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アンデルシェフスキ/ピアノ・リサイタル(2011年5月21日 サントリーホール)

ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル

Anderszewski_20110521

2011年5月21日(土)19:00 サントリーホール(1階2列11番)
ピョートル・アンデルシェフスキ(Piotr Anderszewski)(piano)

J.S.バッハ(Bach)/フランス組曲第5番 ト長調 BWV816

シューマン(Schumann);アンデルシェフスキ編(arr. Anderszewski)/ペダルピアノのための練習曲(6つのカノン風小品)(6 Etudes in Canonic for pedal piano) op.56

~休憩~

ショパン(Chopin)/マズルカ(Mazurka) イ短調op.59-1
マズルカ 変イ長調op.59-2
マズルカ 嬰ヘ短調op.59-3

J.S.バッハ/イギリス組曲第6番 ニ短調 BWV811(English Suite No. 6 in D minor)

~アンコール~
シューマン(Schumann)/ 「森の情景(Waldszenen)」op.82 から
 3.孤独な花
 6.宿にて
 7.予言の鳥
 9.別れ

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ピアニストのピョートル・アンデルシェフスキの実演を聴くのは今回が2度目である。
そして、前回を上回る極めて充実した演奏に私はすっかり魅了されたのだった。

招聘元のサイトで予告されていた通り、この日のコンサートはアンデルシェフスキによるサプライズがあった(予告されていたものをサプライズとは呼べないかもしれないが)。
サントリーホール大ホールの中央やや右よりにピアノが置かれ、その左側に小さなテーブルと3つのソファが置かれている。
しばらくは調律師が一人ピアノの調律を行っていたが、それが済んでから間もなく、それは始まった。
つまり、アンデルシェフスキが女性(おそらくスタッフ)と共にステージに現れ、ソファに腰かけ、お茶を飲みながら何やらおしゃべりを始めたのだ。
それは開演時間近くまで続き、女性が袖にはけると、アンデルシェフスキは本を読んだり、両手を鍋つかみのような手袋で温めたりして一人の時間を過ごす。
そして会場が暗くなり、ステージにライトが当たると、座ってくつろいでいた(ような演技をしていた)アンデルシェフスキはおもむろに立ち上がり、すぐそばのピアノの前に向かう。
ここで会場から拍手があり軽く会釈をした後、すぐに演奏が始まった。
つまりはステージをサロンに見立てて、お茶やおしゃべりの合間に演奏するというインティメートな雰囲気を演出しようとしたのだろうか。
休憩時も同じような演出をしていたから、アンデルシェフスキなりの考えあってのことなのだろう。

プログラムは事前に変更されていたが、当日になってまた変更が発表され、冒頭に弾かれるはずだったイギリス組曲第5番の代わりにフランス組曲第5番となった。
また、ショパンのマズルカも配布されたプログラムに記載されているop.17の4曲から、op.59の3曲に変更された。

バッハで、シューマンとショパンをはさむというプログラミングはなかなか面白い。
しかもシューマンの「ペダルピアノのための練習曲」は「6つのカノン風小品」という副題がついているだけあってポリフォニックな動きをするので、バッハの後に違和感なく続けられる。
このシューマンの第1曲をアンデルシェフスキは靄がかかったような響きで弾き始め、バッハとの相違を一瞬にして印象付けたのだった。

さて、アンデルシェフスキの演奏であるが、バッハの「フランス組曲第5番」と「イギリス組曲第6番」は音が素晴らしく生きていた。
飛んだり跳ねたり、歌ったり、沈んだりと、変幻自在でリズミカルな表現。
バッハを聴いてこれほど楽しいと感じたことはなかなか無いほどだ。
それほど各曲のキャラクターが際立っていた。
アンデルシェフスキは演奏している時、非常にリラックスしているように見える。
姿勢を正してほとんど不動のまま演奏したかと思えば、顔を左右に振ったり、上下に振ったり、使わない方の手をひらひらさせたりと、あたかも自宅で弾いているかのように自由である。
ソファやテーブルなどのセットが演奏者に集中力とリラックスを与える助けになっているのだとしたら、単なる演出というよりは演奏家の心理的な支えとして必要なものなのかもしれない。

Anderszewski_schumann_cd

シューマンはポリフォニックな作風であっても明らかにシューマンならではの語法で描かれた作品だった。
アンデルシェフスキは実に細やかにしかも間延びしない推進力をもって非常に豊かに歌ってみせた。
これらのめったに演奏されない作品がアンデルシェフスキの手にかかると、親しみやすさと温かみを帯びるのが素晴らしい。
特に第5曲は鋭い音で跳ねるように演奏されることが多い中、アンデルシェフスキはゆっくりめのテンポで噛んでふくめるような味わいを出していた。

休憩後に演奏されたショパンのマズルカは、よく知られたop.59の3曲。
アンデルシェフスキにとってお国物なのだから十八番といってもいいだろう。
いつもながらのしっかりとした手ごたえのある演奏だったが、バッハやシューマンがあまりにも素晴らしかった為か、これらショパンの演奏は若干印象が薄く感じられた。

ショパンの後、前半のようにソファに戻ってお茶を飲むということもせず、続けてバッハが演奏された。
「イギリス組曲第6番」の第1曲「プレリュード」の実に雄弁だったこと。
アンデルシェフスキは決して強音で圧倒するようなタイプではないのだが、耳に優しい音でドラマを表現してしまうところが凄い。
可愛らしいガヴォットを経て、最後のジーグは乗りに乗っていた。

Anderszewski_20110521_chirashi

アンコールはオール・シューマン。
いずれも演奏前に"From "Waldszenen"(「森の情景」から)とコメントし、「予言の鳥」など4曲を演奏した。
次回の来日時には「森の情景」の全曲が聴けるのだろうか。
そんな期待をさせる温かくも美しいシューマンだった。

