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吉田秀和氏、畑中良輔氏逝去

アレクシス・ヴァイセンベルク、モリス・アンドレ、フィッシャー=ディースカウ、フランス・クリダと音楽界の著名人が続々亡くなる中、またしても2人の大きな存在が旅立たれた。

バリトン歌手として日本のオペラ界を盛り上げ、支え、指導してきた畑中良輔氏が、肺炎のため5月24日亡くなられた。享年90歳。
 こちら
作曲家としても日本歌曲の重要なレパートリーを増やし、さらに日本歌曲の演奏者、企画者として定期的にコンサートを催した。
また、合唱指揮者としても活動していたが、畑中氏のお姿をついに一度も見ないまま亡くなられたことが残念である。
最近紀尾井ホールでは毎年畑中氏も含めベテランの演奏家が一同に会してコンサートを開いていたので、その折に行かなかったことを後悔している。

私にとっての畑中氏はなんといっても「レコード芸術」誌における声楽曲の評論家であった。
クラシックを聞き始めた中学生の時にたまたま書店で発見したこの雑誌を小遣いで買い、その記事をむさぼるように読んでいた頃から、声楽曲の演奏担当は佐々木行綱氏と共に畑中氏であった。
F=ディースカウもプライもシュヴァルツコプフもアーメリングも畑中氏の評論を読んだことが青年期の私の一つの指針になったことは間違いない。
先週の金曜日の午後にFM放送でF=ディースカウを追悼する放送があったそうだが、その中で畑中氏のコメントも放送されたらしい。
つまり、18日のF=ディースカウの逝去を知り、追悼コメントを収録した後に亡くなったということになるのだろう。
日本の声楽界の功労者として大きな存在だった方の逝去はやはり残念である。

もうお一方、あまりにも著名な大御所評論家の吉田秀和氏が、急性心不全のため5月22日に亡くなられた。享年98歳。
 こちら
膨大な著作は図書館や書店に常に並んでおり、私もクラシック初心者だった頃から「レコード芸術」誌の文章を拝見していた。
同じ音楽評論でも、吉田氏の文章は「批評」というよりも、ある演奏を聴いた「個人的な思いのつらなり」という印象で、そこに文学作品を読むのに近い「読み物」となっていたように感じられた。
多くの評論家たちが、ある演奏のあそこは良く、あそこは駄目と断定するのに対して、吉田氏は「~かもしれない。私には確信がもてないけれども」とご自身が曖昧に感じた場合はそのことを隠さない。

吉田氏の書かれた文章の中で忘れられない箇所がある。
ある読者から「あなたは大規模な音楽ばかり論じているが、小さな音楽は聴かないのか」という意見を受け、それに対してそうではないと否定する。
その例としてシューベルトの歌曲、そしてF=ディースカウの演奏に話が及ぶのである。
それを立証するかのように、吉田氏の「レコード芸術」誌での文章はしばしば歌曲をテーマにしていた。
それはプライとビアンコーニの「冬の旅」だったり、オーラフ・ベーアとパーソンズの「詩人の恋」だったりしたが、吉田氏が心の底から歌曲を愛しておられることはその文章から明らかであった。
奥様がドイツの方だったことも無関係ではなかったかもしれない。

今後畑中氏のお弟子さんたちがその魂を継承されることでしょうし、吉田氏の遺された作品は若い人たちの研究対象となるかもしれません。
そういう大きな足跡を残した方々に衷心よりご冥福をお祈りいたします。

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F=ディースカウのブラームス・ライヴを聴く(デームスとの1983年アムステルダム・ライヴ:Radio4 Concerthuis)

オランダのRadio4の音源配信サイトConcerthuisで今、フィッシャー=ディースカウがアムステルダムで歌ったブラームス歌曲が聴けます。
共演のピアニストはイェルク・デームスで、1983年6月9日のライヴ録音です。
この当時F=ディースカウが好んで歌っていたブラームス・プログラムで、私もこの時と同じようなプログラムを学生の時にFMで聴いて、ブラームス歌曲に開眼したという思い出があります。

なお期間限定なのでお聴きになる方はお気をつけください(残りの日数は写真下の"Dit concert is nog * dagen te beluisteren ..."の * の数字です)。

こちら

録音:1983年6月9日、アムステルダム・コンセルトヘボウ(Concertgebouw Amsterdam)(ライヴ)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)(bariton)
イェルク・デームス(Jörg Demus)(piano)

ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)作曲

1.エオリアン・ハープに寄せて(An eine Aeolsharfe)Op.19-5
2.なんと私は夜中に飛び起きて(Wie rafft ich mich auf in der Nacht)Op.32-1
3.もうあなたの許へ行くまいと(Nicht mehr zu dir zu gehen)Op.32-2
4.私のかたわらを流れていった小川(Der Strom, der neben mir verrauschte)Op.32-4
5.辛いこと、こうしてあなたは私を再び(Wehe, so willst du mich wieder)Op.32-5
6.黄昏(Abenddämmerung)Op.49-5
7.恋人への通い路(Der Gang zum Liebchen)Op.48-1
8.湖上にて(Auf dem See)Op.59-2
9.太鼓の歌(Tambourliedchen)Op.69-5
10.セレナーデ(Serenade)Op.70-3
11.夕べの雨(Abendregen)Op.70-4
12.春にはこんなにいとしく愛し合うもの(Es liebt sich so lieblich im Lenze)Op.71-1
13.秘密(Geheimnis)Op.71-3
14.打ち勝ちがたい(Unüberwindlich)Op.72-5
15.テレーゼ(Therese)Op.86-1
16.君のもとにあるのはわが思い(Bei dir sind meine Gedanken)Op.95-2
17.花々は見ている(Es schauen die Blumen)Op.96-3
18.航海(Meerfahrt)Op.96-4
19.墓地にて(Auf dem Kirchhofe)Op.105-4
20.ネコヤナギ(Maienkätzchen)Op.107-4
21.なんとあなたは、我が女王よ(Wie bist du, meine Königin)Op.32-9
22.ぼくらは歩き回った(wir wandelten)Op.96-2
23.セレナーデ(Ständchen)Op.106-1

