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平島誠也とドイツ歌曲の担い手たち(2011年4月24日 日暮里サニーホール コンサートサロン)

Hirashima_20110424

平島誠也とドイツ歌曲の担い手たち
~四季の移り変わりを歌曲でたどる~

2011年4月24日(日)14:00 日暮里サニーホール コンサートサロン(全自由席)

高橋節子(たかはし せつこ)(ソプラノ)
石井真紀(いしい まき)(メゾソプラノ)
田中豊輝(たなか とよあき)(テノール)
平島誠也(ひらしま せいや)(ピアノ)

1.ヴォルフ(Wolf)/新年に(Zum neuen Jahr)(高橋)
2.R.シュトラウス(R.Strauss)/冬の捧げもの(Winterweihe) Op.48-4(石井)
3.ブラームス(Brahms)/ひばりの歌(Lerchengesang) Op.70-2(田中)
4.マーラー(Mahler)/春の朝(Frühlingsmorgen)(高橋)
5.シェック(Schoeck)/春の教会墓地(Der Kirchhof im Frühling) Op.17-3(石井)
6.プフィッツナー(Pfitzner)/だから春はこんなに空が青いの?(Ist der Himmel darum im Lenz so blau?) Op.2-2(高橋)
7.ベートーヴェン(Beethoven)/五月の歌(Mailied) Op.52-4(田中)
8.マルクス(Marx)/五月の花々(Maienblüten)(高橋)
9.ブラームス(Brahms)/五月の夜(Die Mainacht) Op.43-2(田中)
10.ヴェーベルン(Webern)/夏の宵(Sommerabend)(石井)
11.ベルク(Berg)/夏の日々(Sommertage)(高橋)
12.シューマン(Schumann)/輝く夏の朝に(Am leuchtenden Sommermorgen) O.48-12(田中)
13.シュレーカー(Schreker)/夏の遊糸(Sommerfäden) Op.2-1(高橋)
14.シューベルト(Schubert)/水の上で歌う(Auf dem Wasser zu singen) D774(田中)
15.メンデルスゾーン(Mendelssohn)/秋の歌(Herbstlied) Op.84-2(石井)
16.シューベルト(Schubert)/秋(Herbst) D945(田中)
17.プフィッツナー(Pfitzner)/秋に(Im Herbst) Op.9-3(石井)
18.R.シュトラウス(R.Strauss)/万霊節(Allerseelen) Op.10-8(高橋)
19.ブラームス(Brahms)/荒野を越えて(Über die Heide) O.86-4(石井)
20.レーガー(Reger)/冬の予感(Winterahnung) Op.4-3(田中)
21.ヴォルフ(Wolf)/クリスマスローズにⅠ(Auf eine Christblume I)(石井)
22.シューベルト(Schubert)/冬の夕べ(Der Winterabend) D938(全員)

~アンコール~
シューベルト(Schubert)/万霊節の連祷(Litanei auf das Fest Allerseelen) D343(全員)

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歌曲ピアニストの第一人者平島誠也氏を囲んで3人の声種の異なる歌手たちが分担して歌うというコンサートを、日暮里の小さなサロンで聴いた。
15人の作曲家の作品を22曲、四季の変遷によって並べたプログラミングは、時代も作風も飛び越えて、詩の内容で配列した構成だ。
従って、平島氏が「アイポッド的」と形容したように、次にどの曲が出てきて誰が歌うのか、プログラムを隠して流れに身を任せて聴くというのもなかなか面白いと思う。
歌手たちは常に舞台上にいて、歌わない時は腰掛けて待機する。
つまり、全22曲がノンストップで演奏されることになる(1時間20分ほど)。
時には曲同士の間に前後の作曲家に関連した作品の一部を平島氏がピアノのみで演奏して「つなぐ」こともある。
覚えている限りでつなぎの曲を順に列記してみると以下のようになる。