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河野克典&野平一郎/バリトンリサイタル 歌の旅Vol.2(2011年5月20日 東京文化会館 小ホール)

河野克典バリトンリサイタル 歌の旅Vol.2
ウィーンの空 マーラーとヴォルフ

2011年5月20日(金)19:00 東京文化会館 小ホール(B列18番)

河野克典(Katsunori Kono)(Bariton)
野平一郎(Ichiro Nodaira)(Piano)

フーゴー・ヴォルフ(Hugo Wolf)作曲

“メーリケ歌曲集(Mörike Lieder)”より
 祈り(Gebet)
 散歩(Fussreise)
 少年とみつばち(Der Knabe und das Immlein)
 ヴァイラの歌(Gesang Weylas)
 旅先で(Auf einer Wanderung)

“ミケランジェロの詩による3つの歌曲(Michelangelo-Lieder)”
 わたしはしばし思う(Wohl denk' ich oft)
 この世に生を受けたものは全て滅びる(Alles endet, was entstehet)
 わたしの魂はかんじえようか(Fühlt meine Seele)

~休憩~

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)作曲

“さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)”
 愛しい女(ひと)の結婚式の日に
 今朝 野原をとおっていった
 灼熱のナイフを僕は持っている
 彼女のふたつの青い瞳が

“子供の不思議な角笛(Des Knaben Wuderhorn)”より
 少年鼓手(Der Tamboursg'sell)
 歩哨の夜の歌(Der Schildwache Nachtlied)
 魚に説教するパドヴァの聖アントニウス(Des Antonius von Padua Fischpredigt)
 高き知性への讃歌(Lob des hohen Verstandes)

~アンコール~
ヴォルフ(Wolf)/世を逃れて(Verborgenheit)
ヴォルフ/アナクレオンの墓(Anakreons Grab)
ヴォルフ/あばよ(Abschied)
ジーツィンスキ(Sieczynski)/ヴィーン、我が夢の街(Wien, du Stadt meiner Träume)

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実に充実したコンサートだった。
ドイツ歌曲の歌い手として日本にこれだけ素晴らしく歌えるバリトン歌手がいたのかという思いで胸が熱くなった一夜だった。
それと同時にピアニストの野平一郎氏の驚くべき繊細かつ濃密な表現力!

河野克典氏の実演は4月に伊藤恵さんとのコンビでマーラー「亡き子をしのぶ歌」を聴いたのが初めてで、今回はリサイタルでたっぷり聴けるとあって楽しみにしていた。
ドイツ語の響きはネイティヴかと思うほど自然で美しく(しかしあまりごつごつしていなくて、適度にまろやかな感じ)、また声質も軽やかさと力強さを兼ね備え、どの声域でも全くむらのないまろやかな美声が保たれていた。
歌曲のミクロな世界からこれほど豊かな音楽を引き出せる人はドイツ人でも稀なのではないか。

唯一歌詞のミスがヴォルフでしばしば聞かれたのが惜しかったが、それでも自然に聴かせてしまうのはドイツ語をしっかり身につけておられるからこそだろう。
マーラーの「角笛」歌曲集のみ楽譜を見ながらの歌唱だったが、ヴォルフも歌詞が飛んでしまうのならば楽譜を見ながらでも良かったのではないか。

ヴォルフは渋みの比較的少ない、親しみやすい作品中心の選曲だったように感じたが、どの曲も非常に魅力的な歌唱とピアノだった。
しかし、休憩後のマーラーはさらに素晴らしかった。
「さすらう若人の歌」の真摯な演奏も魅力的だったが、特に「角笛」歌曲集、最後の2曲でのコミカルでシニカルな表現が印象に残った。

野平一郎氏は以前フォーレ歌曲のシリーズで数曲聴いたが、その時の素晴らしいピアノ演奏は強く印象に残ったものだった。
そして今回、フランスものだけでなく、全くタイプの異なるドイツリートへの同化力の凄さを感じて、とんでもなく優れたピアニストだとはっきり実感した。
ソロも室内楽も歌曲もこなし、さらに作曲もするとはなんと多才な音楽家なのだろう。
真にオールラウンドな芸術家なのだろう。
ヴォルフのピアノパートをこれほどの完璧さと豊かな輪郭と表現力をもって弾いたピアニストはなかなかいないのではないか。
決してだれることのない前へ前へと進む推進力と構成力は作曲家としての側面が影響しているのかもしれない。

アンコールは4曲中ヴォルフが3曲。
「世を逃れて」も「アナクレオンの墓」もヴォルフ入門には最適な美しい作品。
聴衆への気配りも感じられた選曲で、演奏も良かった。

Kono_nodaira_20110520_chirashi

惜しむらくは空席が多かったこと。
派手なプロモーションをしない為かもしれないが、真に優れた芸術家は声高に己をアピールしないものなのかもしれない。
ドイツリートの醍醐味をたっぷり味わえた素晴らしいコンサートだった。

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METライブビューイング《オリー伯爵》(2011年5月7日 新宿ピカデリー)

METライブビューイング2010-2011
ロッシーニ(Rossini)/《オリー伯爵(Le Comte Ory)》(新演出)(フランス語)
上演日:2011年4月9日
上映時間:2時間56分

2011年5月7日(土)10:00-(休憩1回含む) 新宿ピカデリー スクリーン6(B列6番)

指揮(Conductor):マウリツィオ・ベニーニ(Maurizio Benini)
演出(Production):バートレット・シャー(Bartlett Sher)
美術:マイケル・ヤーガン(Michael Yeargan)
衣裳デザイン:キャサリン・ズーバー(Catherine Zuber)
照明:ブライアン・マクデヴィット(Brian MacDevitt)

