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今年もご訪問ありがとうございました

自然の猛威を感じざるをえなかった2011年も今日で終わりです。
まだまだ課題は山積ですが、一人一人の意識で少しずつでも前に進んでいけたらと祈っています。

本当は2011年中にアップしたかった記事もいくつか残っているのですが、年が明けてから時間を見つけて公開いたします。

来年も気持ちは前向きにいたいものです。
どうぞ皆様よいお年をお迎えください!

なお、例年どおり、年明け後数日間はパソコンの前を離れますのでご了承ください。

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小林道夫/チェンバロ演奏会(2011年12月25日 東京文化会館 小ホール)

小林道夫チェンバロ演奏会
~クリスマスをバッハの名曲で静かに過ごす~
2011年12月25日(日)14:00 東京文化会館 小ホール(O列56番)

小林道夫(Michio KOBAYASHI)(harpsichord)

J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲(Goldberg-Variationen)BWV988
 主題~第15変奏

~休憩~

 第15変奏~主題復帰

~アンコール~
J.S.バッハ/クラヴィーア練習曲第3巻~4つのデュエットより第3曲BWV804

※使用チェンバロ:French double-manual harpsichord after P.Taskin 1769 MOMOSE HARPSICHORD 2009

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1972年から毎年12月に続けているという小林道夫の「ゴルトベルク変奏曲」演奏会。
遅ればせながら今回はじめて聴くことが出来た。
計算すると今回がちょうど40回目という記念すべき回になるはずだが、配布プログラムにそのことが全く触れられていないのがいかにも氏らしい。
文化会館小ホールはほぼ満席で、期待の大きさがうかがえた。
途中で休憩をはさむというのも私にとっては有難く感じた(全部まとめて聴きたいという方もいるだろうが)。

小林さんの演奏は含蓄に富んだ温かみのあるタッチが魅力的である。
長年追究されてきた演奏上の様々な成果が反映されていることはおそらく間違いないが、学究的な堅苦しさが全くなく、聴く者を癒す響きが実に心地よい。
不眠症解消の音楽という伝説は伝説に過ぎないとしても、小林氏の素朴な演奏を聴くとアルファ波が脳内にあふれ出ているだろうなと感じてしまう。
奇をてらわずにまっすぐに作品に向き合った演奏、人によってはもっと刺激を求めるのかもしれないが、私にとってはまさに理想の「ゴルトベルク」演奏であった。

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ゲルハルト・オピッツ/シューベルト連続演奏会(全8回)【第3回&第4回】(2011年12月13日&21日 東京オペラシティ コンサートホール)

ゲルハルト・オピッツ
シューベルト連続演奏会(全8回)【第3回】
2011年12月13日(火)19:00 東京オペラシティ コンサートホール(1階3列10番)

ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz)(Piano)

シューベルト(Schubert)
ピアノ・ソナタ ホ長調 D157
Sonate E-Dur, D157
 I. Allegro ma non troppo
 II. Andante
 III. Menuett. Allegro vivace

12のドイツ舞曲 D790
Deutsche Tänze, D790
 No.1 D major
 No.2 A major
 No.3 D major
 No.4 D major
 No.5 B minor
 No.6 G flat minor
 No.7 A flat major
 No.8 A flat major
 No.9 B flat major
 No.10 B flat major
 No.11 A flat major
 No.12 E major

3つのピアノ曲 D459a
Klavierstücke, D459a
 I. Adagio
 II. Scherzo con Trio: Allegro
 III. Allegro patetico

~休憩~

ピアノ・ソナタ 変イ長調 D557
Sonate As-Dur, D557
 I. Allegro moderato
 II. Andante
 III. Allegro

即興曲集 D899
Impromptus, D899
 No.1 C minor
 No.2 E flat major
 No.3 G flat major
 No.4 A flat major

~アンコール~
シューベルト/3つのピアノ曲D946~第2曲変ホ長調

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ゲルハルト・オピッツ
シューベルト連続演奏会(全8回)【第4回】
2011年12月21日(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール(1階3列10番)

ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz)(Piano)

シューベルト
ピアノ・ソナタ 変ホ長調 D568
Sonate Es-Dur, D568
 I. Allegro moderato
 II. Andante molto
 III. Menuetto: Allegretto
 IV. Allegro moderato

ヒュッテンブレンナーの主題による13の変奏曲 D576
Variationen über ein Thema von Hüttenbrenner, D576

~休憩~

ピアノ・ソナタ ハ短調 D958
Sonate c-moll, D958
 I. Allegro
 II. Adagio
 III. Menuetto: Allegro
 IV. Allegro

~アンコール~
シューベルト/3つのピアノ曲D946~第3曲ハ長調

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昨年からスタートしたゲルハルト・オピッツによるシューベルト連続演奏会も今年は第3回と第4回を迎えた。
オピッツは初期の作品にも晩年の作品にも同様の愛着を示して演奏する。
従って若書きが立派な作品にもなり、晩年の熟した作品からは若々しさも導き出す。

概して安定したテンポで美しい音を響かせたが、時々盛り上がる箇所で速度をあげて前のめりになる。
ただ、それもシューベルトの許容範囲を超えずに魅力的な演奏となっていた。

川口でベートーヴェンを聴いた時とは明らかに異なる伸び縮みのある柔軟な表情がシューベルトらしさを感じさせて素晴らしかった。
シリーズも半分が終わり、来年は後半に入る。
「ヒュッテンブレンナー変奏曲」のような珍しい作品にも接することが出来るのがこのシリーズの魅力のひとつであり、来年以降もそのような出会いを楽しみにしたい。

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アーメリングのEMI録音発売予定!

アーメリング・ファンに朗報!
来年の2月にEMIのICONシリーズの一環としてエリー・アーメリング(Elly Ameling)の録音が8枚組でリリースされるそうだ。
EMIへの録音といえば、
シューベルト歌曲2枚(デームスとゲイジ共演各1枚)、
モーツァルトとシューマン歌曲1枚ずつ(デームス共演)、
サティなどのリサイタル盤(ボールドウィン共演。これは国内でCD化されていた)、
フォーレ、ドビュッシー、プーランクの各歌曲全集(ボールドウィン共演)、
オランダの作曲家ハイヘンスの作品(佐藤豊彦ほか共演)、
マーラーの交響曲第4番のソロ(プレヴィン指揮ピッツバーグ響)、
バッハの宗教曲、カンタータなど数々の名盤が思い出されるが、未CD化の録音も多く、今回の組物CDが待ちに待ったリリースとなる。
さらにEMIのリリースはブックレットに録音データの詳細が記載されるのも楽しみである。
まだ一度もCD化されていないシューマン歌曲集が収録されるとすれば、これまで明記されなかった正確な録音データをようやく知ることが出来るだろう。
収録内容の詳細は今のところ明らかになっていないが、今から来年のリリースが待ちきれない。

ドイツのamazon

ジャケット写真(下の"Coming soon in February 2012"に掲載。この写真は私もはじめて見ました)

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(2011年12月24日追記)

上記のCDの曲目が以下のサイトで判明しました。
 こちら

すでにCDで入手可能だった作品が意外と多く、未CD化だったデームスとのシューマン歌曲集が収録されないのは本当に残念です。
ただ、ゲイジとのシューベルト歌曲集はほとんどが初CD化となり、ドビュッシーとプーランクは歌曲全集中のアーメリング担当分が全曲含まれるので、曲ごとの詳細な録音データが楽しみです。
さらにマリナー指揮のバッハ「結婚カンタータ」ほかは初CD化で、1972年録音という全盛期の歌唱なので、こちらも期待大です。
そのほかにもデームスとのシューベルトの「エレンの歌Ⅰ、Ⅱ」は国内CD化時におそらく収録時間の関係上カットされていたので初CD化となります。
欲を言えば、せっかく組物としてまとめられるのならばフォーレ歌曲全集からもアーメリング担当分を抜粋ではなく全曲収録してほしかったところですが、音源自体はいくらでも他に入手方法があるのでまぁ良しとしましょう。
ICONシリーズの他のアーティストのCDは10枚組というのもあるので、アーメリングも他の作品を追加可能だったと思うのですが、それは次の機会までの楽しみにとっておくことにします。

