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ヴェルディ/ナブッコ(2012年2月17日 東京文化会館大ホール)

《二期会創立60周年記念公演》
東京二期会オペラ劇場
ヴェルディ(Verdi)/ナブッコ(Nabucodonosor)
2012年2月17日(金)18:30 東京文化会館大ホール(3階R1列37番)

ナブッコ(Nabucco):上江隼人(KAMIE, Hayato)
イズマエーレ(Ismaele):松村英行(MATSUMURA, Hideyuki)
ザッカーリア(Zaccaria):ジョン・ハオ(ZHONG, Hao)
アビガイッレ(Abigaille):板波利加(ITANAMI, Rika)
フェネーナ(Fenena):中島郁子(NAKAJIMA, Ikuko)
アンナ(Anna):江口順子(EGUCHI, Junko)
アブダッロ(Abdallo):塚田裕之(TSUKADA, Hiroyuki)
ベルの司祭長(Il Gran Sacerdote di Belo):境 信博(SAKAI, Nobuhiro)

ほか

合唱:二期会合唱団(Nikikai Chorus Group)
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)
指揮(Conductor):アンドレア・バッティストーニ(Andrea BATTISTONI)

演出(Stage Director):ダニエレ・アバド(Daniele ABBADO)
演出補(Associate Stage Director):ボリス・ステッカ(Boris STETKA)

美術(Set and Costume Designer):ルイージ・ペレーゴ(Luigi PEREGO)
照明(Lighting Designer):ヴァレリオ・アルフィエーリ(Valerio ALFIERI)

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ヴェルディの音楽のもつ凄さをあらためて感じさせられた素晴らしい一夜だった。
前作「一日だけの王様」がよい評判を得ることが出来ずにしばらく立ち直れなかったヴェルディが、ようやく完成させた3作目がこの「ナブッコ」であり、音楽は劇性と繊細さを併せ持ち、この作曲家が早熟であったことを感じさせられる。
初期作品にしてこれほどわくわくさせられる音楽の連続!
低弦だけの伴奏箇所や管楽器主体の箇所など、オペの様々な可能性を試しているかのようなヴェルディの情熱が伝わってくる意欲作といえるだろう。
ちなみにナブッコとは歴史の教科書で馴染みのネブカドネザル王のことで、史実から話をふくらませてリブレットが書かれているようだ。

バビロニア王のナブッコとその娘アビガイッレとフェネーナ、それに対するエルサレムのザッカーリア、イズマエーレという2つの勢力の争いが軸になっている。
しかし、フェネーナはエルサレムに人質として捕らわれており、敵であるイズマエーレは以前フェネーナに助けてもらった恩を感じながら恋愛感情も抱いている。
さらにナブッコは実の娘であるフェネーナに王位継承させるつもりで、ナブッコが奴隷との間に生んだアビガイッレはそのことを快く思わず、自分が権力の座につくことを望んでいる。
この辺の複雑な人間模様をあらかじめ理解しておいたので、このオペラを楽しむことが出来たが、やはりある程度の予習はしておかないと難しいかもしれない。

イタリア・パルマ王立歌劇場との提携公演とのことで、さすがに舞台装置や衣裳はオーソドックスながら非常に美しく、真実味があり素晴らしい。
嘆きの壁を模したような背景の岩壁はどっしりとした重みを舞台に与えていた。
第3幕でアビガイッレが王座に就いている場面の空中庭園の窓から見える外を真っ赤にしたのが彼女の性格をもあらわしているかのようで印象に残った。
なお、演出のダニエレ・アバドは長時間のフライトに耐えられない体調らしく、ボリス・ステッカがその代役をつとめたとのこと。

歌手はすべて二期会員のみという上演も意義深く、みな素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。
とりわけアビガイッレ役の板波利加、ザッカーリア役のジョン・ハオ、フェネーナ役の中島郁子は終始素晴らしく、適材適所であった。
タイトルロールの上江隼人は尻上がりに良くなり、後半はエンジンもかかり、ナブッコの心変わりと悲哀を見事に表現していた。
それにしても敵役の重要性がこのオペラでは特に強く感じられ、アビガイッレの超絶技巧は本当に凄い。
しかもかなり出番も多く、疲れを見せず役になりきった板波利加には個人的に一番の拍手を贈りたい。
権力欲のしたたかさだけでなく、奴隷の子と知った時の悲しみ、憎悪、さらにかつては女性らしい気持ちをもっていたことを歌ったりと、一人で様々な心情を表現しなければならないのはさぞかし大変だろう。そんな役を彼女は見事に表現しつくしていた。