ヴォルフ/古画に寄せて(Auf ein altes Bild):1曲目の後
マーラー/思い出(Erinnerung):4曲目の後
ベートーヴェン/悲しみの喜び(Wonne der Wehmut):7曲目の後
シューマン/わが美しい星(Mein schöner Stern):12曲目の前
ヴォルフ/沈黙の愛(Verschwiegene Liebe):21曲目の前

ヴォルフの「沈黙の愛」はあたかも「クリスマスローズにⅠ」の前奏のようにすっきりとつながっていたし、マーラーの「思い出」はかなり長く、歌の箇所も含めてピアノで「歌って」みせてくれて聴き惚れてしまった。

次から次に歌われる作品は普通のCDやリサイタルではまず聴けないような配列の意外性が楽しく、小さなサロンの親密な雰囲気も相俟って、いつまでもずっと聴いていたいほどだった。
冬で始まり、春→夏→秋と続き、再び冬に戻って終わる。
1月から12月への流れと見ることも出来るだろう。
R.シュトラウスの後にブラームスが来たり、ベートーヴェンの後にヨーゼフ・マルクスが来ても、意外性はあっても違和感はなく、結局のところ大切なのは作品の良さなのだと気付かされた。
有名な曲はそれほど多くないが、心の琴線に触れる作品ばかりが選ばれており、全体で1つの作品と言うことも出来るだろう。
とにかく最後まで次々と歌曲の宝石を差し出されているかのようで、ひたすら楽しい時間を過ごさせてもらえた。

歌手3人の中ではソプラノの高橋節子氏のみ実演を過去に2度ほど聴いたことがあり、その実力は存じ上げていたが、今回も気合の入った堂々たる歌を聴かせてくれた。
どの作曲家の作品を歌っても安心して聴ける歌手である。

メゾソプラノの石井真紀氏は、低音以上にむしろ高音でメゾらしい深みと光沢のある響きがあり、しかも決して重くならないので、高橋さんと一緒に歌う時には相違よりも共通性を感じさせ、響きがよく溶け合っていた。

テノールの田中豊輝氏は爽やかでストレートな歌いぶりだった。
シューマンの「詩人の恋」を彼の歌で全曲聴いたらきっと素晴らしいのではないか(今回、曲集中の1曲だけ聴けたけれど)。

最後のシューベルト「冬の夕べ」のみ3人が順番に分担して(ソプラノ→テノール→メゾ)歌ったが、最後の詩行は3人でハモって美しく歌われ、ビーダーマイアー風の日常の幸福感を素敵に表現していたと思う。

それにしても平島氏のピアノの音はいつもながら非常に美しく、「ひばりの歌」の高音の響き、「五月の夜」の曲の展開に応じたルバート、「夏の日々」の後奏のデリカシー、「水の上で歌う」のきらめきなど、印象に残る箇所を挙げ出したらきりがない。
特に「水の上で歌う」では3節の有節形式ながら、行や節によって異なるペダリングをしているのがはっきり見られ、これほどの素晴らしい演奏の秘訣を垣間見た気がした。

私は会場に着いたのがぎりぎりでたまたま空いていた右端の席に座ったのだが、案外この席は響きが素晴らしく、歌もピアノも理想的に響いてきた。

アンコールの前に平島氏の挨拶があり、「沢山の亡くなられた方への祈り」としてシューベルトの「万霊節の連祷」がソプラノ→メゾ→テノールの順で演奏された。
この曲は意外と実演で聴く機会が少ないが、やはり胸に響く作品である。

歌曲においてピアニストの演奏するレパートリーは多くの場合、全声種に渡り、そのノウハウは各声種の歌手たちに大いに刺激を与えるものと思われる。
そういう意味でも平島氏には是非この演奏会のシリーズ化を期待したいところだ。
聴き手も、作曲家ではなく作品そのものの価値に気付かせてもらえる貴重な機会となることだろう。

