新国立劇場/モーツァルト「フィガロの結婚」(2013年10月26日 新国立劇場 オペラパレス)
モーツァルト/「フィガロの結婚」
2013年10月26日(土)14:00 新国立劇場 オペラパレス
1・2幕 95分 休憩 25分 3・4幕 75分
【演出】アンドレアス・ホモキ
【アルマヴィーヴァ伯爵】レヴェンテ・モルナール
【伯爵夫人】マンディ・フレドリヒ
【フィガロ】マルコ・ヴィンコ
【スザンナ】九嶋香奈枝
【ケルビーノ】レナ・ベルキナ
【マルチェッリーナ】竹本節子
【バルトロ】松位 浩
【バジリオ】大野光彦
【ドン・クルツィオ】糸賀修平
【アントーニオ】志村文彦
【バルバリーナ】吉原圭子
【二人の娘】前川依子、小林昌代
【合唱】新国立劇場合唱団
【チェンバロ】石野真穂
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】ウルフ・シルマー
【美術】フランク・フィリップ・シュレスマン
【衣裳】メヒトヒルト・ザイペル
【照明】フランク・エヴァン
【再演演出】三浦安浩
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新国立劇場で「フィガロの結婚」を聴いた。
実はこのアンドレアス・ホーモキ演出のプロダクションは、この劇場で数年おきに何度も繰り返し上演されており、私は前回の3年前も聴きに来たのだが、その時は残念ながら疲れがたまっていて熟睡してしまった。
そんなわけで今回はリベンジである。
キャストはアントーニオ役の志村文彦が同じである以外は全員変わったが、今回スザンナに抜擢された九嶋香奈枝は前回バルバリーナを歌っていたから大出世である。
ホーモキ演出の舞台は白い空間に複数の白いダンボールと白い衣装箪笥があるだけという簡素なものだが、照明で効果を出したり、舞台下からはしごをかけたりと工夫されている。
劇が進行するにつれて壁がはずれて、床も傾斜が増し、空間自体が破たんしていく。
キャストは最初の数幕はそれなりの服とかつらを着ていて区別がつくようになっているのだが、最終幕ではみな真っ白な寝巻のような恰好になり、「社会的地位を表す服装がなくなり…本来の存在においては全く同じ」(ホーモキの言葉)であることを示しているらしい。
上演前から幕があいた舞台には何もない白い空間だけだったが、序曲の途中で壁のうしろが開き、人手でダンボールが次々に置かれていく。
そして序曲が終わると、歌手たちはダンボールの山の間をかきわけて登場するのである。
この簡素な舞台は第4幕の屋外の場でもそのまま使われる。
登場人物が隠れて立ち聞きしたりする場面が多いので、ダンボールと衣装箪笥が大活躍である。
最初はこの簡素な舞台で退屈しないかと心配していたが、それは杞憂で、充分に楽しめた。
歌手はおしなべて水準を超えていたように思う。
アルマヴィーヴァ伯爵のレヴェンテ・モルナールは威厳と威圧感のあるキャラクターを描きつつ、よく歌っていた。
伯爵夫人のマンディ・フレドリヒは若干硬さも感じたが、気品のある声と歌は会場の喝采をさらっていた。
フィガロのマルコ・ヴィンコは代役にもかかわらずよく健闘したのではないか。
その長身は見栄えもよく、舞台をあちこち動き回りながら複雑な動きをよくこなしたと思う。
声は若干大味に感じることもあったが、よく響いて語り口もはっきりしていた。
そして、スザンナの九嶋香奈枝はかわいらしいキャラクターを全うして、歌も演技も私は充分満足した。
ケルビーノのレナ・ベルキナは写真で見ると大変な美人だが、4階最後列の私の席からはよく見えなかったのが残念(笑)。
しかし、ズボン役としての演技は遠目にはよくこなしていたと思えたし、歌も少年のように響いていた。
その他の脇を固める日本人歌手たちもそれぞれの役柄をしっかりこなしていたと思うし、特にバルトロの松位浩は朗々と響く声が印象的だった。
バルバリーナの吉原圭子はピンをなくしたと歌う前に伯爵に弄ばれる演出だった為、なくしたものが貞節であるかのような複雑な心理をよく表現していたと思う。
ウルフ・シルマー指揮の東京フィルは躍動感あふれる楽しげな演奏で聴いていて心地よかった。
チェンバロも大健闘である。
有名なアリアも沢山楽しめ、私には充分満足のいく上演だった。
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