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白井光子&ハルトムート・ヘル/リート・デュオが紡ぐ、日本のこころ(2012年3月18日 東京文化会館 小ホール)

東京・春・音楽祭
-東京のオペラの森2012-
東京春祭 歌曲シリーズvol.7
白井光子 & ハルトムート・ヘル
~リート・デュオが紡ぐ、日本のこころ

2012年3月18日(日)15:00 東京文化会館 小ホール(B列22番)

白井光子(Mitsuko Shirai)(メゾ・ソプラノ)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(ピアノ)

中田喜直(三好達治作詞)/木兎
三善晃(萩原朔太郎作詞)/ほうずき
諸井三郎(三好達治作詞)/少年
平井康三郎(北原白秋作詞)/追分
中田喜直(加藤周一作詞)/さくら横ちょう
中田喜直(山村暮鳥作詞)/たあんき ぽーんき
團伊久麿(北原白秋作詞)/雪女
大中恩(佐藤春夫作詞)/しぐれに寄する抒情
岡山県民謡/山田耕筰編/中国地方の子守歌
團伊久麿(大木実作詞)/花季
平井康三郎(北原白秋作詞)/ちびつぐみ

~休憩~

中田喜直(岸田衿子作詞)/おまつりはどこ
中田喜直(野口雨情作詞)/ねむの木
石桁真礼生(冬木京介作詞)/冬の日
山田耕筰(北原白秋作詞)/曼珠沙華
平井康三郎(北原白秋作詞)/山は雪かよ
服部正(大木惇夫作詞)/野の羊
山田耕筰(北原白秋作詞)/鐘が鳴ります
三善晃(萩原朔太郎作詞)/五月
中田喜直(堀内幸枝作詞)/村祭
中田喜直(小川未明作詞)/烏
別宮貞雄(加藤周一作詞)/さくら横ちょう
山田耕作(北原白秋作詞)/からたちの花

~アンコール~
別宮貞雄(大木惇夫作詞)/蛍
畑中良輔(八木重吉作詞)/秋の空
中田喜直(鎌田忠良作詞)/霧と話した
平井康三郎(北原白秋作詞)/びいでびいで
中田喜直(中井昌子作詞)/おやすみなさい
三善晃(萩原朔太郎作詞)/五月

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白井光子&ハルトムート・ヘルの初の日本歌曲リサイタルに出かけた。
東京・春・音楽祭の一環としての公演である。
この音楽祭、昨年は震災の影響で中止公演が相次いだのだが、こうして今年、予定通りに催されるということがいかに恵まれたことなのか、あらためて思わずにはいられない。
普通の生活が出来ることのありがたみをかみしめつつコンサートを聴いた。

これまでドイツリートの多くの名演を生み出してきたコンビが、全く異なる日本歌曲をどのように聴かせてくれるのか、期待はふくらむばかりだった。
とはいえ、恥ずかしながら、ドイツリートは大好きな私でも、今回選ばれた日本歌曲、知っているのはほんの数曲で、後は初めて聴く作品ばかりである。

今回、中田喜直の作品がアンコールも含めて9曲と多く選ばれている。
私でも知っている「たあんき ぽーんき」や「おやすみなさい」の他、おそらく珍しいと思われる作品も織り交ぜて、選曲はなかなか凝っているのではないか。

それにしても日本歌曲というのは、日本語で歌う西洋歌曲なのだなぁとあらためて思う。
ヘルのような外国人の意見はまた異なるのかもしれないが、日本語のイントネーションに従っていても、ピアノパートの響きを聴くと、リートとなんら変わらないような印象を受ける。
もちろん言葉がストレートに日本人の聴き手に伝わるという点は外国語の歌曲と大きく異なるところだが。

冒頭の中田喜直の「木兎(みみずく)」はドラマチックなバラードである。
中田氏の歌曲はピアノパートが実に雄弁だ。
ヘルが弾いても全く違和感のない、ヨーロッパの響きである。
白井さんの声はほぼ復調したといってよいだろう。
もちろん加齢による変化は多少感じられたが、がっしりと重みの加わった燻し銀の歌唱は今になってようやく聴ける響きだろう。
声もコンサートが進むにつれて張りを増し、徐々にホールいっぱいに響きわたっていった。

