吉田秀和氏、畑中良輔氏逝去
アレクシス・ヴァイセンベルク、モリス・アンドレ、フィッシャー=ディースカウ、フランス・クリダと音楽界の著名人が続々亡くなる中、またしても2人の大きな存在が旅立たれた。
バリトン歌手として日本のオペラ界を盛り上げ、支え、指導してきた畑中良輔氏が、肺炎のため5月24日亡くなられた。享年90歳。
こちら
作曲家としても日本歌曲の重要なレパートリーを増やし、さらに日本歌曲の演奏者、企画者として定期的にコンサートを催した。
また、合唱指揮者としても活動していたが、畑中氏のお姿をついに一度も見ないまま亡くなられたことが残念である。
最近紀尾井ホールでは毎年畑中氏も含めベテランの演奏家が一同に会してコンサートを開いていたので、その折に行かなかったことを後悔している。
私にとっての畑中氏はなんといっても「レコード芸術」誌における声楽曲の評論家であった。
クラシックを聞き始めた中学生の時にたまたま書店で発見したこの雑誌を小遣いで買い、その記事をむさぼるように読んでいた頃から、声楽曲の演奏担当は佐々木行綱氏と共に畑中氏であった。
F=ディースカウもプライもシュヴァルツコプフもアーメリングも畑中氏の評論を読んだことが青年期の私の一つの指針になったことは間違いない。
先週の金曜日の午後にFM放送でF=ディースカウを追悼する放送があったそうだが、その中で畑中氏のコメントも放送されたらしい。
つまり、18日のF=ディースカウの逝去を知り、追悼コメントを収録した後に亡くなったということになるのだろう。
日本の声楽界の功労者として大きな存在だった方の逝去はやはり残念である。
もうお一方、あまりにも著名な大御所評論家の吉田秀和氏が、急性心不全のため5月22日に亡くなられた。享年98歳。
こちら
膨大な著作は図書館や書店に常に並んでおり、私もクラシック初心者だった頃から「レコード芸術」誌の文章を拝見していた。
同じ音楽評論でも、吉田氏の文章は「批評」というよりも、ある演奏を聴いた「個人的な思いのつらなり」という印象で、そこに文学作品を読むのに近い「読み物」となっていたように感じられた。
多くの評論家たちが、ある演奏のあそこは良く、あそこは駄目と断定するのに対して、吉田氏は「~かもしれない。私には確信がもてないけれども」とご自身が曖昧に感じた場合はそのことを隠さない。
吉田氏の書かれた文章の中で忘れられない箇所がある。
ある読者から「あなたは大規模な音楽ばかり論じているが、小さな音楽は聴かないのか」という意見を受け、それに対してそうではないと否定する。
その例としてシューベルトの歌曲、そしてF=ディースカウの演奏に話が及ぶのである。
それを立証するかのように、吉田氏の「レコード芸術」誌での文章はしばしば歌曲をテーマにしていた。
それはプライとビアンコーニの「冬の旅」だったり、オーラフ・ベーアとパーソンズの「詩人の恋」だったりしたが、吉田氏が心の底から歌曲を愛しておられることはその文章から明らかであった。
奥様がドイツの方だったことも無関係ではなかったかもしれない。
今後畑中氏のお弟子さんたちがその魂を継承されることでしょうし、吉田氏の遺された作品は若い人たちの研究対象となるかもしれません。
そういう大きな足跡を残した方々に衷心よりご冥福をお祈りいたします。
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コメント
畑中氏は私は知らないのですが、吉田秀和氏は以前は音楽誌で
読んだ事があります。私には難解なところもありました。
もう,殆ど忘れてしまっています。とある喫茶店日響で読んだ音楽誌に
読者の書かれた、「私は吉田さんの言う事はすべて信じます」と言うような
文は未だに頭に残っています。私もそう思っていました。
ご冥福をお祈りいたします。
投稿: tada | 2012年5月28日 (月曜日) 01時26分
前回のディースカウ氏訃報に関する御記事にコメントっせていただき、今回は、吉田秀和氏訃報の御記事へのコメントとなってしまいました。
吉田氏のなされた書きものやラジオなどでの評論についての貴兄のご経験は、おそらく私とほぼ同じではないかと推察いたします。今では思い出せませんが、吉田氏の『主題と変奏』や『今日の演奏と演奏家』に高校生の頃出会ったのは、たぶん『レコ芸』での氏のエッセイか何かを読んだからだったのかもしれません。
日曜日の朝だったと思いますが、何人かの著名な評論家による演奏会時評での吉田氏の発言には、いつも耳をそばだてたのも思い出されます。
先述の著書を読んで、「ああ、音楽は、その残像を言葉で語れるんだ」と思い、氏の文章や発言には常に注意を払ってきました。ディースカウ訃報を知ったときもショックでしたが、やはり遠い人。少なくとも吉田氏は私の知る日本語で音楽を語っただけに、「嗚呼……」という想いはある意味、さらに強いかもしれません。
