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メゾソプラノ本多厚美リサイタル~ダルトン・ボールドウィンとともに~(2011年11月22日 サントリーホール ブルーローズ)

メゾソプラノ本多厚美リサイタル~ダルトン・ボールドウィンとともに~
LOVE SONGS~Viva L'Italia

2011年11月22日(火)19:00 サントリーホール ブルーローズ(小ホール)(全自由席)
本多厚美(Atsumi Honda)(Mezzo Soprano)
ダルトン・ボールドウィン(Dalton Baldwin)(Piano)

カッチーニ/アマリッリ
ドナウディ/どうか吹いておくれ
ヴィヴァルディ/わたしは蔑ろにされた花嫁(歌劇「バヤゼット」より)

ロッシーニ/競艇前のアンゾレータ
ヘンデル/私を泣かせてください(歌劇「リナルド」より)
ヴェルディ/ストルネッロ(民謡)

レスピーギ/夜
レスピーギ/深い海の底で
レスピーギ/恋の悩み

ドニゼッティ/ああ私のフェルナンド(歌劇「ラ・ファボリータ」より)

~休憩~

プッチーニ/栄えあれ 天の女王よ
プッチーニ/そして小鳥は(子守唄)
チマーラ/愛の神よ ようこそ(「カレンディマッジョの3つのバラータ」より)
チマーラ/ストルネッロ

トスティ/最後の歌
トスティ/セレタータ
アーン/ヴェネツィアの小舟
クルティス/帰れソレントへ
クルティス/勿忘草
デンツァ/フニクリ・フニクラ(日本語訳詞による)

~アンコール~
カルディッロ/カタリ・カタリ

数年前にドルトン・ボールドウィンの実演を聴き、これで彼の生演奏を聴くのは最後にしようと思っていたのだが、その後も毎年秋に来日を重ね、気にはなっていた。
今年の12月で80歳を迎える偉大な歌曲ピアニストにもう一度だけ接したくなり、サントリーホール 小ホールに出かけてきた。
ロビーがやけに賑わっているなと思ったら、お隣の大ホールはベルリン・フィル公演だった。

メゾソプラノの本多厚美のリサイタルを生で聴くのは今回が初めて。
大ホールとの同時公演でこれほどのお客さんを呼べるのは、彼女がそれだけ信奉者を得ている証だろう。
前半は黒、後半は赤と衣裳を替えて登場した本多さんはメゾとしてはかなり透明度の高い声である。
細かいヴィブラートが特徴的である。
その声はソプラノとしても全く違和感のない澄んだ響きだが、時折その声にメゾらしいコクのある深みが感じられる。
リサイタルの最初のうちは声があたたまっていない感もあったが、それはどの声楽家でも同じこと。
徐々に調子をあげて、芯のある響きが聴かれるようになってきた。

今回のリサイタル、私の疎い分野であるイタリア歌曲が中心。
半分以上は未知の作品だったが、その選曲はどれも非常に魅力的で、プログラミングを担当したボールドウィンのセンスが光る。
中でもレスピーギは歌曲作曲家としても素晴らしく、ピアノパートも含めて、非常に魅力的な作品であった。
本邦初演とうたわれた「恋の悩み」は原題が"Soupir"なので「ため息」が直訳であり、デュパルクの有名な歌曲と同じシュリ・プリュドムのテキストによる。
聴いていると、デュパルクの「悲しい歌」と近い雰囲気が感じられた。

プッチーニの歌曲など珍しい作品も含まれ、レイナルド・アーンの「ヴェネツィアの小舟」という曲も本邦初演らしい。
「帰れソレントへ」と「勿忘草」はメドレーで続けて演奏されたが、最後の3曲は馴染みのメロディーが楽しく、日本語によった「フニクリ・フニクラ」は聴衆も巻き込んで(お弟子さんたちが多いのだろうか、美しいソプラノコーラスが客席から聴かれる)盛り上がった。
アンコールで歌われた「カタリ・カタリ」は、女声では珍しいのではないか。
随分昔のフランシスコ・アライサとアーウィン・ゲイジの実演での感銘が忘れがたく記憶に残っており、久しぶりにこの作品を懐かしく聴いた。

さて、お目当てのボールドウィンの演奏であるが、年齢による衰えは目立ったと言わざるをえない。
しばしば演奏している場所が曖昧になったり、違うバス音が大きめに響くのを聴くのは、全盛期の彼の完璧な録音を知る者にとっては辛いものがある。
だが、それを脇に置いてその音楽性のみに耳を向けると、なんともいえない彼独自の魅力あふれる豊かな響きが依然維持されていることに驚かされる。
太くくっきりとしたマルカートの音が歌と見事なデュエットを奏でているのは、他のピアニストからはなかなか味わえないボールドウィンならではの素晴らしさであった。
演奏の完璧さを求めるか、それとも音楽性の魅力を求めるかで、彼の現在の演奏に対する評価は二分されるであろう。
演奏家の引き際というのは難しい問題かもしれないが、円熟味を増すと同時に多くの場合技術の衰えは避けられない。
昔100歳近くでみずみずしい音楽を奏でたホルショフシキーのようなタイプのピアニストがいかに例外的な存在だったのかをあらためて感じさせられた一夜であった。

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珍しくライブハウスへ(2011年11月16日 公園通りクラシックス)

井野・千野・今井
2011年11月16日(水)19:30(実際に始まったのは20時近く) 渋谷・公園通りクラシックス(自由席)

井野信義(ベース)
千野秀一(ピアノ)
今井和雄(ギター)

ドラム奏者でもある友人T氏に誘ってもらい渋谷の公演通りにある小さなライブハウスへ出かけた。
駐車場脇のライブハウスに入ると、アーティストたちがまだ会場であれこれやっている。
舞台右脇に仕切りがあり、その中が楽屋という、ほとんど聴き手との垣根の取っ払われた会場であった。

3人のベテランアーティストによる即興セッション。
細かいモティーフ、もしくは断片をお互い聴きあって(しかし目で合図などはせずに阿吽の呼吸で)応え合い、あたかも花火が放射状に飛び散っていくようなイメージが浮かんできた。
始まりからして、なんとなく登場して、何気なく始まるところがいい。
あたかもたまたま集まったアーティスト同士がその場のノリでセッションを始める場面に居合わせたかのような何気ない空気感は、クラシックのコンサートではなかなか味わえないものだ。
それぞれが持てるものを存分に発揮しながらも、ギラギラした感じではなく、肩の力が抜けた余裕があり、なんとも格好いい。
即興というのはルーティンにならないようにするのが大変そうな印象があったが、このお3方にはそんな心配はもとから不要なのだろう。
ピアニストの千野さんは時に内部奏法を用いながらも基本は鍵盤の前で勝負し、その手首は非常にやわらかく、激しく燃え上がったり、静かに紡いだりと、変幻自在。
ベースの井野さんは楽器の様々な奏法を使っているようで、増幅器のようなもの(素人なので詳しく分からなくてすみません)で変化をつけながら、どこまでも延々続けられそうな余裕がある。
ギターの今井さんは弦だけでこれほどの音色の変化が可能なのかという色合いと切れ味の魅力があった。
門外漢の私でも、時に盛り上がり、時に静かに音を紡ぐという流れに身を委ねていると、心地よくて、いい時間を過ごさせていただいた。
たまにはこういうざっくばらんな雰囲気も楽しい。
誘ってもらった友人に感謝!