CD収録曲を「メモ帳」ソフトにまとめましたので、興味のある方は以下のリンク先へどうぞ。
 ameling_emi_icon.txt

TOWER RECORDSのサイト
 こちら

HMVのサイト
 こちら

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クリスティアン・ゲルハーヘル&ゲロルト・フーバー/没後100年記念マーラーを歌う(2011年12月9日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第9篇
クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン) 没後100年記念マーラーを歌う
2011年12月9日(金)19:00 トッパンホール(C列6番)

クリスティアン・ゲルハーヘル(Christian Gerhaher)(Baritone)
ゲロルト・フーバー(Gerold Huber)(Piano)

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)

《さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)》
 第1曲 いとしいひとがお嫁に行く日は(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
 第2曲 今朝ぼくは野原を歩んだ(Ging heut morgen übers Feld)
 第3曲 ぼくは燃える剣をもっている(Ich hab'ein glühend Messer)
 第4曲 いとしいあの子のつぶらな瞳が(Die zwei blauen Augen)

《子どもの魔法の角笛》より(Lieder aus «Des Knaben Wunderhorn»)
 この歌をつくったのはだれ?(Wer hat dies Liedlein erdacht?)
 夏の歌い手交替(Ablösung im Sommer)
 みどり深い森をたのしく歩んだ(Ich ging mit Lust durch einen grünen Wald)
 いたずらっ子をしつけるには(Um die schlimme Kinder artig zu machen)
 ラインの伝説(Rheinlegendchen)
 番兵の夜の歌(Der Schildwache Nachtlied)

~休憩(Intermission)~

《子どもの魔法の角笛》より(Lieder aus «Des Knaben Wunderhorn»)
 塔の囚人の歌(Lied des Verfolgten im Turm)
 浮世の暮らし(Das irdische Leben)
 シュトラースブルクの砦(Zu Straßburg auf der Schanz)
 トランペットが美しく鳴りひびくところ(Wo die schönen Trompeten blasen)

《亡き子をしのぶ歌(Kindertotenlieder)》
 第1曲 いま太陽が明るく昇るところだ(Nun will die Sonn' so hell aufgeh'n)
 第2曲 今になってわかる、あの暗い炎がなぜ(Nun seh' ich wohl, warum so dunkle Flammen)
 第3曲 おまえのお母さんが(Wenn dein Mütterlein)
 第4曲 わたしはよく思う、子供たちはちょっと外出しただけだと(Oft denk' ich, sie sind nur ausgegangen)
 第5曲 こんなひどいあらしの日には(In diesem Wetter)

~アンコール~
マーラー/原光(Urlicht)

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実に濃密で充実した演奏であった。
「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」といった有名歌曲集を両端に置き、その間に「子どもの魔法の角笛」に因んだ歌曲を配すという選曲は見事なものである。

ゲルハーヘルもフーバーもこれらの作品の多くにひそむ暗部を拡大して表出してみせてくれた。
それにより、たまにあらわれる楽しい曲(「この歌をつくったのはだれ?」等)や皮肉な曲(「いたずらっ子をしつけるには」等)がちょっとした気分転換となり、聴衆に一息つかせる効果があった。

「さすらう若人の歌」での繊細な感情、そして「亡き子をしのぶ歌」での悲壮感が、真実味をもった表現で描かれていて素晴らしかった。
最高のリート解釈者2人の演奏を味わえた喜びを感じた2時間だった。
今後のさらなる活動がますます楽しみである。

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クリスティアン・ゲルハーヘル&ゲロルト・フーバー/“マーラーの二夜”<第2夜>(2011年12月7日 王子ホール)