オリー伯爵(Count Ory):フアン・ディエゴ・フローレス(Juan Diego Flórez)(テノール)
女伯爵アデル(Countess Adèle):ディアナ・ダムラウ(Diana Damrau)(ソプラノ)
イゾリエ(Isolier):ジョイス・ディドナート(Joyce DiDonato)(メゾ・ソプラノ)
ランボー(Raimbaud):ステファン・ドゥグー(松竹の表記は“デグー”)(Stéphane Degout)(バリトン)
養育係(tutor):ミケーレ・ペルトゥージ(Michele Pertusi)(バス)
ラゴンド夫人(Ragonde):スサネ・レーズマーク(Susanne Resmark)(メゾ・ソプラノ)

The Metropolitan Opera

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「ニクソン・イン・チャイナ」以来久しぶりに、METライブビューイングを見てきた(ナタリ・ドゥセの歌う「ルチア」は見逃してしまったのでアンコール上映してくれることを期待)。
ロッシーニのオペラ「オリー伯爵」である。

いつもは始まる30分ぐらい前にこのシネコンに到着するのだが、今回は1時間前に到着したのが幸いだった。
当日券を購入したのだが、すでに前の2列の数席しか残っておらず、購入後ロビーで待っていると、開演30分前には完売とのアナウンスが流れた。
このオペラ(オリー伯爵)自体はそれほど頻繁に上演される作品ではないと思われるが、METの来日も近づき一度映画館で見ておこうというお客さんが多かったのだろうか。

「オリー伯爵」は私にとって初めて見る作品だった。
第1幕のほとんどは「ランスへの旅」からの流用なのだとか。
同じ音楽を自作の中で使い回すというのはいずこの時代にもあるのですね。
しかし、それが単なる繰り返しではなく、新しい筋の中で有効に生かされるように使われるのはやはりロッシーニの凄いところなのだろう。

十字軍遠征のために男不在となった城内の女性たち目当てに伊達男オリー伯爵一団が悩み相談をしたり、女巡礼者に変装してお城にまんまと入り込むという完全なるコメディー。
今回は、ロッシーニ時代の舞台を再現しようということで、裏方の装置を操作する人を俳優に演じさせたりしていたが、特に出ずっぱりだった年配の俳優がなかなか味わい深い。

主役を歌うフローレスもダムラウも実に芸達者。
仕草や顔の表情、歌い方も完全にコメディーに徹していながら、超絶技巧をこれでもかと繰り出してくるのは圧倒される凄さだった。
二人とも持っている声が澄んだ美しさと力強さを持っているので、コロラトゥーラでない場面の歌唱も非常に魅力的なのだ。
映画館の中だが、拍手したくなる場面もしばしば(もちろん我慢したが)。

ジョイス・ディドナート演じるイゾリエはいわゆるズボン役だが、容姿も含めてまさにはまり役。
普通の女性の役でも見てみたい才色兼備のメゾである。
伯爵のお付きランボー役のドゥグーも、伯爵の養育係役のペルトゥージも役になりきっていい歌手たちだったが、とりわけアデルと共に主人不在の城を守るラゴンド夫人役のレスマークというスウェーデンのメゾが貫禄を示して見事。
主役だけでなく全部の役に適材をあてた上質な素晴らしいコメディーを楽しめた。

ベニーニ指揮のオケ、合唱も美しく、奇をてらわないバートレット・シャーの演出も好感をもてた。

なお、今回の案内役はソプラノのルネ・フレミング。
次回作の「カプリッチョ」でマドレーヌを歌うことになっているが、彼女も他の歌手たち同様実に巧みなインタビュアーであった。
なお、この日の開演30分前になんとオリー伯爵を歌うフローレスが父親になったとのこと。
自宅で赤ちゃんを抱き上げてから急いで劇場に駆けつけたそうだ。

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2011(2011年5月3日~4日 東京国際フォーラム&よみうりホール)

今年のラ・フォル・ジュルネは使用可能な会場の制限や来日アーティストのキャンセルなどの関係でプログラムが全面的に変更され、縮小された。
そのどたばたは若干興を削いだが、それでも新たなプログラムでチケットがとれたので行くことにした(変更前のチケットも2枚だけそのまま有効だった)。
ともかく関係者の方々の尽力に敬意を表したい。

私は、5月3日から5日まで国際フォーラムで行われる有料公演のうち、最初の2日間に出かけた。
初日は人出がいまいちで、こんなにすんなりと広場を通り抜けられるラ・フォル・ジュルネははじめてと思ったほどだ。
しかし2日目は天気もよかった為か屋台や屋外ステージ前の椅子も満員で、以前の活気を取り戻しつつあるように感じた。
たまたま通りかかったインターネットラジオブースではアコーディオンの3人組が「ハンガリー舞曲第5番」を華麗に演奏して素晴らしかった。
またNHK-FMのブースも4日には設けられ、ピアニストのルイス・フェルナンド・ペレスが語っていたのを見ることが出来た(今回彼の演奏は聴けなかったが)。

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G-172
2011年5月3日(火・祝) 12:00-12:45
会場:ホールG409 (3列31番)

北村朋幹(ピアノ)