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東京春祭マラソン・コンサート第Ⅲ部&第Ⅳ部(2011年4月3日 東京文化会館 小ホール)

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2011-
東京春祭マラソン・コンサートvol.1
ウィーン、わが夢の街 ~マーラーが生きた世紀末ウィーン

2011年4月3日(日) 東京文化会館 小ホール (各回約60分)

第Ⅲ部 15:00-(E列14番)
音楽家グスタフ・マーラー~「私の時代が来るだろう」

バリトン:河野克典
ピアノ:青柳 晋、伊藤 恵
ヴァイオリン:菅谷早葉(クァルテット・アルモニコ)
ヴィオラ:阪本奈津子(クァルテット・アルモニコ)
チェロ:富田牧子(クァルテット・アルモニコ)

マーラー/ピアノ四重奏曲(断片)イ短調
[青柳 晋(Pf)、菅谷早葉(Vn)、阪本奈津子(Va)、富田牧子(Vc)]
マーラー(ワルター編)/交響曲 第1番 二長調《巨人》より第1楽章(4手ピアノ版)
[伊藤 恵(Pf:プリモ)、青柳 晋(Pf:セコンド)]
マーラー/《亡き子をしのぶ歌》
 1. いま太陽は輝き昇る
 2. なぜそんなに暗い眼差しなのか、今にしてよくわかる
 3. おまえのお母さんが戸口から入ってくるとき
 4. ふと私は思う、あの子たちはちょっと出かけただけなのだと
 5. こんな嵐の日に
[河野克典(Br)、伊藤 恵(Pf)]

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第Ⅳ部 17:00-(B列17番)
ウィーン、わが夢の街~マーラーの周りにいた作曲家たち

ソプラノ:天羽明惠
ピアノ:山田武彦

ヴォルフ/《メーリケ詩集》より「時は春」「妖精の歌」

R.シュトラウス/《6つの歌》op.68より「ささやけ、愛らしいミルテよ」
R.シュトラウス/《6つの歌》op.67より〈オフィーリアの歌〉
 1. どうしたら本当の恋人を見分けられるだろう
 2. おはよう、今日は聖ヴァレンタインの日
 3. 彼女は布もかけずに棺台にのせられ

ベルク/《7つの初期の歌》より
 夜
 夜うぐいす
 室内で

シェーンベルク/
《シュテファン・ゲオルゲの「架空庭園の書」よりの15の詩》op.15より
 1. しげった葉陰で
 3. あなたの垣の中に新参者として私は入った
 4. 私の唇が動かず燃えるので
 9. 私にとって幸福はつらく、もろい
 10. 待ちこがれて私は美しい花壇をみつめる

ツェムリンスキー/《6つの歌曲》op.22より
         「妖精の歌」「民謡」
ツェムリンスキー/《ばらのイルメリンとその他の歌》op.7より
         「ばらのイルメリン」

コルンゴルト/《3つの歌》 op.22
 1. 君は私にとって?
 2. 君とともに沈黙する
 3. 世は静かな眠りに入った

~アンコール~
ジーツィンスキー/ウィーン、わが夢の街

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聴いてから随分時間がたってしまいましたが、備忘録の為簡単にメモしておきます。

東京・春・音楽祭で聴けると思っていたキルヒシュラーガーも「大地の歌」も中止となってしまい、他に何かないかと探して、当日券で聴くことにした公演。
「ウィーン、わが夢の街 ~マーラーが生きた世紀末ウィーン」というマラソンコンサートで、朝11時から午後7時まで5部構成となっている。
そのうち私は第Ⅲ部と第Ⅳ部を聴いた。