クリスティアン・ゲルハーヘル“マーラーの二夜”<第2夜>

2011年12月7日(水)19:00 王子ホール(D列1番)

クリスティアン・ゲルハーヘル(Christian Gerhaher)(Baritone)
ゲロルト・フーバー(Gerold Huber)(Piano)

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)

「大地の歌」より 第2楽章 秋に寂しきもの
(From "Das Lied von der Erde" No.2 Die Einsame im Herbst)

「7つの最新歌曲(最後の7つの歌)」
(Sieben Lieder aus letzter Zeit)
 死せる鼓手(Revelge)
 少年鼓手(Der Tamboursg'sell)

 私の歌をのぞき見しないで(Blicke mir nicht in die Lieder)
 私は快い香りを吸いこんだ(Ich atmet' einen linden Duft!)
 真夜中に(Um Mitternacht)
 美しさをあなたが愛するなら(Liebst du um Schönheit)
 私はこの世に捨てられて(Ich bin der Welt abhanden gekommen)

~休憩(Intermission)~

「大地の歌」より 第6楽章 告別
(From "Das Lied von der Erde" No.6 Der Abschied)

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王子ホールはクリスティアン・ゲルハーヘルとゲロルト・フーバーを迎えて、今年没後100年のマーラー歌曲のみの夕べを2夜企画した。
そのうちの第1夜は9日のトッパンホールでも全く同じ内容で催されるので、私は王子ホールでは第2夜のみを聴いた。

プログラムは「大地の歌」の中から低声用の2曲を両端に置き、その間に「7つの最新歌曲」を挟み込むというもの。
「7つの最新歌曲」とは一般には聞き慣れないタイトルだが、「7つの最後の歌」という従来訳は"letzt"の解釈の違いによるものである。
この作品がマーラーの最後の歌ではないので「最新」という意味でとらえるべきだというのが訳者広瀬大介氏の考えであり、それは妥当な見解だと思う。
ちなみにこの「7つの最新歌曲」、「角笛」歌曲集から「死せる鼓手」「少年鼓手」の2曲にリュッケルトの5つの歌曲をまとめたものである。

久しぶりに聴いたクリスティアン・ゲルハーヘルは進境著しい。
声と音楽性の充実はピークに達している印象を受けた。
彼の限界を知らない朗々たる声には王子ホールが小さすぎる印象すら受ける場面もあった。
この声のボリュームは大きなコンサートホールで聴いたとしても全く問題ないであろう。
しかし、リートは声の豊かさだけではなく、抑制された繊細な表現も必要とされる。
従って、ゲルハーヘルの豊かなダイナミックレンジを小ホールの親密な空間で味わえるというのはとても贅沢であると同時に理に適ったことでもあるのだ。

ゲルハーヘルの歌い方はやはり師匠F=ディースカウの影響が大きく感じられる。
声がテノラールな軽やかさをもち、バリトンにもかかわらず明るく高めの響きが聴かれ、テキストが響きに埋没せずにくっきり明瞭に聞こえてくるのも師匠と共通する点だ。
しかし、ゲルハーヘルの歌唱は師匠よりもより作品に忠実たらんとする。
勢いに任せて音が曖昧になることもない。
そこに彼の美質の一つを見ることが出来るように思える。

ゲロルト・フーバーはピアノの蓋をいっぱいに開け、かなり振幅の大きな演奏。
以前は端正で安定した美しい演奏をしていた印象があったのだが、この日は師匠ハルトムート・ヘルを思わせる大胆さが感じられた。
美しさよりも真実味のある音を徹底的に追究し、それを演奏に反映しているように感じた。
時にその振幅の大きさが大仰に感じられる場面もないではなかったが、概して作品が求める表現として受け入れることが出来た。
また、弾きながら低いうなり声をあげるのも以前には気付かなかったことだ。