中田喜直の「さくら横ちょう」を歌い終えた後、白井さんが「空調が入っているのですか。風が吹いてきます」と聴衆に話しかけ、その後ドイツ語でヘルにも話す。
やはり歌手にとって空調は影響があるのだろう。
しかし、そのまま演奏は続けられた。

楽しみにしていた「たあんき ぽーんき」、白井さんの愛嬌のある歌は素晴らしかったし、ヘルもリズミカルな好演だったが、1回で終わってしまったのは短く感じられた。
2回繰り返す演奏で馴染んでいたのだが、楽譜には繰り返す指示があるのかどうか、いつか調べてみたい。

團伊久麿の「雪女」は前奏からすでにホラー映画のような不気味さである。
曲のもつ描写的な表現力の押しの強さに強いインパクトを受けた。
もちろん演奏が素晴らしかったのは言うまでもない。

大中恩の「しぐれに寄する抒情」、山田耕筰編曲「中国地方の子守歌」と美しい作品が続き、前半最後の「ちびつぐみ」という曲はあっという間に終わってしまう可愛らしい曲だった。

休憩をはさみ、後半は中田喜直の「おまつりはどこ」という作品で始まった。
この曲と、「村祭」という中田の作品は私の記憶だと、どちらも祭囃子がピアノパートで描写されていたように思う(初めて聴いた曲だった)。
ヘルのピアノは実に生き生きと響きを描きだしていた。

山田耕筰の「曼珠沙華」「鐘が鳴ります」のような有名曲での白井さんの歌唱も聴き応えあった。

三善晃の「五月」という曲は、アンコールでも再度歌われたが、詩の内容が暗く、重い(いい曲だったが)。
こういう作品を選曲した白井さんの意図を聞いてみたいところだ。

先日亡くなった別宮貞雄の作曲した「さくら横ちょう」は、前半の中田喜直の作品よりも切ない雰囲気があり、聴き比べは興味深かった。
中田の同曲はより和を感じさせる。

本編の最後を締めくくったのは「からたちの花」。
ピアノパートは歌と合わせるのは難しそうだが、ヘルはぴったり合わせていてさすがである。
そして白井さんもこの名曲をさらりと、しかし思いをこめて歌ってくれた。

アンコールは6曲!
中でも中田喜直の「霧と話した」が強く印象に残った。

西洋の響きを借りて、和のテイストをいかにつくりあげるか、あるいは一切和のテイストを切り捨てるか、日本人作曲家たちのアプローチの仕方が興味深かった。

白井光子さんの歌う日本歌曲は、言葉の響きと抑揚に細心の注意が払われていた。
特に朗誦風の箇所を歌う白井さんの日本語は自然で、これまでのドイツ語の響きとははっきり区別しているのは(当然かもしれないが)すごいと思った。
早口で歌う曲でさえお手のものである。
目をつむりながら各曲の世界にひたっているように歌う彼女は、これまでのドイツリートの時には見られない新鮮な表情を見せていた。
例えば鮫島有美子さんの歌う日本歌曲には穏やかに聴く者を癒してくれるような雰囲気があったが、白井さんの歌は張りつめていた。
癒しというよりも心を揺さぶられるような感じだ。

ヘルはあたかもこれらの歌曲を何年も弾きこんでいるかのように見事に演奏した。
蓋はいつもながら全開だが、声とのバランスは、リートの時以上に緊密で非の打ちどころがない。

サイン会に並んで、シェーンベルク歌曲集のCDブックレット裏の写真を差し出したところ、「これはシュトゥットガルトの公園で撮影したの」と白井さんご自身からおっしゃった。
気さくな方だ。
失礼ながら「お体大丈夫ですか」と伺ったところ、「まだいろいろあるんですよ」とおっしゃる。
見た目には全然分からなくても体の不自由さと付き合いながら演奏活動を続けておられるようで頭が下がる思いだ。

