より 第2番 変イ長調
ブラームス/ワルツ イ長調 Op.39-15

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ここ数年、毎年秋に来日してくれるドイツのペーター・レーゼルのリサイタルを今年も聴いた。
昨年よりスタートさせた「ドイツ・ロマン派 ピアノ音楽の諸相」シリーズの2回目にあたる。
今回はシューベルト、ブラームス、ヴェーバー、シューマンとまさにロマン派の王道プログラムである。

最初のシューベルト「楽興の時」から何のてらいもなく、早めのテンポで一見淡々と弾いているように見せながら、実は極めて磨かれたタッチと高度なテクニックに裏打ちされた安定した指回りで、聴き手を安心して作品の世界に引き入れる。
激しい箇所でもこれでもかと強引に荒々しく演奏することはないが、かといって決してドラマに不足するわけではなく、音楽的な音でドラマを演出してみせる。
その技は彼の演奏するどの作品にも一貫して感じられることだった。
彼は第2番の装飾音をゆっくり目に弾くことで、はっとする魅力を付与してくれたりする。
また有名な第3番でも必要以上に民俗色を打ち出したりせず、精巧な工芸品のような緻密さと温かさを兼ね備えていた。

ブラームスの作品はレーゼルが若い頃に全集を録音しているだけあって、楽しみにしていた。
今回の「2つのラプソディー」はエネルギッシュで情熱的な箇所と暗く沈んだ箇所を併せ持った名曲だが、レーゼルは若い頃の録音のようにバリバリと歯切れよさを聴かせるよりは、むしろ円熟したタッチによってさらに昇華された演奏になっていた。
パッションに圧倒させられるというよりも、作品の表情の変化を極めて自然につないだ演奏だったと感じた(もちろんテクニックは万全である)。
そして今でこそ聴ける彼のブラームスの演奏に心から満足したのだった。

休憩後は、有名だがあまり取り上げられないヴェーバーの「舞踏への勧誘」が演奏されたが、ここでもレーゼルは必要なだけのドラマは盛り込みつつも、決して派手なスタンドプレーには陥らず、好感のもてる演奏だった。
私は「舞踏への勧誘」を実演でははじめて聴いたのだが、噂に聞く舞踏会のシーンの後のフライング拍手をはじめて体験することとなった。
しかし、ここでレーゼルは想定内でもあったかのように慌てず、右手を振って、まだ終わりではない旨を伝える。
そして、最後の静かな箇所が終わり、曲が本当に終了した時に、レーゼルはまた右手を振って、今度は拍手していいよと茶目っけのある身振りをする。
謹厳な印象のあるレーゼルのユーモアに会場がどっと沸いた瞬間であった。

プログラム最後はシューマンのピアノ・ソナタ第1番。
シューマンらしい内向性と外向性の交錯する作品で、レーゼルの安定した技術と美しいタッチ、さらに見事な構築感で、このソナタ全曲を素晴らしく演奏した。

そして熱烈な拍手にこたえてアンコールは3曲。
ここでも弾かないふりをして、ちゃっかり椅子に座って弾いたりと、レーゼルの茶目っけが会場を沸かす。
最後に弾いたブラームスのワルツの穏やかな優美さに今のレーゼルの芸術のエッセンスがこめられていたように感じた。

来週はシューマンのコンチェルトが聴けるので楽しみである。

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シューベルト「岩の上の羊飼いD965」を聴く

今回は、Zu-Simolinさんのご希望でシューベルトの「岩の上の羊飼い」をとりあげます。
シューベルト最後の歌曲のひとつとされ、規模が大きく、クラリネットの助奏が付くことでもユニークな作品です。
助奏が付くということではホルン助奏の「流れの上で(Auf dem Strom)D943」(レルシュタープの詩)もありますが、そちらも晩年の作品で、シューベルトが新しい試みを始めようとしていた可能性があります。

さらにこの作品の特殊な点は複数の詩をつなげて一つの歌曲を作っていることで、マーラーが後にやったことをすでに先取りしていたと言えるかもしれません。
最初の4節はヴィルヘルム・ミュラーの「山の羊飼い(Der Berghirt)」、次の2節がファルンハーゲンの「夜の響き(Nächtlicher Schall)」、最後の1節が再びミュラーによる「愛の思い(Liebesgedanken)」から引用されています。
真ん中の2節はかつては「ロザムンデ」の作家として知られているヘルミーナ・フォン・シェジによるものと推測されていましたが、後にファルンハーゲンの詩であることが判明したようです。