第Ⅲ部について

マーラーの「ピアノ四重奏曲」という若書きが聴けたが、ロマン派風の暗い雰囲気で始まり、先人たちの影響が濃厚ながら私には結構魅力的に感じられた。
続く《巨人》から第1楽章をマーラーの弟子だったブルーノ・ヴァルターがピアノ連弾用に編曲したものも、原曲と比較すると楽しいかもしれない。
お目当ての《亡き子をしのぶ歌》は歌手が河野克典に変更されたが、以前から聴きたいと思っていた河野の歌唱は期待にたがわず素晴らしいもの。
ディクションといい、声の美しさ、安定感といい、まさに今が旬のリート歌手だろう。
ピアノを担当したのは伊藤 恵。
彼女も以前から実演を聴きたかったので、うれしかった。
力強さと繊細さを兼ね備えたピアニストと感じた。

第Ⅳ部について

マーラー周辺の歌曲を集めたコンサートの選曲はなかなか意欲的なもの。
シェーンベルクの「架空庭園の書」やツェムリンスキー、コルンゴルトなどはなかなか聴くことの出来ないもの。
しかし、これらの作品は私もあまりよく知らないので、新鮮な気持ちで楽しめた。
ヴォルフやシュトラウス、ベルクは聴き馴染んでいるので、さらに楽しむことが出来た。
天羽明惠は無理のない自然な発声が魅力のソプラノ。
ここでの選曲のような若干渋い作品でも親しみやすく聴かせてくれた。
共演の山田武彦はようやく生で聴けたが、さすがの安定感で、各歌曲の魅力を充分に引き出していたと感じた。

こういう形で様々なアーティストの演奏をまとめて聴けるのはマラソンコンサートならではだろう。
他の部も聴けたらよかったが、今回のこの2つのミニコンサートだけでもとても良く出来た構成と演奏で大満足だった。

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フェリシティ・ロット&グレアム・ジョンソン(2011年4月15日 王子ホール/4月20日 東京文化会館 大ホール)

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2011年4月15日(金)19:00 王子ホール(G列5番)

フェリシティ・ロット(Felicity Lott)(ソプラノ)
グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)(ピアノ)

シューマン(Schumann)
献呈(Widmung)Op.25-1(「ミルテの花」より)
くるみの木(Der Nussbaum)Op.25-3(「ミルテの花」より)
献身の花(Die Blume der Ergebung)Op.83-2(「3つの歌」より)
東のばらより(Aus den östlichen Rosen)Op.25-25(「ミルテの花」より)
わたしのばら(Meine Rose)Op.90-2(「6つの詩」より)
時は春(Er ist's)Op.79-23(「子供のための歌のアルバム」より)
愛の歌(Liebeslied)Op.51-5(「リートと歌 第2集」より)
哀しそうに歌わないで(Singet nicht in Trauertönen)0p.98a-7(「ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』によるリーダー」より)
 
プーランク(Poulenc)/「こんな日こんな夜(Tel Jour Telle Nuit)」(全9曲)
 好い日(Bonne journée)
 からの貝殻の廃墟(Une ruine coquille vide)
 負けた旗のような額(Le front comme un drapeau perdu)
 被災したキャラバン(Une roulotte couverte en tuiles)
 全速力で(A toutes brides)
 哀れな草(Une herbe pauvre)
 君を愛してだけいたい(Je n'ai envie que de t'aimer)
 燃える残忍さをもつ顔(Figure de force brûlante et farouche)
 ぼくらは夜を築いた(Nous avons fait la nuit)

~休憩~

ブリッジ(Bridge)/過ぎ去るな、幸せな日よ(Go not, happy day)
ヴォーン=ウィリアムズ(Vaughan Williams)/静かな昼(Silent Noon)(「命の家」より)
クィルター(Quilter)/紅の花弁が眠る(Now sleeps the crimson petal)Op.3-2
クィルター/愛の哲学(Love's Philosophy)Op.3-1
ブリテン(Britten)/悲しみの水辺(O waly, waly)(第3集「イギリスの歌」より)
ブリテン/恋心(Fancie)