マーラーのほの暗く深遠な世界をくまなく表出しようとした2人のドラマティックな演奏に感激した。

アンコールはなし(「告別」の後にふさわしい曲はないということなのだろう)。
なお、この日の前半は冒頭の「秋に寂しきもの」の後に拍手を受けつつも袖に戻らず、そのまま「死せる鼓手」「少年鼓手」を歌ってから袖に戻った。
「7つの最新歌曲」とまとめられてはいても「死せる鼓手」「少年鼓手」とリュッケルト歌曲集の間にはそれだけ大きな表現上の切り替えが必要ということなのではないか。

なお、この日はサイン会に並び、サインをいただいたが、2人とも演奏で疲れているはずだろうに、非常に愛想よく、フーバーにいたっては"Tschüss!"とまで声をかけてくれて、人間的にも魅力を感じた2人であった。

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マーク・パドモア&ティル・フェルナー/シューベルト《白鳥の歌》ほか(2011年12月6日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第8篇
〈シューベルト三大歌曲 3〉
マーク・パドモア(テノール)&ティル・フェルナー(ピアノ)

2011年12月6日(火)19:00 トッパンホール(Toppan Hall)(C列5番)
マーク・パドモア(Mark Padmore)(tenor)
ティル・フェルナー(Till Fellner)(piano)

シューマン(Schumann)/子どもの情景(Kinderszenen) Op.15[ピアノ・ソロ]
 見知らぬ国から(Von fremden Ländern und Menschen)
 珍しいお話(Curiose Geschichte)
 鬼ごっこ(Hasche-Mann)
 おねだり(Bittendes Kind)
 幸せいっぱい(Glückes genug)
 重大なでき事(Wichtige Begebenheit)
 トロイメライ(Träumerei)
 炉ばたにて(Am Camin)
 木馬の騎士(Ritter vom Steckenpferd)
 むきになって(Fast zu ernst)
 怖がらせ(Fürchtenmachen)
 眠りに入る子供(Kind im Einschlummern)
 詩人は語る(Der Dichter spricht)

シューベルト(Schubert)/《白鳥の歌(Schwanengesang)》D957
 愛の言づて(Liebesbotschaft)
 兵士の予感(Kriegers Ahnung)
 春のあこがれ(Frühlingssehnsucht)
 セレナーデ(Ständchen)
 居場所(Aufenthalt)
 遠い地で(In der Ferne)
 別れ(Abschied)
 アトラス(Der Atlas)
 あの娘(こ)の絵姿(Ihr Bild)
 魚とりの娘(こ)(Das Fischermädchen)
 町(Die Stadt)
 海辺で(Am Meer)
 もう一人の俺(Der Doppelgänger)
 鳩の使い(Die Taubenpost)

~アンコール~
シューベルト(Schubert)/《白鳥の歌》D957~セレナーデ(Ständchen)

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休憩なしでフェルナーのソロによる「子どもの情景」とパドモアを加えた「白鳥の歌」が演奏された。
ピアノ曲と歌曲の組み合わせというのは意外と珍しい。
フェルナーはソリストなので聴こうと思えばソロ演奏も聴くことが出来るわけだが、普段伴奏を専門にしているピアニストがこういう機会にソロを披露するというのも面白いのではないか。
トッパンホールさんには是非企画してもらえたらと願いたいところである。

さて、最初に演奏されたフェルナーの「子どもの情景」。
前回「水車屋」で聴いた印象と基本的には変わらない。
丁寧でストレートな表現。
ちょっとしたフレーズの歌わせ方などなかなか素敵だし、テクニックもしっかり安定していたが、基本的には淡白であまり濃密な方向には向かわない。
大人が子供時代を懐かしく回想しているというよりは、子供が素直な心のまま無邪気に表現しているという印象。
これはこれで一つの解釈であろう。