歌はかなりの技術を要しますが、一方でピアノパートは和音を刻むなど伴奏にとどまっている箇所が多い印象を受けます。
その分助奏のクラリネットが歌とデュエットを奏でるように活躍します。
歌は、ヨーデルを思わせる跳躍、メリスマティックな技術、息の長いフレーズ、さらに中間部の心痛の表現力等々、多くの要素を歌手に求めますが、それゆえにやり甲斐があるのか、多くの女声歌手たちに人気のある作品です。
普段ドイツリートを歌わないようなイタリア系のソプラノ歌手までこの曲をとりあげていることからも、その特殊性がうかがえます。

以下のリンク先でシューベルトによる自筆譜の最初のページが見られます。
 こちら

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Der Hirt auf dem Felsen
 岩の上の羊飼い

Wenn auf dem höchsten Fels ich steh',
In's tiefe Tal hernieder seh',
Und singe,
 私が一番高い岩の上に立ち
 深い谷を見下ろして
 歌うとき、

Fern aus dem tiefen dunkeln Tal
Schwingt sich empor der Widerhall
Der Klüfte.
 深く暗い谷底からはるかに
 深淵のこだまが
 舞い上がる。

Je weiter meine Stimme dringt,
Je heller sie mir wieder klingt
Von unten.
 私の声が遠くへ届けば届くほど
 明るくこだまが響き返ってくる、
 下の方から。

Mein Liebchen wohnt so weit von mir,
Drum sehn' ich mich so heiß nach ihr
Hinüber.
 私の恋人は私からとても離れたところに住んでいる、
 だから私は彼女にこれほど熱烈に憧れるのだ、
 あのかなたへ。

In tiefem Gram verzehr' ich mich,
Mir ist die Freude hin,
Auf Erden mir die Hoffnung wich,
Ich hier so einsam bin.
 深い心痛のあまり私は憔悴している、
 私から喜びは去ってしまった、
 この世で私から希望は消え、
 ここにいる私はこれほど孤独なのだ。

So sehnend klang im Wald das Lied,
So sehnend klang es durch die Nacht,
Die Herzen es zum Himmel zieht
Mit wunderbarer Macht.
 こんなに憧れにあふれて歌が森に響きわたった、
 こんなに憧れにあふれて歌が夜をとおして響きわたった、
 心を歌は天に向かわせる、
 不思議な力で。

Der Frühling will kommen,
Der Frühling, meine Freud',
Nun mach' ich mich fertig
Zum Wandern bereit.
 春が来ようとしている、
 春、我が喜びよ、
 もう私は
 旅立つ用意が出来ている。

詩:Wilhelm Müller (1794-1827)(1-4,7節)
  Karl August Varnhagen von Ense (1785-1858)(5-6節)
曲:Franz Peter Schubert (1797-1828)

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エリー・アーメリング(S)&ハンス・ダインツァー(CL)&イェルク・デームス(Fortepiano)

アーメリング30代前半の極上の美声が堪能できます。技巧的な箇所から抒情的な箇所まで完璧です。ダインツァーとデームスのひなびた雰囲気も心地よいです。

バーバラ・ボニー(S)&シャロン・カム(CL)&ジェフリー・パーソンズ(P)

ボニーの伸びやかなつやのある美声が存分に生かされた名唱です。この曲では比較的地味な役割に甘んじているピアノパートですが、さすがにパーソンズの上手さ、タッチの美しさは隠しようがありません。

キャスリーン・バトル(S)&カール・ライスター(CL)&ジェイムズ・レヴァイン(P)

バトルのクリーミーな美声が惜しげなく披露されています。名手ライスターの演奏は歌心にあふれていて素晴らしいです。レヴァインも好サポートです。

アーリーン・オジェー(S)&シア・キング(CL)&グレアム・ジョンソン(P)

オジェー最晩年のいぶし銀の名唱で、ヨーデルを模しているかのような"singen"の歌い方が印象的でした。とりわけ中間部の抑えた哀愁が円熟味を感じさせて素晴らしかったです。キングとジョンソンは穏やかにオジェーを支えています。

マーガレット・プライス(S)&ハンス・シェーネベルガー(CL)&ヴォルフガング・サヴァリシュ(P)

プライスの清澄さと強靭さを併せ持った歌唱もまた素敵です。シェーネベルガーとサヴァリシュが引き締まった演奏を聴かせます。

バーバラ・ヘンドリックス(S)&ザビーネ・マイアー(CL)&ラドゥ・ルプー(P)

名手3人が相まみえた名演です。ヘンドリックスの細身の声は相変わらず魅力的です。

エディタ・グルベローヴァ(S)&ペーター・シュミードル(CL)&エリク・ヴェルバ(P)