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岡田博美&ラザレフ/日本フィル第635回定期演奏会(2011年11月12日 サントリーホール)

日本フィルハーモニー交響楽団 第635回定期演奏会
2011年11月12日(土)14:00 サントリーホール(1階2列8番)

岡田博美(OKADA Hiromi)(Piano: Chopin)
日本フィルハーモニー交響楽団(Japan Philharmonic Orchestra)
(扇谷泰朋(OGITANI Yasutomo):Concertmaster)
アレクサンドル・ラザレフ(Alexander LAZAREV)(Conductor)

ショパン(Chopin)/ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11()

~休憩~

ラフマニノフ(Rachmaninov)/交響曲第1番ニ短調作品13()

前日に毎年恒例の内藤明美&平島誠也による歌曲の夕べ(今年は大好きなブラームス)を聴く予定だったのだが、体調が優れず、仕事も休んだ為、残念ながら聴けなかった。
その翌日になりなんとか大丈夫そうだったので、日本フィル定期公演に出かけてきた。
私の目当ては岡田博美のショパンだった。
岡田のいつもながら安定した美しい演奏は、ショパンのようなあまりにも手垢のついた著名な作品の場合でも安心して楽しめるものだった。
しかし、この日のお目当てが終わって(失礼)、後半に演奏されたラフマニノフの交響曲第1番、これがまた面白く大きな収穫だった。
グラズノフが指揮した初演は大失敗に終わり、その批判に落ち込んで数年間作曲できなかったというラフマニノフ。
確かに我々がラフマニノフからイメージするような甘美で映画音楽的な美しい旋律はこの第1番には乏しい。
むしろ金管楽器が咆哮したり、弦楽器も暗さを引き立て、さらにはディエス・イレ(怒りの日)を思わせるようなフレーズまで登場する。
私としてはこのドラマティックな迫力がとても面白く感じられたが、当時の聴衆が望んでいたものとは異質だったのかもしれないという印象は受けた。
ラザレフは日本フィルからかなりのドラマを引き出していて素晴らしかった。

ちなみに前日行けなかった内藤明美&平島誠也リサイタルのプログラムが平島氏のサイトにアップされている。
毎回充実したプログラムノートを書かれている山崎裕視氏のブラームス歌曲論も必見です。
 こちら

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ビントレー演出新国立劇場バレエ団/ブリテン作曲「パゴダの王子」(2011年10月30日 新国立劇場 オペラパレス)

パゴダの王子(The Prince of the Pagodas)
2011/2012シーズン
[New Production]
上演時間:2時間40分

2011年10月30日(日)14:00 新国立劇場 オペラパレス(1階4列4番)

さくら姫:小野絢子(Ono Ayako)
王子:福岡雄大(Fukuoka Yudai)
女王エピーヌ:湯川麻美子(Yukawa Mamiko)
皇帝:堀 登(Hori Noboru)
北の王:八幡顕光(Yahata Akimitsu)
東の王:古川和則(Furukawa Kazunori)
西の王:マイレン・トレウバエフ(Maylen Tleubaev)
南の王:菅野英男(Sugano Hideo)

【振付】デヴィッド・ビントレー(David Bintley)
【音楽】ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten)
【美術】レイ・スミス(Rae Smith)
【照明】沢田祐二(Sawada Yuji)
【指揮】ポール・マーフィー(Paul Murphy)
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団(Tokyo Philharmonic Orchestra)

珍しいブリテン作曲によるバレエ作品を鑑賞した。
物語的な展開が分かりやすく、私のようなバレエど素人にも充分楽しめる内容だった。
3つの幕それぞれが40分前後というのもコンパクトで集中して鑑賞しやすかった。
最後に物語がハッピーエンドを迎えた後にそれぞれの登場人物が踊る箇所は、バレエ愛好家をも満足させたのではないだろうか(このへんの決まりごとは門外漢の私には分からないが)。
原作は中国が舞台だが、今回日本に舞台を移し変え、より身近な舞台となった。
バレエダンサーたちはみな素晴らしかったが、特にエピーヌ役の湯川麻美子は、徹底的に悪役に徹していて強く印象に残った。
途中、さくら姫の試練の場面であらわれた様々な障壁たち、特にたつのおとしごたちのダンスなど、子供が見ても充分楽しめたのではないか。
ブリテンの音楽は物語を分かりやすく表現していて、特に第2幕ではオーケストラでガムランを模した音楽が奏でられ、オケの可能性の大きさとブリテンの創作意欲を感じさせられた。
美術担当のレイ・スミスは、国芳の浮世絵などをヒントにしたようで、モンスターたちも日本の妖怪の怖さの中の愛嬌のようなものが表現されていて面白かった。
ぜひ再演を望みたい。

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ユリアンナ・アヴデーエワ/ピアノ・リサイタル(2011年11月7日 川口リリア 音楽ホール)

2010年 ショパン国際ピアノコンクールの優勝者
ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノ・リサイタル

2011年11月7日(月)19:00 川口リリア 音楽ホール(B列6番)
ユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva)(Piano)

ショパン(Chopin)/舟歌 嬰ヘ長調 op.60(Barcarolle in F-sharp major op.60)

ラヴェル(Ravel)/ソナチネ(Sonatine)
 Modéré
 Mouvement de Menuet
 Animé

プロコフィエフ(Prokofiev)/ピアノ・ソナタ第2番 ニ短調 op.14(Piano Sonata No.2 in D minor op.14)
 Allegro ma non troppo
 Scherzo: Allegro marcato
 Andante
 Vivace

~休憩~

リスト(Liszt)/悲しみのゴンドラ2(La lugubre gondola No.2)
リスト(Liszt)/灰色の雲(Nuages gris)
リスト(Liszt)/調性のないバガテル(Bagatelle ohne Tonart)
リスト(Liszt)/ハンガリー狂詩曲第17番 ニ短調(Hungarian Rhapsody No.17 in D minor)

ワーグナー(リスト編)(Wagner; arr. Liszt)/オペラ「タンホイザー」序曲("Tannhäuser" Overture)