ブラームス/シューマンの主題による変奏曲 嬰へ短調 op.9

ブラームス/6つのピアノ小品 op.118

全曲楽譜を見ながらの演奏。
北村はあたかも憑かれたかのようなのめりこんだ表情で演奏する。
変に背伸びしていない、感じたままの演奏という印象だ。
Op.9はシューマンの「色とりどりの楽譜帳(Bunte Blätter)Op.99」の4曲目をテーマにした16曲からなる変奏曲で、とても美しい作品。
北村はある変奏が終わると時々「間」をあけてから次の変奏に移る。
作品の美しさや起伏をまっすぐに表現していて素晴らしかった。

op.118はブラームス晩年の思いのつまった大傑作で私も大好きな作品。
演奏は曲によっては若干未消化に感じられる箇所もあったが、北村の個性的な歌わせ方は他のピアニストからは聴けない才気があり、新鮮な演奏だった。
とりわけ第2曲の「間奏曲イ長調」は非常に細やかな表情があり素晴らしかった。
さらに弾きこんだ頃に再度聴いてみたいものだ。

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G-17a
2011年5月3日(火・祝) 13:15-14:00
会場:ホールG409 (2列3番)

ハンス・イェルク・マンメル(Hans Jörg Mammel)(テノール)
三ッ石潤司(Junji Mitsuishi)(ピアノ)

マーラー(Mahler)/さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)
 ぼくの好きだった人が結婚式をあげるとき
 今日の朝、野原を行くと
 ぼくは赤く焼けたナイフを持っている
 ぼくの好きだった人の二つの青い瞳

マーラー/リュッケルトの詩による歌曲集(Fünf Lieder nach Texten von Friedrich Rückert)
 私の歌の中まで覗きこまないで
 私はほのかな香りをかいだ
 真夜中に
 あなたが美しさゆえに愛するのなら
 私はこの世に忘れられている

シューマン(Schumann)/詩人の恋(Dichterliebe)

マンメルは相変わらず清冽な美声なのだが、聴いた席の関係か、若干声の伸びがいまいちな印象。
しかしドイツ語の美しさはほれぼれするほどで、誠実な歌唱でリートの醍醐味をたっぷり満喫させてくれた。
はじめて聴く三ッ石潤司のピアノが非常に素晴らしかった。
あらゆるニュアンスを細やかに付けながら、表現していく。

「詩人の恋」でおそらくうっかりだろうが、第14曲「夜ごときみの夢をみて(Allnächtlich ...)」をとばしてしまったような気が・・・。
まぁこれもコンサートという“なまもの”に付き物のハプニングということで・・・。

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G-17b
2011年5月3日(火・祝) 14:45-15:30
会場:ホールG409 (3列6番)

緑川まり(Mari Midorikawa)(ソプラノ)
緑川るみ(Rumi Midorikawa)(ピアノ)

レーガー(Reger)/12の宗教的なリート(12 Geistliche Lieder) op.137 より
 1.願わくは幸せな死を(Bitte um einen seligen Tod)
 2.主よ、汝の志をなせ(Dein Wille, Herr, Geschehe)
 3.ひとりの御子がわれらのために生まれたもうた(Uns ist geboren ein Kindelein)
 5.おお主なる神、われにあたえよ(O Herre Gott, nimm du von mir)
 8.朝の歌(Morgengesang)
 9.汝ただ嘆くなかれ(Laß dich nur nichts nicht dauern)
 11.神の苦しみへの嘆き(Klage vor Gottes leiden)
 12.おおイエス・キリスト、われら汝を待てり(O Jesu Christ, wir warten dein)

レーガー/素朴な歌 op.76 より マリアの子守歌(Mariä Wiegenlied)

シェーンベルク(Schoenberg)/キャバレーソング(Brettl-Lieder)
 ガラテーア(Galathea)
 ギゲルレッテ(Gigerlette)
 欲のない愛人(Der genügsame Liebhaber)
 単純な歌(Einfältiges Lied)
 警告(Mahnung)
 それぞれに取り分を(Jedem das Seine)
 アルカディアの鏡からのアリア(Arie aus dem Spiegel von Arcadien)

~アンコール~
アーン(Hahn)/クロリスに(À Chloris)
カプア(Capua)/オ・ソレ・ミオ(O Sole Mio)

珍しいレーガーやシェーンベルクの歌が聴けて、レパートリー的に貴重なコンサートだった。
どうやら緑川さんの選曲ではなく、ラ・フォル・ジュルネ側から依頼されたようだ。
全曲楽譜を見ながらの歌唱だった。

緑川まりさんはプリマ・ドンナのオーラを発散し、豪快で快活なキャラクターのトークを織り交ぜながら自分の世界を表現していく。
レーガーの静謐な作品も、シェーンベルクのくだけた官能的作品も、対応してしまえるのはオペラで培った表現力なのかもしれない。
時折発音が不正確になる傾向はあったが、伸びやかで強靭な声のパワーが聴衆を魅了した。

なお、まりさんの姉にあたるというピアノの緑川るみさんの引き締まった演奏がまた素晴らしかった。
きっとまりさんの強力なサポーターとしてオペラの時も支えとなっているのだろう。

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D-251
2011年5月4日(水・祝) 10:00-10:50
会場:ホールD7 (C列8番)

北村朋幹(ピアノ)
伊藤恵(ピアノ)

R.シュトラウス(北村朋幹編曲)/オペラ「カプリッチョ」より弦楽六重奏(序奏)(2台ピアノ版)
R.シュトラウス(北村朋幹編曲)/メタモルフォーゼン(2台ピアノ版)
ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲op.56b

R.シュトラウスでは北村が右(プリモか?)、ブラームスでは伊藤が右のピアノだった。
私の席は左のピアノの真ん前なので、左側に座ったピアニストの指も表情もよく見ることが出来た。