オッフェンバック(Offenbach)/あの方に伝えて(Dites-lui)(オペレッタ「ジェロルスタン大公妃(La Grande Duchesse de Gérolstein)」より)
オッフェンバック/ああ私は兵隊さんが好き(Ah! Que j'aime les militaires)(オペレッタ「ジェロルスタン大公妃」より)
メサジェ(Messager)/恋は野の鳥(L'amour est un oiseau rebelle)(オペレッタ「熱中(Passionnément)」より)
メサジェ/恋人がふたり(Tous les deux me plaisent)(オペレッタ「仮面の恋人(L'amour masqué)」より)
カワード(Coward)/もし愛がすべてなら(If Love were all)(オペレッタ「ほろ苦さ」より)
カワード/ピッコラ・マリーナの居酒屋で(A Bar on the Piccola Marina)

~アンコール~
イギリス古謡;ブリテン(Britten)/おまえはニューカッスル生まれではないのか(Come you not from Newcastle?)
R.シュトラウス(Strauss)/明日(Morgen!)(「4つの歌曲」Op.27より)

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東日本大震災のわずか1ヶ月後に、はるばる英国からフェリシティ・ロットとグレアム・ジョンソンが予定通り来日してくれた。
放射能汚染のニュースが海外でも報道される中、おそらく周囲の猛反対を押し切っての来日だったことだろう。
彼らの英断に心からの敬意と感謝の気持ちを捧げたい。

今宵の王子ホールはもちろん完売。
開演前、埋め尽くされた客席は、世界的な名花の日本初リサイタルを今や遅しと待ちわびて、熱気にあふれていた。
登場したデイム・ロットは濃い緑のシックな衣裳に身を包み、優雅な歩みで現れた(おそらく日本の現状に配慮して華美な衣裳は避けたのだろう)。
まだ演奏前にもかかわらず割れんばかりの大拍手である。
名手グレアム・ジョンソンの姿を生で拝見したのは初めてだが、過去の多くの録音のジャケットで見た写真よりも恰幅がよくなり、すっかり好々爺といった印象だ。

プログラムは前半にドイツリート(シューマン)とフランスメロディ(プーランク)、後半はよく知られたイギリス歌曲の数々と、仏・英のオペレッタという幅広さ。
ロットの膨大なレパートリーのエッセンスを一夜にして味わえる見事なプログラム・ビルディングである。

シューマンの歌曲からは可憐で繊細な味わいの作品が多く選ばれていたが、ロットの歌唱は紛れもなく第一級のドイツ歌曲歌手の一人であることを実感させた。
どのタイプの曲を歌っても魅力的な息を吹き込み、聴き手を惹きつけてしまう。
声は信じられないほどみずみずしさを保っており、高音もよく伸びていた(抑制した声では若干コントロールに苦心していた場面もあったが気になるほどではない)。
ゲーテの詩による「愛の歌」は比較的珍しい作品と思われるが、非常に美しい曲で、ロットはとても魅力的に歌ってくれた。
「哀しそうに歌わないで」のコケットリーはオペラ歌手としてのロットの表現力が歌曲に生かされた好例だろう。
ロットとシューマンの相性の良さを感じた。

プーランクが友人ポール・エリュアールの詩に作曲した9曲からなる歌曲集「こんな日こんな夜」は、それほど頻繁に聴くことの出来る作品ではないだろう。
その稀な機会がロットの優れた歌唱で得られたことは非常にうれしい。
一見地味な歌曲集だが、聴き込むほどプーランクのエッセンスがつまっているのが感じられて、どんどん引き込まれる。
ロットの歌唱はフランス語を語るようにメロディーに乗せ、プーランク特有の趣を素敵に表現していた。
第4曲の締めくくりに出てくる"coeur(心)"という言葉には歌と語りの中間のような色を付けて印象的だった。