~アンコール~
ショパン(Chopin)/マズルカ イ短調 op.67-4
ショパン(Chopin)/マズルカ 変ロ長調 op.7-1
ショパン(Chopin)/マズルカ ロ短調 op.33-4

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ショパンコンクールで優勝したユリアンナ・アヴデーエワのリサイタルを聴いた。
今年に入ってから日本で行われた入賞者のガラコンサートでショパンの協奏曲第1番を聴いて、音楽家としての完成度の高さに魅了されたが、今回のリサイタルではショパンはたった1曲のみ。
そのほかの作曲家の作品をどのように演奏するのかという点にも興味をもって出かけた。

今回も黒のシャツとパンツ。
予想以上に小柄なのに驚く。
しかし、最初のショパン「舟歌」で、彼女の無駄な動きのない引き締まった音楽の世界に惹き込まれる。
すでに完成されたアーティストの演奏といった安定感がある。
続くラヴェルの「ソナチネ」ではクールな雰囲気で、ショパンとの違いを際立たせる。
そして前半最後のプロコフィエフのソナタ第2番が凄かった。
こんなに小柄で華奢な女性のどこに、これほどのずしりと芯のある低音やドラマティックな表現を可能にするエネルギーがあったのだろうか。
ここではその強靭な打鍵によって、彼女がロシアのピアニストであることを思い知らされた。

休憩後の最初のブロックはリストの比較的マイナーな作品を4曲。
こうした珍しい作品を聴ける機会をもてて、アヴデーエワに感謝!
最初の2曲は静かな中に陰鬱な表情が込められている。
「灰色の雲」などは最低限に切り詰められた音が、リストが晩年に達した世界の先見性を印象づける。
「メフィストワルツ第4番」とも題された「調性のないバガテル」は、悪魔的な響きを持ちながらも、有名な第1番に比べるとあっという間に終わってしまう。
そして最後の「ハンガリー狂詩曲第17番」もそれほど規模は大きくなく、華美さよりも暗さが印象に残った。
技巧を誇示する作品ならば他に沢山あっただろうが、ここでこのような派手さを排したモノクロに近い4作品をあえて選曲したところにアヴデーエワの知性を感じさせた。

そして、プログラム最後はリスト編曲によるワーグナー「タンホイザー」序曲。
ワーグナーお馴染みの曲をリストはそれほどテクニックを誇示するような装飾をすることもなく、作品そのものをピアノ一台で素直に演奏できるようにした作品だった。
リストのピアノ編曲にもいろいろな作風の違いがあるのだろう。
アヴデーエワはこのような編曲作品に対しても真摯で安定した演奏を聴かせていた。

アンコールでは、聴衆が待っていたであろうショパンばかり3曲。
マズルカを実に美しく味わい深く演奏し、聴き手を魅了した。

彼女のレパートリーがショパンだけではないことを知ると同時に、彼女のショパン演奏の素晴らしさもあらためて感じた一夜だった。
ステージ上にはコンクール優勝に浮き足立つことなく、作品に真摯に向き合う一人の芸術家の姿があった。

今回の日本ツアーはかなり長期にわたるようだ。
今後ますます広がり深まっていくであろう彼女の演奏を応援していきたい。

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マルクス・ヴェルバ&ガリー・マシューマン/シューベルト&ブラームスの歌曲(Radio4 Concerthuis)

オランダのインターネット・ラジオ局Radio4が無料で音源を一定期間配信するConcerthuis、以前はオランダ国内での配信に限定されていたが、いつからか日本でも聴けるようになっていた。
そうした中、モーツァルトのオペラ公演などで来日経験のあるオーストリアのバリトン、マルクス・ヴェルバのリサイタルを見つけたのでご紹介したい。

 こちら

録音:2010年10月25日, Wigmore Hall, London (live)

マルクス・ヴェルバ(Markus Werba)(BR)
ガリー・マシューマン(Gary Matthewman)(P)

1.シューベルト(1) 計16分02秒
1)アリンデ(Alinde, D904)
2)ヴィルデマンの丘で(Über Wildemann, D884)
3)夕映えの中で(Im Abendrot, D799)
4)ノルマン人の歌(Normans Gesang, D846)
5)タルタロスの群れ(Gruppe aus dem Tartarus, D583)

2.シューベルト(2) 計14分50秒
6)漁師の調べ(Fischerweise, D881)
7)歌びとの持物(Der Sängers Habe, D832)
8)孤独な男(Der Einsame, D800)
9)プロメテウス(Prometheus, D674)

3.ブラームス 計15分08秒
10)窓の前で(Vor dem Fenster, op.14-1)
11)ソネット(Ein Sonett, op.14-4)
12)恋人への通い道(Der Gang zum Liebchen, op.48-1)
13)マリーの殺害(Murrays Ermordung, op.14-3)
14)昔の恋(Alte Liebe, op.72-1)
15)おお涼しい森よ(O kühler Wald, op.72-3)
16)打ち勝ちがたい(Unüberwindlich, op.72-5)

マルクス・ヴェルバという名前を聞いて、リートファンならばその姓に反応すると思うが、往年の名伴奏者エリック・ヴェルバ(Erik Werba: 1918-1992)はマルクスの大叔父にあたるそうだ。
若く張りのある声と男性的な力強さをもった声質は将来を期待させる逸材だろう。
日本でもリートリサイタルを開いたはずだが、確か新人としてはかなり高価だった為チケットを買うのを見送ってしまった。
今回のウィグモア・ホール・ライヴのプログラムを見ると、決してポピュラーな曲の寄せ集めにはなっていない。
歌曲を深く味わう者だけが組めるような意欲的な選曲である。
そして、実際の歌唱も期待を裏切らぬ声の魅力と言葉さばきの美しさ、そしてテキストを重視しながらもメロディーラインを美しく際立たせる才能を感じた。
シューベルトも素晴らしいが、特にブラームスはヴェルバの良さがひときわ生きる素晴らしい歌唱である。
「マリーの殺害」のドラマをぜひ聴いていただきたい。

ピアノのガリー・マシューマンはイギリス出身の歌曲ピアニスト。
イギリスは昔から歌曲伴奏の名手を数多く輩出してきた。
ハロルド・クラクストン、アイヴァー・ニュートン、ジョージ・リーヴズ、ジェラルド・ムーア、アーネスト・ラッシュ、ジェフリー・パーソンズ、ジョン・コンスタブル、ロジャー・ヴィニョールズ、グレアム・ジョンソン、チャールズ・スペンサー、ジュリアス・ドレイク、マルコム・マーティノー等々。
上記のピアニストの中にはイギリス生まれではない人も含まれているが、みな活動の拠点をイギリスに置いた人たちばかりだ。
こうしたイギリスの伝統の一つを脈々と受け継ぐ人材が現れてくるのは頼もしい限りである。
ここでのマシューマンの演奏は、堅実だが雄弁で、細やかな表情をつけて実に気持ちよいピアノを聴かせている。
「夕映えの中で」の内声の響かせ方や「恋人への通い道」での歌わせ方など思わず惹き付けられる。

いつまで聴けるか分からないので、興味のある方はお早めに!