「カプリッチョ」も「メタモルフォーゼン」も私には馴染みが薄く、一夜漬けの予習だけではどうにもならない難曲で、とにかく演奏に集中することにした。
シュトラウスの作品だが、こうして2台ピアノ用に編曲されると、静かな中にちょっとした起伏もあって、まったりとしたいい時間だった(特に後者の長丁場、演奏者は大変だったろうが)。
「メタモルフォーゼン」では、ベートーヴェンの「英雄」の葬送行進曲における付点で下降するフレーズが頻繁に引用されているようだ。
それにしてもこれらの作品を編曲してしまう北村さんの多才ぶりには驚かされる。
自身のCDの解説も、音楽学者かと思うほどの専門性で執筆していたりもして、さらにどれだけの才能を秘めているのか末恐ろしいほどである。

伊藤恵さんは演奏時にしばしば使わない左足を前に放り出してキックをするかのような場面があったのだが、どこかで見た記憶が・・・。
実は、昨日、弟子の北村さんのソロ演奏を聴いた時にも彼が左足を頻繁に前に放り出していたのだ。
今日は師匠に遠慮してか北村さんのキックは控えめだったが、それでも盛り上がる場面で2人してキックしていたりすると心の中でにやりとしてしまう(失礼)。
師弟は似るものなのだなぁと微笑ましい風景だった。

演奏は、のめり込む北村さんを師の伊藤さんがどこまでも安定した表情でサポートするという印象。
若手とベテランが一つの作品を作りだす様をじっくり聴かせてもらった。

ブラームスの方は私でも知っている曲だったので、より気楽に楽しむことが出来た。

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Y-28a
2011年5月4日(水・祝) 11:30-12:15
会場:よみうりホール (1階F列26番)

フランク・ブラレイ(Frank Braley)(ピアノ)
プラジャーク弦楽四重奏団(Prazak Quartet)

ブラームス/ピアノ五重奏曲 ヘ短調 op.34

震災の影響で新たに会場に加わったよみうりホールは、ビックカメラのビルの7階にあった。
案外響きは悪くなく、むしろ国際フォーラムのホールAなどよりもこちらを今後も使ってほしいほどだ。

演目はブラームスの美しいピアノ五重奏曲。
カルテットのメンバーを頻繁に見ながらタイミングをとって演奏するブラレー。
ピアノと弦の息もぴったり合い、ブラームスの傑作を真摯に表現していて、静かな感動を味わうことが出来た。
室内楽のコンサートは楽器相互のフレーズの受け渡しが大事で、あたかも人間関係のお手本を見ているかのようだ。
それにしてもブラームスの作品は人間のあらゆる感情が表現されているかのようで、本当に癒される。
いい時間を過ごさせてもらった。

余談だが、ブラレーは本来今年のラ・フォル・ジュルネで来日予定はなかったそうなのだが、震災のニュースを見て、ルネ・マルタンに来日を直訴したそうだ。
キャンセルする人もいれば、こうして来日してくれる人もいる。
事情が事情なだけにキャンセルした方々を決して非難することは出来ないが、あえて来日してくれたブラレーにはただただ感謝あるのみ!

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G-26c
2011年5月4日(水・祝) 13:45-14:30
会場:ホールG402 (1列13番)

ドミニク・ヴェルナー(Dominik Wörner)(バス・バリトン)
鈴木優人(Masato Suzuki)(ピアノ)

ブラームス/4つの厳粛な歌 op.121

マーラー/亡き子をしのぶ歌

~アンコール~
ハンス・ロット(Hans Rott)/夕べの鐘(Das Abendglöcklein)

演奏前に、犠牲者にこのコンサートを捧げるとヴェルナーから挨拶があった。
マーラーの選曲は被災された方が聴いたらかなり辛いものがあったかもしれない。

ヴェルナーはバス・バリトンとはいってもおっとりとした優しい声をもっており、人の良さを感じさせる声である。
「4つの厳粛な歌」も真摯な歌いぶりが良かったが、「亡き子をしのぶ歌」が心にひそかに迫ってくるものがあり素晴らしかった。

ピアノの鈴木優人は古楽器奏者かと思っていたら、このようなリート演奏も手がけるようだ(モダンピアノだった)。
指さばきは達者で、作品の濃淡もしっかりと表現していて、いい演奏だった。

アンコールで弾かれたハンス・ロットはマーラーの最良の友人の一人とのこと。
この作品ははじめて聴いたが、短い(楽譜は1枚だった)美しい曲だった(後で調べたら、ヴェルナーはこの曲を録音しているようだ)。

ちなみに「4つの厳粛な歌」の第3曲の最後の方で、第4曲の楽譜コピーがないことに気付き、譜めくりの女性がいそいそと楽屋に取りに戻るというハプニングもあった。
鈴木氏はさぞかしはらはらしたことだろうが、演奏には全く支障がなかったのは何よりである。

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G-26d
2011年5月4日(水・祝) 15:15-16:00
会場:ホールG402 (1列5番)

クレール・デゼール(Claire Désert)(ピアノ)

ベルク/ピアノ・ソナタ op.1

ブラームス/8つのピアノ小品 op.76

ブラームス/スケルツォ 変ホ短調 op.4

演奏者の真後ろの席というめったにない至近距離から、演奏とその姿を楽しむことが出来た。
デゼールは長身で細身の女性だったが、かなり情熱的に感情をタッチにぶつける演奏だった。
ブラームスの作品のドラマティックな面が強調されて興味深かった。
特に「スケルツォ」はなかなか実演で聴くことがない作品なのでこの選曲はうれしかった。
ベルクのみ楽譜を見ながらの演奏。

さきほどの伊藤&北村師弟ではないけれど、デゼールもソフトペダルを踏まない時の左足を頻繁に前後させ、それが床にこすれて結構な音を立てていた。
アーティストにもそれぞれ様々な癖があるものだなぁと演奏以外の部分でも楽しんだ(失敬)私でした。

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D-25b
2011年5月4日(水・祝) 17:00-17:45
会場:ホールD7 (2列1番)

