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髙橋節子&小林道夫/ソプラノリサイタル2011(2011年7月10日 白寿ホール)

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髙橋節子ソプラノリサイタル2011
2011年7月10日(日)18:30 Hakuju Hall(白寿ホール)(全自由席)

髙橋節子(Setsuko Takahashi)(Soprano)
小林道夫(Michio Kobayashi)(Piano)

J.S.バッハ(Bach: 1685-1750)

『シェメッリ歌曲集』より(aus Schemellis Gesangbuch)
来たれ、魂よ、この日は(Kommt, Seelen, dieser Tag BWV479)
われは汝にありて喜び(Ich freue mich in dir BWV465)
神よ、汝の恵みはいかに大きく(Gott, wie groß ist deine Güte BWV462)
甘き死よ来たれ(Komm, süßer Tod BWV478)

カンタータよりアリア(Arien aus Kantaten)
来たりませ、私の心の家に(Komm in mein Herzenshaus BWV80)
私は涙の種をまく(Ich säe meine Zähren BWV146)
信仰深きわが心よ(Mein gläubiges Herze BWV68)

シューベルト(Schubert: 1797-1828)

秘めた恋(Heimliches Lieben D922)
恋人のそばに(Nähe des Geliebten D162)
若い修道女(Die junge Nonne D828)

~休憩~

ブラームス(Brahms: 1833-1897)

ジプシーの歌(Zigeunerlieder Op.103)
 さあ、ジプシーよ
 高く波立つリマの流れよ
 おまえたちは知っているかい、ぼくのいとしい人が
 神さまもご存知よね
 日焼けした若者が
 三つのバラが並んで
 いとしい人よ、想い出すでしょう
 真っ赤な夕焼け雲が

プフィッツナー(Pfitzner: 1869-1949)

鳥の呼び声が聞こえる(Ich hör'ein Vöglein locken Op.2 no.5)
菩提樹の下で(Unter der Linden Op.24 no.1)
母なるヴィーナス(Venus mater Op.11 no.4)
その昔(Sonst Op.15 no.4)

~アンコール~
プフィッツナー(Pfitzner)/それで空は春にそんなに青いのか(Ist der Himmel darum im Lenz so blau? Op.2 no.2)
シューベルト(Schubert)/至福(Seligkeit D433)
シューベルト/連祷(Litanei D343)

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新宿から小田急線で3駅目の代々木八幡駅で下車して5分ほどのところにある白寿ホールにはじめて出かけてきた。
最近建てられたホールの多くが都会のど真ん中という印象が強いのに対し、このホールは商店街を歩いた先にある。
開場まで1階ロビーで待つことになり、開演30分前にエレベーターで7階に上がるように言われた。
このホール、木が基調であることは他と同じだが、デザインはかなり現代的で凝っている。
しかし、その響きは実に美しく、音楽ホールとしてよく考えられて設計されたことがうかがえる。

ソプラノの髙橋節子さんはもう何度も生で聴いているが、常に充実した歌を聞かせてくれる歌手の一人であり、プログラミングも毎回楽しみな人である。
そして今回は名手小林道夫氏がピアノを担当するということで、久しぶりに小林氏の歌曲演奏を聴けるチャンスを逃すまいと会場までやってきた。

髙橋さんは前半を黒のドレス、後半をワインレッドの鮮やかなドレスに着替えていたが、シックな趣は一貫している。

はじめはバッハを7曲。
歌曲のリサイタルでバッハをこれだけまとめて聴く機会はなかなかない。
おそらくバッハの名手、小林氏と編み上げた選曲なのではないか。
背筋がぴんと伸びるような厳かさがある中で、人の苦悩を神に訴えるという人間的なテキストをもった作品群である。
髙橋さんの声は最初から清冽な美声をたっぷり響かせて、バッハの俗世を超えた音楽を美しく表現していた。
まさに浄化作用のある声と作品。
小林氏の余分なものを排したような響きは、もはやピアノという楽器を超えて、音楽そのものであった。

続くシューベルトでは一転してロマンの香りが溢れる。
官能的な愛の喜びを歌った「秘めた恋」から、より素朴な恋人への思いを歌った「恋人のそばに」、そして天上の花婿に語りかける「若い修道女」と、女性の三つの場面を選びとった選曲も見事だったが、それを、各曲の女性のキャラクターに合わせて美しく表現した髙橋さんの歌唱は素晴らしかった。
そしてバッハとは異なるロマン派歌曲演奏家としての小林氏の演奏は、ここでもペダルを決して乱用せず、ありのままの音を響かせる。
ごまかしの効かない演奏をする小林氏の演奏は、作品の良さをそのまま伝えてくれたように感じた。