第3幕の合唱の名曲は2回歌われたが、1回目は円形にまとまり、放射状にまわりを見渡すように配置し、2回目はゆっくり移動し、全員がまっすぐ客席を見るように歌っていた。
この合唱はアンコールされることがあるとプログラムの解説にも書かれていたが、これまで見たオペラの中で、すぐに同じ曲をアンコールするというのは私にとってはじめての体験で興味深かった。
この合唱曲は失った故郷を思うというテキストが今の日本人の心情にもだぶって感じられ、特に締めのオケの音が消えて合唱のみの弱声の響きが名残惜しげに消えていく箇所は非常に美しく、二期会合唱団は素晴らしかった。

今回は席が3階席右脇の最も舞台寄りだったので、オケピットの左半分はよく見え、指揮者もこれまでになくはっきりと見ることが出来たのが良かった。
24歳にしてすでに世界中から期待を背負った指揮者アンドレア・バッティストーニ(1987年生まれ!)は振り方がかなり大きく感じられたが、オケピットの指揮者はみなそうなのかどうか私には分からない。
しかし、その覇気に富み、細かく指示を出す指揮ぶりは、上り坂の勢いとダイナミックな迫力が感じられ、確かにカリスマ的な魅力をもった指揮者であった。
オケも完全燃焼で見事に表現しきっていた。

聴衆の熱狂も物凄く、歌手、合唱団、指揮者、オケ、スタッフに惜しみない拍手を贈っていた。
非常に耳に残りやすいヴェルディの音楽をたっぷり堪能できた。
また別の演出でも見てみたい作品である。

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新国立劇場オペラ/プッチーニ「ラ・ボエーム」(2012年1月29日 新国立劇場 オペラパレス)

新国立劇場オペラ
プッチーニ(Puccini)/ラ・ボエーム(La Boheme)
2012年1月29日(日)15:00 新国立劇場 オペラパレス(3階3列3番)

ミミ:ヴェロニカ・カンジェミ(Veronica Cangemi)
ロドルフォ:パク・ジミン(Ji-Min Park)
マルチェッロ:アリス・アルギリス(Aris Argiris)
ムゼッタ:アレクサンドラ・ルブチャンスキー(Alexandra Lubchansky)
ショナール:萩原 潤(Hagiwara Jun)
コッリーネ:妻屋 秀和(Tsumaya Hidekazu)
べノア:鹿野 由之(Shikano Yoshiyuki)
アルチンドロ:晴 雅彦(Hare Masahiko)
パルピニョール:糸賀 修平(Itoga Shuhei)
合唱 : 新国立劇場合唱団
児童合唱 : 東京FM少年合唱団
管弦楽 : 東京交響楽団
指揮:コンスタンティン・トリンクス(Constantin Trinks)

演出:粟國 淳(Aguni Jun)
美術:パスクアーレ・グロッシ
衣裳:アレッサンドロ・チャンマルーギ
照明:笠原 俊幸
舞台監督:大仁田 雅彦
合唱指揮:三澤 洋史

芸術監督 : 尾高 忠明

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オーソドックスな演出と舞台装置、粒の揃った歌手たちによって、最後には涙腺がゆるむ感動的な舞台となった。
私がオペラで思わず涙が出たのは「蝶々夫人」に続いて2度目のこと。
どうもプッチーニの音楽は私の涙腺をゆるくするようだ。

ミミがろうそくの火を借りに来たことから始まった詩人ロドルフォとの恋は、ミミの病死によって幕を閉じる。
その悲恋の合間に甘美な恋模様やら同居人たちとのおふざけなど、日常の生活を切り取ったようなテーマが進行し、素直に感情移入してしまう。
またプッチーニの音楽が芝居を実に巧みに盛り上げて、聴き手の心をくすぐる。
プロフェッショナルの仕事と言ってしまえばそれまでだが、結末が分かっていても最後に涙腺を崩壊させるのは、彼の音楽のもつ力と、出演した歌手、演奏者の力によるのだろう。
主役4人はいずれも海外組だが、その脇を日本人ががっちり固めて、充実した歌唱を聴かせてくれた。