フローラン・ボファール(Florent Boffard)(ピアノ)
マリアンヌ・プスール(Marianne Pousseur)(ソプラノ)
サンガー・ナー(フルート、ピッコロ)
インヒュク・チョウ(クラリネット、バスクラリネット)
ギヨーム・シレム(ヴァイオリン、ヴィオラ)
ジュリアン・ラズニャック(チェロ)

シェーンベルク/6つのピアノ小品 op.19(ボファールの独奏)

シェーンベルク/月に憑かれたピエロ op.21

フロラン・ボファールが最初に演奏した「6つのピアノ小品」は先日ヘルムヒェンの実演で聴いたばかり。
非常に熟成された演奏で、はじめて聴いたこのピアニストにたった5分ほどの曲ですっかり魅了された。
いつかリサイタルで聴いてみたい素晴らしいピアニストだ。

「月に憑かれたピエロ」はシュプレッヒシュティメ(語りと歌の中間)が核となる作品だが、おそらくフランス系のソプラノ、マリアンヌ・プスールは思い切りのよい語りの振幅を聞かせてくれた。
楽器群もピアノのボファールをはじめ好演。
どっぷりシェーンベルクの色に染まった時間だった。

配布された日本語訳はドイツ語詩と必ずしも合っていないようで、おそらく原作のフランス語から訳されたものではないか。
出来れば歌われる歌詞(ドイツ語)の訳が欲しかったが、配布されるだけでも有難いと思うべきか。

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Y-284
2011年5月4日(水・祝) 18:30-19:15
会場:よみうりホール (1階F列30番)

ボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)(ピアノ)

リスト/超絶技巧練習曲集(全曲)
リスト/メフィスト・ワルツ第1番

~アンコール~
ガーシュウィン/プレリュード第2番
モートン・グールド/ブギウギ・エチュード

唯一当日券で聴いた公演。
全曲といっても、何曲あるのか調べてこなかったうえ、今年はプログラムの紙も配布されない為、とりあえず聴きながら曲数をカウントしてみたら11曲だったような。
帰宅して調べたら12曲だと分かり、どこかで自己流のカウントがずれた模様。
それにしてもベレゾフスキーは童顔にもかかわらず、どでかく、体格もレスラーのよう。
私から見たらまさに「巨人(タイタン)」のような大きなピアニストだが、リストのどんな難曲もやすやす弾いているかのように感じられる(曲の合間にハンカチで汗をぬぐってはいたが)。
とにかくそのパワーたるやもの凄い。
どうしたらこんなに易々と猛スピードで駆け抜けることが出来るのか。
しかも曲の配分というか、力で押し切るだけでない、コントロールも行き届いていて、味わいにも事欠かない、とにかく余裕あふれる名人芸だった。
超絶技巧全曲の後に「メフィスト・ワルツ第1番」を弾くというのも驚異的なスタミナである!
こちらも力技だけでない、巧みな演出の妙があって、酔っ払った雰囲気がよく出ていた。
なんだかんだいってもテクニックは聴き手を熱狂させる。
今回私が聴いたコンサートの中では聴衆の拍手喝采が最も大きかったが、そうさせる魔力をベレゾフスキーの演奏はもっていた。
リストが実際に弾いたらこんな感じだったのではと想像しながら(体格は違うだろうが)存分に楽しむことが出来た。
アンコールの2曲は一転して乗りのいいアメリカの曲。

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配布された歌詞対訳に「詩と音楽」でお馴染みの藤井宏行氏や甲斐貴也氏の名前が見られたのはやはりうれしい。
ご活躍、何よりである。

また関連イベントとして「5人のタイタンたちを巡るスタンプラリー」という企画があり、離れた会場でブラームス、マーラー、リスト、シェーンベルク、R.シュトラウスの展示会を回るとエコバッグがもらえるというもの(私は2日かけてゲットしました!)。
それぞれ貴重な展示があったのだが、ブラームスの歌曲「雨の歌」WoO23(有名なOp.59-3とは別の曲)の自筆譜公開と西原稔氏の資料が配布され、歌曲ファンにとっては特に貴重な史料を見ることが出来た。

いろいろあった今年のLFJだが、無事聴けて良かった。
リスト、ブラームス、マーラー、シュトラウス、レーガー、シェーンベルクといった人たちの作品をこれだけまとめて聴けたのはLFJならではだろう。
あらためて関係者に感謝したい。
なお、今回はキャンセルされたコンサートのチケットを専用の用紙に記入して郵送すると手数料も含めて返金されるという。
来年のテーマは「ロシア」らしいが、元通りの規模で無事開催されることを祈っている。

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岡田博美(ピアノ)×ディアベリ変奏曲(2011年4月21日 トッパンホール)

岡田博美(ピアノ)×ディアベリ変奏曲
2011年4月21日(木)19:00 トッパンホール(C列4番)

岡田博美(Hiromi Okada)(piano)

ベートーヴェン(Beethoven)/ピアノ・ソナタ第12番 変イ長調 Op.26
 Ⅰ Andante con Variazioni
 Ⅱ Scherzo and Trio. Allegro molto
 Ⅲ Marcia funebre sulla morte d'un eroe
 Ⅳ Allegro

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 Op.109
 Ⅰ Vivace, ma non troppo - Adagio espressivo
 Ⅱ Prestissimo
 Ⅲ Andante molto cantabile ed espressivo

~休憩~

ベートーヴェン/ディアベリの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120

~アンコール~
シューベルト(Schubert)/楽興の時 第3番 ヘ短調 D780-3

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岡田博美のベートーヴェンのリサイタルを聴いた。
昨年はじめて彼の実演に接してすっかり魅了され、今回再び聴くことが出来るのを楽しみにしていた。