後半のブラームスの「ジプシーの歌」は個人的に大好きな作品ながら、なかなか実演で聴けないので楽しみだった。
髙橋さんはここで声色の変化も加えながら、奔放な表現を目指していたように感じられ、清冽な声の特質も相まって、独自の魅力を放っていた。
比較的軽目の音が特徴的な小林氏にとって、この「ジプシーの歌」は新たな一面を聞かせてもらったような気持ちである。
ほとんど年齢を感じさせない指使いで、この激しい作品を必要な重みをもって、しっかりと演奏していた。

最後のプフィッツナーの作品は私にとって馴染みの薄い作品ばかりだったが、3曲目の「母なるヴィーナス」はR.シュトラウスの分散和音が美しい「子守歌」と同じテキストが用いられており、両者の違いが非常に興味深かった。
こういう珍しい作品をステージにのせてくれるのが、髙橋さんのリサイタルの楽しみの一つである。
最後の「その昔」はアイヒェンドルフの詩によるが、アイヒェンドルフよりもさらに昔の時代における宮廷の雅な物語が、それに合わせたプフィッツナーの音楽によって、楽しく語られる。
かつてエディット・マティスのマスタークラスでこの曲が取り上げられた時に、マティスは「テキストの内容を聴衆が知っている必要がある」というようなことを言っていたが、確かに配布プログラムの対訳(髙橋さん自身による)を見ながら聴くと、より楽しめる作品だろう。

Takahashi_kobayashi_20110710_chiras

アンコールは3曲。
最後のシューベルト「連祷」は震災への思いから選曲されたものと思われる。
心洗われる作品である。
今後、歌曲のコンサートでこの曲を聴く機会が増えそうな予感である。

髙橋さんの来年のコンサートはどのような選曲なのか、今から楽しみにしたい。
そしてすでに70代後半の小林道夫氏のほとんどミスのない充実した演奏も驚異的だった。
今後もまだまだ演奏を聞かせていただきたいピアニストである。

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三浦文彰&イターマル・ゴラン/ヴァイオリン・リサイタル(2011年7月8日 東京オペラシティ コンサートホール)

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プロジェクト3×3 Vol.3
三浦文彰 ヴァイオリン・リサイタル

2011年7月8日(金)19:00 東京オペラシティ コンサートホール(1階9列32番)
三浦文彰(Fumiaki Miura)(Violin)
イターマル・ゴラン(Itamar Golan)(Piano)

モーツァルト(Mozart)/ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調K.378
 I.Allegro moderato
 II.Andantino sostenuto e cantabile
 III.Rondo: Allegro

ベートーヴェン(Beethoven)/ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調op.96
 I.Allegro moderato
 II.Adagio espressivo
 III.Scherzo: Allegro
 IV.Poco allegretto

~休憩~

ストラヴィンスキー(Stravinsky)/ディヴェルティメント(Divertimento)
 I.Sinfonia: Andante - Vivace agitato
 II.Danses Suisses: Tempo giusto - Valse - Poco piu lento
 III.Scherzo: Moderato - Allegretto grazioso
 IV.Pas de deux: Adagio - Allegretto grazioso - Presto

プロコフィエフ(Prokofiev)/ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調op.94bis
 I.Moderato
 II.Scherzo: Presto
 III.Andante
 IV.Allegro con brio

~アンコール~
パラディス(Paradis)/シチリアーナ(Siciliana)
福田恵子/赤とんぼの主題による変奏曲

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2009年10月にハノーファー国際コンクールで史上最年少で優勝した三浦文彰のリサイタルを聴いた。
共演はレーピンなど世界中の弦楽器奏者とのコンビで著名なリトアニアのピアニスト、イターマル・ゴラン。
1993年生まれの三浦と、1970年生まれのゴラン、その年齢差は23歳と大きい。
しかし、例えばF=ディースカウとムーアの年齢差も26歳であり、ベテランと若手の組み合わせは時に大きな可能性を感じさせる。

客層はいつものコンサートと比べて明らかに親子連れが多い。
ヴァイオリンを習っている子供たちにとってもすでに憧れの存在なのだろう。
私の席は1階席の一番右。
顔を左に向けて聴き続けることになるが、響きは決して悪くなかった。

前半はモーツァルトとベートーヴェンという古典の大家の作品を並べ、三浦の意欲をうかがわせる。
三浦の演奏は意外と律儀で丁寧な印象。
最初だからか、若干線が細い印象も受けるが、遠慮なく作品に切り込んでいくイタマール・ゴランのピアノの雄弁さゆえにそう感じたのかもしれない。