なお、このコンサートは、4月9日、NHK BSプレミアム「クラシック倶楽部」で放映予定とのこと。
インタビューも織り交ぜての放映のようで楽しみです。

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ジェラルド・ムーア没後25周年

今日3月13日は、歌曲愛好家にとって馴染みの深いピアニスト、ジェラルド・ムーアが1987年に亡くなってちょうど25年となる。
歌曲の伴奏ピアニストとしての彼についてはあまりにもよく知られているので、今回は珍しい楽器奏者の共演者としての録音をご紹介したいと思う。

その昔"Solo Instruments of the Orchestra(オーケストラのソロ楽器)"というEPレコードのシリーズが、各巻ごとに楽器を変えてHMVからリリースされていたらしい。
例えば第1巻はヴァイオリンのイェフディ・メニューヒン(Yehudi Menuhin)、第2巻はヴィオラのハーバート・ダウンズ(Herbert Downes)、第3巻はチェロのジャクリーン・デュ・プレ(Jacqueline du Pre)が担当しているらしい(これらは私は所有していない)。

そして、その第4巻ではコントラバスのステュアート・ナッセンとトランペットのフィリップ・ジョーンズが登場する。
このEPをあるサイトで入手することが出来た。

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Knussen_jones_moore_ep_3Solo Instruments of the Orchestra No. 4
-The Double Bass & The Trumpet

STUART KNUSSEN, PHILIP JONES with GERALD MOORE
Music by Bozza and Koussevitzky

Koussevitzky / Concerto for double-bass, Op. 3~Mvt. 1
Stuart Knussen(double bass)
Gerald Moore(piano)

Bozza / Caprice
Philip Jones(trumpet)
Gerald Moore(piano)

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クーセヴィツキーのコントラバス協奏曲は、この楽器のレパートリーとして貴重なもののようだが、ここでは第1楽章のみがピアノ伴奏版で演奏されている。
独奏者のステュアート・ナッセンはロンドン交響楽団の首席コントラバス奏者で、指揮者、作曲家として知られるオリヴァー・ナッセンの父親でもある。
ここでのムーアの演奏は、オケの代わりというよりもデュオの相手という感じで、オケの色彩感よりはオリジナルのピアノパートを弾いているような印象を受ける。
地味かもしれないが、やることはしっかりやっているという印象で、テキストの付いていない作品を演奏する時もどことなくリートを弾く時のような柔らかさ、繊細さが感じられるのが面白い。
そこが物足りないという人もいるだろうが。

ボザ作曲のカプリースは、華やかなトランペットに負けず、ピアノパートもなかなかの活躍ぶりである。
楽器同士の火花が散るような燃焼型の演奏ではもちろんなく、トランペットとピアノで1つの音楽に溶け合わせようとしているのがいかにもムーアらしい。
レガートの美しさはさすがである。

歌曲での定評に比べて、器楽曲でのムーアはあまり評価されないきらいがある。
確かにムーア自身の資質の問題もあるのかもしれないが、私は歌曲演奏者としての美質を器楽曲にも適用している(無意識かもしれないが)点に彼の存在意義を感じる。
バリバリ弾くピアニストは沢山いても、真にカンタービレを感じさせるピアニストは圧倒的に少ない。
耳をそばだてて聴く時にはじめて、声高に主張する演奏者からは得ることの出来ない良さを感じることが出来る-それが器楽曲を演奏するジェラルド・ムーアの味わいである。

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あの日から1年

大震災から丸1年経ちました。
犠牲になられた方々のご冥福をあらためてお祈りいたします。
また今も不自由な生活を強いられている方々には心よりお見舞い申し上げます。
心の休まる日々が少しでも早く訪れますように。

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髙橋節子&太田直樹&平島誠也/ジョイントコンサート(2012年3月6日 大泉学園ゆめりあホール)