続いてパドモアを加えたシューベルトの「白鳥の歌」が従来通りの曲順で演奏された。
レルシュタープの詩による前半7曲とハイネの詩によるその後の6曲、そして最後に置かれたザイドルによる「鳩の使い」がシューベルト晩年の様々な心境を反映させながら見事に紡がれていく。
従来はハイネの歌曲においてシューベルトは未来を予感させる新しい世界に足を踏み入れたというような見方がされてきたが、ここでパドモアとフェルナーの演奏を聴きながら、なかなかどうしてレルシュタープのいくつかの作品の中にもすでに新しい境地に達したシューベルトがいるではないかと思ったりもした。
「兵士の予感」における緊張感と焦燥感が続く手に汗握るようなドラマ、「居場所」におけるゴツゴツとした岩山の荒々しい描写(情景と心理状態をリンクさせた)、そして「遠い地で」での執拗なまでのテキストの脚韻を際立たせた朗誦とメロディーの使い分け等々、穏やかで美しい響きのシューベルトとは明らかに一線を画している。
こうしたドラマティックな作品におけるパドモアとフェルナーの表現は実に見事だ。
シューベルトが望んだであろうドラマを一瞬の隙もなく聴き手に突きつけてくる。
パドモアは奥に秘めているものを一気に吐き出すように劇的に歌うし、フェルナーは普段の穏やかな音を越えた歌と拮抗するような主張を聞かせる。

さらにハイネ歌曲における彼らは一層深い世界を表出してみせた。
「魚とりの娘(こ)」は下手をすると単なる舟歌になってしまいがちだが、ここでパドモアはこのテキストの主人公がプレイボーイであって、うぶな女性を落とそうと甘い言葉で誘惑するように歌う。
その下心を隠しもったダンディぶりを見事に歌で表現していたのには脱帽した。
シューベルトが"Wir kosen Hand in Hand(手つないで、いいことしようよ)"の最後の"Hand"で減7度上行させることによって、このプレイボーイの本音がちらっと響きに表れたような印象を受け、このさりげなさにシューベルトの才能をあらためて感じてしまう。

「白鳥の歌」は様々な作品が入り混じっている為、一つの声域で歌うのはおそらくかなり難しいと思われる。
パドモアにしても、低音が続く箇所(「あの娘(こ)の絵姿」など)はどうしても響きが薄くなるが、それは仕方のないこと。
むしろ、それをいかにうまく処理して、自分の声にひきつけるかが重要な気がする。
その意味でパドモアは彼の声に合ったものも合わないものも同様に、彼なりののめりこみ過ぎないドラマティックな表現で聴衆にシューベルトの音楽の良さを伝えてくれた。
その困難を見事に消化して、聴き手にツィクルスとしてのまとまりを感じさせる演奏を行っていたということに対して、パドモアとフェルナーの表現を大いに賞賛したいと思う。

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ゲルハルト・オピッツ/ピアノ・リサイタル(2011年12月4日 川口リリア 音楽ホール)

ゲルハルト・オピッツ ピアノ・リサイタル

2011年12月4日(日)15:00 川口リリア 音楽ホール(V列6番)
ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz)(Piano)

ベートーヴェン(Beethoven)/ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 作品31-3

ベートーヴェン(Beethoven)/ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調「ワルトシュタイン」作品53

~休憩~

ブラームス(Brahms)/2つのラプソディ 作品79
 1. h-moll
 2. g-moll

ブラームス(Brahms)/ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ 作品24

~アンコール~
ブラームス(Brahms)/「幻想曲集」~インテルメッツォ 作品116-4

毎年暮れになるとオピッツのコンサートを聴くのが私にとってここ数年の恒例となりつつある。
そして、毎回当たり前のように聴きに行くのだが、今回ほど、このピアニストの凄さを身に沁みて感じたことはなかった。
私の家からそう遠くないところにある川口リリアにオピッツのような巨匠が来てくれるというのは本当はとても有難いことなのだが、毎年聴いていると麻痺してしまうのか、その貴重さもあまり意識しなくなってしまう。