グルベローヴァに適した作品で、彼女の良さが出ていますが、ただ技巧を聴かせるだけでなく、中間部の悲痛な表現も訴えかけてくるものがあります。シュミードル&ヴェルバのウィーン情緒あふれる演奏もいいです。

ベニタ・ヴァレンテ(S)&ハロルド・ライト(CL)&ルドルフ・ゼルキン(P)

ヴァレンテのライヴならではの起伏のある歌いぶりも魅力的です。巨匠ゼルキンがさすが味のあるピアノを聴かせます。

マックス・エマヌエル・ツェンチッチ(Boy soprano)&クラリネット&ピアノ(演奏者名不明)

実際の少年の声で聴くのが、このテキストには最も理想的かもしれないですね。これだけ歌えるボーイソプラノはすごいです!

サンドリーヌ・ピオー(S)&Antoine Tamestit(Viola)&マルクス・ハドゥラ(P)

ドイツリートもこなすフランス人ピオーの歌唱も端正で表情も豊かで良いです。ヴィオラ助奏だと牧歌的な要素が薄まり、サロンで聴いているかのような感じです。ハドゥラもいい演奏です。

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長島剛子&梅本 実/リートデュオ・リサイタル<新ウィーン楽派の歌曲を集めて>(2013年10月31日 津田ホール)

長島剛子・梅本 実 リートデュオ・リサイタル
世紀末から20世紀へ Part XII
<新ウィーン楽派の歌曲を集めて>

2013年10月31日(木)19:00 津田ホール(全自由席)

長島剛子(Takeko Nagashima)(S)
梅本 実(Minoru Umemoto)(P)

アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(Zemlinsky: 1871-1942)
 かわいいつばめ(Liebe Schwalbe) 作品6-1
 妖精の歌(Elfenlied) 作品22-4
 ふたり(Die Beiden)
 日曜日(Sonntag) 作品7-5
 太陽小路で(In der Sonnengasse)

アントン・ヴェーベルン(Webern: 1883-1945)/「5つの歌曲(Fünf Lieder)」作品3
 1.これがあの歌だ(Dies ist ein Lied)
 2.風の中で(Im Windesweben)
 3.小川の岸辺で(An Bachesranft)
 4.朝露(Im Morgentaun)
 5.葉の落ちた木が枝を伸ばす(Kahl reckt der Baum)

アルバン・ベルク(Berg: 1885-1935)/「4つの歌曲(Vier Lieder)」作品2
 1.眠るんだ、眠るんだ(Schlafen, schlafen)
 2.眠り込んだまま私は(Schlafend trägt man mich)
 3.私は最強の巨人を倒した(Nun ich der Riesen Stärksten überwand)
 4.大気は暖かい(Warm die Lüfte)

アルバン・ベルク/「7つの初期の歌(Sieben frühe Lieder)」より
 葦の歌(Schilflied)
 部屋の中で(Im Zimmer)
 夏の日々(Sommertage)

~休憩~

アルノルト・シェーンベルク(Schönberg: 1874-1951)/シュテファン・ゲオルゲの「架空庭園の書」による15の歌曲(15 Gedichte aus "Das Buch der Hängenden Gärten" von Stefan George) 作品15
 1.密生した木の葉に覆われた場所では
 2.この楽園の中の林苑では
 3.初めて私が貴方の領地に足を踏み入れた時
 4.私の口元がこわばり、そして燃えるので
 5.私に言って、どの小道を
 6.私はいかなる仕事も手に付かない
 7.不安と希望が交錯し私の心を締め付ける
 8.今日貴方の肉体に触れなければ
 9.幸せとはかくも厳しくつれないもの
 10.美しい花壇を私は待ち焦がれながら眺める
 11.私たちが花で飾られた入口の陰で
 12.深い褥の中で聖なる憩いのあいだ
 13.貴方は岸辺の柳に身をもたせ
 14.木の葉についてばかり語るのを止めよ
 15.私たちは夕暮れによく行ったものだ

~アンコール~
ヴェーベルン/似たもの同士(Gleich und gleich)
シェーンベルク/ギガルレッテ(Gigerlette)

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長島剛子・梅本 実リートデュオ・リサイタルを津田ホールで聴いた。
この2人は2001年6月から「世紀末から20世紀へ」というシリーズを始め、今回が12回目にあたる。
私はこのシリーズは今回はじめて聴いたのだが、お二人の演奏は以前川口リリアでシューマン歌曲集を聴いたことがある。
その時もリートの演奏者としての実力を感じたものだが、その彼らの本領とも言える20世紀歌曲を堪能してきた。