休憩後の最初のブロックはブリッジ、ヴォーン=ウィリアムズ、クィルター、ブリテンといったイギリス歌曲の名曲ぞろい。
イギリス歌曲集の録音では頻繁に歌われるこれらの作品だが、生のステージで聴ける機会はなかなか無い。
ロットの美声でこれらの旋律美をたっぷりと味わうことが出来たのは私にとって非常に贅沢な時間だった。
クィルターの「愛の哲学」など盛り上がること必至の名曲で私もとても気に入っている作品なので、ロットとジョンソンの素敵な演奏で聴けて感無量である。
また、ブリテンの「悲しみの水辺」はこの夜のロットの歌唱の一つのクライマックスといってもよかった。
その声と表情に込められたそこはかとない悲しみは、彼女の芸術の最高のものを聞かせてもらったという気持ちで、ただただ感動的だった。

最後のブロックは、くつろいで聴ける軽妙なオペレッタの数々であったが、このブロックは聴衆も一段と盛り上がった。
気品に満ちたロットがくだけた表情で変幻自在に表現するのだ。
全身を使って、時にコミカルに、時に真摯に、時に大胆に、それぞれの場面を演じ歌う。
どの曲も彼女が歌うだけで、そこに情景が浮かんでくるかのよう。
オッフェンバックの「ああ私は兵隊さんが好き」など、一度聴いたら虜となってしまう楽しい曲で、ロットも乗りに乗っていた。
ノエル・カワードの「もし愛がすべてなら」の歌詞には、はからずも「自分のできることをすればいい/必要なら泣けばいい/好きなときに笑えばいい」(広瀬大介:訳)という箇所があり、ロットも歌いながらこみ上げてくるものがあったように見えた。

グレアム・ジョンソンはふたを全開にしながらも決して歌を覆い隠してしまうことのないバランス感覚はさすがだった。
非常にやわらかく手首を動かし、タッチは軽めで、技巧を決して前面でひけらかさない。
しかしどの作品でも血肉としているのが歴然で、歌を生かすことに徹しているのが職人技の極地といった感じで素晴らしかった。

アンコールは2曲。
1曲目の前にロットが「このような中で来てくださってうれしい」というような挨拶をし、2曲目の前にはジョンソンが「明日は良くなるというシュトラウスの歌を演奏します。日本が良くなるように」といったような挨拶をして感動的だった。
シュトラウスの「明日」を弾くジョンソンの前奏はこれまで数え切れないほど聴いてきたこの曲の演奏中で最も心を揺さぶる「歌」があり、聴いている私もこみあげてくるものを抑えるのに必死だった。
ロットも涙をこらえながら歌っていたようだ。

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お2人の演奏から聴衆がどれほど勇気づけられたことか。
最初からアンコールの終わりまで、一貫して英国の紳士淑女の典型を見たような気持ちだった。
演奏を聴き終えて、これほど「ありがたい」という気持ちになったことはなかなかないことだと思う。
フェリシティ・ロットとグレアム・ジョンソンに心からの感謝を!

なお、6月にBSで放映予定とのこと。
これは是非おすすめです!

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(追記)

フェリシティ・ロット&グレアム・ジョンソン(2011年4月20日 東京文化会館 大ホール)

都民劇場音楽サークル第586回定期公演
フェリシティ・ロット ソプラノリサイタル
2011年4月20日(水)19:00 東京文化会館 大ホール(1階L11列1番)

フェリシティ・ロット(Felicity Lott)(ソプラノ)
グレアム・ジョンソン(Graham Johnson)(ピアノ)

シューマン(Schumann)
献呈Op.25-1(「ミルテの花」より)
くるみの木Op.25-3(「ミルテの花」より)
献身の花Op.83-2(「3つの歌」より)
東方のばらOp.25-25(「ミルテの花」より)
私のばらOp.90-2(「6つの詩」より)
時は春Op.79-23(「子供のための歌のアルバム」より)
恋の歌Op.51-5(「リートと歌 第2集」より)
悲しそうに歌わないで0p.98a-7(「ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』によるリーダー」より)
 
