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佐々木典子&河野克典&三ツ石潤司/ヴォルフ「イタリア歌曲集」(2011年10月21日 東京文化会館 小ホール)

佐々木典子+河野克典デュオ・リサイタル
フーゴー・ヴォルフ イタリア歌曲集〈全曲演奏会〉

2011年10月21日(金)19:00 東京文化会館 小ホール(E列25番)

佐々木典子(Noriko Sasaki)(Soprano)
河野克典(Katsunori Kono)(Bariton)
三ツ石潤司(Junji Mitsuishi)(Piano)

フーゴー・ヴォルフ(Hugo Wolf: 1860-1903)/イタリア歌曲集(Italienisches Liederbuch)

 第1巻 全22曲(1890/91)

~休憩~

 第2巻 全24曲(1896)

~アンコール~
ヴォルフ/隠棲(Verborgenheit)(佐々木 & 三ツ石)
ヴォルフ/アナクレオンの墓(Anakreons Grab)(河野 & 三ツ石)
メンデルスゾーン(Mendelssohn)/スズランと花々Op.63-6(Maiglöckchen und die Blümelein)(佐々木 & 河野 & 三ツ石)

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なんと楽しくわくわくする瞬間の連続だったことだろう!!
ヴォルフの「イタリア歌曲集」全曲を聴いて、休憩15分を挟んだ1時間40分があっという間に過ぎていってしまった。

この歌曲集、男女の恋の駆け引きを扱ったイタリア起源の短い詩の独訳に作曲したものとして、ヴォルフの作品中で特殊な位置を占めていると思う。
そして、全曲で46もの歌があるものの、各曲1~2分前後、長くても4分ほどというコンパクトさで、一気に聴き続けることが出来る。
しばしば演奏者によって、曲の順序を入れ替えて独自の効果を試みることも少なくないが、今回はヴォルフの配列どおりに進み、前半に第1巻の22曲、後半に第2巻の24曲が演奏された。
ヴォルフ自身はこの第1巻と第2巻の間に5年間ものブランクをあけているが、両者の間に大きなギャップはなく、ミックスしようが、そのまま演奏しようが、曲の楽しみは損なわれない。
そして、今回のヴォルフ自身の配列をあらためて聴いて、このオリジナルの順序も非常に周到に考慮されていて見事な配列だなぁと実感させられることとなった。

東京文化会館小ホールの舞台には、ピアノの前にいすが2つ離れて置かれ、左側のいすの前には水差しと花瓶を置いたテーブルが置かれている。
また、中央には譜面台が置かれていた。
そして演奏者が登場すると、花瓶には花が挿され、そのテーブル近くの席にソプラノの佐々木典子、そして右側の席にバリトンの河野克典が座った。
2人の歌手の手にはヴィーンのMusikwissenschaftlicher Verlagから出版されている緑色のヴォルフ全集の楽譜があった。
蓋を全開にしたピアノの前に座った三ツ石潤司は眼鏡をかけて、第1曲の「小さなものでも」を演奏し始めた。

佐々木さんは全身黒ずくめの、体にフィットしたドレスで登場したが、いくらでも衣裳に凝りようがある作品で、あえて黒を選んだのは、様々なタイプの女性が登場するうえで、かえって1つのイメージにとらわれず、聴き手のイメージをふくらます意味で効果的だったように感じた。
風邪気味だったのか(合間に水をよく飲んでいた)、最初のうち、若干音程があがりきらない箇所もあったものの、徐々に調子をあげ、語るような箇所も歌い上げる箇所もよく通る芯のある声を響かせて、抗えない魅力を振りまいた。
ちょっとした表情や仕草で、曲ごとに異なる女性像を一瞬のうちに浮かび上がらせてくるのはさすがオペラで主役を張る名歌手だけのことはある。
またアンコールで歌われた「隠棲」での実に真摯な表現も心に迫ってきて感動的だった。

河野さんの歌唱はあたかもネイティヴの歌手が歌っているかのように発音も発声も全く無理がなく、まろやかに美しく響いてくる。
世界中の優れた現役リート歌手を数えても10人の中に入るのではないかと思うほど、その歌唱は脂が乗り切っていて本当に素晴らしい。
わが国からこのような第一級のリート歌手が輩出されたということに誇りをもちたいほどだ。
以前彼の歌唱を聴いた際にテキストの間違いが少なくなかったのが唯一惜しかった点だったのだが、今回は楽譜を前に置いた為、殆ど問題なく歌われたのが良かった。
彼は真摯な表現が得意だと思いこんでいたのだが、このヴォルフの歌曲集でさりげなく何の無理もなく自然に声色や口調を変えて表現されたユーモア感覚は新たな発見であった。
これほどコミカルな歌唱にも長けていたとは・・・。

歌手たちは2人とも楽譜を置き、軽く目で追いながら歌っていたが、それでも出る箇所を間違える場面は多少出てくる。
そうしたアクシデントの際に聴衆に気付かれずにうまく対応する三ツ石氏の手腕も実に見事だった。
三ツ石さんのピアノはさくさくと滞りなく進む為、最初のうちは曲によってはちょっと薄味だなぁと感じたりもしていたが、曲が進むにつれ、徐々に立体的な遠近感が生まれ、緊張感が途切れないように曲を進めながら、次々とこれらの難曲たちを雄弁にピアノに語らせていたのは大したものだと感心することしきりだった。
「ああなんて長いこと待ってたのかしら」におけるたどたどしいヴァイオリン演奏を模した後奏など、必ずしもヴォルフの指示通りではないながらも実に洒落っ気たっぷりのぎこちなさを演じていたし、「恋人に焦がれ死ぬような想いをさせたいなら」での風になびく髪を模したようなアルペッジョでの美しさなど、ピアノパートに聞き惚れる瞬間もしばしば。
テクニックも万全で、「深い底にあの人の家が呑み込まれたらいいのよ」や「私ペンナに恋人がいるの」などの技巧的な作品では華麗な技を惜しげもなく披露していて素晴らしかった。

基本的には歌っている人が楽譜立ての前で立ち、歌い終えた歌手は椅子に座っている為、演技は歌っている人が中心だったのだが、たまに相手を向いて感情をむき出しにする場面があると、相手も椅子のうえで軽く反応したりするのもいい雰囲気だった。

配布された歌詞集は歌手2人が自分の歌うテキストを担当して訳していた。
ヴォルフの「イタリア歌曲集」はもっと演奏会で取り上げられてもいいのにと思わずにはいられないほど、非常に楽しいコンサートであった。
ヴォルフと3人の演奏家たちにブラヴォー!

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