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イアン・ボストリッジ&グレアム・ジョンソン/リサイタル(2012年1月14日 王子ホール)

イアン・ボストリッジ テノール・リサイタル
2012年1月14日(土)16:00 王子ホール(Oji Hall)(A列10番)

イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)(Tenor)
グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)(Piano)

パーセル;ティペット(Purcell; Tippett)/ひとときの音楽(Music for a While)
パーセル;ブリテン(Purcell; Britten)/女王に捧げる哀歌(The Queen's Epicedium)

J.S.バッハ;ブリテン(J.S.Bach; Britten)/5つの宗教的歌曲(Five Spiritual Songs)
 思え、わが心よ(Gedenke doch, mein Geist, zurücke)BWV509
 来たれ、魂たちよ、この日は(Kommt, Seelen, dieser Tag)BWV479
 いと尊きイエスよ(Liebster Herr Jesu)BWV484
 甘き死よ、来たれ(Komm, süsser Tod)BWV478
 御身はわがかたわらに(Bist du bei mir)BWV508

ハイドン(Haydn)/英語によるカンツォネッタ集(English Canzonettas) より
 喜びの伝播(満足)(Content)
 船乗りの歌(Sailor's Song)
 彼女は決して恋について話さない(She Never Told her Love)
 さすらい人(The Wanderer)
 誠実(Fidelity)

~休憩~

シューベルト(Schubert)/ゲーテの詩による歌曲(Goethe Lieder) より
 月に寄す(An den Mond I)(第1作)D259(1-2,3-4,8-9節)
 恋人のそばに(Nähe des Geliebten)Op.5-2, D162(1,2,4節)
 夜の歌(Nachtgesang)D119
 恋する者の様々な姿(Liebhaber in allen Gestalten)D558(1,3,7,9節)
 海の静けさ(Meeres Stille)Op.3-2, D216
 湖上で(Auf dem See)Op.92-2, D543
 ミニョンに(An Mignon)Op.19-2, D161(1,2,3,5節)
 最初の喪失(Erster Verlust)Op.5-4, D226
 ガニュメート(Ganymed)Op.19-3, D544
 ミューズの子(Der Musensohn)Op.92-1, D764
 月に寄す(An den Mond II)(第2作)D296

~アンコール~
シューベルト(Schubert)/音楽に寄せて(An die Musik)D547
パーセル;ティペット(Purcell; Tippett)/ひとときの音楽(Music for a While)

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このコンサートも昨年震災前に予定されていた公演の振り替えである(ただしチケットは新たに購入し直さなければならなかったが)。
オペラシティの巨大な空間とは異なる王子ホールの親密な空間は、リートを聴くにはより適した場であり、実際、ボストリッジとジョンソンによる演奏は、より細やかな表情が伝わってくるものだった。

前半はまずパーセルとバッハの歌曲をイギリスの作曲家ティペットやブリテンが編曲した作品。
パーセルの「ひとときの音楽」などはよく知られた作品だが、ティペット編曲版を聴いたのは初めてかもしれない。
ピアノパートが異なるとまた新鮮な響きがするものだ。
バッハの宗教的歌曲5曲はボストリッジのスタイリッシュな表現が光っていた。
有名な「御身はわがかたわらに」は実は別の作曲家の手によるものであるらしい。

ハイドンの英語によるカンツォネッタ集を実演で聴けることは珍しい。
そういう意味でも貴重な歌唱であり、ボストリッジは堂々たる「船乗りの歌」、秘めた恋心を歌った「彼女は決して恋について話さない」、陰鬱な雰囲気が印象的な傑作「さすらい人」、ドラマティックな「誠実」などハイドン作品の多様性をこれらの選曲で見事に描き出していた。