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白井光子&ハルトムート・ヘル/ウィークエンドコンサート(2011年11月5日 第一生命ホール)

<ウィークエンドコンサート2011-2012>第一生命ホール10周年の10days第3日
音楽のある週末 第8回 白井光子&ハルトムート・ヘル リートデュオ
2011年11月5日(土)14:00 第一生命ホール(Dai-ichi Seimei Hall)(1階2列13番)

白井光子(Mitsuko Shirai)(mezzo soprano)
ハルトムート・ヘル(Hartmut Höll)(piano)

A.スカルラッティ/すみれ
Alessandro Scarlatti / Le Violette (anonymus)
F.シューベルト/ばら(詩:シュレーゲル)
Franz Schubert / Die Rose (Schlegel) D.745
C.レーヴェ/献身の花(詩:リュッケルト)
Carl Loewe / Die Blume der Ergebung (Rückert) op.62-6
F.リスト/花と香り(詩:ヘッベル)
Franz Liszt / Blume und Duft (Hebbel)
A.ウェーベルン/花のあいさつ(詩:ゲーテ)
Anton Webern / Blumengruß (Goethe)

R.シューマン/待雪草(詩:リュッケルト)
Robert Schumann / Schneeglöckchen (Rückert) op.79-26
R.シューマン/においすみれ(詩:シャミッソー)
Robert Schumann / Märzveilchen (Chamisso) op.40-1
R.シューマン/新緑(詩:ケルナー)
Robert Schumann / Erstes Grün (Kerner) op.35-4
R.シューマン/ジャスミンの茂み(詩:リュッケルト)
Robert Schumann / Jasminenstrauch (Rückert) op.27-4
R.シューマン/私のばら(詩:レーナウ)
Robert Schumann / Meine Rose (Lenau) op.90-2

R.シュトラウス/目ざめたばら(詩:ザレット)
Richard Strauss / Die erwachte Rose (Sallet) WoO.66
R.シュトラウス/イヌサフラン(詩:ギルム)
Richard Strauss / Die Zeitlose  (Gilm) op.10-7
R.シュトラウス/矢車菊(詩:ダーン)
Richard Strauss / Kornblumen (Dahn) op.22-1
R.シュトラウス/きづた(詩:ダーン)
Richard Strauss / Efeu (Dahn) op.22-3
R.シュトラウス/ゲオルギーネ(詩:ギルム)
Richard Strauss / Die Georgine (Gilm) op.10-4

~休憩~

M.レーガー/希望に寄す(詩:ヘルダーリン)
Max Reger / An die Hoffnung (Hölderlin) op.124

C.レーヴェ/はすの花(詩:ハイネ)
Carl Loewe / Die Lotosblume (Heine)
R.フランツ/ばらは嘆いた(詩:ミルツァ=シャッフィ)
Robert Franz / Es hat die Rose sich beklagt (Mirza-Schaffy)
A.ウェーベルン/似たものどうし(詩:ゲーテ)
Anton Webern / Gleich und gleich (Goethe)
D.ミヨー/花のカタログ(詩:ドーデ)
Darius Milhaud / Catalogue de Fleurs (Daudet)
 すみれ La Violette
 ベゴニア Le Bègonia
 フィティラリア Les Fritillaires
 ヒヤシンス Les Jacinthes
 クロッカス Les Crocus
 ブラキカム Le Brachycome
 エレムルス L'Eremurus

H.ヴォルフ/クリスマス・ローズにI:森の娘(詩:メーリケ)
Hugo Wolf / Auf eine Christblume I: Tochter des Walds (Mörike)
H.ヴォルフ/クリスマス・ローズにII:冬の大地は眠り(詩:メーリケ)
Hugo Wolf / Auf eine Christblume ll : Im Winterboden (Mörike)
H.ヴォルフ/花でわたしを覆って(詩:ガイベル)
Hugo Wolf / Bedeckt mich mit Blumen (Geibel)
H.ヴォルフ/めぐり来る春(詩:ゲーテ)
Hugo Wolf / Frühling übers Jahr (Goethe)

~アンコール~
シューマン(Schumann)/はすの花(Die Lotusblume, op.25-7)
シューマン(Schumann)/ばらよ、ばらよ(Röselein, Röselein, op.89-6)
ヴォルフ(Wolf)/癒えた者が希望に寄せて(Der Genesene an die Hoffnung)
山田耕筰(Kosaku Yamada)編/中国地方の子守歌
ウェーベルン(Webern)/似たものどうし(Gleich und gleich)
ヴォルフ(Wolf)/似たものどうし(Gleich und gleich)
ウェーベルン(Webern)/花のあいさつ(Blumengruß)

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奇しくも世界的な「ミツコ」2人(内田と白井)を2日連続で聴くこととなった。

第一生命ホールははじめて訪れたが、都営大江戸線の「勝どき」駅から徒歩数分のところにある。
「築地市場」には浜離宮朝日ホールの公演でしばしば行くのだが、その隣駅にこんな立派なホールがあるとは気付かなかった。
晴海の雰囲気も散歩にちょうど良い素敵な場所であった。

プログラムはホール十周年記念で「花」にちなんだ作品が中心に編まれたとのことだが、二転三転の後、上記のように変更された。
震災の影響で「希望」にちなんだ作品が大量に追加される予定だったのだが、そのうちレーガーの「希望に寄す」以外は最終的に省かれていた(ヴォルフの曲は結局アンコールで歌われたが)。

白井光子は大病克服後、完全に復活したばかりか、新しい彼女の世界をつくりあげたようだ。
以前の完璧なコントロールの代わりに、彼女の表現には、俗な言い方だが“人間味”がより前面に出てきた。
昔ほど苦もなくあらゆる音域の声が出るというわけではないようだが、そこは彼女のこと、年齢に応じた表現方法を模索したのだろう。
もはや病気のことを云々する必要もないほどに、張った時にはコクのある味わい深い響きがホールを満たし、弱声ではその表情の豊かさに一層の磨きがかかったように感じた。

花を刺繍したピンクの和風な衣裳をまとって登場した白井光子は気のせいか一回り小さくなったような印象を受けた。
にこやかな笑顔で聴衆の拍手にこたえるが、演奏に入ると一瞬で顔つきが作品の世界に入りこんでいく。
その集中力と瞬発力は彼女ならではのものである。