私の個人的な好みでは昔から2が大好きです(取り返しのつかない過去を悔いて夜中に外に飛び出して嘆くというテキストに雄弁なピアノと真摯な歌が絡んで魅力的です)。
その他、1、3、7~9、13~15、18、19、21~23などもとても惹き付けられる作品です。
よろしければフィッシャー=ディースカウを偲んでお好きな曲だけでも聴いてみてください。

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巨人逝く-ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ氏(2012年5月18日没。享年86歳)

私にとってただただ感謝あるのみの巨人

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau)

あなたがいなかったら私はドイツの歌などに夢中になることはなかったかもしれません

あまりにも豊かな遺産をあなたは音楽ファンに残してくれました

私にとっては最高のシューベルト歌手でした

「音楽に寄せて」を聴いてあなたのご冥福をお祈りすることにします

ありがとう、ディーター

安らかにお休みください

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アネッテ・ダッシュ&ヴォルフラム・リーガー/〈歌曲(リート)の森〉第10篇(2012年5月17日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第10篇
アネッテ・ダッシュ(ソプラノ)
2012年5月17日(木)19:00 トッパンホール(I列4番)

アネッテ・ダッシュ(Annette Dasch)(ソプラノ)
ヴォルフラム・リーガー(Wolfram Rieger)(ピアノ)

シューベルト(Schubert)作曲

なんと激しく流れる泉よ(O Quell, was strömst du rasch und wild) D874(1-4節の有節歌曲として演奏。補筆者は不明)
泉のほとりの若者(Der Jüngling an der Quelle) D300
隠者の庵(Die Einsiedelei) D393(1,3,5,6節)
小川のほとりのダフネ(Daphne am Bach) D411
ます(Die Forelle) D550
春の小川で(Am Bach im Frühling) D361
海の静けさ(Meeres Stille) D216
流れ(Der Fluss) D693
帰路(Rückweg) D476
ドナウ河で(Auf der Donau) D553
流れ(Der Strom) D565
湖上にて(Auf dem See) D543
水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen) D774

~休憩~

ブラームス(Brahms)作曲

湖上で(Auf dem See) Op.59-2
沈みゆく(Versunken) Op.86-5
夏の夕べ(Sommerabend) Op.85-1
月の光(Mondenschein) Op.85-2
落胆(Verzagen) Op.72-4
五月の夜(Die Mainacht) Op.43-2
空気はなまぬるく、そよともせず(Unbewegte laue Luft) Op.57-8
愛のまこと(Liebestreu) Op.3-1
「49のドイツ民謡集」より~あの柳の林のなかに(Dort in den Weiden)
乙女の歌(Mädchenlied) Op.85-3
乙女(Das Mädchen) Op.95-1
サロメ(Salome) Op.69-8
乙女の呪い(Mädchenfluch) Op.69-9

~アンコール~
ブラームス/「49のドイツ民謡集」より~あの谷の底では(Da unten im Tale)
ブラームス/「49のドイツ民謡集」より~静かな夜に(Im stiller Nacht)
シューベルト/至福(Seligkeit)D433
シューベルト/音楽に寄す(An die Musik)D547

トッパンホールの〈歌曲(リート)の森〉シリーズは、歌曲ファンにとって渇きを満たすに充分な有難い企画である。
今回はソプラノのアネッテ・ダッシュの登場である。
オペラ歌手として大活躍の彼女だが、ベルリンでは定期的に歌曲のサロンコンサートも催しているそうだ。
ウィーン・フォルクスオーパーの「メリーウィドウ」公演のために来日した彼女が日本初リサイタルをトッパンホールで開いてくれた。
ピアノが中堅ヴォルフラム・リーガーなのも嬉しい(リーガーは今年の秋に藤村さんの共演者として再来日するようだ)。

今回のプログラムがまた私の大好きなシューベルトとブラームスなのも期待をふくらませる。
シューベルトの「なんと激しく流れる泉よ」「隠者の庵」「小川のほとりのダフネ」などは実演ではめったに聴けないだろう。

リサイタル前半はシューベルトの水にちなんだ作品ばかり13曲演奏された。
冒頭の選曲にまず驚かされる。
シュルツェのテキストによる「なんと激しく流れる泉よ」D874は、本来ピアノ前奏4小節と歌声部14小節のみの未完成の作品なのである。
花と泉との対話による4つの節のテキストの第1節(花)の箇所のみ作曲されている。
この夜は、誰かによって補筆された楽譜により、全4節の有節歌曲として歌われた。
これはただ珍しい作品の紹介というだけではなく、シューベルトらしい楽想の美しさが確かにあり、未完に終わったのが惜しまれる。
こうして補完して演奏するのも一つの可能性の提示という意味でありだろう。

舞台に登場したアネッテ・ダッシュは空色(?)のきれいなドレスをまとって登場。
顔立ちが端正で美貌の持ち主なのだが、体格はかなりグラマラスでふくよかである。
後で知ったのだが、生後数ヶ月の赤ちゃんがいるそうだ。
そんな彼女を見ようとオペラグラスに釘付けの紳士たちもいた(トッパンホールでオペラグラスを使っている人は初めて見た)。

生ではじめて聴くダッシュの声は硬質である。
芯の強さと華やかな響きが持ち味だろう。
声色の多彩さで聞かせるというよりは、むしろ強弱の幅と、ネイティヴならではの語り口、そして素直にメロディーラインを響かせることに彼女の特徴があるように感じた。
選曲は知的だが、歌唱はもっと素朴である。
そこになんらかのコクが加わるのはさらに年輪を重ねてからだろう。