プログラムはシェーンベルクの師匠でもあったツェムリンスキーの歌曲5曲で始まり、ヴェーベルンの短い作品3の歌曲集、さらにアルバン・ベルクの作品2全曲と「7つの初期の歌」からの抜粋で前半を締め、後半はシェーンベルクの「「架空庭園の書」による15の歌曲」が演奏された。

この時代の歌曲も今となってはすでに古典と言ってもいいのだろうが、ロマン派中心の歌曲の聴き方をしている私のような者にとっては、馴染みが薄いというのが正直なところである。
今回のプログラムでもそれなりに知っていたのはアルバン・ベルクの歌曲ぐらいで、その他は直前にヴェーベルンの歌曲を予習したぐらい。
シェーンベルクの「架空庭園の書」は名前だけは知っていたが、ちゃんと聴いたこともなかった。

しかし配布されたパンフレットの懇切丁寧な解説と対訳(お二人による)を参照しながら、演奏される曲に耳を澄ますと、比較的親しみやすいツェムリンスキーやベルクだけではなく、ヴェーベルンもシェーンベルクも詩の韻律と音のリズムの対応関係は一致しており、歌とピアノの関係は耳に馴染みやすい響きではないものの、全く乖離しているわけでもなく、歌曲の伝統に連なっているように感じられた。
後は繰り返し聴くことで、これらの響きに慣れれば、もっと身近な存在になるのではないだろうか。
そんなことを思いながらシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクたちのメッセージに身を浸した一夜であった。

中でも印象に残っているのがベルクの「大気は暖かい(Warm die Lüfte)」。
「あの人はまだ来ない。ずいぶん待っているのに(Er kommt noch nicht. Er lässt mich warten)」と歌手が高音で叫びを思わせる切迫感で歌い、その後、ピアノが降下して鋭い低音を打ち付ける。
この箇所は緊迫感があり、訴えかけるものが強い。
さらに歌は「死ぬがよい(Stirb!)」と低音でつぶやくように続き、聴き手は戦慄を覚えるのである。

長島さんはじっくりと落ち着いたリート歌手という印象で、その安定した歌唱はこれらの歌曲に近づきやすくしてくれた。
特に声を張った時の響きの充実感が素晴らしかった。
曲の性格によるのだろうか、かなり語りを意識した歌い方だったようにも感じられた。

ご主人の梅本 実さんのピアノはまさにリート演奏の理想像とも言うべき充実したものであった。
テクニックの充実はもとより、テキストへの対応、響きのコントロールなど、どこをとっても隙がない。
歌曲の伴奏はこういう演奏で聴きたいと思わせる魅力があった。

アンコールの最後はシェーンベルクのキャバレーソングから「ギガルレッテ」。
歌う長島さんもここにいたって満面の笑顔で、解放感にあふれたように演じて魅せてくれた。

お二人の今後の活動を楽しみにしたい。

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O.F.C./合唱舞踊劇「カルミナ・ブラーナ」・「グロリア」(2013年10月29日 東京文化会館 大ホール)

O.F.C.合唱舞踊劇「カルミナ・ブラーナ」・「グロリア」

2013年10月29日(火)19:00 東京文化会館 大ホール

合唱舞踊劇「グロリア」(約20分)
音楽:F.プーランク(Francis Poulenc)作曲「グロリア(GLORIA)」
 1.Gloria
 2.Laudamus te
 3.Domine Deus
 4.Domine fili unigenite
 5.Dominus Deus, Agnus Dei
 6.Qui sedes ad dexteram Patris

~休憩~

合唱舞踊劇「カルミナ・ブラーナ」(約60分)
音楽:C.オルフ(Carl Orff)作曲「カルミナ・ブラーナ(CARMINA BURANA)」

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演出・振付:佐多達枝
指揮:西村 友

ソプラノ:山田英津子(「グロリア」&「カルミナ・ブラーナ」)
カウンターテノール:青木洋也(「カルミナ・ブラーナ」)
バリトン:駒田敏章(「カルミナ・ブラーナ」)

ダンサー
安藤明代 宇山たわ 坂田めぐみ
塩山紗也加 島田衣子 清水あゆみ
関口淳子 高木奈津子 田所いおり
樋田佳美 贄田麗帆 堀口聖楽
宮杉綾子 森田真希 穴吹 淳
石井竜一 小出顕太郎 後藤和雄
武石光嗣 堀内 充 三木雄馬

管弦楽:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
児童合唱:すみだ少年少女合唱団(「カルミナ・ブラーナ」)
合唱・コロス: オルフ祝祭合唱団

