平島誠也とドイツ歌曲の担い手たち(2011年4月24日 日暮里サニーホール コンサートサロン)
平島誠也とドイツ歌曲の担い手たち
~四季の移り変わりを歌曲でたどる~
2011年4月24日(日)14:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全自由席)
高橋節子(たかはし せつこ)(ソプラノ)
石井真紀(いしい まき)(メゾソプラノ)
田中豊輝(たなか とよあき)(テノール)
平島誠也(ひらしま せいや)(ピアノ)
1.ヴォルフ(Wolf)/新年に(Zum neuen Jahr)(高橋)
2.R.シュトラウス(R.Strauss)/冬の捧げもの(Winterweihe) Op.48-4(石井)
3.ブラームス(Brahms)/ひばりの歌(Lerchengesang) Op.70-2(田中)
4.マーラー(Mahler)/春の朝(Frühlingsmorgen)(高橋)
5.シェック(Schoeck)/春の教会墓地(Der Kirchhof im Frühling) Op.17-3(石井)
6.プフィッツナー(Pfitzner)/だから春はこんなに空が青いの?(Ist der Himmel darum im Lenz so blau?) Op.2-2(高橋)
7.ベートーヴェン(Beethoven)/五月の歌(Mailied) Op.52-4(田中)
8.マルクス(Marx)/五月の花々(Maienblüten)(高橋)
9.ブラームス(Brahms)/五月の夜(Die Mainacht) Op.43-2(田中)
10.ヴェーベルン(Webern)/夏の宵(Sommerabend)(石井)
11.ベルク(Berg)/夏の日々(Sommertage)(高橋)
12.シューマン(Schumann)/輝く夏の朝に(Am leuchtenden Sommermorgen) O.48-12(田中)
13.シュレーカー(Schreker)/夏の遊糸(Sommerfäden) Op.2-1(高橋)
14.シューベルト(Schubert)/水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen) D774(田中)
15.メンデルスゾーン(Mendelssohn)/秋の歌(Herbstlied) Op.84-2(石井)
16.シューベルト(Schubert)/秋(Herbst) D945(田中)
17.プフィッツナー(Pfitzner)/秋に(Im Herbst) Op.9-3(石井)
18.R.シュトラウス(R.Strauss)/万霊節(Allerseelen) Op.10-8(高橋)
19.ブラームス(Brahms)/荒野を越えて(Über die Heide) O.86-4(石井)
20.レーガー(Reger)/冬の予感(Winterahnung) Op.4-3(田中)
21.ヴォルフ(Wolf)/クリスマスローズにⅠ(Auf eine Christblume I)(石井)
22.シューベルト(Schubert)/冬の夕べ(Der Winterabend) D938(全員)
~アンコール~
シューベルト(Schubert)/万霊節の連祷(Litanei auf das Fest Allerseelen) D343(全員)
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歌曲ピアニストの第一人者平島誠也氏を囲んで3人の声種の異なる歌手たちが分担して歌うというコンサートを、日暮里の小さなサロンで聴いた。
15人の作曲家の作品を22曲、四季の変遷によって並べたプログラミングは、時代も作風も飛び越えて、詩の内容で配列した構成だ。
従って、平島氏が「アイポッド的」と形容したように、次にどの曲が出てきて誰が歌うのか、プログラムを隠して流れに身を任せて聴くというのもなかなか面白いと思う。
歌手たちは常に舞台上にいて、歌わない時は腰掛けて待機する。
つまり、全22曲がノンストップで演奏されることになる(1時間20分ほど)。
時には曲同士の間に前後の作曲家に関連した作品の一部を平島氏がピアノのみで演奏して「つなぐ」こともある。
覚えている限りでつなぎの曲を順に列記してみると以下のようになる。
ヴォルフ/古画に寄せて(Auf ein altes Bild):1曲目の後
マーラー/思い出(Erinnerung):4曲目の後
ベートーヴェン/悲しみの喜び(Wonne der Wehmut):7曲目の後
シューマン/わが美しい星(Mein schöner Stern):12曲目の前
ヴォルフ/沈黙の愛(Verschwiegene Liebe):21曲目の前
ヴォルフの「沈黙の愛」はあたかも「クリスマスローズにⅠ」の前奏のようにすっきりとつながっていたし、マーラーの「思い出」はかなり長く、歌の箇所も含めてピアノで「歌って」みせてくれて聴き惚れてしまった。
次から次に歌われる作品は普通のCDやリサイタルではまず聴けないような配列の意外性が楽しく、小さなサロンの親密な雰囲気も相俟って、いつまでもずっと聴いていたいほどだった。
冬で始まり、春→夏→秋と続き、再び冬に戻って終わる。
1月から12月への流れと見ることも出来るだろう。
R.シュトラウスの後にブラームスが来たり、ベートーヴェンの後にヨーゼフ・マルクスが来ても、意外性はあっても違和感はなく、結局のところ大切なのは作品の良さなのだと気付かされた。
有名な曲はそれほど多くないが、心の琴線に触れる作品ばかりが選ばれており、全体で1つの作品と言うことも出来るだろう。
とにかく最後まで次々と歌曲の宝石を差し出されているかのようで、ひたすら楽しい時間を過ごさせてもらえた。
歌手3人の中ではソプラノの高橋節子氏のみ実演を過去に2度ほど聴いたことがあり、その実力は存じ上げていたが、今回も気合の入った堂々たる歌を聴かせてくれた。
どの作曲家の作品を歌っても安心して聴ける歌手である。
メゾソプラノの石井真紀氏は、低音以上にむしろ高音でメゾらしい深みと光沢のある響きがあり、しかも決して重くならないので、高橋さんと一緒に歌う時には相違よりも共通性を感じさせ、響きがよく溶け合っていた。
テノールの田中豊輝氏は爽やかでストレートな歌いぶりだった。
シューマンの「詩人の恋」を彼の歌で全曲聴いたらきっと素晴らしいのではないか(今回、曲集中の1曲だけ聴けたけれど)。
最後のシューベルト「冬の夕べ」のみ3人が順番に分担して(ソプラノ→テノール→メゾ)歌ったが、最後の詩行は3人でハモって美しく歌われ、ビーダーマイアー風の日常の幸福感を素敵に表現していたと思う。
それにしても平島氏のピアノの音はいつもながら非常に美しく、「ひばりの歌」の高音の響き、「五月の夜」の曲の展開に応じたルバート、「夏の日々」の後奏のデリカシー、「水の上で歌う」のきらめきなど、印象に残る箇所を挙げ出したらきりがない。
特に「水の上で歌う」では3節の有節形式ながら、行や節によって異なるペダリングをしているのがはっきり見られ、これほどの素晴らしい演奏の秘訣を垣間見た気がした。
私は会場に着いたのがぎりぎりでたまたま空いていた右端の席に座ったのだが、案外この席は響きが素晴らしく、歌もピアノも理想的に響いてきた。
アンコールの前に平島氏の挨拶があり、「沢山の亡くなられた方への祈り」としてシューベルトの「万霊節の連祷」がソプラノ→メゾ→テノールの順で演奏された。
この曲は意外と実演で聴く機会が少ないが、やはり胸に響く作品である。
歌曲においてピアニストの演奏するレパートリーは多くの場合、全声種に渡り、そのノウハウは各声種の歌手たちに大いに刺激を与えるものと思われる。
そういう意味でも平島氏には是非この演奏会のシリーズ化を期待したいところだ。
聴き手も、作曲家ではなく作品そのものの価値に気付かせてもらえる貴重な機会となることだろう。
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