2曲目の有名な「泉のほとりの若者」は短いながらシューベルトの音楽の魅力がぎゅっと凝縮されたような佳作。
最後の"Luise(ルイーゼ)"と抑えた声で呼びかける箇所が聴き所と言えるだろうが、ダッシュはまだ声が完全には温まっていない感じ。

続く「隠者の庵」「小川のほとりのダフネ」は珍しい曲だが、決して悪くない。
こういう曲の発掘を若いダッシュがしてくれるのは心強い。

「ます」はあまり表情を付けずにさらっと聴かせた。

「海の静けさ」のアルペッジョのピアノ伴奏は小節いっぱいにゆっくりと一音一音をずらしていくパターンと、通常のアルペッジョのように急速に弾き和音としての響きとなるパターンがあるが、リーガーの演奏は前者だった。
ダッシュの歌唱は後半の海の不気味さを伝える箇所でかなりボリュームを出して歌っていたが、個人的にはここも抑えた中で微妙にふくれあがる感じの方が好みである。

ダッシュの声は「ドナウ河で」あたりからボリュームが増し、それに応じてピアノのリーガーも歌と拮抗するような押しの強さを出し始めた。
F.シュレーゲルの詩によるイタリアオペラのアリアのような美しい「流れ」D693も、印象的なメロディーの「帰路」D476も、激しい「流れ」D565も、シューベルトの作品のもつ魅力をまっすぐに伝えていたが、ダッシュほどの人ならばさらにより高みを求めたくなる。
前半最後の「水の上で歌う」にしてもダッシュならではの魅力で聞かせるにはまださらなる何かが欲しい気もした。

休憩をはさみ、後半はオール・ブラームスだが、こちらの方が現在のダッシュには合っていたようだ。
ブラームスの選曲も基本的には「水」がテーマだが、それがシューベルトの時ほど前面に出ず、むしろ背景を彩っているような印象。
そして、ブラームスの器楽曲のようなメロディーラインをダッシュは丁寧に余裕をもって響かせ、なかなか聴き応えがある。

シューベルトでは聴衆の拍手は最後の「水の上で歌う」が終わるまでなかったのだが、ブラームスの最初の数曲は1曲ごとにフライング気味の拍手がちらほら。
曲が終わってからならばまだしも、重要なピアノ後奏を弾いている最中に拍手を始めるのはいただけない(家で聴いているのではないのだから)。
周囲の注意によって、数曲後にはフライング拍手も収まり、ようやくブラームスの世界に集中できたのである。

「落胆」のような激しい曲調のものはとりわけ現在の彼女の良さがよく出ていたように感じた。
またブラームスの「あの柳の林のなかに」という作品は、Op.97-4と、「49のドイツ民謡集」の中の31曲目とがあり、プログラムの予告では前者だったのだが、実際に歌われたのは後者だった(個人的には後者の方が好きなので良かった)。
このユーモラスな表情はオペラ歌手ダッシュの持ち味がよく出ていて見事だった。

そして乙女の歌2曲を歌った後の「サロメ」「乙女の呪い」はいずれも威勢のよい女性の歌で、これらのドラマティックな表現の迫力は実に素晴らしかった。
今の彼女はブラームス歌曲にその魅力が発揮されていたのが感じられた。

ピアノのヴォルフラム・リーガーは、最初のうち、歌手の声が温まっていないことに配慮したのだろう、かなり控えめな演奏だったが、それでもやるべきことはしっかりとやる演奏で、さすが名手である。
ダッシュの声がよく出るようになってからは、リーガーのピアノも突然歌と拮抗するようなダイナミクスを聞かせるようになり、「ドナウ河で」などは急激なスフォルツァンドに驚かされるほどだった(効果的だったが)。
どの曲もそれぞれの性格を把握して、実に音楽性豊かな演奏を聴かせた。
まさに旬の演奏という感じで、実に味わい深く、血肉とした余裕も感じられて、素晴らしいピアノだった。

盛大な拍手にこたえて、アンコールは4曲。
いずれも名作ばかり、くつろいで楽しく聴けた。

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内藤明美&平島誠也/テッセラの春・第10回音楽祭 第2夜(2012年5月12日 サロンテッセラ)

テッセラの春・第10回音楽祭「新しい耳」
第2夜 内藤 明美(Ms)/平島 誠也(Pf) ~大地の歌~

2012年5月12日(土)16:00 サロンテッセラ(全席自由)
内藤明美(MS)
平島誠也(P)

廻由美子(“新しい耳”企画・ナビゲーター)

ヴォルフ(Wolf)/『メーリケ歌曲集』より

 希望に寄せる心癒えた者の思い(Der Genesene an die Hoffnung)
 捨てられた娘(Das verlassene Mägdlein)
 飽くことなき恋(Nimmersatte Liebe)
 隠棲(Verborgenheit)

 祈り(Gebet)
 ヴァイラの歌(Gesang Weylas)
 さようなら(Lebe wohl)
 エーオルスの琴に寄せて(An eine Äolsharfe)

~休憩~

マーラー(Mahler)/『大地の歌(Das Lied von der Erde)』より
 第六楽章「告別(Abschied)」

~アンコール~
ヴォルフ/祈り

渋谷から田園都市線で2駅目の三軒茶屋駅近くにあるサロンテッセラに初めて出かけた。
「テッセラの春」と題された年2回催される音楽祭の一環で、今回で10回目とのこと。
その第2夜は、メゾソプラノの内藤明美とピアノの平島誠也によるリサイタル。
地道な歌曲の伝道者たちであり、優れた演奏家たちである。
70席しかない親密な空間はリートを聴くのにはまさにうってつけ。
歌曲ファンにとっては非常に贅沢なコンサートとなった。
緑のあるこじんまりとした素敵なテラスでは休憩時間にワンドリンクがふるまわれた。

ピアニストでこの音楽祭の企画をした廻(めぐり)由美子さんがナビゲーターを務めた。
個人的には、クラシックのフリー情報誌「ぶらあぼ」で長いこと幅広い観点から執筆されていたエッセーを愛読していたのだが、今回は案内役と演奏者へのインタビュアーとしても秀でたところを発揮されていた。
今回のヴォルフとマーラーというプログラムは企画者からの希望とのことで、演奏者側がそれにこたえたということになる。