休憩後はシューベルトのゲーテの詩による作品ばかり11曲。
冒頭と最後を同じテキストによる「月に寄す」の第1作と第2作で囲み、その間に恋の歌や水に因んだ作品、古代ギリシャに因んだ作品などを巧みに織り込む。
魅力的な選曲であり、ボストリッジもジョンソンも、彼らの本領発揮といったところだ。

ボストリッジは相変わらず様式感を保ちつつも美声を響かせ、作品と絶妙な距離感を保つ。
一方のピアニスト、ジョンソンは、知り尽くしたこれらの歌曲のエッセンスを抽出してみせる。
ピアノのテクニックを誇示することはなく、あくまで作品に奉仕する姿勢は、歌曲伴奏のひとつの理想を呈示していて素晴らしかった。

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イアン・ボストリッジ&グレアム・ジョンソン/シューベルト「白鳥の歌」ほか(2012年1月10日 東京オペラシティ コンサートホール)

イアン・ボストリッジ テノール・リサイタル
2012年1月10日(火)19:00 東京オペラシティ コンサートホール(1階3列12番)
イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge)(テノール)
グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)(ピアノ)

シューベルト(Schubert)

水鏡 Widerschein D949
冬の夕べ Der Winterabend D938
星 Die Sterne D939

白鳥の歌 Schwanengesang D957 より
 愛の便り Liebesbotschaft
 兵士の予感 Kriegers Ahnung
 春のあこがれ Frühlingssehnsucht
 セレナーデ Ständchen
 わが宿 Aufenthalt
 遠い国で In der Ferne
 別れ Abschied
 アトラス Der Atlas
 彼女の姿 Ihr Bild
 漁師の娘 Das Fischermädchen
 まち Die Stadt
 海辺にて Am Meer
 影法師 Der Doppelgänger

~アンコール~
シューベルト/鳩の便りD965A
シューベルト/月に寄せてD296

※休憩なし。
※本公演は2011年3月31日(木)に予定されていた公演の延期公演。

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昨年の大震災によって延期となっていたボストリッジとジョンソンによるリサイタルを聴いた。
東京オペラシティの前から3列目の中央から見ると、ボストリッジは相変わらず細い(と同時に体も薄い)。
背はひょろっと高く、本当にあの痩せた体からまろやかな美声が出るというのが不思議な気がする。

ボストリッジは今回もとてもよく動いた。
なんだかオペラの舞台に立った歌手のようである。
歩き方なども行ったり来たりしながらのリハーサル?といった趣すら感じられる。
だが、この夜のプログラムはシューベルト晩年の傑作群。
一筋縄ではいかない濃い作品ばかりである。
彼の痩身から重量級の表現をする為には歩きながら歌うことが必要なのかもしれない(録音の時はどうしているのだろうか)。

斜に構えた雰囲気をもったボストリッジだが、シューベルトの作品へのアプローチは正攻法で、クリーミーな美声も依然健在である。
そして「白鳥の歌」の低音箇所が若干きつそうだったのを除くと、性格の全く異なる晩年の凝縮された作品群それぞれへの対応力は素晴らしかった。
没入しながらもどこか冷めた視点も持った彼の歌唱は、それゆえに異なる嗜好をもった聴き手の多くを魅了するのかもしれない。

いったん袖にひっこんでアンコールとして歌われた「鳩の便り」でようやくほっと一息つけたのだった。

昨年震災間もない日本にフェリシティ・ロットと共にやってきて感銘を与えてくれたピアニストのグレアム・ジョンソンは、今回もまた熟練の技で聴き手を魅了した。
彼はムーア、パーソンズといった往年の伴奏の巨匠たちの教えを受けているのだが、ピアニスティックな面での表現よりも、作品への寄与を優先させるという点で、ムーアにより近いものを受け継いでいるように感じた。
今回の「白鳥の歌」でも、弱音で演奏する箇所ではほとんどささやくかのような響きで歌を優先させ、出るべきところでもピアノで歌うことを決して忘れない。
その姿勢はピアノという楽器を介在させていながら、歌手と共に歌曲の小宇宙を完結させることに彼の演奏の美質があるように感じられた。
一見地味だが、その温かみのある響きは、聴き手への優しさにあふれていた。

休憩がなかったので、中断なくシューベルトの世界にどっぷりとつかった1時間半だった。

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