冒頭のスカルラッティの「すみれ」は古典歌曲の定番ともいえるものだが、白井のイタリア歌曲はあまり聴いたことがなかったので新鮮だった。
ここでもドイツリートの時のような細やかな言葉さばきを聴かせながら、リズミカルに歌っていた。
そしてガラスのように繊細なシューベルトの「ばら」が続き、その後に珍しいレーヴェの「献身の花」が歌われた。
同じテキストによるシューマンの作品に比べて決して知られているとはいえないレーヴェの曲だが、その哀しげな表情はむしろシューマンの作品よりもテキストの内容に合っていて、より魅力的にすら感じられた。
バラード作曲家としてだけでなく、リート作曲家としてのレーヴェももっと評価されていいのではないか。
続くリストの「花と香り」は作曲家の記念年を意識した選曲なのかもしれない。
静謐な雰囲気の作品であった。
最初のブロックの締めはヴェーベルン初期の「花のあいさつ」。
まだ前衛色はなく、リート作曲の伝統にのっとった作品であった。

ここで拍手にこたえていったん袖に戻り、次はシューマン歌曲のブロック。
こうして集められてみると、シューマンの花にちなんだ作品はかなりよく歌われ、聴かれていることを実感する。
どれもシューマンらしい繊細な歌とピアノの表情が魅力的だが、とりわけケルナーの詩による「新緑」は、「緑のおかげで苦しみから癒されるのだ」というテキストが現状とリンクして白井さんの真摯な歌が沁みてきた。

前半最後のブロックはリヒャルト・シュトラウスばかり5曲。
シュトラウスもシューマン同様多くの花の歌を書いているが、白井さんは折にふれてコンサートでもそれらを披露してきた。
自分のものとしているレパートリーゆえに、自在な表現が心地よかった。
シュトラウスの歌曲は声を魅力的に響かせるように書かれているので、聴き手以上に歌い手が気持ちいいのではないかと思う。
この頃になると白井さんの声も完全に温まり、豊かな声の響きが聴かれるようになる。

休憩をはさんで後半はレーガーの比較的長い「希望に寄す」で始まった。
ヘルダーリンの詩ということで、これも白井さんのお得意のレパートリーなのかもしれない。
もともとはオーケストラ歌曲ということで、ヘルもピアノ歌曲の時以上に細部より全体の流れを意識した演奏だったように感じた。

この長大な作品の後、いったん袖にひっこみ、次のブロックはレーヴェ、フランツ、ヴェーベルン、ミヨーの歌曲。
「はすの花」もシューマンではなくレーヴェを選んだところに白井さんの様々な作曲家への愛情が感じられる。
フランツの「ばらは嘆いた」など、なかなか実演で聴く機会がないので貴重である。
ピアノパートの装飾音が印象的で、ちょっとブラームスの「ハンガリー舞曲」内の曲を思わせる哀愁漂う曲調が素敵な作品である。
ウェーベルンの「似たものどうし」は前衛色ばりばりだが、白井さんはよく歌うので、白井さんのファンにはお馴染みの作品だろう。
続くミヨーの「花のカタログ」は短い7曲からなる曲集で、当然フランス語により、白井さん自身による録音もある。
テキストは種袋の裏に書かれている説明のようなものとのことで、最後の曲など「開花は保証、・・・価格は郵便でお知らせします」などというテキストらしい。
いかにも洒落た雰囲気の小曲たちは白井さんの愛嬌あふれる歌でちょっとした息抜きとなった。

最後のブロックは白井さんお得意のヴォルフ4曲。
これらはもはや何も言う必要がないほどに、白井さんとヘルの絶妙な演奏に身を任せて楽しませていただいた。
本当に素敵な歌の花束!
「めぐり来る春」でも、えいやっと出す高音は彼女のたゆまぬ訓練の賜物なのだろうと感無量であった。

アンコールは例によって大盤振る舞い。
最初の2曲はシューマンの花にちなんだ歌曲。
正規のプログラムで歌われたレーヴェ作曲の「はすの花」と同じテキストによるシューマンの有名な作品を今度は聴かせてくれる。
こうした心遣いがうれしい。
3曲目を歌う前に白井さんの話があり、「作曲家同士の相性というものがあって、プログラムをつくるのは難しいのですよ」と変更を繰り返した弁明を茶目っ気たっぷりに述べて会場をなごませる。
そして、本来追加される予定だったヴォルフのメーリケの詩による「癒えた者が希望に寄せて」(コンサートで予定されていた訳題は「希望の復活」)が歌われた。
この曲、希望に抱かれて苦しみから癒えたと歌われた後でピアノが堂々たるファンファーレを鳴らす。
一時は体を動かすこともままならなかったという白井さんが歌うだけに説得力絶大な選曲である。
そして、その次のアンコールがこの日一番の驚きであった。
はじめて彼女が日本語で歌うのを聴くことが出来たのである!
ヘルのしっとりしたピアノ前奏に導かれて「ねんねこしゃっしゃりまーせー」と聞こえてきた時に、かつて義理人情の世界を捨ててドイツに飛び込んでいったという彼女の言葉が脳裏に浮かんできた。
ドイツ人以上にドイツ人になりきった彼女は、とうとう故郷の音楽に戻ってきてくれたのだ。
そこには一人の立派な日本人歌手による明晰で気持ちのこもった歌があった。
来春には日本歌曲のみによるリサイタル(もちろんヘルのピアノで)も予定されているという。
彼女の音楽のさらなる広がりに期待感を抑えきれない。
その後は正規プログラムでも歌われたヴェーベルンの「似たものどうし」が再び歌われ、袖に引っ込んでから次に歌ったのは同じテキストによるヴォルフ作曲の「似たものどうし」。
ここまでくると演奏者と聴衆の根気比べの様相を呈してくる。
さらにヴェーベルンの「花のあいさつ」も再度歌われたので、次に同じテキストによるヴォルフの「花のあいさつ」が歌われるのかなと期待していたら、拍手が終わってしまい、ステージ横の扉も寂しく閉まってしまった。
本当はヴォルフの「花のあいさつ」も歌うつもりだったのかもしれない。
そうだとしたら残念!