内藤さんがヴォルフとマーラーを歌うのを聴くのは私にとって初めてのことである。

廻さんの紹介により登場した内藤さんと平島さんはまずフーゴ・ヴォルフの「メーリケ歌曲集」から4曲を演奏した。
今宵も内藤さんの声は絶好調で、深々としたメゾの響きと、切れ味のある美しい発音が小さなサロンのすみずみにまで届く。
最初の「希望に寄せる心癒えた者の思い」では「死を思いつつ朝を迎えた(山崎裕視氏訳)」という言葉のとおり、平島さんの半音進行の苦悩を暗示するようなピアノ前奏にのって、静かな緊張感をもって歌い始められた。
そして、「希望」が「勝利の名乗り」をあげた箇所で内藤さんは歓呼のフルヴォイスを朗々と響かせ、平島さんは堂々とファンファーレを奏でる。
そして、「ああ、ただ一度でも苦しみなく/おまえの胸に抱きしめておくれ」と締めくくる箇所では祈るように声は高まり、最後は低く沈み込む。
希望による癒しを感謝するという内容を歌う内藤さんの表現した響きそのものが、すでに聴き手にとっての「癒し」であった。
ピアノ後奏は和音をふくらませてから徐々に減衰して消えてゆく。
その和音間の響きの微妙な加減が絶妙で、決して分かりやすくダイナミクスを派手にしないままこれほど豊かな表情をつくりあげる平島氏の演奏はさすがである。

続く「捨てられた娘」では薄情な男に捨てられた辛い思いを、抑制と、抑えきれなくなった感情の吐露との対比で、伝えてくる。
一転「飽くことなき恋」では庶民だろうがお偉方だろうが恋する時にはなんの違いもないと、コミカルな表情をこめて歌われた。
こういう作品でのさりげない上手さは内藤さんにとって新鮮な一面に感じられた。
テンポを揺らし、間をとって、コミカルな表情をさりげなく表現する平島さんも素晴らしかった。

「隠棲」はヴォルフの歌曲中もっとも有名であり、かつもっともヴォルフらしくない作品の一つでもある。
だが、そのヴォルフらしくないところが、親しみやすさを増していることも事実で、内藤さんも素直に曲の魅力を伝えていた。

その後、ナビゲーターの廻さんが演奏者お二人にインタビューをした。
内藤さんは海外での生活が長く、それゆえに"u"という母音は西欧語と日本語に大きな違いがあると述べ、日本語の"u"の方が特殊であると語る。
平島さんは呼吸を意識して演奏するようにお弟子さんたちに指導し、それがソロ演奏にも役立つことと思うと述べつつ、「でも僕はソロはしないから分からないけれど」と言って笑わせる。

話の後、さらに「メーリケ歌曲集」から「祈り」「ヴァイラの歌」「さようなら」といった名作が深い思いをこめて歌われ、前半最後は美しい「エーオルスの琴に寄せて」で締められた。

休憩後はマーラー「大地の歌」の終楽章「告別」。
30分ほどかかる大規模な作品だが、内藤さんは一貫して美しいレガートの響きを聴かせ、聴き手を魅了した。
平島さんのピアノは、かなり雄弁な演奏だったが、例えば数ヶ月前に同じ曲を演奏したゲロルト・フーバーのようなとげとげしさはなく、ピアノ歌曲としてのスタイルをわきまえた中で色彩豊かな表現を聴かせてくれた。

拍手にこたえ、アンコールとしてヴォルフの「祈り」を再度歌ってくれた。

ピアノの平島氏は内藤さんが異なる歌詞を歌おうとしたり、歌い出すタイミングが違っていたりすると、少し待ってから軌道修正する。
それは長年の共演関係から得た熟練技に違いない。

そういうハプニングも楽しみつつ(失礼ながら)、理想的な空間に響き渡る名歌曲の数々を堪能させていただいた。
やはりサロンコンサートには、大ホールにはない魅力が確かにある。

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012-サクル・リュス-(その2)(2012年5月5日 東京国際フォーラム)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012 Le Sacre Russe

●2012年5月5日(土) 東京国際フォーラム

この日は晴れてくれて良かった!
昨日とはうってかわって大混雑の屋台ではカレーをおいしくいただいた。

●351
10:30-11:15 ホールD7(B列15番)

伊藤恵(Kei Itoh)(ピアノ)
北村朋幹(Tomoki Kitamura)(ピアノ)

チャイコフスキー(Tchaikovsky)(北村朋幹編)/組曲「白鳥の湖」より 前奏曲(ピアノ連弾版)
ヴィシネグラツキー(Wyschnegradsky)/2台ピアノのための24の前奏曲

伊藤、北村師弟の公演は昨年に続いて2度目。
今回はヴィシネグラツキーという見慣れない名前の作曲家の作品がある。
この作曲家についてちょっとネットで調べてみると「半音よりも狭い音程(Wikipedia)」を追究した人だそう。
そして、今回の「2台ピアノのための24の前奏曲」は四分音を用いた作品とのこと。
事前に某サイトで音源を少しだけ聴いてみると、微妙にずれた不協和な響きが続き、なんだか船酔いならぬ音酔いしそうな感じ。
ちょっと不安を抱きつつ会場に入ると、Rolandの電子ピアノが鍵盤を客席側に向けた形で2台並んでいる。
つまり、演奏者は客席にお尻を向けて演奏する形になる。
しかし、演奏する姿や指がはっきり見られる楽しみも増す。