なお、ベートーヴェンのソナタの演奏前にはゴラン氏の挨拶があり、次いで三浦氏が訳してくれた。
「震災で亡くなった人に次のベートーヴェンの演奏が届くことを願う」というような内容であった。

素晴らしかったのは後半のストラヴィンスキーとプロコフィエフ。
近代作品特有の多彩な色どりとリズムを三浦はより自由さを増して、堂々と表現していく。
ヴァイオリンのテクニック的なことは私には分からないが、きっとこれだけ見事に演奏するのは凄いことなのだろう。
曲も印象的で惹きつけられる。
プロコフィエフのソナタの第1楽章など、一見単純なピアノの和音連打で始まるのかと思いきや、独特の節回しでプロコフィエフの世界が展開していく。
この作曲家の作品は、その意外な展開と体が乗ってくるようなリズムで、すぐに惹きつけられる作品が多い。
その作品の素晴らしさを、三浦と、非常に立体的なゴランの演奏で堪能できた。

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アンコールの2曲目では「みなさんのよくご存知の曲を」という三浦氏の挨拶の後で「赤とんぼ」をテーマにした作品が演奏された。
こういう曲を聴くと、普段は意識することがなくとも、日本人の血が流れていることを実感させられる。
胸が熱くなるような曲と演奏だった。

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ポール・ルイス/シューベルト・チクルス Vol.2(2011年7月1日 王子ホール)

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シューベルト・チクルス 全5回 Vol.2
2011年7月1日(金)19:00 王子ホール

ポール・ルイス(Paul Lewis)(ピアノ)

フランツ・シューベルト(Franz Schubert)作曲

12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ Op.18, D145より11曲
 1.ワルツ1番 ホ長調
 2.ワルツ2番 ロ長調
 3.レントラー2番 変ホ長調
 4.レントラー3番 変イ長調
 5.レントラー10番 変ニ長調
 6.レントラー11番 変ニ長調
 7.ワルツ9番 嬰ヘ長調
 8.ワルツ10番 ロ短調
 9.ワルツ8番 変ホ短調
 10.ワルツ6番 ロ短調
 11.ワルツ12番 ホ長調

4つの即興曲 Op.90, D899

~休憩~

ハンガリーのメロディ ロ短調 D817

ピアノ・ソナタ第18番ト長調 Op.78, D894「幻想」

~アンコール~
シューベルト/アレグレット ハ短調 D915

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イギリスのピアニスト、ポール・ルイスを初めて聴いた。
今回は4月から始まったルイスによるシューベルト・ツィクルスの第2回。
第1回は別のコンサートと重なって聴けなかった為、今回は楽しみに出かけてきた。
会場は満席。
すでに人気ピアニストとなりつつあるようだ。

ルイスはブレンデル門下とのこと。
そして、実際にルイスの演奏を聴いて、シューベルトの作品をこれほど細部にわたるまで立派に演奏するピアニストはそう多くないのではないかと思った。
それほどの完成度の高さ、安定感、そしてほどよい情感と歌心があった。
確かに現在聴ける最高のシューベルト演奏の一つだとは思った。
しかし、健康的で肉付きのよいその音は、時にシューベルトにしてはがっちりし過ぎていて、あたかもベートーヴェンを聴いているかのような気にさせられたのも事実である。
ルイスがシューベルトの世界に深く共感しながら演奏しているという印象は確かに受けたが、そこに作曲家の声、訴えかけのようなものがもっと感じられたならばさらに良かったに違いない。

とはいえ、これだけまとめてシューベルトのピアノ音楽を極めて充実した演奏で聴けたのは私にとって至福の時であった。
「幻想」ソナタなど、ともすれば聴衆を置いてけぼりにした自己陶酔の世界になりがちだが、ルイスの無駄のない若干早めのテンポによる演奏は、このファンタジーにあふれた作品をもたれることなく楽しませてくれた。
やはり非凡なピアニストであることは間違いない。
このシリーズはあと3回続けられる。
そのうちにルイスの演奏からシューベルトのより人間的な肉声が感じられる日が来るかもしれない。
今後の活動を楽しみにしたい。

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アンコールで演奏された「アレグレット」は晩年の作品のようだが、非常に美しく哀感の漂う印象的な曲だったことを付け加えておきたい。

NHKが録画していたので、いずれBSで放送されるだろう(放送日は未定とのこと)。

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フランチェスコ・トリスターノ/バッハ×ケージ(2011年6月30日 津田ホール)

Tristano_20110630

BACH × CAGE (bachCage)
2011年6月30日(木)19:00 津田ホール(D列4番)

フランチェスコ・トリスターノ(Francesco Tristano)(ピアノ)

フランチェスコ・トリスターノ/イントロイト(インプロヴィゼイション)
  Francesco Tristano (1981-) / Introit (Improvisation)