ひとしきりの夢の領域が終わった気がします。
因みに<吉田秀和全集>の23巻だったと思いますが、口絵の写真。奥様の遺骨を前にする吉田氏の後姿の写真は、今後はその写真を別の意味で見つめることになりそうです。
投稿: Zu-Simolin | 2012年5月28日 (月曜日) 16時49分
tadaさん、こんばんは。
吉田秀和氏の文章は多岐に渡っていて、私が読んだのはごく一部に過ぎないのですが、確かに読み慣れないうちは何を言おうとしているのか難しい箇所もありました。しかし、他の批評家の方々とは異なる個性が文章のあちらこちらに感じられ、読み物としても吉田氏ならではの趣があったと思います。
これほど大きな存在になられたからには、吉田氏の文章に心酔する方も多くおられたことでしょう。
今後、この偉大な評論家の業績について、研究が進むのではないかと思います。
投稿: フランツ | 2012年5月28日 (月曜日) 21時11分
Zu-Simolinさん、こんばんは。
大御所の訃報が続くのは喪失感も大きいですね。
吉田秀和氏の書かれた演奏論などは図書館にも置いてあり、昔興味のあるページだけですが、ぱらぱらと読んだ記憶があります。
ラジオでの解説も決して流暢とは言えない訥々とした語りがまた特有の味わいを醸し出していました(その点では同じくラジオで長くクラシックを紹介しておられる皆川氏の流暢な語りとは対照的に感じました)。
「音楽は、その残像を言葉で語れる」というのはいかにもZu-Simolinさんらしい素敵なご意見ですね。私が学生の頃は同級生の中には「音楽を研究対象にすることなどできるのか」と訝る人もいましたが、それが可能であることを実証したお一人が吉田氏だったのではないでしょうか。
ご指摘の全集23巻の写真は私はまだ拝見したことがないのですが、きっと多くのことをその写真は語っているのではないでしょうか。今度図書館で見てみます。
私の場合は、Zu-Simolinさんの場合とはちょっと異なり、ディースカウよりも、吉田氏の方が随分遠い存在に感じられます。しかし、音楽評論においては今後も無視して通ることが出来ないほどの大きな遺産を残されたと思います。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
投稿: フランツ | 2012年5月28日 (月曜日) 21時23分
遂に来るものがきたか、というのが私の率直な感想です。この年齢で私たち現役に多大な影響力を持つ方は、かの日野原先生くらいではないでしょうか。
私もこの吉田氏の影響は多大であり、今ここで振り返ってみても限りがあるように思います。朝日新聞、レコ芸、FM放送、数多くの著作。これらの媒体は私に音楽の楽しみを伝授してくださったように思います。
孔子が論語で「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」端的に言えばこの心境に立つことが、音楽を楽しむ極意かと私は考えております。
因みに吉田氏の遺作ともいえる「永遠の故郷」この四部作によって私は少なからず歌曲の真髄の一部を知ったような気がしています。中でも、「四つの最後の歌」、「菩提樹」、ヴォルフ、ラヴェルの歌曲、食わず嫌いの私に多大な感化を与えてくださいました。
あまりに音楽関係者、取り分け大事な方々が鬼籍に入られること重ね重ね残念で仕方ありません。
投稿: 島津和平 | 2012年5月30日 (水曜日) 19時19分
島津さん、こんばんは。
年齢を考えればいつかは来る日だったわけですが、いざ訃報に接するとやはりショックは大きいですね。
島津さんは様々な媒体を通じて吉田氏から音楽の楽しみを伝授されたそうですが、日本中に同じような音楽ファンが多数おられることでしょう。孔子の言葉が愛好家の心に響いてきます。
私はあまり吉田氏の動向に詳しくない為、「永遠の故郷」という文章は存じ上げなかったのですが、歌曲について書かれているそうですね。後で調べたところ、吉田氏選定の演奏CD付きで今後発売予定とのことで、そちらをぜひ味わってみたいと思っています。ご紹介有難うございます。
1人の訃報だけでも様々な思いがわきあがってくるのに、これほど続くと思いにひたっている暇もないぐらいで、もうこの連鎖は少しおさまってほしいところです。
ちなみに以下のサイトに吉田氏たちの追悼文が寄せられていますのでご参考までに。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK28039_Y2A520C1000000/
投稿: フランツ | 2012年5月31日 (木曜日) 02時54分