しかし、今回のベートーヴェンとブラームスの硬派なプログラムを聴いて、「ドイツ魂ここにあり」とただただ感服するばかりだった。
今回私は後方左側の席だったのだが、このリリアの音楽ホールは響きがとても良く、後ろまで細かい表情が伝わってくる。
そして、オピッツの1曲1曲にかける思いの強さがひしひしと伝わってきて、その積極的なアプローチに圧倒されっぱなしだった。
概して早めのテンポ設定で、細やかなテンポの揺れや強弱の変化を付けて、一時も崩れることがない。
そしてあまりにも素晴らしいテクニックは決して音楽を覆いかぶすことはなく、常に作品の姿を表現する一手段となっていた。
前半のベートーヴェンのソナタ2曲(「狩」「ヴァルトシュタイン」)ですでにノックアウト。
こんなに力強く、質実剛健でありながら、あざとくなく、朴訥ですらあるのは、凄いの一言。
いろいろなベートーヴェン解釈があっていいのだが、オピッツのこの演奏はまさにドイツ人にしかなし得ない境地と感じた。

興奮おさまらぬまま休憩に入り、後半最初に演奏されたブラームス「2つのラプソディ」がまた凄かった。
奔放さとデリカシーの交錯する作風が立体的なオピッツの造形によって息つく間もないほどのドラマティックな表情となり、まさに「狂詩曲」というにふさわしい名演だった。
これほど強烈な光を放ったラプソディーが実演で聴けるとは!

そして、ヘンデルのテーマによる変奏曲がまた素晴らしい。
オピッツの演奏は集中力に満ち、次々と繰り広げられる変奏が実に表情豊かに引き締まったテンポ感で表現される。
この作品が、ベートーヴェンの「ディアベッリ変奏曲」の後に続く傑作であることを、オピッツの隙のない完璧な演奏が教えてくれた。
30分近くの大作がこれほど短く感じられたのは、彼の演奏のもつ力ゆえだろう。

アンコールのブラームス「インテルメッツォ 作品116-4」がまた味わいに満ちて、美しい歌にあふれていた。
最初から最後まで徹底してドイツ芸術の豊かさを作品、演奏の両面からたっぷりと味わえたマチネだった。

さらに2回オピッツのシューベルトシリーズを聴けるのが今から楽しみだ。
(ちなみに「ヴァルトシュタイン」3楽章のオクターブグリッサンド箇所は、グリッサンドにせず両手に分けて弾いていたように見えた。)

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マーク・パドモア&ティル・フェルナー/シューベルト《水車屋の美しい娘》(2011年12月2日 トッパンホール)

〈歌曲(リート)の森〉 ~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第6篇
〈シューベルト三大歌曲 1〉
マーク・パドモア(テノール)&ティル・フェルナー(ピアノ)

2011年12月2日(金)19:00 トッパンホール(Toppan Hall)(C列5番)

マーク・パドモア(Mark Padmore)(tenor)
ティル・フェルナー(Till Fellner)(piano)

シューベルト(Schubert)/《水車屋の美しい娘(Die schöne Müllerin)》 D795
 さすらい(Das Wandern)
 どこへ?(Wohin?)
 止まれ!(Halt!)
 小川への感謝の言葉(Danksagung an den Bach)
 仕事じまいの集いで(Am Feierabend)
 知りたがり屋(Der Neugierige)
 いらだち(Ungeduld)
 朝のあいさつ(Morgengruß)
 粉ひきの花(Des Müllers Blumen)
 涙の雨(Tränenregen)
 僕のもの!(Mein!)
 休み(Pause)
 リュートの緑のリボン(Mit dem grünen Lautenbande)
 狩人(Der Jäger)
 嫉妬と誇り(Eifersucht und Stolz)
 好きな色(Die liebe Farbe)
 いやな色(Die böse Farbe)
 しぼめる花(Trockne Blumen)
 粉ひきと小川(Der Müller und der Bach)
 小川の子守歌(Des Baches Wiegenlied)