まずは「白鳥の湖」の前奏曲を北村自身の編曲版で。
プログラムには「2台ピアノ版」と書かれていたが、実際には伊藤が北村の右側に座り、連弾の形で演奏された。

そして演奏の最後に伊藤が左側のピアノに移り、2台で「白鳥の湖」の有名なメロディーを弾いて、そのままヴィシネグラツキーの前奏曲に突入した。
四分音の設定をしたずれた音程で曲は進行していくが、演奏する姿を見ながら聴いてみると、少なくとも私は音酔いしなかったし、これはこれで面白かった。
24の前奏曲は様々なキャラクターの作品が入り混じって現れるので、聴き手が飽きることなく聴けるような工夫がされているように思った。

師弟の演奏の印象はいつも通り。
伊藤さんは背筋をぴんと張り、必要以上に無駄な動きはせず、安定した見事な演奏。
一方の北村さんは音楽に没入しているのが体の動きで感じられ、自己主張に磨きがかかった印象。
伊藤さんが自分の懐の中で愛弟子に自由に演奏させていたという感じだった。

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●312
12:00-12:45 ホールA(2階25列66番)

東京都交響楽団(Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra)
小泉和裕(Kazuhiro Koizumi)(指揮)

チャイコフスキー(Tchaikovsky)/交響曲第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」

ホールAは相変わらず巨大だ(5000人収容できるのだから当然だが)。
私の席は「2階」だが、ホールの構造上はそうなのかもしれないが、入り口にたどり着くまでにエスカレーターや階段を一体どれだけあがったことだろうか。
余裕を見て会場に入らないと遅れてしまいかねないホールである。

せっかくロシアプログラムなのだから、たまにはいわゆる「名曲」も聴いておこうと「悲愴」交響曲を聴く。
2階席後方だと演奏者もはるか彼方だが、大型モニタに接近した映像が映し出されるので、そちらを見たり、実際のステージを見たりしながら、センチメンタルなこの名曲にゆったりと身を委ねた。
オケもいい具合に気持ちが入って、よい演奏だったのではないか。

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●313
14:15-15:00 ホールA(2階25列39番)

ウラル・フィルハーモニー管弦楽団(Orchestre Philharmonique de l'Oural)
ドミトリー・リス(Dmitri Liss)(指揮)

リムスキー=コルサコフ(Rimski-Korsakov)/交響組曲「シェエラザード」

こちらも同じく超有名曲。
しかし、偏った嗜好の私はこの曲をまるまる聴いたことがこれまでに一度もなかった。
そんなわけで、曲を知るためにチケット購入。
今年はホールAのチケットの売れ行きがあまり芳しくないのではないか。
結構空席があった。
実際聴くとエキゾチックな響きが興味を掻き立てる。
ヴァイオリン・ソロの官能的な響きなど、いいですね。
「名曲」にはそれなりの理由があるのだなと感じつつ、こちらも身を委ねてリラックスして聴いた。

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●354
15:45-16:30 ホールD7(X1列15番)

ダヴィッド・カドゥシュ(David Kadouch)(ピアノ)

タネーエフ(Taneïev)/前奏曲とフーガ 嬰ト短調 op.29
メトネル(Medtner)/忘れられた調べ 第1集より 第1番 op.38-1
ムソルグスキー(Moussorgski)/展覧会の絵

最前列のピアノの蓋の前の席。
というわけで、全身でどっぷりピアノの響きを浴びてきた。

フランスのダヴィッド・カドゥシュははじめて聴くピアニストだが、まだ20台とのこと。
小柄な人だった。
最初の響きを聴いて、まず音が非常に美しいと思った。
ピアノがよいのか、ピアニストがよいのか、聴く場所がよいのか、おそらくそのすべての条件がうまく揃ったのかもしれない。

タネーエフもメトネルも軽快な箇所、静謐で美しい箇所がありながら、テクニカルな面での聴かせどころにも欠かない。
なかなか惹き付けられる作品であった。
特にメトネルは冒頭のどこか懐かしさを感じさせる人懐っこいメロディが、他の部分を挟みながら繰り返し現れる。
この作曲家の作品はもっと聴いてみたいと思った。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」は私にとってはラヴェル編曲版よりもピアノ版の方が馴染みがあるので楽しんだ。
ところどころ私の記憶とは違うところがあったような気がするが、久しぶりに聴いたので、おそらく私の記憶違いだろう。

カドゥシュの演奏はかなり感情の動きをはっきりと立体的に表現するタイプだ。
演奏する時も情熱的で感情をあらわにする弾き方だ。
それが音楽の過剰感に陥らず、しっかり作品の形を維持しているのが素晴らしい。
かなり個性的な演奏家だが、その能力は凄いものがあると感じた。

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●325
17:30-18:15 ホールB7(15列13番)

清水和音(Kazune Shimizu)(ピアノ)
菊地裕介(Yusuke Kikuchi)(ピアノ)

ラフマニノフ(Rachmaninov)/2台ピアノのための組曲第1番 op.5 「幻想的絵画」
ラフマニノフ/2台ピアノのための組曲第2番 op.17

清水和音は私がクラシック音楽を聴き始めた頃からその名前(とビッグマウス)は知っていたが、何故か演奏に接する機会が今までなかった。
随分長いこと活動しているので結構年配になられたのかと思ったらまだ50台前半とのこと。
しかし、実際に初めて聴いてみて、どうしてもっと早く聴かなかったのだろうと後悔しきり。
ビッグマウスということは己の演奏にもそれなりの自信がなければ出来ないわけである。
ようやく聴いた清水の演奏はどこをとっても見事だった。
技術も音楽性も素晴らしい。
次はソロでじっくり聴いてみたいと思った。

一方の菊地裕介は若手の有望株。
以前NHKのベロフのレッスンに生徒として出ていなかっただろうか。
こちらも初めて聴いて、その堂々たる演奏の見事さに驚いた。

2台ピアノは向かい合ってピアノを置くわけで、ピアニスト同士のコンタクトは連弾よりもはるかにとりにくいように思える。
しかも難曲ラフマニノフである。
しかし、この2人のヴィルトゥオーゾはラフマニノフの難曲をなんの不安定さもなく、涼しい顔をして見事に演奏していた。
素晴らしいデュオである。