ハルトムート・ヘルは、白井の復活後、彼女の声に配慮してしばらく封印していたのではと感じられたダイナミクスの幅の広さやテンポの自由な伸縮を今回ほぼ解禁していた。
例えば、シュトラウスの「ゲオルギーネ(ダリア)」の前奏を彼は非常にスピーディーにささっと弾き進めてしまう。
だが、それは前奏を粗雑に扱っているというのではなく、前奏の音楽を彼なりに咀嚼したうえで、音楽的に主張した結果の表現なのではないか。
一つ一つの音を均一に丁寧に響かせるというのはヘルにとってはおそらく重要なことではないのである。
そこに音楽としての説得力のある流れが生まれることをヘルは目指しているのではないか。
好きかどうかは別として、確かにヘルの演奏の方向はぶれていないと思う。
そのようなヘルの自在な表現が可能になるほど、白井の音楽もまた四つに組んで対等な歌唱が可能になっていたことをあらためて実感できて嬉しかった。

大病という試練から見事に復活した彼女は我々に身をもって「希望」をもつことの大切さを教えてくれた。
聴衆もここで彼女たちからいただいた希望を大切に育てて、花開かせなければなるまい。

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内田光子/ピアノ・リサイタル(2011年11月4日 サントリーホール)

<サントリーホール スペシャルステージ>
内田光子ピアノ・リサイタル
2011年11月4日(金)19:00 サントリーホール(2階RA4列18番)
内田光子(Mitsuko Uchida)(Piano)

モーツァルト(Mozart)/幻想曲 ニ短調 K397
シューマン(Schumann)/ダヴィッド同盟舞曲集 op.6

~休憩~

シューベルト(Schubert)/ピアノ・ソナタ イ長調 D959

~アンコール~
モーツァルト/ピアノ・ソナタ第10番ハ長調~第2楽章

なかなか都合がつかず(日程と懐具合の両方の理由で)これまで聴けなかった内田光子をはじめて聴くことが出来た。
ほぼ満席のサントリーホール大ホールに登場した彼女は、あらゆる方向の客席にうれしそうな笑顔を送る貴婦人だった。

上半身は空色、その上にシースルーの衣裳をはおり、下はワインレッドのパンツという素敵な衣裳。
一流のデザイナーが手がけたのであろう。

彼女はお辞儀する際に90度以上に深く腰から曲げる。
ほぼ足に体がぴったりついているのではと思えるほど。
相当体が柔らかいに違いない。

事前にアナウンスされていたプログラムの前に、モーツァルトの「幻想曲 ニ短調」が追加されたが、これがまた絶妙な演奏だった!
1つ1つの音がえもいわれぬ美しさで胸に突き刺さる。
こういう古典の枠内での細やかな表情はそうそう味わえるものではない。
この作品でまずはぐっとわしづかみにされた。
これで携帯の電子音さえ鳴らなかったならどれほど良かっただろう(本当にいつまでもこの問題はなくならないものだなぁと思わされる)。

そして長大なシューマン「ダヴィッド同盟舞曲集」。
小品18曲が連なり、快活なフロレスターンと内省的なオイゼービウスの要素が曲ごと、あるいは1曲の中で交互にあらわれる。
シューマンらしいたゆたうようなメランコリックな曲調あり、威勢のいい曲あり、リズムに特徴のある曲ありと、次々とあらわれる音楽に身を任せているととても楽しい素敵な作品である。
彼の歌曲集でもよくあることだが、このピアノ曲集でも、最初の方に出たテーマが最後近くで再び現れたりする。
確かに非常に美しいテーマなので、複数回出てきても充分楽しめるのだが、シューマンなりの意図があるのかもしれない。
惜しむらくは私の席がステージ右側のやや奥よりだった為、内田さんの顔は正面から拝見できるのだが、ピアノの蓋で音が覆われている側なので、激しい曲の時にもこもこ音がこもってしまってその迫力が伝わってこないのである。
しかし不思議なことに、静かな曲の場合は、非常に美しく音が響いてくるのである。
フォルテの音数の多い箇所よりも、むしろ静かな箇所の方が明瞭に響いてくるので、まぁ安い席の宿命と思って、静かな曲を中心に味わうことにした。

後半はシューベルトの「ピアノ・ソナタ イ長調」D959。
内田さんはシューベルトがとても好きだとインタビューで読んだことがあるので、とても期待していた。
そして、その期待は見事に満たされたのである。
シューマンではもこもこ響いていた強音だが、シューベルト第1楽章の冒頭のがつんとくるフォルテはずしんとした手ごたえがあった。
和音の組み立て方の違いだろうか、シューベルトではその後もシューマンで感じたような響きの不満はあまり感じなかった。
内田さんは確かインタビューで、私が演奏するとオーストリア訛りになるというようなことを言っていた記憶がある。
今回、シューベルトのソナタを聴いていて感じたのが、細かいスケールの箇所などで結構テンポを速めに設定して、どんどん加速していくことである。
内田さんのしゃべりを以前ラジオで聞いた時に相当早口だったことが印象に残っているが、そういった語りの癖も演奏に反映しているのではないだろうかと、シューベルトのテンポの変化を聴きながら感じていた。
ただ、彼女の場合、ただ加速するだけではなく、最後にどっしりとしめて、うまく辻褄を合わせているところがいいなぁと感じた。
第2楽章は例の響きの問題で本来だったらもっと胸に突き刺さってくるだろうという箇所もあったが、孤独な歌の箇所は実に良かった。
最終楽章はシューベルトらしさ全開の穏やかで魅力たっぷりの音楽が続いていくが、そうした音楽を内田さんは本当に慈しむように大事に演奏していたのが素晴らしかった。

内田さんは演奏する時にフレーズの最初など鼻息をたてたりするのだが、最近このように演奏者が呼吸の音を立てることが多い気がする。
音楽と共に呼吸するということなのだろうか。

アンコールのモーツァルトのピアノ・ソナタ第10番から第2楽章の演奏はもう精巧なクリスタルのような響きの美しさにただただ聞き惚れた。
こういう演奏を聴くと、本当に終わって欲しくないという気持ちにさせられる。

満員の会場からはブラボーの嵐で、世界のウチダはやはりスターだったという印象を受けたコンサートだった。

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岡田博美/ピアノ・リサイタル「ふらんす plus 2011」(2011年10月29日 東京文化会館 小ホール)

岡田博美 ピアノ・リサイタル
ふらんす plus 2011
2011年10月29日(土)19:00 東京文化会館 小ホール(G列18番)

岡田博美(Hiromi Okada)(Piano)

イベール(Ibert)/物語(Histoires)
 金のかめを使う女
 小さな白いろば
 年老いた乞食
 おてんば娘
 悲しみの家で
 廃墟の宮殿
 机の下で
 水晶のかご
 水売り女
 バルキス女王の行列

ファリャ(Falla)/アンダルシアのセレナーデ(Serenata Andaluza)

ファリャ/ファンタシア・ベティカ(アンダルシア幻想曲)(Fantasia Baetica)

~休憩~

アルベニス(Albéniz)/イベリア第3巻(Iberia 3me Cahier)
 エル・アルバイシン
 エル・ポロ
 ラバピエース

セヴラック(Séverac)/來竹桃のもとで(カタルーニャ海岸の謝肉祭のタベ)(Sous les lauriers roses (Soir de Carnaval sur la Côte Catalane))

アルベニス(セヴラック補筆)/ナバラ(Navarra)