プーランク(Poulenc)/「ある日ある夜」(全9曲)
 よい一日
 こわれた貝殻
 破れた旗のような額
 瓦を葺いた家形馬車
 まっしぐらに
 みすぼらしい草
 君を愛したいだけ
 熱烈で残忍な姿
 ふたりは闇をつくる

~休憩~

ブリッジ(Bridge)/ゴー・ノット、ハッピー・デイ
ヴォーン=ウィリアムズ(Vaughan Williams)/静かな真昼(「命の家」より)
クィルター(Quilter)/真紅の花びらがまどろめばOp.3-2
クィルター/愛の哲学Op.3-1
ブリテン(Britten)/おお悲しい(第3集「イギリスの歌」より)
ブリテン/気まぐれ

オッフェンバック(Offenbach)/あの方に言って、優れた人と(オペレッタ「ジェロルスタン大公妃」より)
オッフェンバック/ああ私は兵隊さんが好き(オペレッタ「ジェロルスタン大公妃」より)
メサジェ(Messager)/恋は野の鳥(オペレッタ「熱中」より)
メサジェ/恋人がふたり(オペレッタ「仮面の恋人」より)
カワード(Noël Coward)/もし恋がすべてなら(オペレッタ「ほろ苦さ」より)
カワード/ピッコラ・マリーナのバーで

~アンコール~
プーランク(Poulenc)/愛の小径-ワルツの調べ
ビゼー(Bizet)/ギター(「アルバムの綴り」より)
シュトラウス(Strauss)/明日!

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都民劇場音楽サークルの一貫として、東京文化会館大ホールでも王子ホールと同じプログラムで登場した(日本語表記は上記のとおり異なっていた)。

今回はワインレッドの鮮やかなドレスに、シースルーの黒ベールをはおり登場。
後半は黒ベールの代わりに鮮やかな絵柄の短いショールを肩にはおって登場。

王子ホールのような親密な空間ではない分、前回のような感傷的な気分にはならず、普通のリサイタルを普通に楽しめたという感じである。
大きなホールに対応して彼女の声も一層伸びやかであった。
そして相変わらずジョンソンのピアノはぴたっと寄り添っていた。

アンコールが前回と違っていたのも嬉しい。
今回も前回同様のスピーチがあったが、ジョンソンではなくすべてロットがスピーチしていた。

ぜひ今後も繰り返し来日して、歌曲を聴く喜びを味わわせてほしいと願わずにはいられない彼女の名唱であった。

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東京・春・音楽祭/ブラームス 弦楽六重奏(2011年3月26日 東京文化会館 小ホール)

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2011-
ブラームス 弦楽六重奏 ~若き名手たちによる室内楽の極(きわみ)

2011年3月26日(土)19:00 東京文化会館 小ホール(C列21番)

長原幸太(Kota Nagahara)(ヴァイオリン)
西江辰郎(Tatsuo Nishie)(ヴァイオリン)
鈴木康浩(Yasuhiro Suzuki)(ヴィオラ)
大島 亮(Ryo Oshima)(ヴィオラ)
上森祥平(Shohei Uwamori)(チェロ)
横坂 源(Gen Yokosaka)(チェロ)

ブラームス(Brahms)作曲

弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 op.18
 第1楽章 Allegro ma non troppo
 第2楽章 Andante ma moderato
 第3楽章 Scherzo. Allegro molto - Trio. Animato
 第4楽章 Rondo. Poco Allegretto e grazioso

~休憩~

弦楽六重奏曲 第2番 ト長調 op.36
 第1楽章:Allegro non troppo
 第2楽章:Scherzo. Allegro non troppo - Trio, Presto giocoso
 第3楽章:Poco Adagio
 第4楽章:Poco Allegro