なお、清水和音は向かって左側、菊地裕介は右側のピアノに座り、全曲同じピアノで通した。
私の席からは清水の演奏姿が遠めながら見えたので、主に清水さんの演奏を見ながら聴いた。

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●346
20:00-20:45 ホールC(3階7列9番)

勅使川原三郎(Saburo Teshigawara)(ダンス)
佐東利穂子(ダンス)
ジイフ(ダンス)
鰐川枝里(ダンス)
高木花文(ダンス)
山本奈々(ダンス)
ヴォックス・クラマンティス(Vox Clamantis)(合唱)
ヤーン=エイク・トゥルヴェ(Jaan-Eik Tulve)(指揮)

クレーク(Kreek)/夜の典礼(The evening liturgy. The beginning song)
作曲者不明(Anonyme)/讃歌「沈黙の光」(ズナメニ聖歌)(Hymne "Svete tihi", chant znamenny)
ペルト(Pärt)/カノン・ポカヤネンより(オードI、オードIII、オードIV、コンタキオン、イコス、カノンの後の祈り)(Excerpts from "Kanon Pokajanen" (Ode I, Ode III, Ode VI, Kontakion, Ikos, Priere apres le Canon))

微分音のずれた音程のコンサートで始まったこの日の締めに、浄化されるような美しいハーモニーの合唱を聴くというなんとも面白い一日となった。

今回のLFJ公演、私の参加したほとんどの公演で以前より客席の明かりを暗くせず、余裕で字を読めるほどの明かりがついたままだったのだが(地震対策の一つだろうか)、さすがにこの公演は、ダンスの演出効果ゆえに完全消灯の中で行われた。

クレークの「夜の典礼」と作曲者不明の「沈黙の光」は静かで美しい響き。
左右に女声が並び、真ん中を男声が固まって並んだ合唱は、どこかが飛び出すということもなく、全体で美しいハーモニーとなって心地よいことこの上ない。
この2曲では勅使川原さんと佐東さんがほとんど腕のゆっくりとした動き中心で、曲の静謐さを表現していた。

続くペルトの「カノン・ポカヤネン」抜粋は、他のダンサーも加わり、静と動の対比を面白く見た。
音楽はさきほどの2曲とはうってかわって深刻な暗い表情で、不協和な響きもあらわれ、苦悩が表現されていたように感じられた。
ダンサーも小刻みに震える動きで苦悩を表現していたように感じられた。
ヴォックス・クラマンティスの合唱は相変わらず素晴らしい。
胸に沁みこんでくる感じで、哀しみや苦悩の表現すら心地よく感じてしまう。

ただ、最後の数分前あたりから客席から出て行く人多数。
次のベレゾフスキーの公演に行くのか、帰りの電車の時間を気にしたのか、とにかく堂々と靴音をたてて早足で出て行く人のなんと多いことか!
音を愛する者ならば、もう少し自分の歩く音にも気をつかってほしかった。
静謐な空間が破られたのは残念。

拍手の時、勅使川原さんが先頭にたって、合唱団とダンサーが横一列になり、オペラや芝居のような流儀でカーテンコールに応えていたのが面白かった。
こういう試みもなかなかいいものである。
清涼感を感じたよい時間を過ごすことが出来た。

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昨年震災の影響で縮小して開催されたLFJだったが、今年は元の規模に戻して普通に開催できたことをまずは喜びたい。
一つ感じたのが、ボランティアスタッフの絶叫型の注意の連呼がなくなったこと。
とても静かになった。
これは良かったと思う。
一方で、ここにいてほしいという所にスタッフがいず、一箇所に複数のスタッフが必要以上にいるという点は改善の余地があるのではないかと感じた。
また、入り口にあれだけスタッフがいるのなら、配布プログラムを机に置いておくだけでなく、出来る範囲で手渡ししてもらえたらとも思った。
あくまでも一個人の勝手な願望ですが。
それから空席の目だった公演に関してなど、今騒動になっているが、広報に改善の余地があるということは言えるかもしれない。
だが、これだけお客さんが入れば良い方ではないかと思うのは素人の浅はかな感想なのだろう。
今年は配布プログラムに曲目解説が一切省かれていたが、初心者の方も多いことを考えると簡単な解説ぐらいはつけてほしかった。

来年は「フランスとスペイン」がテーマらしい。
どんな音楽と出会えるのか楽しみにしたい。

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012-サクル・リュス-(その1)(2012年5月3日 東京国際フォーラム)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012 Le Sacre Russe

今年のテーマは「サクル・リュス」と題し、ロシア音楽三昧。
東京では5月3日~5日まで有料コンサートが催されたが、私は3日と5日に聴きに出かけた。
その備忘録を日にちごとにまとめておきたい。

●2012年5月3日(木) 東京国際フォーラム

この日は生憎朝から晩まで雨で、野外の屋台もお客さんは閑散としていて、寂しいぐらい。
しかし、屋内に入るとどこに行っても大入り状態で、LFJがファンの間に定着しているのが感じられる。
今年もガラス棟の小さな部屋のコンサートはチケットがすぐに売り切れてしまい、希望していたもののいくつかは入手できなかったのだが、それでもこれだけまとめて聴ける機会はやはり有難い。
ただホールAやよみうりホールのコンサートが当日になってもほとんど入手可能だったのはちょっと珍しいことではないか。

●174
15:00-15:45 G409(3列19番)

広瀬悦子(Etsuko Hirose)(ピアノ)

バラキレフ(Balakirev)/ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.102
プロコフィエフ(Prokofiev)/ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83