今回は「ディアベリ変奏曲」をメインに置き、その前に変奏曲を含むソナタ2曲を演奏するというプログラム。
よく考えられたプログラミングは、彼ならではだろう。

登場した岡田はいつもながら飄々としたもの。
演奏ぶりもベートーヴェンだからという気負いは全くない様子。
前半のソナタ2曲をなんでもないように演奏しながら、そこに込められた味わいは深い。
今回演奏する手がよく見える席だったのだが、指がとても細長く、それ自体が生き物のように鍵盤を這う。
手指に恵まれているということもピアニストとしては有利に働くだろうが、あくまで作品第一の姿勢を崩さない真摯な姿勢こそが岡田博美の演奏の魅力かもしれない。

今回後半のメインプロの「ディアベリ」は睡魔に襲われてしまいもったいないことをしたが、これは演奏の問題ではもちろんなく、私の体調管理が到らなかった為である。
演奏者に申し訳ないことをしてしまった。
いつか再度「ディアベリ」を演奏する時には私も万全の状況で聴かせていただくつもりである。

Okada_20110421_chirashi

アンコールで弾かれた「楽興の時 第3番」のなんと愛らしかったことか。

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大萩康司&浦井健治/『プラテーロとわたし』ほか(2011年4月23日 川口リリア・音楽ホール)

Platero_20110423

新世代のトップを走るギタリストと俳優のコラボレーション
リリア音楽ホールで聴く
「スペインのスケッチ」~アンダルシアへ

2011年4月23日(土)14:00 川口リリア・音楽ホール(P列19番)

大萩康司(Yasuji Ohagi)(ギター)
浦井健治(Kenji Urai)(語り、歌)
濱田滋郎(音楽評論家/スペイン文化研究家)(ゲスト)

バッハ/サラバンド(東日本大震災犠牲者への追悼)

ヴィラ=ロボス/5つのプレリュードより第2番ホ長調「カパドシオ(リオの下町の伊達男)の歌」
スペイン民謡/愛のロマンス(映画『禁じられた遊び』より)
F.タレガ/アルハンブラの想い出

モーツァルト(F.ソル編曲)/歌劇『ドン・ジョヴァンニ』よりカンツォネッタ「窓辺においで」(浦井健治:日本語訳による歌)

ゲスト:濱田滋郎によるお話

~休憩~

M.カステルヌオーヴォ=テデスコ(J.R.ヒメネス詩;濱田滋郎・訳詩)/ギターと語りのための『プラテーロとわたし(Platero y yo)』作品190より(第1巻全7篇+第2巻「ロンサール」)
 1.プラテーロ
 2.アンジェラスの鐘
 3.帰り道
 4.ロンサール
 5.春
 6.井戸
 7.雀たち
 8.憂愁

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川口リリアホールで大萩康司と浦井健治によるカステルヌオーヴォ=テデスコ作曲『プラテーロとわたし』抜粋ほかを聴いてきた。
このコンサート、本来は21日の夜に予定されており、その日は別のコンサートのチケットを買っていたので行けないなと思っていたら、計画停電の影響との理由で23日午後に延期された為、出かけてきた。

大萩のギター実演を聴くのは昨年に続き2回目。
今回も前回同様マイクを用いてトークを交えながらのコンサートだった。
この会場で数日前にリハーサルをしている時にも余震があり、1回1回の演奏を「これが最後かもしれない」という危機感をもって演奏するようになったとのこと。
犠牲になった方々や動物たちへの思いを述べた大萩により、正規のプログラムの前にバッハの「サラバンド」が演奏された。

ヴィラ=ロボスのプレイボーイを描写したかのような作品を弾いた後、ギター曲の代名詞ともいうべき2つの有名曲が演奏された。
「禁じられた遊び」も「アルハンブラの想い出」も大萩は適度にテンポを揺らして実に豊かな表情をもって演奏する。
行き過ぎない加減のよい思いいれが聴き手の心と共振する。
とても魅力的な演奏だった。

その後、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」のアリアが演奏されるのだが、ここで後半の語りを担当する若手俳優の浦井健治が登場し、日本語訳でなんと歌を披露した。
ミュージカルの経験も豊富らしく、その歌声はクラシックの発声とは異なるが、全く見事な歌唱で、ジャンルの垣根を簡単に飛び越えていた。
長身のこの俳優、私はこれまで存じ上げなかったのだが、絵に描いたようなイケメンで、「イケメンって本当に世の中に実在したんだ」という印象。

その後、スペイン文化研究家で、我々愛好家には音楽雑誌での文章で馴染みの深い濱田滋郎氏が客席から登場して、ノーベル賞作家ヒメネスと、作曲家カステルヌオーヴォ=テデスコによる『プラテーロとわたし』の解説が10分ほど続いた。

そして後半はいよいよメインプロの『プラテーロとわたし』。
ギター伴奏の語りというと、ドイツ歌曲の分野でも朗読とピアノによるメロドラマという形式があるが、そのギター版という感じだろうか。
ピアノよりも一層インティメートな温かみをたたえたギターの響きにのって、ロバのプラテーロに語りかける「わたし」の独白(語りかけているのだから会話だろうか)が朗読される。
浦井健治は若手なのに朗読もとても上手い。
聞きやすいだけでなく、起伏にとんでいて、しっかりと聴衆に語り聞かせていた。
この作品、本来は4巻からなっていて、各巻の最後にプラテーロの死を扱った詩が置かれているそうで、全曲演奏すると、プラテーロは4回死ぬことになるそう(実際は1回の死についての複数の詩を4巻に分けて配置したということらしいが)。
今回は抜粋なので、プラテーロは1回だけ死ぬ設定だ。
大萩のギターも相変わらず詩情にあふれていた。

岩波文庫で原作が出ていたらしいが、某ネット販売サイトでは中古で値段がつりあがっていた。
街中の古本屋でせっせと探した方が良さそうだ。

なかなか聴けない珍しい作品をとりあげてくれた出演者たちに感謝!