~アンコール~
ブラームス(マロツァルト編)/ハンガリー舞曲第5番

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大震災後、多くのイベントやコンサートが中止、もしくは延期となった。
毎年3~4月に恒例となった「東京・春・音楽祭」も地震の影響により、4分の3の公演が中止されたという。
私が前売りチケットを買っていた他の2つの公演も中止となったので、この夜のコンサートも開催されるのかどうか直前までHPをチェックしていたが、結局予定通り催された。
何となく落ち着かない日々が続く中、コンサートを聴く気力も萎えていたが、久しぶりに出かけたコンサートはほっと一息つける憩いの時間となった。
ただ、やはりどこかいつもと違う雰囲気があったのも事実である。

ブラームスの歌曲やピアノ曲などは大好きなのだが、2曲の弦楽六重奏曲はこれまでじっくりと聴いたことがなかったので、よい機会と思いチケットを購入したのだった。
第1番の2楽章がピアノ独奏用に編曲されているバージョンはブレンデルの録音で知っていたのだが、その元の曲を聴いていなかったのだ。

文化会館の小ホールはかなり盛況の様子。
義捐金の箱がロビー数箇所に置かれている他は特にいつもと変わりない風景だが、空気がどこか張り詰めた印象だったのは気のせいだろうか。

演奏前には主催者と思われる方が登場し、犠牲者、被災者へのお悔やみ、お見舞いの言葉の後、音楽祭を可能な範囲で開催する決断に到った経緯などを説明した。

その後に登場した6名の演奏家たちはいずれも若手奏者とのことだが、オケの一員として聴いたことのある方はいたかもしれないが、こうして室内楽を実演で聴くのは全員はじめてだった。
しかし、実に精鋭揃いというべきか、丁々発止とした生きのいい掛け合い、やり取りが音楽に生命を吹き込み、聴いていてその躍動感が気持ちをとても奮い立たせてくれる演奏だった。

ブラームスの六重奏曲2曲は、いずれも4楽章からなる大きめの作品で、演奏者にはかなりの技術を要するのではないかと想像される。
しかし、若年から壮年期にかけてのこれらの作品は、ブラームスといって一般にイメージされる晦渋さはまだ無く、むしろ温かく、親しみやすく、陽気でさえある。
第1番にも第2番にもスケルツォ楽章が置かれているのだが、どちらも村のお祭りの舞曲を思わせる土臭さが愛らしさを増していた。
前述した第1番の第2楽章は物悲しさをたたえた旋律が印象的だが、ピアノ編曲版とはまた一味違った流麗なメロディーの美しさが際立っていた。

六重奏曲第1番では西江、大島、横坂がプリモを弾き、第2番では逆に他のメンバーがプリモを担当していた。

ヴァイオリンの2人(長原氏、西江氏)は実によく歌う。
聴いていて本当にこちらまで楽しくなってしまうような生きのよさが感じられた。
ヴィオラの2人は対照的。
長身の大島氏がクールに弾き、鈴木氏は表情豊か。
チェロの2人のうち横坂氏は最近コンクールに入賞して注目を集めた若手。
体をよく動かし、若々しい演奏。
それに対して長身の上森氏は堂々とした貫禄のある演奏。
どの奏者も目配せをしたり、音の掛け合いをして楽しんでいる様子が伝わってきて、室内楽の楽しさを感じさせてくれた。

Brahms_sextet_20110326_chirashi

アンコールはマロツァルト(正体はN響の「まろ」さんらしい)編曲の「ハンガリー舞曲第5番」。
西江氏を中心に息の合った楽しい演奏だった。
アンコールの前にヴィオラの鈴木氏の挨拶があり、演奏後に我々もロビーで募金箱を持つので、よろしければお願いしますとのこと。
こういう形での支援も今後あちらこちらで行われるのだろう。
よいことだと思う。

他の公演も会場の都合や外国人演奏家の来日不可能などでかなり中止となったが、このような良い演奏会を断行してくれた主催者に感謝したいと思う。

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