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オルフの「カルミナ・ブラーナ」は、独唱、合唱、オケによる楽曲で、私の大好きな作品である。
もともと舞台形式での上演を意図して作られたとのことなので、今回のようにバレエダンサーを伴った上演は作曲家の希望に沿った形ということになるだろう。
以前新国立劇場バレエ団によるデイヴィッド・ビントレー振付のバレエ版で見たことがあるが、テキストを反映した面白さがあって、来年の再演もまた見たいと思っている。

佐多達枝の演出・振付による「カルミナ・ブラーナ」は1995年以来何度も上演を重ねてきたそうだが、今回はじめて見ることが出来て、音楽とダンスのパワーを感じてきた。
この上演の面白い点はコロスという立場の合唱団が歌いながら、手足を動かしたり、歩いたり、座ったりと、振りをつけていることである。
振りのつかない純粋な合唱団もいて、そちらはオケピットの横(ピットの中ではなく、ステージから突き出したあたり)にまとまり、振りのつくコロスはステージ両脇、つまりダンサーたちの脇に位置する。
独唱者は歌う曲の直前にステージ脇に登場して歌うことが多いが、時には後方の中央まで出て、そこから歌いながらステージを突っ切って前方に歩いてきたりもする。

前半はプーランクの「グロリア」の演奏にのせて、女性ダンサー(8人ぐらいだったか)が踊る。
このプーランクの作品、もちろん「グロリア」のラテン語の典礼文の歌詞が歌われるわけだが、音楽がいつものプーランク節全開で、知らずに聴いていたらあまり宗教曲とは感じないかもしれない。
もちろんソプラノ独唱の加わった箇所など真摯で感動的な音楽もあるのだが、全体的にはダンスが付けやすそうな親しみやすい(よい意味で)印象を受ける。
特に第2曲「Laudamus te」は"te"が高くあがって強調されて、コミカルですらあり、ダンサーのダンスも面白かった。
ソプラノの山田英津子は清澄な美声を心地よく響かせていた。
合唱は若干荒さの感じられるところもあったが、健闘していたのではないだろうか。

休憩後の「カルミナ・ブラーナ」は本当に終始わくわくする曲のオンパレードで、1時間がこんなにあっという間に感じられる曲もめったにない。
ボイレンの修道士や学生たちが中世に書いた歌集をテキストにとったこの作品は、俗世の人間の営みがあっけらかんと描かれていて、そのエネルギーをリズミカルに強烈にオルフが描き尽くしている。
特に打楽器とピアノがオケと共に大きな役割を果たしているように感じられる。
合唱団はプーランクよりも断然こちらの方が素晴らしかった。
ダンスはダンサーのソロあり、群舞ありで、曲の世界観をよく表現していたのではないだろうか(ダンスは門外漢なので詳しいレポートは出来ずすみません)。
独唱者ではとりわけバリトンの駒田敏章が素晴らしかった。
明晰な発音と若々しい声で、各曲のキャラクターを見事に歌い、声もよく通り、今後の活躍が楽しみな歌手である。
テノール用にはたった1曲(「昔は湖に住んでいた」)しか担当する曲がなく、オルフも贅沢な使い方をするものだと思うが、カウンターテノールの青木洋也は、丸焼きにされて食卓に出される白鳥の心情を丁寧に表現した。
カウンターテノール=古楽という印象が強いが、こういう現代曲で聴くのも興味深い。
前半でも登場したソプラノの山田英津子は衣装を替えて登場したが、清澄な響きはこちらでも生かされていた。
ただ23曲「この世で一番愛するひとよ」ではおそろしく高い音があり、その音の時はちょっと厳しそうだった(バリトン歌手の曲にも超高音はあるが、そちらはファルセットが使えるので、女声の方がより大変かもしれない)。

すみだ少年少女合唱団は澄んだ響きを聴かせて、さわやかな風を吹き込んだ。
西村 友指揮の東京シティ・フィルはダンスと呼吸を合わせつつもエネルギッシュに演奏していて、いい演奏だった。

最後の数曲では、独唱者も含め全員が舞台に登場し、ダンサー以外の全員がコロスと同じ振りをしていたのが印象的だった。
独唱者にまで振りをさせなくてもとは思ったが…。

この大作は聴き手にエネルギーを与えてくれる。
今回の上演でもそれを再認識させてくれるものだった。

カーテンコールで登場した演出・振付の佐多達枝はすでに80歳を超しておられるが、小柄でかわいらしい女性だった。
この団体の今後の活動に期待したい。

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