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最近モーツァルトやヴァーグナーのオペラや、ベートーヴェンのピアノソナタなど、様々なジャンルの演奏を聴く機会が増え、久しぶりに「水車屋の美しい娘」の実演を聴いたのだが、あたかも旅先から我が家に戻ってきたような安堵感を覚え、やはり私はシューベルトのリートが心底好きなのだと再認識した。
それと同時に、シューベルトのリートばかり聴いていた時にはそれほど意識していなかったシューベルトの良さ、メロディーの美しさ、裏にひそむ悲劇性など、あらためて気付かされたことも多く、他のジャンルや作曲家の作品を聴くことがいかに大切なことか実感させられた一夜となった。

マーク・パドモアは他の歌手同様最初のうちは固さが感じられたが、彼ほどの世界的な存在でも最初は固くなるのだと知ると、生身の体が楽器の歌手という仕事の大変さと同時に、人間らしい親しみも感じられた。
古楽を得意とするだけあって、彼の歌い方は端正かつドラマティックである。
細身の声を絞り出すように歌い、その真摯な表現が胸を打つ。
イギリス人にもかかわらずドイツ語の歯切れの良さも素晴らしい。
高音域は年齢と共に若干余裕がなくなりつつあるのかもしれないが、彼特有の魅力的な高音の響きは健在であった。
パドモアの「水車屋」の歌唱はエヴァンゲリストのような語り部ではなく、あくまでも主人公そのものに入りきったものと感じられた。
しかし、劇的な作品でも大仰にならず、彼特有の品格のようなものが維持されていたのが素晴らしい。
テノールで聴く「水車屋」はやはり素敵だなぁと聞き惚れた1時間だった。

なお、版によって異同のある歌詞については、第2曲「どこへ?」の第3節は"und immer frischer rauschte"ではなく"und immer heller rauschte"と歌い、第5曲の"und der Meister spricht zu allen"は"spricht"ではなく"sagt"と歌っていた。
配布プログラムはいずれも歌われなかった方の歌詞が採用されていたので、歌詞を見ながら聴いていたお客さんはあれっと思ったかもしれない。

ティル・フェルナーのピアノは際立って特殊なことをするわけでもなく、歌うべきところはよく響かせながらも歌手に寄り添った清々しい演奏だった(ペータース版の楽譜を使っていたように見えた)。
第1曲「さすらい」では非常にリズミカルに演奏し、若者の希望に満ちた躍動感が伝わってきた。
第9曲「粉ひきの花」などは最近有節形式の途中の節でピアノパートを1オクターブ高く演奏して変化をつけようというピアニストが増えてきたが、フェルナーはあくまでも楽譜のまま忠実に演奏する。
第19曲の「粉ひきと小川」の前奏をかなり大きめな音量で弾きはじめたのは驚いたが、悲劇性を強調しようとしたのかもしれない。
また最終曲「小川の子守歌」では有節形式の最終節の後奏でペダルを踏みっぱなしにして音を濁らせていたが、これは主人公が深い川底に沈んでいることを表現しようとしたのだろうか。
最近では珍しくピアノの蓋を短いスティックで少し(20センチぐらい?)開けただけだったが、歌を覆いかぶさないようにという配慮とはいえ、やはり響きの点ではもっと開けて演奏してほしかったし、彼ならコントロールも可能だったのではないか。
概して誠実で真摯な演奏だったが、時にもっと踏み込んでも良かったかもしれない。
今後成熟することで化ける可能性があるピアニストではないか。

アンコールはなし。
満席ではなかったようだが、聴衆の熱烈な拍手に何度もステージに呼び戻され、それが納得できるほどの素晴らしさだった。

なお、今回示唆に富んだプログラムノートを執筆された梅津時比古氏による《水車屋の美しい娘》という新訳は「水車小屋」に「美しい」という印象を抱かせるのを避ける意味合いがあるようだ。当時のドイツでは人里離れた場所にあった水車小屋は隠れ家という危険なイメージをもたれ、それゆえに粉屋という職業は暗に差別の対象となっていたとのこと。このテーマでぜひ1冊執筆してもらいたい。

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