広瀬さんは以前LFJでアルカンの超絶技巧の曲を楽々と弾いて驚かされたことがある。
そんなこともあり、今年最初の演目が広瀬さんのコンサートというのは楽しみであった。
ガラス棟の会議室G409という会場は153人というごく限られた人しか聴くことが出来ず、チケットを入手できただけでもラッキーなのである。
しかし、平べったい床にピアノといすをセットするわけだから、音響だけでなく、舞台の見易さという側面でも限界があることはいたし方ない。
私はちょうどピアニストの演奏する位置の前から3列目だったのだが、段差がないため、手が見えないどころか、弾いている広瀬さんの姿が全く視界に入らなかった。
つまり、演奏者が全く見えないまま音だけを聴くという形になり、これなら普段瞼が重くなって目をつぶって聴いている時とほとんど変わらない(音楽に集中できるという利点はあったが)。
今後は可能ならばもう少し列ごとに椅子をずらしてセットしてくれたらと望んでおきたい。

バラキレフのピアノ曲といったら超絶技巧の「イスラメイ」ぐらいしか知らなかったが、ピアノ・ソナタも書いていたのかとはじめて知る。
曲自体がはじめてなので、演奏うんぬんを言える立場ではないが、広瀬さんの演奏は相変わらず見事だと思った。
なかなか魅力的な作品だと思う。
その次のプロコフィエフのソナタ第7番は、これはもうピアノ好きには馴染みの作品。
広瀬さんもテクニック的にもほぼ完璧に弾き、演奏も乗っていてすかっと爽快さを感じた。
第3楽章などは誰が弾いても盛り上がるが、彼女もしっかりリズムに乗って素敵な演奏だった。

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●184
17:15-18:00 よみうりホール(2階L列9番)

アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha)(ピアノ)

“ラフマニノフ 24の前奏曲 全曲演奏(第1部)”
ラフマニノフ(Rachmaninov)/前奏曲 嬰ハ短調 op.3-2
ラフマニノフ/10の前奏曲 op.23

レバノン出身の長身のピアニストによるラフマニノフの前奏曲集を聴いた。
よみうりホールは国際フォーラムのすぐ近くにあるビックカメラのビル内7階(だったと思う)にある。
比較的広めなホールだが、空席がかなり見られたのは以前にはあまりなかったことではないか。
私の席は2階の最後列、つまり、ステージから最も遠い席だったが、鍵盤や演奏する姿はよく見えたので思ったほど悪くない。

エル=バシャは誇張を排した端正、律儀な演奏だった。
テクニックは万全で強音のずっしりとくる手ごたえも、繊細な弱音の芯のある響きもともに見事で、どこまでも安定して作品の世界に没頭して聴ける演奏だった。
演奏者の過剰な思いいれ(エゴ)が一切なく、非常に好感をもって聴けた。
常に演奏する姿勢も背筋がぴんと伸びて、視覚的にも、他に気をとられずに聴けるタイプのピアニストである。
最初のop.3-2と、op.23中の第2曲・第5曲は聞き覚えがあった。
こういうピアニストこそ、もっと評価されていいのではないだろうか。

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●191
19:00-19:45 相田みつを美術館(2列23番)

ヤーナ・イヴァニロヴァ(Yana Ivanilova)(ソプラノ)
ボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)(ピアノ)

メトネル(Medtner)/何故にお前は水の上へ(Pourquoi courbes-tu,saule…) op.24-2
メトネル/干からびた花(La Fleur) op.36-2
メトネル/眠れぬ夜(Insomnie) op.37-1
メトネル/囁きと、遠慮がちな息づかいと…(Un murmure,une timide respiration…) op.24-7
メトネル/冬の晩(Soirée d'hiver) op.13-1
ラフマニノフ(Rachmaninov)/夜は哀しい(La Nuit est triste) op.26-12
ラフマニノフ/ここは素晴らしいわ(C'est beau ici) op.21-7
ラフマニノフ/リラの花(Le Lilas) op.21-5
チャイコフスキー(Tchaikovsky)/僕は窓を開けた(J'ai ouvert ma fenêtre) op.63-2
チャイコフスキー/セレナード(Sérénade) op.63-6
チャイコフスキー/舞踏会のざわめきの中で(Au milieu d'un bal bruyant) op.38-3
チャイコフスキー/昼の光が満ちようと(Le jour rayonne) op.47-6

~アンコール~
グリンカ(Glinka)/理由なく私を誘わないで(Не искушай меня без нужды)(Do not tempt me for no reason)
グリンカ/あなたと一緒ならどんなにかすばらしい(Как сладко с тобою мне быть)(How sweet it is to be with you)
グリンカ/ひばり(Жаворонок)(The Lark)
瀧廉太郎(Rentaro Taki)/花

国際フォーラム内にある相田みつを美術館で、味のある筆跡による相田氏の数々のことばに囲まれながらコンサートを聴いた。

ロシア歌曲ばかりまとめてコンサートで聴くことは私にとってこれまでになかったと思うが、実に心地よく満たされた時間だった。
ロシア語の響きもまたなんとも言えない味があり、ロシア歌曲のもつ甘美さ、陰鬱さ、素朴さ、繊細さが、聴き手を知らずにその世界に引き込んでいく。
その吸引力の強さを感じながら、日本人が昔からロシア民謡のメランコリックなメロディーに惹かれて、歌ったり聴いたりし続けてきたのもむべなるかなという気になる。

ソプラノのヤーナ・イヴァニロヴァは初めて聴いたと思うが、その透明で澄んだ美声は私の好みだ。
特に抑制した箇所の歌いぶりが素敵だ。
だが、リリカルであるだけでなく、声を張った時の押しの強さもあり、ロシアのソプラノ歌手の伝統が脈々と受け継がれているのが感じられた。

彼女、黒いドレスに白いショールをまとってにこやかに登場したが、ロシアの肝っ玉母さん的なふくよかな方で、曲間で手にした扇子をしきりにあおいでいたのが印象的だった(空調はついていたが私も若干暑く感じた)。

最初にメトネルの歌曲を5曲。
未知の作品ばかりだが、ロシアの土臭さはそれほど強くなく、洗練されたロマン派歌曲のような感じで親しみやすい。
メトネル自身が優れたピアニストだからだろう、ピアノパートはかなり手が込んでいて雄弁である。
「眠れぬ夜」最後のヴォカリーズの箇所のイヴァニロヴァの歌がなんとも美しく、心に響いた。