~アンコール~
ファリャ/「恋は魔術師」~火祭りの踊り
アルベニス/「スペイン」~タンゴ Op.165 No.2

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昼に北村朋幹のコンサートを聴いた後、上野に移動し、英国を拠点に活動する岡田博美のリサイタルを聴いた。
岡田が毎年東京文化会館 小ホールで催している「ふらんす plus」シリーズである。
今年はスペインとフランスが交錯する選曲となっている。

北村朋樹が鋭利な感性を武器にした若さあふれる振幅の大きな音楽を聴かせたのに対して、岡田博美は脂ののった余裕のある大人の音楽を聴かせてくれた。
どちらがいいというのではなく、どちらもそれぞれの年齢でこそ表現できる素晴らしさだと思う。

イベール作曲の「物語」は小品10曲からなり、それぞれにタイトルが付けられているが、各曲の楽譜の最後に書かれているそうで、あまり標題音楽としてとらえ過ぎない方がいいのだろう。
子供でも弾けそうな簡素な曲もあるが、岡田さんは洒脱で美しく磨かれた音で演奏して、どの曲にも愛情を注いでいたように感じられ、最初から心をつかまれた。
曲集中にはスペイン風の曲もあり、次のスペイン人ファリャへの作品へ違和感なくつないでいた。

続いてファリャの2曲が演奏されたが、ファリャは長いことパリに留学していたそうで、フランスの音楽語法も吸収して、作風を洗練化させたとのこと(寺西基之氏のプログラム解説による)。
「ファンタシア・ベティカ」はアルトゥール・ルービンシュタインの依頼で書かれたそうだが、期待していた華やかな技巧とは異なる曲風のため、ルービンシュタイン自身は徐々に弾かなくなってしまったとのこと。
だが、岡田さんの演奏を聴いていると、この作品華麗なことこのうえない!
高度なテクニックをもった岡田さんが演奏すると、これほどまでに華やかな演奏効果あふれる作品になるのだとわくわくしながら聴いた。

後半はアルベニスの「イベリア」から第3巻の3曲。
アルベニスもパリでフランスの作曲家と親交をもっている。
スペインのアンダルシア地方やマドリッドの歌や踊り、祭りの空気が魅力的に描かれ、情熱的で雑多な音が入り混じっているかと思えば、素朴な民謡が奏でられたりする。
その様々な要素を取り込んだエネルギーと民族色に満ちた作品を、岡田さんはスマート、かつ華麗に描き尽くす。
魅力的な曲と演奏だった。

その後、セヴラック(アルベニスにも師事している)の比較的規模の大きい「來竹桃のもとで」という珍しい作品が演奏され、最後は再びアルベニスの「ナバラ」。
こちらは未完部分をセヴラックが完成させているそうだ。
なかなか演奏効果にあふれた素敵な作品で、最後を飾るにふさわしく感じた。

ほぼ満席の客席からの割れんばかりの拍手喝采にこたえて岡田さんが演奏したアンコールは2曲。
最初の「火祭りの踊り」はそれはそれは凄かった!
悪魔が乗り移ったかのように自身をあおっていき、どこまでも激しく盛り上げていく。
これだけの演奏はそう聴けるものではないだろう。
終わった後の熱烈な拍手がそれを物語っていた。

その後にアルベニスのよく知られた「タンゴ」でしっとりと美しい響きを聴かせて、コンサートは終わった。

来年がいよいよ10年がかりの「ふらんす plus」シリーズの最終回とのことで、バッハ、ブレーズ、デュカスが予定されている。
私は2009年からしか聴けなかったが、とても充実したシリーズを堪能させていただいた。
最終回にも是非出かけたいと思っている。

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北村朋幹/ピアノ・リサイタル(2011年10月29日 かつしかシンフォニーヒルズ アイリスホール)

北村朋幹 ピアノ・リサイタル
2011年10月29日(土)14:00 かつしかシンフォニーヒルズ アイリスホール(B列9番)

北村朋幹(Tomoki Kitamura)(Piano)

M.トロヤーン(Manfred Trojahn)/夜想曲「春の夕暮れはもう此処に!」(Nocturne – déja là, printanier crépuscule)(12の前奏曲より第1曲)

ハイドン(Haydn)/ソナタ第42番ニ長調Hob.XVI.42
 Andante con espressione
 Vivace assai

ベートーヴェン(Beethoven)/ソナタ第16番ト長調Op.31-1
 Allegro vivace
 Adagio grazioso
 Rondo: Allegretto

~休憩~

ドビュッシー(Debussy)/12の前奏曲第2巻(Préludes deuxième livre)より
 ヒースの荒野(Bruyères)(第5曲)
 枯葉(Feuilles mortes)(第2曲)

ブラームス(Brahms)/6つの小品(Sechs Klavierstücke)Op.118
 Intermezzo a moll
 Intermezzo A dur
 Ballade g moll
 Intermezzo f moll
 Romance F dur
 Intermezzo Es dur

リスト(Liszt)/孤独の中の神の祝福(Bénédiction de Dieu dans la solitude)(「詩的で宗教的な調べ(Harmonies poétiques et religieuses)」第3曲)

~アンコール~
ドビュッシー/亜麻色の髪の乙女

(上記の欧文表記は配布プログラムには書かれておらず、個人的に追記しました)

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京成線青砥(あおと)駅から徒歩5分のところにあるかつしかシンフォニーヒルズへ初めて出かけてきた。
日暮里駅から特急で1駅目の青砥駅まで約10分。
青砥駅前にはなぜかヨハン・シュトラウスの像が立っていて、シンフォニーヒルズへ通じる道はシンフォニー通りと名付けられた気持ちのいい道だった。

北村朋幹は毎回異なるプログラムで聴き手に新しい体験をさせてくれる。
今回は「春と秋、2つの季節」をモチーフにしており、前半が春、後半が秋のイメージとのこと。
プログラムノートも彼自身が書いており、文筆の才能も披露している。

北村は去年から東京芸術大学に通っているが、プロフィールを見ると、2011年からベルリン芸術大学に在学とある。
海外の空気を吸ってさらに見聞を広めるのはよいことだろう。

楽譜をもって登場した北村は相変わらず華奢な印象。
さっと鍵盤をハンカチでぬぐうと演奏を始める。

最初はマンフレート・トロヤーンという作曲家の作品。
ネットで調べてみると1949年生まれの現役の作曲家とのこと。
音数が少なく、静かな響きがホールを満たす感じは、以前北村のコンサートの冒頭で聴いたアルヴォ・ペルトの作品を思い出させる。
こういう作品で音に耳を澄ませながら作品の世界に没入する北村はなかなかいい演奏をする。
馴染みがないことを意識させない選曲の良さもあるだろう。