髙橋節子 太田直樹 ジョイントコンサート
~ウィーンで生まれた歌曲・古典と近代~

2012年3月6日(火)19:00 大泉学園ゆめりあホール(全自由席)

髙橋節子(たかはしせつこ)(ソプラノ)
太田直樹(おおたなおき)(バリトン)
平島誠也(ひらしませいや)(ピアノ)

ベートーヴェン(Beethoven)作曲

君を愛す(Ich liebe dich)WoO.123(髙橋)
諦め(Resignation)WoO.149(髙橋)
ミニヨン(Mignon)Op.75-1(髙橋)

悲哀の喜び(Wonne der Wehmut)Op.83-1(太田)
アデライーデ(Adelaide)Op.46(太田)

シューベルト(Schubert)作曲
~春のうたを集めて~

春に小川のほとりで(Am Bach im Frühling)D361(髙橋)
ばらのリボン(Das Rosenband)D280(髙橋)
春に(Im Frühling)D882(髙橋)

夜咲きすみれ(Nachtviolen)D752(太田)
ガニュメート(Ganymed)D544(太田)
ミューズの子(Der Musensohn)D764(太田)

~休憩~

ベルク(Berg)作曲

『4つの歌(4 Lieder)』Op.2(太田)
 眠る、眠る、ただ眠るだけ(Schlafen, Schlafen, nichts als Schlafen)
 眠りつつわたしは運ばれる(Schlafend trägt man mich)
 今わたしは最強の巨人に打ち勝ち(Nun ich der Riesen Stärksten überwand)
 暖かいそよ風(Warm die Lüfte)

『初期の7つの歌(Sieben frühe Lieder)』より(髙橋)
 夜(Nacht)
 小夜鳴鳥(Die Nachtigall)
 部屋にて(Im Zimmer)
 夏の日(Sommertage)

マーラー(Mahler)作曲

『子供の不思議な角笛(Des Knaben Wunderhorn)』より
トランペットが美しく響くところ(Wo die schönen Trompeten blasen)(髙橋;太田)
ラインの伝説(Rheinlegendchen)(髙橋)
無駄な骨折り(Verlorne Müh'!)(髙橋;太田)
この歌を作ったのは誰?(Wer hat dies Liedlein erdacht?!)(太田)
不幸な時の慰め(Trost im Unglück)(髙橋;太田)

~アンコール~
シューベルト/ミニョンと竪琴弾き「ただ憧れを知る者だけが」(Mignon und der Harfner "Nur wer die Sehnsucht kennt")D 877-1(髙橋;太田)
シューベルト/ます(Die Forelle)D550(太田)
マーラー/たくましい想像力(Starke Einbildungskraft)(髙橋)

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西武池袋線の大泉学園駅からすぐの大泉学園ゆめりあホールに初めて出かけた。
目的のコンサートは「髙橋節子 太田直樹 ジョイントコンサート」と題され、平島誠也のピアノで、ベートーヴェン、シューベルト、アルバン・ベルク、マーラーといったヴィーンにゆかりの作曲家の作品が演奏された。

ホールは木の雰囲気が温かく、客席は1列ごとに段が高くなり、ステージが見やすい構造になっていた。

配布されたプログラム冊子には髙橋さんによる全曲の日本語訳が掲載されていたが、ソプラノとバリトンのどちらがどの曲を歌うのかは記載されていない。
つまり、ステージ上ではじめてどちらが歌うのかが分かる仕組みである。

最初にあらわれたのは薄い金色のドレスをシックにまとったソプラノの髙橋さん。
まずベートーヴェンの有名な「君を愛す」が歌われた。
「悩みは...分かち合うことによって容易く耐えられた」というテキストの内容が演奏者から聴衆への特別なメッセージのようにも感じられる。
ソプラノでありながら深みを感じさせる心地よい声である。
途中の"Klagen"で装飾を付けていたのも興味深い。
珍しい「諦め」が続き、さらにゲーテの「君よ知るや南の国」の詩に付けられた「ミニョン」が歌われた。
ベートーヴェンによる「ミニョン」は、例えばヴォルフによる作品などとは全く異なり、素朴そのものである。
それゆえに演奏者にとっては雰囲気でごまかすことの出来ない難曲ではないだろうか。
髙橋さんの「ミニョン」は素朴なメロディーを小細工なしに素直に歌って魅力的だった。