J.S.バッハ/パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825
  J.S.Bach / Partita n. 1 in Bb major, BWV825

ジョン・ケージ/ある風景の中で
  John Cage (1912-1992) / In a landscape (1948)

J.S.バッハ/
デュエット 第1番 ホ短調 BWV802
  J.S.Bach / Duet n.1 in E minor BWV802
デュエット 第2番 へ長調 BWV803
  Duet n. 2 in F major BWV803
デュエット 第3番 ト長調 BWV804
  Duet n.3 in G major BWV804
デュエット 第4番 イ短調 BWV805
  Duet n. 4 in a minor BWV805

~休憩~

ジョン・ケージ/四季
  John Cage / The Seasons (1947)

J.S.バッハ/パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830
  J.S.Bach / Partita n. 6 in E minor, BWV830

フランチェスコ・トリスターノ/グラウンドベース
  Francesco Tristano / Ground Bass (2004)

~アンコール~
フランチェスコ・トリスターノ/メロディ

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ルクセンブルク出身の若いピアニスト、フランチェスコ・トリスターノをはじめて聴いた。
彼はクラシックピアニストとしてだけでなく、テクノ音楽のグループAufgangの一員としての顔も持ち、作曲も手掛けるという多才な人だ。

今回のプログラミングは、フランチェスコ・トリスターノの自作を最初と最後に置き、その間にバッハとジョン・ケイジを交互に並べたもの。
ジョン・ケイジの作品といっても現代ものに疎い私は「4分33秒」ぐらいしか知らなかったので、そういう意味でも楽しみだった。

津田ホールは久しぶりだが、このこじんまりとした空間はいつ来てもほっとする。
今回は舞台上に照明機材が複数置かれ、ライティングも駆使することを予感させる。
登場したトリスターノは長身のモデルのような容姿で、いつになく若い女性の多い客層が納得できるほどだった。

演奏は前半は作品ごとの拍手はなく、最後まで通して弾かれたが、こうして弾かれることによって、「自作‐バッハ‐ケイジ‐バッハ」が一貫した流れの中に置かれ、時代の違いを超越していた。

冒頭に弾かれたトリスターノ自作の「イントロイト」は「インプロヴィゼイション」という副題の通り即興的な作品のようだが、彼は時折立ち上がりピアノの内部の弦をかすめたりなでたりはじいたりして、現代音楽的な響きを加えるかと思うと、内側から板を打楽器のように叩いたりもする。
叩く場所によって微妙に音が違うように感じられたのは、もともとの作りなのか、それともトリスターノの叩き方に関係があるのか。
いずれにせよ、普通のピアノリサイタルではまず触れない場所から様々な音をたてて、可能性を広げていたのはなかなか興味深かったし、結構効果的でもあったように感じられた。

自作の後、間をあけずにバッハの「パルティータ 第1番」に移ったが、この違和感のなさは逆に驚きだった。
トリスターノよりも音の粒が揃い、タッチが明瞭で、美しいバッハを弾くピアニストはいるだろうが、こういう流れで違和感なくバッハにつなげられる人はなかなかいないのではないか。
そういう意味でアイディアが一人歩きせず、しっかり効果をあげているのは、このピアニストのセルフプロデュースの上手さを示しているといっていいのではないか。

続くケイジの「ある風景の中で」という作品がまた非常に美しく、海の中のような薄暗い照明も相まって、分散和音の静かな繰り返しの中で徐々に沈潜していく気分になっていった。

そして前半最後はバッハのデュエットを4曲。
短い作品だが、前半の流れを締めくくるのに相応しい作品群と感じられた。

後半はケイジの「四季」といういわば組曲でスタートするが、「ある風景の中で」とは全く異なる前衛色の強い小品の連続は、これまでのプログラムの流れに新しいアクセントを効かせたのではないか。

その後、再びバッハに回帰し、一旦袖にはけた後、最後の自作「グラウンドベース」で締めくくられた。

聴衆への挨拶の後にアンコールとして演奏された「メロディ」はノリの良い作品だった。

舞台でのライティングは基本的にほの暗い中、時折ライトがピアニストに当てられたり、ケイジの「ある風景の中で」では青い照明、さらに後半では赤い照明で音楽に応じて静かに変わっていく。
おそらくこの照明のプランについてもトリスターノのアイディアなのではないか。

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ほとんどクラシックしか知らない私には、このコンサートの真意を正しく把握することが出来たとはとても言えない。
しかし、バッハと現代のある種の近さを実演を通じて感じさせてくれたトリスターノの世界にどっぷりひたることが出来たのは心地よい時間であった。

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