ラフマニノフ、チャイコフスキーの美しい名作を聞いた後に、4曲もアンコールに応えてくれた。
最初のアンコール時に、ベレゾフスキーが「グリンカ、ロシアオンガクノチチ」と日本語で説明して会場を沸かし、芸達者なところを見せる。
グリンカのとびきりの名作が3曲も歌われ、至福の時だった!
そして最後は拍手喝さいに応えてなんと日本語で「花」。
外国人の歌う日本語としては、これまで聴いた他の多くの歌手よりもうまく感じられた。
誰か日本語の先生がいるのかもしれない。

LFJで八面六臂の活躍を見せるベレゾフスキーのピアノも、歌曲だからといって一切の手抜きをせず、むしろ繊細に各曲の世界を彩っていく姿勢は、襟を正したくなるほどだ。
このピアニストがこれだけ慕われているのもよく分かる素晴らしい伴奏を聴かせてくれた。

配布された一柳富美子氏の対訳を見て気付いたのだが、ラフマニノフの「リラの花」の後にチャイコフスキーの「僕は窓を開けた」が続くのだが、この曲、息苦しくなって窓を開けたらリラの香りが漂ってきたという内容で、2人の作曲家の間を粋に橋渡しした見事なプログラミングであった。

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●136
20:15-21:00 ホールB5(5列41番)

ツェムリンスキー弦楽四重奏団(Quatuor Zemlinsky)

ヴァインベルク(Weinberg)/弦楽四重奏曲第8番 op.66
グラズノフ(Glazounov)/弦楽四重奏曲第3番 ト長調 op.26 「スラヴ」

~アンコール~
チャイコフスキー(Tchaikovsky)/スケルツォ

どちらもはじめて聴く作品だが、夜に小さな空間で聴く弦楽四重奏もなかなかいいものである。
ヴァインベルクは模糊とした静かな雰囲気で始まり、徐々に高揚していく。
一方グラズノフは終始明るく、村祭りの民族舞曲のような分かりやすさがあった。
ツェムリンスキー弦楽四重奏団、メンバーはいずれも若そうだが、演奏は生き生きと溌剌としたもの。
時折、音の切れ目で残響が濁った感じになるのは、音楽ホールではない会場ゆえか。

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●193
22:00-22:45 相田みつを美術館(1列16番)

パヴェル・バランスキー(Pavel Baransky)(バリトン)
アルフォンス・スマン(Alphonse Cemin)(ピアノ)

リムスキー=コルサコフ(Rimski-Korsakov)/八行詩(Oktava) op.45-3
アレンスキー(Arensky)/灯りを点さないで(Do not light fire) op.38-3
グリンカ(Glinka)/素晴らしい一瞬を覚えている(Je me souviens d'un instant merveilleux)
ルビンシテイン(Rubinstein)/夜(Night) op.44-1a
ヴラソフ(Vlasov)/バフチサライ宮殿の泉(To the Fountain of Bakhchisarai Palace)
メトネル(Medtner)/夢想家へ(À un rêveur) op.32-6
シャポーリン(Shaporin)/呪文(Le Charme) op.10-4
ナデネンコ(Nadenenko)/別れ(Farewell)
チャイコフスキー(Tchaikovsky)/狂おしい夜(Nuits de frénésie) op.60-6
チャイコフスキー/昼の光が満ちようと(Le jour rayonne) op.47-6
ラフマニノフ(Rachmaninov)/昔のことだろうか?我が友よ(Il n'y a pas si longtemps,mon ami!) op.4-6
ラフマニノフ/密やかな夜の静寂の中で(Lorsque la nuit m'entoure) op.4-3
ラフマニノフ/僕は再び独り(À nouveau je suis seul) op.26-9
ラフマニノフ/雪解け水(Les Eaux du printemps) op.14-11

~アンコール~
1,2曲目は不明(ロシア語の歌曲だった)
ラフマニノフ/雪解け水 op.14-11

再びロシア歌曲のコンサートを聴いた。
バリトンのパヴェル・バランスキーはそれほど大柄というわけではないが、胸板が厚いのが目についた。
一方のピアニスト、アルフォンス・スマンは華奢で手も人並みはずれて大きいというわけではなさそう。
私の席がピアニストのどまん前という場所で、かぶりつきでピアニストの演奏を浴びることが出来たのは貴重な体験だった。

プログラム中、先ほどのイヴァニロヴァのコンサートとかぶった選曲はチャイコフスキーの「昼の光が満ちようと」のみである。

各曲を始める前にピアニストのスマンが作曲家名を歌手バランスキーに伝えている(曲順を間違えないようにということだろう)。

リムスキー=コルサコフやグリンカの歌曲、あるいはラフマニノフのいくつかの曲は知っていたが、他は馴染みのないものばかり。
しかし、配布された一柳富美子氏の対訳を見ながら聴いていると、それぞれの曲の世界のイメージが広がっていくのが感じられる。

ロシア歌曲の内にこもった重みと、それを解放する時の晴れやかさが心地よく、ヴラソフ、シャポーリン、ナデネンコといった馴染みのない作曲家の作品も同様に素晴らしかった。

バランスキーの声はロシア人歌手から我々がイメージする深くどっしりした低音ももっているのだが、意外だったのが高音域もとても輝かしく、ある意味、テノール歌手のハイCを聴く時の感覚に近い愉悦感が感じられた。
スマンは指も細く、繊細な印象だが、ダイナミックさにも欠けない。
かつてムーアが難曲として指使いを提案していた「雪解け水」もスマンは余裕をもって楽々と演奏していた(アンコールで再度演奏した!)。
歌とピアノが密接に一つの作品を作り上げていく姿勢は素晴らしいと思った。
今後が楽しみな歌手、ピアニストである。

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