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マーティン・ヘルムヒェン/ハンマークラヴィーアを弾く(2011年4月30日 トッパンホール)

マーティン・ヘルムヒェン(ピアノ) ハンマークラヴィーアを弾く

2011年4月30日(土)15:00 トッパンホール(TOPPAN HALL)(C列7番)
マーティン・ヘルムヒェン(Martin Helmchen)(piano)

J.S.バッハ(Bach)/パルティータ第1番 変ロ長調(Partita Nr.1 B-Dur) BWV825
 Ⅰ Präludium
 Ⅱ Allemande
 Ⅲ Corrente
 Ⅳ Sarabande
 Ⅴ Menuett
 Ⅵ Gigue

シェーンベルク(Schönberg)/6つのピアノの小品(6 Klavierstücke) Op.19
 Ⅰ Leicht, zart
 Ⅱ Langsam
 Ⅲ Sehr langsam
 Ⅳ Rasch, aber leicht
 Ⅴ Etwas rasch
 Ⅵ Sehr langsam

メンデルスゾーン(Mendelssohn)/無言歌集 第6巻(Lieder ohne Worte Heft 6) Op.67
 Ⅰ 変ホ長調《瞑想(Meditation)》
 Ⅱ 嬰ヘ短調《失われた幻影(Lost illusions)》
 Ⅲ 変ロ長調《巡礼の歌(Song of the pilgrim)》
 Ⅳ ハ長調《紡ぎ歌(Spinnerlied)》
 Ⅴ ロ短調《羊飼いの嘆き(The shepherd's complaint)》
 Ⅵ ホ長調《子守歌(A cradle song)》

~休憩~

ベートーヴェン(Beethoven)/ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調(Sonate für Klavier Nr.29 "Hammerklavier") Op.106《ハンマークラヴィーア》
 Ⅰ Allegro
 Ⅱ Scherzo. Assai vivace
 Ⅲ Adagio sostenuto
 Ⅳ Largo - Allegro risoluto

~アンコール~
J.S.バッハ;ブゾーニ(Busoni)編曲/コラール前奏曲「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる(Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ)」BWV639

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1982年ベルリン生まれのマーティン・ヘルムヒェン(招聘元の表記は「ヘルムヘン」)のリサイタルを聴いた。
海外では著名な若手のようだが、国内ではまだ知る人ぞ知るというピアニストなのだろう(とはいえ客席はかなり埋まっていたが)。
かくいう私も今回はじめてその演奏に接した。

登場したヘルムヒェンは痩身で繊細な印象。
客席に向ける笑顔も柔和で優しい。

最初に弾かれたバッハのパルティータ第1番は非常に優しいタッチで丁寧な演奏。
バッハのピアノ曲からこれほど柔らかい響きを聴くことは珍しいほどだ。
とても心地よくアルファ波が出そう。
しかし、各曲の性格は明確に区別して表現しており、楽曲への誠実なアプローチは好感が持てた。

続くシェーンベルクの「6つのピアノの小品」は最近いろいろなピアニストが演奏するようだが、全部で5分ちょっとというまさに小品。
短い各曲のそれぞれにおいてエキスだけを抽出したような響きがユニーク。
しかし、その短さゆえか私にはなかなか魅力的に聴こえた。
第2曲の低音のリズムの反復など愛らしさすら感じられた。
ヘルムヒェンの演奏は前衛色をことさら強調するでもなく、ありのままに表現したという感じだが、それがかえって良かったように感じられた。

前半最後はメンデルスゾーンの「無言歌集 第6巻」。
私がこれまで聴いてきたプログラムで無言歌をとりあげたコンサートの記憶がない。
個々には「春の歌」など有名な作品もあるが、サロン風の耳当たりの良さが作品の軽視につながってはいないだろうか。
しかし、こういう曲を魅力的に歌わせるのは本当はとても難しいのではないか。
ヘルムヒェンは、そのタッチの優しさを前面に押し出して、とても気持ちの良い演奏を聴かせていた。

休憩後はうってかわってベートーヴェンの大作「ハンマークラヴィーア」ソナタ。
ここで、ヘルムヒェンは新しい顔を覗かせた。
前半のプログラムにおける柔和で心地よい響きではなく、力強い剛健なタッチでずっしりとしたダイナミックスの幅を披露したのだ。
そして体全体を使って全力でこの大曲に取り組んでいるように感じられた。
このソナタ、前半の2つの楽章は私にも分かりやすい。
しかし、後半の静謐な2つの楽章は今の私にはまだその良さをつかみきれていない。
ヘルムヒェンはここでも真摯に演奏していたと思うが、やはり難しい!
もう少し聞き込まないと・・・。

Helmchen_20110430_chirashi

アンコールは美しいバッハの作品。
特に震災に関するコメントはなかったように思うが、この演奏もまた心を癒すには充分な美しさがあった。

Helmchen_20110430_autograph

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東京文化会館アーカイブ・スタート

東京文化会館のWebサイトで、1961年4月開館以降の公演内容が検索できるようになりました。

こちら

簡易検索、複合検索と検索方法も選択でき、さらに月ごとのカレンダーからリンクが貼ってあるので、そちらからも詳細情報が見られるようになっています。

プログラムの画像も見ることが出来ます。

東京文化会館50周年記念事業の一環とのことで、過去の公演記録を知りたい時に大変便利です。
5月1日からスタートしたこのアーカイブ、興味のある方はぜひ利用なさってください。

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