トロヤーンの作品から間をあけずにすぐにハイドンのソナタに移る。
ちなみに楽譜を見ながら演奏したのはトロヤーンとハイドンのみで、その他は暗譜だった。
ハイドンの才気と軽快さは北村の若さが生きた新鮮な演奏だった。

前半最後のベートーヴェン「ソナタ第16番ト長調」は、レーゼルの演奏で印象に残っているユーモアを感じさせる作品。
北村はベートーヴェンということを意識したのか、かなり振幅の大きい演奏。
ダイナミクスが大きく、感情の幅も大きい。
そのことが良くも悪くも若さを感じさせた。
だが、今だからこそ出来る演奏という意味では、生硬さは残るもののベテランにはないみずみずしい生命力がそこには確かにあったといえるだろう。

休憩を挟み、後半最初はドビュッシーの「前奏曲集」から2曲。
これらは彼によく合っているレパートリーなのではないか。
とてもみずみずしく美しい演奏だった。

続くブラームスの小品集Op.118は以前ラ・フォル・ジュルネでも聴いた作品。
だが、国際フォーラムの会議室とは響きが違うせいもあるのか、今回の演奏の方が格段に素晴らしかった。
彼の作品への没入ぶりはそのままに、余分なものを削ぎ落としたような洗練さが感じられたのである。
各小品の異なる性格も見事に描き分けていたし、何よりも若い北村が晩年の作曲家の心境をここまで理解し、共感しているのが素晴らしい。
第6曲の後に間を置かずすぐにリストの大曲へとつなげていたのも、彼なりの考えあってのことだろう。

リストといえば絢爛豪華なテクニックばかりに注目が集まりがちだが、晩年の宗教色の強い作品にも味わい深い作品が多くあるようだ。
今回の「孤独の中の神の祝福」も比較的長い曲だが、非常に美しく、身を委ねてじっくりと聴けた作品だった。
いくらでもテクニックを誇示する作品があるのにあえてこういう選曲をする北村のプログラミングも興味深い。
一音一音の響きを大切にしているのが感じられるいい演奏だったと思う。

そして、アンコールではお馴染みの「亜麻色の髪の乙女」を素敵に演奏して終わった。

土曜日の午後ということでお子さん連れの方も見られたが、2000円ほどの価格でこれだけいい音楽と演奏を聴けるのだから、もっと多くの方に聴いてもらいたいコンサートであった。

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イモジェン・クーパー/ピアノリサイタル(2011年10月24日 トッパンホール)

イモージェン・クーパー ピアノリサイタル
2011年10月24日(月)19:00 トッパンホール(TOPPAN HALL)(D列6番)

イモージェン・クーパー(Imogen Cooper)(Piano)

シューベルト(Schubert)/3つの小品D946(3 Klavierstücke)
 変ホ短調
 変ホ長調
 ハ長調

ベートーヴェン(Beethoven)/ピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2《テンペスト》(Sonate für Klavier Nr.17 d-Moll Op.31-2 "Tempest")
 Largo - Allegro
 Adagio
 Allegretto

~休憩~

ブラームス(Brahms)/主題と変奏(弦楽六重奏曲第1番Op.18より第2楽章)(Thema mit Variationen d-Moll nach dem 2. Satz des Streichsextetts Op.18)

シューベルト/ピアノ・ソナタ第19番ハ短調D958(Sonate für Klavier Nr.19 c-Moll D958)
 Allegro
 Adagio
 Menuetto. Allegro
 Allegro

~アンコール~
シューベルト/アレグレット ハ短調D915

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私が個人的に大のお気に入りである英国のピアニスト、イモジェン・クーパーのリサイタルを聴いてきた。

今回彼女はワインレッドのシックなジャケットとドレスで登場した。
長身の彼女がステージを出入りする様は実に優雅で、英国淑女のイメージそのもの。
以前に比べると若干ふくよかになったかなという印象は受けるが、自然と醸し出される品の良さは変わらない。

今回は最初と最後にシューベルト、その間にベートーヴェンとブラームスが挟まれるというプログラミング。
彼女が得意なシューベルトだけでなく、ベートーヴェンやブラームスをどのように聴かせてくれるかも楽しみだった。

前半の演奏はどうも疲れていたのか、音の漏れやミスが散見される。
前日も磯子でリサイタルを開いたはずなので、2日連続は体力的にも酷なのではないか(さらにこの翌日には大阪公演も予定されている)。
ツアー日程に関して主催者側の配慮を求めたいところだ。
最初の「3つの小品」もシューベルトの明暗を行き来する美しい響きにどっぷりつかる幸福感は味わえたものの、本来の彼女ならもっと凄いはずと思ってしまう。

クーパーの演奏するベートーヴェンというのも珍しいのではないか。
「テンペスト」のドラマを彼女はドイツ人のようにかっちり、どっしりとは弾かない。
ここでもシューベルトで聴かれるような歌が彼女の演奏の基本にあるようだ。
丁寧で端正なタッチで演奏されることによって、他のピアニストとは異なる彼女らしい演奏となったことは確かである。
ただ、まだ自分の体にしみこんではいない迷いが多少感じられ、さらに弾きこむことでもっと魅力的な演奏になりそうな気がする。

休憩後のブラームスで彼女は本調子を取り戻したようだ。
厳格ながらロマンティックなブラームスの音の動きがクーパーの演奏と相性がいいようだ。
弦楽六重奏曲第1番の哀しくも美しい第2楽章をブラームスはいとしいクラーラのためにピアノ独奏用に編曲した。
私は昔ブレンデルのCDでこの曲をはじめて聴いたのだが、その美しいメロディは強く印象に残ったものだった。
ブレンデルの弟子でもあるクーパーはしかし、師匠とは随分違う演奏をする。
もっと素直でもっと端正だ。
ブレンデルよりもクーパーにより魅力を感じるのは、私自身の好みのピアニスト像に近いからだろう。
好みのピアニスト像というものが何なのかと言葉であらわすのは難しいのだが。

そしてシューベルトのソナタ第19番の演奏は圧巻だった!
最初の一撃からクーパーの思い入れの強さが他の曲を明らかに上回っていた。
早めのテンポで堂々とドラマティックに始まったが、そこにはいささかの迷いもなく、彼女が長年弾きこんで体にしみついている熟成された音楽があった。
歌にあふれた第2楽章では美しいカンタービレを聞かせ、せわしない第3楽章では浮つかないしっかりとした演奏を聴かせたが、長大なタランテラの終楽章をスタミナと集中力を持続させながらじっくりと構築していく彼女には脱帽だった。
やはり彼女の本領はシューベルトなのだとはっきり再確認できた素晴らしい演奏だった。

アンコールで弾かれたのはシューベルトの「アレグレット ハ短調」。
短調と長調の間を行き来する移ろいやすい美をクーパーは実にくっきりと魅力的に表現していた。

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