続いてバリトンの太田さんが登場し、ベートーヴェン歌曲を2曲。
太田氏は時折スゼーを彷彿とさせるようなノーブルな響きが聴かれ、朗々と湧き出る歌声そのものの魅力にあふれていた。
現代の歌手であるからには知的な解釈のうえに歌っているのだろうが、知性が邪魔をせずに素直にひたれる声である。
とりわけ「アデライーデ」のゆるやかで息の長いフレーズは太田さんの歌唱によく合っていたように感じた。
太田さんもこの曲の途中で装飾を付けていたが、ベートーヴェンの頃はこのように装飾を付けるのは普通のことだったのだろう。

続いてシューベルトの春の歌を髙橋さん、太田さんそれぞれが3曲ずつ歌った。
髙橋さんの選曲はメロディーの美しさとそこはかとない哀愁が特徴的で、旋律の美しさを素直に聴かせてくれた。
太田さんの選曲は可憐で心にしみる「夜咲きすみれ」と、ギリシャ神話にちなんだ2曲であり、「ガニュメート」のしめの長いフレーズも見事に決め、「ミューズの子」は低く移調しながらも軽やかな味わいを出していた。

後半は太田さんのベルク「4つの歌」Op.2で始まった。
このOp.2、連作歌曲というわけではないのだが、テキスト相互の雰囲気に「眠り」「死」といった共通性が感じられるので、このようにまとめて演奏するのが効果的だろう。
3曲目のモンベルトという人のテキストはハイネの詩を思い出させる。
太田さんはベルクの作品を歌ってもその声のもつ魅力で親しみやすい歌唱を聴かせてくれた。

続く髙橋さんは鮮やかな赤いドレスに衣裳を替えて登場し、「初期の7つの歌」からの4曲を歌った。
まだドイツリートの伝統を引き継いだ初期作品ではあるが、非常に魅力的な曲ばかりで、はじめて聴いた人でも惹き付けられるものをもっている。
髙橋さんはこの時代の歌曲と相性がよさそうで、解放感にあふれた光沢のある響きが素晴らしかった。

最後のブロックはマーラーの歌曲。
最初の「トランペットが美しく響くところ」はテキストの内容から男女の対話の形をとることが多いのだが、ピアノの前には髙橋さんがいるのみ。
しかし、髙橋さんが歌い始めると、曲の途中で右側の壁が開き、太田さんがそっと舞台中央に進み、演奏に加わる。
こうして、マーラーのブロックはソロ曲もはさみつつ、オペラの一場面のごとき表情と軽い演技のついた楽しいステージとなった。
「無駄な骨折り」では彼氏にあの手この手で甘える女性と、つれない態度をとり続ける男のやりとりがコミカルに描かれるが、最後まで彼氏に相手にされずに落胆してステージからいそいそと袖へ去ってしまう髙橋さんの表情がなんとも可愛らしく、役者っぷりを印象づけられた。
最後の「不幸な時の慰め」では男女が愛し合いつつも意地を張り合う様が2人の歌手の巧みな表現力で楽しく歌われた。

平島さんのピアノは、クリアな音色と快適なテンポで歌手たちをいつのまにか導いている。
時代の異なる各曲の性格を巧まず自然に表現する術はいつもながら素晴らしかった。
シューベルトの「春に」の間奏などペダルを使いすぎず、むしろスタッカート気味に響かせていたのが魅力的で、「ガニュメート」の後奏のレガートも美しかった。
また、アルバン・ベルクでは、ピアニスティックな面での魅力も感じられ、マーラー各曲では情景描写と心理描写の結びついた表現力に魅せられた。

アンコールの3曲も含めて、リートの醍醐味をたっぷり満喫できた一夜だった。

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